空中分解2 #2406の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
小さな男の子から食料を奪い取った大男のやくざを注意したシンに、五、六人のや くざが飛び掛かった。 やくざは周りの人々を巻き込むことを全く気にしない。それに対し、シンは多勢に 無勢の上、無関係のものを巻き込むことを恐れていた。この戦いはシンが一方的に不 利なことは誰の目にも明らかだった。 もちろん、私も数分後にはやくざ達の手によってぼろ切れのようにされ、海に放り 込まれてしまうシンの姿を予想していた。 情けないことだが、私はやくざ達の余りの恐ろしさに心ではシンを応援しながらも、 それを行動に出す事ができなかった。それは船の上の皆が同じだったと思う。 ところが数分後にぼろ切れのようになったのはやくざ達のほうだった。 シンはこれ迄、私が見たこともない不思議な動きで足の踏み場もないような人々の 中を軽快に移動して、次々とやくざ達をのして行った。 全てのやくざを倒した後もシンは息一つ切らしていない。 船上には、割れんばかりの喝采が起こった。 そしてシンは足もとにうずくまるやくざに手を差し伸べてこう言った。 「私達はみんな、同じ希望を持ってこの船に乗り合わせた仲間じゃないですか。仲良 くやりましょうよ」 この事件をきっかけにシンの人望は一層高まった。それでいて、決して奢り高ぶる ことも無く、私のような者にも目上の者に対する礼を尽くし接してくれた。 後でシンに「しかしあんたは強いなあ。あれだけのやくざ者をたった一人でのして しまうなんて」と話すと、軍隊時代にボクシングと柔道をやっていたからと教えてく れた。 私は何故シンが軍隊をやめたのか不思議に思った。彼ほどの指導力と強さがあれば、 軍のなかでもかなりの高位が望めたであろうに。 その事についてシンは「軍には夢がないですから……」と答えただけだった。 相変わらず狭い船のでの不自由な生活が続いたが、こうして周りの人々と一人一人 うちとけていき、次第にニッポンに近づいて行くと言うことと合わせ私にとっての航 海は楽しいものとなって行った。 そんな中で私は相変わらず母親の影に隠れるようにして押し黙った少女が気に掛かっ ていた。 ある日、私とリンが言葉を交わすチャンスが初めて巡ってきた。 この難民船にはリンの他にも多くの子ども達が乗り合わせていた。始めのうちは不 安が先に立ち、おとなしかった子ども達も航海に慣れるにつれ元気を取り戻していっ た。大人でさえ辛い船の上である。子ども達がじっとしていられるはずがない。 大人達に怒鳴られながらも船の上を駆け廻る子どもが現われ始めた。 そんな中の一人の男の子が突然、リンの抱いていた人形を奪い取ったのだ。 「へっへぇー。なーんだ、これ。汚ねぇ人形!」 男の子は人形を高々と頭上で振り回す。それをリンは無言のまま、必死に爪先立ち になって取り返そうとしている。口を真一文字に結び、その目に涙を浮かべながら… 「何だ、お前、気持ちの悪い奴だな。なんか言えよな」 無言で纏わりつく少女に業を煮やしたのか、男の子はリンを突き飛ばした。 少女の体は軽がると後方へ飛び、それを母親のホアがしっかりと受け止める。 そう言えば先程からホアは男の子とリンのやり取りを黙って見ているだけだった。 「リン……」 ホアは一言娘の名を囁くと、リンを立ち上がらせてそっと背中を押してやった。自 分で取り返してこいと言うことか? 男の子はなかなかに意地が悪く、リンに人形を返してやりそうな気配は感じられな かった。それどころか無言でいる少女が気に入らないらしく、何度も何度もリンの体 を突き飛ばした。それでもリンは声を出さない。 男の子のほうも意地になってきたようで、次第に突き飛ばす力が強くなっていく。 リンは膝や肘を擦りむき血を滲ませながらも、一言たりとも声を漏らさずに、人形を 取り返そうと男の子を追っていく。 周りの大人達は不快な目で二人の子どものやり取りを見ているだけだった。 皆、人のことには余り干渉したくないのだろう。中には自分の方に倒れてきたリンを 力一杯、押し返すものまでいた。それでもリンホは声を出さない。そしてホアは黙っ て娘を見守っている。 こんな場面を見れば、真っ先に止めにはいるシンも今は船尾のほうに行っており、 この騒ぎには気付いていない。100人を越える人間が船に乗り込んでいるのだから、 シン一人では全てのトラブルに手が回らないのも致し方ないだろう。 