空中分解2 #1624の修正
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第三楽章「風」 * わたしの前を、子どもが三人ばかりかけていきました。おや、と思っていると 、赤ん坊を抱いたおばさんが、どたどた走っていきました。と、続いてバイクに 乗った青年がすっ飛んでいきました。 どうしたことでしょう。何かあったのに違いありません。さあ、なんでしょう。 足が勝手にふるえだしています。 わたしは、小さい頃から、人が走っていくのを見ると、じってしていられない 質なのです。そんなわけですから、消防自動車のサイレンの音が聞こえたりした ら、もうどうしても、見逃すことが出来ませんでした。あとで考えれば、どうに も申し訳のないことなのですが、赤い消防自動車が疾走していくのを見ると、訳 もなく追いかけなければならなくなってしまうのです。 ああ、もう我慢の限界、ええい、と走り出そうとしたときです。 うしろから、ううう−う−う−、というサイレンのような声をあげて誰かがや ってくるではありませんか。その声の主は、自転車をがたがたいわせながら、わ たしを追い抜いていきました。 あれっ、あの人は。くりくりした坊主頭といい、自転車に乗ってサイレンのよ うな声を出す人といったら、彼以外にいる筈がありません。 * はかせ、ねえ、はかせったら、どこへ行くんですか。わたしは、大声で呼びか けました。その人は、自転車を止めると、おや、という具合いに振り返りました。 ああ、やっぱりはかせじゃないですか。わたしは、もう火事のことなど忘れてい ました。おお、きみか、とはかせは大げさなほどに目をむいてみせました。そし て、どじょう髭をもったいぶった仕草でひねりました。ははは、相変わらずです ね。わたしは、何が相変わらずなのか自分でもわけの分からないことを口にして いました。 いやなに、天気が、天気のせいで髭の具合いがどうもいまひとつ、などと、は かせは、聞かれもしないことをしゃべり出しました。 やはり、温度や湿度といったものが微妙に影響するものなんでしょうね、など と、わたしも調子を合わせてしまうのですから仕方がありません。 うむ、それがねえ、はかせは、ひたいにしわを寄せると、一つ大きなため息を つきました。その隙をねらって、わたしは本題に入りました。 で、どうなさったのですか。そんなに急いでどこへおでかけなんですか、と尋 ねると、いやあ、子どもが三人ばかりかけて行ったのをみただろうが、あれは、 きみ、ただごとではない。でも、それにしてはおかしいんだなあ。きみは、なに か煙のようなものでも見えたかい。はかせは、そう言って髭をひねりました。 * そう言われてみれば、はかせの言うとおりです。サイレンの音も聞こえません し、あれっきりかけ出して行く者もいません。どうやら、わたしの早とちりのよ そこでお聞かせ願いたいのですが。わたしは、いきなり話を別の方にもってい ってしまいました。 例の実験は、どんな具合いですか。はかせは、困ったような顔をしましたが、 それも一瞬のことで、いつものように難しい顔をしながら、あれは、すずらんテ −プがよくなかった。メ−カ−も最近は手抜きをするのでいかん。しかし、なん といってもそれを選んだのはこの自分だ。誰が悪いのでもない。そう言いながら 、はかせは、急に体操を始めました。 おけらの体操 いち、にい、さん などと号令をかけ、いやあ、歳を取るとどうもからだが固くなっていけないね え。自転車なら油を射して磨いてあげるという手もあるが、人間はそういかない からね。 いえ、はかせ、わたしなどは、毎晩油をさしていますよ。わたしがそう言うと、 はかせは、しかめっ面をしながら、右手でコップを持つ真似をして見せました。 いやあ、すべてお見通しですね。わたしは、笑うほかありませんでした。 そうそう。はかせは、急に真顔になると、きみは、二日酔い防止体操というの を知っているかな、などと言い出しました。 いや、すずらんテ−プがね。あれを使った体操が二日酔いの防止に役立つんだ。 なんて言ったかな、あの体操のこと。はかせは、聞いたことのないかけ声をかけ ながら、また体操をはじめました。 わたしには、すずらんテ−プ=体操=二日酔い防止、少しも見当がつきません でした。 わたしが、ぼうっとそんなことを考えているあいだに、はかせは、自転車を放 り出したまま、ひょこひょこと歩道の縁石を伝い歩きしながら行ってしまいまし た。 どこからか、笑い声のような、ガラスを爪でひっかいたときのような、どちら ともつかない奇妙な音が聞こえて来ましたが、それは、はかせがわたしを呼んで いる声だったのか、それとも、はかせのわきを駆けていった風のものだったのか は、わたしには分かりませんでした。 第四楽章「月」 * わたしは、その夜も、自分の影を踏まないように一歩一歩調子をとりながら歩 いていました。 ところが、その夜に限ってどうも具合いがおかしいのです。わたしの目の前を いく自分の影は、なんだかゆらゆら揺れているし、いつもに比べて輪郭がぼんや りしているようなのです。 誰のせいでもない。わたしは、そんなことを口にしながら、とにかく、自分の 影を踏まないように、そればかりを気をつけていました。 突然のことでした。 横から、だっ、と黒い影が飛び込んできたかと思うと、あっというまもなく、 わたしの影を抱いて、走り去ってしまったのです。 まっ黒なアスファルトが残っているだけでした。 こんなに驚いたことはありません。わたしは、ああ、ああ、とのどの奥で叫び ながら、一歩も動くことが出来ずに、ただ、まっ黒なアスファルトをにらみつけ ているだけでした。 どれぐらい時間がたったのでしょう。 それは、一時間だったかも知れませんし、あるいは、一秒だけのことだったの かも分かりません。 わたしは、ふっ、とため息をつくと、さあ、このまま歩き続けていいものかど うか思いをめぐらしました。 答は、すぐに見つかりました。 街路のいちょうの木が、ざざあ、と鳴ったかと思うと、いつのまにかわたしの 影が、どんどん先へ歩きはじめていたのです。 風の強い日は、雲が早く飛ぶものだから、ときどき、そんないたずらをして、 人を驚かすのですね。 −おしまい− 注)第一から第三楽章までは「きまぐれ遊歩道」に掲載したものに多少手を加 えたものです。「ギャラリ−」でお読みいただいた方には二重のお手数を かけてしまったこと、深くお詫びいたします。 また、第四楽章は、「幻想即興曲・月」を組み入れたものです。したがっ て、「幻想即興曲・月」は、メッセ−ジより削除いたしました。 4/25
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