空中分解2 #1660の修正
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折尾駅 (昭和55年3月10日 午後一時) プーツ、という音とともに汽車が去っていった。そして僕は一人小さな駅のプラットホームに残されていた。僕には始めて来た北九州だった。 駅には迎えに来ると言っていた学会の人らしい人は居なかった。誰も居なかった。 プラットホームにはバックを提げた僕だけが寂しげに佇んでいた。スズメが電線の上 に停まって鳴いているのがたった一つ僕の心を慰めていた。 僕は九大の二次試験ができなかった。たぶん落ちただろうと思っていた。そして僕 はこの3月8日、明日の産業医科大の試験を受けにここにやって来たのだった。思え ば九医を受けるときも不慣れな汽車に一人で乗って不安げに博多駅のプラットホーム に降り立ったのだった。 その僕を乗せてきた汽車の音は何か僕の心の中の警笛のように鳴っていた。僕に寂 しく別れを告げて下関の方へと向かっているようだった。 その汽車のゆっくりと加速度をつけながら走り去ってゆく姿を見ることは悲しい別 れのような気がした。なんだか僕の父や母のようにもその汽車は思えた。僕一人だけ を降ろして悲しく泣きながら揺れて去っていっているようだった。 父や母の涙を滴らせてその汽車はプラットホームに僕一人を残して走り去っていっ てるようだった。僕はなんだかとても悲しくなっていた。誰も迎えに来ていないため もあって僕は泣きたいほど悲しくなっていた。 でも学会の人は来てくれていた。僕がプラットホームの上で泣きべそをかこうとし ていたとき僕の肩を後ろから叩いてくれた人がいた。『田中です。高見クンでしょ。 』とその背の高い人は言った。 『君は勤行のときはっきりと唱えているか? 唱えてないだろう。』 僕は自分の言葉がはっきりしないのを言われたことにしばらくしてから気づいた。 僕は自分なりにできるだけはっきりと唱えているつもりだった。この人が部長さんか な、と思った。田中さんは部長はとてもイイ男だ、と言ってたがこの人はかなり二枚 目だったから。 『君は何を言ってるのかほとんど解らない。勤行のときは一句一句はっきりと唱える ようにしないといけない。』 僕は気にしていることを直接言われてショックを受けた。でも学会の幹部の人に怒 ってはいけない。僕は言った。 『あ、あの、ぶ、部長さんですか?』 するとその男の人はよく聞き取れなかったらしく耳を僕の傍に近づけながら『え、 部長?』と言った。『いや、部長じゃない。俺は男子部の者だ。田中君は何時帰って くるのかな?』『あっ、田中さんは今日部長のところに泊まって物理の試験の勉強を すると言ってました。』『で、君は?』『はい、明日入学試験があるので長崎から来 ました。』 すると男子部の人は入試前日の学生に厳しいことを言い過ぎたと思ったらしく顔に 反省の色を浮かべた。 『あっ、そうなのか。いやさっき厳しいことを言ってすまんね。気にしないでくれ。 明日大学入試を受ける学生さんだとは知らなかった。ごめんごめん。』 男の人はさっきまでの少し横柄な態度をガラリと変えて急に優しくなった。そして 明日の試験頑張って下さいと言い残して寒い夜の戸外に出ていった。僕はそして題目 をあげ始めた。 外は小雨が降って風が強いようだった。雨はみぞれを混じっているようだった。さ っきの男子部の人はこげ茶色のジャンバーを着ていた。 ここは丘の上のハイツでしかも一番端の部屋なので風の鳴る音が聞こえていた。も う夜の9時だった。あの男子部の人はバイクで来たのだろうか。ジャンバーが少し濡 れていたし… 僕は田中さんの部屋で一人っきりで題目をあげ続けた。これで今日は唱題を1時間 45分しているな、と思った。 今日は6時前に起きて朝の勤行と50分ぐらい唱題して7時半ごろ朝飯を頬張りな がらいつものバス停へ向かった。定期券は11日までになっているので試験を受けて 帰ってきたらちょうど切れるな、と思っていた。 9時3分発の大阪行きの急行に乗るのに8時20分ごろに長崎駅に着いた。バスの 中は女子商業の女の子や慶鳳の男が多かった。でも1、2年しかもう居ないからバス は空いていて僕は40歳ぐらいのおじさんの横に座れた。 知っている人が多い地元発のバスの中では勉強しづらいので僕は目を潰って題目を 心の中で唱えたり数学の問題を解いたりしていた。競争率は30倍だと言うからどう せ駄目だろうと思うけれど九大はたぶん落ちてるだろうから頑張らなければならない なと思っていた。 長崎駅に着くと春になりかけた青い空や稲佐山、それに空を飛んでるトンビを背景 にして長崎駅の建物がこんなに立派だったのかなと思った。 それから僕は汽車に揺られて4時間近くかかって折尾駅へ着いたのだった。 ----あの茂里町から坂本町の大学病院まで駆けていったあの道… あの日は晴れだった。でも今日のこの道は小雨が降り続いていて道の横の空き地に生い茂る草木は寒 そうに濡れている。僕があの日走った道はこんな丘陵地帯ではなかった。いろんなビ ルや民家がひしめいていて僕の心を慰ませるような僕を一人っきりにさせてくれるよ うな道ではなかった。僕はあれから何日ぶりに走っているのだろう。あれはたしか一 週間近く前だった。でもあの日僕に吹いてくる風は爽やかだった。 あの日、僕は多少の期待を抱いて大学病院まで走った。もしかすると喉の病気が治 るかもしれないと思って… そして2月の13日に東小島の霊能者のところへ喉の病 気を治しに貰いに行って一万五千円取られたこと…(あの日、僕は一万四千円あまり 持っていたのだが帰りにポルノ映画を見に行くことに決めてたから一万千円だけ払い 、あとの四千円は郵便で送りますと言って普通の封筒に千円札を四枚入れて送ったこ と。)走りながら僕の頭にはいろんなことが渦巻いていた。菊地さんのこと…野田さ んのことなど… ----僕は霧のような雨に濡れながら走っていた。心の中では題目を唱えていた。もう半年も前から続いている悔しさのため僕は少しの間ものんびりと心を休めることが できないようになっていた。 薄汚れたジャージを着て短い足で駆けて丘陵の上の産業医大の広大なグラウンドま で一次の合格発表を見に行き、完全に冬が去った青空を背景として聳え立つ無機的な ローマ数字のみで書かれた受験番号の羅列に自分の番号が太古の昔からそういう二千 何百何番という番号は存在していなかったというふうにポツンと書かれてなかった。 掲示板が出されてからすでに一時間以上経過していて周りにはほんの数人しかいなか った。 いつの間にか雨はやみ、僕は掲示板越しに見える青空に気づいていた。僕は悲しく はなかった。ただ半年前からの悔しさが依然として胸のなかで沸り続けているのを自 覚しただけだった。 僕が大学の構内に入った頃に雨はやんだらしかった。青空は見えていたけれどもま だ空はくすんでいて陽の光は差してきていなかった。僕は心の中で題目を唱えつつま た走り始めた。早く長崎に帰ろう、と思ってきていた。 ※(青い万年筆で走り書きめいて書かれている) 田中さんへ 2晩も泊めて下さって有難うございました。僕には去年の9月ごろからだったでし ょう…『僕がこんな喉の病気になったのは信心のせいだ… 中一の冬、一生懸命お祈 りをしていて(…なるべく大きな声を出さないように…でも気合いを入れて…と思っ て)こうなったのだと思い始めて、そしてそのために女の子と付き合えなかったと思 えて… 僕はこの喉の病気のため中二からの5年間をどんなに苦しい思いで過ごしてきたこ とでしょう。毎日毎日とても苦しい日々でした。休み時間など騒がしいときには喋れ ない…隣の人とコソコソとぐらいしか喋れなくて僕はとても苦しんできました。また この喉の病気のため喋るとき力を入れなければいけないので喋り方がとてもおかしく なっていました。 もしもこの喉の病気でさえなかったら輝いていたにちがいない中学・高校時代を思 って僕は悔しくて悔しくて… だからこの9月から半年ぐらいも僕の胸の中は熱湯の ように沸りつづけてきました。 すみません。こんな変なことを書いて… 来年もまた来るかもしれません。本当にどうも有難うございました。 ○○ 置き手紙を書き終わって僕は5分間ぐらい題目をあげたあと来るときに持ってきた 2つのバックを提げて田中さんのハイツを出た。もう雨はやんでいた。そして僕は来 るときと同じようにやはり上下ちぐはぐのジャージだった。そして僕はいつものよう にロボットのように歩き始めていた。 2晩過ごした田中さんのハイツがだんだんと僕の背後に遠くなっていっていた。雨 に濡れた空き地のススキが光っていた。空はまだ白く、午前中の雨をそのままに残し ていた。 スズメがさえずりながら飛んでいた。どこからか陽の光が漏れてきていてそのスズ メたちを照らしていた。僕は眩しくその元気そうなスズメたちを見遣っていた。 大きな道に出るとおととい田中さんと一緒に食べたレストランが行く先の方に見え ていた。そこまでずっと下り坂だった。 レストランを過ぎたばかりの所だったろう。道端の空き地に中学3年生ぐらいの女 の子が5人ぐらいいて一人の女の子がお腹が痛いのかしゃがみ込んでいてもう一人の 女の子が手で背中をさすってやっていた。 学校帰りなのだろう。群青色の制服が僕の目に眩しく映っていた。一人の女の子が 通りがかった僕を見つめていた。ちょっとポッチャリして目の大きい僕好みの女の子 だった。 もしも僕が喉の病気でなかったら僕はその子たちに声をかけ僕は駆けて行っただろ う。俯いているその子を背に負って…。 僕は鍛えていたから…。僕の鋼鉄のような背中にその子を乗せて僕は一生懸命に走 っていっただろう。青い草の生い茂る草原越しに見える病院を目指して僕は一気に… でも僕は俯いているその女の子を無視し、道路沿いに立って僕を非難がましく見つ めていた僕好みの女の子の視線を目を落として避けながら歩いていった。 ----九大の二次試験が終わって夜、急行の汽車に乗って長崎の自宅に帰ってきたのは10時を少し過ぎていたと思う。それから勤行をしたり御飯を食べたりそして二次 試験ができなかったことを家の人に言ったりして寝たのは何時だったろう。九大の学 生部の人から『試験が終わってからも題目をきっちりとあげるべきだよ。今までにそ んな例が幾つもある。』とか聞いてた僕はその夜や次の日の朝も勤行はもちろん、題 目もかなり上げてたのではないだろうか。次の日の朝、起きるのが少し辛かったのを 憶えているから。 その日は3月5日だったと記憶している。3月4日が九大の二次試験だった。僕は 5日の朝7時ごろに家を出ただろう。大学病院の受付は朝9時ぐらいまでのようだっ たから。 僕は昨夜遅く福岡から帰ってきて夜の勤行も朝の勤行もちゃんとしたのに朝早く家 を出てバスに乗った。そして僕は長崎大学病院がどこにあるかよく解らずたしか茂里 町のバス停か電停で降りてしまってそれから人に道を尋ねたりして走りながら大学病 院へ行ったのだった。 僕が二次試験が終わったら大学病院まで喉の病気を診てもらいに行こうと決めたの は3月3日の夜のことだったと思う。半年前の9月頃から悔しさで沸り続けてきた僕 の胸の中は九州学生部書記長の前で遂に涙を流してしまった。喉の病気のために僕が 中二の頃からどんなに辛い思いをしてきたかを…そしてこの喉の病気は勤行・唱題を 喉が炎症を起こしているのにもかかわらず声の出る限り一生懸命やった故のものであ ることを言ったりして… 僕はその泣いている時に決意したのだった。3月5日、長崎に帰った次の日の朝す ぐ大学病院の耳鼻咽喉科まで診察を受けに行こう、と… でも僕はそのとき若い医者から手を右左や前後に動かされたり声帯を見られたりし ただけで『どこも悪くない。』と言われて帰されたのだった。僕がどんなに『大きな 声が出ないのです。…もう4年も前からです。休み時間なんかそのために喋れなかっ たんです。』(僕は実際は5年前からだったのを恥づかしくてみじめに思えて『どれ 位前から。』と聞かれたとき始め『2年前。』と言った。でもあとで4年前と訂正し た。) カルテには『喉頭異常感』と日本語で書かれたきりだった。僕は再び『大きな声が 出ないんです。…もう5年になるかもしれません。』と椅子から立ち上がりかけなが ら言ったがその若い医者は僕を邪魔そうにして次の人の診察にとりかかろうとしてい た。----
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