空中分解2 #1453の修正
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落日の家 (1) ごとう六花(リッカ) 暖かい診察室から待合室を兼ねた廊下へ出ると、ほてっていた頬から熱 が奪われていくのが分かった。 ゆっくりとした足取りで、山里鉄也は冷たい廊下のタイルを、一枚いち まい数えながら歩いた。 待合室にはたくさんの人が診察や薬を待ってベンチに腰を下ろしていた。 そこには大きなテレビが置いてあって、たくさんの人の視線が画面に集ま っていた。 鉄也は空いている座席がないか、立ち止まって辺りを見渡した。 ちょうどその時、すぐ前の人が立ち上がって薬局の方へ急いだ。鉄也はゆ っくりと腰を下ろして、持っていたコートを膝の上に置いた。 ほかの場所と違って、病院の待合室は掛けている人の話し声が小さくて、 テレビの音だけが目立っている。鉄也は背もたれから少し離れて、辺りを視 線だけで見回した。掛けている人たちはみんな寡黙がちではあったが、思っ たよりも表情は明るかった。そんな、みんなの表情を見ると鉄也は、いっそ う悲壮感が強まるのを覚えた。 山里鉄也が勤める会社へ病院から電話が入ったのは、ちょうど来客の応対 が終わって自分の机に戻ったところだった。相手は看護婦らしい女性の声で あった。 「山里さんですね。じつは、奥さんの富子さんの病気のことでお話したいこ とが・・・・」 そこまで聞いただけで鉄也は、妻の重大な病状を直感した。鉄也は、周り の人たちのことを考えて、つとめて明るく振る舞った。 富子が体調の異常を訴えたのは、新しい年が明けたばかりの正月二日の夕 方だった。 「ここのところわたし、どうも胃がもたれる感じで、なにを食べてもおいし くないのよ」 鉄也が、正月だから少しくらい付き合えと、富子の方へ銚子を差し出した ときに言った言葉だった。 「それなら、病院で一度詳しく調べてもらうといいよ。部長の妹さんも、半 年くらい前に、むねやけがして仕方がないからって医者に診てもらったら、 大きな潰瘍ができていてすぐに手術したそうだよ。もう少し遅れていたら、 胃に穴が空いてしまうところだったとか言っていた・・・・」 富子の詳しい検査の結果を、データを示しながら説明する医師の言葉が途 中から聞こえなくなった。 「悪性腫瘍の細胞が・・・・」 どこか遠くの方で、小さな医師の声がしていた。 「手術をしてみないと、どの程度広がっているか断定はできませんが、場合 によっては・・・・」 医師はいったん言葉を切って、もういちどカルテを見た。 「かなり広がっているかもしれません。とにかく早く手術をして取りきるこ とですね」 ベンチの鉄也は、コートを乗せた膝に肘を付いて、両手に頭を乗せて医師 の言葉を何回も心の中で呼び起こした。 齢の割りには白いものの目立つ鉄也だったが、心の中はまるで乱気流に飲 み込まれた飛行機のように激しく乱高下した。 しばらく頭を抱え込んでいた鉄也だったが、ただ悲しんでいてもどうなる ことでもないことに気づいた。そして、最悪の場合を想定して子どもたちの ことを考えてみた。 鉄也には三人の子どもがいる。まだ判断には少し無理がありそうな小学五 年の幸也を除いて、高校二年になる長男の寛太と中学二年の由魅の二人だけ に妻の病気のことを話した。由魅は激しく涙を流して悲しがったが、寛太は 長男らしく冷静であった。 「由魅、お前ももうすぐ高校へ入る齢だ。めそめそするんじゃない。お母さ んがもし万が一のときには、せめて弟の幸也が高校を出るころまでは、お母 さんに替わって家のことをやってもらわなければならないんだから、しっか りしてくれなくっちゃなあ」 鉄也は懇願するような表情で言った。 「幸也はまだ小さいので、お前たちと同じことは言わないで、ただ病気で入 院することになるとだけ話をしてあるから、お前たちもそのつもりでいてく れ。いいな」 富子の手術は無事に終わったようだが、医師の顔色はいまひとつ冴えなか った。癌の細胞がすでに一部肝臓にまで転移していて、余命はせいぜい一年 くらいだろうという話だった。 ところが、まだ四十に手の届いていない富子の手術後の快復は、想像以上 に早かった。三週間も経ったころにはもう外泊をもらって家に戻ったりして いた。 「お父さんも一度、よく診てもらっておいた方がいいわよ。早ければ、わた しみたいに切らなくても薬だけで治るって、先生が言っていたわよ」 性格の明るい富子は、由魅のつくった夕食をみんなと一緒においしそうに 食べながら言った。とはいっても、胃のほとんどを切り取ってしまった富子 には、乳離れしたばかりの赤子ほどの量しか受け付けなかった。 「やっぱり、家でみんなと一緒に食べる食事が一番おいしいわね」 富子は、五人の家族が揃って囲むテーブルの隅々までを見渡した。そして、 寛太と由魅の冷めた表情を感じ取っていたのだったが、それでも、富子の戻 ってきたことを満面で喜ぶ十一になる幸也の態度が嬉しくて、富子は三週間 振りの帰宅をはしゃいだ。 