空中分解2 #0982の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
初めて犬を飼ったのは私が9歳の時である。 ある日小学校から帰ってみると、子犬が玄関にちょこんと座って いた。 私は、さっそく子犬を抱き締めて挨拶をかわした。可愛い秋田犬の 子犬だった。 「血統書付の犬だから大事に扱うんだよ」 と母がいった。何でも四千円ほどしたそうだ。今から25年以上前 の四千円だからかなりな値段である。今でいえば四万円くらいだろ うか。 もっとも今にして思えば、この血統書付というのが本当かはすこ ぶる疑問だった。なぜなら、私はその血統書なるものを見てないの である。本当は雑種の犬だったのかもしれない。 でも私は血統書付の犬が家に来たということが得意で、学校でも、 家の近所でもおおいに話まくったものだ。 犬の名前は「みつ」と決った。これは私がなずけた。「光」と書 いて「みつ」と呼ぶのである。 みつはおとなしい犬で、普通なら貰われてきて何日かは夜泣きをす るものなのにワンともいわなかった。玄関の土間に作られた寝床に 長々とのびて、ただじっとしていた。 当時子供たちの間では、いい犬か、駄目な犬かの鑑別法というの があった。それは、犬の尻尾をもって持ち上げて、鳴いたら駄目な 犬、鳴かなかったらいい犬であるというものだ。 この方法を早速みつに試してみた。すると何にも鳴かないではない か。 (さすがは血統書付の犬だ) 私は誇らしく思った。 しかしこれは評価のしすぎだったようである。なぜならみつがだい ぶ大きくなって、小学生の力では持ち上げるのに苦労するほどにな ってもいぜんとして鳴かなかったからだ。我慢強くて鳴かないので はなくて、単に鈍感だっただけのようである。 今から25年も前というと、都会ではどうだったかしらないが、 すくなくとも私が住んでいた、九州の炭鉱地帯では犬は放し飼いに なっていた。 もちろんみつも放し飼いにされていた。鈍感な割には結構活発な犬 で、朝めしを食べるとどっと外に飛びだし、夕方になるまで帰って こなかった。どこで何をしているのかしらないが、犬にとっては理 想的な環境であることは確かだった。 こうして、みつはいつのまにか我が家の家族の一員になっていっ たのである。 みつとの楽しい生活はおよそ一年続いた。そして突然断ち切られる ことになった。 母親の勤めていた炭鉱が閉山になって、一家をあげて大阪に移住す ることになったからだ。 最初当然みつも一緒に行くものと思っていた。ところがよく話をき いてみると、大阪で住むところでは犬を飼ってはいけないという決 りがあるらしいのである。だから、みつを連れてはいけないという ことだった。 それを知って、私は泣いて抵抗した。でも無駄だった。どうして もみつを一緒に連れていくわけにはいかないというのだ。 とうとう私も諦めた。炭鉱が閉山して大阪に出るしかない事情は小 学生の私にもよく分かっていたからだ。 みつは近くの親戚のひとに引きとられることになった。 そして別れの日がきた。 荷物はすでに大阪に送ってあり、その日は身の回りの品だけ持って バスで近くの鉄道の駅まで向かうことになっていた。 バスの停留所には見送りの近所のひとや、みつを連れた親戚のひと が集まっていた。 みつは何か感じとっているのは落ち着かない様子だ。 とうとうバスがきて、私たちは乗り込んだ。私はバスの最後方の席 に座った。窓を開けて、集まってくれたひとたちと別れの挨拶をか わす。やがてバスは動きだした。 そのとき、みつがバスについて走り出した。バスはぐんぐんスピ ードをあげるのだが、みつも懸命についてくる。私は涙がとまらな くなった。走ってくるみつの姿が涙でくもった。 やがて、そのみつの姿も見えなくなった。 大阪の住宅についてみると、驚いたことに、同じ棟のひとは犬を 飼っていた。犬小屋もあった。規則ではいけないことになっている けれど、実際は黙認されている、ということらしい。 このときほど泣いたことはなかったような気がする。でもどうしよ うもなかった。親戚のひとには頼み込んでみつを引きとってもらっ たのであり、いまさら返してくれとはいえなかった。 それでも、九州の田舎から大阪という大都会にきた興奮と、転校 という子供にとっては大事件が重なって、いつしかみつのこともあ まり思い出さなくなっていった。 それから10年くらいたったろうか、もう私も二十歳をすぎてい た。そんなある日のこと、昔のアルバムをめくっていて、みつの写 った写真がでてきた。 もうすでにみつのことは遠い記憶のなかにあり、そういえばそんな 犬がいたなあ、という感じになっていた。 そばにいた母に、あのみつはどうなったんだろう、と聞いた。 答えは意外なものだった。 我々一家が大阪に移ってきてまもなく、みつは死んだという。一月 もたたないうちだったという。 それはなぜと問う私に母は、なんでもぜんぜんごはんを食べなかっ たんだって、きっと悲しかったんだろうね、と答えた。 私は呆然としてしまった。 みつと分かれたとき、私は涙を流したが、しかし、その涙が乾く のも速かった。私はあっという間にみつのことを忘れていったのだ。 けれども、みつは忘れなかった。そして、何にも食べずに死んでい ったのである。 「犬畜生」という言葉があるが、ひとはなぜそんなことをいうのだ ろう。 人間のほうがよほど薄情だったではないか。
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