CFM「空中分解」 #0759の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
さて、今回から正式にこのタイトルを使うことになったのだが、やはり、女の子と縁 遠くなってしまったこのタイトルは何となく情けない。日頃、世界に誇る若き農協ー ピチピチ・ギャルなんて莫迦にしていただけにー何をか云わんや。いざとなると、頭 がハゲかかった現実を朝の鏡に見つけた時、食欲の減退を昼のざるそばオーダーに確 認した時、下腹の張出具合を夜のバスタブに思い知った時のような、寂寥感、無念感、 脱力感が襲ってくる事実は否めない。 やっぱし、『どしゃ降りTinker Bell』くらいにしとけばよかったなあ。 なんて。『おしゃべりTinker Bell』というのはどうだろう。とか。 いやいや、それならいっそ『おしゃぶりTinker Bell』なんてえのは・・ あきらめが悪いことはなはだしい。これも中年男の優柔不断であろうか。 とまあ、のっけから潔くないところをお見せいたした次第ではあるが、今回はいよい よの大詰め、「文体について考える」 およそ簡単にはいかない。何せ苦節二十余年、やっとできあがったこの秋本文体を根 本から変えてしまおうというのであるからして、大問題。 正直な話、ここまで書いてきた文章だって、その影響あってか今ひとつノリがない。 世に文章読本なる著書があまた存在する程に、この問題は問題なのだ。 わたくしが、その素直さと頭脳明晰さにおいて、心よりの尊敬の意を表するに難くな い評論家、三島由紀夫先生は、あの森鴎外さんと確か泉鏡花さんの文章を重んじてお られたように記憶する次第だが、これらの方を参考にするには、お二人ともお亡くな りの墓の下。今や亡霊の文章となりはてぬ。 じゃあ、自分が一番好きなエッセイストの文章を真似したらどうかと考えもしたりも したが、如何せんそれが女性の向田邦子さんであるからにして、真似ようにもオカマ となる決意せざれば願いかなわず。 ジャズとミステリーの評論で、これもお亡くなりになってしまったが、若々しい文章 をお書きになっていた植草甚一さん。あの方の文章はステキだった。 しかし、手元にその本がない。思い出した。皆捨ててしまったのだった。 うーん。薄情な奴だとは皆から云われ続けてはいたのだが、これほどまでとは思わな かった。あれを皆捨てていたとは。 で、何が残っているかと云えば、(エリアガイド ハワイの旅)(わが家の銀行利用 法)(英会話たったの90日)ーなんということだ。 でも、この選択は正しいのです、現実です。植草氏の本は二度とは読まぬが、これら の実用書は二度、三度と読んでいる。 それにしても漫画本が増えてしまったなあ。この間の千葉地震で落ちたのはほとんど が漫画だったことを思い出す。これだけあって、二度読んだものと云えば、浦沢さん の「YAWARA」と吉田さんの「河よりも長くゆるやかに」と大友さんの「AKI RA」とつげさんの「無能の人」くらいなのだから☆腕組んで首曲げるかな冬の雲☆ 案の定、話がサハリンに飛んでしまった。丹頂ヅルか、わたしの話は。 そう云えば(飛んで飛んで回って回って)というラジオ体操のような歌があったが、 あの歌手はどうなってしまったのだろう。なんか村上龍さんみたいな顔の人だったと 記憶している。そ、そんなことはどうでも酔いのだ! そういえばドラゴンクエスト3というのは、そんなに面白いゲームなのだろうか。 ファミコンゲームといえば、親戚の小学生がやっていたあのピョンピョンはねるだけ のマリオ・ブラザースとかいうのを、ちょっと、やらせてくれとやっとのことで頼み こみ、あっ!なんていう暇もなく死んでしまって以来、触っていない。 話によると、どうやらあの運動機能を試すような人を莫迦にするやつではなく、頭を 使うものらしいとの話。それなら得意な秋本氏。買ったかどうか電話して、今度遊び にいってみよう。といっても今年はお年玉をやってないので、部屋に入れてくれるか しらん。 案の定、話が中国に飛んでしまった。甘茶づるか、わたしの話は。 文体の話に戻そう。 ううううううううむ。風呂に入ろう。(一時間休憩) 今、日の本米菓の「明太子あられ」を食べている。110グラムで200円。 ピリリとしてなかなかに美味である。 実を云うと風呂上がりにロッテリアのアイスコーヒーMサイズを飲もうとしたら、冷 凍庫に入れておいたために、ガッチン、ガッチンの黒岩重吾。さかさにしても飲めな いことが分かった。それで日の本米菓の「明太子あられ」を食べている。 