◇フレッシュボイス2 #0253の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
今、現代の日本に戦中の特攻隊員がタイムスリップで飛んでくる という小説を書いている(まだ筋を練っている)のですが。 (これは、数年前の「帰ってきたヒトラー」に設定が似ているとも思ったが それだったら、「僕たちの戦争」(荻原浩)も似た様な設定だから、 まあいいか。と思っているのですが)。 その作品の中で、なんで太平洋戦争末期の特攻隊員はとっこんだのか、 というのを考えているんですが。 昔、「あしたのジョー」という漫画で、力石徹は、ジムの会長の娘 (白木葉子=お嬢さん)に憧れ、というのとは違うけれども、 お嬢さんの為なら死ねる、というダンディズムみたいなものを持っていて。 梶原一騎の漫画にはこういうのがおおく、「愛と誠」では岩清水が 早乙女愛に「僕は君の為なら死ねる」とか。 同じ事が太平洋戦争末期の特攻隊にも言えて、 自分は天皇の為なら死ねる、と思っていたのではないか。 これは論理の飛躍ではなくて、憧れている女性の為にダンディズムを発揮 して死にたい、という願望と、 天下国家の為に死にたいという願望が入れ替わるというのは結構ある。 むかーし、「砲艦サンパブロ」という映画があったが、この中で、 スティーブ・マックイーンはキャンディス・バーゲンに憧れ、ではないが 恋心を抱いていて、しかしセックスの対象ではなく、年少ではあるが、 力石徹におけるお嬢さんみたいな立場の女性で。 そして、キャンディス・バーゲンは、中国の揚子江上流の国民党の青年に 民主主義やら自由やらを教えに行く。みたいな設定で。 時代状況としては義和団事変が起きる様な中国人が外国人排斥を言う様な 時代で。 そういう中、キャンディス・バーゲンは揚子江上流に国民党を信じて 布教みたいな感じで教えて行ってしまう。 そして義和団事変のあおりで情勢が不安定になって、スティーブ・マックイーンの 乗る砲艦サンパブロはバーゲン一行を救いに行くのだが。 ここで、スティーブ・マックイーンが「バーゲンの為なら死ねる」 というのが、砲艦サンパブロの任務、アメリカ海軍の水兵がアメリカの旗の為 なら死ねる、というのに置き換わっている。 こういう置き換えが可能であるなら、力石徹がお嬢さんの為なら死ねる というダンディズムが 太平洋戦争末期の特攻隊員の、天皇の為なら死ねる というのに置き換わったとしても頓珍漢ではないと思うのだが。 この、お嬢さんや天皇の位置からの視線を、精神分析では大文字の他者とか、 社会学では第三の審級とか言うらしいのだが。 その前に、そもそも何で力石徹はお嬢さんの為に死にたいと思うか、というと。 精神分析の文脈では、人間の快楽は、まず、生後1歳とか1歳半とかに、 肛門の括約筋で大便をコントロールする、というのがあって。 これは、脳(括約筋)で大便(身体)をコントロールする、という感じで、 エロスとタナトスで言うならばタナトスであると言えるのだが。 そして、そこから十数年たって、今度は男子の場合精通を迎える。 これは、射精(身体)が脳を襲うという感じで、 エロス(身体)がタナトス(脳)を襲うという感じだと思う。 そして、普通、成熟した大人の愛は、射精的なものを男女の間で交換する ことで成立するのだが。 しかし、それに失敗すると、性の肛門期に逆戻りする。 それは、大便を肛門の括約筋でコントロールするタナトスの快楽。 タナトスというのは元々死への欲動(人間だって元々は元素で出来ているのだから、 元素に戻りたいという欲動がある。一方成熟してセックスして子供を作りたい というのはエロスで生への欲動と言える。 もっとも、タナトスというのは、人間も元々は元素で、 原子核の周りを規則正しく回る電子の、秩序正しさとか、繰り返し運動とか、 そういうものを求めるという感じで。 逆に、エロスというのは、男女のセックスの事で、有機体同士の曲線的な交わり みたいな感じなのだが)、とにかくタナトスは死の欲動なので、 セックスにしくじると、肛門期に逆戻りして死にたい、と思う様になる。 これが、力石徹の「お嬢さんの為に死にたい」という死の欲動であり。 だから、お嬢さんはセックスの対象にはならない。 特攻隊員が天皇の為に死にたい、と思うのも、成熟したセックスに失敗した 非モテが性の肛門期に逆戻りしての死の欲動といえる。 だいたい、特攻隊員になったりするのは、田舎の農村の次男三男で、 内地ではあんまりモテなかった男が、軍人(皇軍)になって威張るという パターンが多いと思う。 (このエロスとタナトスの関係はフロイトの「快感原則の彼岸」に書いてある。)。 とまあ、精神分析の文脈で考えてみたが。 こんなの言われても、なんら実証的ではなく、想像の世界に過ぎないのであって。 もっと科学的に言えないかと考えていたのだが。 脳科学的に言うと、脳へのインプットの段階には、海馬と尾状核というのがある。 海馬というのは大脳辺縁系で、 尾状核というのは大脳基底核にあって、 どっちかというと大脳辺縁系はエロスっぽくて、 大脳基底核というのはタナトスっぽい感じがする。 海馬というと、ロンドンのタクシー運転手は海馬がでかいとか言われる。 海馬が大きければ、車を運転してどこかに行く場合の目的地を3次元的に 一発で捉える事が出来る。 しかし、ストレスが多くなってくると、海馬を使えなくなり、代わりに、 インターフェイスとして尾状核を使う様になる。 この尾状核では3次元的に、一発で場所を特定する事は出来ず、 実際、ネズミ(海馬を破壊して尾状核しかないネズミ)を使って実験すると そういう結果が出る。 つまり、迷路の真ん中に餌をおいておいて、海馬のあるあるネズミを離すと 一発で真ん中の餌にたどり着く、が、 海馬の無い尾状核だけのネズミだと、ある一箇所から迷路に入っていって、 失敗しては戻ってきて、又別の入り口から入って、と、トライ・アンド・エラーを 繰り返して、そして餌にたどり着く、という事をする。 元々、尾状核というのは、繰り返し学習に使う脳の部位だからこうなるのだが、 とにかく、尾状核しか無いネズミは、繰り返し学習的に迷路の真ん中にたどり着く。 この繰り返し学習は、反復強迫(何回もガス栓が締まっているかをチェックする 神経症患者とか)とかとも関連して考えられている。 ところで、この尾状核しかないネズミが迷路で餌にたどり着くには、 それは2次元であるのだから、どこか上の方から「それは正しいですよ」 と教えてくれる様な他者の視線が必要になる。 この他者の視線に対して「ここで正しいですか?」と質問しながら迷路に トライ・アンド・エラーを繰り返し行うという感じ。 この上からの視線が、矢吹ジョーとの戦いを見ていてくれるお嬢さんの視線、 或いは、特攻していく天皇の視線 と言えないだろうか。 というか、元々脳にはそういう癖があって、 それを、戦中なら戦中、「あしたのジョー」ならその舞台に相応しい行動に 表象される、という感じではないのか。 …というような事を考えました。 (読み返してみると、本当に乱文だ。 少しちゃんとした文章を書けるようにリハビリしないとまずいな。)。
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