空中分解2 #2092の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「どこにいる」 緊張のための痺れるような感覚を、楽しむようにして唇の端をつりあげながら 和晃は闇にむかって呼びかけた。 「さがしても無駄だ。まあすわれよ」 声が言う。発声源は――わからない。部屋のどこからでも響いてくるような、つ かみどころのない不思議な響きかただった。 「だれの家だここは」 畳の上にじかにあぐらをかきながら苦笑まじりにつぶやくと、「それもそうだな」 と状況を共有するものの気軽い返答が和晃の正面にまわっていた。 目をこらしてみるが、薄闇のなかとはいえだれもそこにいないことは明らかだっ た。ふんぎりをつけるように鼻をならし、和晃は頬づえをついてだれもいない虚空 に向けてぎろりと目をやる。 「茶でももってこさせるか、お客人?」 「どうぞおかまいなく。ふいの訪問だ。歓待なんざ期待しちゃいない」 「ずいぶんと遠慮深いことだ。――で?」 「忠告にきた」 「それはご親切に」 「茶化すのは勝手だが、そのためにあのきれいな秘書嬢までまきぞえにするのは よくねえな」 腕白坊主をたしなめるような口調に和晃はふん、と鼻白む。 「わかっている」 気分まで叱られている悪餓鬼のようになってきたのを自覚して、和晃は心中ひそ かに苦笑した。 「なら、いい」感情を抑えた声がうなずいた。「あんたが生きのびる道はふたつ ある」 「ふたつだけか?」 情けなげに眉をひそめてみせた。暗闇のなかだが、相手には己の表情の皺の数ま で見えると仮定しての演技だ。 「ぜいたくぬかしてる場合じゃねえんだぞ」あきれ顔が目の前に浮かぶような口 調だ。「いいか。今すぐ奴らの軍門にくだるか、それとも一切を放棄して事業だの 不倫だのの、あたりさわりのない世界で満足することにするか。そのふたつだけだ」 「あたりさわりのない」言葉に自嘲の重い笑いが混じっていた。「刺激ってのは な。一度知ってしまえばもう、それ以下では満足できないようになってしまうもの なのさ」 「そうでもないさ。人間、歳を重ねりゃそれなりに落ち着いてくるもんだ」 「自然に、な。無理にそうしようとしてできるもんじゃない」 「無理にでもするんだな」 言葉とともに、重い噴きつけるような熱気を感じて和晃はふいに背筋をふるわせ た。 いま自分が目の前にしているのは――野獣だ。 ふいにそう悟った。 戦慄が脊髄をかけぬけ――同時にいいようのない闘志が全身をふるわせた。 浄土、あるいは芦屋などというものの正体など実はどうでもいいことなのかもし れない。立ちふさがるこえようのない壁が己の眼前にふてぶてしく居座っている― ―ただその状況だけが自分に力を与えているのだ。越えられぬ壁の数が多ければ多 いほど、ひとはそれだけ前へ進める。そして――越えられぬ壁を前に立ちどまって そこを自分の安息の場所と定めたときこそ敗北なのだ。 そうでしょうか、と胸の裏で幻の女が美貴の形をとった。がむしゃらに、ひとを 押し退けてまで前へ進みつづけることだけが勝利なのでしょうか。 瞬時、胸のなかの野を葉ずれとともに響きわたる、蜩の鳴き声が遠くかすめ過ぎ ていた。 ……それが和晃にとっての、平穏を象徴する世界だったのかもしれない。 得体のしれない渦巻くものが、それを押し退けた。マグマのように熱く力にみち た、ただひたすら狂暴なだけの何か。 「自分に背中は見せたくない」 歯をむきだして笑いながら、和晃はいった。 ため息を耳にしたような気がした。 いくつかの言葉をさがし、そのうちのひとつを口にしようとした途端、おしはか ったように目の前の畳の上にころころと黒い小さな塊がころがりよってくるのを目 にした。反射的にひろいあげ、 「なんだこれは?」 障子戸を透かす月光にかざして見せた。小指の先ほどの塊。 「鼻くそだ」 声がいうのへ、呆然と視線を返す。 「冗談だ。腹中虫、というのを知っているか?」 