と云うクダラン話から、ちゃああんと文体の話になっていくのだから秋本氏の才能に はおそれいる。風呂上がりで血の流れがよくなったものと思われる。 つまり、この日の本米菓の「明太子あられ」を今食べているという現実の状況を描写 するに、いかなる文体が有効か、という実験をしようと思いついたわけであります。 先ずは、平凡な文からいきましょう。役所のお知らせ文と思って頂ければよい。 『市役所の小冊子に載ったコラム風の文』 風呂あがりは、やはり喉が乾きます。それで、わたしはアイスコーヒーを飲もうと 思って、昼間買ってきていた紙コップ入りのアイスコーヒーを冷蔵庫から、取り出 しました。ところが甚だ浅慮なため、わたしはそれを、冷蔵室ではなく、冷凍室の 方に入れておいたのです。ですからそれは、取り出した時は、すでにカチンカチン に凍ってしまっていて、飲むことはおろか、食べることさえできない有り様でした。 冷蔵室の方だと、ややもすれば氷が溶けてしまってコーヒーが薄くなってしまうの ではないかと危惧したのが、間違いのもとだったようです。まさしく「下手の考え 休むに似たり」の諺どおりでした。 ですから、アイスコーヒーは一先ずあきらめて、手近にある「あられ」を食べてみ たりしたのですが、これは、やはり風呂上がりに食べるものではないようで、その 辛さのため、アイスコーヒーが、前にも増しても飲みたくなってしまったのでした。 これでは、「恥のうわ塗り」です。喉は乾くは、アイスコーヒーはなかなか溶けな いわで、まったくさえない風呂あがりとなりました。 <終> まあーったく面白くない。こんなのを読まされるくらいなら、まだ市役所で住民票一 枚もらうのに30分ボケーと待たされることの方が時間のムダ使いにならない。 まず、何が面白くないかと云えば、すべてにおいて、あたりさわりのない説明になっ ている。アイスコーヒーが「ロッテリア」のものだとか、あられが日の本米菓の「明 太子あられ」であるという具体例が書かれていない。確かにこれを書くことの重要性 はないかも知れない。しかし、この一見無駄なことに思える事柄が実はこの文章を実 りある愉快なものに仕上げるのである。文章はすべからく読む人のためを思って書か れなければならない。 と云うので、次にあげるのはその一見無駄に思える「ロッテリア」と日の本米菓の 「明太子あられ」にポイントを置いた、今流行の昭和軽薄文体の例である。 『簡単に書いているようで実は簡単に書いている流行のエッセイ風の文』 今日、昼間であった。私はいわゆるところのロッテリアー「いらっしゃいませ。こ んにちわあ」のあの店に立ち寄ったのだった。風呂上がりのアイスコーヒーを買う ためだ。そして、こういった店は目的がないとまず、入れない。ただちょっと覗い てみただけだヨなんて冷やかしの気持ちでブラリと立ち寄れるほど甘いところでは ないのだ、ここは。第一、世間がゆるさない。 それにしても、いつも思うことだが、こういったファースト・フードの店というの はどうして、こうもアカルイのだろう。天井の東芝蛍光灯の話ではない。 まるで、クライことは犯罪だといわんばかりの笑顔攻撃。ああ、そうか、こういう ところが、あの一億一千万総タレント志望一見軽薄実体打算的少女群の温床となっ ているわけだ。そう考えていくと、これらはアメリカのハーレム街や香港の九竜地 区、PC−VANのAWCなどとその根源では全く同一レベルの集団意識を形成し ている場処ではないだろうかと、わたしは、なんと社会学の論文を書く新進の大学 非常勤講師ばりの真昼の妄想にひたったりもするのであった。 「アイスコーヒー2つください」 中年のおじさんと呼ばれることに何の躊躇も反論も許されなくなってしまった三十 代の今や紛れもない中年の私はやや控え目にオーダーをしたのだった。 「アイスコーヒー2つですね。SとMがございますが」 「あっ、Mサイズをお願いします」 いきなりの攻撃に思わず「あっ」なんて口に出す卑屈な私。「Mサイズをお願いし ます」なんて莫迦丁寧な返事がこれに拍車をかける。その上さらに、ああ、やっぱ り二十才過ぎると入っていい場処といけない場処があるというのは事実なんだと、 想念の世界においても卑屈になるわたしであった。ところが四十過ぎて、人生のな んたるかを悟るに至ると、人はこの世界へも躊躇なく土足で踏みいるという快挙を 成しうる。 「ねえちゃん!アイス!」 「アイスコーヒーでございますか」 「アイスゆうたらアイスコーヒーにきまっとろうが。何いうてんねん。