空中分解2 #0988の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
篠突く雨の降る夜半、ひとりの老女が死んだ。たった一言の遺言を、血のつなが りさえない二人の兄妹に託して。 遺言の内容はこうだ。 息子を殺せ。 1 花吹雪が粛々と闇の中へと溶けていく。赤煉瓦の敷きつめられた歩道いっぱいに 濡れた花弁が広がる。春がすみに星の煙る夜半――男が一人、公園通りを抜ける遊 歩道を歩いていた。 身長は、優に二メートルをこえている。分厚い筋肉がその巨体を鎧う。その巨体 を感じさせない、軽々とした身のこなし。そして、一見ただのんびりと散策を楽し んでいるだけのような歩き方だが、その陰には一分の隙もない獰猛な野獣の凶気が 充ちている。肉体に刻みこまれた、無意識の凶気。 角刈りに短く刈りこんだ頭髪。太い眉が、この男の意外に端正な顔立ちによく似 合っている。 時折、横目で背後の気を探り、皮肉っぽい笑みをその唇に刻みこむ。 男はそうして、桜吹雪の中を黙々と歩いていた。 公園を色彩る白桃の春も、昨夜から今朝にかけて降りつづいた雨のせいで、あら かた枝を離れてしまっていた。おそらくは今日か、明日中には葉桜となりかわって しまうのであろう。 と、ふいに、男は立ちどまった。 「悪かったな、一時間もひきまわしちまってよ」 背後の闇に向かって話しかけた。口もとにニヤニヤ笑いが浮かんでいる。 「深夜喫茶でコーヒーでもおごらせようと思って捜していたんだが、見つからな くてよ。このあたりは店の閉まる時刻が早いなあ」 感心したように言う。 答えは、闇の中から返ってきた。 「おれは貧乏人でね。残念ながら奢るような金はもっちゃいない」 ほ、と男は短く笑った。 「そいつァ残念。いや、運がよかったというべきかな。コーヒーを注文しちまっ てから、いつまで経ってもあんたが現れないとなったら、困るのはおれの方だから な。なにしろ、おれも一文なしでね」 金を持っていないことを自慢するような口調だった。 その口調が次の瞬間、口もとに微笑だけを残して、がらりと一変した。 「姿を見せろよ。暗闇と会話するのは、仕事の時だけで充分だ」 不可解な台詞に見合った鋭い光を放つ双眸が、闇にすえられた。 間をおいて、遊歩道を照らす水銀灯の光の中に、ひとりの男が歩を踏み出した。 長身である。正対した巨漢には比すべくもないが、それでも百九十はありそうだ。 うす汚れてすりきれ、変色しかけたTシャツに覆われた筋肉の方は、巨漢と比べて も遜色はない。肩口に引っかけたよれよれのコートが、涼やかな風を受けてゆらゆ らと揺れている。 髪も顔も、着ているものと同様汚れ放題だが、磨けばその下には精悍で整った容 貌が現れるだろうことも容易に想像がついた。 「だれだ、てめえ」 値踏みするような視線をひとしきり送ってから、巨漢は訊いた。 「浄土武彦」 男は答えた。 「ほう」巨漢の顔におもしろがっているような表情が沸いた。「噂には聞いたこ とがある。おれの名は蒼龍ってんだ。よろしく頼むぜ」 「知ってる」浄土武彦はむっつりとそう答えた。「有名だよ、この世界じゃな。 “呪殺屋”蒼龍の名前は」 「感激だね」 巨漢――蒼龍は、ニタリと笑った。 「で、おれになんの用だ?」 「受け取りにきたのさ」 「ほう。なにを?」 「人形だよ」 「なるほど。人形か」 「そうだ」 「あれはだめだ」 「なぜだ?」 「商売に使うんだ。あれは使える」 「そんなところだろうよ」 つぶやくように言うと、武彦はコートのポケットから煙草を抜き出し、火をつけ た。 