空中分解2 #2495の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
3階の窓から見える並木路には、黄に色づき始めた銀杏の木。片付かぬ書類の山に 追われる手には紙の澱だの塵だのがまとわりついてくる。もう10日も家に帰ってい ない。 「ぷるるるるる・・・・」 電話だ。朝から一体何回の電話を取っただろうか。条件反射の自動機械にもキシミが 来る。 「は、はっ、はいっ」 「わ〜た〜し〜、滋子!」 彼女は歳を取らない女だ。子供の様な明るい声に、一瞬気押されて息が詰まった。 「今日病院行ったら、もう3カ月だって。そしたら先生が『本気で産むんですか?』 だって、失礼しちゃうわ〜 」 母子手帳から、高年齢出産を表す『○高』という文字は消えたが、滋子はもう43だ。 「そう・・良かった・・」 出来るだけ早く帰ると約束し電話を切った。虚しい笑いを作り、また仕事の顔に戻る。 実家へと帰った妻の顔、そして子供の顔が浮かんでは消え、うず高い紙の山の重なりに 埋もれていった。 空は雲ってきた。暗く垂れ込めている。誰かが支えの綱を切ったなら、「どすん」、 と落ちて辺りを押し潰すのだろうか。子供の頭ほどもある大粒の黒い雨が降ってきて、 ビルの壁にへばりつき、そのうちガラス窓の隙間から「ニュルニュル」と流れ込んで、 そこら一面を黒くドロドロと埋めつくしてしまうのだろうか。 「降りますな、こりゃ・・・」 隣の席の軽間課長は、机の引出しを引っ張り出し、折畳の置き傘を確かめる。そういえ ば、真壁六郎は傘を持ってきてはいない。出掛けには晴れ間も見えていたのだ。置き傘 は無い。息を吐きかけて、それをこらえた。もう一軒、得意先に電話を掛けねばならな い。 終業の音楽が鳴る。とりあえずの仕事の無い女子事務職員は「あっ」と言う間にいな くなる。未決書類の箱が空になった軽間課長は、 「どっこらしょっ」 と立上り伸びをすると、折畳の傘をクラブ代わりに振り回して遠くを見ながら言った。 「どうですか?今度の日曜あたり?」 ゴルフ場の会員権を買ったばかりで、はしゃぐ姿は子供じみている。だが、その気分は 判らぬものでもない。 「う〜ん、残念!法事があるんですが・・」 手帳を見ながら咄嗟に嘘が出た。こんな自分じゃなかったのに、と真壁は思った。 「そりゃ残念だな、また今度ね!じゃ、御先に!」 軽く手で会釈をして、軽やかに部屋を出てゆく後ろ姿には何かしら光が射して見えた。 そして、その光は軽間とともに消えた。 とりあえずの仕事は終った。肩書だけは管理職。どうせ、残業手当てはつかない。 持ち帰って一風呂浴びてから少しばかり片付けるか、と帰る事を決心する。 総務課が全員帰った後、そこの照明は消されている。薄ぼんやりとした部屋の中には 、真壁と草津だけになった。草津はてきぱきと仕事をこなすベテランOL。 「帰らなくていいの?輝子さん」 真壁は、もう帰り支度をしている。 「えぇ、もう終りますから・・・」 恥ずかしげに答える様が初々しい。書き終えた書類を点検すると部長の机の上の未決の 箱に入れると、そそくさと帰り支度を済ませ 「失礼します・・」 とロッカールームのある地下へ消えていった。結局、真壁が最後になった。照明を消し 、鍵を締めて、守衛さんに挨拶をすませて、地下のスロープから地上に出る。しばらく も歩かないうちに雨になった。 「しようがないな〜」 ビルの軒先に雨宿りをして思案顔で立ち尽くしている。「早く帰る」という約束が真壁 を追い立てる。地下鉄の駅まで辿り着ければ、後は何とでもなる筈なのに。傘だって売 っている。少しくらい濡れても構わない筈なのに、足が動かない。 「よろしかったら、お入り下さい・・」 急に呼び止められてビクッと振り向くと草津輝子であった。艶やかなワンピースが黄昏 の灯りに映えている。 「あぁ、どうもすいません・・」 図々しく傘に入れてもらって歩く道すがら、時折触れ合う肩の柔らかさに、驚きさえ覚 え、真壁は言葉少なになった。 「食事して行きません?主人出張なの・・」 突然に何を言い出すのか、と真壁は怪訝に思った。地下鉄への入り口は、丁度テナント ・ビルの1階にある。その正面まで来て、輝子は急に手を挙げて、タクシーを止めた。 「さぁ、早く乗って!」 傘だけが先に行ってしまう。