「……いや」 相手がどこまで本気なのか計りがたくなりつつ、仏頂面で首をふる。 「尸虫ともいう。自爆装置みたいなもんさ。むかし、神が人の体内にしこんだて えシロモノがそれだ。目にあまる悪を人がなしはじめたとき、体内にひそむ尸虫が 天に報告する。天がその悪事許すまじと判断すると、尸虫に命じてそこで命を断た しむることになる」 「天、てのは芦屋のことか」 「そうだ。これで制御不能の人間を好きなときに排除することができる」 「なるほどね……。なんだか腹がたってきたな」 「俺もだよ」 言葉の真摯な響きに、和晃は眉をひそめて闇を見やった。 無言の問いかけに応ずる答えはなく、声はさらに先をつづける。 「その丸薬は、まあその尸虫をくだす、虫くだしのようなもんだ。もうひとつや る。笠森さんにも服ませてやれ」 と、もうひとつの黒い塊がころころと畳の上をころがってきた。 「なんだ、さんざん人をおどしつけやがって。こんなもんがあるんなら、べつに 何も心配することはないじゃないか」 二粒の丸薬をしげしげと見やりながら和晃は不満げにひとりごちた。 「脅しつけたわけじゃない。その丸薬、一日三回二錠ずつ、てなわけにはいかね えんだ。副作用がある。服みすぎると心臓がとまっちまう」 「……なるほど」 「尸虫ならいつでも仕込める。人間は飯を食わずには生きていけないからな。そ して、少なくともあんたには尸虫が飯に仕込まれているかどうかなんて見分けはつ かんだろうさ」 「もったいぶるなよ。それを教えてくれればいいじゃないか」 「教えてどうなるもんじゃない。餓鬼のころから血を吐きながら訓練して勘をや しなわなきゃならんのだ。あんたの歳になっちまっちゃもう手遅れだ。どうにもな らんね」 「死刑宣告のような台詞だ」 「死刑はすでに宣告されてるんだぜ、あんたはよ。その丸薬だって単なる気やす めにすぎない。芦屋の使う手で尸虫なんぞまだかわいらしい部類なんだ。だいたい こんなおせっかい、ばからしくていちいちやってられやしねえ。尸虫を仕込まれて るのはあんたたちだけじゃねえんだからな」 「なら、なぜこんとなことをする?」 いわせたのは、純粋な好奇心にちがいなかった。 「俺のわがまま勝手が招いた事態だからな。あんたが『浄土武彦』に興味なんざ 抱いちまったのはよ。だがこれで最後だ。人の忠告もきけねえ馬鹿に余計なおせっ かいをするのはよ。まあ、あんたが馬鹿をやってるぶんにゃ無視してもよかったん だが、妹のやつが笠森さんだけは助けてあげてなんて言いやがるから、よ」 ふん、と和晃は唇を歪める。 「妹には甘いとみた」 「うるせえ」 打てば響くようなダイレクトな反応に、和晃は声をたてて笑った。 「ありがたくもらっておくよ」笑いながら和晃は言った。ここ何十年も感じたこ とのない、妙に素直な感情が涼やかに胸のなかを吹いているような気がしていた。 「思ってたよりいい奴なんだな。今度酒でも酌みかわそうや」 「まだそんな悠長なこと抜かしてやがるな」 ため息とともに発された言葉に、和晃は消沈したようにああ、そうか、とつぶや いた。 「そうか……。そうだったな。なら今つきあえよ。用意させるからさ」 「しようがねえ奴だなあ。あー動くな動くな。足もと見ろい」 性急に腰を浮かしかけたのを制されて見ると、崩しかけたあぐらの先に猪口がぽ つりと座していた。口までなみなみとつがれた清澄な透明の海が、かすかにさざ波 をたてている。 和晃はにやりと笑い、腰をおろして猪口をとった。 「用意のいい奴だぜ」 「手品は得意なほうでな。あまり上等な酒じゃねえが、まあ勘弁してくれや」 「なに、こんなもんは気持ちさ」 言って自分の言葉に薄く笑いをよばれ――そして杯をあげた。 「乾杯」 声をかわし、飲みほした。 「外を見ろよ」 うながしに視線を転ずると、いつのまに開け放ったか障子のむこうで榊が静かに 揺れていた。三日月に薄ぼんやりと夜空が煙り、空調をおしのけるようにして風が 盛夏の熱気を肌に運んだ。 