空中分解2 #1082の修正
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★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「私はそのときから菜穂子とユキオを殺そうと思いました。 菜穂子が私に、ユキオを殺してほしい、と言ったとき、私は自分が菜穂子のためにな らなんでもするような気持ちに、一時にしろなったことにおそれを抱きました。もし私 が彼らから逃げ出せば、すんだことではあるのでしょう。 でも私は何のために自分がかれらから逃げ出さなければならないのか、いつまでも納 得がいかなかったことでしょう。とにかく、今の自分の生活をこのまま続けさせてほし い、私の中にあるのはその思いだけでした。 もう自分にとっては何も残されていない、愛すべき何者もいない。そのことは私にと ってこれから生きていくただ一つのよすがであったはずです。 そこへ菜穂子とユキオが出てきて自分の前に立ちはだかる。もう目の前からいなくな ってほしいのに、自分を彼らの生活の中にいやおうなく引っ張りこもうとする。 このままならほんとうにいつのまにか、彼らの意のままに動かされる存在になるので ないか。 を感じられるかもしれません。 でもなぜか、私にはしごく自明の事柄に思えました。 いまでもそれほどの違和感を感じることはありません。 どうしてなんでしょう。 やっぱり、どこかで有間皇子の言葉にとらわれていたのだと思います。 そういうことってあるでしょう、そちらへ行ってはいけない、いけないと思いなが ら、しだいに危険なほうに擦り寄っていってしまうことが。 私は菜穂子とユキオを殺すために綿密な計画を立てました。 まず、二人をどこで殺すか、それは彼らのマンションしかありませんでした。つぎに どのような方法によって殺すか、ふたりを相手に腕力でというわけにはいかないので、 何かの策略が必要でした。酒好きのふたりにはまず泥酔させるのがいいとは思いました が、アルコールだけでは心許なかったので、かなり酔わせたところでハルシオンを使う ことにしました。 私は六本木のディスコで知り合ったダチから二十錠のハルシオンを手に入れました。 『おまえ、ナンパするのに二十錠もはいらないだろう』 何も知らない彼は小さな薬瓶ごと手渡しながら、にやっと笑って言いました。 一人だけじゃないもんでな、と言うと彼は、あはは、と笑って私の背中をどやしつけ ました」 カズシが菜穂子たちのマンションにブランディーを持って現れたのは、その年の厳し かった寒さの冬が急に終わりを告げて、すっかり春めいた陽気となった日の夕刻だっ た。 菜穂子の店が休みなのは知っていましたが、ユキオがいるかどうかは分からなかった し、菜穂子の方も家にいるかどうかは分からなかった。 そのうちのどれかであることをカズシは内心望んでいた。 しかし、二人ともマンションにいて、いつものように隣近所に聞こえる大声で罵りあ っていた。 カズシは彼らの部屋の窓下でたたずんでいたが、意を決して階段を上がっていった。 チャイムを鳴らすと、予想と違ってユキオが出てきた。 「なんだ、おまえか」 ユキオの不機嫌な顔がカズシの前にあった。 「今日と明日、休みなもので、いっしょに飲もうかなと思って」 ブランディの瓶を差し出すと、ユキオの顔は急に気色満面、まるでカズシの体を抱え 込むようにして中へ招き入れた。 「おおい、カズシがきたぞ」 菜穂子はまだ喧嘩の余韻が覚めやらぬ面もちで台所の方から顔を出した。 「なんだよ、せっかくカズシが来たっていうのに、もっと愛想よくしてやれよ」「いつ ものことなんだから、隠すこともないでしょう。カズシクン、ユキオったらまた仕事や めてきたのよ。もう何回仕事変わったかしれないわ。すぐに給料前借りしてはやめてし まうのだから。それで私たちいま喧嘩していたのよ」 「そんなこと、言わなくたっていいじゃないか、カズシには関係のないことだろう」 「とにかく今夜は飲みましょう」 カズシが言うと、ユキオはそうだ、そうだとアイスペールやグラスの準備をし始め た。 