空中分解2 #1081の修正
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「カズシクンじゃないの」 背後から声を掛けられた瞬間、声の主が菜穂子であることが分かった。 「やっぱりカズシクンだ。どうしたの、こんなところで」 菜穂子は何十年ぶりに幼なじみに出会ったように親しみをこめて言った。 カズシが咄嗟のことにどきまぎしていると、 「私たち、わかっているでしょうけど、ユキオと私なんだけど、この団地で住んでいる の。こんな所でカズシクンに会うとは思いもよらなかった。すぐそこだから寄っていき なさいよ、いいんでしょう」 そう言うと、カズシの手を取ってどんどん歩いていく。 そんなところは昔とちっとも変わらないな、と思いながら、菜穂子と暮らしていたの が、たかだか二年あまり前にすぎないことに気付いた。 初めて菜穂子の部屋にはいった。想像していたよりも片付いていた。ベビーチェアー にスヌーピーの縫いぐるみを座らせてあるのがこっけいだった。彼女は本当は子供がほ しいんじゃないだろうか、と思った。 ユキオはいなかった。 部屋の中を見回していると、キッチンにはいった菜穂子が、 「ユキオはね、新しい仕事を探しに行ったの。何やっても長続きしないのよ。あなたの お父さんの会社で働いていたころは、真面目だったのに」 あなたのお父さん、と聞いたとき、カズシはかすかな違和感を感じた。 「それでね、私、また働きに出ているのよ。だからカズシクンにも長くはいてもらえな いわ。六時には家を出ないといけないから。今度、ユキオがいるときにぜひ来てよ。ユ キオも驚くわ」 菜穂子の言葉には屈託はない。つい2年前は義理にしろ母だった、そして夫ともども 高校性の息子を置き去りにした、という後ろめたさはないらしかった。ユキオや自分の 生活ぶりについても、何も隠そうとしない。ぬけぬけとユキオに会わそうとさえしてい る。 そんな彼女にたいして、自分でも不思議なくらい憎しみや恨みは抱かなかった。 やっばり自分は有間皇子の恨みをはらすような立場には絶対ならないのだ、と思っ た。そして安心もした。 実のところ、もし菜穂子に会って殺意を感じたらどうしようという懸念をずっと持っ ていたのだ。 「お父さん、死んだんだって。私、お父さんには悪いことをしたと思っているわ。で も、私、結婚する前から、結局こんなことになるのじゃないかって思っていたの。だか らお父さんには正式に結婚しないでおきましょうって、何度も言ったの。ほんとよ。だ けどお父さんはカズシのこともあるからって言って、それで私も折れて籍を入れたの」 「いいんです、僕、別に何とも思っていませんから」 「そう、それを聞いて、私、正直言ってほっとしたわ。お父さんが亡くなったと聞いた とき、あなたのことをすぐに考えたの。そんなことになるなんて、思いももよらないこ とだったから。カズシクン、どうしただろうって、心配してたのよ。だって、短いあい だだったけど、私、カズシクンのお母さんだったわけでしょう」 カズシは答えようがなくて、黙ってしまった。 すこしだけ胸がじーんときた。天涯孤独になった自分を親身になって心配してくれて いた人が一人でもいたわけだ。 ごめんなさい、私、もう出掛けないといけないわ、そう言われるまでカズシは彼女の 部屋にいてしまった。 「ところでカズシクン、いまどこにいるの」 カズシは自分が住んでいるところと、働いているところを言った。 「じゃあ、今度カズシクンの店に行ってみようかな。かまわない?」 菜穂子はちょっとコケティッシュな感じで言った。 カズシは自分の働いている店の詳しい位置を、菜穂子が持ってきたメモ用紙に書い た。 菜穂子と一緒に家を出た。三田線で水道橋まで行き、そこで総武線に乗り換えた。菜 穂子は千葉行きに、カズシは新宿方面にと別のホームに上がった。先に菜穂子の電車が 来た。彼女は電車に乗るとこちら側の窓際に立って、ウインクをして手を振った。カズ シもつられて曖昧に手を上げた。電車が発車した。