空中分解2 #1463の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
−7− 太鼓の音 番人小屋の前は、明らかに夏だった。小屋の玄関の前の明りは、夕暮 れと言ってしまうには暗い闇に包まれているというのに、つけられては いなかった。無理に闇を作り出していた。 四、五人の忙しそうな男達に取り囲まれ、番人の娘らしい女が小さく なっていた。 僕と工藤は、彼女に挨拶すべきかどうか迷いながら、小声で声をかけ てしまった。彼女は迷惑そうで、一瞬ほっとしたように笑って見せた。 すると、回りの男達は僕等を振り向き、憎しみの篭った笑顔で敵愾心を 燃やし始めたように感じられた。 男達は僕等の小屋の前まで追いかけてきながら、わけのわからない言 葉で話し始めた。 「同じアパートのかたですか。田口氏のことはご存知ですか。あの事 件をどう思いますか。田口さんという人はどんな人ですか。あの人じゃ 話にならないんですよ。何を聞いても、はいとしか言わないんですよ。 頼りない感じを抱いたんですが、普段はどんな人ですか。ねえ、どうな んですか。彼の教師生活について話をしたことはありますか。普段の指 導に問題があるんじゃないかというのが大方の見解なんですけど、どう ですか。田口さんはよく高校生のありかたみたいなことについて話しま すか。恋愛ごとで殺人に至るなんていうのは、現代の高校生には不似合 いな感じがしますよね。生徒の方に問題があると思いますか。それとも 田口さんの方にあると思いますか。あるいは学校側全体にという見方も できますよね。これは今の進んだ高校生達には、どう考えても不釣り合 いだと思うんですけど、そうじゃありませんか。田口さんの教育方針、 という言い方は適当じゃないかもしれませんが、彼のやり方があんなふ うに現代に不釣り合いな、特殊な事件を引き起こしたとは思いませんか。 お願いしますよ、何かコメント下さい。同じアパートのかたでしょう。 田口さんという人は、どんな人ですか。教育ということに向いている人 だと思いますか。ねえ、あなた、どうなんですか。今後も同じ様な事件 が起きると思いますか。それとも、これは特別なケースだと考えますか。 学校側では...」 鍵をかけて、小屋の明りをつけると、しつこく扉を叩く音が聞こえて きた。まるで、あの日の祭り囃子に似ていた。部屋の真ん中でほおっと 息を吐くと、白く濁ってすぐに消えた。 ポケットからまるめたネクタイを取り出して放り出した。着替えをす る間、ずっと太鼓の音は鳴り続いた。頭の隅で、笛の音を思い描きなが ら、僕はしばらくじっとしていた。ふいに太鼓が止んだ。 湯が沸く間、僕はカーテンに金具を取り付けた。端と端にひとつずつ、 それから二等分する位置にひとつずつ取り付け、丁度いい数を終わると 最後に3個残った。 インスタントのコーヒーを入れた。濃い目のコーヒーには砂糖もクリ ームも必要ではない。泥のような熱いコーヒーから、汗を浮き出させる ように熱が放射した。 一口含み、カーテンを吊るした。小さな窓にそれは丁度いい寸法で収 まった。講談社現代新書と同じ色のカーテンは、壁と見間違うほど良く 似た斑模様だった。 安心してコーヒーを飲み干した。頭の中はからっぽだった。いつもは 何を考えるのだろうか、と考え始めた時、ノックがあった。良く聞き慣 れた工藤の声が言った。 「渋木さん、風呂へ行きませんか」 −8− 細胞のリズム 雨が降っていた、と思う。耳を澄まして聞き入るつもりはなかった。 何かの拍子にそれらしい音が聞こえてきたのかもしれない。その日は大 岡川のあの音は、恐らく雨にかき消されていた。 僕はテレビを見ていた。小屋の端に寄せられた画面の中では、女が泣 きながら歌っていた。理由のわからない、空空しい涙だった。無理矢理 に声を出そうとしながら、およそ楽譜になさそうなメロディを絞り出す 女を見ながら、僕は吐き気を催した。 その女はまったく音楽を知らない。僕は彼女が何年か前に、歌をやり 始めた理由を尋ねられた時、自分は歌が好きなんだと答えたことを思い 出した。しかし彼女は、音楽を知らなかった。 あるいは、この世の中のどこかに、好きというだけの理由で身勝手な 音程を繰り返す彼女達を賞賛するやつがいるかもしれないが。 僕は彼女の、泣きながら繰り返すリズム感のまったくない踊りを見て いるうちに、何もかもやる気をなくしてしまった。たとえばテレビまで 歩いていって、チャンネルを変えるということさえ馬鹿ばかしくなった。 歌い終わっておじぎをする彼女に、おめでとうと声を掛けるやつが映 った。