長編 #2575の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
隆二の腕に。 その男くさい顔にならんで、心配そうな沙羅の顔がのぞきこんでいる。 俺はうめきをもらしつつ首をもたげ、再度襲いくる目眩の片端で、地上に降りた アブーカジェリフと、その足もとで荒い息をつきながら鋭利な視線だけを光らせて いるタツとを見た。 「くそ、俺は――」 言いかけ、ぐわりとこみ上げる吐き気を必死になって抑えこんだ。 「無理をするな」 低く、よく響く声が忠告する。隆二だろう。ちくしょう、けったくそ悪ィ。だが、 反抗を表現する気力さえわかなかった。 間断なくおしよせる吐き気の波を幾度となくおさえこみ、荒い息をくりかえした。 ようようのことで人心地をとり戻し、薄目をあける。 「ジン」 気づかわしげに沙羅がそう呼びかけるのへ、俺は思わず目をそらしていた。 隆二は無言のまま、俺のあえぎが充分におさまるまで待ってから、そっと、俺を 枯れ草の上に横たえた。 視線だけで、立ちあがる<騎士>を追う。 その背後に、虎法師がひっそりと立っていた。 あわれむような目で、俺を見つめていやがる。 口を開きかけ、そしてつぐんだ。 バカな考えを起こすな。そう言おうとしたのだろう。 そして、それを口にする必要がないと見てとったのだ。 ついと法師は視線をはずし、公園内を見まわした。 そして消えた。 「沙羅」 そして、地に這ういまの俺には天上にもひとしいはるかな馬上から、隆二がそう 呼びかけた。 「帰れ。俺を追うな」 ちらりと沙羅の顔に、視線を移す。 ひたむきに馬上を見つめる双の瞳は、涙をいっぱいにためこんでいた。 流すまいと、唇をかんでいた。 隆二は、そんな沙羅を無表情に見つめていたが、やがてなんの前触れもなく馬首 をめぐらせた。 ぶるる、と周囲からいくつかの獣の声があがる。 そして、カツカツとひづめを鳴らしながら、七つの騎馬は公園を後にした。 それからも長い間、俺たちは身じろぎひとつせず、無言のままでいた。 夜明けは、水平線をおおうかつての港の残骸を紅に染めていた。ところどころ陥 没しているベイブリッジと、錆びてぼろぼろに朽ち果てていながら、奇跡的にその 威容を天へとふりあげたままのクレーン。ただよい、半身を海中にひたした巨大な タンカー。灰色の構築物はひっそりと音もなくその内部に闇を飲みこみ、橋からつ づくアスファルトの道に今は一台の車影とて移動する姿はない。 廃墟の影を映して、朝焼けに紅く染まる海面。風にうねる波間を、時おり縫うよ うにして白い鳥影がよぎる。声は立てずに。 汽笛の音を、はるか遠く耳にしたような気がした。もちろん、まちがいなく気の せいだ。汽笛をならす船はもう、世界のどこにも存在はしないだろう。 夜明け前に目が覚めてから、もう一度眠る気にもなれずにこうして、明けていく 海を眺めていた。水平線の彼方で、かすかな曙光が空を照らしはじめたころ、一度 だけ、ウエストポーチの中でラジオが鳴った。 妹の声が、聞こえたような気がする。 だが、ラジオをとりだし、そのスピーカに耳をおしあてて、狂おしく呼びかけな がら必死になって麗子の声を追う気には、なぜかなれなかった。 旅は断ち切られ、どうしようもなく中途半端な挫折感だけが、俺の胸の底に重く わだかまっていた。 ため息ひとつ、つく気力さえわかず、ただ俺は海を眺めていた。 「よう、ジン」 背後から、タツがそう呼びかけてきたときも、ふりかえるどころか生返事ひとつ、 返さなかった。 「眠れなかったか。それとも、悪い夢でも見たか?」 答えを期待しているようにも聞こえなかったから、やはり俺は無反応で黙りこん だままだった。 タツは気にする風でもなく俺のわきをすりぬけ、漆黒から濃藍ヘ、濃藍から紫へ、 そして紅へと色彩をうつろわせる空を背にして、居合刀をかまえた。 そうして、夜明けの不思議な色の光を背景にして眺めていると、タツが刃をぬき、 そしておさめる軌跡がよく見えるような気がした。 