空中分解2 #0605の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
1 一年ほど前のことになる。 俺は、ある小説を書くサ−クルに加わり、楽しくやっていた。同人誌の名前は 仮に「文芸あすなろ」としておこう。 俺は、すでに50を越しているが「あすなろ」に小説を投稿するようになって からまだ2年になっていなかった。歳格好こそ最年長であったが、サ−クルの中 ではいわば新米であった。 しかし俺の作品は、少しばかり変わっているといって、すぐに仲間の間で話題 になり、1年もすると「あすなろ」には欠かせない同人の一人となっていた。中 には、俺が加わってから「あすなろ」のファンが急増したとちやほやする奴もい たが、どういう積もりでそんなおべんちゃらを言うのか気にもとめなかった。発 行部数が増えたのは疑いのない事実である。 実は、俺は作品を書く際に二つ、三つ細工をした。 一つは、テ−マの選択に関してわざと奇をてらったものにし、しかも印象を強 めるために同テ−マのものを何回か重ねて発表するようにした。そして俺が最初 に投稿したのは、老後の問題と少年の非行問題とを同時に描いた作品であった。 退廃し老齢化した日本を、その負債のすべてを背負わされていることにあえぐ 非行少年と老化の恐怖におびえながら少年の若さに嫉妬する老人とが互いに敵意 を隠して切り結ぶことを通して告発する、という設定にした。その視点の新鮮さ がまずみんなの目を引いた。 そして、二つ目に文体を意識的に特異なものにした。ぽつりぽつり切っていく ことで行間に余韻を残すことを避け、そうすることで奇妙な軽さを思わせる文章 にし、それでいて読者との間にある距離感をもたせようと企んだのである。 これも成功した。 三つ目に、ルポ風な挿話を随所に入れ、しかもその話題になった土地や場所に は必ず足を運び自分の眼で「現場」を確かめ書くことを徹底した。 こうして、俺は一つのスタイルをつくり上げていった。 2 三作目に投稿した作品が、「あすなろ」の推薦作品として商業雑誌の書評の対 象となった。それが決まったある日の合評会で、そのサ−クルでは古参ともいえ る元教員だったという中年の女性が、 「この作品は、老後のなんたるかを否応なく突きつけられながらも少年時代のよ うに生きんとする老人と、老後の何ものかも知らず少年期がなんであるかの自覚 を持ち合わせない少年とを立体的に交錯させながら両者をうまく噛み合わせ、し かもシリアスでありながら同時にどこか温みのある筆致で描ききっている」 、と語ったとき俺は肯定もせず否定もせず、ただ「ほお」という顔を作っていな ければならなかった。 確かあれは中学3年の時だったと思う。国語の時間であった。なんでも古典か なんかの鑑賞が授業のテ−マだった。突然、佐藤というのが手を上げた。 こいつは体がでかいのと無闇に人が好いのが取柄なだけの奴で、こんな時に何 を言うつもりかと思わず注意を向けていたら、やっぱり訳の分からないことをし ゃべっただけであった。 ところが、国語の教師は何を勘違いしたのか、「佐藤くんの解釈は見事だ。君 の言うとおりここは・・・」などと始める始末であった。佐藤にしてはとんだと ころで点を稼いたわけである。しかし、やはり奴は佐藤であって佐藤に過ぎなか ったのだった。 奴は、教師の言葉が終わるのを待たずに、 「先生、俺はそんな意味で言ったんじゃねすよ」 そんなことを大声でしかも二度も繰り返したのである。 俺は、あの時の佐藤のような間抜けな真似は決してしない。いや、出来ないと いうべきかも知れない。おっと、つまらない話に時間をとられてしまった。 その商業誌だが、純文学の世界では巨塔の名を欲しいままにしてきた雑誌であ り、芥川賞、直木賞の大半がそこから出ている、と言ってよい。ここでは仮に「 文芸界」という名前にしておこう。 「文芸界」*号(俺の作品に対する書評が載ることになっている)の発売の日、 俺は朝から妙に興奮していた。前夜酒を飲み過ぎた訳でもないのに始終喉の渇き を覚え、仕事中もひっきりなしにお茶をすすっていた。職場の連中から「昨晩は どこで飲んだんですか。またひとりだけもてたんでしょう」などとからかわれな がら、何度もトイレに通う始末であった。それでいて便器の前に立つと、脚がか くかく小刻みに震えるばかりで、オシッコは思ったほども出ず、チョロリとズボ ンを汚すばかりであった。 3 結局その日、俺は「文芸界」を手に入れる事は出来なかった。そして、団地の 4畳半の片隅に置かせてもらっているワ−プロの前で、安酒を飲みながらある幸 福感に浸ることが出来た。