空中分解2 #1620の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
* あるとき、Aさんがとつぜんわたしの家に来たことがありました。 それは正月の頃だったように覚えているのですが、はっきりとは分かりません。 ただ、たしか雪が降ったあとだったのは確かですから、いずれにしろ冬のこと だったと思います。 Aさんは、庭先から入ってくるなり、ほお、ほお、と声をあげたのです。その 声でAさんが外にいることがわかったというわけなのですが、わたしは、驚きな がら大急ぎで濡れ縁のガラス戸を開けました。 見ると、Aさんが裸の柿の木を見上げて、感心したように頭を振っているので した。 えました。 そして、いやあ、庭先に柿の木がこうしてある風景なんて近ごろあまり見かけ ないからね。なにしろ、この立っている場所がいい。うまいところに立っている なあ。そんなことを、独り言のようにぶつぶつしゃべり続けました。 まあ、どうぞお上り下さい。わたしは、家に入るように勧めました。ところが、 Aさんはいきなり踊りだしたのです。いえ、そうではありません。よく見ると、 どうも柿の木の格好をまねているようなのです。 腰をくねらせたり、腕をひねったり、それはそれは年寄りとは思えないほど柔 らかなからだをしているのです。そのうち、雨戸の戸袋のところに立つと、妙な 格好をしたまま、そこにぺたりとへばりついて、動かなくなってしまったのです。 わたしが、あっけにとられて声もあげられずにいるのもかまわず、Aさんは、 目を閉じたまま、何か口をもぐもぐさせていました。 あとで気がついたのですが、それは詩のようなものを暗唱していたのではない でしょうか。柿の木にちなんだ詩に、誰のどんなものがあったか、わたしはまっ たく不案内ですが、たしかにAさんは、詩を唱えていたのです。 * とにかく、Aさんのするに任せておくしかありませんでした。表の通りからは 、庭先はまる見えですから、きっと、通りがかりの人たちはAさんの奇態に目を 丸くさせられたに違いありません。 やっとのことで、Aさんがわたしの部屋に上がってくれたのは、しばらくたっ てからのことでした。 ところが、わたしは、そのときになって大あわてしなければなりませんでした。 わたしは飲めません。ですから、酒と名の付くものは一つも置いてありません。 わずかばかりの茶菓子しか、手元にはないのです。ああ、しまった。正月だと いうのになんとしたことだろう。わたしは、恥ずかしくてたまりませんでした。 せっかくやってきてくれた人をもてなすことも出来ないのです。わたしは、お ろおろするばかりでした。そんなわたしのことなど、これっぽっちも気に止める ふうもなく、Aさんは、部屋の中をぐるりと見渡すと、ははあ、ずいぶんきれい に片付いているね、と笑いました。しかし、それは褒めてくれたのではありませ ん。居心地が悪そうに、お尻をもそもそさせていたことからも、それは分かりま した。 とにかく、酒屋に走ろう。そう思って出かける支度をしたのですが、、この町 内に住むようになってからもう三年にもなるというのに、酒屋がどこにあるのか 少しも分かなかったのでした。 わたしが、縁先でもたもたしていると、Aさんも出てきてしまいました。 * タクシ−を拾うために、表通りに出るまでのあいだ、わたしがどんなに恥ずか しい思いをしたことか、誰にも想像出来ないに違いありません。そして、同時に なんとも言いがたい、なんといったらよいのか、喉の奥から溢れ出る形容しがた いものの正体をつかみかねて、どんなに心を騒がせたであろうことも。 Aさんは、よほど柿の木のことが気に入ったのでしょう。道端をふらふら歩き ながら、急に立ち止まっては、腰をひねり、腕を投げ出して、そうして凍りつい たように動きを止めてしまうのです。 まるで赤ん坊そのものでした。わたしは、はじめは、たしかに恥ずかしい思い でひきつった顔を伏せていたのですが、そのうち、なぜ自分はあんなふうに心の かたちをからだで表現できないのだろうか、そんな疑問さえ持つようになってい ました。 そう思い始めると、見るほどに、Aさんの奇態には引きつ付けられるものがあ りました。 いつか、わたしは、Aさんと連れだって歩くことを自慢したいほどの気持ちで いっぱいになっていました。 帰ったら、じっくり柿の木を見てみます。そして、どんな風景の中に立ってい るのか、それも確かめてみましょう。わたしは、Aさんの小さな背中に向かって、 そう約束したのです。 −おわり− 4/22
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