初めはホアの教育方針に口を出すのも気が引けるので黙って見ていた私だったが、 リンの姿に堪りかね、男の子の上に挙げられた手から人形を取り上げた。 不意に自分の手から人形を抜き取られ、驚いた男の子が私の顔をポカンと見上げる。 「いけないな。男の子が女の子をいじめちゃ」 その言葉に納得しかねるような目で男の子は私の顔を睨んだが、すぐに 「へーんだ! バカヤロー」 と、一言叫んで船尾の方へ行ってしまった。そちらの方に親がいるのだろう。 「ほら、リン。今度は取られないようにしっかりと抱いてなきゃな」 私は人形を差し出しながら、出来るかぎり優しくリンに話掛けた。 リンはしばらく私の顔と人形を交互に見つめていたが、そっと私の手から人形を受 け取るとにっこりと微笑んだ。 「ありがとう。おじちゃん」 初めて聞く少女の声は小鳥の囀りにも似て可愛らしく、その微笑みは野に咲く小さ な花のようだった。 このことをきっかけにリンは急激に私に懐いてきてくれた。 来る日も来る日も何も変わることの無い退屈な船の上で生活であったが、そんな中 でリンは驚くほど豊かな感受性で、些細な出来事を実に楽しい物語に変えて私に話し てくれた。 今日何羽のかもめを見かけたか、どんな魚が海面に飛び跳ねたのか、どんな形の雲 が流れて行ったのか。 私にはリンの話してくれる一語一句が、この上なく心地のいいものだった。 そしてリンの可愛らしい微笑みを見る度に、ベトナムに残してきた娘達が今どうし ているのか、食べるものに不自由しているのではないだろうか、泥棒に脅えているの ではないだろうか、そんなことをしばし思い出され幾度となく、目の前の少女を抱き 締めた。 ホアはリンが私に懐いてくれたことを私以上に喜んでいた。 「父親が死んでから、こんなに楽しそうに話すリンを見るのは初めてだわ。母親の私 にだって、これ程話をしてくれる事なんてないんですよ」 この母娘とのと語らいは、退屈な航海にすばらしい潤いを与えてくれた。 私はしばしば、ホアとニッポンに着いてからの事を話し合った。私としてはニッポ ンに着いてからもこの母娘と一緒にいたいと願っていた。ホアの方も希望の国とは言 え、見知らぬ土地で母と娘の二人だけで暮らして行くことに不安を感じて、出来れば 私に近くにいて欲しいと願っていた。 これでニッポンに対する期待が一つ増えた。 その希望の国、ニッポン。その地に着くまでもう幾日もかからない−−筈だった。 その日も、朝から極めて天気が良かった。 リンは私の膝の上で何やら鼻唄を歌いながら独り、人形遊びをしていた。私は膝の 上のリンの温もりを心地好く感じながら、ホアとニッポンに着いてからの事を色々と 話し合っていた。 −−ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ−− ホンゲイを出航してから常に私たちの耳について回っているディーゼルエンジンの 音。今日は気のせいかいつもより弱々しく感じられる。 そう言えば今日は朝からシンが、なにやら忙しげに走り回っていたようだ。 「シン! 何かあったのか?」 「あ、いえ、何でもありません。なんでも……」 そう言ってシンは船尾のほうへ走り去ってしまった。 しかしそのことに関して私は何も心配していなかった。シンがいてくれる。 彼が動き回ってくれていれば、何も心配することはない。船上での僅か数日間の生活 の中で、シンへの信用はそれ程までに絶大なものになっていたのだ。 ところが正午近くになって、エンジンの音は誰の耳にもそれと分かるほど弱々しい ものになっていた。 そして、咳き込むような音がしたかと思うとエンジン音は完全に停止し、しばらく 惰性で動いていた船も次第に、ただ波間に漂うだけになって行った。 「ちょっと様子を見てくる」 私は膝の上のリンをホアに預けると船尾へと向かった。 そこには動きを止めたエンジンをあれこれと見ているシンと、それを不安気に見守 る数人の人々の姿があった。 「シン! いったい……」 私が声を掛けるとシンはこれ迄に見せたことのない、険しい顔でこちらを振り返っ 「だめだ……。昨日あたりから、大分様子がおかしかったんだが……くそっ。道具が あれば何とか出来るかも知れないのに!!」 シンは忌ま忌ましそうにエンジンを蹴った。無理もない。こんな所で船が止まって しまうことは我々100数名の命に関わることなのだ。 