俺は、安っぽい商業誌などに拝脆しなかったのだ。俺 はプライドを護ったのだ、と。 次の日、「あすなろ」の仲間から゛祝福゛の電話が続いた時、俺は前の晩誇り に咽んだことなどすっかり忘れ去っていた。それで十分だった。 俺が「文芸界」に載った書評を目にしたのはそれから四日ばかりたった「あす なろ」での合評会での席であった。しかも、誰かが「ほら、これよ」といって俺 のところに持ってきたのを、振るえる手でしがみつく様にして読んだのだった。 評者は、あの井上謙であった。彼の批評をくぐらずに文壇に出た者など一人も いないと言われている。俺は、俺は・・・言うまい。 なんにしろ、その評を抜き書きしておくだけにとどめて置くことにしよう。 『まず、小説は面白くなければならない。「おもしろい」という武器に援けら て読者の心を占拠するのである。そういう意味での「いかに読ませるか」の 観点からいえばこの作品は、はなはだ稚拙であるといわざるを得ない。 しかもこの作品には、文学的な奥行きの深かさ・広さが少しも見あたらない 。語り口も不自然で、知的センスに欠ける。 加えて、現在の同人誌の状況ともいうべき、政治的貧困さと非国際性を端的 に示している・・・。 文学とは、ことばである。文章である。自己のことばで世界を解釈し、それ を表現するための自分自身の言葉を見つける、それが文学だと思う。この作 品からそれを見いだすことは出来なかった・・・云々』 それを読み終えてからしばらくの間、俺は「文芸界」から顔を上げる事が出来 なかった。誰かがもし、俺の顔を覗き見したなら、きっとその場で卒倒していた 筈だ。 全身から血の気が引いて行く、そんな感覚を俺はその時初めて経験した。そし てその時、俺はからだのどこかに一つの火が灯ったのを感じた。それは何とも荒 々しい予感を感じさせるものであったが、俺は何故かそれを素直に受け入れる事 が出来た。 周囲のざわめきが耳をついた時、俺は自分を取り戻していた。 4 その日の合評会はいつになく参加者が多く、活況を呈している有様だった。言 うまでもなくお目宛はこの俺だ。井上の書評に打ちひしがれボロボロになった俺 の哀れな姿を見物に来たのだ。 奴らは、井上の書評の内容を知っていて電話をかけてよこしている。何と卑劣 な。どいつもこいつも、せいぜい楽しんだに違いない。「おめでとう」と言った 腹の中でアカンベエか。 いや、彼らは「井上先生に批評を貰えるなんて羨ましいなあ」「第一関門突破 ね」・・・そんな風に言っていたに過ぎなかった。それを俺は勝手に゛祝福゛の 電話にしてしまっただけなのだ。はっはっはっは・・・お笑いだ。大笑いだよま ったく。いやいや、まてまて。しかし奴らが俺をもて遊んだ事には変わりはない。 井上の書評を読んでもその真意をすぐに理解出来る筈はないのだから、やっぱり 奴らの言葉には毒が仕込まれていたと断じる以外にない。俺は、あの火が一段と 勢いを増したのを感じた。 好奇心が破裂寸前にまで膨らんだ部屋のなかで、合評会がどのように進行し、 誰が何を語ったか等々、記憶する必要はない。ただ、俺はおし黙っていた訳でも なければ虚勢を張って大声を張り上げもしなかった。いじけた気持ちなどこれっ ぽっちも表から伺うことは出来なかった筈だ。 お開きになって、帰って行く時の奴らの顔といったらなかった。 そんな事があってからも俺は、「あすなろ」に投稿を続け、合評会にも出来る だけ顔を出した。人並に羞恥心を持ち合わせている人間なら顔など出せる筈もな ないのだが、俺には小さい頃から照れや羞恥心を覆い隠し、何事もなかった様な 顔でいられる、という特技があったからその時も平気で「あすなろ」に居続けら れた。 一ケ月もしないうちに、俺は次の作品にとりかかっていた。新しいテ−マにふ さわしい細工を二、三労したのは言うまでもない。 一つは、会話の部分を極力捨てたことだ。というより徹底的に排除した、と言 った方がいいかも知れない。だからと言って、情景描写をそれに置き換えるなど という愚かしさは厳に慎んだ。特に、形容詞はこれを出来るだけ追放した。 「なんだそれではお役所の報告書と一緒じゃないか」 と指摘する声をあとで聞いたが、それは全体を見ていない事を白状しているに過 ぎない。先にも言った通り、俺は意図的に工夫を凝らしておいたのだ。 二つ目に、俺は「・・・に違いない」「・・・かも知れない」・・・そんな類 の表現を一切採用しなかった。そうすることで文章が引き締まり、展開にスピ− ドとリズムを与えることが出来た。