CFM「空中分解」 #1812の修正
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「百歩隔てて柳葉を射るに百発百中」とは中島敦の描いた弓の名人のことであった。 しかし、技を極めた「紀昌」はついには弓を手にはしない。ここに、中島敦の弓道観 をかいまみることができるのであって、それは、「精神主義」とも見える。 また、自身も弓道五段を持つドイツの哲学者、オイゲン・ヘリゲルの「日本の弓術」 にも、弓はスポーツではなく、「精神的な経過」だ、との記述がある。無心の離れ (矢が放たれること)が一つのキーワードである。 弓には、なにやら神秘的なものが付随しているようだ。これは、弓術がかつて、 物事を占う際に用いられた時代があったからかもしれない。 弓はスポーツではない、今でも一般にはそう思われているのかも知れないが。 しかし、私達の先生は弓はスポーツだ、と言い切っていた。ものの本に登場する 「丹田呼吸法」なるものについても「腹で息ができるものか」「それくらいの間、 息を止めていなさい」とおっしゃっていらした。 「○○連の射法は目茶苦茶です」先生のご教授はとことん科学的だった。○○連の 射法が力学的に、また、生理学的にも無理の多いものであること、ならば、どう 引くのがよいのか、細かく、丁寧に解説をくださった。 あるとき、先生が私たち、下級生の練習を見に来られた。「どれ、僕はもう 力がないから、一番弱い弓を貸してくれ」と言われて、女子初心者用の10キロ (引いたときの力で)もないような弓を手にされて巻き藁射をされた。 僕らはあっ、と息をのんだ。火の出るような鋭い離れ、その矢はとてもぺらぺらの 弱弓からくりだされるものとは思えない。幾人かのものは、それを見て震えていたとか。 「先生の射をどう思う?」後になって、新入生に聞いた。 「おとしなのに、しっかりされているな、と思いました」 矢勢のものすごさが新入生達には分からなかったらしい。 ヘリゲルの著書に登場する、阿波研造が甲矢の筈を乙矢で割ってみせたことに 付いても先生は「あんなことは意味はありません。まぐれです」とおっしゃった。 先生は間違いなく、「名人」であった。僕らにとって弓はスポーツだった。 あのころのほとんどの部員は先生の「信者」になっていた。そういう時代があった。 ううたん
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