空中分解2 #2580の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
二十歳の春。奴は呑んだくれていた。 おれはといえば、散りしだく花のもと、半端な酔いにさだまらぬ足で当てもなく 歩いているだけだった。新歓コンパと称する茶番劇にはどうにもなじめず、節操な しによってたかって仲良しごっこを展開しようと努力するカスどもに媚を売る気に もなれずに、二次会に人をひきずりこもうとするお節介な仲間意識を強引に断ち切 って罵声を背にひとり、気がつけばひとけの絶えた大学構内を歩いていた。 二年間のモラトリアムでずいぶんしたたかになっていたような気もしていた。望 まぬ結果への妥協にひねくれていたのもまちがいない。醒めきっていたのは周りの 連中が馬鹿にしかみえなかったからだが、ひとりの巣に戻ることなく当てのない深 夜の散策に踏みだしていたのは、やはりなにかを求めていたからなのだろう。 「めぐみぃ」 酔い痴れた声音にふりかえると、無節操に咲き乱れ散りしだく大樹の幹に、奴は いぎたなく酔いつぶれていた。 見返すおれの視線にどんよりとした双眸が焦点を結ぶまで、はてしない時間が経 過したような気がする。あげくのはて、 「だれだてめえ」 ときた。トラッドも着くずれてちゃ貧相にしかみえない。おれは軽蔑もあらわに 口端を歪め、 「てめえこそだれだ」 訊いた。これがおれと奴との出会いだ。 ろれつのまわらない奴のくだまきは内容の半分も理解不能だったし、残りの半分 はまるで意味がなかった。いく当てがあればうっちゃっておいただろうが、一升瓶 から直のみで奴の消費に手を貸し、へべれけの勢いでいまどきの四畳半、奴の城へ となだれこんだときはなにもかも、どうでもよくなっていた。 明け方まで呑んだくれて正常に理解できたのは、奴がおれと同い歳の学年は一個 上で、哲学科の学生であるということだけだった。なにしろ奴ときたら口にするの は、埒もない嘲笑と孤高を気取ったまやかし、それに世界に対するひねりにひねっ た呪咀ばかり。意味と自信の欠落した言葉は愚痴になることさえ拒み、斜にかまえ た分だけより空虚さを増していく。それでもおれが奴を見かぎらず、むしろおもし ろみと親近感とある種の尊敬さえ覚えつつ肩を抱きあいこづきあっていたのは、奴 の内部におれのなかの淀みと奇妙に同調するどろどろを見ていたせいかもしれない。 中村宏樹という奴の名は奴自身の口からではなく、狭い部屋に開封もされずに無造 作に放りだされた段ボール箱の、宅急便の送り票から得た情報だった。 小便したさに目を覚まし、偏頭痛と格闘しつつ共同便所の小汚い便所下駄をふら ふらとつっかけたとき、黄色い太陽はすでに中天を通過しつつあった。流せばよけ いに汚くなりそうな手洗いを忌避して、これもお世辞にも清潔とはいい難い炊事場 の水道をめざしたところで、おれははじめてその女の存在を認識した。 その微笑をどう表現すればいいのだろう。魅力的ではあったが、どうにも投げや りな笑い方だった。油と埃のこびりついたガスコンロで湯をわかしていたその女は、 「あんたも飲む?」 おれにむかってそう言った。なんのことやらわからずリアクションに窮してただ 佇むだけのおれに、どうでもいいけど、とでもいいたげに女はくりかえした。 「コーヒーよ。あんたも飲む?」 判断のつかないままとりあえず「あ? ああ」と間抜けな応答を返すおれに、さ っきとは微妙にちがう笑いをくすりともらして女は湯のわきたった鍋をコンロから おろし、火をとめた。そして当然のように先に立って奴の部屋のドアを開けたとき、 初めておれはこの女が「めぐみ」であるということに思いあたった。 コーヒーは出がらしでひどく不味かったが、きりりと痛む酔い明けの頭には多少 の効果を発揮したらしい。 乱雑な部屋のなかには何も架けられていないイーゼルがひとつ、そしてスケッチ ブックの破れ端に描かれた無数の素描。絵の内容にはまるで一貫性がないが、ただ ひとつ共通した雰囲気は、投げやりな病的さだった。 おぼろげに浮かびあがる記憶のなかで、「なんだこの絵は? おまえが描いたの か?」と奴に訊いたことを覚えている。そうだ、というので徹底的にこきおろし、 罵倒のかぎりをつくしてやったのだが、描き手が実はめぐみであったということは 後に知った事実だ。 「めぐみい」 おれの尻の後ろであがった声はあまりにも不明瞭だったので、寝言かと思ったが、 奴はずいぶん前にすでに目覚めていたらしい。 醒めた昼さがりに赤の他人の部屋でコーヒーをすすっていることに居心地の悪さ を覚えたのは、ほんの一時のことに過ぎなかった。