AWC ●連載



#298/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/06/28  18:58  (160)
◎2004年6月度 CO2削減実績報告 〜そのA〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:06 修正 第3版

4.考察

   今年の夏は順調に暑くなっているようで、梅雨入りしたのに結構晴れて、
  30度を超える日が多くありました。6月なのに上陸した大型台風があった
  り、順調というよりこれも一種の「異常」と呼ぶべきでしょうか。
   6月18日には毎年恒例の遮光ネットの設置を行ないました。1階南側の
  遮光ネットは1年中張りっ放しなので、2階ベランダへの遮光ネットのこと
  です。まだ真夏ではないので、取りあえず側面に1枚だけ張り、ベランダ屋
  根部も同じ遮光ネットを張りました。真夏になったら側面を2枚重ねにし、
  屋根部にはUVシートを張ります。これらを行なうと部屋が暗くなってしま
  うので、梅雨明けし本当に暑くなる時期との二段構えで行ないます。
   6月19日には冷風扇を出し試運転を行ないました。南側の二重サッシの
  内側のサッシの一番左側のサッシの下側のガラスを外して、代わりに冷風扇
  の吸気口に合わせて長方形の穴を開けた透明な塩ビ板をはめ込みました。こ
  れについても例年通りです。この冷風扇は2001年5月に買ったものなの
  で、今年で4年目となります。中国製でちょっと音がうるさく、具合が悪い
  部分(オートルーバーがOFFにしても回ってしまう。動かないようにする
  金具を作って使っています)も出て来ましたが、まだまだ使えそうです。当
  時は通販でしか売っていませんでしたが、今ではどこの電気店でも売られて
  おり、品数も豊富になりました。値段も以前の6割位と安くなりました。ク
  ーラーが当たり前となった時代の中では地味ですが、工事不要で扇風機より
  涼しくまた省エネにもなるということでそれなりに普及が進んでいるようで
  す。買い替えたい気持ちもありますが、壊れてどうしようもなくなるまで使
  うつもりです。
   それでは今月の実績を見て行きます。電気は目標231KWhのところ実
  績226KWhと目標をクリアーすることができました。月の前半までは扇
  風機や換気扇だけで過ごして来られましたが、後半は連日真夏日となり、夜
  は冷風扇も使う日が多くなりました。この季節やや消費電力が増加しますが、
  私の家は温暖化対策で一切エアコンを使わないようにしたので、月に30〜
  40KWh位増加するだけです。年初からの累計でも目標1489KWhの
  ところ実績1462KWhとなり、達成率101.8%で目標を達成しまし
  た。
   ガスは目標11m3のところ実績12m3とやや目標をオーバーしました。
  今年は6月でも暑い日が多く妻から文句が出たからです。私は水シャワーで
  も良いのですが、妻はお湯でないと汗を流せないと言うのです。省エネのた
  め給湯を全廃している我が家ではお風呂を沸かすよりなく、連日入浴する日
  が多くなったからです。しかし、一度削減したものをまた増やすわけには行
  かないので、考えて良い方法を見つけました。風呂水を洗濯に使って風呂桶
  が空の日は、風呂桶のお湯の吹き出し口に洗面器を当ててお湯を洗面器に満
  たし、これをタライに移すという動作を繰り返してタライにお湯を汲んで、
  このお湯を使って汗を流せるようにしたのです。この季節でお風呂を沸かす
  には新規で300数リットル、再利用で300リットル弱のガスを消費しま
  すが、タライ6〜7分目位のお湯ならガスは60リットル程度しか消費しな
  いので大幅に省エネできることが分かりました。これなら衛生と省エネが両
  立します。まだそれ程暑くならない初夏はこの方法でやれます。しかし、連
  日30度を軽く超えるこれからの季節は毎日お風呂を沸かします。しかし、
  気温が高くなりますし、風呂水を何回も再利用するので、沸かす回数程ガス
  の使用量は増えません。昨年の例で言えば7月が12m3、8月が13m3、
  9月が14m3という具合に。
   年初からの累計では目標122m3のところ実績75m3となり、達成率
  162.7%で目標をクリアーすることができました。
   水道は目標26m3のところ実績19m3と目標より大幅に少なくできまし
  た。5月からは昨年も2人暮らしでしたから、この差は純粋に削減努力によ
  るものです。炊事洗濯時の節水が効いているのだと思います。食生活の工夫
  と風呂水の洗濯への100%再利用。これだと思います。まとめておかずを
  作ったり、ご飯を炊いたりすることは省エネになるだけでなく、節水にもな
  ります。内は自動二槽式洗濯機なので全自動洗濯機のことは知りませんが、
  風呂の残り湯は「洗い」に使うだけでなく「すすぎ」にも使っています。本
  当は「洗い」から「すすぎ」〜「排水」まで自動でできるのですが、これだ