影は、鋭利な弧を描き、ひるがえり、旋回して戻された。 幾度も、幾度も、タツは単調に、同じ動作をくりかえした。 ときおり、剣の角度がわずかに変化する。 横薙ぎからゆっくりと縦へ。 そして、風のように、十字を描いて。 そうして、タツがあくことなく続ける動作の向こう側で、金色に近い朱色へと変 化していく波間をゆっくりと、小さな艀の影が左から右へと、移動していった。 大桟橋あたりから、出てきた舟だろうか。 何をしに、船出していくのか。 そして、どこへ。 波と嵐を乗り越えて、崩壊と混乱のふりそそいだ新たなる未開の大地へと、その ちっぽけな身を踊らせていくのか。 夢想に、われしらず苦笑をもらす。 冒険よりは生きのびることに、だれもが精一杯だ。あの舟だって、漁にでも出る といったところが関の山だろう。 海中にも、<異変>以来ろくでもない怪物があちこちにうねくっていやがるはず だ。ただ魚を獲りにいくだけだって、命がけの仕事だ。 冒険のために船出する馬鹿など、たぶん、どこにもいない。 俺は目を閉じ、腹の内部に意識を集中した。 負けそうになったときは、腹にぐっと力をこめろ。 白痴のようになって死んでいった親父から、ガキのころそう励まされたことがあ る。こっぴどくぶん殴られた上、泥水の中につっこまれて泣いて帰った時のことだ った。たぶん、日曜日のことだったのだろう。季節は春だったような気がする。陽 ざしがやけに暖かかったのと、それなのにあちこちすりむき、泥の詰まった傷口の 痛さや何よりも泣かされ、すごすごと逃げ帰ってきたことへの情けなさがひどく自 分を苦しめていた。 珍しく昼間から家にいた親父に俺は泣いてすがり、そして親父は俺の肩を抱いて 無理やり立たせながら、言ったのだ。 負けそうになったときは、腹にぐっと力をこめろ。いいか、坊主。負けそうにな ったときは、ふんばるんだ。ぐっと、な。 力強く言い放ち、言葉どおりぐっと俺の肩を親父はつかみしめた。俺は嗚咽に震 えつつ、涙でかすむ視界で親父の顔を見ながら、その当時の俺にできる精一杯のカ ラ元気をこめてうなずいてみせた。 そのときの親父の顔には、なぜか哀しみがやどっていたような覚えがあった。 ずいぶん後になって、その哀しみを理解できたような気がする。 昔日の言葉とは裏腹に、親父は喧嘩などできるような男じゃなかった。たぶん、 なぐりあいひとつ、現実にはしたことがなかったはずだ。勤め先でも、他人は他人、 自分は自分で、干渉せず、干渉させず、接触はできるだけ少なく衝突は極力回避し て、人生をわたってきた男だ。 そんな親父があの時、どんな気持ちであのセリフを口にしたのか。 そう考え、俺は記憶にこびりついた哀しみの表情に意味をつけられたような気が していた。 いま、また、わからなくなっている。 家族を守るために、平穏を維持するために、親父は働いていた。どれだけ衝突や トラブルを回避しようとしても、幾度かは、あるいは、俺がいま漠然と考えている よりはもっと頻繁に、戦わなければならない場面があったはずではないか。 腹に力をこめて。 もしかしたら、時には勝ったこともあったかもしれない。 でも、多くの場合は、負けていたのではないか。 負けて、負けて、負けてなお、親父は歯を食いしばり、立ち上がり、そして立ち 向かっていったのではないか。 あの時、幼いあの日に目にした親父のあの顔は、哀しみではなかったのかもしれ ない。 勝っても負けても戦いつづける、意志の現れであったのかもしれない。 俺はいま、どうすればいい? 自問しながら、腹に力をこめてみる。 負けてたまるかよ。 心の中で、うなってみた。 実感はわかなかった。 浮力にささえられて、ゆっくりと深い海底へと沈みこんでいくような無力感が、 俺の全身を支配していた。 もう、戦う気力などカケラさえ残っちゃいなかった。 俺は目を開き、たたずむ影が俺をじっと見つめているのに気がついた。 