空中分解2 #1711の修正
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★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「この山で迷ってた時、あたしが木を叩いたらいい音がしたでしょう?」 と言う。 はあ? とわけがわからず目をむきながらうなずく武彦に、 「あれが結界に穴をあけるほころびになったんだって」 ますます眉を寄せる武彦にかわって、 「その音なら俺も聞いたが」草柳が言葉を継いだ。「すると何かい? 木をこん とか叩いた音が突破口になったってのかい?」 「ただ叩いただけじゃ駄目よ」とゆかりは得意げに胸を張り、「あたしみたいな 純真で強い気をもった美少女が無心に叩いた音が、結界の中に聖道を呼びこんだの よ。わかる?」 「わかるか。けっ。だいいち、美少女てのはなんだ」 と愁眉を開いた武彦がにやにやと笑いながら毒づいた。 「美少女でしょ、わたし」 「あーあーそうかい」 「何よう、兄さま」 という調子で、満身創痍で肩をぶつけあい始める兄妹に、草柳が呆れたように声 をかける。 「おいおいおいおい、んなこたどうでもいいんだがな。てことは、あの聖が鬼を 本当に調伏できるのももう、時間の問題てことなのかい?」 「それがそうでもないらしいの」 とゆかりは首をふった。 8 「茂平、結界を解け」 狂ったように腕をふりまわしながら喚く鬼を囲んで、霧怪の声は夢幻の彼方から 届く幻の鳴声のように殷々と深山に反響した。 「結界とは、己が固着した鬼の心ぞ。鬼を憐れみ、許し、そして捨てよ。茂平、 結界を解け」 理解できるのかできぬのか、鬼は意のままにならぬ彼界からの呼びかけに怒声を はりあげつつただ無闇やたらに暴れまわるばかりだった。おう、おう、とひしりあ げる咆哮は時に、泣き声のようにも響いた。今ではほぼ再生をはたした左眼からし たたり落ちる血流は、涙に見えぬこともない。それでも、鬼は底知れぬ体力を駆使 して闇雲に地団駄を踏み、腕ふりまわし、叫びつづけるだけだった。 「茂平、結界を解け」 あくことなく繰り返されてきた呼びかけにも疲労の響きがまじりかけたか、と思 われるころ。 かん、 かん、 かん、 と、三方から冴えた音が鬼と霧怪を囲んで交錯した。 武彦、草柳、そしてゆかりが“気”をこめて樹木を打つ音であった。 樹霊、という。植物には独特の気塊がある。年輪を経た古木などはその周囲や人 に影響をおよぼすほどの気を内包することもあるという。ご神木と呼ばれ崇められ ている例も、あげはじめれば枚挙にいとまがない。 その樹霊を音にのせて飛ばせば、それが木霊である。通常樹木内部に閉じこめら れた気が音にのって道を通し、陰気邪気にはばまれた結界に神霊を導く通りを穿つ。 それが数百年にわたって開かれなかったのは、与阿弥の変じた鬼のつくった結界の 檻がそれだけ力の強いものであったからに他なるまい。兄妹が踏みこめずに狸詣で をくりかえしていたのも、それが原因であったのだろう。 それが今、三人の術者の助力を得て届けられた。 四散していた霧が、わずかに濃くなった。 「結界を解け」 声に、力がこもったように聞こえた。おう、と鬼が頭を抱え、怒りにまかせて地 面を叩いた。地ひびきが四囲をどよもした。 「効果あり、か?」 つぶやく武彦に、 「いや」 と草柳が首を左右にふった。 わめきながら地面を叩きつづけていた鬼が、ふいにがばとはね起き、疾風のよう に走りはじめた。渦をまきながら霧が後を追い、遅れて三人もかけはじめた。 立ちはだかる樹木を薙ぎ倒しながら鬼は走りつづけた。人間の足では追いきれず、 彼我の間に徐々に差が開きはじめる。 「“気”が変わった!」 武彦が叫んだ。四囲の邪気が晴れ、徐々に山野の神妙なる気が沁みとおりはじめ たのである。 「結界が完全に破れちまったんだ!」 草柳も叫ぶ。声に焦慮がにじんでいた。鬼の目指す方向には、麓の村があった。 「先にいく!」 叫ぶや、武彦の身体が飛んだ。ざ、ざ、ざ、と音を立てながら幹から枝、そして さらに次の木の枝へと猿のように飛び移りながら瞬く間に鬼との間をつめはじめた。 「待って兄さま」 と途方にくれたようにゆかりが呼びかけるのを待たず、 「待ってな、嬢ちゃん」 と草柳、否、飛騨の李芳も後を追って飛んだ。