奴はうーむとうめきながらずず ずと半身を起こし、なれなれしくおれの肩から腕をまわしてよりかかりつつ、 「おれのコーヒー」 甘ったれた口調で吐きやがる。めぐみは軽くいなすように、 「いれてやっても飲まないくせにさ」 言いながら手近の湯のみに色の極度に薄れたコーヒーをそそぎ、おれにむけてさ し出した。おれがそれを受け取るまでわざわざ待ってから、奴は肩にまわした手で それを受け取り、おれの首にまきつけるようにして肩ごしにず、とひとくち、 「糞まずい」 吐き捨てて畳の上にカップをおろした。 さびれた喫茶店でピラフの皿を前に、三人で気だるい午後を気だるくやり過ごし、 それから公園へいった。口数の少ない、奇妙にみたされた時間だった。 共同便所の小汚いアパートを次に訪れたとき、おれは二十一になっていた。奴は あいかわらず素面でもへべれけだったし、めぐみはめぐみで酔ってるときも醒めて いた。 そのころおれは、おれたちに共通するのはやる気のなさだと思っていたが、それ はまちがっていた。 きっかけがなんだったのかはわからない。会えばいつものようにない金をしぼり 出しては呑んだくれていたし、彼女がふいといなくなるのもいつものことだった。 奴がまるでそれを気にもしていないふりをして杯を傾けつづけているのもおなじみ の光景だと思っていたが、めずらしく正体不明になる前に奴は、 「帰るぞ」 唐突に宣言して飲み屋の席を立った。 奇妙な違和感を覚えつつ、妙にむっつりとした奴の後をなんの気なしについてい った。かさかさと落ち葉を踏みならしつつ帰りついたアパートの部屋には電気が灯 され、なかではめぐみがヒトの頭大の無骨な石と、格闘をくり広げていた。 美術のことなどなにもわからないし興味もなかったが、彼女が彫刻を刻みあげて いるのだということはわかった。そしてひどく真剣だということも。妙に遠慮がち に闖入したおれたちには目もくれずに、彼女は刃物をふるいつづけていたし、二級 酒の瓶を無言で酌み交わしていたときも、おれたちは完全に無視されたままだった。 一度だけ、奴が彼女にかけた言葉を覚えている。 「やめっちまえ」 どぶ泥に唾を吐くような口調にも返答はなく、長い間をおいて奴は言葉を重ねる。 「おれが食わしてやる」 おいおい本気かよ、と目をむくおれを無視して、奴は真剣だった。 彫刻にとりくんでいた間中、終始伏せられていた目が、そのときはじめてあげら れた。 奴を真正面から見すえながら彼女が浮かべたのは、嘲笑のような気がしたが、い まではどうなのかよくわからない。それに対して奴が、圧力に負けるようにして視 線をそらし、無言で酒杯を口もとに運んだ光景は、まるで写真のように鮮明に覚え ている。 やがて奴はいつものように酔いつぶれて眠りこみ、おれは無聊相手に酒をやりつ つ、がつがつと荒々しく石を造形していく彼女の姿を見るともなく眺めやっていた。 破局点は唐突におとずれる。機械的にふりおろされていた繊手の動きに淀みが出 てきたかと思われる数刻の後、ふいに彼女はヒステリーを起こしたようにがんがん がんがんと目茶苦茶な勢いで刃物を石にたたきつけ、その動作の延長のように足踏 みならして立ちあがると、窓をすらりと開いた。 月光に刻まれた影が、ぐいと石を抱えあげ、むん、とうめきながら頭上にさしあ げる。そして手にしかけたシュールレアリスムを思いきりよく、路上に叩きつけた。 アスファルトの上で造形途上の芸術は、微塵に砕けた石くれの破片へと瞬時に磊落。 そのときの彼女の顔に無上の恍惚を見たのは、おれの気のせいでは断じてなかっ た。もしかしたら、この瞬間のためにめぐみは石を彫りつづけていたのかもしれな い。なんの根拠もなくおれは、そんなことをおぼろげに考えていた。 長い沈黙のあと、ふいに彼女は埋めた膝から顔をあげ、お酒ちょうだい、と妙に 少女めいた口調で呼びかける。しばらくのあいだ、中村宏樹の寝息を肴におれたち は酒を酌みかわしていた。が、やがてふいに彼女が言った。 「あたし、ヘン?」 質問の真意はよくわからなかったが、おれはべつに深い意味もなく、 「おお」 正直なところを答えていた。めぐみはさもおかしそうに鼻をならし、そして黙り こむ。 「美大にいってたんだっけ」 沈黙を破るだけのためにおれは返答のわかりきった質問を口にし、意外な解答を 得た。 「やめた」 あ? と喉まで出かかった疑念をのみこみ、おれは間のぬけた一拍をおいて「へ え」と息をもらしただけだった。 重い、濃密な静寂を切り裂いて彼女が口にしたつぎのセリフも、おれにとっては 意想外だった。 