空中分解2 #0758の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
結局私は教会の英語教室をやめました。和也の方はしばらく行っていまし たが、秋の作品展が近づいてきて、その準備のために彼も次第に行かなくな りました。九月のある日、私が竹の子の里から帰ってくると、家の前の路地 に夏から出してある縁台に座ってジョーダンが待っていました。私の方が彼 を先にみつけて、 「ジョーダンどうしたの、暑いのに中に入っていればよかったのに」と、声 をかけると、彼はうれしそうに私の方に手をふってみせました。 「よかった、会えないかと思いました」 「何か急ぐことがありましたか」 彼と話すとときどき私まで妙な日本語になって、自分でもおかしくなるの ですが、ジョーダンにはそこのところは分からないようでした。いつも玄関 に鍵などかけていないので、ガラスの引戸をがたびし開けて彼に上がるよう にすすめましたが、この前のことがあるからか、彼は玄関から上には上がろ うとしません。 「今日はここで失礼します。ワタシ、今度福岡県の教会に派遣されます。そ れでミカにどうしてももう一度会って謝っておきたかったもので、今日やっ てきました。この前のことはどうか許してください。ワタシの中にはまだ悪 魔が巣くっています。でももう大丈夫。これからは誘惑には負けません。ミ カに頬をたたかれて、ワタシの中の主に対するかすかな疑いがふっきれまし た。だから、今度の福岡行きも主のおぼしめしと思って受けることにしまし た」 「ジョーダン、私、この前のことはなんとも思っていません。もしあなたが 自分の罪を感じてAを去るのなら、やめてください。今までどおりAにいて ください」 「さっきも言ったように、これは教会の問題です。福岡市の近くにある町の 教会で、最近神父がどうしてもアメリカへ帰らなくてはならなくなりまし た。そこで布教本部からワタシのところへ彼のあとへ行くように言ってきた のです」 「でもジョーダン、あなたはAが好きだ、自分の第二のホーム・タウンだと いっていたではないですか」 「はい、それは今でも同じです。でも、主に仕える者は、自分を必要とする 者が要るところへはいつでも、どこへでも行かなければなりません。あなた も知っているでしょう、キリストはすべての者の罪を背負って十字架に懸か られました。彼はいつもわたしたちの過ちをやさしく許してくださいます。 だが、彼は自分の十二人の弟子たちには厳しかった。なぜなら彼らはキリス トの近くにいつもいて、彼の教えを聞いていた。だから彼らには責任がある のです。そして、教会もまた神に対して責任があるのです」 私には当然ジョーダンの言う責任の意味など分かりません。ただ彼が私と のことを、私との関係で考えるのではなく、彼の言う「主」との関係の中で 話しているのは分かりました。それなら彼から見れば、私もまた神に許しを 乞うべき罪深い人間ということなのでしょうか。 「I’ll miss you so much, Mika. Please remember me, remember God.」 ジョーダン、あなたのことは忘れないけど、神様のことは約束できへん わ、だって、私は神様に会ったことがあれへんのやから、私は内心そう言っ ていました。 十月のはじめにジョーダンはAを去ってい行ました。和也は彼を家に呼ん で送別会をしようか、と言いましたが、私は反対しました。 ジョーダンに 私たちがなんのわだかまりも持っていないことを伝えたら、という和也の気 持ちも分からないわけではなかったけど、そんな日本人的発想が、ジョーダ ンには伝わりそうにはなかったし、そんな必要も彼にはなさそうでしたか ら。 ジョーダンから二度ほど手紙が来ました。最初の手紙には、新しい教区に 問題があってまだ福岡の教会にいること、まもなく問題が解決して予定の教 会に移るであろうことが書いてありました。しかし、次の手紙はアメリカか らの航空書簡で、セミナーのために二週間まえからカリフォルニアに来てい て、昨日母や姉のいるボストン郊外のポータケットの生家にかえってきたと 伝えていました。そして、二.三日後に心臓の検査のため、病院に入院する 予定であり、もしかすると人工弁の取り替えと、心臓の血管のバイパス手術 を受けなければならないかもしれない、と書いてありました。 「So say a few prayers!」 かれの手紙はその言葉で終わっていました。 そして、私はジョーダンが 心臓の手術中に亡くなったことを十二月に入って、たまたま街で出会ったサ キさんに聞きました。その日の晩、和也と私は彼のことを話しながら、彼の 冥福を祈っておそくまでウイスキーを飲みました。 「あいつ、いいやつだったよな」 ぽつりとそう言った和也の両眼からなみだが流れ落ちました。 次の年の二月に和也たちは三回目の作品展を開きました。和也はその年も これまでと同じK市のデパートでしようと考えていましたが、隆志は、今年 は思い切って京都の丸善で開こうと言い出しました。守も自分が修業してい た窯元に頼み込んで丸善のほうには口を利いてもらうから、と言うので、結 局和也も透も同意しました。 「何だか俺って、年いっちゃったのかなあ。隆志に言われてもさ、そんな冒 険しなくてもなんて気が先にしてしまってさ」 和也は、今年は作品展を丸善でと決まった日の夜、私にそっと言いまし た。 私にも、これまでグループのリーダーであった和也の立場が微妙に変わっ て、隆志が「λの会」の中心的存在になっているのは、分かっていました。 でも、そんなことに和也がこだわっていないことも知っていました。彼にと っての目標はニューヨークとロスで将来作品展を開くことであり、それ以上 でも以下でもないのです。自分たちの仕事が日本以外の国でも認められれば それで彼の夢は果たされたことになるのです。透や遼との間では最初からそ の点での合意がありました。しかし、後から加わった隆志たちには、その先 の具体的な目標のない夢などは非現実的なものとしか思われなかったことで しょう。 京都での作品展は成功でした。何冊かの有名な美術雑誌にも取り上げら れ、特に和也の作った花器はある華道の家元と、新進の美術評論家に絶賛さ れました。でも、面白いことにその二人は和也の作品にまったく正反対の価 値付けを与えていました。 作品展には大学時代の知人が顔を出し、和也たちは毎晩のように夜おそく まで彼らと飲みに出ていきました。それはちょうどまた大学時代が戻ってき たような感じでした。私も誘われましたが、和気あいあいと芸術論を語る雰 囲気にどうしても馴染じめず、久し振りに会った両親が家のほうに早く帰れ とうるさいもので、といいわけをして、先に引き上げていました。その実、 実家のほうにはほとんど顔を出さず、和也と二人で泊まっている八坂神社近 くのホテルに帰って、和也の戻るのを待っていました。 「どうして一緒に来ないんだ」 和也はちょっと不満そうに言うのですが、 「京都の友達と会うと、里心がつきそうだから」と、答えていました。 「京都に帰りたくなったのかい」 「そんなわけやあれへんけど、会った人はいろいろと四国の生活の様子を聞 きたがるでしょう。そこに住んだこともない人間に話したってどうせ分から へんのやから、話しているうちにしんどなってくるしなあ」 「明日俺たち、先にAへ帰ろうか」 「でも、まだあと二日作品展、あるでしょう」「いや、後は隆志らがやって くれるだろうから」 「丸善の人と会う約束や、雑誌社のインタヴューの約束もあるでしょう」 「それも隆志がうまくやってくれるだろう。なんだか俺も京都にこれ以上い るのがいやになった」 翌日、和也と私はAに一足早く帰ることにしました。その日の朝目が覚め ると雪が積もっていました。しかも雪はまだ静かに降り続いています。私は ふと和也と一緒に嵐山の渡月橋まで行ってみたくなりました。午後二時ぐら いまでに新幹線に乗ればその日のうちにAには帰れそうだったので、二人は 電車で嵐山に行きました。電車の窓から外を見ていると、窓ガラスに当たる 雪が細い線を描いてこびりついてはいつの間にか、消えていきます。