空中分解2 #0898の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
そして脳内に、呪咀の凄まじい叫び声が木霊した。 ――出セ! ――オレヲココカラ出セ! ――オマエガ、出セ! ――オマエダケガ出来ルノダ! ――オレヲココカラ出セ! ――出サナケレバ殺ス! ――出セ! ――出セ! ――出セ! うねるような声はそのまま激痛と変じて全身を侵食し、葉子はもがき苦し んだ。 もがきながら、心中で叫んでいた。 助けて。 その叫びが奇跡を呼んだ。 ふいに、全身をしめつけていた苦痛が消失したのだ。 どさりと、身体が床に落ちた。 肺が空気を求めてあえぎ、激しく咳こむ中で、涙ににじんで判然としない 視界の片隅に、その姿は見えた。 浄土武彦の姿が。 暖かい手が、背にまわされていた。 当てられた掌から、熱を含んだものが流れこんできた。熱く、そして限り なく力強い流れ。 身裏に淀んだ苦痛が急速に氷解していくのを、葉子ははっきりと感じてい た。 「もう大丈夫だ」武彦のささやきが、心地よく耳に響く。「野郎、相当焦 ってやがる。気分はどうだ?」 問いかけに、葉子はうなずいた。 全身をおおっていた激痛が、嘘のように引いていた。 「大丈夫です。ありがとう……」 答えながら葉子は、安心したように微笑した。 武彦も笑った。 強い娘だ、と思いながら。 「立てるか?」 うなずいてみせ、力強い腕に支えられながら立ち上がってみた。 不思議と、ふらつくようなこともなかった。あれほどの激痛がきれいさっ ぱり洗い流されており、かわりに心地よいものが全身を満たしている。 「気を少し送りこんでおいた」開かれた窓を閉じながら、武彦は言った。 「かなり手ひどく痛めつけられたな。今から最後の大仕事を片づけるつもり なんだが」 端正で男らしい顔を見上げると、その双眸の奥には不思議な輝きがあった。 「なんにせよ、今夜で決着はつくだろう」凄絶な微笑が浮かんでいた。 「奴もそれを予感しているらしい。焦って出てきたのがその証拠だ。君にも 立ち合ってもらいたかったんだが――無理かな」 「わたし、いきます」 決然と、葉子は答えた。 武彦は微笑んだ。 「ゆかりを呼んでくる。少し休んでから下へ来てくれ。居間でやる」 言って肩をポンとたたき、立ち去りかけた背へ、 「武彦さん」 呼びかけた声は、どこか心細げだった。 ふりかえった視線を迎えた瞳は、不安と当惑を宿していた。 「終わるんでしょうか」 問いかけは、切羽つまった響きを内包している。 武彦はうなずいた。 「終わらせるさ。奴も疲れてる」 「でも――」 言いかけてよどみ、もう一度言葉をのみこんで、少女は意を決したように 口を開いた。 「その後はどうなるんでしょうか」 強い不安と、年令にふさわしくない絶望とを、少女の瞳は訴えていた。 館から今の“主”が立ち去ったとしても、自分の強い霊感がまた新たな客 を招き寄せるだろう。それは誰よりもまず、少女自身に不幸を呼ぶ。 平凡で幸福な日常とは隔てられた、いまだ稚い魂にたたえられた哀しみが、 今にもあふれ出ようとしているのが見えた。 武彦は、元気づけるように笑った。 暖かい笑顔だった。 「君次第だ。だが、安心しろ。ひとりじゃない」気休めでもなく、一時し のぎでもない、確信に満ちた言葉だった。「両目を見開いて、まわりをよく 見てみるといい。たくさんの人が、君のそばにいて君を見守っている。大丈 夫だよ」 それだけだった。 それだけで充分だった。 扉の向こうに消えていく武彦の背中を見つめながら、葉子は自分の中に力 がみなぎってくるのを、たしかに感じていた。 9 宝石箱の夜景を寒風が薙ぐ。 風の底に冷気は張り詰め、街を暗黒が侵食する。 季節はいまだ厳しく留まり、人びとを訪れる悪夢もまた立ち去ろうとはし ていない。暖かく保たれた家屋の内部でさえ、時にそれらは容赦のない鉄槌 を下す用意を怠ってはいない。 とくに、闇に魅入られた人びとに対しては。 館に巣食うものの正体を看破し得た人間はいまだ存在していない。彼らは ただ、その屋敷を覆う妖気があまりにも特異なのをおぼろげに感知し、その 猛悪さと強さとに胸の奥底の恐怖を逆撫でされただけだった。 