長編 #2564の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
瞬時、犬どもの動きが停止した。 片目の黒犬が、人間そっくりの憎悪に充ちた表情でその獣ヅラをみにくくひき歪 ませた。 飛びかかってくるか、と俺は身がまえた。 身がまえながら、心底ブルっていた。 勢いにまかせた黒犬に、喉をかみ切られる光景が脳裏を去来した。 が、奴はくるりと踵をかえし、俺に背を向けて走り出した。ほかの二匹も後を追 うところを見ると、どうやらさっきの遠吠えは連中のリーダー格のものらしい。 と、そのとき―― 「やっ」 しぼり出すような気合ともに、だん、と踏みこんでタツが、白刃を抜き放った。 閃光が稲妻のようないきおいで弧を描き、その線上に、片足を落とされた黒犬の 胴があった。 ぱちり、と抜き身が鞘におさまるころ、なおもひょこひょこと手負いの黒犬は走 りかけ、そして、だしぬけに前後に分裂しながら路上にころがった。 開きっぱなしの水道につないだホースから水が流れるように、大量の血をまき散 らして黒犬はひくひくと痙攣し、そして息たえた。 逃げる二匹に向けてアブーカジェリフが雷撃をつぎつぎと投げかけるが、時おり かするくらいだった。俺も矢を射かけようとも思ったが、どうも当てる自信がわか ず、弓につがえたまま見送るだけだ。 ふう、と息をつくのへ、 「ジン、だいじょうぶ?」 と、さして心配そうでもない口調で沙羅がきく。ふん。 「おまえ、ちょっと無謀だよ、素手で犬に対抗しようなんて」 やや呆れ気味に言うタツの口調のほうが、よっぽど心配そうだ。ちぇっ。まった く。 フンと鼻をならしたきり答える気もなく腕や肩に刻まれた鉤裂きの傷口を調べる。 思ったより深い。くそ。痛え。 俺は口をへの字に曲げて痛覚をまぎらし――街路の向こう側、比較的原型をたも ったマンションの入口から、三つ、いや、四つの人影がたたずむのを見て息をのん だ。タツも沙羅も、緊張に満ちた面持ちをそちらに向けている。ひとりアブーカジ ェリフだけが、我関せずとでもいいたげにうわあと大きなあくびを放った。 コツ、と歩道のアスファルトを杖でたたいて、人影のひとつが歩を踏み出す。顔 に刻まれた皺の数は生きてきた年数の重さをただよわせていた。長い歳月を生き延 びてきたが、その間なにひとついいことなどなかった――そんな重い、疲れはてた 雰囲気を、その老人はただよわせていた。 一歩を踏みだすごとにとてつもない疲労を蓄積しているかのような足どりで、ゆ っくりと歩をすすめる老人に、まとわりつくようにして前になり後ろになりしなが ら従う三つの影は、どれも十歳に充たないガキどもだ。さっき見かけたのはたぶん、 この連中だろう。 老人は俺たちの手まえ三メートルほどの距離をおいて立ちどまり、感情をあらわ さない――というよりは、感情を磨耗しつくした無感動な視線で、俺たち三人を交 互に眺めわたした。そして、警戒心むきだしで腰のあたりにまとわりつく、いちば ん年少のガキの肩を、なだめるようにポンポンとたたきながら口を開いた。 「どこから来なすった?」 瞬時、返答に窮し、 「江ノ島だ」と答えておいた。吉祥寺から藤沢まで一夜にしてワープしただのと、 説明するのも面倒だ。「爺さん、このあたりの人かい? ここらのバラック村、あ の黒犬にやられちまったのか?」 「そのとおりですわ」 静かに、老人はうなずいてみせた。そして、痰のからんだ咳まじりの声で、訥々 と語りはじめた。 「ひとつきほど前ですか、あのクチイヌどもめが、弘明寺公園あたりに、巣くい よりましてなあ。日ごと夜ごと、わしらのキャンプを、襲うようになった。最初は、 備蓄しておいた食料やら何やらを奪うだけでしたが、そのうちに、人まで、喰らう ようになりましてなあ。若い者らが退治に出たんだが、ほとんどが返り討ちの目に あって、戻ることさえできない始末。もうこれまでか、とキャンプを捨てて出てい く者も出ましてなあ。今ではここらあたり、ほとんど人も住んではおりませんわ」 抑揚のない口調で語り、老人は最後に重いため息をついて口を閉ざした。 なるほど、と俺も肩をすくめる。 今の世界じゃよくある話だ。魑魅魍魍の類なら神社や寺などから連中がきらいそ うなお札などの霊験をもった品物を調達してくれば、たいていはどうにか追い払う ことができる。