はよせんか いな」 「あ、すみません。おいくつでしょうか?それからSとMとがございますが・・」 「なんやねん。44じゃ。悪いか。ええっ!歳くってたら客じゃない云うんか。わ れ、なめとったらしょうちせえへんどぉ。SMがどうたらこうたら」 「・・・」 「冗談やがな、ねえちゃん。冗談。歯歯歯!かなんなあ、おおい!このねえちゃん 泣いてるでぇ。どないかしてんかあ。わしアイスコーヒー2つやあ。はよしてや」 という具合な会話も可能になってくるわけで。はやく四十才になりたいーなんて考 えてもみる中途半端な三十代の私であった。 とまあ、以下、この女店員の制服のことやら、奥で働いているアルバイトの大学生の 話やら、ダラダラと話は続いていくのであるが、まあ、先程の市役所文よりは楽しめ る。そして、では日の本米菓の「明太子あられ」の話はというと、なんと次回のエッ セイに載ることになるのである。 考えてみれば、実にばかばかしい内容ではある。 この手の書き方になると、それこそ目薬の効果的さし方というタイトルで一冊の本が 書ける。買わされる方は大変だ。でも、それを承知で買っているのだから、誰にも文 句をつけようがない。よくしたものだ。 次にいこう。 毒舌エッセイの話になる。実を云うと、これは、わたしには少々手にあまるものがあ る。そもそも毒舌というからには、人の感情をさかなでする部分があるということで、 ではどうして肴にされた人々が、その感情を害するかというと、実はそれがその人が 触れたくない、もしくはひたすら隠している秘密の花園をねこそぎ暴かれてしまうと いう耐えられない侮辱を受けるためである。 真実というのは、えてして残酷なものなのだ。 それに、書く方の才能の問題もある。週刊誌の暴露記事なんていうのは、その中にあ って最も低俗な部類にはいる。事実無根に怒る人々も多く出てくる。 では、上質の毒舌はといえば、やはり読んだ者をして、ナルホドと感心させるだけの 真実の重さに裏打ちされた内容を持っているということが上げられる。 しかも、ただ真実の羅列に終わるのでは読む方としては疲れるだけで、これに笑いと いう重要な要素を盛り込むという、大変な才能のいる作業をなし遂げてこそ、本物の 毒舌文が完成する。いやはっきり云って、この笑いなくして救いなし。 毒舌の面白さは真実の解放を笑い飛ばすことにあるのだ。 ということで、わたくし秋本程度のささやかな才能では、この毒舌文の例をあげるこ とあたわず。つまりはごめんなさい、申し訳ありません。至りませんでしたのお詫び の一言でございます。 わたしがその毒舌ゆえに面白いと思うのは、立川談志さんでございまして、この方の 落語は本編よりその枕が面白い。あの口のひんまがった顔。栗本慎一郎氏と同じ顔で ありますね、あれは。もっとも栗本氏の方は目までひんまがっていらっしゃるので、 いただけない。「だんしがしんだ」これ回文でありまして、いつか談志師匠自らがお っしゃっておりました。ではもう一人、この方を御紹介いたしておきます。といって も前回も登場していただいた小田嶋隆氏。この方も同じく回文を書いておられるとい う不思議な一致。「よわいなたかし、しかたないわよ」 それにどちらも自分を一段おとしめていらっしゃる。さすがであります。 さて、では私が今一番期待を寄せてその登場を待っている毒舌の大家。といっても、 今は違いますけど。その方は何を隠そう、あの偉大な書「新戦争論」をお書きになっ た小室直樹先生その人でございます。あの真理をつく舌鋒の鋭さ。独断と偏見。 まさしくその才能大なるものをお持ちであります。ロケットの糸川先生とノーベル賞 を競っておられますが、このお二人にはぜひお笑いの世界に入ってきて欲しいと願っ ております。 さてさて、長くなりました。なんとシンドイ。ここまで2日がかりで書いている。 こんなことなら、ちちょっとお笑いの作品を書く方がなんぼ楽だったかわからない。 しかし、後悔先に立たず(秋本) 郊外の先にも建たず(クエスト) えーで、次は実は村上さんの淡々エッセイの書き方に及んで、それでもって、この 文体についての考察を終え、本格的に『秋本骨つぎ堂の逆襲』を書いていこうと考え ていたのでありますが、如何せん。しんどい。ウルトラマンのピコピコであります。 今回はこれで終わりにします。なんとお!無責任。 ふん!いいんだもんね。ということで、次回にまたお会いいたしましょう。 そいじゃ、秋本でした。
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