空中分解2 #1466の修正
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−12− 童話作家の矛盾 何のためにと考えるのは無意味だ。とにかく一夜明ければ雪が積もっ ていた。空はまったく青く晴れていたが、どこに太陽があるのか皆目見 当がつかなかった。あの高さのために、僕はいつも夏を取り戻せた。 歩道と車道との区別がないところを歩いていた。前を行く誰かの後を 追うようにしていさえすれば車の方で避けてくれる、そんな雪道だ。洟 を啜った瞬間に目の前で女が滑った。とてもいい機会を与えてくれた。 反射的に後ろに手をついて体を支えようとした女に、僕は懐かしさを 覚えたものだ。 大阪で電気工事の監督をしている僕の友人は童話作家だった。どこか の未亡人といい仲になり恋愛に関する哲学者に転身してしまった。 「愛するってことはな、お前、ぎゅっと抱きしめて離さないってこと なんだぜ」 という、世にも奇妙な理論の演説を始める以前に、僕に話してくれた ことがある。 「冬、雪が積もる季節になると外へ出て遊ばなくなる質の女の子がい ました。別に友達がいないというのでもないけれども、とにかくその女 の子は寒いのが大嫌いなのでした。例によって家の外は一面の銀世界で した。窓から外を眺めて女の子は、はあっと溜め息を漏らすのでした。 女の子はちゃんとおかあさんがいました。おかあさんは女の子に、『な んとかちゃん、たまにはお外へ出て遊んでらっしゃい』と言いました。 女の子はそう言われるたびに、『だって寒いんだもん』と答えて、炬燵 の中に首まで潜り込むのでした。ある時おかあさんは買い物に出かけま した。例によって、よくある童話のように、女の子は一人ぽっちになっ たのでした。一人ぽっちは寂しいのでした。かといって、外へ出ていく のは寒いからもっと嫌なのでした。炬燵の中に潜り込んでじっとしてい ると、窓をこつこつと叩く音が聞こえました。何の音だろうかと見ると、 窓の外には白い猫が笑っているのでした。その白いきれいな猫は男の子 のようでした。炬燵の中の女の子を見て、猫は言いました。『炬燵でば かり寝てないで、外で遊ぼうよ』すると女の子はやっぱり、『だって寒 いから嫌です』と言うのでした。猫はしつこくて、『寒くないよ。だか ら一緒に遊んでよ』と迫りました。女の子は猫がしつこく誘うものだか ら、しかたなく外へ出ることにしました。行儀の悪いことに、窓から外 へ出ると、女の子は猫になっていました。男の子と同じように、真っ白 のきれいな猫でした。そうして二匹の猫は長い間一緒に遊び回ったので した。驚いたことに遊んでいると、女の子だった猫はちっとも寒さを感 じないのでした。とても開放的な気分になれたからといって、なにぶん 二匹は子供でしたから、いかがわしい遊びは一切しませんでした。ただ あちこちを走り回って追いかけっこしたりしました。どのくらいたって からか、女の子は言いました。『もうすぐおかあさんが帰ってくるから、 わたしも戻らなくちゃいけないわ』男の子は少し心残りのようでしたが、 しかたなく帰してやることにしました。女の子は来たときと同じように 窓から家に入って、外の白い猫に、『また一緒に遊ぼうね』と言いまし た。炬燵に潜ってしばらくすると、女の子は遊び疲れて眠ってしまいま した。おかあさんが帰ってきて女の子を起こしました。女の子はおかあ さんに、外で遊んできたことを話してあげました。白い猫と二匹して遊 んだことを話したのですが、おかあさんは笑ってちっとも信じてくれま せん。女の子はしかたなく、おかあさんのくれたおやつを食べると、 『わたし外で遊んでくるわ』と言って、元気良く外へ出ていきました。 おかあさんは喜んでいました。女の子は、あれは夢だったのねと思うこ とにしました。窓の外に残っていた二匹の猫の足跡は、誰にも知られず に新しい雪に埋もれて消えてしまいましたとさ」めでたし、めでたしと 言って、彼は自分で手をたたいた。僕は彼の入れてくれたコーヒーを飲 み込んで、僕の作ったやつを披露することにした。 「ある森にキツネが住んでいました。その中の一匹の子ギツネは、森 の美しさよりも空に憧れていました。木々を飛び交い、高い空を舞う鳥 に憧れていました。それで子ギツネは、くる日もくる日も空ばかり見上 げて過ごしました。他の兄弟達がおとうさんギツネに食べ物の取り方を 教わっている間も、その子ギツネはうらめしげに空を見上げていました。 ある時子ギツネはおとうさんギツネにこう尋ねました。『おとうさん、 僕達にはどうしてつばさがないの』するとおとうさんギツネは、『それ は、お前がおとうさんぐらいに大きくなったらわかるよ』と答えました。 子ギツネは、良く物のわかった言い方をするおとうさんギツネをとても 偉く感じて、きっとそうなのだろうとは思いましたが、それでも空を飛 びたいという夢はやっぱり日ごとに大きくなるのでした。空を見上げて ばかりいる子ギツネのところへ、他の兄弟達がやってきて言いました。 『どうして、そんなに空ばかり見ているの』すると子ギツネは言いまし た。『空を飛びたいんだ』兄弟達は口をそろえてこう言いました。『で きないことをいくら考えてみてもしかたないよ。その代わり僕達には森 の中を駆け回る足があるんだよ』それから何か月か過ぎて、子ギツネは 親離れする日が来ました。兄弟達と共に、子ギツネはおとうさんやおか あさんと離れて一匹で暮らしていかなければなりません。子ギツネはお とうさん達から離れたその足で、森の上を飛び回る一羽のタカを見つけ てあとを追いました。タカの巣のところまで追いついて、キツネは言い ました。『空が飛べて、素敵ですね』するとタカは、『上から見た森は 素晴らしいよ。でもわたしには、あの中を君達のように走り回ることは できない』キツネは一日森の中を、鳥を追って過ごしました。何日かそ ういう日が過ぎて、キツネはおなかがすいてどうしようもなくなりまし た。そのキツネは、兄弟達のように食べ物の見つけかたを教わるのを忘 れて過ごしてきたのでした。しかたなく、おなかがすいて疲れて、キツ ネは眠ってしまいました。夢を見ました。キツネは自分に羽がはえて空 を飛んでいました。高い上空から見た森はとても輝いていました。そこ では他のキツネやいろんな動物が走り回っていて、とても生き生きして 見えました。キツネはしばらく空を飛んで、そういう森を見て回りまし た。そこを走り回れることはとても素敵に思えました。よし今度は森の 中を、思い切り走ってやろうと思いました。けれどもキツネは、もう二 度と下へ降りることはできなかったのでしたとさ」めでたし、めでたし と言って、僕は手を叩いた。「しかし」と彼は言った。 「僕はもう童話を書かない」 彼が童話作家を廃業したのには理由があった。教訓めいた童話ならば 誰にでも作れる。しかし彼は夢ということを大切にしていた。ほのぼの とした優しさが、自分にはないのだと彼は言った。 どこかの未亡人に精も魂も吸い取られて書けなくなったという方が、 僕にはぴんとくる。すると、目の前で仰向けにひっくり返った女が彼の いい人であるような気がして、僕のいかれた原子炉が熱を出し始めるの を感じた。 −13− 代理物 リストを聞くなら、アルゲリッチはいまひとつだ。ましてアシュケナ ージなどもっての他だ。レコード屋をあちこちとクリダのハンガリー狂 詩曲を探し歩いた時期があったが、結局今も僕の手元にない。2千円で 買える安いミュージックテープが残っているだけだ。ドルビーなど用を なさない雑音だらけのテープだ。 幸いなことには、大学4年の時、英語一単位を落としたばかりにワー プロを一台持って大学を辞めていった友人にノクターンを録音してもら った。