空中分解2 #1065の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
残暑なんていう言葉が暑苦しいんだと思っていた9月のある土曜日の夜、ジープ仲間 のショーイチから電話がかかった。 「モンちゃん、我々も何かしなけりゃ、他の連中に負けちゃいますよ。明日の日曜日ど うですか、いいフィールド見つけといたんすけど、行きませんか?」 受話器の向こうのショーイチの声には明らかに焦りの色がうかがえる。まあ、そんな にムキにならなくてもいいだろ。たかがジープぐらいで。 「いいよ、行こう。でも、俺、相棒連れてくよ」 沈黙。ショーイチのいつもの癖で、気に入らないことがあるとだまる。今回はちょっ と沈黙が長い。 「いいすけど、あのなんていったっけ、ああ、クミコさん。でも、今度もトイレがない んすけど、だいじょうぶですか?」 「だいじょうぶだろ、日帰りなら。それより、レポートは済んだのかい?」 僕とショーイチはあるジープのクラブに所属している。クラブのメンバーはほとんど が社会人だが学生のメンバーも何人かいる。ショーイチもその中の一人だ。クラブの名 前は「ホワイトベア」。車体が白のジープの所有者だけが会員になれる。僕はパジェロ のショートボディ、ショーイチはランクル60。ショーイチは2年程前に親をだまして 手にいれたらしい。そのときの口実が「大学のまわりは道が悪いから」だそうで、いわ ゆるジープオタク。クラブの総勢は15人。名簿上ではそうなっているが、実際に活動 しているのは7、8人。ジープのクラブとしては極めて小さい。 ショーイチがなぜ焦って電話をしてきたかと言うと、秋にジープのクラブ対抗の競技 会が富士の裾野で開かれるのにあわせて、うちのクラブでも合宿をして備えようという ことになり、その週末、主だったメンバーは、競技会の会場になっている付近でキャン プをしながら、ジープの運転技術を磨くということになっている。社会人が多いから金 曜の夜に出かけて行って二泊するだけだが、どうせ飲み明かしているに決まっている。 僕ももちろん誘われたのだが、僕の銅版画の個展がやはり秋に決まっていて、ちょうど その週末は画廊との打ち合わせのために都合がつかなかった。ショーイチはレポートの 提出が近いとかでキャンプには行かれないと言っていたのだが、レポートはどうやらな んとかしたらしい。キャンプには行かれなかったが、じっとしていられなくなったのだ ろう。 トイレの話しというのは、一度クミコをクラブのキャンプに連れて行ったことがあっ て、男達に混ざって料理をしたり、片づけをしたりでメンバーには歓迎されたのだが、 キャンプ地が山の中でトイレがなかった。それで、余っていたシートでクミコ専用の簡 易トイレを急ごしらえしたのだが、「恐い」「出ない」「おなかが痛い」の大騒ぎで、 青くなった便秘性のクミコを真夜中に下の町のセブンイレブンまで連れて行ったことが ある。そのときのことを言っている。 ショーイチは電話口で不機嫌そうに合流場所を告げた。 翌朝、僕はまだ眠気まなこのクミコをひろってから指定された関越道のパークエリア でショーイチを待った。クミコが朝食がわりに飲んでいた缶コーヒーを自分の白いティ ーシャツにこぼして、自分が悪いのに僕が話しかけるから悪いとかさわいでいるところ にショーイチが現れた。 ショーイチのランクル60、通称ロクマルは朝日を浴びてひかり輝いていた。ワック スだ。規格はずれのぶっといタイヤも入念に洗い込まれて黒光りしている。おいおい、 野良仕事に行くのにお化粧はいらないんじゃないの。 「それで、今日はどこへ行くの?」靴を履き替えているショーイチに僕は訊いた。 こいつは車の中と外で靴を履き替える。新車のカローラのお嬢さんならかわいいね、 で済ませるが、ジープでねえ。 「荒川の河原です。中州にも渡れるから興奮しますよ」クミコに目で会釈しながらショ ーイチは答えた。クミコは「ショーちゃんにも」と言って買っておいた缶コーヒーを渡して「お久しぶり」と言った。 空は真っ青に晴れ上がっているが、高いところにスジ雲が見える。今日は暑くなりそ うだが、確かに秋も近づいている。ショーイチのロクマルが先導して僕らは目的地に向 かった。 めざす目的地に降り立ったショーイチはまず靴を履き替えてから、喜々として仕事に 取りかかった。ロクマルのリアハッチを開けてとなんと数十本のポールを取り出した。 ポールの先端にはナンバーを染め抜いた布がしばりつけてある。そのポールを巻尺で測 りながら間隔をあけて次々と河原に立てていった。河原といっても深くえぐられたよう な窪地もあるし、逆に小高く盛り上がったところもある。