空中分解2 #2581の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
彼女の名まえを雑誌で見かけるようになったのは、それから四年後のことだ。 員数確保でなんとかもぐりこめた印刷会社でまさにくりかえしの毎日を送ってい たおれは、薬品会社に就職した友だちに「おれんとこだってまったく一緒さ」と医 療関係者と業者の癒着具合や尊大な医者の異様な行状、そしてそういう連中を相手 に太鼓もちをつとめるやりきれなさ等を、たまに会うたびに切々と列挙され、自分 の毎日と照らしあわせて、果てしなくやる気を喪失していたころだった。 マイナーとはいえ全国誌の一角にイラストレーターとして印刷された彼女の名ま えは、おれにとってはひどく輝いてみえたし、思い出や嫉妬や手のとどかない存在 への揶揄まじりの憧憬やらで妙に切なくもあった。あいかわらず病的な絵柄は、し かし誌面のうえで見るとなぜか昔とはまるでちがっているような気もしたが、それ でも懐かしい友と体面したような気分だった。 つてをたどって連絡先を手にするまでに、しばらくのタイムラグができてしまっ たのは忙しさのせいばかりじゃなかっただろう。じっさいに電話を入れるまでには、 さらなる逡巡が待っていた。そしてそんなおれの逡巡を笑いとばすように、電話口 に出た彼女は屈託がなかった。 ひさしぶりだね、いまどうしてるの? 彼女の言葉におれは、夏の暑気へと呪い の言葉をあびせかけつつ汗をぬぐい、さえない自分の近況を笑いとばし、彼女の活 躍をほめそやす。 「そうでもないよ。食ってけないもん」 そう言いながらも彼女の声はうれしそうだった。愚痴も聞かされた。こえられな かった壁をやっとのことでこえたとき、新しい壁にいきあたるまではすぐだった。 そしてその壁は前の壁とはちがって、挑むべき闘志をかきたてる対象ではなく、安 住と限界と、実像への失望からくる虚脱感のいりまじった、実にやっかいな壁なの だそうだ。おれにはなんのことやらよくわからず、ただでくの棒のようにふんふん と電話にむかってうなずくだけだったが、それでもなんとなく彼女の気分はわかる ような気がしていた。 話しているうちに、奴のことを聞く気は失せていた。気にかかっていないわけじ ゃなかったが、たぶんもう奴と彼女とは、接点のないそれぞれの世界にいってしま っているのだろうと思ったからだ。 だから彼女が「覚えてる?」と奴の名まえを口にしたとき、あまりの意外さに、 「まだつきあってんの?」とすっとんきょうな声で質問さえしていた。 「そうじゃないけど」昔とはちがって、めぐみは不機嫌な響きをその言葉だけに とどめ、そしてつづけた。「死んだよ、あいつ」 返す言葉を失い、おれはただ沈黙した。「ちょっとかけてみただけ」の電話は、 思いがけない長話にかわった。 彼女とわかれた後、あいつは大学もやめて駅裏の繁華街の住人となり、数年後に は一端の無頼漢をきどっていたらしい。本人は街の世話役のつもりでいたんだろう が、実際はただのチンピラだった。虚像と実像の遊離は時を経るにしたがって拡大 していく。そういった風聞は彼女の耳にも入っていたが、会いにはいかなかった。 見かぎったわけじゃないけど、と、彼女は言った。あたしがいるとあいつ、もっ とひどくなってくから。昔は――あんたと会ったころは、そうじゃなかったんだけ どね。 だから、わかれたんだ、と。 そして彼女の名まえがいくつかの雑誌にのるようになった時、というから、おれ がそれを見つけたのもそのころだったのかもしれない、電話がかかってきたのだと いう。 奴に連絡先を教えていたわけではない。たぶん、奴はずっと、彼女に気づかれな いように彼女のいきさきを追いつづけていたのだと思う。そしてめぐみもまた、奴 が追いやすいように痕跡を残しておいたのかもしれない。 雪のふる夜だった。白い息がただよってきそうな口調で奴は、「来いよ……会お うぜ……」そう言った。どこにいるの、と聞く前に電話は途切れ、めぐみは夜の街 に闇雲に歩を踏みだした。 噂だけを手がかりに奴の足跡を追い求め、やっとのことで見つけたときはもう、 死んでいたらしい。 袋小路にふりつもった雪は、反吐や小便や靴あとにまみれてうす汚さを強調して いた。かたまりかけた灰色の雪と血が入りまじって、そのなかに奴はたおれていた という。くだらない意地のはりあいで、くだらないチンピラに衝動的に刺されたっ て顛末。 「葬式にいったよ。びっくりするくらい、普通の家族だった。外から見ただけじ ゃ、わかんないんだろうけどさ。そんだけ」 そういって彼女は話をしめくくり、後味を濁すための雑談にきりかえる。 また電話してよ。あんまり暇ないけどさ。そういう彼女に、暇がないのはご同様 さと答えてさよならをいい、送受器を架台に降ろした。 遠ざかっていた蝉のわめき声がやがておれの耳に戻り、煙草に火をつけた。奴の ために冥福を祈ろうか、とガラにもないことを考えたが、どうもうまくいかなかっ た。たぶん実感がわかなかったせいだろう。 それからも彼女とはときどき電話で話している。貧乏暇なしというやつでなかな か直接会う機会もないが、このくらいがいまのおれたちにはちょうどいいのかもし れない。たぶん、おれも彼女もまだ、奴の呪縛から脱けきれてはいなかったから。 そして奴を置きざりに春はゆき、それからはなやぐ夏がくる。そのときのことを 思いながら、おれは昨日と同じように今日をやり過ごしている。明日を手にするた めに格闘している彼女と、いつかふたたび出会う日をおぼろげに想いながらさ。
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