空中分解2 #2620の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「貴史!」 そう美菜子が声を掛けると、おもちゃで一人遊んでいた貴史が振り向いた。 「なに、お母さん?」 「『62の2340』って言ってごらん」 「ろくじゅうにの……」 「2340」 「にーさんよんぜろ」 「そう、それが家の電話番号なの、覚えれる?」 「わかんない……」 「62の2340」 「ろくじゅうにの……」 「2340」 「にーさんよんぜろ」 美菜子は同じ事を何度も繰り返した。そうすると、確かに貴史は「ろくじゅう にのにーさんよんぜろ」と言えるようになった。 しかし、美菜子は不安になってきた。今は番号は言えるが、たぶん、貴史は言 葉の意味自体は理解していないのだろう。明日になったらすっかり忘れてしまう ような気がした。 美菜子は押入から菓子折りの箱を取り出して、1枚の大きめの短冊を作り、そ れにマジックインキで「62の2340」と書き、貴史の目の前に差し出した。 「これ、読める?」 「ろく……に……あと、読めない……」 「数字が読める……貴史、すごいじゃない」 貴史は美菜子が教えもしないのに、保育園で遊んでいるうち、保母さんがおし えたかもしれないが、兎に角、数字は読めるようになったいるようだ。 「この字は『の』って読むの」 「の?」 「そう、『の』。紙を張ったりする『のり』があるでしょう、あの『のり』の 『の』なの」 「『のり』の『の』?」 「そう、『の』。さあ、もう一回読んで」 「ろく……に……の……」 「『6』と『2』を二つ続けて、『ろくじゅうに』って読むの。言ってごらん」 「ろくじゅうに……」 「貴史、90まで数えれたでしょう。数えてみて」 貴史はいつものように機械的に1から数え始めた。 「一、二、三、四、五……」 貴史が「……六十、六十一」と言った時、 「次はなに?」 「ろくじゅうに」 「そう、その『ろくじゅうに』なの。読んでみて」 「ろくじゅうに……の……に……さん……よん……読めない……これ、まる?」 「『まる』じゃないの『ぜろ』なの」 「ぜろ?」 貴史は不思議そうな顔をして、美菜子の顔を覗き込んだ。 「そう『ぜろ』」 「『ぜろ』ってなあに?」 そう言われて美菜子はとまどってしまった。貴史の数の数え方はいつも1から 始まる。貴史の数には0という概念がないのだ。 「『ぜろ』ってのはね、1のひとつ前の数字なの」 「1の前はないよ。いつも1から数え始めるもん」 「『ぜろ』ってのはね、何にもないことなの。何にもないのが『ぜろ』」 「……」 今度は貴史は何にも答えず、キョトンとしているだけだった。 どう説明したらいいのだろう、伸郎ならこんな時どうするのだろう……彼は高 校の数学の教師だったから、うまく教える方法を提案してくれたかもしれない。 美菜子は伸郎の他界してしまった事をしみじみと実感し、それを心細く思った。 貴史を明日休ませる訳にはいかない。もし、明日休んだとしても、電話番号を 発表する順番は、保育園に行った日には回って来るのだ。 だからといって、美菜子まで休んで明日一日中貴史に電話番号を教えているこ とも出来ない。 「お母さん……あした休もう……」 思案しているところに、貴史から声を掛けられ、美菜子は我に帰った。 「休んでどうするの、何処でお昼たべるの、一人でずっと部屋にいれるの?」 「いれる、一人でジッとしていれる!」 「いれるわけないでしょう。お使いの時だって一人でいれないんだから」 「だったら、おばあちゃんのとこに行く」 貴史にそう言われてみて、実家の母に電話番号を覚えるまであずかって貰う方 法もあるな……美菜子はそう思った。 貴史に明日、保育園に行かせ、「僕は電話番号がいえません」と言わせること も出来る。言えないのだから、本当はそうすべきで、美菜子のしようとしている ことはずるい事なのかもしれない。 しかし、貴史にみんなの前で恥をかかせる事は辛い。 やっぱり、休ませ、実家の母にたのもう……そう心の中で決めてしまうと美菜 子の気持が楽になっていくのが自分でも分かった。 他の子供だって覚えられなくて、ずる休みしている子供もいるかもしれないの だ。美菜子は自分に対して言い訳をした。 「貴史、明日はおばあちゃんのところへ行こう」 「うん!」 貴史を休ませ、電話番号を覚えるまで実家の母にあずかってもらう、そう決め ると、美菜子の気持ちは軽くなった。それに、貴史もそれを喜んでいるようだっ た。 「オモチャで、遊ぼうか」 「うん!」 現金なもので、貴史の目の色も変わっていく。 美菜子と貴史はオモチャで遊び始めた。普段、こうして貴史と遊んでやれるこ とは少ない。しばらく、美菜子は貴史と遊んでいた。遊ぶ時間は美菜子にとって も楽しいひとときだった。 ピンポーン。 玄関のチャイムが鳴った。 今時分だれだろうと思いながら、美菜子は玄関に行き、チェーンを掛けたまま ドアを半開きにした。 ドアの隙間から見えたのは「かすみちゃん」だ。 かすみは同じアパートの隣の部屋の女の子で、貴史の行っている保育園の1歳 年下の組だった。 美菜子はチェーンをはずし、ドアを開けた。 「かすみちゃん……なに?」 「あのね、ママがこれって……」 そう言いながら、かすみは1枚の紙を差し出した。 美菜子はかすみから紙を受け取って眺めた。それは町内会の古紙回収の案内で、 明後日、所定の場所に出すよう書いてあった。 「うん、分かった。どうもありがとう」 そう言って、ドアを閉めようとした時、この子は自分の家の電話番号を言える のだろうか、という関心が美菜子の脳裏をかすめた。 「かすみちゃん!」 自分の部屋へ帰ろうとしていたかすみを美菜子は呼び止めた。 「なに?」 「かすみちゃん……あのね、自分のおうちの電話番号言える? 言えたら、お ばちゃんに教えて」 「言えるよ。あのね……『ろくじゅうにのぜろごーにーいち』」 「へぇー、おりこうね。ありがとう」 そう言って頭をなで、かすみと別れた。 しかし、かすみに見せた笑顔とは裏腹に美菜子はショックを受けた。 かすみは8ヶ月違いとはいえ、保育園では1歳年下の組である。それがちゃん と電話番号も言えるし、しかも、中には「0」という数字が入っているのだ。 たしかに、かすみの母は専業主婦で子供と接している時間も長いだろう。だか ら教えられたのかも知れない。それに、上には3歳年上の姉もいるから、姉が覚 える時、一緒に覚えてしまったのかも知れない。 かすみが電話番号を覚えた理由を考えているうち、美菜子は自分の心の中に嫉 妬心が湧いてくるのが分かった。 かすみの父の職業は大工である。学校だってせいぜい高校ぐらいしか出ていな いだろう。母親だって、その大工の妻なのだから、同じ位の学歴しかないだろう。 それにくらべ、貴史の父は一流といえるかどうかは知らないが、大学も出てい る。それに数学の教師だったのだ。美菜子だって高校を出、看護学校を卒業し、 大学出の講師と職場では対等に渡り合っているつもりだ。 それが、電話番号とはいえ、貴史が1歳年下の組のかすみに負けている。 美菜子はいくら考えてもくやしくてしょうがなかった。 (つづく)
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