「いい月じゃねえか」 しみじみと、声が言った。 「そうかい?」ふたたび気づかぬ間に満たされていた杯を、当然のように口もと に運びながら和晃は応ずる。「スモッグに煙ってやがるぜ」 「それが俺たちの世界さ。とりあえずは、な」 自嘲の響きさえかけらもない、澄んだ台詞が沁み透る。 「納得できないな」 言いつつ、ちびりと口にした。 言葉どおり、胸落ちするものはなにもなかった。なにもないなりに、受け容れら れるような気がしていた。 ぐい、と一気にあおり、息をついた。 同時に、喪失を覚えていた。先まではまるで気づかなかったが、今はわかる。た しかにこの部屋のなかにだれかがいて、そして和晃と酒を酌みかわしていたのだと。 そしてそのだれかは、今、まるで消えてなくなるようにしてここから去っていった のだ、と。 いなくなってはじめて、その存在感をまざまざと感じさせられていた。 それでいて一方に、ひどく満ち足りた想いがあった。 ふう、となにげなく満足の吐息をつき、名残りおしげに部屋をひとわたり見渡し てから、よっこらしょっと声をかけて腰をあげた。 居間で心配げに待っていた美貴に水を用意させ、二人して丸薬を服んだ。 服み終えて、まるで初めて会う人を見るような不思議そうな目で自分を見つめる 美貴にむかって、告げた。 「きみは今日かぎりで馘だ。再就職先は紹介しよう。景明のとこと親父のとこと、 どっちがいい? ほかのところでもいいんだが、このふたつがまあ一番安心だろう」 呆然と美貴は目を瞠り――そして静かに微笑んだ。 「お断わりします」 和晃がぎょっと目をむくのを、美貴は楽しげに見返している。 「だめだ。馘といったんだぞ。異論をさしはさむ余地はない」 「労働争議を起こそうかしら」 切り返しに喉をつまらせ、咳こんだ。 身をのけぞらして喉をふるわす和晃の背中をさすりながら、美貴は穏やかな口調 でささやくようにして言った。 「馘にされる前に辞職を考えていました」 「なら、それを受理するよ」 「いいえ。気がかわりました」 ぽかんと見返す四十男の馬鹿面に、はじけるような笑いが応じる。 「いやだと言われてもとりついて離れません」 つけ加えるようにして「一生」と口にした。 長い沈黙を間において、和晃は力なく首を左右にふってみせる。 「俺の一生とやらは、明日にでも終わるかもしれんのだぞ」つけ加えるように、 「浄土武彦の言によれば、な」 「覚悟の上です。もちろん――私のも」 気負いも衒いもなくさらりと言って、微笑んだ。 「きみは馬鹿だ」 痴呆のごとく口をぱくぱくさせながら、やっとそれだけを言った。 「似るんですよ。好きな人に」 辛辣な内容とは裏腹に、口調には温かさがあふれていた。 初めてだな、と和晃はふと思った。 こんな温かさ、つきあいはじめてから初めてだ。 11 井の頭線の橋架をくぐって、肩をよせあい深夜の公園をあてどなく経巡った。街 灯の間隔が広く、その上木の根が道に思わぬ凹凸を与えて、ふたりは幾度となくつ まずいては笑いあった。 噴水を前に上水池の真ん中にかかった橋の上で言葉ひとつ交わすでもなく、欄干 に腰をあずけたまま夜の池面を眺めやった。さざ波のなかで水鳥が静かに眠る。時 おり、サラリーマン風の疲れた足どりの一団や派手な身なりをした女たち、そして 濃密に肩をよせあったカップルなどがふたりの目の前を通り過ぎ、時には立ちどま って幾許かの時を過ごしていく。 穏やかな表情で、和晃と美貴はそんな光景を眺めやっていた。 そうしてどれだけの時を過ごしたか。 「この世への名残りは尽きぬものだ。それくらいで満足しておくがよかろう」 ぎくりと、美貴はふりかえった。和晃は――予期してでもいたかのように動揺す るでもなく、ふんと鼻をならす。
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「空中分解2」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE