空中分解2 #0891の修正
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「もう結構です」 右腕を軽くふりながら言うのへ、秀明はなおも呆然とした視線を送る。 「今のは――」 つぶやきに、武彦は悪戯を成功させた子供のように得意げな顔を向けた。 「おれたちがやったのは、単なる暗示ですよ」 「催眠術――ですか?」訊きかえす葉子の顔も、心底からの驚きに充たさ れている。 「そう言い換えてもいいな」言ってから、つけ加えるように、「最後のを 除いては」 一瞬の間を置いて、家族全員がその言葉の意味を理解した。 拍子抜けした空気に、再び緊張の糸が張りつめた。 見えざる力が投げつけてよこした花瓶を武彦の掌底が貫いた、と知ってい るのはゆかりだけだっただろう。が、そのことが示している意味だけは、こ の部屋に集う者すべてが、痛いほどに理解できた。 沈黙とともに成り行きを見守っていた何者かが、武彦に向けて挑戦状を叩 きつけてきたのだ。 それを受けるべき者は今、この館の権利者たる秋月秀明に、じっと視線を 向けていた。 呆然とした表情が、武彦の無言の問いかけを理解する。 「わかった」秀明は、大きくうなずいた。「君たちにすべてを任せること にする」 それから矢庭に、秀明は顔をしかめて鼻をつまんだ。 「そうと決まったら、まず君たちにしてもらう仕事は風呂に入ることだ。 いったい、何日体を洗っていないんだね? この臭いは少しひどすぎる」 「一ヵ月です」とんでもない答えが平然と返ってきた。「ですが、おれた ちは後から入った方がいいんじゃないですか? 後にはだれも入れなくなっ ちまいますよ」 「たしかにそのとおりだな。ではそうさせてもらおうか」 秀明が言うと、武彦は傍らのゆかりからコートを受け取りながら、 「じゃ、その間におれは少し出かけさせてもらいます」 言って、玄関に向かう。 「待ちたまえ。行くって、どこへ?」 「柳瀬の旦那のところへ」ふりかえって告げた。「おくやみを言いにね。 ついでに、少し仕事もかたづけてきますよ」 それからふと思い出したように、ゆかりに向かってつけ加えた。 「口寄せをやる。用意しといてくれ」 4 「きれいね」 澄んだ声がつぶやいた。 「――え?」 夢見心地から不意に醒まされたように、葉子は訊きかえす。 癖のない長い黒髪をすく手を休めず、ゆかりはクスッと微笑した。 「きれいだわ、葉子ちゃん。髪も、肌も」 「そんな――」 頬がほんのりと桜色に染まったのは、湯あがりの火照りのせいばかりでは あるまい。 鏡の中に人形のように映る自分の姿を見て、葉子は胸のなかになにか不思 議なものが熱く湧きあがってくるのを覚えていた。 目を閉じてみる。 ゆかりの繊細な指が、優しく愛撫するように黒髪を撫でおろしていく。 陶然とした心持ちで、葉子は目を閉じたまま、 「そんなことありません……ゆかりさんの方が、よっぽどきれいだわ……」 「あたし、毛深いのよ。髪も癖だらけ」 「でもきれいです。本当に……」 「ありがと」 ゆかりは、微かに笑った。 旅の汚れをすっかり洗い落としたゆかりは、たしかに美しかった。白磁の ように白くきめの細かい肌に、少女と女の同居した可憐な顔立ち。たおやか で、それでいてしなやかな肢体は、同性である葉子でさえ陶然とさせるよう な、まばゆいものがある。 それは、女性そのものがもつ美しさというよりも、中性的な、ともすれば 少年のもつ繊細さとしなやかさを秘めた美しさと言った方がいいかもしれな い。 もしそうでなかったら、それは葉子に羨望と、そして敵意をさえ抱かせて いただろう。 今、葉子がゆかりに感じているのは、憧憬の思いであった。あるいはまた、 崇拝であった。 「ね」そのゆかりが、ささやくように言った。「高校生でしょ。いくつに なるんだっけ?」 「十五――もうすぐ六になります」 「十六? あたしと一緒だわ」 「ほんとう? ゆかりさん、もっと大人っぽく見えるわ」 「そう? でも、葉子ちゃんの方がきれいよ、とっても」 「そんな……ありがとう……でも――」 言いかけて、葉子はギクリと身を強ばらせた。 鏡の中で、ゆかりの表情が凄絶な変化を遂げていた。 射るような視線は、側方に向けられている。 緊張が高まった。吹きつけるような殺気が、自分に向けられているのでは ないとわかってはいたが、それでもなお全細胞が恐怖に戦いていた。 それほど、ゆかりの発する鬼気は壮絶だった。 異音が葉子の耳を刺激し、反射的にふりかえる。 ゆかりの喉が、かすかに、だがたしかに、振動している。 いま自分の耳が聞いているその音は、単なる錯覚にしか過ぎないはずだ― ―理性と感情がそうつぶやいたが、聴覚はそれをはっきりと否定した。 ゆかりの喉から発せられているのは、たしかに獣のうなり声だ。 鬼気に充ちた、突き刺すような視線の先には、サイドテーブルの上に安置 されているはずの黒曜石の踊り子像が、ゆっくりと宙に浮き上がっていく光 景があった。 見る間に、踊り子像は弧を描きながら高く高く浮き上がっていき――突然、 はじかれたようにゆかり目掛けて襲来した。 ゆかりの動作は、葉子の目には像を結ばなかった。人間の持つ反射神経を はるかに凌駕した、神速の残した残像を黒い閃光が貫く。 踊り子像は壁に激突する寸前、空中でピタリと静止した。物理法則を無視 した急停止だった。 それが、タイムラグなしに再びゆかりに向かって突進する。 受ける少女は――空中に飛んでいた。 静止画像のように、一瞬宙に留まった体は――次の瞬間、目にもとまらぬ スピードで旋回した。 ポニーテールを薙いで踊り子像は虚空を通過するや、くるりと輪を描いて 三度目の猛攻に移行する。 呼気が迸った。 獣の咆哮にも似て、凄惨に。 眼前に展開された光景に、葉子は呆然と目を見張った。 視覚がとらえた映像を、理性が理解することを拒否していた。 電光石火、うなりをあげて強襲する黒曜石の像を、ゆかりの手のひらが床 面に叩き落としたのである。しかもそれが――黒曜石の塊が細片となって砕 け散ったのは、目の前に降り立った美しい少女が、握り潰したからではなか ったのか――。 ここにもまた、常人とはかけ離れた存在があった。 震えている自分に、葉子は気がついた。 歳さえ違わぬ目の前に美少女に対して、抑えようのない恐怖を感じている ことを自覚した。 ゆかりが、笑った。 にっこりと、なんの邪気もてらいもない、暖かい笑顔で。 「あたしが怖い?」 そう訊いた。 葉子は、小さく首をふった。 縦に。 冷たく凍りついた胸の裡にあるのは、まぎれもなく恐怖だった。が――同 時にそこには、それとはまったく別のものもまた、隠れ潜んでいた。 それは混乱と――そして、陶酔であった。 目の前の少女の微笑の気高さが、それを浮かべさせたのである。 ゆかりは、もう一度かすかに笑い、そしてゆったりとした動作で壁に背を あずけた。 「いいのよ」静かな、そして優しい声音が、葉子の耳に届けられた。「怖 い、と思って当然だもの。いいの、あたしは。慣れてるから」 ほぼ反射的に、葉子は激しく首を左右にふった。激情が涙となってどっと 流れ出し、そのままゆかりの胸に飛びこんでいった。 「違うの」叫ぶようにして、言った。「違うんです。あたし――あたし… …」 そこから先は、言葉にならなかった。ただ、声をあげて泣き続けるだけだ った。
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