空中分解2 #1494の修正
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* 娘がまだ小さかったころ、わたしにこんなことを聞いたことがあります。 「ねえ、お外にいる金魚さんは寒くないの」 それは、冬のことでしたから、ベランダに出してある水槽で暮らしている二匹 の金魚のことが心配らしいのです。 わたしたちの住んでいる県営団地は、湘南地方の南のはずれにあるし、海にも 近いので、冬でも水槽に氷が張るほど冷え込むなどということはありません。で も、いちばん冷え込むといわれる明け方にベランダに出てそれを確かめたことが あるわけではありませんから、本当のところは分かりません。 娘の心配は、氷が張ったら金魚は死んでしまうというところにあるのでしょう が、たしかにその通り、凍りついたりでもしたら、いっぺんで死んでしまうかも 知れません。もう5年以上も暮らしている金魚ですから、そんなことがあったり したら、よほどがっかりしなければなりません。 ところが、娘は、 「息ができなくなって、死んじゃう」 というのです。わたしは、えっ、と聞き返したほどです。 ある日のことです。夜中に降り出した雪は、朝になっても降りや止まず、団地 のベランダは雪で覆われ、植木鉢やポリバケツなどがぼんやりとその陰を残して いるだけでした。この団地に移り住んで10年になりますが、こんなに雪が降っ たのは初めてのことでした。 あれっ、水槽が見あたりません。雪の様子を見ようと、ガラス戸から首を出し たわたしは、思わず声を上げました。子どもたちでもエサを上げられるようにと、 ガラス戸のすぐわきに置いてあるのですから、いくら雪が吹き込んだからといっ ても、すぐ分かるはずです。それなのに、どこにも見あたらないのです。 「ねえ、水槽はどこだい」 わたしは、誰かが夜のうちにでも部屋の中に入れておいたのかと思ったのです。 ところが、誰もそんなことをしていない、と言うのです。台風のときだって飛 ばされなかった水槽です。雪が降ったぐらいでどこへも行くはずがないのに、そ れが消えてしまったのです。まさかとは思いながら、隣のベランダを覗いてみま したが、それらしいものはありませんでした。わたしたちの部屋は3階ですから、 誤って下にでも落ちたら大変です。わたしは、ぶつぶつ言いながらとにかく外に 出て、探してみることにしました。 * その日の明け方、ひろ子は夢を見ました。金魚が二匹、氷の上でスケ−トをし ています。二匹とも、それはそれは小さなスケ−ト靴を履いて、つん、とすまし た顔をして滑っているのです。ああ、ここはきっと北極に違いない。ひろ子は、 いつだつたか幼稚園で見た紙芝居のことを思い出しました。 ふいに、どこからか何か聞こえてきました。耳をすますと、二匹の金魚が歌を うたっているのです。それが、風にのって高く低く、強く弱く、ひろ子の耳をか すめていくのです。 鼻っこずるずる 風邪っこひいたが あんまりいい風 吹いて来るはんで わらすっこも くるくる回りだくなる 風っこ吹いたれば はあ、鼻っこも透る ひろ子は、自分がスケ−ト靴をはいていないことも忘れて、氷の上に飛び出し ていました。二、三歩も行かないうちにつるりと滑ると、ひろ子はどてっとあお むけに転んでしまいました。 それを見て、尻尾のまっすぐな金魚が笑いました。すると、尻尾の割れた金魚 が怒ったように言いました。笑っちゃいけない。そんなら君とは絶交だ。ひろ子 は、あわてて起き上がろうとしました。ごめんなさい。わたしがいけないんだわ 。だって、スケ−トなんて初めてなの。すると、尻尾のまっすぐな金魚が顔を赤 らめて言いました。ねえ、ぼくで良かったら滑り方を教えてあげられるけど。尻 尾の割れた金魚がすかさず言いました。だめだい。ぼくなんなかいつでも一番に エサを食べているのに、君なんかびくびくして逃げ回っちゃ、誰もいなくなって から、ぼくの3倍も食べるんだ。 そのとき、飛行機雲が、青い空にすっと定規で引いたように見えたので、ひろ 子は、ぱん、と手を叩きました。 * わたしの家には、お風呂の掃除をするときのために買ってある女物の長靴が一 足あるだけです。仕方がないので、わたしは捨てようかと思っていたスニ−カ− を履いて、外に出ました。 雪を踏みながら、わたしは少し寂しい思いをしました。あの、きっ、きっ、と いう音がしないのです。スニ−カ−は、雪の中に音もなく埋まるだけなのです。 それから5分ばかり探しまわりましたが、水槽は見つかりませんでした。ああ 、あっ、とため息をつきながら空を見上げると、降りしきる雪は、やはりごみが 落ちてくるように見えました。 「やっぱり外には落ちてないよ」 わたしが部屋に入るのと、炬燵に入ろうとしていた上の娘がキヤッと悲鳴を上 げるのが一緒でした。 「何かいる」 娘は、声を震わせながらわたしに抱きつきました。下の娘は、まだ向こうの部 屋で寝ているし、女房はトイレに入っているようです。 はて、何が炬燵にもぐり込んだのでしょう。わたしが掛け布団をめくろうとす ると、娘は、おとうさんよしなよ、と言ってわたしのからだから離れません。わ たしもつられて、立ちすくむばかりでした。 そのうち、トイレから出てきた女房が、何を親子で抱き合ってんのよ、などと 笑うものですから、いや、そうじゃない、炬燵の中に何かいるらしい、と言うと 、あら、そう、と言うなり掛け布団をめくってしまいました。 「あっ、」 娘とわたしは、止める間もありませんでした。ところが、 「あら、」 とか言って、女房が炬燵の中から引っ張り出したのは、なんと水槽ではありま せんか。 わたしたちは、狐につままれたような顔を並べて水槽をのぞきましたが、生暖 かい水がたぷんたぷん搖れているだけで、金魚の姿は見あたりませんでした。 * その日の昼すぎ、わたしはひろ子につき合わされて、雪だるまをつくるはめに なったのですが、炭の代わりにレモンを使って目や鼻に見立てるなどとは、思っ てもみませんでした。 雪の降りしきる中で、やっとこしらえた小さな雪だるまにレモンを押しつけな がら、ひろ子が出会ったあの金魚たちは、いまごろ北極の氷の上をやっぱりつん とすました顔で滑っているのかしら、そんなことを思ったのでした。 −−− おわり −−− 3/5
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