CFM「空中分解」 #1408の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
女は頬の辺りに円みのある、小麦色の肌をした小柄な人だった。見たところ年齢は2 から24ぐらいだろうか。予想通り、赤いザックの持主であった。彼らが“こんちは” と声をかけると軽く肯いてみせたが、一言も喋らなかった。 夕方になって、彼らは炊事を始めた。10日前、膨大な量であった食料も今ではかな り減っていた。彼らは一種の料理の達人と言えた。山では食事が重要な位置をしめてい る。食事の出来によって心理的作用が働くからだ。誰でもうまい飯をたらふく食えばこ の上なく幸せだと思うものであろう。この世界ではこういった心のゆとりが非常に大切 なのだ。従って彼らは山に来ることによって必要に迫られ、進化したと言える。もし、 世界中の女性が山の魅力にとりつかれたら、食のルネサンスが起こるやもしれない。 女性と言えば小屋の女は、彼らが調理を終えて“さぁ食べよう”というときになって も飯の用意にとりかかっていなかった。土間に向かってダランと足を下げ、背中を丸め て座っているのだ。虚な視線はトタンの戸を見ている。いや、それを通り越して遥か向 こうにいっているらしかった。 どうしたんだろうなぁ。様子がおかしいと思うか?ああ、ちょっと見た分にはビギナ が疲れきって放心しているようだが。ビギナーがこんな山にくるか?いや、こういう線 だってあるさ、例えば一人がヤマヤで一緒に来た、とか。なるほど、じゃあ、あの青の ザックの持主が?そんなところだろう。しかしそういやぁ、あの持主はどうしたんだい、一度も見ていないし、もう日だって落ちている。いずれにせよ、彼女は普通じゃなさそ うだぞ。もしかしたら、病気持ちで具合が悪くなったので一方が助けを呼びに行ったの かもしれない。ま、とにかく、声をかけてみよう。 7:3の方がすすっと立ち上がって彼女の方へゆっくりと移動した。そのとき、トタ ンの戸と地面の隙間から夏の熱気がまだ抜けきっていない風が舞い込んできた。彼は彼 女のすぐ横に座った。 「あのう、僕らは○○沢から入ってきて、ずっと縦走してきたんです。」彼の話をき いて女はゆっくりと視線を彼に向けた。しかしさっき同様、瞳孔は定まってはいなかっ た。「あの、これからどっちへいくンですか?」 「………彼が戻ってくるまで、ここにいます。」女の声には息洩れがあり、それが幻想 的に響いた。 「ああ、お連れさんですか。」男は一瞬ザックを見た。「………食事は………?」 「まだです。」 「ああ………、どうです、たいしたもんじゃありませんが一緒に。」 「………いえ。」彼女は深々と頭を下げた。「彼がおりますので………。」 「そうですか。何かお困りでしたら、すぐに言って下さい。力になりますンで。」 男は要領を得ぬまま立ち上がってスポーツ刈りの男の方へ戻った。いい臭いが彼の腹 をくすぐる。ジワッと唾液が口の中で湧き出す。彼がよそっておいてくれた椀を手にす ると勢いよく、食べ始めた。 どうだった?やっぱり、連れがどっかに行っているらしい。何処へ?さぁ。きかなか ったのか?きける雰囲気じゃないんだよ、でもありゃあまいっているね。ふうん。有事 のときは、何かの縁で廻りあったんだ、出来るかぎりのことはしてやろうぜ。もとより そのつもりさ! 「あのほんとに何でも言って下さって結構ですから!」スポーツ刈りの奴が背筋を伸 ばして彼女の方を向いて言った。明るく言おうとしたのだが、かえって場違いなものに 対する気まずさを生むだけだった。 彼女はコクンう肯き、「彼がいますから……」と言った。 その夜は放射冷却によって酷く冷え込んだ。きっと空には“My good!It's full of tars!"と絶叫したくなるほどの光景が広がっていることだろう。夏では貴重な一日と言 えた。日本人には、夏はからりと晴れ冬はじめじめといった感覚があるそうだが、全く 逆である。平地において冬ほどカラリと晴れることはないのだ。あれは一種のマスメディアの洗脳のせいだろう。豪雪地方のビジョンを見ることによって“冬”という概念が出 来上がってしまう。 