富子の勧めもあって、鉄也も胃の検査を受けることにした。とくべつ何の 症状も感じていなかったのだが、病院での問診票の質問に答えていて、たま に酸っぱい胃酸が戻ってくることがあることに気づいた。鉄也は検査の結果 が気懸かりだった。 四月に入って子どもたちはそれぞれ進級した。計画的ではなかったのだっ たが、小学中学高校と、三人の子どもがみんな最上級生になっていた。 寛太は大学の、由魅は高校のそれぞれ受験を控えていたし、富子も退院し て家の中はなんとなく張り詰めた雰囲気になっていた。 会社の仕事も忙しさを増していて、そのうちにと考えながら、鉄也は自分 で受けた検査の結果を聞きにも行けずにいた。 「お父さん。ほんとにお母さん癌だったのかしら? もう、すっかり元気に なってしまっているけど」 朝、一緒に家を出る由魅が、歩きながら鉄也に話しかけた。 「うん。本人はもう治ったと思い込んでいるから、痛みや苦しみさえなけれ ば、いつもの明るさを取り戻してしまうんだよ。ずうっと、このまま行って くれたらいいんだけどな。せめて由魅も寛太も受験が終わるまで・・・・」 鉄也は、自分の背丈と変わらない由魅の顔をちらっとのぞき込んだ。おか っぱ頭の由魅は、どちらかといえば鉄也に似ていると他人からいわれるが、 一人前の体に成長した娘と並んで歩くのが嬉しかった。 「そうだ、まだお父さんの検査の結果も聞きに行っていなかったな。今日は 少し早く会社を引けて、病院へ寄って来ようかな」 検査は消化器系が中心で、胃のレントゲン検査と血液検査だったが、四十 五歳の鉄也の体にはまったく異常は見られなかった。 「おれも、今は会社にとっても家庭にとっても、最も重要な時だから、病気 などしている余裕なんてないんだ。寛太もしっかり勉強して、目標の大学へ 確実に入ってくれよ。お父さんも頑張るから」 夕食の膳を囲みながら、鉄也はみんなの前で力強さを強調した。 「よかったわね、どこも悪くなくって・・・・。来年の今ごろは、寛太は大学生。 由魅は高校生。そして幸也はぴっかぴかの中学一年生。三人とも新しい学校 へ進学しているのよね。だから、お父さんには健康で頑張ってもらわなけれ ばならないのよね」 富子は嬉しそうな表情を鉄也に向けた。 「そうだ、今年はお金も溜めなければならないし、わたしもどこかいいとこ 見つけてパートにでも出ようかしら」 鉄也の力強い言葉に刺激されたのか、富子も元気な言葉を吐いた。 「お母さんは家に居てくれなくっちゃあだめよ。由魅もお兄ちゃんも、お母 さんが家に居るから安心して勉強ができるんだから。しっかり頑張れば、そ んなにお金なんて掛からないわよ。だから、ね? 働きになんか行かないで さ、家に居てよ。おねがい」 由魅は、富子の思い付きとも取れる考えをを諌めた。 薬を飲みつづけ、ひと月に一度の検査を受けている富子の体は、これが本 当に余命数ヵ月の体かと、家族のものたちも疑いたくなるほど元気だった。 例年なら、海のある新潟の富子の実家へ夏休みの期間出掛けていたのだった が、今年は二人の受験勉強があるため、末の幸也を説得して、どこへも出掛 けずに家にいた。 夏休みが終わって、子どもたちも学校へ通いだしたころ、富子は風邪を引 いて熱を出した。さいわい、たいしたこともなく治り掛かったころ、今度は、 元気だった鉄也が風邪を引いた。 「今日は会社を休んで、医者に診てもらったら? 咳も出ているし・・・・」 「だいじょうぶだろう。お前の飲んでいる薬をくれよ。すぐに治るさ。ここ のところ、夏期休暇の影響で、仕事が溜まってしまっていて大変なんだ」 鉄也の言葉どおり、忙しい会社の仕事が薬になったかのように、冴えなか った顔色も良くなった。しかし、小さな咳だけは相変わらず続いていた。 九月に入ってからも暑さは衰えなかった。手術から半年を過ぎた富子の体 は、いくらか艶が悪くなったかと思われたが、暑さのせいだろうと思わせて いた。 そんなころ、会社の定期健康診断が行なわれ、鉄也が胸のレントゲン検査 で、疑わしい影が見られるので精密検査を受けるようにと指摘された。 八月の夏風邪以来、時々ではあったが咳が止まらなかったこともあって、 鉄也は直ぐに検査を受けた。しかし、検査は一回では終わらず、レントゲン 写真をたくさん撮ったかと思うと、また数日して今度はCTを撮ったりもし た。 「右肺の上の方に、なにか出来もののようなものがあって、それが何である のか、まだ限定できないので、一度、内視鏡で検査をしてみましょう。悪い ものであってはいけませんのでね・・・・」 鼻の下に太い髭をたくわえた医師は、莫大な写真を示しながら説明した。 鉄也は、 「悪いものでなければ・・・・」 の医師の言葉が、富子の時に説明された「悪性」と同じであろうとは思っ たが、 「自分に限って・・・・、まさか」 と軽い気持ちで内視鏡検査を予約した。 つづく
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