見馴れ ているはずの京都の町が、遠い外国のどこかの町のように思われます。電車 を降りて、先を歩く和也のタウン・ジャケットの後姿を見ながら歩いている と、私はAでの四年余りが本当の出来事ではなかったように感じられてなり ませんでした。その思いは、渡月橋に立って川の向こう岸の降る雪にくもっ て墨絵のようにみえる竹林を見ていると、ますます強くなって、私はその錯 誤感に圧倒されてしまそうでした。 「俺、ここを出ていこうと思う」 京都での作品展が終わって、ほっと気が抜けたような時期が私たちを襲っ たころ、和也は今思い付いたことのように私に言いました。私はいつか彼が そう言い出すだろうと感じていたので、あまり驚きませんでした。 「それでどうするの」 「自分でも分からないんだが」 「でも、透はどうするの」 「彼のことは心配してないよ。今度の作品展でだいぶん自信が出来たみたい だし、隆志ともうまくやっていけるだろう」 「私のことはどうなの」 「一緒に来るか」 「そうねえ、あなたがいないのなら、ここにいてもしかたないかしらねえ」 「でも、ミカ、ここでけっこう楽しそうにやっているみたいだけど」 「うん、でも、カズがいないんじゃ、つまらないもの」 「やっぱり、結婚しようか」 「それはいや」 「そうか、結婚はいやか」 「それで、これからどうするつもり」 「さっきも言っただろう、今は何も考えていないって」 「お金、どうするの。貯金、ほとんどないわよ」 「遼のやつ、出ていくとき、自分の取り分、持って行っただろう。俺も貰っ て行くさ」 作品展の売上は和也が管理していました。 和也と私がかばんを一つづつ 持ってAを逃げ出したのは、三月の思いがけず寒さが戻ってきたある日のこ とでした。町のはずれのバス停でバスを待っていると、風に乗って雪が舞い 落ちてきました。中野原の方を見るとそこだけが青空がなくて、しぐれてい るようでした。私たちがAに来てはじめて見る雪でした。それほどこの南国 の地にはめったに雪など降らないのです。竹の子の里の子供たちはこの雪を 見て大喜びしてでいるだろうなあと、ふと思いました。 和也とは岡山で新幹線に乗るとき、別れました。彼はあてはないが、九州 へ行ってみると言っていました。もう私に一緒に来るかとは尋ねませんでし た。彼を見送って私は上りの新幹線に乗るつもりだったのですが、気が付く とまた宇野線に乗って四国の方へ向かっていました。 これで私自身のための私の小説は終わりです。私は今、四国のある町で学 習塾の英語の講師をしています。私には辰ちゃんというボーイフレンドがい ます。彼は私の勤める学習塾の生徒で、大学受験の一浪です。私にうつつを 抜かせているようでは、来年も試験には受かりそうもありません。でも、彼 はそんなことは頓着なしで、毎晩私のアパートに来ては一緒にビートルズや ローリング・ストーンズや五輪真弓を聞いています。 ローリング・ストーンズの ”LET’S SPEND THE NIGHT TOGETHER”を聞くときに、彼が全身でリズムを取りな がら眉をひそめるように目を閉じている表情が私は好きです。そんなときは 彼が来年も受験に失敗して、私のもとから去っていかないようにと心で祈っ てしまいます。 実はつい先日ひょんなことで遼に会いました。日曜日辰ちゃんとこの町の 郊外にある動物園へ行ったら、三歳くらいの子供と、奥さんとおぼしい彼と 同年令くらいの女性と彼とで来ていたのです。目が合った瞬間、彼も私のこ とが分かったようでした。二人とも口を利かずにすれちがいました。私は振 り返りたい気持ちを一生懸命抑えました。彼のほうもそうだったのでないか と思います。アイスクリーム・スタンドへ先に駆けていった辰ちゃんが、大 きなブルーハワイのアイスクリームを落とさないように持って帰る、その健 康そのものの笑いと白い歯を見ながら、私は自分が自分自身の小説を書くこ とが出来るくらいの年になったのだと、奇妙な満足を以て感じていました。 《了》
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