そんな地形もすっかりショー イチの設計図には織り込まれているようで、僕はただポールを手渡していればよかった 。クミコはと見ると、さっさと赤と黄色のビーチパラソルを開いてその下にシートを敷 いて本を読み始めている。僕が日陰がないといけないからと思って持ってきたのが正解 だった。もっともクミコは「ハンモックが欲しかった」そうで、最近ずうずうしさが増 してきた。 僕とショーイチはかわるがわるにそのポールくぐりをやってはタイムを取った。ショ ーイチはそのタイムをポイントに換算して表に書き込んでいる。ふう、ちょっと疲れて きた。 「次は湿地走行です。あそこから、あそこまで、約百メートル湿地になっています。そ こを何秒で走れるかを競います。分かっていると思いますが、途中での急加速やギヤチ ェンジは禁物です。スタックしますからね。タイヤの性能を信頼して、一定速度で走り 抜けるのがコツです。いいですね?」 はいはい、先にやって見せてよ。 ショーイチはスタートラインを示す赤いポールのところまで行くと窓越しに親指をぐ いと立てた。準備OKの合図だ。僕はショーイチから渡されたトランシーバーに向かっ て「スタート」を言うと同時にストップウォッチのボタンを押した。ロクマルが跳ねる ように加速していく。湿地に入った。さすがだ、まさに滑るように走り抜けていく。し かし、なのであった。丁度半分ぐらいの地点に来たときに事件は始まった。ゆっくりス ピードを落としたロクマルはついに止まってしまった。止まると同時に四つのタイヤ下 部から猛烈な勢いで泥や砂利が後ろに巻き上げられている。焦ってふかしているのだろ うが、車体は沈んでいくばかりで前には少しも動かない。スタックだ。 「モンちゃーん、やっちゃいましたよ、へへへ」トランシーバーのショーイチの声にさ っきの自信は聞き取れない。口ほどにもない。さあ、僕の出番だ。 「ウインチするから、降りて来いよ」僕のパジェロにウインチがなかったらどうするつ もりだったんだ。 それでも諦めきれないショーイチは車から降りて、そのまわりを一回りしてから首を 傾げながらやってきた。見ると中履き用のデッキシューズを履いたままで、それが泥ま みれ。相当あわててる。 ウインチの作業は想像するほど簡単ではない。当然の事だがどちらかが完全に固定さ れていなければならない。そのうえ、車に付いているような小さなウインチの場合はワ イヤーを確実に巻き取っていくために細心の注意が必要になる。ワイヤーは60メート ルぐらい延ばせるが、そんなに繰り出してしまうとなにかの拍子でブレた時にドラムか らはずれてしまって取り返しのつかないことになってしまう。だから、引く物をまっす ぐに引けるような方向を見つけ出し、なるべく近くまで寄って、しかも足場を完全に固 定する。真剣に、少しウキウキと、僕らは足場を確認した。こういうアクシデントがあ るからジープはやめられない。 「よし、ここだ。ワイヤーをかけるぞ」僕の声がこころなしか大きい。 「はい!」うむ、良い返事だ。 「ねー、おなかがすいたー」あちゃー、クミコだ。ビーチパラソルの中から本をメガホ ン代わりにして叫んでいる。腕時計を見ると2時半だ。無理もない。ここで何も与えな いでおくと後が恐い。いつまでもかみつかれる。しかたがないのでウインチは休戦にし てヒルメシにするか。なんせ、朝、出かけるときに「どこいくの?」と訊くから「いや 、ピクニックみたいなもんだ」なんて答えておいた手前、ヒルメシ抜きはまずい。 「ねえモンタ、おいしいものを食べさせて」この状況が理解できているのかねえ。いや 、このコに説明しても無駄だ。早いとこ、ビーフシチューとサラダあたりを食べさせて しまった方がよい。僕はキャンピング用品を車から引っ張り出して、料理にかかった。 しかし、ヒルメシを食べながら一応クミコにも話して聞かせた。ウインチは難しい仕 事であること、危険が伴うこと、非常に良い訓練になること。 「ふーん」やはり無駄だったか。 ショーイチは「早くやっつけましょう」とせっつくし、クミコは「食べたらお昼寝で もしない?」と訳の分からない事を言うし、ううっ、フランスパンが喉につかえるだろ が。 さあ、ウインチだ。 スタックしているロクマルと僕のパジェロの間は約10メートル。ショーイチがロク マルに乗り込んでエンジンをかける。ウインチの力はそんなには強くないから少しでも 地面をグリップした時のために、準備しておく必要がある。パジェロのウインチは機械 式の物なので僕は運転席からウインチを操作する必要がある。そうすると一人足りない 。見張り役だ。