◇フレッシュボイス2 #2340の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「自我体験とは何か: 私が〈私〉に出会うということ」 (アカデミア叢書) 高石 恭子 (著) という単行本があるのですが。 内容は… >人は3度生まれる。 >母体から出てきたとき。 >言葉の世界に参入したとき。 >〈私〉という主体を発見したとき。 この、「〈私〉という主体を発見したとき」とはどういう事? 思春期の早い段階の、或る日、或る時、 「これが自分なのか」と生まれて初めて自己客観視して、 喜びを感じる人もいるが、違和感や不安感を感じる人もいる、みたいに言われている。 そんな事ってあるのか。 ほとんど物心ついた時から自己客観視しているんじゃないのか。 しかし、この著者は、誰もがそういう出会いを感じている筈だが、 20%もの人が、自分が自分である事は自明な事だと言い張っている、 とまで言っている。 しかし、三島由紀夫「仮面の告白」とか、太宰治「人間失格」など読めば、 ほとんど物心ついた時から、他者の視線を感じているではないか。 それが普通では? あり得るとしたら、思春期のある時期に、 自分の顔の良し悪し、頭の良し悪し、家が金持ちかどうかなどに関して、 「何で俺だけこんなに貧乏なんだろう」とか思う、とか。 でもそういう事ではなく、はじめて、私が私であると感じた時とか言われている。 普通の人は自我体験なんてあるのでしょうか? 自我体験は発達心理学のある段階に起こる事だ、とか言われているが、 発達心理学的に言えば、 自我体験なんて感じる人の方が、発達障害(自己客観視出来ない)とも思えるのだ。 そういう発達障害のある人が、 目の前にあるりんごの赤が他の人にも同じ赤と見えているとは限らない、 などと、哲学(主に現象学)に走ったり、脳科学(クオリアどうたら)に 走ったりするんじゃないのか。 クオリアなんていうのは全く自明な事で 不思議がる人の頭の方がおかしいんじゃないかと思うが。 しかしあれだけ売れたんだから、 結構多くの人がクオリアなど不思議と思っているのか。 自我体験なんてした事ありますか? 追記。 自我体験がある人が、中高年になってニヒリズムに陥り、 そうでないタイプの人が、ルサンチマンをためこむのでは、とか思いますね。 あと、SFに走るのが、自我体験がある人では、と。 例えば、「時をかける少女」とか「バタフライエフェクト」みたいに、 自分に起こった事を何回でも変えられると思うのは、 「この赤いリンゴは他の人には違う色に見えているのかも知れない」 という疑問に通底する様な気がします。 一方、ミステリーに走る人には、自我体験的疑問はなく、 自分が自分である事なんて自明な事であり、 そうであるから、論理的に隙の無いトリックを求めたりする? などと思うのですが。 そもそもこんな事を考えたのは、 最近、歳食ってきて、 自分の人生を総括すると全く不満で。 ここで、実は自分は自分ではなくて、別の誰かで、 自分が抱えている問題は、誰か別の人に起こっていて、 自分は今の自分とは別の幸福な人間だった、 みたいな叙述ミステリーを考えていて。 そこで、「バタフライエフェクト」みたいに、自分が全く別の幸福な誰かだった、 と考えてみたのですが、 実感として、そういう事は考えづらく、 むしろ、ルサンチマンをためてテロでも起こすタイプだな、 などと思ったからなのですが。
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