空中分解2 #2821の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
一 父がながらえぬと聞き、初めて家庭を取り繕おうと考えた。それ迄、家庭とい う概念すら、私には存在しなかった。あるのは、唯、私と母との間柄のみであっ た。 二 或る作家は養子に出され、生みの母親の発狂に脅かされて育った。或る作家は、 生みの親に構われず乳母や叔母に育てられた。 三 私に父は二人居る。「父」と「お父様」であり、「お父様」は祈りの際に「天 のお父様」と呼ばれるその傍らに居て私の声を聞いているであろう筈の遠い人と なっていた。 四 夭折するしか、ない。 常にそう思っていた。 五 その作家達は私であり、記憶の無い「お父様」はいつしか彼らの顔をしていた。 私は黒を好む様になった。彼らも遠い人であったから。彼らは私であったから。 六 心から感動した時、思う。何事も成し得ない心持ちの時、思う。ああ、この侭 死なせて下さい。死をねだりながら涙がこぼれ落ちる、想いはこんなに純粋なのに。 七 希死は、心の純粋さ故か。それとも唯、逃避故か。許して下さい、私はこれ以 上傷付きたくないのです。もう、疲れてしまったのです。私に生産は無く、傷付 ける事ばかりで、その事が私自身を傷付けて久しいのです。ですから、どうか、 許して下さい。 八 お母様は私を甘やかせては下さいませんでした。物心付かぬ内にあなたが御許 に召されてから、今の父になる迄の間、お母様は大学で研究をなさっていました。 私はおじい様とおばあ様に育てられました。 夜だけは、疲れて帰っていらっしゃる来るお母様と親しく話す事が出来ました。 安息日だけは、難しい御本を片手のお母様に色々尋ねる事が出来ました。 お母様の居ない普段の娯楽は足し算や引き算、童話の黙読、自然と覚えたアル ファベット、お母様は私を賢いと誉めて下さいました。けれど、気のせいなのか も知れませんが、なにやら、お母様は私の事を余り良くよく理解せずに優しくし て下さっていたような気がしてなりません。ですから、私は、お母様に甘えた記 憶がないのです。いえ、記憶がないだけかもしれません。 九 父が死んだ。 その死の瀬戸際迄、病院の集中治療室で、私は死を予期した顔の父を欺き通し たし、それは我が家の無言の掟であった。 その為、私は父に謝る事が出来なかった。 その為、私は父に礼を言う事が出来なかった。 これから死ぬ事の怖さを誰にも共有して貰う事が許されず、父は、寂しく怯え ながら死んで行った。 十 父は私を「金喰い虫」と呼んだ。 けれど「金喰い虫」の存在を許す事が父の唯一の愛情表現であったと気付くの は余りにも遅すぎた。父はそれ程その言葉を憎しみを込めて呼んでいた。私は喰 えない芸術を志し、父の娘である私の姉二人はそれぞれ父の圧制から逃れる為、 早々に自立を志した。残ったのは、姉達より金のかかる、道半ばの私だけであった。 ある時、これ迄父に使わせた金を全て返す、と心に決めた。全て計算し、気の 遠くなるような返済計画を建てていた。 返せなかった。 十一 父がながらえぬと聞き、初めて家庭を取り繕おうと考えた。けれど、姉達は既 に巣立っていた。父と母と三人で辛うじて取り繕う時間は、奇妙に歪んで不器用 に乾燥していた。微笑みを浮かべたまま自室に戻ると知らずため息が出た。そし て涙が出た。 十二 希死には二つあると思うの。 社会的な希死と、排他的な希死と。社会的な希死は手段としての死、排他的な 希死は目的としての死、それぞれ希死の理由が違うと思うの。前者は視野が広く、 後者は視野が狭い。不純と、純粋。純粋よ。逃避かどうかは、次元が違う。選ぶ 物が死である時と、死しか見えないのとは違うでしょう。そういう事。病気かど うか、そうね、それも次元が違うわ。死を考えた後、現実を考えてもいけない。 希死は、その瞬間に於いてのみ、純粋たり得るのよ。死にたいのと死ぬのは違う、 だから誰かに死にたい等と言っては、いけない。目の前の死しか見ずに、黙って 死ぬの。それがきれい。 死にたい、というのは、それは止めて欲しい人の言葉。 十三 恋人が私に話し掛ける。御免ね、僕、死にたいんだ。でも、線路に、飛び込め なかったんだ。さっき。 私は、振られたと思った。 彼が一時的にでも、私の居るうつせみを捨てたのならば、恋は終わった、と。 もう、おしまいね。さようなら。 そうして私も死にたくなった。 十四 父の前で、死ぬかも知れない等と思わないで、と微笑んで見せた。 恋人の前で、死にたい等と思わないで、と泣いて見せた。 どちらも同じ事だ、偽っている。父は、目前に死を探知していた。恋人は、目 前の死を選ばなかった。 恋人を前に私は、微笑むべきだった。 父を前に私は、泣くべきだった。 十五 誰かが、これを、読んでくれます様に。遺書を書いて、ふと気付いた。もう、 希死は純粋ではない。 十六 希死が、純粋でなくともよい。薄ら汚い現実に鈍感になってもいい。人を傷付 けてもいい。堕落してもいい。罪を犯してもいい。 どうか、許して下さい。 私にはこれしか方法がないのですから。 生きていたいと思えるなら。 十七 本当に こんなに かなしい時に 母の差し出す 林檎と柿 食べる事を 望む訳でなく 食べねばならぬと 口へ運ぶだけ 十八 私は美しく演じる事が出来ない。 汚く、何があっても、生きて行く。 198*. 1993.2.7.23:00 終 楽理という仇名 こと 椿 美枝子
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