「いつもこうなんだから」 菜穂子はもう諦めた表情で、自分もつまみの用意をしだした。 「カンビール、買ってくるよ」 カズシはそう言って外へ出た。 彼らに睡眠薬を飲ませるところまでは考えてあった。だが、どうやってそこまでこと を運ぶかは決めていなかった。 実際のところ、ここへ来るまで、今日彼らを殺すという実感はなかった。 しかし、今となっては今日やるしかなかった。 心の整理のためにも一人になりたくて出てきたのだ。 今日でなくてもいい。明日でも、明後日でもいい。しかし、彼らを殺そうという気持 ちに変わりはない。 だったら、そんな気持ちを持ち続けていくより、今日やってしまうほうがいい。 ま ずは眠らせてしまうことだ。 そう決めたら気が楽になった。 駅の向いにビールやジュースの自動販売機が並んでいるのを思いだして歩いている と、駅に一番近い高層マンションの一階に派出所があって、のぞくと若い警官が机に向 かって書き物をしていた。殺風景で青白い蛍光灯の明りばかりが部屋に満ちていた。 派出所の中というのは、どうしてああも白々としているのだろう、とカズシは思っ た。 菜穂子とユキオは正体なく眠りこけていた。 最後にブランディーに混ぜたハルシオンが利いたらしい。 さて、これからが大仕事だぞ、とカズシは自分に言い聞かせた。 どのようにして殺すかは決めてある。それは有間皇子が処刑されたのにならって、絞 殺でなければならない。 しかし、一人で意識を失っている人間を吊すのはなかなか大変なことは知っていた。 これについてはトマス・ハリスの推理小説からヒントを得ていた。 その小説では階段からつき落とす方法を書いてあったが、もちろんユキオたちのマン ションに階段はない。だから、階段の代わりに椅子を使うことに決めていた。 二人のうちどちらからにしようか迷ったあげく、ユキオを先にすることにした。もし 菜穂子を先にして手間取った場合、ユキオが気が付くとめんどうだった。 酔ってぐにゃぐにゃになった人間を椅子に座らせるのは思ったよりもずっと難しかっ た。 どうにか座らせて家から持ってきたビニール紐で背もたれに体をくくりつけた。天井 にこれもかねて用意のネジ式の大きなフックを取り付けようとして、しまったと思っ た。天井は薄い新建材で、とても人間の体重を支えられそうになかった。急いで捜した 末、リビングと寝室のあいだの柱を使うことにした。 首に三回ビニール紐をまきつけ、紐の先をフックに掛けた。しっかりゆわえて、今度 は体をくくっていた紐を解いた。 あとは椅子を外すだけだ。 本当にできるだろうか、カズシは自分に問うた。 ふと有間皇子のことを思った。 もう一度皇子の声が聞こえはしないか。 「もし彼の声を聞いたなら、私は自分の行為を中止したと思います」 と、カズシは私に言った。 それはそうだったのだろうという気がする。 彼はユキオたちを殺すという行為を、どうしても自分の意志にもとずいたこととしな ければならなかったのだ。 だが、有間皇子の声はついに聞こえなかった。 私はのちになって、カズシの検事調書を読ませてもらったが、彼は二人を殺してから も現場から立ち去らず、頭をくっつけるようにしてくびれ死んでいる 二つの体のそぼうぜんと座っていたという。 たまたま翌朝、未納になっている料金を取りに来たNHKの徴収員がドアを開けて、 事態の異様さに気づき、駅前の派出所にかけこんだのだ。 「これで私は先生に全部お話しました」 カズシは私の顔をじっと見ました。 「私は裁判になったら、今日先生に話したようなことは何も言わないつもりです。もち ろん私の調書にはそのようなことが一部書かれています。逮捕されたとき私の心は不安 定でした。やはり自分の犯した罪におののいていたのです。でも、私は自分のなした行 為の責任は自分で取ろうと思います」 「しかし、あなたの殺人には動機がない」 「いえ、やっぱり私は父の恨みを晴らしたかった」 「それならもっと早い時期に実行できたはずでしょう。たいていの場合われわれを突き 動かす強い感情は、時間と共に薄らいでいくものです」 「多加賀先生、殺人という行為は、一時の感情によって完遂できるものではありませ ん。