彼女の姿が見えなくなると、向こう 側のプラットホームがひときわうらさみしくみえた。 二週間くらいたって菜穂子がカズシの店にやってきた。 カウンターに座ると、 「なかなかいい店じゃない。やっぱり新宿ねえ、若い人が多いのね。錦糸町あたりはサ ラリーマン族がほとんどだけど」 と言った。 そして、カズシのボーイ姿をじろじろ見て、 「へえ、カズシクンもなかなか似合っているわよ。一緒に住んでいたときは、客商売な んか、とても出来そうにないモサクンだったのにね」 と言って、けたけた笑った。 「今日はそちらの店はいいんですか」 とたずねると、 「今日はカズシクンと飲もうと思って、休みを取ったの」 と言う。 「ユキオさんは」 「ああ、彼、一週間前から勤め始めた会社ね、ほら、風呂の中でぶくぶく泡を出す機械 ね、あれ売っているんだけど、その売り込みのために熱海まで行っていて、今日は帰っ てこないのよ。でもたいてい二、三月も続かないわよ、今の仕事だって」 べつに腹を立てているわけでもないらしい。 しようがないわね、まったく、と言いながら、まるで放蕩息子をかわいがる母親みた いだった。 カズシはマスターに頼んで、早めに仕事を上がらせてもらった。 「カズシも案外すみにおけないな、紋白蝶のママの次ぎはどこの店の女の子なんだ」 マスターはにやっと笑って、菜穂子のほうを見た。 そんなのじゃないんです、と言おうとしたが、関係を聞かれたら説明が大変だと思っ て、カズシは結局黙っていた。 二人でそれからディスコへ行った。そして、またべつの店で飲んだ。カズシクン、強 くなったわね、と菜穂子は彼の飲みっぷりに感心した。だが、カズシがそんなに飲んだ のはうまれてはじめてだったのだ。 どこでどう彼女とわかれたのか、カズシは覚えていない。 気がついたら、自分のアパートに寝ていた。 頭ががんがんして、ひどい吐き気がした。 流しまで這って行って水を飲んだ。 布団にやっとの思いで戻ると、遠くのほうで自分を呼んでいるような声がした。それ は気のせいのようでもあり、もしかしてまた有間皇子の声でないかとも思えた。 しかし、すぐに再び頭の中が白くなって、眠りに入ってしまった。 「カズシクン、今度ユキオ連れていくわね。彼ね、カズシクンのことを話したら、一緒 に店へ行きたいというの。たぶん、お酒飲めるからだと思うけど」 菜穂子からそんな電話があった。 それを聞いてカズシはちょっといやな気がした。ユキオにはあまり会いたくなかっ た。 心のどこかで、菜穂子が自分と会ったことをユキオには秘密にしているのでないか、 と勝手に考えていた。何か裏切られたような気持ちだった。 そして電話があって三日たって、菜穂子とユキオは連れだってカズシの店にやってき た。 ユキオはカウンターに座ると、おしぼりを渡すカズシが彼と目を合わさないようにし ているのに気付いてか、 「よう、カズシ、ずいぶん大きくなったなあ、これじゃ、町中で会ってもカズシと分か らなかったよ」 と言った。 だが、カズシにとってはユキオのほうの変わりようがよほど大きかった。もともと学 生時代からぐれて親を心配させていたのを、カズシの父が預かって世話をしたというい きさつがあったユキオだが、今はすっかり菜穂子のヒモという役割が板についていた。 ヒモというのは二人のときは女の機嫌を損なわないようにしているが、外に向かって は自分がどれだけ女に貢がれているかということを誇示したがるのだ。 酔うとユキオは余計に菜穂子の肩に手を回し、自分のグラスを彼女に差し出して飲め という。カズシには菜穂子がいやいやユキオの振る舞いに従っているようにみえた。 「カズシ、おまえも飲めよ。今日は俺がおごるからさ。この前は菜穂子と二人でだいぶ んやったそうじゃないか」 ユキオの目は次第に据わってきて、カズシを睨みつけるようにしてそう言った。 「そうよ、でもね、カズシクンはあんたみたいに酔いつぶれなかったわよ、ちゃんと私 を家まで送ってくれたわよ」 そんなことはカズシのほうは忘れてしまっている。そうだったのだろうか。 