空中分解2 #0584の修正
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(5) いよいよ庭から花らしい花がなくなりかけた。もういいわ、やめましょう、アキがそ う言い出すのを待っていたが、彼女は毎晩居間のソファーに布団を運んだ。松尾が何も 言わないと彼女がそこで寝た。べつに彼を当てにしているふうでもない。 「私は昼間寝ようと思えば寝られるんだからいいの。それに馴れちゃってここのほうが ぐっすり眠れるわ」 松尾の気持ちを見透かしているように、アキはそう言ってソファーにもぐりこんでし まう。 それでも一週間に一度、土曜日だけは松尾が代わって居間に寝た。テレビで深夜映画 を見てからそのまま見張りをして、翌日昼頃まで眠るというみえすいた協力もアキは気 にしていないようだった。 テレビを見ながらいつのまにか寝入っていた。気が付くと番組は終わっていた。テレ ビを消してカーテンを少しあけ、外を見ると小雨が降っていた。一昨年植えた金木犀の 葉が濡れて鈍い光沢を放っている。雨の中を花を盗みに来る者もあるまい、と横着をき めこんで、もう一度眠りに落ちた。 空罐がころがったような音で目が覚めた。 はじめしばらくは自分の居場所が分からなかった。今度はたしかに家の外でかちっと 金属がぶつかるような音がした。急いで起きるとカーテンの間から外をのぞいた。うっ すらと明みをおびてきた大気が、止んで間がない雨のあとの靄にかすんで、まわりの物 の輪郭を溶かしこんでいる。しかし、静かによどんだ乳濁液の中に動くものがあった。 それはひとの背丈くらいの金木犀に向かって立っているらしかった。 今松尾の家にある花といえば、強い香りをただよわせているこの金木犀くらいだった 。金属音に聞こえた鋭い音は枝を折っている音だった。こちらの動きを気取られると顔 も見ないで逃げられそうだった。このまま待って道路に出て安心したところをこちらも 靄にまぎれて、新聞配達人でもよそおって近づき見届けてやろう。その影は意外なほど 差し迫らぬ手つきで枝を手折っていた。 靄の中でうごめいていた人影が、ゆっくりと出口のほうへ移動しはじめた。松尾はあ わてて玄関へ行き、下駄箱から運動靴を取ってきた。すでに庭から花泥棒の姿は消えて いた。サッシの引き戸を開け、パジャマの上から手近にあったカーディガンを着ながら 外へ出た。車庫の前の低い柵をひょいとまたいで道路に出た。 ふだん重たく感じる体が、興奮のせいか身軽に動く。 ことと次第によっては、格闘するくらいの気力を身内に蓄えて、闖入者の後ろ姿を捜 した。それはすぐにみつかった。妙に落ち着き払った足取で四、五軒先を歩いていく。 そのふてぶてしさに毒気を抜かれて、歩調を合わせて後をつけた。 早い出勤の車とおぼしい乗用車が、フォグランプをつけて横道から出てきて通り過ぎ ていったが、前を行く花泥棒はどこまでもひたひたと同じ足取りで歩く。その大胆さに 驚きながらも、ここらあたりで声をかけなければ、ひょいとどこかの家にはいってしま って、そうすればもうとりつくしまもなくなりそうで、しだいにあせってくる。それに この落ち着きぶりでは、こちらが簡単に言いくるめられて、雑踏の中で人違いをしたよ うな立場に追いやられそうでもあり、そんな気弱さが勝ってきて、思い切って当たって みる決心をした。 わざと足音高く早足で近づいていった。どう呼び掛けたものか、と迷ったあげく、あ のう、もし、となんとも我ながら馬鹿げた言葉が出てしまった。相手が立ち止まらない ので、今度はすぐ背後にまで行って、待ってください、と少し強い口調で言った。 振り返った。 和服姿の小柄な女だった。胸に金木犀の枝を抱えて、顔が隠れるほどだった。まだほ の暗い明るさの中で、とぼけたような目がじっとこちらを見ていた。歯のない口許に皺 が集まっているのが見えた。老女はなぜ自分が呼び止められたのかを問うように、松尾 の顔を見返した。 そのとき彼女の腕の間から金木犀の枝が一本足許に落ちた。老女は 急いでその枝を拾おうと屈んだ。前こごみになった体が二、三歩よろめいて、彼女の貧 弱な胸から抱えた枝が絡まり合うように、つぎつぎとこぼれ落ちていった。老女は困っ たような悲しいような表情をして松尾を見上げた。その目にやはり邪気はなく、粗相を みつけられた幼児のような戸惑いと怯えが見え隠れするだけだった。金木犀の香りが立 ちのぼってきて、松尾は自分が理由のない殺意を抱いているのを感じた。 (了)
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