外来者を拒む幽霊屋敷。 それは、秋月家の三人の家族になにを望み、なにをさせようとしているの か。そして、その正体はいったい、なんであるのか。 それを解明すべく今、浄土武彦は四人の観衆を前にしていた。 「この事件には三つの要素が隠されています」 独白のような調子でつぶやく武彦に、秋月家の人びとの真剣なまなざしが 向けられる。 入居する際にとりつけたヒーターの効き目も、今夜に限ってはまったく現 れていない。躍起になって熱を送り出してくる機械と室内に集った五人の人 間の体温までをも嘲笑するかのごとく、激烈な鬼気が冷気となって屋内の温 度を低下させているのである。 広い部屋の天井から仰々しくつり下げられた照明の光も妙に寒々しく、薄 闇が室内に重くわだかまる。 そして、武彦の言葉に聞き耳を立てるもの、五人。ゆかり、秀明、千種、 葉子、そしてもう一人――。 「その三つの要素のうちのひとつは、南条隆行についてです」 冷気がゆらりと震える。 葉子の顔面から血の気が失せていく。猛悪な邪気を発するものが、自分の 背後に忍び寄ってくるのを感じたからだった。が、少女の瞳は決して臆する ことなく熱い輝きを宿している。 「記録によると、南条家は江戸時代から藩医として大名屋敷などに出入り していた名門の家系です。伝統的に各代の当主が医業を継ぎ、明治維新前後 には西洋医学の知識も積極的に取り入れていったということです。 明治四十二年、清三郎が西洋医として開設した南条邸は、医院としての名 声を一段と高め、息子の順造に受け継がれた。だが、順造の一子、秀太郎は 医師になることを断念し、医院は一時閉鎖されていた。秀太郎がなぜ長い伝 統を踏襲しなかったのかははっきりしませんが、家業を継げなかったことに 対して秀太郎が負い目を感じていたのはたしかなことらしい。それだけに、 長男の和彦が国家試験をパスして医院を再開したときの秀太郎の喜びようは 相当なものだったといいます。伝統は、生き続けていたわけです。 ところで、昭和三十四年にこの界隈一帯をふるえ上がらせた猟奇的な連続 殺人事件の容疑者に、秀太郎の三男の隆行があげられていたのはお話したと おりですが、警察がそれを正式に通達する以前、すでに隆行は行方不明にな っていた。街から出るのを目撃した人間が現れなかったらしいから、警察は 再三再四、南条邸の家宅操作にあたりました。成果は、まったくありません でした。そうこうしているうちに真犯人があげられ、事件は公式には解明さ れたことになりました。 だが、パラノイアの烙印を押された“真犯人”の“信用するに値しない供 述”の中に、奇怪な告白があります。いわく、惨殺された十三人の女性のう ち、自分が手をかけたのは七人だけだ――という一文です」 ふっと一息ついて、武彦はハイライトをくわえて火をつけた。 虚空に立ち昇っていく紫煙は、奇怪な形を描いて一瞬、渦を巻いた。 「ここからはおれの推理になるんですが――」と、注釈つきで説明を再開 する。「おそらく、件の七人を差し引いて残る六人は、南条隆行の仕業だと 思います。彼の偏執的な性格は隣人や知人たちの証言でお墨付きでした。犬 猫を解体したり残虐な方法で殺すことを楽しんだりしているのを目撃した人 間も一人や二人じゃないようです。昼間、土蔵から掘り出した彼の作品にこ められた妄執も、その仮定を裏付ける証拠になるかもしれません。“真犯人” の供述を事実とするなら、もう一人の切り裂き魔は南条隆行と断定して間違 いない。そして、この推理は南条隆行の失踪の理由としても有力です。 では、南条隆行はどこへ消えてしまったのか――」 紫煙を胸一杯に吸いこんで、武彦は煙草を灰皿に押しつけた。
メールアドレス
パスワード
※書き込みにはメールアドレスの登録が必要です。
まだアドレスを登録してない方はこちらへ
メールアドレス登録
アドレスとパスワードをブラウザに記憶させる
メッセージを削除する
「空中分解2」一覧
オプション検索
利用者登録
アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE