空中分解2 #1464の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
−9− 方法論という殺人 孤独を感じることがない。全体を感じることもない。季節は突然移っ ていき、再び戻ってくるばかりだ。 煙草の煙で、体内の意識を燻り出そうとすることがある。何本吸って もそんなことは不可能だったけれど。 小屋の中に充満していく煙草の焦げる匂いで、立ち上がることさえ気 分を悪くする原因になりそうな夜だった。僕はまだ室長に、明確な回答 を言い渡してはいなかった。 階段を降りてくる音が聞こえた。ゆっくりと、何かを思い留まろうと でもするようでいて、着実に近づきつつあるようにも思えた。 田口が僕の小屋を訪れた。あの事件から何日たっていたのか覚えてい ない。扉を開けると、煙草の匂いが彼にまとわりついて、彼は驚いたよ うな顔をした。やあ、と言うと、彼はやっぱり来なければ良かったとい うようにかすかな後悔の表情を浮かべてうつむいた。 僕は無理に彼を部屋へ入れた。そういう予感を覚えていた。 ストーブをどけて、テーブルの端へ彼を座らせた。僕はなお口を開こ うとしない彼のために、お茶を入れてやった。どうぞ、と僕が言ってか らどのくらいの時間がたってからだろうか。彼の言葉はシンフォニーの ように僕の小屋を清め始めた。 「渋木さん、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」 「いいえ、迷惑だったのは田口さんの方だったんじゃないですか」 「わたしはとても恥ずかしい」 「どうしてです」 「わたしは、周囲が言うほど生徒達に影響を与えてなどいないんです。 いえ、責任逃れで言うのではなくて、わたしは担任であったというだけ で彼らに忠告や助言を与えてやったことなどなかったんです」 彼は、これほど長く言葉を吐き出すのに慣れていないようだった。ゆ っくりと、ため息をまじえながら話した。 「田口さん、今の生徒は教師にそんなことは期待してなどいませんよ」 「そんなことは問題ではないんです。忠告や助言を期待していないな んてことは、問題ではないのです。実際に事件は起きてしまった」 僕は窓を開けた。煙草の煙が息苦しかったからだ。 「恥ずかしいことですが、あのあともう一つあったんです。動揺した 女子の一人が自殺未遂の騒ぎを起こしたんです。場合が場合だけに、外 へ知れないようにしたんです」 大岡川は順調に流れているようだった。 「彼らは子供だったのだと思います。体ばかり大きくなっても、迷う ことに慣れていなかったのだと思います。迷いは悩みになり苦痛になり、 どうしても逃げ道を見いださないでいられなくなった」 天井を見上げると、煙が流れて行った。 「死ぬことがどんなことなのか、わたしは彼らに教えてやらなかった んです。わたしばかりじゃない、教師はみんな死について教え忘れてい る。死ぬことは逃げ道なんかじゃないんだということを」 気温だけを見れば、もう夏ではなかった。 「わたしは、死ぬことと殺すことを区別できないんです。あの事件で、 殺人が起こったということばかりが騒ぎの対象になってしまった。わた しは彼を良く知っている。あの子は、彼女を殺すことで自分が死ぬとで も思ったんですよ。恋愛ですって。人を愛することなんて、彼らが真剣 に考えるとは思えませんよ。彼はただ、死ぬことだけを考えたんです」 再び窓を閉め、カーテンを引いた。ストーブの熱を出す音が、部屋に 篭もった。 彼はしばらく黙っていた。僕の目の前に座っているのは、蝋のような 顔をした仔羊だった。痩せて、肩があるのかないのかわからないような 茶色の背広の裾を握り、彼は自分の中で言葉を追いかけていた。 「それじゃ、逃げ道は何だと思うんですか」 僕は思わず言った後、彼が冷や汗を流すのを見逃さなかった。白い顔 は青白く変わっていった。僕はこの機会を逃がすつもりはなかった。初 めて彼の小屋を訪れたときの、あの恐怖の復讐をするつもりだった。 「苦痛の逃げ道は死ぬことだと、僕は教わったことがある」 「そんなことは、わたしは教えていない」 「それじゃどうして彼は死を選んだのでしょうね。教師は生徒に、死 が最高の安らぎだと教えるものだと思っていましたよ」 「冗談じゃない。