「おれにもくれよ」 そう言ってごつい手をぬうと突き出した蒼龍に、武彦はにべもなく「いやだね」 と答えた。 「ケチな野郎だな」 「さっきも言ったろう。おれは貧乏なんだ」 と言って胸を張る。 「煙草の一本や二本、ケチケチすんなよ」 「やってもいいぜ」 「……次になにを言うか予想がつくな」 「人形と交換にな」 「ほうれみろ、思ったとおりだ」と自慢げに鼻を鳴らし、「しかし、それじゃち と高すぎる買物だ」 「じゃあやらない」 「なんて野郎だ」 巨漢の言葉に、武彦はニヤリと笑った。 ひとけの絶えた公園通りの一角に風が吹き、またひとしきりの桜が闇に舞う。 「遺言があるぜ」 武彦が言った。 「だれの?」 「陣内遥のだ」 「ほう。あの婆ァ、ついにくたばったか」 「とぼけるなよ。殺したのはおまえだぜ」 「そうだったかな」 「そうだ」 「じゃあそういうことにしとこう」 人を食うように言った。得体の知れない男である。 対して、声を低く抑えて話す武彦の双眸には、燠火のようなものがちらちらと見 え隠れていた。 「母親だったんだろう」 静かに訊いた。 「ほう」蒼龍はとぼけるように鼻の頭をぼりぼりと掻いた。「あの婆ァがそう言 ったのか」 「初耳だったぜ。あの陣内遥――“仏の”遥婆さんの息子が、悪名高き呪殺屋蒼 龍だったとはな」 「おれも忘れてたよ」 「娘がいるってことは知ってたがね」 「らしいな」蒼龍の顔からは、いつの間にかあの、人を食ったような笑みが消え ていた。「遺言を聞こうか」 武彦はうなずき、そして言った。 「呪殺をやめろ、以上だ」 「ふん」鼻で笑った。「予想はついてたがな」 「返事を聞こうか」 「聞いてどうする?」 「返答次第では、おまえを殺さなきゃならん」 「それも婆ァの遺言か?」 「そうだ」 武彦の答えに、蒼龍は鼻をふんと鳴らして星空を見上げた。 満月の夜だった。暖かい春の風が二人の男の傍らを吹きぬけていき、歩道に散っ た花びらにくるくると輪を描かせた。 「この商売はな」と、蒼龍は天を見上げたままつぶやくように口を開く。「麻薬 みてえなもんだ。一度踏みこんじまったら、もう二度と抜けられやしねえ」 再び武彦に視線を戻した時、その顔はもうもとのニヤニヤ笑いに戻っていた。 「殺すか? おれを」 それには答えず、武彦は根もとまで吸い終わったハイライトを泥のこびりついた 小汚い靴で踏み消した。 そして、言った。 「人形を渡せ」 「だめだね」ニヤニヤ笑いが一層歪んだ。「あれはまあ、遺産だな」 「実の母親をぶち殺して盗んだ人形が、遺産か」 「そういうことだ」答えながら、蒼龍は二歩三歩、後退った。「――やるか?」 空気が、ガラスのように凍結した。 蒼龍は足を肩幅より少し広めに前後に開き、かかとを地面から離して構えた。 対する武彦の構えは、やや変則的だ。両掌を眼前で交差させ、スタンスは右足の かかとを前足の線より後ろ外側に出るほど深く引いて取っている。 暖かく溶けはじめたはずの春風が、冷気を含んで二人の周囲に巡った。 吹き上がった花弁が渦を巻き―― しゅっ、と、空気が鳴った。 それが合図だった。 蒼龍の太い腕が鞭のようにしなりながら、風を裂いて武彦のこめかみを強襲した。 反り返った頭上を、ごつい拳がぶんとうなりを上げて掠め過ぎる。 さらに、第二撃。 ぐいと大きく一歩を踏みこんで胸部に正拳をくり出してくる蒼龍に対して、武彦 の身体が小さく後方に回転した。 反転する武彦の支点となった二本の腕に、蒼龍の放つローキックが鋭く切りこむ。 間一髪、爪先が空を薙いだ時、武彦の反撃が開始された。 反転を終えた、と見えた瞬間、態勢を整えるそぶりも見せずに武彦の全身が弾丸 のように蒼龍を襲った。 身構える暇もなく、電光石火の勢いで突っこんでくる武彦に、蒼龍は背筋に冷た いものが奔るのを覚えた。出るも退くもならずに立ちつくした蒼龍の胸板めがけ、 武彦の掌底が突き出される。 錐のように鋭い衝撃が突き抜けるのを感じた時、蒼龍の巨体は後方に向けて飛ば されていた。 桜の幹に強烈な重圧をかけて、巨体の動きが停止する。息つく間もなく、ぐん、 と深く沈んだ武彦の蹴りが突き上がるのを、巨漢は胸前で十字に組んだ腕でかろう じて受けとめた。 フェイントだった。突き上げた脚はそのまま、ふわりと武彦の身体が舞い上がる。 長身が空中でゆるりと旋回したと見るや、刃の鋭利さを乗せたハイキックが蒼龍の 延髄に切りこまれる。 鋭い音が響いた。 武彦の右脚と、蒼龍の左腕とがぶつかりあった時に、上がった音だった。 重い衝撃が野太い腕に拡散した。 が、蒼龍はその絶好のチャンスを見逃すようなへまは演じなかった。 落下する武彦の身体に、巨大な膝が吸いこまれるようにして突き上がる。 腹腔に振動が叩きこまれ、続いて痛覚がぐわりと爆発した。 ごふっ、と、武彦の喉が音を立てた。血塊が口腔を押し破ってあふれ出す。 どさりと地に伏して躯をくの字に折り曲げた武彦に向けて、蒼龍の巨大な拳がう なりを上げた。 己が勝利を、確信した。 見方を変えれば、それは蒼龍を襲った明白な油断の瞬間でもあった。 視界から、苦しげにうめく武彦の姿が消失した時、野獣の勘が後退を命じなかっ たとしたら、勝敗は決していたにちがいない。 銀光が閃き―― 朱線が、蒼龍の額に刻まれた。 思わず漏れ出たうめき声は、苦鳴というよりは己れの油断を悔いる自戒であった のかもしれない。 「てめえ」しぼり出すように蒼龍は叫んだ。「刃物かよ。せこい真似しやがる」 武彦は、右手の掌中に握った黒鞘の懐剣をゆっくりと眼前に移動させていきなが ら、ニヤリと笑った。 「殺しあいだぜ、陣内蒼龍」 「そうだったな」蒼龍も笑った。肉食獣の笑みだった。「そのつもりだったんだ がな。過小評価していたか」 そのまま、膠着状態になった。 刃物を手にした分、武彦の方が有利になった、とはいえない。相手は超絶的な格 闘術を極めている巨漢だ。リーチと身長の差も考慮に入れなければならない。攻撃 をかわされれば、一撃必殺の巨拳が迷うことなく急所に叩きこまれるだろう。そし てその事情は、蒼龍にとっても同様だ。 時が凍結した。 急激に冷えこんだ夜気の底で、風だけが動いていた。 音もなく―― 移動していた。 二人同時に。 傍で見ている者があったとしても、その移動がいつ開始されたのか理解に苦しん だにちがいない。それほど自然で何気ない動作だった。 円を描きつつ、戦場が徐々に動きはじめる。歩道を外れて桜並木の間に分け入り、 土を踏む音だけが弧を描いて粛々と流れた。 不規則に立ち並ぶ樹木や張り巡らされた柵の類も、二人のリズムを崩すことはま ったくなかった。それは、互いの命を賭けて交わされる死闘とは、到底見えなかっ た。精緻に計算されつくした、息のあった舞のようであった。 そのリズムが、ふいに崩れた。
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「空中分解2」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE