空中分解2 #2610の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
4 大東電力定倉事業所は市役所周辺の、オフィスビルがいくつも立ち並ぶ通りにあっ た。受付に行き、職業的な笑顔を絶やさない女の子に用件を告げる。 「柳瀬でございますね。あちらでお待ち下さい」受付嬢はソファを示すと、内線電 話を取り上げた。ぼくは言われたとおりソファに向かったが、ロビーに定倉原発の精 巧な模型があるのを見つけて、それを見に行った。 3基の加圧水型原子炉で構成される定倉原発は、日本の原子力発電所の中では、新 しい方だ。15年前に定倉市に建設が決定し、3基の原子炉が臨界に達したのが、1 0年前である。電力会社としては後発の大東電力が、社運を賭けて建設した原子炉で あり、多くの原発の事故を教訓に、あらゆる状況を想定した最新の制御システムで運 転されている、と大東電力のパンフレットには書いてある。 もちろん、あらゆる状況を想定するなどというシステムが、実際に存在するはずは ない。原子炉の設計思想はそれほど甘くはないはずだが、日本の腐敗した金権政治で は、通産省の審査でさえ金でどうとでもなる。建設の際にも、いろいろと黒い噂が流 れたものである。そのころのぼくは、女の子(つまり美咲)とコンピュータに夢中で、 大人達が原発建設を巡って、熾烈な戦いを続けていることなど、気にもとめなかった のだが。 現に、絶対故障を起こさないはずのシステムは、ぼくが知る限りでも20回以上は 故障していた。つい、1週間前にも、2号炉がスクラム(緊急停止)する事故が起き ている。これは大きく報道され、ぼくも目にした数だけである。ぼくが見逃したり、 全国紙に報道されなかった小規模な故障や事故は頻繁に発生しているはずだ。 「大江様」受付嬢がぼくを呼んだ。困惑したような顔をしている。 「はい?」ぼくが受付に戻ると、女の子は申し訳なさそうに謝った。 「たいへん、申し訳ございません。柳瀬は本日、お休みをいただいております」 「そうですか」ぼくはがっかりしたが、何気なさそうにつぶやいた。「今日はこっ ちだと言っていたんだがなあ」 もちろん、嘘である。しかし、受付嬢はぼくを、柳瀬の親友か何かだと思ったらし く、周りを見回すと声をひそめた。 「ええ、あの、実は無断欠勤なんです。昨日、うちの社員の葬式があって…」 「浩一と香苗だろう?」ぼくも声を小さくした。受付嬢は驚いたようにうなずいた。 「ご存知でしたか。とにかく、それ以来、誰も柳瀬の姿を見ていないんです」 つまり、ぼくにあの手紙を渡してから、そのまま行方をくらましたということだ。 ぼくは、柳瀬の住所を訊こうと思ったが、それを口にする前に後ろから声をかけられ た。 「柳瀬に何の用事ですかな」 振り向くと、50過ぎくらいで、腹の出た、背の低い男が立っていた。スリーピー スの背広は高価なイギリス製らしいが、残念ながら中身とマッチしていない。 「失礼ですが?」 男は内ポケットから名刺を出した。受け取って見ると、「大東電力 原子力部部長 高見沢直之」となっていた。 「名刺を持ち合わせておりませんで、失礼します。大江と申します。死んだ高原と 荒川、それに柳瀬の共通の友人です」最後の名前は嘘である。 「ほう、そうでしたか」高見沢は無遠慮にぼくをじろじろと観察した。「あいにく 今日、柳瀬は休暇をとっておりまして」 受付嬢は驚いたような顔をして、ぼくと高見沢を交互に見た。 「そうですか。それでは残念ですが、あきらめるとしましょう。ちょっと話しでも しようと寄ってみただけですから」ぼくは何か突っ込んだ質問をされて、ボロがでな いうちに退散することにした。柳瀬の住所を訊きたかったが、怪しまれるに違いない。 「せっかくいらしていただいたのに、申し訳ありませんな」高見沢は言葉だけは丁 寧に謝った。「大江さんでしたな。またお会いしましょう」 何か、顔をしっかり記憶に刻み込んでおくかのように、高見沢の視線は、ぼくの顔 から離れなかった。