どこの世界にそんな馬鹿げたことを教える本があり ますか」 「知識じゃなく、知恵でしょう」 「渋木さん、あなたはまるで、わたしがあの事件を唆したみたいな言 われかたをする」 「田口さんは、何を教えていらっしゃるんでしょうか」 「少なくとも、死についてじゃない」 「ことさら、それを避けているとでも言いたいわけでは、ないでしょ うね」 「ええそう。避けてきたんですよ。わたしばかりでなく、教師という のはみんな、それを避けてきたんです」 僕はすでに勝ちを納めていた。彼はおそらく、めずらしく興奮してい た。僕は彼の顔を見ながら笑った。 「世の中で死ぬということを知らない人間はいませんよ、田口さん。 誰でもそれは教わっているんです。教師にね」 「何をおっしゃいますか。みんな、経験で知ることでしょう」 「苦痛を逃れる手段として、数式や本の中に方法を探しても無駄でし ょう。あとは自分で考えなさい、と教師は言う」 「できるだけの力を身につけさせる」 「じゃあ、自分の存在自体に迷ってしまったらどうしたらいいんでし ょうか」 「現実を見つめていける意志の力が必要なんですよ」 「そうやって、教師は逃げる。あなたがたは、いや田口さん個人を非 難しているわけじゃありませんので、わかって頂きたいのですが、教師 は大事なことを避けることで生徒の中にぽっかり穴を空けてしまうんで すよ」 「何ですか」 「結局最後は必要でなくなるものを、手段として植えつけてしまう」 「つまらない教育論でしょう」 「そんなことを言っているわけじゃない。あの事件にしたって、彼は あなたの顔を思い出しながら刺したわけじゃないでしょう。彼自身わか っていたんですよ」 「何のことを言ってるんですか」 「さあ、何のことでしょうか。少なくとも田口さんは、あのことで迷 うことも恥ずかしいと思うこともないでしょう」 「しかし、現にわたしは多くのかたに迷惑をかけてしまった」 「誰もそんなこと言いはしませんよ。田口さんが騒いだわけじゃない んですから」 彼が帰ってからもう一度窓を開け、大岡川の音を聞いた。脇の下に汗 をかいていた。いつもそうだ。わけのわからないやつと話していると、 妙に空空しく感じることがある。 普通の人間であろうとすることが、地獄を導いてしまうことがある。 誰が咎めようと勝手だが、人それぞれ方法が違うし見つけようとする目 的も違う。 鎌倉街道をトラックが通って行った。僕は読みかけの本を開いて読も うとして、新しくお茶を入れた。彼はどんな方法を取るだろうか。 中学校の時の、僕がそうだと言ったのに対してお前に尊敬などしても らいたくない、と怒鳴った背の低い太った教師を思い出した。あの屈辱 と裏切りは、今も僕の中で生きている。今ならば、あんたはどう言って 欲しいんだ、と聞き返してやることさえできる。 小学校の時には、お前なんか死んでしまえと言われたことがある。な ぜあの時あの教師がそれほど僕を嫌っていたのか、思い出すことができ ない。ただ、いつでも誤解の上に僕等の関係は成り立っていた。 廊下や職員室で立っていると、僕はとても恥ずかしい思いをしていた ような気がする。友人達にはわかってもらえるのに、彼等には理解して もらえないどころか、誤解されて怒鳴られた。彼等の馬鹿さ加減を表す だしにされているのが、とても恥ずかしかった。 この本を読んでみなさい、と何とかいう単行本を貸してくれた女教師 が、陰で、あの子は扱いにくいと話していたと、友達が教えてくれた。 僕は知らないうちに革命の火蓋を切った。何を変革させようという目 的などなかったから、失敗に終わった。再び恥ずかしい思いをした。方 法論を知らなかった自分自身に対してだ。 つまり僕は、逃げ出したいと思ったものに対して、それを手段として 選んでしまった。そして僕は学んだのだった。目の前に広げてある活字 の中には、自分を最も活かす方法を見つけだすことは不可能であること を。彼等は、仔羊を殺す方法を知っていた。しかし、その方法が自分達 の首を絞めることに気づいていなかった。 それから二度と彼等の手渡そうとする知識の中に、僕自身の方法論を 追いかけることはなかった。 つまらないことだ。どうして既成の方法論を捨てたのかと、過去を振 り返ってみるのは愚かだ。流れ始めた汗を止めるために、窓を全開にし てストーブを消した。 (つづく)
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「空中分解2」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE