空中分解2 #1512の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「わたし、この、レモンの皮のザラザラがだめなのよね」 小皿の上でレモンをスライスしていたクミコがつぶやくように言った。 僕がアトリエに使っているこの部屋は倉庫を改造した物なので台所はない。めったに 炊事はしない。もし何か調理する場合は全部テーブルの上でする。 「ザラザラがなんだって?」 ストーブに掛けておいたやかんのお湯をティーポットに注ぎながら僕は訊いた。 「あのね、鳥肌みたいでしょ?このレモンの皮って…」 振り返ってクミコを見ると嫌な物に触れる時のように指が怖じ気づいている。 「まあ、そう言われればそうかも知れないけど、柑橘類ってみんなそうなんじゃないの ?」 スライスされたレモンの切り口が朝の光の中で輝いている。 「そう、だから八朔もオレンジも皮をむくのは苦手なの。食べるのは好きなんだけど」 「妙なところにこだわるからな、クミコは」 僕はティーカップに紅茶を注いだ。 ダージリンが匂い立つ。 「理由はちゃんとあるのよ。モンタにはまだ話してないけど」 紅茶を飲みながらクミコはゆっくりと部屋の中を見回している。 クミコがこの僕の部屋に来たのは久しぶりだ。もうあれから二、三年経つだろうか。 何も変わっていないさ、あの頃と。銅版画の大きなプレス機、インクを練る大理石の板 、壁のゼンマイ時計、色ガラスのランプシェイド、鏡の付いた西洋戸棚、そして小さな ベッド。この部屋で相変わらず僕は一人で暮らしている。 クミコは昨日の夜遅くやって来た。僕らはろくに話しもしないで小さなベッドに潜り 込んだ。朝のまどろみの中でゼンマイ時計のとぼけた音が七時と八時を打つのを聞いた ような気がする。 「へえ、その理由とやらを拝聴したいですね」 「笑うからいやよ」 「笑わない。堅く誓う」 「じゃあいいわ。わたしの背中にあるアザ、知ってるでしょ?」 「ああ、あの丸いやつ?」 「そう。あれ何かの形に似てると思わない?」 確かにクミコの背中に赤ん坊の掌ほどの赤いアザがあるのは知っていたが、それが何 かの形に似ていると思ったことはなかった。一緒に風呂に入ったことも何度かあったけ れど、ただのアザだと思っていた。僕は記憶の中のそのアザの形を思いだしてみた。し かし、それが何かの形にまでは結びつかなかった。 「分かんないな。なんだろう」 「鳥の目よ。真ん中が黒ずんでいて二重になってるの。見せようか?」 クミコが自分のセーターの裾に手をかけるのを制して僕は言った。 「いいよ、いいよ。つまりだから鳥が嫌いで、鳥肌みたいなものはだめだって言うんだ ろ?」 「まあ、そうなんだけど、もうちょっと民話的なの」 「民話的?」 「そう。わたしの生みの母親はわたしを生んですぐに亡くなってしまったんだけど、母 は山奥の小さな村で生まれたのね。それで、その地方にはそのころでもまだいろんな迷 信みたいなものが残っていて、その一つに『杉小屋篭もり』っていうのがあったらしく て、どんなのかって言うと、村の少女が初潮を向かえる頃になってもなかなかそれが来 ないと、村で誰かの結婚式がある日の朝、村から少し離れた山の中に人がやっと入れる くらいの小さな小屋を杉の枝で造って、その少女を押し込んでおいて、鶏を潰す訳ね。 で、その鶏を雪の上に首の無いまま放すと鶏が雪の上を逃げ回るんだって。それで、そ の点々と落ちた鮮血を雪ごとすくって来て、母親がその娘の体中に塗り付けるんだって 。そう、このオマジナイみたいな儀式は必ず雪のある季節にするらしいのね。鶏はその 日の結婚式でみんなで食べてしまうんだけど、その少女は式が終わるまでその寒い雪の 中の小さな小屋の中で泣きながらじっとしてるんだって。きっと初潮の意味もまだ分か らないと思うんだけど」 「なんかひどい話しだね」 一気に話しだしたクミコの勢いに押されて僕は一方的に聞き役に回っていた。 「まだ続きがあるのよ。聞いてよ、せっかくここまで話したんだから。それでその少女 にめでたく初潮が来るとまた村をあげてのお祝いをするらしいんだけど、その『杉小屋 篭もり』をされた少女が成人して、結婚して子供を生むとそのうちの何人かは体のどこ かに鳥の目の形のアザを持った子になるんですって。