きちんとワイヤーが巻き取られているかどうか見ていてなにか不測の事 態が起きたときにはストップサインを出す役目だ。この役は結構危険で、万が一ワイヤ ーが切れたときなどはそのワイヤーの端が飛んで来たりするので、少し離れて、出来れ ばヘルメットなどをかぶる方がよい。 「クミコ悪いんだけどさあ、このあたりにいて見ててくれないかなあ。それで、ワイヤ ーがあそこからはずれそうになったらこれで教えてくれない?」僕はショーイチのトラ ンシーバーをもぎ取って、クミコに渡し、その操作方法を教えた。 「いいわよ。つまりわたしは難しい仕事をするってことでしょ?」そうそう、この際な んでもいい。 僕はパジェロに乗り込んでエンジンをかけクラッチをいっぱいに踏み込んだ。次にウ インチ用のギアを入れてからショーイチに向かって親指を立てた。ショーイチも合図を 返す。右手でトランシーバーのレバーを押して、 「じゃあ、いくよ。クミコ、聞こえてる?」 「聞こえてるわよー」 よし、これで準備OK。僕は徐々にクラッチをつなぐ。たるんでいたワイヤーがピー ンと張ってきた。ぐらっとパジェロが揺れる。ロクマルももそっと動いた。あんなでか い図体してるからはまるんだ。近づく近づく。ゆっくりだぞ。ショーイチの顔がはっき り見えてきた。成功だ。それにしても揺れるもんだ。僕はクミコに向かってVサインを 出した。 その時、トランシーバーにクミコの声が飛び込んだ。 「ばーかね。なに喜んでるの?」ええっ?なにって? 僕は急いでショーイチを見た。バツ印を出している。 「降りてきて見てご覧なさい」 僕はあわててギアをもどし、車から飛び降りた。降りたところはぬかるみだった。い ったいどうしたんだ。パジェロの後ろには深いわだちが続いている。つまり、引っ張っ たつもりが相手が動かず、自ら近づいたというわけか。それにしても、しっかり車止め の大きな石をはさんでおいたのに、あれはいったいどこだ?石も途中まで引きずられて 来ていたが、はずれて脇に転がっていた。結論として、僕らが固い地面と思ったその少 し下はぬかるみだったのだ。 いやな予感がした。僕は急いでワイヤーを始末してから、パジェロに飛び乗りバック ギアに入れた。タイヤは泥の中で空回り。スタックだ。ああ…二台とも…。 僕はクミコの方を見た。クミコの背中に大きな夕日が沈んでいく。その逆光の中で、 クミコがうなだれて肩を震わせているように見えた。確かに泣いている。そうだ、これ では家に帰れない。 「だいじょうぶだよ。最後の手段でJAFを呼ぶから。それに遅くなるようならクミコ だけ電車で帰ればいいんだし」僕はなきじゃくるクミコの肩を抱いてそう言った。 「違うのよ。わたし、ずっと見てて悲しくなっちゃったの。わたしたちみたいでしょ、 あの二台の車。ちっとも泥沼から抜け出せない」 僕らが深刻な人生の話しをヒソヒソしているいい場面にショーイチが割って入って来 た。 「JAFなんてとんでもないすよ。ジープ乗りの名折れですよ。少しスコップで掘って いけば固い層がでてくるかもしれないし」掘りたい人はどんどん掘ってブラジルへ行こ う。 僕とクミコは来るときに見かけた公衆電話まで走った。20分かかった。そこを動か ないでくれというJAFの指示にしたがって待つこと1時間。とっぷりと日は暮れた。 「JAFは道のあるところしか行かないんですがねー」という作業員をなんとか説き伏 せて現場に戻るとショーイチはやはり掘っていた。 JAFのウインチ車はすごい。ライトで照らしながら、軽々と二台の泥まみれの白い ジープを引っ張り出した。この際いやみのひとつやふたつ聞き流そう。 ショーイチは不機嫌だ。その後もずっと黙ったままだ。ただ一言「仲間には黙ってい てくださいね、今日の事」といって、その場で別れた。自尊心を傷つけたかな。 クミコも帰りの車の中で黙っていた。どうもさっきの事を思い出しているらしい。 こんな事もあろうかと、僕は小道具を持ってきた。洋菓子店『菓子の樹』のミルフィー ユだ。クミコの大好物。信号待ちの時間を使ってアイスボックスを引き寄せ、ひとつ取 り出して「食べない?」と訊いた。 「今、いらない」あっ、そっ。いいよ自分で食べるから。僕は左手にミルフィーユを持 ったまま一口食べた。信号が青になる。シフトレバーを入れた瞬間ミルフィーユが手の 中で潰れた。あわててエンスト。手をなめたりしていたら、うしろからクラクションの 砲撃。クスッとクミコが笑ったような気がして横を見るとウェットティッシューを差し 出している。 「子供みたいね」 完
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