ぼくは理由もなしに、この男が嫌いになった。 挨拶もそこそこに、ぼくは大東電力ビルを出た。 ぼくの計画は第1歩からつまづいてしまった。せめて、電話番号くらい訊いておく のだった。あの高見沢が出てこなければ、受付嬢から住所と電話くらい訊きだせたか も知れないのに。 ぼくは近くにあった電話ボックスに入った。データ通信用のモジュラージャックも ついている最新の電話がある。備え付けの50音順の電話帳を広げた。 「定倉市」の「や」のページを開いた。「柳瀬」という名字で始まる名前は8人だ った。うちひとりは女性だ。ぼくはテレカを出すと、上から順番に電話を掛けはじめ た。 「はい、柳瀬です」「突然、失礼いたします。私、日本経営情報研究センターの者 でございますが」「はあ」「失礼ですが、ご主人はコンピュータ関係のご職業でしょ うか?」「いいえ、会社員ですが」「どういった関係でしょうか」「商社です」「そ うですか。わかりました。お忙しいところ失礼しました」 こんな調子で4人目までかけた。どれも似たような反応が帰ってきた。平日の昼間 である。まっとうな勤め人ならば、家にいるわけがない。 5人目の番号を押した。 呼び出し音を30回以上数えても、先方の受話器がとられる様子はなかった。ぼく はあきらめて、次の番号に進んだ。 結局、6人の「柳瀬」は、誰も大東電力の社員ではなかった。ぼくは、さっき出な かった番号にもう一度かけてみた。 結果は同じだった。果てしなく呼び出し音が鳴り続けたが、誰も出ない。たとえ、 寝ていても、またはトイレに入っていても、昼間から風呂に入っていたとしても、そ こに人間がいるのなら、受話器をとるはずだ。 「柳瀬啓吾」ぼくはその名前と、住所を手帳に書き写した。これが、昨日の柳瀬氏 かどうかは行ってみればわかるだろう。それほど遠くない。道路が空いていれば、1 0分で着くだろう。 ぼくは美咲のシビックに戻ると、エンジンをスタートさせた。現在、10時半過ぎ。 昼までには、美咲のマンションに帰れるだろう。 そこは美咲のマンションと比べれば、はるかに安そうなアパートだった。電力会社 の社員ならば社宅に住んでいるのかと思ったが、そうではないらしい。 柳瀬の部屋は2階だった。階段を上がり、ブザーを鳴らした。 返事はない。 留守なのだろうか。ぼくはドアノブを掴んで回してみたが、当然カギがかかってい た。 どうしたものだろう。考えていると、隣のドアが開いた。びっくりして、そちらを 見ると、30過ぎの女性がバッグを持って出てくるところだった。ぼくは声をかけた。 「あの、すいません」 「はい?」主婦らしい女性は、何か警戒するような目でぼくを見た。 「柳瀬さんは、原発にお勤めですよね」 「そうですけど」 「いつも何時頃、お帰りでしょう?」 「さあ」主婦は首をかしげた。「あまり顔を合わせませんので」 主婦はぼくをじろじろと観察している。今日はよく人に見つめられる日だ。あまり、 誘惑されたい女性ではなかったので、ぼくは礼をいって帰ろうとした。 「あ、でも」不意に主婦は何かを思い出したように言った。「昨日はいたわね」 「そうですか」ぼくは適当に相づちをうった。昨日いても、今日、いなければどう しようもない。 「お客があったのよ、夜遅くに」主婦は声をひそめた。「実は、あまり人相のよく ない人たちでねえ」 「そうですか」あなたの顔だってあまり美しくはないですね、と皮肉を言いたくな ったが、我慢した。親切に教えてくれているのだ。 「あれは絶対、これよ、これ」主婦は自分の頬に、人差し指で斜めに線を引いた。 目が輝いている。「あんた、刑事さん?」 この、穏和なぼくをつかまえて刑事とは何事だ?でも、ぼくは調子を合わせること にした。 「まあね」 「やっぱり、そんな気がしたのよ」主婦は得意そうに言った。ぼくは少々、情けな くなったが、訊いてみた。 「ヤクザが、柳瀬さんのところに来ていたのですか?何時頃?」 