空中分解2 #0583の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
もうここ五年くらいは喧嘩らしい喧嘩もしていない。以前は子供のことが喧嘩の種に なっていた。最初は子供ができないことを気にしたアキが、どうして私は子供ができな いのかしら、と愚痴を言っているうち、しだいに激してきて、うんうん、としか言わな い松尾に腹を立てて泣いた。その後子供のことはアキもあきらめて愚痴を言わなくなっ たが、養子のことを考えるようになって、二人はまたときどき言い争うようになった。 いつもアキのほうから養子の話が出るのに、最後はきまって、私が自分の子を産めない ものだから、と彼女が陰鬱な様子になって話が途絶えた。 松尾が怒鳴るのはわけのは っきりしない場合が多かった。わけがはっきりしないというよりも、月に一度くらい無 性にいらいらすることがあるのだ。そんなときはアキのテーブルに食器を置く仕草まで が腹立たしかった。こまごま文句を言い出すと、自分でも止めることができなくなって 、些細なことをあげつらって怒鳴った。アキはいつも笑って、はいはい、と言っていた 。子供の不機嫌を、しようがないわねと聞き流している母親のようなところがあった。 子供がいないから、かえってそんな夫を子供に見立てて楽しんでいたのかもしれない。 不思議と二人で怒鳴り合うような喧嘩はしたことがなかった。 松尾が黙っていると、アキは、あなたはいいわね、自分の仕事があるんだから、と言 い、恨めしそうに松尾の顔をちらりと見て、組んだ両手の平を上に向け、それをひざに 乗せて俯き込んでしまった。花ぐらいでとはやはり言えそうな雰囲気でなかった。それ を言えば、収まりかけたアキの感情を再び燃え上がらせそうだった。今は花のことじゃ ないのよ、そんなことが分からないの、と言い出し、収拾がつかなくなりそうだった。 「今晩から俺も見張りをしてやるよ」 なぜそんなことを言ったのが、自分でも分からなかった。やはりどこかで面白がって いたのかもしれない。どんな人間が花を取りに来るのか知りたい気持ちはたしかにあっ た。だが、そのために寝ずの番を買って出るつもりはなかったのに、はずみでそんなこ とを言ってしまった。思いのほか、アキはうれしそうな顔をした。 「でも仕事に差し障るといけないから、気持だけでいいわ」「いいさ、遅出の日だけで もやってやるよ」 行きががりでそう言わざるをえなかった。まんざらいやでもない気になっていた。そ して早速その夜から代わることにした。 松尾もアキの言うように、花泥棒が来るのは明け方の早い時間だろうと思った。それ が花泥棒にはふさわしい時間だという気がする。闇夜の提燈などというが、深更の盗み はもっと切羽詰まったものではないだろうか。 午前四時に目覚まし時計をセットして寝たが、奇妙に目が冴えてなかなか寝付けなか った。ラジオを持ってきて深夜のFM放送を聞きながら寝た。途中で目が覚めたらまだ ディスク・ジョッキーをやっていて、時計を見ると二時すぎだった。ラジオをとめても う一度眠りに落ちたら、すぐに目覚まし時計が鳴って、驚いて起きた。 カーテンを少し開けて外を見たが、まだ夜中の暗さだった。夏なら地上はほの暗くて も、空には朝の光が現れている時間なのだろうが、これじゃあ庭に忍んでくる者がいて もとてもみつけられそうにないな、と松尾は思った。かといってまたソファーに横たわ ればそのまま眠ってしまいそうだった。明かりをつければ警戒して花泥棒ははいってこ ないだろう。暗闇の中で息をひそめて獲物を待つ獣の忍耐を考えていた。窓のそばに肘 掛け椅子を置いて、窓に平行に坐った。そしてカーテンを少し開いて外を眺めながら過 ごすことにした。寒いので上布団をすっぽり首の所まで被った。それでも足元に冷気を 感じる。電気あんかを出して置かないといけないと思いながら、アキは毎晩どんな気持 でここに坐っていたのだろうと考えた。 六時ごろに新聞配達と牛乳屋が来た。もう今日はやられることもあるまいと思って、 またソファーにもどって眠った。 それからアキと代わりあって毎日見張った。代わりあったといっても、一週間のうち 松尾がやるのは二日か三日のものだった。 (4) ある晩しばらく眠ってから目が覚めた。ことりと乾いた音がしたように思った。ソフ ァーで寝ているアキがもう起き出したのかしらと思って、時計を見ると二時すぎだった 。もしかして、という気がして階下へ降りていった。居間のドアを開けると、カーテン の隙間から外の薄明かりが見えて、ソファーにアキの姿はなかった。トイレに行ってい る様子もない。さっきの物音にアキも気付いて外に出たのかもしれない。そう思ってベ ランダへ出るサッシの引き戸を見てみると、やはり鍵がかかっていない。窓ごしに庭を うかがうが、ブロック塀やつつじの植え込みやフラワースタンドの黒々とした陰が見え るばかりで、アキの姿はどこにもなかった。松尾はサッシの窓を開けると外に出た。家 の右側は簡単な差し掛けだけの車庫になっている。その前に低い折り畳み式のアルミの 柵があるが、これはだれでも飛び越えることのできる形ばかりのもので、庭にはいって くる人間はここから来るにちがいなかった。車の陰に誰もいないことを確かめて、松尾 は庭の反対側へ行ってみた。庭をできるだけ広くするために、玄関のところまでブロッ ク塀を道路際へ押し出した恰好になっている。奥の隅に物置があるが、それとブロック 塀の間にアキが立っているのを松尾は見た。彼女のほうは松尾に気が付かないふうでじ っと車庫の前の柵のあたりをうかがっている。パジャマの上にガウンを着てはいるがず いぶん寒いだろうに、憑かれた者の目付きで何かを待っている気配だった。無意識に手 を反対側の袖の中に入れている。 「おい、何やっているんだ」 声をひそめて呼ぶと、アキはやっとこちらを向いた。照れ臭そうな顔をするのかと思 ったら、真剣な表情で彼を見て、ゆっくり出てきた。 「さっきね、家の前を誰かがうろついていたみたいなのよ」 松尾のそばにいてもアキ の目は気ぜわしく車庫の出口付近をうかがっている。彼女のガウンは夜露に湿っぽくな っていた。 「かぜを引くじゃないか。もうはいれよ」 「ブロック塀の向こうに身をすくめているのじゃないかと思うんだけど、こわくて行か れないの」 松尾がアキの肩を抱いて家に入れようとしても、彼女は体を固くして、やはり見えな いものの動きを感じ取ろうとするかのように立ちつくくしていた。それじゃあ、自分が 見てきてやろう、と松尾が歩き出すと、私も一緒に行く、と腕にすがってくる。どう言 っても納得しないおもむきだった。寄り添ってふたりは歩いた。いつのまにか自分も探 る者の足取りになっているのに彼は気付いた。低い柵の止め金をはずして道に出た。塀 の陰はおろか、ずっとのびた団地の道路には動くものの姿はなかった。アキの体の緊張 がほっとゆるむのが松尾に伝わってきた。 「もういいだろう」 彼がそう言っても、アキはまだ道の反対側の暗闇をたしかめるように見ている。なに げなく振り返ると低い空に鎌状の月が心細げにかかっていた。こんな月をこんな時間に 見るのははじめてのように思えた。 (つづく)
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