  と「すすぎ」に風呂の残り湯が使えないので、「洗い」〜「排水」と「すす
  ぎ」〜「排水」の大きく2回に分けて行なっています。「すすぎ」は標準で
  は水を替えながら自動的に3回行われ、3回目の「すすぎ」は水をオーバフ
  ローさせながら行われ終わります。しかし、これでは2回目の「すすぎ」に
  風呂の残り湯が使えないので、1回目の「すすぎ」〜「排水」と2〜3回目
  の「すすぎ」〜「排水」に分けて行なっています。2回目の「すすぎ」用に
  ポンプで汲み上げるとちょうど風呂の残り湯がなくなります。3回目の「す
  すぎ」は2回目の「すすぎ」と連動して機械が自動的に新水をオーバフロー
  させながら行なうので、洗濯水は十分に綺麗になり、皮膚等の健康上の問題
  はありません。これにより風呂の残り湯が100%再利用できるというわけ
  です。少々手間は余計に掛かりますが、大したことではありません。タライ
  に洗濯板で洗濯していた昔に比べれば天地程の差がある楽なものです。
   年初からの累計でも目標80m3のところ実績55m3と達成率145.5
  %で余裕を持って目標をクリアーすることができました。
   この結果、今月のCO2 排出量は目標38.92Kgのところ実績37.
  84Kgで目標をクリアーすることができました。年初からの累計でも目標
  269.56Kgのところ実績232.24Kgとなり、達成率116.1
  %で目標をクリアーすることができました。
   このままでは日本は京都議定書の削減目標を達成できません。2008年
  −2012年の間に1990年レベルの6%削減という目標のところ、逆に
  5%増加になってしまうようです。とうとう政府も業界も動きませんでした。
  まだ環境税の「カ」の字もできていません。企業の自主的努力で目標を達成
  できる程削減できないことは最初から分かっていたことです。日本もアメリ
  カに並みに消極的と言わねばなりません。
   原子力や自然エネルギーの使用率アップによるCO2削減の話は出ますが、
  何故、省エネによる削減は言わないのでしょうか。原子力は意外とコストが
  掛かるということが言われ、かつ安全性に深刻な問題があります。自然エネ
  ルギーは安全性には問題はありませんが、必要エネルギーの極一部しか賄え
  ません。だから省エネという対策が欠かせないのですが。
   地球環境は人類のかけがえのない最も重要な存在基盤ですから、今求めら
  れているのは環境優先の発想です。可能か不可能か、またいつ実現するかも
  分からない科学・技術を当てにしてそれまで対策を先送りする程余裕はない
  はずです。基本的には壊れた環境は失われた生態系は二度と元には戻りませ
  ん。そういう意味でも対策の先送りは許されません。今なおエネルギー使用
  量が急増しているのは、生活のためではなく、より巨大な贅沢・娯楽を追求
  しているからです。私たちは平均的には衣食住と言った最低限の生活には困
  っていません。「経済だ、経済だ」「生き残るためだ、生き残るためだ」と
  言いますが、それは個々の企業とそこで働く従業員のレベルの話です。例え
  ば「42インチ、50インチ。いや100インチのプラズマTVも作るぞ」
  と生き残るために日夜必死の努力を続けている企業のことです。でも、そん
  なに大きなテレビがなくても私たちは十分に幸せに生きて行けます。いえ、
  テレビだけでなく急成長を続ける経済活動のほとんどはなければなくても済
  むとてつもない贅沢・娯楽を追求するためのものです。そんなことのために
  存在基盤である地球環境が壊れて良いのでしょうか。いえ壊れて良いはずが
  ありません。このことは企業経営者や業界の利益を代弁する政治家等有力者
  も皆分かっていることですが、見当外れの口実を言って実行しません。いえ、
  実行すると競争に負けてしまうからです。
   よって人類は素晴らしい知性を持ち合わせていながら、待ち受けている重
  大な危機に対処できないでいます。ここはやはり自分の立場や利益を超えた
  良識や理性を持った人々が牽引役にならなければなりません。それを波及さ
  せ企業が取り組まざるを得ない状況を作り出せば良いのです。法制度の整備
  を早急に行なわなければなりません。法制度がCO2削減の原動力になりま
  す。早ければ早い程未来はより明るくなります。
   しかし、国や企業がどうであれ、個人である私たちは何でも実行すること
  ができます。家庭から排出されるCO2の割合は益々増加しています。個人
  である私たち一人一人が行動を起こせば世界は変わります。私たちの消費行
  動の総合こそが地球環境を決定付けているからです。
   私たちが排出したCO2は大気中に溜り二度とは回収できず、地球環境と
  そこで暮らす私たち自身に害悪を及ぼし続けます。省エネをすれば確実に害
  悪は減ります。
   今日からあなたのできることすぐに始めてください。みんなの努力で私た
  ちのかけがえのない◎地球環境を守りましょう!!!