非難小屋には3人しかいなかったのでかなり広々と寝ることが可能だった。もっとも 寝袋で寝るために、“広々”の意味はそんなに大袈裟なものではなかったが。美味な食 事と安眠は山行を無事に終わらすための重要なファクターだ。だからこのことは彼らに とって非常に嬉しいことだった。女の方も彼らが就寝したのとほぼ同時に床についた。 連れの方はとうとう姿を現わさなかった。何処へ行ったのだろう? 微かな疑問を抱きつつ、彼らは寝息を立てていた。山では前記の通り、寝ることと食 べることのウェイトが高いので、やっているうちに達人にならざるを得ない。駆け出し は浅い眠りしか出来ないのだが、彼らは完全とはいえないが熟睡していた。 夜が静かに深まってゆき、全てのものが眠ったかに思えた頃、ピピッピピッとかき消 えそうな電子音が小屋の中に響いた。そうすると、男達の寝袋の1つが芋虫のようにピ クつき、しばらくして意を決したかのように飛び起きた。枕元に置いてあったヘッドラ イトを弄り寄せ、スイッチを入れる。突如闇の中に黄色い楕円の光が現れる。スポーツ 刈の男はまぶしそうに目を擦り、自分の腕時計にそれを当てた。針は2時を指していた。 「グッドモーニング」そういって彼は横でまだ寝ている相棒を揺すり起こした。「飯 作ろうぜ。」 同じようにピクピクと動いてから勢いよくもう一方の男が飛び起きた。揺すり起こさ れたので寝過ごしたとでも思ったのだろう、あせった顔で彼に時間を聞いた。 2時だよ。おおー、ドンピシャだったかぁ。そう、割と目覚めの良い朝デンス。 彼らは脱皮するように寝袋から脱出すると、ザックに向かった。靴下の下から、板の 間の恐ろしく冷たい温度が染みる。指を曲げての歩行となる。2つの光が物を探す為に 非難小屋の中をなめる。しかし、彼らはもう一人の同居者の方角には向けないように心 掛けていた。自分達はスケジュールの都合でこうやって起きているのだが、それで彼女 に迷惑をかけてはいけない。眠りを妨げられることは非常に不愉快なものだ。 7:3の方がホワイトガソリンコンロの火点けをやり、スポーツ刈りの方は炊事の用 意をしていた。メニューはスタンダードなもので、御飯に味噌汁、缶詰と飲みものとい ったところだった。やがてコンロが青白い炎を勢いよくノズルから噴き出すコンスタン ト状態になったので、米をセットしたコッヘルを乗せた。横から見るとコンロが小さく てとても不安定にみえるのだが、大きな五徳ががっちり支えきっているので実は安全な のだ。 こうしているとしばらくは暇になる。その間に交替で寝袋を畳もうということになり まず最初に7:3の方が炊事をやっている土間を離れた。サッと彼の持っているライト の光が板の間を走り、同居者の赤い寝袋を掠めて自分のザックと寝袋の辺りで止まった。そのときさっさと自分の目差した作業をすれば良かったのに、彼は何故かひっかかるも のがあり、同居者のほうへと光の円を戻した。ゆっくりと、小屋であることに疲れを見 せはじめている板の間を這う。そして円は赤い寝袋の寸前で止められた。直接当てては いかなったが、様子を窺い知るには十分だった。そして彼を驚かすにも。 「おい、イネエぞ。」彼の驚いた、そして押さえられた声が響く。飯の噴き出しを見 守っていたスポーツ刈りの男は確かめるために自分のライトを馳せらせる。円の中には 抜け殻になった寝袋があるだけだった。昨日の様子から、陰惨な想像が両者の頭に浮か ぶ。沈黙は永遠かのように思われた。それを破ることは重大な失敗を引き起こすように 思え、彼らは暫く声を出さずに、自分の頭の中でクェスチョンを繰り返していた。 プスプスプス……… それを破ったのは繊細な人間達ではなく、鍋の米だった。米汁がコッヘルの脇から子 供が垂らしたよだれのように垂れ落ちる。コンロの周囲に白い半液体状のそれがリング を形作ろうとし始めたのだ。それを機に彼らは心の橋を掛け直そうとして喋り出した。 慌てている為に口はよく回らなかったが。 きっとトイレにでもいったんだろう。ああ、そうかもしれないな。夜は冷え込んだし ………。考えられないことじゃない。そうだ、きっとその辺りの理由だろう。 