空中分解2 #1667の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
彼女が音楽大学に居た時、遠くから彼の姿を見る事ができると、いつも幸せであっ た。 その、視線の先の色白でほっそりとはかなげな青年とは、専攻が違うのでほとん ど同じ講義を取る事が無かったが、一度だけ少人数の独逸語中級クラスで一緒になっ た事がある。 彼女は常に廊下側に座り、彼は常に窓ぎわに、もう既に座っている。 講義の間に彼の顔をデッサンし、そして題をつけた。 『窓ぎわの秋』 翌年の秋であった。 芸術祭が過ぎれば実技試験の試験曲と日程が決まり、慌ただしくなる。 彼女は、彼の友人と知り合いになった。 試験の話題になり、その友人は彼女に言った。 「あいつは声楽の試験にSchubertのLiedでAn die Musik を歌うよ。今、伴奏者を探している。」 「『楽に寄す』?そう。」 彼女は、大学の中でもピアノの心得が有る方であった。けれど、何かが彼女の心 を引き留めた。 「伴奏、してやりなよ。紹介するよ。あいつは本当に伴奏者が居なくて困っている から。」 彼女は、答えなかった。 卒業の季節になる。 卒業者の名前が廊下に貼り出される。 皆は、半ば儀式的に、半ば謂れの無い不安を抱き、自分の名前を確認するために、 やって来る。 彼の名前を見つけようとして、彼女は、そこで彼の姿を見つける。 彼と、目が合う。 二人は、はにかむように顔を赤らめ、どちらともなく近付き、話し始める。それ は、いつも会釈を交わすのみの二人に初めての事であった。 「こんにちは。」 「こんにちは。」 「卒業したらどうするの。」 「教員に。」 「故郷に帰るの。」 「うん。」 そんな他愛も無い事を話して、二人は顔を赤らめたまま、言葉を途切らせ、動揺 する。 彼女は、ずっと、考えていた。 何故、あの時、伴奏の話を受けなかったか。 Museが、止めたのである。 彼女が、自分一人の為の場で、自分一人の芸術としてピアノを弾く時、彼女自身 が、審美眼の厳しいMuseとなる。彼女がもし、彼一人の場で、彼一人の芸術と して、即ち伴奏として、ピアノを弾くとき彼女のMuseより彼のMuseの方が 優先される。容れぬ所が有れば、彼女のMuseが軽蔑されてしまう。それは、彼 女にとって、彼女自身が軽蔑されるのと同義である。彼女は、それを、おそれた。 彼女は、微笑んで彼に別れを言い、彼も微笑んで返した。 薄々ながら相手の心に気付き、けれど、話すのは、これきりであった。もう二度と、 会えないかもしれない。 卒業の後、彼女はあの時の、彼の友人と会った。 「An die Musik、伴奏してやればよかったのに。」 「そうね、本当にそうだったのよね。」 今なら、できるのであろうか。 「彼、今、どうしているの。」 「さあ。誰も知らない。」 1989.10.19,20,23,'92.01.21 Ende 楽理という仇名 こと 椿 美枝子
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