                                ヨウジ

P.S.CO2 の計算には下記のフリーソフトウェアを使ってください。

NIFTY
FGALAP/4/8 (https://iw.nifty.com/iw/nifty/fgalap/lib/8/index.html)
1111  BXC02020 01/01/02 136625 CO2_122 .LZH 地球温暖化対策CO2 V1.22

VECTOR
http://www.vector.co.jp/pack/dos/edu/science/co2_122.lzh  01/01/02 136625
    地球温暖化対策プログラム(光熱費等の使用量からCO2排出量を計算
説明ページ: http://www.vector.co.jp/soft/dos/edu/se035828.html

私のホームページからもダウンロードできます。(下記URL)
*--------------------------------------------------------------------*
| Backup&Copy BCOPY / Shell&Menu SMENU / 地球温暖化対策Program CO2   |
| PC-VAN:CKG36422  e-mail:CKG36422@biglobe.ne.jp                     |
| NIFTY :BXC02020  e-mail:BXC02020@nifty.com or BXC02020@nifty.ne.jp |
| Home Page http://www5b.biglobe.ne.jp/~youji/                       |
*--------------------------------------------------------------------*

P.S. 地上デジタル放送のサービスエリアになる2年後までには、私の家で
    もプラズマTV等大画面テレビを購入したいと思っています。ただし、
    普段は消費電力64Wの14インチテレビを観ます。たまに余程良い映
    画とかドラマなどを鑑賞する時にだけ大画面テレビのスイッチを入れま
    す。例えば「タイタニック」とか「ターミネーター」とか「ハリーポッ
    ター」などの大作とか、「冬のソナタ」などの名作ドラマとかの場合に。
     実は現在も40インチのプロジェクションTV(消費電力250W)
    も持っていますが、そのような使い方をしているので、報告書に書いた
    ような省エネ生活ができているのです。でも、一般の人はこんなことま
    でして省エネはしないだろうし、テレビ以外のものにはこのような方法
    での省エネはできません。例えば車は2台持ってもそんなにエネルギー
    消費は変わらないし、エアコンも同じです。車は止め自転車や公共交通
    機関で済ますとか、エアコンは止め冷風扇で済ますなどの真正面からの
    取り組みがなければCO2の劇的な削減はできません。だからやはり本分
    に書いたように贅沢・娯楽の追求を慎み、環境保護優先の発想で取り組
    まなければならないということです。




#299/1158 ●連載
★タイトル (pot     )  04/06/30  18:11  (330)
alive(13)      佐藤水美
★内容
          13

 忘れもしない、その年の12月。
 僕は吹きつける木枯らしに逆らって自転車を走らせていた。いつものようにサド
ルから腰を浮かせてペダルを漕ぎながら、枯れ葉が舞う夕方の坂道を上っていく。
 夏から秋、秋から冬へと季節は当然のように移り変わる。僕は自分の持ち時間が
着実に削り取られていくのを、自覚せずにはいられなかった。
 来週からは期末テストが始まる。これが終われば試験休みと短縮授業を経て終業
式、そして冬休みが来るのだ。
 瞬に全てを打ち明けるのは、この時期をおいて他にはないだろう。夏休みの宿題
を年明けまで持ち越すのは不誠実だと思うし、それだけは避けたい。
 いつ、どこで、どんなふうに話すか。
 瞬の気持ちを傷つけないために、いや傷つけるのを最小限に食い止めるために、
僕は何をすればいいのか。
 考えることを拒否するように、頭の中がぼうっとしてくる。
 僕は坂道を上りきったところで、いったん自転車を止めた。肩を落として息を吐
き、片足を地面につける。
 道ばたで結論を出せるような問題ではないが、帰宅する前に何かひとつだけでも
決めなければ、このままズルズルと時を過ごしてしまいそうな予感がした。
 例えば、冬休み。
 ふたりだけになれるところに瞬を呼び出して……でも、どこへ?