何度も自分の中で繰り返していきながら、それが頂点に達したとき、現実と自分の うちなる行為の間に区別がなくなったとき、人は人を殺せるのです」 「・・・・・・」 「私はこのように裁判で主張するつもりです」 「それでも、あなたの弁護士はあなたの精神鑑定を要求することでしょう」 「先生、私は心理学や精神医学の専門家ではありませんが、精神鑑定というものが眉唾 ものにすぎないくらいは想像がつきますよ。人間の心の中まで見通せる学問などこの世 の中に存在するはずがありません。先生の論文の目的はそのことを明らかにすることに あったわけでしょう」 彼はそう言うと私の目を覗きこんでにやりと笑った。 ぞっとするほど孤独な笑いだった。 私はちょっとためらってから、観念して大きくうなづいた。 「それが聞けただけでも、今日先生に来ていただいてよかったです。私の長い話につき 合ってもらったことを感謝します」 彼は深々と頭を下げた。 私は二時間以上に及んだ彼との面会を終えて、外へ出た。 刑務所の重々しい門を出たとき、もう一度彼のいる建物を振り返って見た。 彼が私の後ろ姿を見ているような気がした。 何棟も並んだ古い煉瓦作りの建物は、そこに何百人もの人が起居しているのを感じさ せないほどの静寂のなかに、整然と建っていた。 公判が始まったら、もう一度彼に会いに行こうと思っていた。 一月ほどして、所長に電話したら、彼は今精神鑑定のために精神病院に留置されてい るとの返事だった。たぶん二月はかかるでしょう、という。 その後、私の方もある出版社に以前から依頼されていた原稿をいよいよ仕上げないと ならなくなり、彼のことを思い出す時間がなかった。 そして依頼原稿の校正が終わった日に、私はまた所長に電話を入れた。 「ああ、先生、彼ですか・・・・」 彼は言いよどんだ。 「まだ病院ですか」 「先生のことは彼も信頼していたようだから、お話してもいいでしょう、実は、彼は死 んだんですよ」 「死んだ」 「ええ、鑑定留置中に自殺しました」 「ジサツ?」 「ええ、病室で破いたシーツを使いましてね、首を吊って死にました」 「何か遺書がありましたか」 「何もなかったということです。それとね、これは本当にここだけのことですが、彼は エイズだったということですよ」 「エイズ」 「そう、入院中の検査で判明したのですが、どうも彼はそのことを知って、自殺したん じゃないかと思います。彼、新宿のバーで働いていたでしょう。外人客も多くて、そこ のマスターに聞くと、彼は結構誰とでも遊ぶタイプだったみたいですよ。勾留中は虫も 殺さぬ顔をしていたくせに、まったくいまの若いもんは何をしていることやら」 以前はカズシに好意的だった所長の言葉は、すっかり冷たいものになっていた。 だが、私はカズシがエイズのために自殺したとはみじんも思わない。むしろ彼は私に 会ったときに、すでにその決意をしていたのだという気がする。だからこそ、彼は心の うちを誰かに打ち明けておきたかったのだ。 私はカズシの年の割には沈着な話ぶりを思いだしていた。 カズシの取った行動はどんなふうにも説明することができよう。 精神分析医なら・・・ 幼くして母をなくした彼は、父とのあいだに健全なエディプス関係を持つことができ ず、持ち越された三角関係が菜穂子、ユキオとのなかに投影されて、その解消のため に、ふたりを殺害したのだと。 脳病理学者は・・・ 彼の幻覚症状はエイズウィルスの脳細胞への侵襲によるもので、たとえ自殺しなかっ たとしても、このような症状がみられたら、早晩彼は社会生活は不可能となったことだ ろう。 社会心理学者は・・・ 現代のような核家族化は、家族成員の一人がいなくなったりその役割をはたせなくな ると、たちまち家族が崩壊することを意味し、カズシのたどった道は現代社会が抱えた 問題の象徴である。 そうして私、メタ・メタサイコロジスト多加賀教授としては・・・ やめておきましょう、人間の行動に対するどのような解釈も、それが自分自身による ものであっても、欺まん的でしかない、というのが私の説の論理的帰結だったのですか ら。 <了>
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