空中分解2 #1632の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
暗いプロローグ 夜が明けたらしい。時計を持っていなければ、そんなことさえわからなかったの かもしれない。この部屋には窓がない。設計理念に採光設備という概念が、いっさ い欠落していたのだろう。身じろぎもせず、俺は脛を掻いた。虫にさされた部分は 昨夜より拡大していた。マラリア、という言葉が脳裏に浮かぶ。いいや、いまは考 えまい。まずは一刻もはやくここを脱出することが先決だ。 閉じられた鉄の扉の彼方から、ちりんちりんと鈴の音が響いてきた。夜どおし響 きつづけていた音だ。寝つけぬまま頭の片隅で最初にこのかすかな音を認識したと き、ムスリムかなにかの宗教儀式ではないかという考えが浮かんだ。直後につづく 耳ざわりなクラクションが聞こえなかったら、朝までそう思いつづけていたかもし れない。正体は――自転車の鈴の音だ。この街はつねに警告の音色であふれかえっ ている。排ガス規制の枷を持たずにわがもの顔に疾走する車とベビータクシー、そ して自転車にリヤカーと幌をくっつけただけのようなリクシャ・タクシー。そこを どけ。今から通るぞ。道をあけろ。割りこむからな。ちりんちりん。ブッブー。 こいつら、いったいいつまで起きてやがるんだろう。俺は目を閉じたまま考える。 寝つけぬまま朦朧とした夜を明かした。建物のなかでは、ほんのわずかな沈黙の時 間をのぞいてはほぼ一晩中、ひとの動く音、話し声がつづいていた。この国の人間 は実は人間ではなく、サイボーグか何かなのか。それとも、このホテルの従業員た ちだけが、異常体質なのか。 そう。ホテルだ。場所はよくわからない。 昨夜おそく、空港で煩雑な手つづきとわからぬ英語のやりとりに脳内を真っ白に された状態でこのバングラデシュの大地に降りたった。むっと噴きつける蒸し暑い、 それでいてどことなく清澄な風、遠く立ちならぶ南国風の樹々の揺れるさま、いき 交う浅黒い肌の人びと。ひどくわくわくとした気持ちがわきあがってきたことを覚 えている。うんかのごとく群らがり寄ってきた細腕の、それでいてやたら元気なガ キどもが「バクシーシ! バクシーシ!」と痩せこけた腕をさしだしつつやたら人 の世話を焼きたがる状況に遭遇したときも、なるほどこれがそうかと面白みさえ感 じていた。 トランジット・ホテルの送迎車をさがした。それらしい車は見あたらない。なに より、半日以上を飛行機のなかで過ごしてきた疲労と見知らぬ外国へと初めてその 歩を踏みだした興奮とがないまぜになって、思考力は完全に霞の彼方に追いやられ ていた。 「こっちこっち」と浅黒い肌の男が指示するのに素直に従ったのも、そのせいだ ったのだろう。総勢五人の日本人は白いワゴンに乗りこみ、よってたかって車の窓 を拭きはじめたバクシーシのガキどもに「そんなことしても現地の銭持ってねえか ら無駄だぞ」と日本語で呼びかけながら出発の時を待っていた。とびきりの間抜け 面で、だ。 Kがなにかをガキに渡していたのも覚えている。1ドル札だろう。硬貨もない、 現地の金もないで、もっとも小額なのは1ドル紙幣だけだった。そうして、車はお もむろに走りはじめた。 やたらだだっ広いくせに中央の線一本でしか仕切られていない大ざっぱな道路を、 白いワゴンは恐ろしい勢いで疾走する。左はしのほうをリクシャ、その次が、三輪 のやや大きめの原付に屋根をつけただけのようなシロモノのベビタク、車はいちば ん中央寄りを走行、というのがこの国の大ざっぱな交通ルールらしい。 ほんとうに大ざっぱだ。ちょっと足の遅い車が前方に現われると、とたんに中央 線を無視してものすごい勢いで追いぬきをかける。ただでさえ高速で走っているの にさらに加速するのだから少しばかり恐いほどだ。 そんな状況下、俺は車外にすごい勢いで流れていくバングラの景色をなんとなく 眺めながら「ああ、俺いま、外国にきてるんだなあ」などと呑気なことを考えてい たものだ。つぎつぎに後方へと過ぎるオレンジ色の街灯やみみずののたくったよう なバングラ文字の看板、煉瓦づくりの奇妙な建物、なども催眠効果を発揮していた かもしれない。 だまされたことに気づいたのは、『GRAND HOTEL』とご大層に銘打た れたそのホテルの部屋を一目見たときだった。 