が、中にはそういった霊的なものがいっさい通用しない化物もいる。 こういう連中はたいがい図体がでかいとか異様な力を持っているとかいうだけの、 単なる物理的な脅威の対象でしかないのだが、そういう意味では特殊な能力を持つ 妖魅どもよりよほど対処のしようがないシロモノだとも言える。 こういった奴らに対抗するには、たとえばタツの剣技のように連中の上をいく力 にたよるか、もしくは罠や毒などを使うしかない。 が、始末の悪いことに化物どもの半数以上は知性皆無、というわけにはいかず、 少々の罠など軽々とクリアしてしまう奴らも少なくはない。さらには、プトマイン 程度の毒物など屁とも思わない丈夫な胃腸をお持ちの連中も少なくはない。 こういう奴らに目をつけられたら、もはやお気の毒、としか言いようがないのだ。 「そいつァ災難だったなあ、爺さん。けど、あんたたちはどうして逃げないんだ い?」 俺がそう言うと、爺さんはしばらくの間もぐもぐと何やら口のあたりをうごめか せていたが、やがてまた、重い口を開いた。 「わしは見てのとおり、老い先短い爺いですわ。それに」皺だらけの手が、首か らさげたお守り袋らしきものをもてあそんでいた。「あのクチイヌどもが、このあ たりに出没するようになった矢先に、たったひとり残った孫が、いなくなってしま いまして。たぶん、あの化物どもにさらわれたあげく、考えたくもないが、餌にで もされてしもうたんでしょうなあ。しかし、わしにはあの子が死んでしもうたとは、 どうしても思えんで。それで、無駄とは知りつつ、こうして今日まで、孫の顔をせ めてもういちどだけでも見ておきたい、と、そう思いましてなあ」 「するてえと」と問うたのはタツだった。「そのガキどもは、あんたの家族では ないわけか」 はあ、さようで、と爺さんは慇懃にうなずいてみせる。くそ、俺に対するのより 一段態度が丁寧だぞ。 「この子らも、つれていってくれる大人もおりませんでなあ。それで、というわ けでもないのでしょうが、残って爺ちゃんを守ってやるんだ、ときかんのですわ。 ほかにも少しばかり、残ってる者らもおりますが、まあたいがいは今の生活に倦み 疲れた連中ですわの」 聞けば聞くほど救いようのない話だ。俺はうなりをまじえてため息をつき、タツ と沙羅とをふりかえる。 腕組みをしてしかつめらしく爺さんの話を聞いていたタツは、黙りこんだまま俺 の視線を受けていた。どうしたものか、と思案顔だ。 沙羅はといえば、これは露骨に眉をひそめてしかめ面をつくる。関わりあいにな らずにさっさと先へ行くべきだ、といったところだろう。 途方にくれて魔法使いに視線を向ける。べつに答えを期待していたわけじゃない が、意外なことにアブーカジェリフは褐色の肥満顔にさももっともらしい表情を浮 かべつつ、口を開いた。 「わが家宝のヒンジャルにきけ」 と。 意味もわからず「は?」と間抜けにききかえす俺に、しかたのない奴だとでも言 いたげに首を左右にふりながら、魔法使いはくりかえした。 「わが家宝のヒンジャルに問うのだ。戦を忌避して旅路をたどるほうがよいなら ば、ヒンジャルはおまえの手には触れぬ。だが戦うことをさけられぬか、あるいは 戦うことによりなんらかの利益を得られるならば、宝剣はおまえの手の内におさま るだろう」 なんだか亀甲占いみたいなことを言う。どうも少しばかり馬鹿らしく思わないで もなかったが、くだんの短剣は、といえば確かに出たり消えたり、どうにもその出 現のしかたからして普通じゃない。 もしかしたらこの短剣は意志をもっているのかもしれんな、とふと思いついた。 俺は上着の懐に手をさし入れ――まるで、俺の手がのびるのを待ちかまえていた かのように短剣の柄が手のひらに吸いつくようにおさまるのを感じて、眉をよせた。 俺の表情から結論がどう出たのかを悟ったらしい沙羅が、梅干しを口いっぱいに 頬ばったような渋い表情でぶるると顔を左右にふった。 それを見てタツは肩をすくめてみせ、爺さんに向き直る。 「クチイヌ、だっけか? 食肉としちゃどうなんだい?」 「さて。わしらは食ったことはないが、噂ではまあ、けっこう食えるシロモノら しいですな」 返答にしてもいまひとつ参考にはならない。あの化物を倒す労力に見あうだけの 獲物かどうか。 「ぜんぶで何頭いる?」 重ねて質問するタツに、いちばん年長らしいガキが怒ったような口調で、 「あと五匹!」 と答えた。 