 僕は深いため息を吐いて、頭をがっくりと垂れた。どうしてこう決断力というも
のがないのだろう。あまりにも女々しすぎるではないか。
 考えがまとまらないなら、ここにいてはじゃまだ。そう思っても、地面についた
片足は動こうとしなかった。嘘つきの仮面を厭いながらも、瞬の前に出ると自らそ
れを被ってしまうという矛盾が僕にはある。
 やっぱり引き返そうか。今日はバイトがないから、図書館で勉強したあと本屋で
雑誌の立ち読みをすれば、ある程度の時間稼ぎにはなる……。
 僕が消極的な決断をしてハンドルを握りしめたとき、後ろで自動車のクラクショ
ンの音がした。
 ハッとして肩越しに振り向くと、大型のワゴン車が徐行しながら坂を上ってくる
のが目に入った。シルバーグレーの車体は狭い道幅いっぱいに広がっていて、両側
にあるブロック塀との隙間は数センチほどしかない。
 僕は慌てて自転車のペダルに足をかけた。この先しばらくは細い一本道が続くの
で、ぐずぐずしているとワゴン車に轢かれてしまう。
 家に帰れってことかよ!
 僕は密かに舌打ちすると、再び自転車を走らせた。

 ワゴン車に追跡されること数百メートル、僕はようやく脇道に入り、だらだらと
続く坂を一気に駆け上った。傾いた陽が作る建物や庭木の影をくぐり抜け、いつも
の角を曲がる。
 見慣れた家が視界に飛び込んできた刹那、僕の心臓は跳ね上がった。少し速めだ
った鼓動がますます速くなって、息苦しささえ感じてしまう。
 玄関の軒下に、瞬がこちらを向いて立っていた。眉根にしわの寄った、見るから
に不機嫌そうな表情だ。両手をダッフルコートのポケットに突っ込んで微動だにし
ないが、睨みつけるような視線を投げかけてくる。
 何故、と改めて問うまでもなかった。
 おそらく瞬は知ったのだ、僕が隠していたことの全てを。
 日没までにはまだ間があるというのに、辺りが突然暗くなったように思えた。震
える手でブレーキをかけてスピードを落とし、車庫の脇のスペースに自転車を止め
る。嫌な動悸を感じて気分が悪かった。
「幹彦」
背中で瞬の声を聞く。
「……帰ってたんだね」
 自転車に鍵をかけながら、僕は小さく呟いた。振り返るのが怖い。
「話がある」
 わかってるよ。そう答えようとしたけれど、言葉にならなかった。押し黙ったま
ま、ずり落ちそうになっている首のマフラーを直す。
「聞いてんの?」
「……聞いてる」
 僕は前カゴの中にある鞄をつかんで取り出し、それを肩にかけて身体の向きを変
えた。目の前には瞬がいるけれど、その顔を直視できずに下を向く。
「今朝、幹彦と別れた後、財布忘れたのに気づいて引き返したんだ。家の中に入っ
たら、お父さんが珍しくまだいてさ。お母さんといろいろしゃべってた。盗み聞き
するつもりはなかったけど、ふたりの声が自然に耳の中に入ってきて……」
 瞬の言葉をさえぎるように、木枯らしが寒々しい音を立てて吹きつける。僕は肩
をすくめ、ズボンのポケットに両手を入れた。学ランの下に厚手のセーターを着込
んでいても、風は容赦なく身体の熱を奪っていく。
「とても信じられなくて、頭の中が真っ白になって……。俺、気がついたらお父さ
んの前に飛び出してた。嘘だろって言ったら、すごくびっくりして、お前は知らな
かったのかって言われたよ」
 僕は目を閉じて下唇を強く噛んだ。瞬の衝撃は察するにあまりある。それもみな、
臆病な僕のせいなのだ。
「夏休みの後半、幹彦の様子が少し変だなって思ったことはある。だけど、あんな
ことになってたなんて……すげえショックだよ……」
 瞬が鼻をすする。僕に弁解の余地はなかった。
「卒業したらここを出て行くって……、ほんと? 俺、幹彦の口から聞きたいんだ」
「……ごめん」
「ごめんって……何それ? はっきり言えよ!」
 荒げた声はひどく震えていた。目の奥が、発火しているように熱い。
「ご……ごめ……ん……」
 僕はやっとの思いで呟くと、慌てて口元を押さえた。
「何でだよ」
 瞬が呻くように言い、また鼻をすする。
「何で黙ってたんだよっ!」
 いきなり怒鳴ったかと思うと、瞬は僕の両肩をつかんで強く揺すぶった。
「言えよ! 言えったら!」
 そう言われてすぐに話せるくらいなら、あんなに悩んだりはしない。あの夏の夜、
伯母に告げられた言葉を思い返すたびに、悲しくて悔しくてやりきれない気持ちに
なる。しかし、それだけは瞬に明かしてはならないことなのだ。
 追い出されるとはいえ、僕にとって伯父夫婦はやはり恩人だ。感情の赴くままに
不用意な発言をして、家の中を混乱させてはならない。
「俺は嫌だ! 幹彦と離れて暮らすなんて絶対に嫌だ! こんなの納得できるわけ
ないだろ!」
 言葉のひとつひとつが、胸に深く突き刺さる。
 僕だって瞬と離れたくない、ずっと一緒にいたいんだ!
 そう叫んでしまいたいのをぐっと堪え、深く息を吐いた。瞬の頭に血が上ってい
るからこそ、こちらは冷静でいなければと思う。とても辛いけれど、今の僕がやら
なきゃいけないのは、言葉を尽くして瞬を納得させることなのだ。
「か……隠すつもりは………、なかった……」
 声が震えて、みっともないほどうわずってしまう。目を開けた途端、涙がこぼれ
落ちて顔を上げられなくなった。
「何度も……言おうって、思ったけど……言え……なくて……」
「だから、黙ってた?」
「……ごめん」
 瞬は大きなため息を吐き、脱力したかのように僕の肩から手を離した。
「出て行くって、いつ決めたの?」
 最も訊かれたくないことだが、答えなければならなかった。鼻をすすりながら、
手のひらで冷たい頬を拭う。
「夏……ごろ……」
「俺が……、俺が無理にやっちゃったから? だから出て行くって……」
「違う!」
「じゃあ、どうして出て行くんだよ。 俺のこと……嫌いになった?」
 瞬も涙声になっている。僕は首を激しく横に振った。
「わかんねえよ……。幹彦の気持ち、全然見えてこない……」
 そう言われるのも当然だった。僕が伯母とのやりとりを胸の中に閉じこめている
以上、瞬には理由の見当もつかないはずだ。
 志望する大学が遠方にあるから家を出る。そんなもっともらしい理由をつけて、
この場を切り抜ける方法もあっただろう。馬鹿正直と言われるもしれないけれど、
僕は瞬に嘘を吐きたくなかった。どんなに追い込まれても、それだけは嫌だった。
「瞬のことは……好きだ。大切な存在だと、思ってる……」
「だったら何で……」
「しょうがないんだ」
 思わずはっとして口をつぐむ。僕は自分の思考が大きな矛盾をはらんでいること
に、このとき初めて気がついた。
「どういうこと? しょうがないって、どういうことなんだよ!」
「そ、それは……」
「ねえ、頼むから話してよ。何かあったんだろ?」
「別に……何もないよ」
「嘘だ」
「……嘘じゃない」
 力なく言い返す。僕は結局、嘘を吐くはめになってしまった。
「顔、上げろよ。嘘吐いてないなら……俺の目、見られるよな?」
「……ああ」
 再び頬を拭い、思い切って顔を上げる。
 僕が誰よりも愛した少年は、病人のように青ざめた顔をしてこちらを見据えてい
た。潤んだ両目は真っ赤に充血しており、きつく結ばれた唇は微かに震えている。
「ごめん……瞬……」
 謝罪の言葉がむなしく響く。
「もういい……もういいよ……!」
 瞬は身体の奥から絞り出すように言った刹那、踵を返して家の中に駆け込んだ。
「待てっ、瞬!」
