空中分解2 #0913の修正
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「よいか。この崖を下りて奇襲を仕掛けるのだ。ぐずぐずしているうちに三条軍 が動き出したらどうする」 さすがの金太郎こと榊原伊右衛門も声がない。 「かかれ」 否応なしであった。いつもの優柔不断ぶりは影も見えなかった。 戦術的にはともかく、戦略上の観点からすれば正信の思い付きは誤りであった。 第一に、天保山という天然の要害を足場にしてこそ四倍もの敵と互角に戦える という基本を脅かし、第二に、敵・味方の主力が対じしている状況の中で、敵の 背後から急襲するという戦術が効果を期待されるのであって、正面に味方が存在 しない状況では、奇襲によって一時的な混乱を敵に与えることが出来ても、それ は結局限定的なものにとどまる。 そんな坂井雅楽の意見を聞いてくれる者は、本田忠重以外にいなかった。その 忠重は、遠く離れた天保山にいる。 8 「おかしい」 小村が小さくうなった。 「どうした」 「はい、坂井さま。静か過ぎます」 それに出来すぎている、というのである。ここからどうぞ、とばかりの山肌む き出しの崖、下に広がるうっそうとした雑木林、そしてその向こうには何も知ら ずにいる敵兵。言われてみれば、小村の言うとおりであった。雅楽は、あらため て周りを見渡してみた。なるほど静か過ぎた。 「しかも」 と、小村は続けた。自分が物見に出て確かめた時は、たしかに騎馬武者をはじ め鉄砲隊、弓隊などどう見ても五百を超える軍勢であったのに、いま見ると雑兵 ばかり約三百に減っている、というのである。 「気持ちが高ぶっているせいだろう」 小村に言ったその言葉は、雅楽自身に向けたものでもあった。 実は、雅楽は一つの結論を持っていた。もし、本当に三条軍が二千の軍勢を擁 しているのなら、少なくとも笛吹き峠を押えにかからなくてはならない。そうで なければたとえ石打山に陣を張っても戦略的には意味はない。ということは、砦 を奪ったことも意味を失うということになる筈である。そうすると、答えは一つ しかない。そして、それは間もなく返ってくるだろう。 「よし、下で会おう。かかれっ」 「はいっ」 その時、伝令が正信の命を持ってきた。騎馬隊は乗馬したまま崖を下れ、とい うのである。 見え透いた魂胆であった。正信は、義経の「坂落し」を真似ようとしているに 違いなかった。 「無茶な」 そんな雅楽をあざ笑うように、金太郎配下の武将に率いられた一群が乗馬した まま崖を下り始めた。雅楽は金太郎のところに走った。 「金太郎、お前は若さまと一緒に最後に下りろ」 厳しく命じた雅楽の顔は、いつになく青ざめていた。そして、とって返すと配 下の将兵と共に崖に飛び込んだ。 「小村。無事に下に着いたら若さまを待ち、側を決して離れるな。よいか」 雅楽は、絞るように叫んだ。 高さ五十メ−トルはあろうかという崖である。しかも草木一つなく人間一人で も下りるのが難しいところを馬と一緒に下りようというのだから、大変なことで あった。 だが、初め恐がっていた馬も武将たちの手綱捌きによって急勾配をどうにかこ なして行った。 「ほう、なかなかやるわい」 金太郎が、正信の心中を代弁するようにうなった。 「よしっ、弓隊続け」 そこで何を勘違いしたのか、金太郎は槍隊の雑兵より先に弓隊が下りるように 命じてしまった。援護のために最後まで待機させておかなければならない弓隊を 先に送りだしてしまったのである。槍隊が崖にとっかかった頃、騎馬隊の先頭は もう下に降り立つばかりであった。 いつの間にか、雅楽は騎馬隊の先頭にいた。よし、あの雑木林の手前で隊列を 整えよう、そんなことを考えながら慎重に手綱を操った。 「うむ」 眼下に繰り広げられる、義経の「坂落し」を再現したかのような光景に、正信 は大きく合点した。 と、その時だった。雑木林の切れ目の辺りにパッパッと白煙が上がった。間を 置いてパンパンと銃声が轟いた。三条軍が雑木林の中に潜んで、正信らを待ち伏 せていたのであった。雑木林の向こうでくつろぐ三百の兵は「おとり」であった のだ。 「こ、これは」 正信ら酒井軍はまんまと罠にはまってしまったのである。 崖を伝い下りる酒井軍の将兵に、容赦なく銃弾が撃ち込まれた。そればかりか 続いて百本以上もの矢がひとかたまりになって空中高く舞い上がると、放物線を 描いて、崖の中腹に這いつくばっている将兵に降り注いだ。 「・・・」 正信の絶叫は声にならなかった。 「ひけいっ、もどれっ」 金太郎が悲鳴に近い声を張り上げていた。しかし、すでに二百名の大半が崖の 途中にあって上るも下りるもならず、三条軍の鉄砲と弓の餌食になっていた。 三条軍は、鉄砲、弓、鉄砲、弓という具合いに休みなく攻撃を加えた。訓練さ れた精鋭の部隊と思われた。後方には、騎馬隊が控えているに違いなかった。 「鉄砲があれば」 地獄のような様をのぞきこみながら、正信は自分がいらないと言ったことすら 9 小村は、やっとのことで下にたどりついた。幸いに銃弾も矢も当らずに済んだ が、途中落馬し右足をくじいていた。くぼみを見つけると、体当りする様に身体 を投げ出した。 雑木林までは四、五十メ−トル足らずの距離であった。そこから三条軍が激し く鉄砲を撃ち掛けてきていた。 しばらくすると、小村の側に雅楽配下の者が何人か集まってきた。顔中血だら けの者、背中に矢を刺したままの者、無事な者は一人もいなかった。 「誰か、坂井さまを見なかったか」 応える者はない。どさっ、と倒れこんで来た者がいた。見ると、醜く顔を歪め たまま絶命していた。ぴしっ、ぴしっと絶え間なく銃弾がくぼみの土をはね上げ 、頭上からは矢が降ってきた。「あっ」という悲鳴やうめきが辺りを埋めつくし ていた。 「坂井さまっ」 小村はもう一度怒鳴るように叫んだが、返事はなかった。 坂井雅楽は、崖を下りきったところで三条軍の最初の射撃を全身に浴びて即死 していたのであった。 突然、右手の方で「わあっ」という喚声が上がった。金太郎配下の若武者たち であった。やはり馬を失ったのか、駆け足で雑木林めがけて突っ込んで行くのが 見えた。その後から十人ばかりの雑兵が槍を構えて続いた。 「はやるな、もどれ」 小村の叫び声をかき消すように、パンパンパンと乾いた銃声が続けざまに鳴り 、同時に何十本もの矢がほぼ水平にひゅんひゅんうなりを上げて飛んだ。 銃声が鳴り止んだとき、動いている者は一人もいなかった。 小村は、後ろを振り向いて崖の方を見た。主を失った馬が銃撃に逃げ惑い、旗 指し物が風に舞っているばかりであった。 若さまはどうしたろうか。無事で上におられるのだろうか。小村は、雅楽から いい遣ったことを思いだした。 その時、雑木林の中からドドドッという蹄の音が聞こえてきた。鉄砲隊と弓隊 に代わり、三条軍の騎馬隊が攻撃を仕掛けてきたのであった。 「行くぞ、続け」 それが、小村弥介の最期であった。 八助は三条軍に捕らえられた時、鎧を着込んだ騎馬武者がこんなに恐ろしいも のかと縮み上がった。 それまでの見慣れた酒井軍の武者たちは、強く、たくましく、見ていて何か安 心させられる存在であった。 それが、まったく同じ格好をしていながら、相手が敵だ、と思うだけでまった く違ったものとして八助を震え上がらせた。どうやら殺されずに済むらしい、と 分かるまで全身の震えは止まらなかった。 八助は、捕まったとき脚に怪我をしていた。矢が突き刺さっているのに気がつ いたのはしばらく後のことであった。自分でそれを引き抜いたが、その後のあま りの痛さにもがいているところを敵の騎馬武者に捕らえられたのであった。 その時ほど恐い思いをしたことはなかった。槍を突きつけられたとき、八助は 眼を閉じた。 後で聞いた話では、生きて捕らえられたのは八助ただ一人で、無事逃げのびた 者は一人もいないということであった。なんという好運であろうか。八助は、生 まれて初めて生きていて良かったと思った。 