初めて一人称で書いたことと一対のものとし て作品全体を貫き通した。 三つ目は、「詩形」という形式を取り入れようとしたことだ。残念ながらその 試みは不満足な結果に終わった。 何しろ、俺にとってはそれまでのスタイルを一変させる冒険であった。 5 俺は、二週間足らずでほとんどを書き上げた。それは、六十枚ほどの短編であ った。 瀬戸内の小都市を舞台に、少しも芽の出ない日本画を志す青年と、すでにいく つもの新人賞などを手にし将来を嘱望されている若手洋画家との友情と別れを、 二人が同時に思いを寄せている女性の葛藤を軸に描いたものであった。 秋から冬にかけての瀬戸内は、変化が激しくしかも叙情的な風景は消える。登 場人物の心象風景と見事に一致するといってよかった。 そんな時ちょうど、「あすなろ」のゲラ評(生原稿あるいはワ−プロで編集中 のものを各自持ち寄り批評しあう)が開かれた。俺は、もちろんコピ−を何部か 持ち込んだ。その日のゲラ評の事を、俺は一生忘れない。 俺はそれまでゲラ評には2回ほど出たことがあった。正直いってそれが気に入 っていた。というのも、互いに歯に絹を着せる様なマネはせず、持ちこまれたゲ ラ刷りを徹底的に叩き合うからで、もっともそのあまりの激しさに「あすなろ」 から逃げだした奴も随分といた。 「一から書き改めるべきだ」という発言さえ飛び出すことがあった。湯呑や灰 皿はさすがに飛ぶことはなかったが、代わりに唾液が飛び交った。 ある時など、「君のは小学生の作文以下だ」と言われた相手が、みんなの前で ゲラ刷りをビリビリ引き裂いたこともあった。 俺が初めて持ち込んだゲラもずいぶんと叩かれた。冷汗があんなに冷たいもの だと知ったのもゲラ評の席であった。俺が、年長者だという理由で攻撃の手を緩 めるなどという者は一人もいなかった。 中でも、金井という30過ぎの青年はとりわけ辛らつで、声も大きかったが目 がゾッとするほど鋭かった。そして必ず相手の喉首あたりを指さして批評を加え た。俺もやられた時は心臓がギュッと縮み呼吸さえ出来なかったのを覚えている。 逆に批評を受ける時は、乳児のごとくなんでも素直に受け入れようとする気構 えが見られた。目元の優しさは同一人物かしらと思うほどだった。後で聞いた話 では、金井も「文芸界」の書評欄への推薦を受けたことがあったがそれを断わっ たらしい。 もう一人山田という30前の好青年がいた。まだ独身で京大中退という経歴が 彼の風貌とうまくマッチしていた。中学の時、新聞配達をやって自分の身の回り の物はほとんどまかなったという。話では、ただ一人の姉も助けていたらしい。 そんな境遇のせいでもないだろうが、彼の作品はどこかスネた雰囲気を持ってい るように俺は感じた。先入観のせいかも知れない。 山田は、ゲラ評の常連のくせに合評会には、一度も顔を出したことがなかった。 そんな山田を俺は、自分に素直なだけだと羨ましく思ったものだった。いずれに しろ、「あすなろ」のレベルの高さはゲラ評に負っていたといってよい。 その日、山田もゲラ刷りを持ち込んでいた。それを知った時、俺はひどい緊張 に襲われた。山田の冷たい語り口はきっと、いつもより一層冷たく俺の全身を刺 すだろう。金井は、山田との激論の余勢をかって俺に襲いかかってくるに違いな い。 そして、俺の想像した以上のゲラ評が展開した。 不思議なことに、俺はそんな空気を居心地よく感じ、合評会ではとうてい獲ら れない興奮はそれから何日間も続いた。 ゲラ評のあった日から十日ばかりたって、「あすなろ」最新号の編集会議があ った。山田の作品が巻頭を飾り、俺のものがトリをとることに決まった。 俺の作品はゲラ刷りの段階に比べその性格は一変していた。 二人の青年と女性の関係を後景にしりぞかせ彼らをとりまく時代そのものを前 面に出した。ゲラ評で金井と山田は、口を揃えて「平凡で類型的な設定、低俗で 陳腐な表現、因習に囚われた古い思想、これではいくら文体が目新しさを装った って何もならない」と責めたてた。ほかのメンバ−もテ−マの古さの意外さに失 望したことを隠さなかった。たしかにその通りであった。 俺は形式にばかりとらわれていた。それまでのスタイルを捨て、新しい試みを 徹底して貫こうとの初志を忘れていたのだった。 俺のこんどの作品が生まれ変わらなければならなかったのは、必然であった。 編集会議がお開きになった後、世話人らが俺を食事に誘ってくれた。めったに ない事であったし、何かそわそわした彼らの態度に俺は柄にもなく動揺した。 つづく
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