髪が雨に濡れ、引きづられるままに座席に滑り込む。何処 へ行くのだろう。てきぱきしたいつもの口調で輝子は道案内し、真壁の家に程近い洋食 屋の前で止まった。先に真壁は降ろされて、勘定は輝子が払った。 店に入ると、水曜日という曜日も関係しているのだろう。レストランは閑散として、 客は他に50歳過ぎの地味なカップルがいるだけであった。 「ビールくらい飲むわよね」 「えぇ、まぁ・・・今日はどうするんです? これから・・」 「いやねぇ野暮な人!うちの亭主、いっつも出張なの。わかるでしょ?私寂しいの!」 軽くオードブルでビールを開けて、口も軽くなってきたんだろう。時間にして30分。 店には、マスターと真壁、そして輝子だけになっている。 「もう行こうか・・」 真壁が勘定を済ませている間、輝子は洗面所に立っていた。店の入り口を出ると、本当 に雨は土砂降りになっていた。遅れて出てきた輝子は、真壁に腰を絡ませる。 「あたし〜 酔っ払っちゃった〜」 「おいっ!濡れるぞっ」 腰に手を回して抱き上げる。輝子は、首に両の手を回して摺り上がってくる。 「もう、濡れちゃったの〜」 真壁の唇に吸いついてくる。片足を上げて絡めて、足の中心を真壁に摺り寄せてくる。 女の人いきれが鼻をつく。人通りの少ないこの辺りとは言え、誰か来るかもしれぬと思 うと真壁も人の子、いたたまれなくなって唇を離した。 「おぃっ、行くぞ」 「へへん、やった〜!」 ニンマリと笑う輝子には勝ち誇った様子さえある。しっかりと腰に手を回して、真壁の 胸に顔を埋めて歩く。タクシーが来る。真壁は手を上げて止め、傘を輝子に持たせるや 否や、タクシーに押し込む様に輝子を突き飛ばして真壁は走って逃げた。 「ちょっと〜! 真壁の馬鹿野郎〜!」 カン高い声も、遠くなり、雨の音にかき消されて闇に紛れていった。少しばかり速く走 ったところで、背広からシャツからズボンからパンツまでビショビショに濡れてしまっ てる。眼鏡に水が溜って先が見えない。電信柱に手をついて目をぬぐう。ズボンの中を 水が流れ落ちているのが判る。髪の毛を滴り落ちる雨が、背中を伝って流れ落ちる。 晩秋の雨は冷たい。しばれる。あの角を曲がれば滋子のマンションがある。思わず胸 を叩いて天を見上げれば、 「ブシュッ」 と背広が音を立て、絞り出された雨が飛び散る。飛び込む雨に目が痛む。雨が塩っぱい 気がする。 うつむき、目を閉じたまま、よろよろと歩いく。数台の車の音。ライトが光った。 「ザバーッ、ザーッ、ザーッ、ザーッ」 水しぶきを立て続けにかぶる。手はかじかみ体には震えがきている。鼻水流れ落ち、口 に流れ込む。疲れ果てて、階段の陰に座り込みそうになったが、気を取り直して滋子の 部屋の前まで来た。我慢しきれず、大きくクシャミが出た。それを聞いたのか、滋子が ドアを開けた。 「濡れてきたの?あんたって馬鹿ね〜!早く 脱ぎなさいよ〜替えの背広無いから、 すぐ 洗ってアイロンかけなくっちゃ!」 風呂は手回し良く、とっくに沸いていた。子供みたいに服を脱がされて、湯に浸かっ ている間、ずっと天井を見ていた。水滴が次第に膨らんでは落ちて、次々に水面に弾け ては消えた。しじまが浴室内に広がって行く。目を閉じて耳を澄ませると雨音が聞こえ た。 「ポチャン、ポチャン、ポチャン・・・」 途絶える事の無い音に思わず目を見開いて、上を向くと、大きな滴がこめかみを滴り落 ちて行った。驚いて、頬を両の手で押さえる。鼻先を、また滴が伝って行く。湯船に立 ち上がると背を滴が落ちて行く。洗い場は湯気に煙っている。 濡れたままの体で洗面台の前まで来てしまった。タオルを被って半分埋もれた自分の 顔を真壁は見つめている。あふれ出てくる湯気に鏡は次第に曇って来る。慌てて浴室の ドアを閉め、そそくさと居間に来ると滋子は喜々としてアイロン掛けをしていた。真壁 は服を着る風もなく、滋子の後ろから抱きついて顔をうずめる。目を閉じて、鼻をすす り上げながらしがみついている。滋子は、振り返って微笑む。 「馬鹿ね、風邪ひいちゃうんだから・・」 カーディガンから伝わる温みに、まどろんで闇へ沈んだ真壁を、かいがいしく寝かせた 後、滋子も素肌になり同じ床で明かりを消した。
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