◇フレッシュボイス2 #1998の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
今日は久しぶりに小説を書く方で非常に調子がよく、危うく一日一書き込みを逃すと ころだった。(^^; が、書き込むネタをこしらえていない……うーん。 NHKのドキュメントバラエティ「逆転人生」、十一月八日放送分を録画視聴してい たら、本筋とは無関係なところで小さなミスを発見。 この回の主人公は、幼い頃からヒーロー(特撮物やアニメ、プロレスのタイガーマス クといった)になるんだ!と思い続けていた人。いくつかの挫折を経て、今、ふるさと の秋田を中心としたご当地ヒーローショーで大活躍しているというエピソードの持ち主 でした。 生い立ちを紹介するVTRの中で、上にも書きましたようにプロレスの初代タイガー マスクに魅せられていくくだりがあったのですが、その際に出たテロップが間違って た。1980年のことと表示されたのですが、初代タイガーマスクのデビューは198 1年4月23日なのです。 この回の主人公の人が小学六年生のときとナレーションが入りましたが、上記のよう なことですので、学齢の計算を間違えたか記憶違いだと言わざるを得ません……。(^_^; 元プロレスラーのマッハ隼人が逝去。七十歳。ご冥福をお祈りします。 専門誌の記事やインタビューでは、朴訥とした人柄であると同時に、後述するように 日本のプロレス団体育ちではないため、誤解されることも時折あった様子。逸話に事欠 きません。 プロレスラーを志すも、小柄だったため、昭和の日本のプロレス団体では採用され ず、それでもあきらめずに単身メキシコに渡って、当地でデビュー。のちに国際プロレ スに参戦・入団。メキシコ流のプロレス、ルチャリブレで主にちびっ子人気を博したレ スラーです。初代タイガーマスク登場以前では、覆面日本人レスラーで空中殺法と言え ばこの人だった。入団から二年足らずで国際プロレスが崩壊すると、猪木率いる新日本 プロレスとの対抗戦が計画され、マッハ隼人も初代タイガーマスクとのシングルマッチ が発表されたが、すでに海外転戦が決めていたため辞退(他にも、海外修行中に知り合 った新日本の若手選手の態度が横柄だったことも辞退の理由かと。ちなみに全日本所属 の天龍とも知り合い、よくしてもらったとのこと)。その後二年あまりが過ぎ、一九八四 年一月に今度は馬場の全日本プロレスに参戦。マッチメーカーがルチャそのものを低く 見ており、重用されず。四月、新団体として旗揚げされるUWFへ、馬場の紹介で参 戦。当初はルチャスタイルの試合が組まれていたが、初代タイガーマスクこと佐山サト ルのUWF参加を機に団体の方向性が大きく変わり、格闘技プロレスを標榜するスタイ ルに。これに合わない元国際の選手が離脱したため、マッハ隼人も同調するものと思わ れていたが継続してUWFに参戦。会場に来ないと思われていたところへ現れると、佐 山らに驚きと感謝をもって迎えられたとか。プロレスキャリア最晩年でまったく異なる スタイルに溶け込もうと食らいつくも身体が言うことを聞かなくなり、一九八五年四 月、引退。最後の試合を勝利で飾ったあと、引退の言葉を述べてマスクを脱ごうとした が、佐山や観衆から「脱がなくていいですよ」と言われ、マスクのままリングを去る。 海外でもメキシコやアメリカ、カナダのみならず中南米の国々のリングにも上がって おり、世界を駆け巡った流浪の名レスラーでした。 私が見た中では、メキシカンキャプテンフォールマッチというルチャスタイルの試合 で、生き生きと動き回るマッハ隼人が格好よかったな(でも負け役なのよね)。 ではでは。
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