CFM「空中分解」 #1541の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
春らしい暖かな日であった。この市営公園の噴水の周囲は、家族連れや 老人たち、それに待ち合わせらしい若い人などで、いつもの様に賑わって いた。噴水の縁石に、一人の若い男が座っているのが見える。川上である。 彼はもうかなり前から、同じ姿勢で、首だけ動かし、辺りの人ごみの中を うかがっていた。数分ごとに、腕時計を覗く。かなりいらいらした様子だ。 そこへ、どこからともなく一人の男が、これもやはり川上くらいの年齢だ ろうか、川上のそばに近寄って、親しそうに声をかけた。 「なにやってんだ。川上じゃないか」 川上はしばらくいぶかしそうにその男の顔を見つめていたが、 「やあ。西原か。しばらく会ってなかったから、わからなかった」そう 言って、笑った。「今ちょっと人と待ちあわせているのだ。それにしても、 遅い」 「女かね。うまくやってやがる。俺なんか、ほら、これから一人で買い 物だ」西原は右手に持ったセカンド・バックを高く掲げた。 川上は苦笑して、腕どけいを覗いた。「遅いなあ。何やってんだろう」 その様子を見た西原は、驚いた様に目を丸くして、不自然に川上の顔を 凝視した。 「君は・・・・・・腕時計をつけるのか」語尾が震えている。 「いや。これは・・・・・・仕方がないんだ。待ち合わせだから、仕方がない 「そんな馬鹿な理由があるか! 非常識だ! 君は時間を知るというただ それだけの為に、手首の筋肉をその様なバンドでしめつけるのか!」 「違うんだ。だからその・・・・・・」川上は気弱く反駁しようと試みた。 「何が違うんだ。手首には、上腕筋を通過した新鮮な血液が、様々な血 管を流れて掌に至っているんだぞ。それなのに、君はその生命活動を、そ んなふざけきった時計のバンドで、少なからず遮断しているんだ!」 川上は返す言葉がなかった。確かに、敗北であった。けれども彼は、何 とかこの窮地を免れようと、頭をふりしぼって反論を考えた。そうして、 いきなり立ち上がり、蘇生した者の如く次の様に言い放った。 「それは主観の問題だ。確かに俺は時計のバンドによって不健康な状態 かも知れぬ。しかし西原、そんな事よりもっと重要な事実に、君は気づき はしないかね。俺が今ここにこうして女と待ち合わせ、約束の時間を馬鹿 みたいに待っているのは、俺が今夜の肉体的快楽を苦しいほど切望してい るからだ。言い換えれば、種族保存の本能である。その為には、約束の時 間に女と会わなければならず、やはり時計が必要なのさ。君の言う様な形 而下的な腕の健康と、絶大なる種族保存の原則と、どちらが大事か、考え ずともわかるではないか」 この展開には、西原もさすがに参った様であった。意気消沈して、 「そのとおりかも知れぬ。君の説は正しいよ。合理的だし、何やら共産 主義的な匂いさえ感じられる。ここまで納得したのは、ルソーの社会契約 論読後以来だ」彼は肩を落として、寂しげな後ろ姿を見せ、そのまま人ご みの中に去って行こうとした。 「待てよ」川上が声をかけた。 西原は足を止め、元気のない表情でふり返った。 「まだ何か、用があるのか」 川上も立ち上がり、西原の方へしっかりと歩み寄った。 「ひとつ聞き忘れていたが、君はさきほど、”これから買い物へ行く” とか言ったな。もしそれが正しいのなら、なぜその様なセカンド・バック を持っているのだ。買い物なら財布以外は必要ない筈で、品物を入れる袋 ならお店の方が用意しているではないか」 「浅はかだねえ」川上の期待を裏切って、西原は生き生きとした口調で 語った。「君の説は、非常に観念的だ。いや、観念のみから形成されてい ると言ってもいい。僕のこのバッグの中に何が入っているか、君は全く知 らないんじゃないか。そのくせ君は」西原がそこまで言った時、川上は自 信ありげに叫んだ。 「待った! 知っているとも。そのバッグの中身くらい、理論でいくら でも予測できる。シャアロック・ホームズがよく使用していた手法で、簡 単に割り出せるのさ。細かい理論の展開は、非常に難解で面白くないから、 ここでは結論だけ言おう。バッグの中身は、まず君がお姉さんから買って 貰ったビニール製の財布。これは一見牛革に見えるが実はそうじゃない。 それから次は、煙草。キャメルだね。君は本当は体に影響の少ないライト を吸いたいが、新発売というだけで、どうも買うのが恥しいようだ。だか ら、昔からある普通のキャメルだ。次は、ライター。ジッポーの一番安価 な奴だ。君は煙草に火をつける時、周囲の人々にライターがジッポーであ る事を知らせる為に、いつもわざわざ立ち上がる癖があるね。あれはみっ ともないから、よした方がいいぜ。そうして次は、ティッシュペーパーだ。 駅前で十七、八の子供が配っている、テレフォン・クラブの名前が入った、 ピンク色の小さな袋に入った奴だね。艶めかしいペンギンの図柄の横に印 刷されている電話番号を、君は一度確認した。けれどもそれが女性用の番 号である事に気づいて、苦笑した。まあ、そんなところかな」 西原は黙っていた。彼の脳は、混乱していた。川上の割り出した全ての 事柄が、余すところなく、完全に事実だったからである。ややあって、 「信じられないよ・・・・・・そのものずばりだ」 「それ見ろ。観念だろうが実在だろうが、全ては理論に基づいているの だ」川上は得意だった。 西原は言った。 「僕はもう帰るよ。買い物にも、行く気がしない」 「何だ、だらしがねえなあ。まあいいや、また今度会ったら、お茶でも 飲もうじゃないか」 「ああ、じゃあ」そう言って体の向きを変え、西原は足を一歩踏み出そ うとした。そうして思い出した様に少し振り返り、川上の方を見て、 「最後にちょっと聞きたいのだが、君はいつからここで待っているんだ」 川上はそれを聞いて、意味ありげににやりと笑った。 「俺は、ここに座って以来数え切れぬ程の朝と夜を迎えた。そう、逆算 して考えてみれば、三年と八カ月ちょっとだ。だからほら、上着も擦り切 れて、こんなにボロボロだ。その間ただ腕時計を覗き、人ごみを見つめ、 純粋に待っていた。勿論、食物は一切摂取していない。なぜなら俺は、待 つという行為を完全に純粋に行ないたいからだ。一種の、無我である」 西原はそれを聞いて、納得したように、 「なるほど。宗教的だな。やはり知識人は、そうでなけれあいけない。 しかし、君は哲学でいう真理のつもりでその様なやり方を「純粋なる待機」 と呼ぶらしいが、それでは君、生物的な新陳代謝は、一切行なわれていな いんじゃないか。死ぬぞ」 川上は、はっと思った。初めて、自分の行なって来た「純粋なる待機」 の当然の結果に気づいた。その瞬間、それまで彼を支えていた観念という もろい柱が、大きな音を立てて崩れた。残るは実際のみ。 西原の見ている前で、川上の体は凄まじい速度で腐食してゆき、見る間 に崩れ落ち、残った骨も、次の瞬間には風化して、白い粉になった。上着、 シャツ、ズボン、全て繊維が崩壊し、どう見てもボロ切れであった。
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