CFM「空中分解」 #0878の修正
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昭和十二年、北海道帝国大学に医学部第五外科が新設されると同 時に、有木博士はその主任教授に任官された。博士はその二年前に 「情動の外科学的考察」という論文を発表していたが、第五外科の 新設と博士の登用の蔭にはこの論文と関連した帝国陸軍の強力な後 押しがあったといわれる。 当時、欧米の心理学会や精神分析学会では人間の情動や性行動に ついての研究が盛んに行われていたが、とりわけ、情動の起源が脳 にあるのか、それとも身体の末梢部分にあるのかという研究が注目 を集めていたのだった。有木論文は「情動の発生は海馬体に起因す る」という大胆な仮説を提唱するもので、それは性行動を重視する フロイト学派の精神分析学を、解剖学的に、あるいは脳神経学的に 裏付けようとする試みだった。 情動とは「急激に生起し、短時間で終わる、比較的強力な感情」 と定義され、主観的な内的体験であり、行動的・運動的反応として 表出され、同時に内分泌腺や内臓反応の変化を含んだ生理的活動を 伴うと説明される。 さて、大脳のうちで系統発生的に古い部分を大脳辺縁系と称する が、その中でも皮質部分は古皮質・原皮質・中間皮質・傍辺縁構造 に区別され、有木博士のいう海馬体とはそのうちの原皮質に相当す るもので、これはさらに海馬・歯状回・海馬支脚という部分から成 り立っている。 有木論文の発表された二年後の一九三七年、海外でも、J・W・ パペッツという研究者が情動の経路について言及している。有木論 文とほぼ同じ主旨で、「情動は海馬体で形成され、脳弓をへて乳頭 体へ伝えられ、そこから傍辺縁構造にある視床前核、さらに中間皮 質の帯状回に達する。帯状回は情動経験の受容領域である」という ものであった。 これらの仮説は、それまで嗅脳(きゅうのう)と呼ばれ、嗅覚 (きゅうかく)だけに関与すると看做(みな)されていた大脳辺縁 系をクローズアップするとともに、その後の研究が進むにつれて、 摂食行動・性行動などの本能的行動にも関与していることを明らか にしていった。 有木博士は自らの仮説を実証するため、脳外科学を専門に研究す る機関の必要を唱え、文部当局に上奏した。これに関心を示したの は帝国陸軍上層部だった。陸軍の秘密部会は「性格改造の外科的研 究」を特務とすることを条件に第五外科の設置を約束した。博士に とって有難かったのは、研究に必要な実験材料を潤沢に提供しよう という内密の申し出だった。いうまでもなく、海馬体の研究に欠か すことのできない生きた脳が手に入ることになったのである。 ロボトミー、つまり前頭葉白質切截(せっせつ)手術によって前 頭前野と間脳との線維連絡を切断し、妄想型の分裂病や強迫神経 症・退行期鬱病(うつびょう)を治療したという報告は一九三六年 に提出されているが、このような内外の学問的進歩を目の当たりに して、軍部の急進的な高級将校が人間行動の枢要な因子である情動 や本能を外科的にコントロールできうるということに目を向けたと しても、異常だとばかりは言い切れない。日本は八紘一宇(はっこ ういちう)の大理想の下に着々と挙国一致の体制を固めていたのだ った。 けれども、当時の脳外科学の技術水準は決して高いものではなか った。脳損傷などの場合、患部を発見するという段階でさえ、一度 開孔してみなければならないという状態だった。脳というのがどれ ほど微妙で不安定な組織であるかを示す例にコントルクーという現 象がある。脳は頭蓋骨内で脳脊髄液に浸され浮游(ふゆう)した状 態になっているが、頭脳が破壊されたり孔が開いたりするの別にし て、ある衝撃で閉鎖性頭部外傷を受けた場合、損傷を受けるのは直 接に打撲を蒙ったところではなく、反対側の、頭蓋骨と激突した部 分である。この現象をコントルクーというのだが、頭蓋骨の中で、 水に漂う豆腐のように、脳はいかにも弱々しげに存在している。こ の繊細な組織に対して、損傷部位の決定すら剖検に頼らざるをえな いという程度の技術で頭部手術がなされていたのだから、いかに危 険を伴うものであったかは窺い知れよう。 (部位決定の技術については、戦後になって、頭蓋骨に孔を開け脳 室に空気を注入したり腰椎から空気を注入する気体脳室写や、頚動 脈や椎骨動脈から造影剤を注入する脳動脈写などの脳室撮影の方法 が開発されたが、依然として脳に与える危険性が大きいため、後年、 脳スキャン・脳シンチグラフィー、さらにCTスキャン「「コンピ ューター断層撮影法「「へと改良されたのは周知のことである) 一九三七年、H・クリューバーとP・C・ビューシーによって、 海馬と中間皮質の海馬傍回、扁桃核と呼ばれる古皮質梨状葉の皮質 下核などを含む側頭葉の両側性切除手術の報告がなされたが、その 結果、性行動の温和化や食物嗜好の変化がもたらされることが明ら かにされた。有木教授は、大脳辺縁系が人格に及ぼす影響の甚大な ることにいっそう自信を深め、多くの実験を繰り返した。 矢継院長の肥った顔が綻んだように見えた。 「先生は、亡霊に逐われているのですか」 言葉のうちに、揶揄(やゆ)するような響きが篭っていた。この 十年余、たしかに、有木老人は何かに逐われるような旅を続けてい た。だが、それは、なすべきことを失ったからだ「「わしは老いぼ れたのだ、老人はそう思った。 「研究は、まだ完成していない」 深夜の研究室に、厳しく断言する声が響いた。その一言でうちの めされた老人は、骸骨のような痩躯を惨めにふるわせ、悲痛ともい える吐息を洩らした。わしはただの老いぼれだ、老人は再びそう思 った。それから院長の鋭い視線を躱(かわ)すように一息つき、寂 しげに笑った。 院長は姿勢を正すと、蹲(うずくま)るようにソファに埋もれて いる老人に向かって言い募った。 「人体実験が続けられたからこそ、脳外科学の進歩があったはずだ と思うのです。我々は科学を信奉するものです。科学の歴史からみ れば、感傷的に過ぎるのは個人主義の弊というものでしょう。科学 を個人に還元してはならない。しかし、だからといって、国家目的 とか人類などという抽象性に結びつけようというわけではありませ ん。そんなことは科学の過渡的な傍証にすぎないのです。科学はた だ事実であり、人間が唯一事実に関与できるのが科学だというわけ です。だから、戦争も虐待行為も、すべて国家という抽象性がその 責めを負えばいい。ははは、それでも国家はその抽象性を剥ぎ取ら れたことなどなかったのでしたね。……先生は厖大(ぼうだい)な サンプルを目の前にして手を拱(こまね)いておれなかった。つま り、事実の歴史の中にいる一科学者であったにすぎない」 虚ろに澱んだ老人特有の眼窩(がんか)の奥で憎しみの罩(こ) められた光が閃いたように見えたが、すぐに深い悲哀の色調に遮ら れた。それから重く閉ざされた口を開き、有木老人は一言一言区切 るように呟いた。 「このわしを焚きつけるのは、これで何度目だろう。……君は特別 だ。わしは今でもそう思っている。……君はたしかに科学者という ものの非情さと冷酷さとを備えている。君にとっては、いかなる手 段や方法も、もちろんそのことに付随する道義的な責任や人として の悲しさも問題にはならぬのかもしれない。……今にして思えば、 大脳辺縁系の研究に没頭していた頃のわしにしても、君に劣らず、 そのような科学の狂信家だったのだろう。だからこそ、あの戦争の 中で学問にだけ邁進(まいしん)できたに違いないのだ。……国家 の厚遇は、まさに千載一遇だったわけだ。わしにとっては、国体の 運命も、人々の生き死にも、何ら関心を払う必要のないものだった。 わしは学問の自己増殖のうちに身をおいていたのだ。大学の研究室 で、何ものからも無関係に、ただ研究さえ続けられればよかった。 ……」 北海道帝国大学医学部第五外科の主任教授だった老人は、そこで 言葉を跡切り、遠い過去を振り返るように宙を睨(にら)み、それ から深い物想いに突き落とされた。 有木教授の門下生だった矢継青年は、応召の日まで教授の忠実な 助手を務めていた。その青年医師も、十数年の歳月を経て、今や肥 満した躯を持て余し気味の中年の姿に変貌していた。矢継院長は太 った指を胸元で組みながら、押し黙った老人を唆すように口を開い た。 「戦後になっても、先生は大学の厚い壁に守られていた。あれほど の厖大(ぼうだい)な生体実験を手がけたにもかかわらず、戦犯に 問われることもなかった。あらゆる実験が中断されたのは当然とし ても、私が復員してまもなく研究室を訪れたときには、その痕跡も 窺(うかが)われなかった。……けれども、先生は雌伏でもするよ うに、山積みされた書物の間で息を潜めておられた。そして、それ は暗い顔で書類を睨(にら)んでおられた。実験科学者であるべき はずの先生は、書物と資料の山に埋もれていた」
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