天井の扇風機とベッド上につりさげられた蚊帳の存在がなかったら、牢獄にブチ こまれるのだと勘違いしたにちがいない。事実、部屋の唯一の入口である鉄の扉を 閉ざされて外から閂でもかけられたら、まちがいなくその部屋から外へ脱出するの は不可能となるだろう。もしかしたら、ほんとうに監禁に利用されることもあるの かもしれない。 ホテル! これがホテルか。なるほど、ここは日本ではない。日本の常識で考え てはいかん。この期におよんで俺はまだそんなことを、なかば自分に言いきかせる ようにして考えていた。ちゃんとベッドもあるじゃないか。……四つも。おかしい な。トランジット用のホテルは、たしかシングルでとったはずだぞ。なぜ四つも… …? 第一、俺の同行者ふたりは女だぞ。まあ別にいいけど。それに総勢五人。数 があわないじゃないか。この国の人間は算数もできんのか? と思ってたら、もうひとつ別の部屋を用意するか、とタクシーを調達した髭のム スリム、それにホテルの主人らしき大男のムスリムがきいた。どうやら算数はでき るらしい。 俺たちの旅の主催者であるYが、ここはほんとうにトランジット・ホテルなのか と訊いた。答えは――決まっている。「NO」だ。みごとにだまされたのだ。一同 はしばし呆然とし、次の瞬間、烈火のごとく怒りだした――とはいかない。こちら は男三人、眼前のバングラ人に対抗するには充分な人数といえばたしかにそうだが 、場所を考えてみる。敵地の奥深く。しかもひとりはいかにも狂暴そうなムスリム の大男。そのうえ、その場に集うた五人のうち、四人までが海外旅行は初めて、と いう低たらく。そりゃそうだろう。外国に慣れた奴なら、こんなトラップにひっか かりゃしない。 Yがなんとかトランジットホテルに戻してくれと意志の疎通をはかるが、「その 前にタクシー代8ドルよこせ」という髭男の要求に返す言葉をうしなった。俺たち は航空会社の人間ではない。ただで送迎する義理など露ほどもない。勘違いしてか ってについてきたおまえらのミスだ、というわけである。空港に戻してやってもい いがもう8ドルかかるぞ、と髭男はこともなげに言った。Yは必死に抗弁を試み、 俺たちは呆然とするばかりだ。その上、もしここに宿泊するのなら宿代は10ドル だという。開いた口がふさがらない。 結局、社会教育の関係でYがコネをもっている現地の日本人を中心としたとある 民間援助組織に連絡をつけ、手を打ってもらうことにした。が、手間どっている。 なかなか連絡がつかないらしい。俺たちはその間、主人の大男に時間を質し、時計 を現地時間にあわせた。AM1:08。そして絶望的な状況が訪れる。 トランジット用のまともなホテルは、午前1時に受付を終了してしまっているの で、その後にチェックインすることは不可能だというのである。やっと連絡のとれ たNGOの相手と、英語日本語バングラ語入り交じった会話が交わされ、その人の 電話での交渉によってホテル代はやっと8ドルにさがり、そして俺たちの宿が決ま った。 こうして俺たちは、しょっぱなに16ドルもの大金をむしり取られてしまったの である。それでもなお二人組のムスリムは部屋をさろうとしない。「バクシーシの ほんとうの意味を知っているか」としきりに話をしたがる。それなら俺も知ってい る。浄財だ。だが冗談じゃない。これ以上、なおまだ俺たちから金をむしり取ろう というのか。 俺はごまかしにバンドエイドをさしだし、皆も煙草を一本づつわたした。これが バクシーシのかわりだ。これ以上は、ビタ一文だって出やしない――皆の思いは同 じだったろう。男たちはあきらめて部屋を出た。 喉がかわいていたが、我慢をすることにした。このホテルでは、コーラまでが一 本2ドルもするのだ。馬鹿にするのもほどがある。俺たちは消沈した面持ちで不景 気な会話を交わし、女たちはもうひとつの部屋へと場所を移し、そして眠ることに なった。しょっぱなからこんな調子で、はたして無事に朝を迎えることができるの だろうか、と俺はなんとなく思っていた。 朝はきた。喧騒に満ちた朝が。 MUJOH AOKI PLUS PRESENTS ネパールの三馬鹿 SAN-BAKA IN NEPAL NOW STARTED
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