「そうねえ、夜の8時過ぎかしら。ゴミを出しに、外に出たらちょうど隣の部屋に 入って行くところだったのよ」 電力会社の技術者と、ヤクザ。あまり関係があるとは思えない。マッシュが優秀な というからには、優秀なのだろう。そんな男に、ヤクザとの交友関係があったのか? マッシュがそんな奴に、ぼくへの手紙を託すはずがない。 主婦は、考え込んだぼくを見ると、肩をすくめてどこかへ行ってしまった。パート へでも出かけたのだろう。ぼくは、とにかく一度戻ろうと、階段を降りた。 「へい、お兄さん」不意に声がかけられたのは、アパートを出て歩き始めたときだ った。見ると、派手なスーツを着て、サングラスをかけた若い男が、ニヤニヤと笑い ながら立っていた。 「何です?」 「あんた、痛い目に合うのは好きかい?」男はクチャクチャとガムを噛みながら、 とんでもないことを言った。 「嫌いだ」マゾでもない限り、好きな奴なんているもんか! 「そうか、それは残念だな」男は少しも残念ではなさそうに言った。その時になっ て、男が一人ではないことに気がついた。ぼくの右と左から、がっしりした体格の男 たちが、ゆっくりと近付いてきていた。どちらも、爬虫類のように冷たい目をして、 全身から暴力的な匂いを強烈に発していた。彼らの片方だけでも、ぼくの身体中の骨 を叩きのめして、クラゲみたいにしてしまえるだろう。 「あんた、柳瀬のダチかい?」正面の男は、ぼくに一歩近付くとそう訊いた。 「いや、違う」悔しいが、ぼくは怯えていた。最大限、好意的に見ても、堅気の人 間には見えない。まるで、B級アクション映画の悪役みたいな奴らだ。 「だったら、何の用があったんだい」口に気味の悪い笑いを浮かべたまま、男は訊 いた。 「いや、その…」ぼくは返答に窮した。どう答えれば、この男の神経を逆なでせず にすむのだろう? 「まあ、いいや。んなことに興味はねえ」男はぷっとガムを路上に吐きだした。「 いいか。よく聞けよ。一度しか言わねえからな」 ぼくはごくりと唾を飲み込んだ。男は、サングラス越しにぼくを睨んだ。 「命が惜しかったら、柳瀬に近付くな。いいか。さっさとこの町を出ていきな」 「どうして…」ぼくは、思わず質問を発した。 すかさず、男の右手が飛び、ぼくの頬で鋭い音をたてた。頭全体がしびれ、耳の奥 で反響がこだました。口の中に塩の味がして、唇の端が切れているのがわかった。 「質問はなしだ」男はもはや、笑いを浮かべてはいなかった。「いいか、今度おれ に会ったら、こんなもんじゃすまねえと思えよ。両手の指を1本ずつ切りとって、て んぷらにして、喰わせてやるからな」 ぼくは慌ててうなずいた。男は満足そうにニヤリと笑うと、両側の男達に合図した。 筋肉の壁が離れていった。男は背を向けて、歩きだしたが、また振り向いて言った。 「そうそう、言い忘れた。お前が、約束を破ったら、最初にお前じゃなくて、お前 の女をやるからな」 ぼくは声も出ないほど驚いた。美咲のことをいっているのか?その疑問はすぐに解 けた。 「須賀沼美咲か。いい女だよなあ、え?男をいためつけるより、ずっとおもしろそ うだぜ。まあ、想像してみろよ。ごつい男が10人がかりで、あの女を責めるところ をよ。裏ビデオなんかメじゃないぜ。お前の目の前でやってやる。うれしいだろ、ん ん?」男はぞっとするような笑い声を、高らかに響かせた。 それまではかすかに残っていた反抗心が、完全に消えてしまった。ぼく自身はどう なっても構わない、などと偽善を言うつもりはないが、美咲のことまで知っていると なるとどうしようもない。ぼくが、これ以上柳瀬に興味を示せば、この男はさっき口 にしたことを実行するだろう。 「わかった」力なくぼくは答えた。男は、短く笑うと、今度こそぼくの前から消え てくれた。 マッシュ。ぼくは心の中で呼びかけた。お前は一体、何に巻き込まれていたんだ?
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