びしびしびしと枝が折れるほど蹴 りつけて荒っぽい移動をくりかえしながら武彦に追いつき、 「俺にまかせてみな!」 と叫ぶ。 武彦は瞬時ためらいを見せた後、いまや先行する形の李芳を追いはじめた。 怒涛のごとく村を目指す鬼と霧を李芳は追い抜き、魔怪の行く手をふさぐように して眼前に降り立った。 ごう、と怒声をあげつつふられた剛腕を宙に飛んで流し、そのまま身をひねりざ ま鬼の背後にとりついた。 怒りの喚声があがる前に、鬼の動作がぴたりと静止した。 腕をふりあげ、牙のならんだ口を大きく開いたまま、鬼はまるで凍りついたよう にぴくりとも動かなくなった。 ざん、と木枝を鳴らして地に降り立った武彦が、鬼の背にとりついたまま目を閉 じる李芳にいぶかしげな視線を向ける。 「どういう魔法だ?」 答えを期待しない問いかけに、夢遊病者のように頼りなげだが李芳は答えた。 「敵でないって証拠に、ちょっとだけおまえにも見せてやるよ。それに、与阿弥 の爺さん、あんたにも、な。心を開き、俺の声を受け容れろ。これが李芳の“枕返 し”だ」 おん、と空気が鳴ったようだった。 暗黒が胸の奥に広がった。 四囲の宵闇を、月光がおぼろげに照らしだす。その山野の光景に重なるようにし て、幻が浮いた。 淡い、それでいて圧力さえ感じさせるほどの像だった。 女だった。野良着を着た、小柄で田舎じみた女。 能面のような無表情が、泣いているようにも、淡く笑っているようにも見えた。 「見覚えがある」と言ったのは、夢幻境からの声音だった。「村の娘だ……茂平 とともにいた……」 かつて与阿弥であったものの独白に、草柳が後を引き継ぐようにして口をそえた。 「名はおたえ、と言ったらしい。鬼と変じた与阿弥が最初に村を訪れた夜に、茂 平とともに鬼を見た娘だ。長じておたえは、茂平と通じて村を追われた。伝承には 伝わっちゃいないがな」 「なぜそんなことを知ってる?」 と訊く武彦に、かすかに笑う気配が伝わった。 「茂平の“夢”を見たのさ」 「夢?」 「そうだ。人の心の奥底にひそむ、汚されたくない大切な何か。それに――人が もっとも畏れ、忌み嫌い、そして無意識の奥底深く封じこめた何か――それが“夢” だ」 「なるほどね……」 「だがそれだけじゃない。おたえが茂平と通じたことが、なぜ村人にわかったと 思う?」 しばし口をつぐみ、思いあたった。 「こども、かよ」 「そうだ」と答える草柳の声音に、かすかに苦汁が滲んでいるような気がした。 「村を追われたおたえは長いあいだ、ひとり山中をさまよった。深山の僻村の出の 女だ。いく当てなどもとよりない。山で生きる術を知らぬでもなかったのだろうが、 冷たい季節に身重のからだを抱えてではきつかっただろうさ。それでも子は産んだ。 産んで、そこで力つきて死んだのだろう。子は生後一週間、厳寒の山中で乳も、水 さえも与えられずに生きつづけた。鬼の精を享けていたんだろうな。そこで修峰に 入っていた修業者にひろわれた」 「それが飛騨の忍の一族か」 「そうだ。山で生きる術を身につけるためにここで暮らしているのは本当だが、 この山を選んだのは偶然じゃない」 「ふん」 と武彦は薄く笑った。 そして鬼は、泣いていた。 天に向けて、号泣していた。喪われていた人の心をとり戻したからなのか、それ とも、なお忘れ得ぬ面影に獣の心を揺さぶられてわけもわからず泣いているのか。 そうして長いあいだ、深山を震わせて鬼が泣くのを武彦は見つめていた。いつの 間にか追いついていたゆかりが、兄のかたわらにそっと身を寄せている。 「茂平、結界を解け」 どれだけの時が経ったというのか、ふいに霧の与阿弥が呼びかけた。 「結界を解け。己の心のしこりを」 おーおーおーおーと、号泣が一段と高くなりまさり―― 鬼の巨体がふいに、塵のように散りしだき、ふわりと天に向けて舞い上がりはじ めた。おたえの幻像がその黒い塵を追って天へとつづく。 黒い塵と淡い光とがおり重なるようにして天空はるかに昇りつめ、ふいにそれが おぼろ月に溶けるようにして消え失せたころ、 「われもまた、結ぼれを解く」 短く言い残して、かつて与阿弥と呼ばれていた霧もまた四囲に散じた。 兄妹と鬼の子孫とは、そこでそのまま夜が明けるまで、話を交わすでもなく佇ん で飽かず天を見上げていた。 木霊――(了)
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