「カズシ、気をつけろよ、女は皆こんなふうに言って、男を自分たちの都合のいいよう にてなづけるのだからな」 二人は二時間ほど飲んで帰っていった。 ユキオが一緒に鮨でも食いに行こう、と誘ったが、カズシは店をあけれないからと断 った。 それほど飲んだわけでもないのに、ユキオは菜穂子にとりすがるようにして、だらし ない足取りで出ていった。 菜穂子はしかたないわ、といった表情をカズシにしてみせた。 それから菜穂子とユキオはときどきカズシの店に来るようになった。二人で一緒に来 ることもあるし、それぞれ一人でふらりとはいってくることもあった。 「カズシクン、ユキオが金を貸してほしいと言っても、彼には貸しちゃだめよ。けっし て返すひとじゃないんだから」 と、菜穂子は言う。 「カズシ、おまえ、東京なんかでいないで、早く大阪へ帰れよ。俺だって、もうすこし 若かったら、もう一度大阪で出直したいと思うぜ。菜穂子なんかにつかまったのが俺の 運のつきだ」 ユキオのほうはユキオのほうで一人で来るとそんなことを言う。 実のところ、カズシはふたりにうんざりしてきていた。自分のことは放っておいてほ しい。さきのことは知らない、今はけっこう楽しんでやっているのだ、それをああだの こうだのと、まるで家族面して言いやがる、過去のことは忘れてやると言っているの だ、目の前に出ないでくれ。 はじめは自分のほうから彼らのすみかを訪ねていったのだが、今は彼らの相手をする のが煩わしくなっていた。 そんなある日、店が終わるころになって、菜穂子がはいってきた。 「カズシクン、もうひけるんでしょう。今夜は私に付き合ってよ」 彼女はかなり酔っていた。 マスターがまたか、という顔をしている。彼は同業の女達が客として来るのが、本当 はすきじゃない。客にいびられる分をこちらで憂さばらしをするからだ。 「いいから早くつれ出してくれ」 マスターはそんな顔付きをして、カズシに目で合図をした。 しかたがないのでカズシは彼女を促して、夜更けの街に出た。 新宿の午前一時はいつものようにまだ喧噪のなかにあった。 「カズシクン、今日は私とホテルで泊まろう。いいでしょう」 「何言っているんだよ、ユキオさん、待っているんだろう、送るよ」 「あんなやつ、かまうものか、きっと今晩も帰らないよ」 菜穂子はカズシの手をぐいぐい引っ張って、ラブホテルの立ち並ぶ一画へ向かう。 「あのとき私は自分がほんとうに菜穂子と寝るのをいやがっていたのか、それともそう なることを心のどこかで望んでいたのか、いまもってよく分からないのです。ただ今考 えると、それは明らかに私達の破滅の道だったということなのです」 カズシはそれまでの冷静な態度から、ちょっと顔を上気させて言いました。 「たとえ二年余りの短い日々とはいえ、自分の母親となった人と関係することに、ため らいがあったことはたしかです。でも私はそのことには頓着しないつもりだったのです から、いえ、むしろ頓着しないことであの有間皇子の呪俎めいた言葉から逃れようとし ていたので、けっきょく私は彼女との一晩を持ったのです」 「それではやはりどこかで有間皇子の言葉にとらわれていたのですね」 わたしがそう聞くとかれは重々しくうなづきました。 「でも無我夢中の彼女とのセックスが終わったあとで、まどろむ私の耳元で彼女のささ やくような声を聞いたのです。ユキオを殺してほしい、そして私を自由の身にしてほし い、という彼女の声を」 「それは本当の彼女の声だったんですか」 私が問うと、彼の顔に一瞬激しい怒りが浮かんだ。 しかしすぐに彼は感情を押し殺した。 「あれは彼女が言った本当の声です。私は思わず彼女のほうを見ました。彼女は真上を 向いて目を閉じていました。でも彼女が眠っていなかったことは、彼女の子供みたいに 長いまつげがぴくぴく動いていたことでも分かりました」 このときカズシは有間皇子の言ったことがいつのまにか次第に成就されつつあるのを 知った。
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