しまったら、ベトナムに残してきた妻は、娘達はどうなる? それにあの……ホアとリンの母娘はどうなる? その時、私は本心からあの母娘だけは何とかニッポンに辿り着かせてやりたいと思っ ていた。 それからの私達は船をただ風の吹くまま、海流の流れるままに任せるしかなかった。 シンは交替で常に何人かの男を船の高いところに立たせ、また、それ以外の者も皆 必死に水平線の彼方に陸地は見えないか、船は通らないかと目を皿のようにして捜し た。しかし三日間の間、私たちの捜し求めるものは何一つ姿を現さなかった。 既に水は完全に底をついていた。それぞれが手にした食料もほとんど残っていない。 体力の無い者達はそろそろ目に見えて弱り始めている。 特にホアは食料のほとんどをリンに与え、自分はこの三日間いくらも口にしていな い。見かねた私は 「ホア、君も何か食べなければ、ニッポンに着く前に死んでしまうぞ」 そう言って食料を分け与えようとしたが、その私の手をホアは弱々しく押し返した。 そして気丈にも微笑みながら私の手を握りしめこう言ったのだ。 「いけません……。あなたはあなたの家族のため、生き抜かなければなりません。も し…私がここで死んでしまうようなら……それは私に運がなかっただけのことです… …。ただ…娘だけは……リンだけは生きて……ニッポンの地を…踏ませてやりたい。 他に頼る人がいません……。私に…もしもの事が…あったら……リンを……どうかお 願いします」 娘を思う母の心に私の目頭からは熱いものが溢れ出していた。私はただ黙ってホア の頼みに頷くしか出来なかった。 その時私は国に残してきた家族には申し訳ないが、命を掛けてもこの母娘を守って 四日目、私はリンに体を揺り起こされて目を覚ました。 「おじちゃん! おじちゃん、起きて」 「ん、どうしたリン?」 私はまだ半分頭の中が眠っていたが、リンの表情にただならぬものを感じ、慌てて 飛び起きてホアの様子を見た。 ホアは周りが狭く、真っ直ぐに体を延ばせないので体を丸めたまま横たわっていた。 その様子が余りにもぐったりとしていたので私は一瞬、ホアが力尽きてしまったもの と思った。だがホアの顔の前に手をかざしてみて、それに湿った呼吸の流れを感じ、 生きていることを確認した。そしてその手を額に充てる。かなりの熱だ。 私の後方では今にも泣き出しそうな不安気な目で様子を見守るリンの姿があった。 「大丈夫、心配ない。お母さんはちょっと疲れているだけだ。しばらく横になってい れば良くなるから、そんな顔をしないで。リンがしっかりしてないとお母さん、良く ならないぞ」 そうリンに言い聞かせたものの、正直素人である私にもホアがかなり危険な状態で あることは容易に見当が付く。 −−まずい−− このまま放って置けばホアの命の火が尽きるのも時間の問題だろう。 「リン、しばらくお母さんを見てて。おじさん、すぐ戻ってくるから」 リンがしっかりとした調子で頷くのを確認すると私はシンの姿を求め、船尾に急い だ。 情けないことだが私はどうしていいのか分からなかった。シンに相談したところで どうなる訳でもないだろうが、いつしか私は何事においてもこの年下の青年に頼り切っ ていたのだ。 てっきり船尾のほうにいると思っていたシンの姿を見つけたのは船の中程だった。 「シン……」 私はシンに声を掛けながら、彼の周りにいる連中を見て愕然とした。 事もあろうにシンはあのやくざ達と何やら険しい顔つきで話し合っていたのだ。そ れはどう見ても、以前の出来事を根に持ったやくざがシンに報復をするべく、再びか らんでいるようには見えない。どちらかと言えば何かシンが一方的に指示を与え、そ れにやくざ達が深く頷いているようだった。 私に気付いたシンはやくざ達との会話をやめて、いつもの爽やかな青年の顔に戻っ てこちらのほうへ歩み寄ってきた。 「どうしたんです? そんなに慌てて」 私は思わず力を込めてシンの胸元を掴み、自分のほうへ引き寄せると周りに聞こえ ないように低い声で言った。 「どう言うことなんだシン! 君が何故あんな連中と一緒にいるんだ?」 その時私はかなり興奮していたと思う。シンは始め私が何故そこまで興奮していた か理解できず唖然とした顔をしていたが、私の言葉を納得すると笑みを浮かべた。 「何を言ってるんです。みんな同じ仲間でしょう。あんな奴等でも使い方によっては 役に立つ事もあるんですよ。それより何かあったんでしょう? いったいどうしたん です」
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