フムン、とタツは黙りこみ、俺に視線を移しやがった。どうやら奴としてもどう すべきか決めかねているのだろう。この居合の達人にしてからがこれほどの躊躇を 示す化物が相手だ。沙羅がよけいなおせっかいに賛意を示そうとしないのも当然と いえば当然。 むろん、俺としてもこんなところでよけいな労力を使うよりは、一刻もはやく新 宿にたどりつき、妹を救いだした方が面倒がなくていいに決まってる。 どのみち、世の不幸をすべて解決してまわっているヒマも力量も、俺たちには到 底、ありはしないんだ。 そう思い、俺が口を開きかけるより速く――一枚の紙きれが、皺だらけの手から はらりと舞い落ちた。 「落ちたっ」 と年長のガキが叫んだ。が、爺さんは、 「おお、わしの宝が」 などと嘆き声を発しつつ、ひろおうと身を乗り出した年長のガキをすばやく制し てちらりと俺たちに視線を投げかけた。 なんだ? と、俺とタツとが同時に腰をおり、紙きれをひろいあげた。 「ほお」 と、タツが真面目な顔でつぶやく。 「これは」 俺も口調で、タツの感慨に同意した。 「孫ですわ」 どこか誇らしげに老人が告げる。 「なるほど」 「なかなかきれいな娘さんじゃないか」 「孫ですわ」 「そう、マゴ」 「二十歳くらいか」 「もうちょっと上だろう」 「いや、今年十八ですな。名まえは美紀、というてな。そりゃあ気立てのいい娘 じゃった」 「ほお」 「それはまた」 「ちょっと、なにが、それはまた、よ」と、憤然と会話をさえぎったのは、もち ろん沙羅だ。「あんたたち、なんかバカなこと考えてんじゃないでしょうね? え? まったく、この男どもときたらまったく」 まくしたてながら、俺とタツとが保持する写真をのぞきこもうとする沙羅を、居 合の達人がおしとどめる。 「まあまあまあ沙羅」あからさまに懐柔の口調だ。「こんな世の中だからこそ、 俺たちゃ助けあいの気持ちを忘れちゃならねえんだ。な? そうだろう。それにさ っきも聞いたとおり、あのクチイヌとやらは食料にもなる。バザールの取引の材料 にだってなるだろうが。な? 山下公園にバザールが出てても、引換えにできるも んがない、じゃ、ちょいと哀しすぎるだろう? な? そう思うよな? な? な?」 ちょっと、なによそのヘリクツ、と沙羅が言いかけるのをタツはさらにな? な? な? とおし戻す。そのすきに俺は爺さんに問うていた。 「で、爺さん。その弘明寺公園てな、どっちの方にあるんだい?」 そう言いつつ俺は、爺さんのさしだす手を尻目に、カラープリントの内部で微笑 むソバージュ二重の、頬のふっくらした健康そうな美貌から長いこと目を離せずに いた。 7 地下鉄「弘明寺」駅から京浜急行「弘明寺」駅までの商店街を、俺たちはゆっく りと進んだ。昔はアーケード街だったらしい。左右に軒をつらねる家々はどれも店 屋のたたずまいをみせ、大部分は開きっぱなしのまま残骸をさらしている。 通りをおおっていただろうアーケードの屋根は、今では無残に崩れおち、青空を さらしていた。支柱も八割がたぐずぐずに崩れている。 途中、通りがかった観音橋も、手すりもなく半分以上がひび割れ、今にも崩れお ちそうになっていた。このあたりの街なみは往時、あちこちに鉄を組みこんで構築 されていたらしい。そういう街は、朽ち方もまたいっそう悲惨だ。 弘明寺という寺と、それに隣接した公園は丘の上にある。<異変>後のある時期 まではその寺まで強力な妖物の類もおらず、クビガラス程度の妖魅よけに寺から線 香だの絵馬だのお札だのを調達してきて住処のまわりをしきっておく程度で、充分 暮らせていたらしい。 クチイヌ、とやらが現れたのは半年ほど前、それ以前はこれといって怪異や事件 の起こることもなかったというのだから、このあたりはかなり程度のいい居住環境 だったようだ。 それだけに、黒獣どもの襲撃にはなすすべもなかったらしい。 いや、この言い方は不正確かもしれない。 五年の間には多くのことが起こってきたはずだ。たとえ妖物に襲われたことはな かったとはいえ、徒党を組んで暴力で食料や女などを奪いにくる集団はめずらしく ない。俺も三鷹で妹と暮らしていたころは、近所の男衆と協力してそういった奴ら を追い返すのに多くの苦労と大きな犠牲を払った記憶がある。
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