八助は、その日のうちに北辺の砦に送られた。ろくな手当ても受けないまま歩 かされ、途中、食事はおろか一滴の水すら与えられなかった。 砦に着いたとき、八助は正直ほっとした。それほど空腹と疲労と傷の痛みで身 も心もへとへとであった。 しかしそれも砦の様子が一変しているのを見たとき、再び大きな恐怖に変わっ た。何か見てはいけないものを見てしまった思いであった。 実は、八助は三条軍がここを襲ったとき、小堺の下で守備兵として砦にいた雑 兵の一人であった。だから、砦のことは隅から隅まで良く知っていた。 そのちっぽけなとるに足らない砦が、わずか数日の間に姿を変えつつあった。 たくさんの足場が組まれ、周囲には堀が掘られていた。 「どうしたことだろう」 八助は、声も出なかった。とにかく、何も見なかったことにしよう。このあい だまで、ここにいたことなど決して口に出すまい、そう決心した。 10 翌朝、八助は誰かに声をかけられて眼を覚ました。 「どうだ、よく眠れたか。寒くはなかったかな」 その言葉には、いたわりの気持ちすら含まれていた。とうてい敵の雑兵ごとき 者にかける言葉とは思われなかった。 驚いて飛び起きた八助は眼の前に笑顔を浮かべている中年の侍を見て、もう一 度驚いた。入口の戸は開けたままであった。 「ははは、せっかくのところを起こして悪かった」 中年の侍は、申し訳なさそうに詫びた。 「へぇ」 八助は、まだ夢でもみているのかと思ったほどであった。敵軍のしかもたかが 雑兵に対してあまりに扱いが丁重であった。疑問は、次に不安にそして恐怖に変 わっていった。何か魂胆があるに違いない、八助は思わず腰を引いた。 「まもなく朝食など用意させよう」 中年の侍は、八助のそんな様子に一向気が付かないようであった。それから八 助の脚の傷の具合いなどを見ていたが、突然真剣な顔つきになると、あらたまっ たように口を開いた。 「一つ頼みがある」 ほらきた。八助は身構えた。 「お前の名はなんという」 「えっ」 思ってもみなかった問いに、八助はうろたえてしまった。 「どうした。名ぐらいあるだろう」 中年の侍は軽く笑った。それがいけなかった。八助は、一層考えがこんがらか ってしまった。それでも、敵軍に対して本名を明かすことは出来ない、そんな気 持ちだけは見失わなかった。 「へ、あのお、はち、八兵といいます」 偽名を使ったつもりでも、どこか本名が顔を出してしまうものである。 「ほお、八兵か。よい名ではないか」 中年の侍は相好を崩した。 「では、わしも名を名乗ろう。黒田十郎という。せいぜい仲良くしてくれ」 「はい、黒田さま」 八助は、何がなんだか少しも分からなくなった。ただ、敵に対し本名は漏らさ なかったぞという晴れがましい心持ちがした。 「朝晩は少し冷えるかも知れんなあ」 黒田は、周りを見やりながらそんなことを言った。 八助が閉じ込められているところは、かつて金を掘っていたときに道具を入れ るのに使われていた粗末な小屋であった。窓一つなく、昼間でもうす暗いところ であった。おまけに、どこも隙間だらけで、ひもじさと傷の痛みに加えて寒さの ため、八助はなかなか寝つかれなかったのであった。 黒田が出ていってしばらくすると、食事が運び込まれた。ふちの欠けた腕に温 かい雑炊とわずかの漬物だけであったが、八助にとっては何よりのご馳走であっ た。味など噛みしめている余裕などなかった。雑炊が喉を落ちていくとき、八助 は生きていることの有難さを知った。 腹が満たされると、眠気が襲ってきた。八助は、体を丸めて横になるといつの 間にか寝入ってしまった。 どのくらいたったのであろう。八助は、戸口が開く音で眼が醒めた。三条軍の 雑兵が二人、ものも言わずに入ってきた。八助は思わず飛びかかろうとしたが、 手足がぎゅっと縮んで思うようにはならなかった。 つづく ....
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