 慌てて従弟の後に続く。スニーカーを脱ぎ捨て、上がりかまちに鞄を放り投げた。
荒々しい足音を夢中で追いかけ、薄暗い居間を走り抜ける。階段を駆け上がったと
ころで、僕はようやく瞬の背中をとらえた。
「瞬!」
 手を伸ばして従弟の腕をつかみ、力まかせに引き寄せる。
「触るなっ! 離せっ!」
 瞬は罠から逃れようとする猛獣さながらに身をよじり、つかまれていないほうの
手で反撃してきた。鉄拳が耳元をかすめてヒヤリとする。
「俺を捨てて出て行くんだろ!? 行けよ! 行っちまえ!」
 外まで響き渡るような大声で怒鳴りながら、今度は平手を出してくる。頬をした
たかに打たれても、僕は瞬の腕を離さなかった。
「幹彦の馬鹿っ! 嘘つきっ! お前なんか、お前なんか……」
 怒声が嗚咽に変わっていく。僕は泣き崩れる瞬を抱き寄せて、小さな頃みたいに
頭をなでた。何の慰めにもならないとわかっていたけれど、そうせずにはいられな
かった。
 心が、叩かれた頬より痛い。まばたきをするだけで、熱い涙が止めどなくこぼれ
てしまう。
 でも、僕の仕事はまだ終わっていないのだ。瞬を落ち着かせた上で、きちんとし
た話し合いをする必要がある。
「……おいで」
 僕はしゃくり上げている瞬を抱えて、自分の部屋のドアを開けた。電灯を点けて
中に入り、ベッドの上に瞬を座らせる。冷え切った部屋を暖めるため、ファンヒー
ターのスイッチをオンにした。
「さ、さっきは……ごめんね……」
 背中で瞬の涙声がする。肩越しに振り向くと、従弟はうつむいて目のあたりをし
きりにこすっていた。
「いいんだ、気にしないで」
 首のマフラーを外しながら言い、瞬の隣に腰かける。震える肩に腕を回した途端、
瞬は昔に戻ったように抱きついてきた。
「い……行かないで……、行っちゃ……やだよ……」
 僕がその願いに応えられない以上、どんなに言葉を尽くしても瞬は傷つくだろう。
いっそのこと、憎まれたほうがいいのかもしれない。
「もう泣くなよ、男だろ?」
「……だって」
「出て行くっていっても、外国とか宇宙とかに行くわけじゃないんだから。会おう
と思えばいつだって会えるさ」
「嫌だっ!」
 瞬は僕の身体に回した腕に力を込めた。
「ちょっと瞬、苦しいってば」
「幹彦が……幹彦が出て行くんなら、俺も……一緒に連れて行って」
「何言ってんだよ。そんなこと……」
「迷惑、かけないから。ねえ……いいだろ?」
「よくない。学校はどうするんだよ」
 僕は瞬の顔を覗き込むようにして言った。
「あんなとこ、行きたくない。俺、頭悪いし、勉強嫌いだし……」
「でも中学は義務教育なんだよ。わかってるよね?」
「わかってるけど……行きたくない」
 瞬は嫌々をするみたいに首を横に振った。
「先生も、先輩も……、すぐ恭一と俺を比べるんだ。兄さんは何でもできたのに、
お前はこんなこともできないのかって……しょっちゅう言われる……、もうやって
らんないよ……」
「そうだったのか。ちっとも知らなかった……」
「学校辞めるのがいけないなら、公立に転校する。俺、幹彦と暮らしたいんだ」
 瞬は潤んだ目でこちらをじっと見つめ、僕の叩かれたほうの頬を優しくなでた。
 ふたりきりで暮らしたい。
 それは僕も同じだ。どうして僕らは、高校生と中学生なのか。
 急いで大人になる。だから、絶対に待ってて。
 自転車屋へ行く途中で瞬が口にした台詞を、今さらのように思い出す。可愛い従
弟が高校生だったら、状況は変わっただろうか。
「暮らしたいって言われても……」
 僕は口ごもって言葉を濁した。すぐには無理だと、続けることはできなかった。
「駄目? それとも俺と一緒じゃ嫌?」
「違うよ、嫌なわけないだろ。なあ、瞬。僕がせめて20歳になるまで待てない?
成人になったら、必ず迎えに行くよ」
 共に暮らせるという保証はどこにもないが、たとえわずかな希望であっても、 今
はすがりつかずにいられなかった。
「20歳って……あと3年もあるじゃない」
「たった3年だよ。あっという間に過ぎちゃうぞ」
 だが瞬は、納得しかねるとでも言いたげに首を横に振った。
「夏合宿の1週間、俺がどんな気持ちで過ごしたか……それなのに3年なんて!
幹彦には……絶対にわからないよ」
 瞬の目から、再び大粒の涙がこぼれ落ちる。
「そんなに寂しかった?」
「すごく……怖かった……」
「どうして? 合宿で嫌なことがあった?」
「違う……、幹彦と離れたら……一生……会えなくなるって……」
「まさか! いくら何でも考えすぎだよ」
 僕は苦笑し、短いため息を吐いた。瞬はかなり神経質になっている。気持ちが落
ち着いてくるまで、だいぶ時間がかかりそうだ。
「ここを出てもさ、お盆やお正月には顔出すよ。土曜や日曜に会ってもいいんだし。
瞬をほったらかしにはしないから、安心して欲しいな」
「ずっと……ずっと、一緒にいてって……言ったのに……」
「僕をもうちょっと信じてくれないかな? 約束するから」
 僕はポケットからハンカチを出して、瞬の目元を拭いてやった。
 ずっと一緒にいて……か。昔の台詞がボディブローみたいに効いてくる。
「……怖いよ」
「いったい何が怖いの?」
「だって、あのとき……幹彦は……、線路の上……歩いてた……。急にいなくなっ
て……家に……帰るんだって……。いるよって、言ってくれたのに……何で、何で
あんなこと……! 怖いよ……幹彦の姿、見えないと……俺の手、届かない……嫌
だよ、そんなの……」
 瞬はしゃくり上げながら切れ切れに言ったかと思うと、瘧にでも罹ったかのよう
にぶるぶると身体を震わせ始めた。部屋の中が寒いからではない。十分に暖まって、
ワイシャツ1枚になりたいくらいだ。
「瞬!」
 慌てて瞬の額に手を当てる。
 すごい熱だ!
「気持ち……悪い……吐きそう……」
 顔がたちまち青ざめて、唇の色さえ白っぽく変わっていく。洗面器を取りに行っ
ている暇はない。僕が側にあったゴミ箱をつかんで差し出した途端、瞬はそこに胃
の中のものをぶちまけた。
 僕のせいだ、全部僕が悪いんだ!