まだ世に出たばかりのメタルテープにかなりいい状態で残ってい る。ポロネーズしか知らなかった僕は、このおかげでショパンのノクタ ーンなら作品番号まで言えるようになった。 しかしクリダのリストは、『愛の夢第3番』しか聞けないことに変わ りはない。つまり僕の、いつもこうだった。風をひいた時に、咳止めの 薬しか飲めないようなものだ。 時代遅れのポマードを使っている室長は、頭の中まで時代遅れだった。 スプリング入りの椅子に胡座をかいて、毎日新聞ばかり読んでいた。 IEEEの論文でも読んでいる方がずっと気が利いている。もっともあ れには、椅子の座り方まで書いていないが。 僕は自分なりに仕事をした。チームなどというものはなかったから、 報告書のどこにホッチキスを当てるかさえ自由だった。何度突き返され ても、僕は結果まで手を加える気はなかった。 たとえば、研究室の端末で出力したプリンタ用紙の印字を見て、イン クの濃淡にまで文句をつける室長の陰険さには閉口した。 それでも僕が敢えて彼の忠告を無視したのには理由がある。やつのせ いで、僕の小屋のカーテンは臼汚い斑模様になってしまった。始めから 羊小屋にお似合いの壁の色と同色を選ぶつもりなどなかった。 むしろ僕が細胞だけの固体素子になってしまうには、山奥の研究所へ やられた方が良かったかもしれない。 少なくとも、室長のアトミズムと僕が実験の合間にやる一服との間に は、どんなアナロジーを当てはめることも不可能だ。 仕事が退けてから、およそホワイトラムなどには縁のなさそうな飲み 屋につき合わされることがあった。貧乏学生でさえ寄りつきそうにない その店で、室長はいつも説教した。僕は一度も返事をしたことがない。 ただ彼にとっての唯一の救いは、いつでも同じことしか言わないとい うことだった。たとえばこんな風だ。 「渋木くん、君は何年生まれだ。俺は10年生まれだよ。実に親子み たいなものだな。近頃の若いやつらはいったい何を考えているのかねえ。 うちの娘も君と同じ年だが、ぜんぜん家に寄りつかん。いい年なんだが、 結婚なんて馬鹿らしいと言うんだよ、これが。一人前のこと言って、し っかり仕事も続けているんだけどね。それが流行らしいんだが、本当か ね。女が25を過ぎて、結婚が馬鹿らしいと言うかねえ。仕事が終わる と仲間とどこかへ飲みに行ったりして、家に帰るのは俺より遅いんだよ。 怒って叱りつけても鼻で笑ったりするから、嫌になる。まったく昔は違 ったなあ。だいいち、男はもっと強かったよ、君。仕事もばりばりやっ たしねえ。遊びもうんとやったが、そればかりじゃなかったよ。近頃じ ゃ仕事より遊びだものねえ。世の中が何もかも飽和してきているのは、 こういうことが原因じゃないかねえ。俺達はおちおち定年にもなれない よ」 そうして室長は、自分の分だけ支払を済ませてさっさと帰っていくの だった。だが彼はいつか安心するだろう。室長の後には、同じように結 婚しない子供を持ち、おちおち定年になれないやつらが待っている。 淀んだ空気が身動きできない薄暗い通りを歩いていると、どこかの角 を曲がった拍子に街灯に照らされてそこだけ暖かくなっている夜を見つ けることができる。だから季節を感じられない。どこかの駅で電車を待 っていた。どの駅でいつの夜だったか知らない。とにかくある夜に、何 度繰り返したかしれないうちの季節を感じたことがある。冬だったか春 だったか、まったく覚えがない。 たとえば出来事だけを思い起こして、それがいつのことだったか時代 的背景を持たせることなどたやすい。誰もがよくやることだ。一番始め に思い浮かんだ時期を当てはめてやる。正しくても正しくなくても、同 じことだ。そうやって、代わりのものを持ってきて満足してしまえば、 それでおしまいだ。 (つづく)
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