何に対してそう言ったのか、彼にもわかっていなかった。一年に 一度は必ずこんな無意味を見物させてもらえる。そして、毎年のように 欠かさずそういった番組を見ていることに気づいて、僕は苦笑せざるを 得ない。理由などはまったくない。成りゆきだけで僕は、テーブルの上 に肘をついて、さらにその上に顎を乗せて見入っていた。 次に出てきたのは男だった。今年一年を通して、この男の歌を聞くの はこの日が初めてだった。つまり彼はそういう存在なのだろう。勝ち誇 って、醜い笑顔を隠そうともせずに歌っていた。 彼の歌はメロディになっていた。バックのバンドの音が少しぐらいず れてしまっても、彼の音程は楽譜に忠実だった。そのことだけで、彼に 賞をあげたことは正解だった。 尻切れトンボのように、何のまとまりもなく番組は終わった。何をし ようとしたのか、僕には理解できなかったが、一時間半が過ぎているこ とだけは確かだった。 テレビのスイッチを切り、僕は本棚の前に立った。何冊か一緒に手に 持ち品定めをした。読むつもりもなく買い漁った数冊が手の中にあった。 最終的に2冊を両手に選び、重さを計ってみた。 できるだけ時間を持て余すことのないように、一番重いやつを選んだ。 小説は僕にとってお茶のようなものだ。無意味のあとに、少なくとも体 を目覚めさせてくれる作用だけは持っている。何日かけて味わおうが、 味に変わりはないに違いないと思いながら、まず文庫本のカバーをはず して捨てた。 壁際に背をもたれかけ、読み始めた。題名はろくに覚えていない。 内容は単純だった。刑務所から出てきた男の復讐劇だった。短いパラ グラフをいくつか読み、僕は作者の名前を確かめてみた。この作者の本 は何冊読んだかしれない。そのうちのどれを取っても、この作家は季節 感を書き忘れている。それが、僕が彼を好んで選ぶ理由だった。 季節はいつでも不安定さを持っている。馬鹿ばかし過ぎるほどに、安 定感のないことを誇っているようにさえ感じることがある。僕の中にあ るのはいつでも夏だった。裸の女のポーズが浮き出している大判のカレ ンダーが、如月であろうと霜月であろうと、僕の体感は明らかに夏のあ の屈辱を思い起こさせてくれた。 僕は正体のつかめない、アメーバのように終始細胞分裂を繰り返す見 せかけだけの夏は嫌いだ。しかし、たとえばそれは季節が暗転すること が嫌いだというわけではない。 過去に、時間の流れとかいうものが、僕の中の苦痛を癒してくれたこ とがあったろうか。時間がたてばたつほど、苦痛は膝を折り、胡座をか き、石になるかと思えば骨折し、折れた骨が肉を刺す新たな苦痛を呼び 起こし、なおさら深く僕の中に根をはった。 つまり、僕の中の季節とはそういうものだ。絶えず形を変え、不安は 別の不安定さを導く。時の流れに節などない。 けれども、あとはすべて整っていなければならない。季節以外のすべ てのものは、確実でなければならない。見せかけは嘘で塗り固められて しまう。嘘は不安定だ。不定と言ってもいい。 たとえば僕自身の存在にしても不定のはずがない。数学的な方法論を 見つけられるなら、どんなに幸運だろうか。相対論でさえ、馬鹿ばかし いほど無数の定義の上に成り立っている。数学において定義を証明する ことは、僕の中で季節をより分けることと同じくらい難しい。 しかし、その方法を数式で表さずに見いだすことはたやすい。苦痛さ えあれば、どんな馬鹿にでも簡単に感じ取れる。 汗を流せばいいのだ。僕はいったいどれだけの量の汗を流したろう。 体の奥から雪が降るように、あるいは溶岩が溢れ出すように。 言葉はどうだろう。言葉というものが不定だと言ったやつは誰だった ろうか。現に僕はこうして考えている。 音楽でさえ、原始的な言葉だ。電子がICのあのゲジゲジの足から抜 け出して、小さな抵抗を通り、再び電源に辿りつくまでにシンセサイズ される音階でさえ。 言葉を言葉として知らないやつでも、オタマジャクシに変身してしま うことができる。人は誰でもホワイトノイズを隠し持っている。どんな 音とでもすぐに共鳴することのできる、鼓動だ。 再び僕は自分の奥深くから、あの音を聞いた。メロディのない、細胞 のリズムだけを繰り返す太鼓の音だ。同時に、頭の中には赤黒いアメー バが呼吸を始めた。量感がまったくないのに、手で押し潰そうとすると 鋼鉄のように頑なに拒絶する。透明感のまったくない大きな塊だ。しか し確実に呼吸を繰り返し、赤黒い斑は一点に集まりまた周囲に向かって 拡散し始める。完璧な生命体、完璧な細胞だ。 (つづく)
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