空中分解2 #2765の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
八月の終わり。みんみぃんから、つくつくほうしへと、蝉の鳴き声も季節 の変化を告げていた頃、神無月家のお屋敷はいつになく騒がしかった。大き な家の中ごろにある道場で合気道の合宿が開かれるため、参加する子供とそ の両親が庭に集まっていたからである。 その合宿に参加する人数は十五人とそれほどの規模はではなかったが、小 学生から高校生まで幅広い年齢の男女が入り交じり、仲の良い兄弟姉妹が集 まったような賑わいをみせていた。ある者は自分一人で元気に訪れ、まだ幼 い子は両親に連れられてくる。大きな庭はいつになく人で溢れていた。 一人旅行かクラブなどの合宿で、だいたいの子供は初めて親と離れる経験 をする。親から引き離された子供は、大方ものすごい不安や寂しさにさいな まれるのだが、そこで見る世界は今までとはまったく違っていて、やがて親 から離れた自分というものに慣れてくる。子供は「自立」という言葉を、そ うして体で憶えはじめるようである。 小学二年生の「康助<コウスケ>」という男の子は、おかっぱの頭とぷっくらと した容姿をしていて、まだ幼稚園のような幼さを全体的に残していた。ちょ っと気の弱い子供で、別れようとする両親の姿を見て、泣き出しそうなぐら い顔をゆがませ、眉間にしわをよせていた。 「康助、じゃあ私達は帰るからね。頑張るのよ」 そう言い残して、両親はいっそ潔いほどそのまま帰ってしまうと、康助は すっかり泣く機会を失ってしまったが、相変わらず寂しさを必死に耐えてい るような表情をしていた。やがて、あきらめたがついたのか、とぼとぼと道 場に向かって歩いていった。 やはり同じ小学二年生の「翼<ツバサ>」という男の子は、反対に元気一杯で、 親と離れられることがいかにも嬉しそうに笑っていた。親はちょっと心配そ うな表情をしていたが、子供に説得されて、そのまま家へ帰って行った。 「やっと行った。せいせいした」 と言うと、少年は道場に向かって走って行った。 二人は同じ小学2年生の、はじめて親から離れた子供達だった。 一般の小学生の参考にはならないが、神無月家三姉妹の末妹「舞姫<マイヒメ>」 はその頃、食事の用意でおおわらわしていた。もっとも、手ではなくもっぱ ら口が動かすのに苦労をしていたのだが。 合宿参加者15人+先生1人+扶養家族3人。合計19人分の食料を作ら なくてはいけなくて、台所には手伝ってくれる母親や近所の奥さんがひしめ き合っていた。その中央でいつもの黒い脚立の上に立ち、 「あっ、村上くんのお母さん。魚のはらわたお願いしまぁす! 木村さんの お母さんは、パセリの方を!」 という調子で、気を許すと井戸端会議をはじめてしまうお母さん達を、必 死にとりまとめている。メガホンでも欲しいものだわ、と舞姫は心の中だけ で呟いた。 「舞姫ちゃん、えらいわねぇ。料理から洗濯までこなしちゃって。うちの子 にもすこし見習わせたいわ」 「でも、いつかは憶えることですから、急がなくてもいいんじゃないですか? 今は他のことを吸収する時期だと思いますし」 「そうね。でも、舞姫ちゃん、成績もいいんでしょ?」 「でも、可愛げがありません」 みんないっせいに笑った。 「なに言ってるの。こんなに可愛いのに。本当に私の子と交換したいくらい だわ」 舞姫は微笑みでこたえ、そしてそっとため息をついた。自分はそんな良い 子ではないと思っている舞姫は、褒められると何となく疲れてしまう。それ に、それでもやっぱり自分の子が一番なのだろうし。 いくつかそんなたわいもない話を交わしていたが、その中でひとつだけ舞 姫の心に残る話があった。普段から無口なとある母親が、ふと舞姫に変わっ た質問をしてきた。 「舞姫ちゃん、御両親は元気?」 「はい。元気ですけど」 「相変わらず仲がいい?」 「うっとうしいぐらい」 「そう、いいわね」 その母親はそういってまた黙ってしまった。 「何かあったんですか?」 話すことが気が向かないようで、しばらくは何もいわなかった。 「……あのね。高坂さんのところ、とうとう別居したの。妹が嫁いでいるか ら、心配で」 それきり、また黙ってしまった。 親の方は知らないが、その一人息子はこの合宿にも参加していて、舞姫も 良く知っていた。昔から暗くて落ちついた雰囲気の子(といっても、舞姫よ りはずっと年長なのだが)だったのだが、最近はまたとくに暗さに磨きがか かってきたなぁ、と思っていたところだった。 それでも、合宿にはしっかり参加しているし、今もきっといつものように 練習をしているだろう。 子供でも悩みありね……と、舞姫はふと道場の方をながめた。 合気道の先生は、「甲斐武人<カイ タケヒト>」という60をこえる老人ではあ るが、いまだ髪も黒々としていて、それらしい雰囲気は微塵も見られない。 いつでも真剣な表情と優しい笑顔しか見せぬこの先生は、小さな子供からも 好かれている。隣街に住んでいるため、普段は週に一回しか教えることがで きない。そこでこうして、夏の休みを利用して毎年合宿が行われるようにな ったのだった。 