空中分解2 #0642の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
後を追いながら、私にはまた彼女がどういう女性か分からなくなった。夫といるのな らそんな勝手な一人旅などできないのではないか。観光旅行でもなければ、ビジネス旅 行でもなさそうだ。 もっともこちらは明日の午後にはドイツを立たなければならない。これ以上彼女と深 いかかわりを持つことにはなりえようはずがなかった。 もし自分が今日一日あなたに付き合いましょうか、と言ったら、彼女何て言うだろう 。そんな気持ちが無いといえば嘘になるが、彼女とはそういうことにはならないだろう という確信めいたものがあった。 レストランで軽い食事をとり、二人でワインを飲んだ。窓際の席に向かい合って座る と、先程知り合ったばかりという感じがしない。 「こちらへはいつ」 「そうね、もう二週間にはなるわ」 「あまり個人的なことは聞かないほうがいいみたいですね」 彼女はまた答えなかった。 自分でワインボトルを取ると、私のグラスとじぶんのグラスに残りを注ぎわけた。か なりいける口らしかった。 「恋の逃避行なの、というとかっこいいけど、逃亡なのよ」 「逃亡?」 「そう、たぶん国際警察機構にも指名手配がまわっているわ」 「・・・・・」 「驚いた?そうよね、でも安心なさい。別に殺人事件を起こしたのでも、個人に迷惑を かけたのでもないの。会社のお金をコンピューターを操作して引き出して使っちゃった の、横領罪ね」 「どうしたの、それはまた」 「よくある話なのよ。男のために貢いだっていうこと」 どれくらいなの、と聞こうとして、そんなことを聞いてどうするというんだ、という 気持ちが涌いてきた。 彼女はそこまで話すと、テーブルの上に置いてあったサングラスを取って、また掛け た。 「彼は私と二人でアメリカへ行こうと言っていた。でも最後で私を見捨てたわ。最初か らそんな気持ちはなかったのかもしれない」 「彼はどうしたの」 「分からないわ。成田で落ち合うはずだったけど、結局彼は来なかった。アパートに帰 って彼の連絡を待ったけど、それ以来何も言ってこなかった。ひとりでアメリカへ行っ たのかもしれないし、日本のどこかでいるのかもしれない。そして私はひとりでヨーロ ッパに逃げてきたというわけ」 「それじゃあなただけが悪者になっているんですね」 「そうね、そういうこと」 「警察に彼のことを話せば」 「それでどうなるというの。私の罪が情状酌量されて少しばかし軽くなるというの?」 「・・・・・」 「ばかばかしいことだわ」 ばかばかしいというのが、自分のしたことをさすのか、それとも警察に話すというこ となのか分からなかった。 「でもお金を全部彼に渡さなくてよかったわ。このお金で私、ヨーロッパのどこかの町 でやり直すわ。趣味程度だけど英会話を習っておいたのが役に立ったわ」 女ひとりが外国で、しかも不法入国者としてやっていけるのだろうかと、私は疑問に 思った。そんな私の気持ちを読んだように彼女は言った。 「もちろん大変だとは思っているわ。でも私にはひとつだけ強みがある。つまり人生か らもう何も期待しなくてよくなったということよ。どこでのたれ死にしたってかまわな いという気持ちが、私を支えてくれるはずだわ」 そんな感情は一時のものではないのか、生きていくのはもう少し大変じゃないのか、 という言葉が浮かんだ。 が、私は何も言わなかった。 そんな彼女の生きかたに憧憬に似た気持ちさえ感じていた。 私が二日後から送るであろう大学での研究生活のことがふと思い起こされた。これま で別に今の生活に不満を持っていたわけではない。ただそんな疑問を持つ余地さえなか ったのではないか。 「本当は死にたいの。死ぬための旅行だったのよ」 突然そう言うと、彼女は涙を隠そうとして、右の手でほほを押さえ横を向いた。 私は何も言えなかった。 ただ黙って窓から外の景色を見ていた。 船は次の寄港地、ボッパルトに着岸しようとしていた。 ボッパルトはラインが右に大きく蛇行する、そのくぼみの部分にある観光地である。 海岸通りに沿って伝統的なホテルが立ち並び、その向こうに南ドイツ特有の赤茶けた切 妻屋根の民家や、教会の尖塔、それに調和を保ちながらもモダンなクアハウスらしい建 物がみえる。 「美しい町ですわね」 彼女も近付いてくる町並みに見とれていた。 「もう一度、甲板に出てみませんか」 二人はウェートレスを呼び勘定をすませて、席を立った。 「先に行ってて、すぐ行きます」 たぶん化粧を直すために、化粧室にでも寄るのだろうと思った。 甲板に上がると、めっきり人が少なくなっていた。日本人のツアー客もいなくなって いた。ローレライを見たのでザンクトゴアールあたりで降りてしまったのだ。 もう船は着岸しようとしていた。 この町にはみやびな華やかさがあった。 ふと私は彼女を誘って、この町に立ち寄ってみようかという気になった。もしかして 二人で数日を過ごすことになるかもしれない。大学のことも研究のことも、それに私を 待っている妻子のことも、みんな忘れて彼女の逃避行に付き合ったとしたら・・・そん な気持ちがよぎった。 近くのデッキチェアに身を投げ出すように座った。 空が澄んで、秋の雲が流れている。 自分が遠い異国の地にいることを忘れてしまいそうだった。 (3) いつのまにかうたた寝をしていた。 ひとびとの叫び声に目が覚めた。 「・・・dahinten・・」 「・・・ins Wasser・・・」 ドイツ語がとぎれとぎれに耳にはいる。 甲板にいる人達が全員右舷のほうに集まっている。私も急いでそちらへ駆けて行った 。 「Was ist denn los?」(どうしたというんです) 隣にいたこの船の乗組員とおぼしい男に聞いてみた。 彼はドイツ人ではなかったらしく、なまりのある聞き取りにくい英語で答えたが、推 測するに、誰かが船から落ちたということらしい。すると彼と反対側にいた長身の男が 、今度ははっきりした英語で 「ちがうね、あれは自分から飛び込んだんだよ」と、言った。 私は不安になって、それは男性か、と尋ねた。 「私の目は新聞を読むのにめがねの助けを借りる必要などないくらい良いが、あれは絶 対に女だね」 もしかして東洋人の女性では、と問い返そうとしてやめた。 彼女だ、という確信があった。しまったとも思った。やっぱりここで死ぬつもりだっ たのだ。 船はすでにボッパルトを離れていた。 救助用のボートが降ろされ、三人の乗組員がボートに飛び移った。 私は必死の思いで船内を、彼女の姿を探して歩いた。 彼女はいなかった。 もし河へ飛び込んだとしたら、この流れではすぐには見付からないだろう。 しばら く停船していた観光船は、やがてまたゆっくり動き始めた。口々に話していた客たちも またデッキチェアに戻った。 何事もなかったかのように上りの蒸気船に対してこちらから汽笛を鳴らす。向こうの 船の客が大きく手を振る。..
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