わたしの母は早く亡くなってしま ったから確認も出来なかったけど、叔母から聞いた話しではどうも、わたしの母もその 儀式をされたらしいの」 「完全に迷信だね、それは」 否定はしたものの、僕の中には半分くらい信じ始めている自分がいた。 「それで、わたしは小さい頃よく合わせ鏡をして自分の背中を見たわ、裸になって」 「合わせ鏡って?」 「こうするのよ」 クミコは西洋戸棚の鏡に背中を向けて、右手でもう一つ手鏡を持つ真似をして見せた 。 「いつか消えるんじゃないかと思ってたけど、だめみたい」 僕は幼い女の子が裸になって自分の背中のアザをおそるおそる確認している姿を想像 してみた。少し上半身をくねらせたその姿はなまめかしくさえあった。 「あ!蜘蛛」 「え?」 僕はクミコが指さす方を振り返った。天井から一匹の蜘蛛が降りてきている。 「朝蜘蛛だ。縁起がいいぞ」 「ほら、モンタだって縁起を担ぐじゃない」 僕は立って行って蜘蛛を糸ごとすくって窓の外に逃がしてやった。 「蜘蛛は殺さないことにしてるんだ。蜘蛛には特別の思い入れがあってね」 「へえ、聞きたいわね」 「クミコのアザ程じゃないけど、ほら、この手の甲に小さな斑点みたいなものが少しあ るだろ?」 僕はクミコに自分の手を差し出して見せた。 「あら、それは老人斑ていうのよ。歳を取ると手や顔に出てくるの」 「よくそういう憎まれ口がきけるね、三つしか違わないのに。まあいいや。これはね、 僕が小さかった頃のイボが取れた痕なんだよ。ものごころ付いた頃、そう三、四歳の頃 気がついたんだけど、僕の手の甲にはびっしりと小さなイボが出来てたんだ。そのころ はあまり気にしてなくて、僕の手はこういう手だと思ってた。ところが幼稚園に行く頃 になって、その重大さに気がついた。なぜかと言うと、誰も手をつないでくれない。幼 稚園にはお遊技っていうのがあるだろ?みんなで手をつないで大きな輪を作ってするあ れ。そんな時にも誰も手をつないでくれない。うつるとか気持ち悪いとか言って。僕は その幼稚園の頃、好きな女の子がいてね、初恋ってやつ。だからその子の前では手を隠 してた」 「ませてたのね」 「まあいいから、聞けよ。小学校に入ってからもそういう状況は続いて、遠足の時もダ ルマサン転んだの時も誰も手をつながない。きっと、僕の知らないところで話しが出来 上がっていたんだろうね。でもめげずに僕は次々と女の子を好きになった。もっとも、 そのイボのために相思相愛とはいかず、しかたなく手の甲をこすってはしょぼくれてポ ケットに両手を突っ込んで歩いてた。そんな僕の姿を不憫に思ったのか、お袋がどこか からその治療法を聞いてきた。それは、まず、蜘蛛の糸を出来るだけ多く集めて、それ にイチジクの葉を折った時に出てくる白い液を混ぜて、そのドロドロをイボに擦り込む という、ちょっと悪魔的な治療法だったんだ。お袋は家中の蜘蛛の巣を払って糸を集め て皿に取っておいて、家にはイチジクは無かったから、海辺の大きなイチジクの木のと ころまで行って葉を何枚も集めてきた。まあ、お袋も半信半疑だったと思うけど、とに かくイボに擦り付けた。しみて刺すような痛みがあったのを今でも覚えてる。そんなこ とを半年ほど続けていたらイボは一つ残らず消えてしまった。それ以来僕は蜘蛛を崇め てる。一生結婚は出来ないと思っていた少年が安心して女の子に手を差し出せる人間に 変わったんだから」 「差し出し過ぎてはいないの?」 「まったく、話しの核心が見えてるのかい?」 「それは完全に迷信ね。きっと大きくなって自然に直っただけよ。でも、それってアザ にも効かないかしら?」 クミコは僕の目をしっかりと見つめていた。僕はその視線に今までには無い強さを感 じていた。 「そうだね、今度試してみようか」 僕は冷めかかったティーカップを取り上げた。微かに立ち昇る湯気の向こうで窓の外 の景色が揺らいで見えた。 海辺の大きなイチジクの木が風に揺れていた。 完
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