右手から陽光を浴びて、汗に全身が濡れ光っている。 シャープな筋肉と、それを覆う極彩色の花吹雪。 手にした凶刃。 立ちのぼる温気は、そのまま内側から抑えようもなくあふれ出る力の象徴に見え た。 かすかに、荒い息をついている。 そんなタツの雄姿を、俺はただぼんやりと、純粋に賛嘆をこめて、眺めやった。 十二時間前までは、そんなタツの雄姿を目にすれば賛嘆とともに強烈な嫉妬と敵 愾心を燃やさずにはいられなかった。 今では、何もなかった。 鋭利な、刃物のような顔貌が、無表情に俺を見つめているのを俺は、ただぼんや りと見かえしているだけだった。 やがて、静かにタツが口を開いた。 「で、これからどうする」 この問いにも答えず、いや、答えられず、俺は目を伏せ、黙りこんだ。 返答を待っているのか、微動もせずに立ちつくすタツに、俺は逆にきいた。 「おまえは」 しばし、ためらうような間をおいて、タツは答えた。 「沙羅次第だな。俺はあいつの護衛だ」 顔をあげると、奴は真一文字に口をひき結び、本牧方向に天へと昇りいく太陽を 無表情に眺めあげていた。 眉間の皺が、奴の内心を垣間見せているような気がした。 誤解なのかもしれない。ガキのころ……そしてもしかしたら今もまた、親父のあ の表情を誤解していた時のように。 知らぬ間に、閉ざしていた口を割って笑い声がもれた。 自分でたてた自分の笑い声に、俺は一瞬、ぎょっとしていた。 どうやらまだ、俺は笑い方を忘れてはいなかったらしい。 だが、その笑いからは、力とか、熱さとか、そういったものが抜け落ちているよ うな気もした。 俺はもう一度、笑いながら小さく首を左右にふり、そしてベンチから立ち上がっ た。 「行くよ」 そして自分でも信じられないセリフを、平然と口にした。 ふりかえったタツの目が、疑わしげに細められていた。 その目を、真正面から見つめかえしながら、俺はもう一度くりかえした。 「行くよ。俺は。<混沌>へ。妹をとりかえしにな」 言って、声をあげながらのびをした。 ハ、とタツがあきれたような笑いをひとつ、もらした。 刀の峰でとんとんと肩をうち、ハ、ハ、ハ、とタツは笑った。 何がおかしいんだ、とすごんでみせながら、俺も笑っていた。 「沙羅のことだがよ」 やがて笑いやんだタツが言った。 「んー?」 「許してやんな」 言って、真顔で俺をのぞきこむ。 俺は肩をすくめ、鼻のあたまをかきながら視線をそらした。 昨夜、むっつりと黙りこむ俺のところへ沙羅が謝罪と弁解にきたのを、タツもア ブーカジェリフも見ている。 俺は彼女のセリフをろくに聞きもせず、濃密な怒りを放射する無言をたたきつけ ただけで背を向けた。 そのことを、慮ってのタツのセリフだろう。 制御できない怒りや無力感が、昨夜は俺をすさませていた。 今朝はふしぎに、沙羅のことを考えても怒りも屈辱もわきあがってはこなかった。 俺が麗子をとりもどすために旅をはじめたように、あいつもまた隆二を追うため に、俺の旅に便乗してきたのだろう。 あいつにとって、隆二が何なのかは俺は知らない。興味もない――といえば嘘に なる。奇妙なことに、俺は隆二に対する抑えようのない嫉妬を感じていた。 だけど、沙羅は俺の敵じゃない。すくなくとも、今のところは。 今はまだ、あいつも俺たちの旅の仲間だ。 けっこう、あいつの性格が気に入ってきてもいる。 だから俺は、かぶりをふりながら、声を立てて短く笑った。 「許すも何も。べつに、よ。その、なんてーか。な。わかっだろ。許すよ」 自分でもさっぱりわけのわからないセリフを吐いた。 フン、とタツは鼻で笑い、 「なら、いい」 そう言って刀を鞘にしまいこむと、くるりと俺に背を向けた。 たぶん、今のセリフを俺に言わせるためにタツは来たんだろう。 似合わねえ役をこなそうとしたもんだ。 俺はひとり苦笑し、意味もなく地面を蹴りつけた。
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