CFM「空中分解」 #1481の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「ぱたん」 二十三世紀大学文学部国文科の杉野森弥三郎教授は読みかけの文献を閉じた。 「ぱたん」 ドアをあけて入ってきたのは才女の誉れ高い助手の梅田手児奈である。 「先生、およびでしょうか」 「ああ、手児奈君。君も例のハヤシ問題については知ってるだろう」 「一九七〇年頃の古文書になぜか『ハヤシもあるでよ』という言葉が異様に多い、というあれですね」 「このことについてどう思うね」 「どうって……森もあれば林もある、ということではないでしょうか」 「見方が甘いね。それではこの時代にこの言葉が偏っていることの説明にはならない。それにこの『でよ』という語尾は当時の標準語にはないものだ」 「というと、つまり」 「私の考えはこうだ。当時農水省という役所があったのは知ってるね」 「はい」 「農水省、つまり農林水産省の略なんだが、ほら、後ろの棚の二十世紀事典をひいてごらん。途中まではただ農林省という名だったとあるだろう」 「はい、確かに」 「それが農水省という名前になった。はずされた林業関係者の怒りが、『ハヤシもあるでよ』という言葉に現われたんだ。そういうことだな」 「標準語じゃない、というのは」 「東京の真ん中に林があるかね」 「あの、でも、農水省に変わったのは多少時代的に後のことになりますけど」二十世紀事典をめくりながら手児奈がいった。 「ん?そうだったかな。まあ、古い文献だから、多少時代のずれはあるかもしれんな」 「でも、なんでそのことを」 「いやね」杉野森教授は机の上の学会誌を取り上げた。 「今そのことに関する三本松大の松本喜三郎教授の論文を読んでたんだが」 「あ、あの人私生理的にどうも苦手なんです」 「いやまあ生理的はどうでもいいんだが、また変なことを書いてるよ」 「今度はなんですか」 「彼はね、ハヤシってのは森林のことじゃないんじゃないかって言ってるんだ」 「森林じゃない……とすると、人の名前ですか。それは無理ですよ。当時の文法では、『ある』は人に対しては使わないはずです。それだったら『いる』のはずです」 「いや、人の名前とも言っていない」 「では、なんと」 教授は手児奈の顔を見つめた。 「君、ハヤシライスを知っているかね」 「知りません。何ですかそれ」 「まあ、カレーライスのようなもんだな」 「そのころからカレーライスってあったんですか」 「きみきみ、カレーライスは十九世紀からあるぞ。勉強が足りないね。とにかく、ここでいうハヤシってのはこのハヤシライスのことだというんだよ」 「ハヤシもあるでよ。ハヤシライス……そりゃわからなくはないですけれど、ハヤシライスがあったからどうだというんですか」 「そこだよ」 教授は身をのり出した。 「松本教授は、この言葉はギャグだというんだ」 「ギャグ」 「話にならんだろう」 「ハヤシもあるでよ。……なぜギャグなんですか」 「ハヤシもあるでよ。……ハヤシライスがあるよ、とそれだけのことだろう」 「そもそも、二十世紀のギャグの傾向といったら、ガチョーンとかアジャパーとか、ナンセンス全盛の時代ですよ。ハヤシもあるでよ。……ハヤシライスってそんなに面白い食べ物なんですか」 「いや、カレーから辛みをとったような物だ。別に面白くはない」 「だって、ハヤシもあるでよがギャグだったら、饅頭もあるでよでも月見そばもあるでよでも、ギャグになっちゃうじゃないですか」 「まあ」杉野森教授は学会誌を放り出した。「あんないかさま教授の言うことなど、真面目に相手にすることはない」 「先生、これはもしかしたら祭り囃子と関係があるではないでしょうか」 「いい着想だ」教授はゆっくりと立ち上がった。「その線で研究を進めてみよう」 梅田手児奈。のちに国文学の母と呼ばれる女性の、若き日の姿である。 [完]
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