しかし、彼らの飯が出来、代わりに味噌汁の作るためのコッヘルを乗せる頃になって も女は姿を現わしてはいなかった。男達は不安になっていたが、先程の見解を撤廃する までにはいっていなかった。しかし、完全に炊事を終え、飯を空いた腹に流し込む時に なっても現れていなかったので、彼らはいよいよをもって不安になり始めた。最初に彼 女がいないのを発見してから30分以上経過していた。 どうしたんだろう。何か、事故にあったんだろうか?昨日、寝ているとき何か気付い たか。いいや、何も。誰かが襲ったのかな。いや、それはないだろう、そんなことをす れば俺達は気付いていたはずだし、ここは都会じゃないんだぜ。と、するとすくなくと も小屋を出るまでは彼女の自らの行動だ、といえそうだな。ああ。とにかくあの人がど んな理由で、何時出て行ったかは分からないとしてもはっきりしていることは……… 「彼女が実在の人間であり、それがいなくなったということだ。」 両者ともその当たり前の言葉に非常な重みを感じていた。果たして本当にあれは人間 だったと言えるのだろうか。一瞬の間が彼らを思考の暗黒面へと追い遣った。そこから 這い出ようと、彼らは先程にも増して喋りあった。 ………当たり前、当たり前、俺はあの人の横に座ったんだ、ちゃんと質感があったし ポリタンに水を入れて持ってきたのも見た。第一、所持品がこうしてあそこにあるでは ないか。 もっともこういう考え方だって出来る。なにもおばけや幽霊といった超自然現象物が 物理的に存在していない、といったことは言い切れない。中には固体化したものだって あるだろう。理解出来ないものを自分達とは違うんだとすることは一種のエゴと言えそ うだ。 しかし、そんなことがあるわけ無いじゃないか。俺だってそうは思うが………他に説 明つくか?だからといって、闇雲に………。それはそうだが……… 彼らはこの状況を見捨てて出発してしまうような気質ではなかった。彼女に何かあっ たのであれば、対処しなければならない。山ではちょっとした変調が死への片道キップ となりうる。男らは何度も遭難した人のスチルなどを見ていたために、それが過る。ス プラッタムービーというのが最近流行なのは結構なことだが、製作者側の中で何人がグ チャグチャになった人間を見たことがあるのだろう。あれは確実に安全な世界の中で死 に対する恐怖を味わうのであるから楽しいのであって、実際のものをみたら誰もが目を 覆うであろう。 とにかく、女を救えるのはこの場には彼らしかいなかった。彼女の連れは今だもって 帰ってきた形跡は無い。彼らは飯の後片付けをし終え、荷のパッキングに取りかかった。トイレに順番ずつにいこうということになり、まず最初にスポーツ刈りの男がトイレッ トペーパーを手にして小屋を出た。 あたりはまだ暗い。見えないわけでもなかったが、彼はライトをつけた。トイレは小 屋のすぐ近くにあった。1室しかない。もし、ここに彼女がいれば………。一瞬、彼の 頭にいいようのない感情が浮かんだ。周りが闇であることが嬉しかった。誰にも彼の情 け無い顔をみられなくて済むからだ。黄色い輝円は、まるでそこだけ切りとったかのよ うに地面を照らし出す。その円が道を辿ると、みすぼらしいトイレの小屋にぶちあたっ た。トイレの戸の表面から意味ありげに皮が剥がれてぶる下がっている。臭いが漂う。 彼の手がゆっくりと伸び、ドアに到達する。 コンコンコン ノックの音が虚に響いた。しかし、返事は無かった。再度ノックをしてみてもそれは 同じだった。どうやらいないようだ、そういう見解を出した彼はドアのノブに手を掛け 手前に引いた。が、ひっかかって動かない。単にドアが古くなっていただけであろうが 彼を驚かすのには十分だった。パッと手を引っ込める。再び、手を伸ばすのに数秒間ち ゅちょした後、今度は思い切ってドアをあけ開いた。 ぱわあああんとドアはたわみ、臭気がどっと押し寄せた。彼はそれでも中に入り、何 かを恐れているかのように急いでドアを閉めた。何かを恐れているかのように。 .
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