◇フレッシュボイス2 #3729の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
元プロレスラーのローラン・ボックが死去。八十一歳。合掌。 “地獄の墓堀人”というニックネームは日本のマスコミが付けたんだと思います。一 九七八年にアントニオ猪木を地元ドイツに呼んで一騎打ち、受け身の取りづらいスープ レックスで難いマットに投げつけ、完膚なきまでに叩きのめして判定勝ち……というイ メージが強烈で、“地獄の墓堀人”と呼びたくなるのも納得。(^^; 猪木の他にも、“ 大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントに真剣勝負を仕掛けたり、“仮面貴族”ミル・マ スカラスを子供扱いしたりと、欧州マットからの情報の少なさもあって幻想が膨らみま した。 その後、何度か来日・参戦が予定されるも、交通事故や足に血栓ができる持病のた め、延期。ようやく一九八一年に待望の初来日、新日本プロレスのリングにその後も含 めて三度来日。ブレイク前とは言えアマレスの猛者たる長州力らを子供扱いし、国際プ ロレス最後のエースにして国際崩壊後は新日本に登場してフォール負けのなかったラッ シャー木村をも、二分五十秒で完全フォール。猪木との決着戦(長期欧州遠征で猪木v sボックは三度行われ、一勝一敗一分け。猪木の一勝は反則勝ち)が翌年正月に組ま れ、否応なしに期待が高まりました。が、正月にやって来たボックはコンディションを 崩しており、猪木との四度目のシングルは凡戦に終始、最後は反則負けを選びました。 まあ当時の新日本はIWGPという真の世界一を決める大会を始動させていたので、フ ァンからすれば「猪木とボックの完全な決着はIWGPまで持ち越しかぁ」ぐらいの認 識だったと思います。 しかし結果的に、ボックにとってそれが最後のプロレスとなり、引退。もしボックが IWGPに参加していたら……という空想は、今でも昭和プロレスファンの大好物の一 つかと(笑)。 近年になって、Gスピリッツというプロレス専門誌がボックとのコンタクトに成功 し、インタビューが載り、興味深く読みました。妥協のないファイトスタイルから、 「従来のショー的なプロレスを否定し、興行論なんてくそくらえ」な人なんだろうな と、勝手に想像していましたが、まったく違い、驚きました。現役レスラー兼プロモー ターとして、色々やっている。興行の彩りとして、積極的に女子プロレスの試合を組み 入れたり、熊(レスリング・ベア)と戦ってみせたりと、客を集めるて大金を稼ごうとい う意欲満々な商売人の姿が、そこにはありました。 一九七八年に猪木を招聘し、欧州を回る大規模なツアーを企画したのも、当時の猪木 はモハメド・アリと戦ったプロレスラーとして世界的に知名度が上がっており、「あの 猪木を呼んで凄い試合をやれば大変な評判を取るに違いない!」と踏んでのことだった ようで。ちなみに欧州ツアーの日程は移動が過酷で、移動手段にしても古い車でガタガ タ道を徹夜で進むような有様。「ボックは猪木を追い込むために故意に過酷なスケジ ュールと移動ルートを用意した。その証拠に猪木は全戦参加したが、ボックは何日か休 んでいる」という、陰謀があったことがまことしやかに囁かれましたが、実際にはボッ クの営業が下手で、客入りが芳しくなく、資金が足りなくなり、金策のために試合を休 まざるを得なかったそうな。こうして見てくると、山っ気はあるが商売はいまいちな人 物像が浮かんできます。 ではでは。
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