「絵本作家に、なりたかったんだ」 たぶんおれは、渋い顔をしていたと思う。小汚い四畳半に乱雑に散らされためぐ みの感性の吐潟物は、おせじにも子どもの情操によいものとは思えなかった。 は、は、は、と彼女は渇いた笑いをあげ、その余韻を微笑みにとどめたまま、立 てた膝の上で細めた目をおれに向けていた。 蟲惑的なその微笑みに、少女のようだというおぼろげな感慨を抱き、ついで彼女 がいったいいくつなのか知らなかったことにおれはふと気づく。 「抱いて」 表情をとどめたまま彼女はため息とともに言った。 どう答えていいかわからず、傍らで目を閉じる宏樹にちらと視線を走らせると、 めぐみははじけるような笑声を短く発した。 「寝てるよ。大丈夫だって」 「……そういうことじゃなくてよ」 ふてくされたような口調が口をついて出るのへかぶせるように、 「浮気したってなんにも言わないよ、そいつ」 浮気、だ。二人の関係が明示されたのは、このときが初めてだったように思う。 宏樹の寝息は規則的で、いっさいの乱れはなかった。 起きているのかもしれないなと、ふと思った。 「そんなような気はしてたがよ」 既成の常識をことさら吐唾したがる宏樹の寝顔を見ながらおれがつぶやくと、め ぐみは鼻で笑った。 「インポなのよ、そいつ」 意味をはかりかねつつ、疑わしげにめぐみと宏樹を交互に見やる。 寝顔は微動だにせず、女の微笑みは消えてただ細めた瞼の隙間から、黒いふたつ の視覚器官が、おれをじっと見すえていた。 逡巡を背にしがみつかせたまま、おれはあやつり人形のように彼女にいざり寄り、 抱きよせ、唇を重ねた。 その夜、おれも勃たなかった。 それからもおれたちは以前と同じように顔をあわせては酒をあおり、くだをまき 散らしながら当てもなく街をさまよっていた。冬をこもり、春にふらつき、夏にう だり、そして秋をうろつく。時を経るにつれて二人に会う頻度は下降の一途をたど り、そして二年目の冬を迎えるころにはふっつりと糸も途切られていた。 それは、なじめなかった学生生活への距離がゆっくりと、だが着実に縮まってい った過程と連動していたかもしれない。茶番劇を茶番劇としてではなく、相手の内 面へとより深くわけ入るための手段として認識し、どこにでもころがっているあり ふれた関係を肯定し、そしてそれらを満喫さえしはじめていた代償のように、奴と 彼女はおれから、あるいはおれのほうが奴と彼女から、遠ざかっていった。 孤高をきどった牢獄から不器用に踏みだしたときすでに、正常な形での卒業は不 可能になっていたが、リタイアする気もなかった。べつに勉学に目ざめたわけでも なかったが、一年遅れであろうととにかく卒業はできるように下工作をはじめた。 気分だけは未来に備えた日常の、そのくりかえしに倦んだとき、奴の顔を、あるい はめぐみの顔を思いだすことはあったが、そこまでにしておいた。 そうしてまた春を、夏を、秋を、冬を、足かせのように重い一日の、羽毛のよう に吹き過ぎていく集積をもがき、やり過ごし、どうにか形だけはつけられそうな目 処がたった二十四の冬、めぐみがひとりで、おれの部屋を訪ねてきた。 「よくここがわかったな?」 二年ほど前にひっこしたとき、二人とはすでに疎遠になっていたから、正直おれ は驚いていたし、すこしばかりうれしくもあった。そして意外なことに、彼女はお れと同じゼミの娘と知り合いだということを知った。 ひどく寒い夜だった。敷きっぱなしのうす汚れた万年床に平気であぐらをかいて 彼女はすわりこみ、ひさしぶりだね、と照れたようにつぶやく。 「まだあそこ、いんの?」 奇妙に遠ざかってしまった距離を手探るような気持ちで発した質問に、 「ひっこしたよ。去年」 彼女はそう答えた。そしておれの次の言葉を先どるように、言った。 「そん時、わかれた」 答えに窮しながらおれは、夕暮れにおき去りにされた子どものようなその姿に、 胸をつかれていた。 「コーヒー、飲む?」おれは立ちあがって流しにむかいながら口にし、つけ加え る。「トラジャの出がらしじゃねえけどよ」 笑いが子どものようにはじけた。そのなかに哀しみがひそんでいたかなんて、お れにはわからない。 沈黙はおれたちの味方だったし、すきま風はエッセンスだった。「ふとん、買い なよ」おれの耳もとでめぐみは笑いながらささやき、奴のことを思いだしたり忘れ たりしながらおれたちは朝まで過ごした。 梅の花が咲くころだったと思う。それきり、彼女はふたたび現れはしなかった。
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