練習という割には過酷さはなく、一人一人に丁寧に教えてくれるだけであ る。それでも子供達ははしゃぐこともなく、この時間だけは真剣に先生のい うことに耳を傾け、いわれるように一生懸命からだを動かしていた。 ただそれでも、「ご苦労さま、今日はこれまで」、という先生の静かな言 葉が、相変わらずいちばん好きなのだが。 練習が終わり、わぁ、と歓声が上がり順番に着替えたり、お風呂にはいっ ていったりする。道場はすぐに夕食の用意がならべられ、外は夕方を迎えよ うとしていた。年の幼いものから、親にいたるまでみな均等に働いて、夕食 はすぐにととのった。 「高坂健士<コウサカ タケシ>」はその時、ぐうぜん神無月家に居候している芳春 <ヨシハル>の隣に座った。 「久しぶり。本当にここにお世話になってるんだね」 健士に話しかけられ、芳春はちょっと恥ずかしそうに笑い、うなずいた。 二人は遠縁の親戚の間柄で、ふだんは無口な健士も芳春は話のしやすい相 手だった。どうも芳春とは精神的な波長が似ているようで、ぜんぜん緊張し ないせいだと健士は思っている。 「萌荵さんとか、舞姫ちゃんとか。みんないい人ばかりだからね。居心地が いいだろう」 「うん」 「いいなあ」 二人の間はそう多くの言葉を必要とせず、それだけの会話だけで十分満足 してしまった二人は、目の前にある夕食を食べることに専念することにした。 ただ時折、健士はその箸の動きを止め、ぼぉっとしている時があった。芳春 もそのことに気がついたが、とくに聞き出すことはしないことにした。 「芳春、ちょっと二人で話をしたいんだけど」 食べ終わり、芳春が食器を片づけて部屋に帰ろうとしたとき、思いきって 健士は芳春に声をかけた。芳春は一度首をかしげたが、すぐににっこり微笑 んで「いいよ」と答えた。 「ついてきて」、芳春にいわれて連れていかれたのは、2階からさらに梯子 を上ったところ、つまり屋根の上だった。そこだけ平らになっていて、芳春 は体育座りをして、健士はあぐらをかいて並んで座った。 平らな部分はそんな広くなくて、ちょっとおっこちそうな気がして、健士 は下の方をちらっとながめた。庭の芝がすこし遠くに見えるけど、そんなに 恐さは感じなかった。それよりも、あたりの景色のほうが目についた。 ちょうど目の前には海が広がっていて、かなり黒くなった海面が広がって いた。海は真っ黒なわけではないのに、もしかしたら月が入ったらすべて飲 み込んでしまうかな、と思えるような深い色合いをしていた。 あたりはもうだいぶ夜になり、まだ幾分青さを残した空にはてんてんと星 が瞬きはじめていた。いっとう明るい星はたぶん水星で、太陽がそのかけら を落としていったみたいに、見上げたあたりで光りかがやいていた。 下からは、みんなの声が聞こえてくる。ちょうど道場の真上にあたるらし いが、こちらの声は聞こえないはずだ。ちゃんと芳春は気を使ってくれてい た。 「どうぞ」 「うん、いいところだね」 「悩んだらここに来るといい、って更紗さんに教わったんだ」 「なるほどね」 健士は話し始めようと思ったが、しばらく黙って目の前にある空と海をな がめることにした。こんな光景はしばらく見ていなかったし、そしてこれか らも見れるかどうかは解らない。当たり前すぎる光景は、気にしないと見落 としてしまうものだから。 心が落ちついて、気持ちの整理がついて、そして健士は語りだした。 「親が別居したんだ。とうとう」 「うん」 「仲が悪いのは昔からだったけど、別居するほどとは思っていなかった」 「うん」 「どうすることもできないのは知っているけど、辛くて誰かに聞いて欲しか ったんだ」 二人の間に沈黙がおりた。でも、緊張感はなく、こうした沈黙がどちらか と言えば心地よいものでさえあった。この頃になると、海風もちょっとは涼 しくて、二人の間を通り抜けるのが気持ちよかった。そして、とにかく誰か に聞いてもらえた解放感から、健士はいくぶん気持ちがすっきりするのを感 じていた。 別に芳春に相談もちかけたわけではないことは、二人とも了解していた。 芳春はそれほどの人生をまだ経ていないのだからしょうがない。ただこうし て、信頼できる人に聞いてもらいたかっただけなのだ。 友人でもなく、親でもなく、先生でもなく。信頼する、血のつながりのあ る誰か。家族の秘密を打ち明けるのに、芳春は一番いい相手だった。そして、 本当に少し楽になり、健士はそれで満足だった。 「親が両方そろっているというのも、大変だね」 芳春がふと、呟いた。健士はその言葉を聞いて、芳春の母親は彼を産んで すぐ亡くなった事実を今更おもいだし、そして、自分がすべての不幸を背負 っているような気持ちになっていたことを、少しだけ恥じた。 「後免。母親がいるだけ、まだ僕の方がましかも知れないね」 「そんなことないと思う。だって、僕はいま幸せだから」 「そう」 「うん」 「……有り難う、話ができて良かった」 健士は本当にそう思った。 二人の横顔に、やがて月のひかりが投げかけられ始めていた。
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