 懸命に背中をさすりながら、僕は自分自身を責めた。

 瞬の身体を冒した病は、インフルエンザだった。
 寒いところで僕を待ち続けたのが、罹患する原因になったのは否めない。40度
近い発熱で苦しむ瞬を尻目に、何事もなかったような顔をして日々を過ごすことは
できなかった。
 期末テスト前日まで学校を休んで、瞬を看病しよう。
 伯父と伯母には、そんなことまでしなくていいと言われたけれど、このままでは
自分の気持ちが収まらなかった。
 汗をかいた身体を拭いて、下着とパジャマを取り替えてやる。おかゆやうどん
(他、瞬の喉を通りそうな物)を食べさせて、内服薬を飲ませる。熱が上がって辛
そうなときは座薬を入れて、落ち着くまで見守った。やっていないことと言えば、
食事作りぐらいのものだろう。
 母親さながらに瞬の寝顔を眺めていると、あの日の言葉が頭の中で蘇ってくる。
 怖いよ。
 瞬にそう言わしめた原因は、僕の自殺未遂にある。線路上での出来事は、当時ま
だ小学4年生だった従弟の心に大きな傷を残していた。ちょっと立ち止まって考え
てみればわかるのに、当時の僕は自分のことに精一杯で、命がけで救ってくれた従
弟の気持ちには、何ひとつ注意を払わずに過ごしてしまったのだ。これだけは、悔
やんでも悔やみきれなかった。
 単なる憶測でしかないけれど、瞬は僕と離れると、条件反射のように心の中で当
時の風景が蘇って、不安感がとても強くなるのではないか。そういう視点から日常
生活を見直すと、思い当たる節が数多くあった。
 例えば、朝の登校時。瞬が小学生のときは、ほとんど毎日のように僕が遠回りを
して駅まで送っていた。中学になってからは、さすがにひとりで行くようになった
が、それでも月に何回かは一緒に駅へ行く。(高校と駅は方角が違うので、僕の負
担は大きいけれど、苦にはならなかった)
 学校の友だちから遊びに誘われても、僕と過ごしたいからと言って断ってしまう。
小学生の頃から、制服姿のまま僕のバイト先に現れること度々。時には仕事が終わ
るまで待っていて、驚かされることもあった。
 僕が友人と出かけるときも、ついて行きたいと言って駄々をこねたことがあった
っけ。(そのうちの何度かは根負けして、実際に連れて行った)
 ベタベタしすぎかもしれないが、恋人同士(組み合わせはどうであれ)なら有り
得るのではないかと、僕は軽く考えていた。しかし瞬の行動の全てが、強い不安感
から来ていたとしたら……。
 何故、もっと早く気づかなかったのだろう。心理的な問題は、年月が経過すれば
するほどこじれていくものだ。
 最もいい方法は、原因を取り除いてやることだけれど、それにはどうしたらいい
のかわからなかった。1年数ヶ月後にここを出て行くのが決まっている以上、僕は
魔力を失った魔法使いになったも同然だ。
 筋道から言って、保護者である伯父や伯母に助けを求めるべきだろう。瞬と僕が
従兄弟同士のままだったら、迷わずそうしたに違いない。
 でも――僕たちの間には、人に知られたくない秘密がある……。

 発熱から1週間後、瞬はようやく起き上がれるようになった。
「もう学校に行ってもいいんだって」
 帰宅した僕に向かって、以前のように瞬が話しかけてくる。
 普通に口をきいてもらえることが、ひどく嬉しい。
「そうか、良かったな」
 僕は笑って答えると階段を上った。瞬も後をついてくる。
「良くないよ。期末テストが受けられなかったから、全科目追試なんだぜ」
「うわ、きついな。追試っていつから?」
 部屋の扉を開けて中に入る。僕は鞄を机の上に置き、マフラーを外して椅子の背
にかけた。
「3日後。最悪だよ。また熱が出そう」
 瞬は沈んだ声を出して、僕のベッドに腰を下ろした。
「心配すんなって。僕のほうは明日で終わりだから、勉強見てやるよ」
 学ランの上着を脱いでハンガーにかける。
「だけどテスト範囲広いし、俺の頭じゃ間に合わないかも……」
「僕がついてるだろ? 一緒に頑張れば何とかなるよ」
 僕は瞬の頭をポンポンと軽く叩いて言い、ファンヒーターのスイッチを入れた。
「うん……あのさ、幹彦」
 言葉を切って目を伏せる。肩を落としたその姿は、僕をひどく不安にさせた。
「この前は……わがまま言ってごめん」
「いいよ、そんなこと。僕のほうこそ、悪かったと思ってる」
 僕は感情をこめて答え、瞬の隣に座った。
「俺、大丈夫だからさ」
 瞬はふいにさばさばした調子で言い、顔を上げて僕を見た。目と目が合うと、少
しやつれた顔に笑みが浮かぶ。いつもの笑顔とはどこか違う、何となく貼りついた
ような感じに見えてしまうのは、考えすぎだろうか。
「ひとりでやっていけるよ」
「ほんとにそれでいいの?」
「幹彦に頼りっぱなしじゃ、いつまで経っても成長しないからね」
 頭をかきながら、照れくさそうに言う。本来なら、喜んでもいい種類の台詞なの
に、不安感ばかりが強くなる。
「俺、頑張るから。その代わり、3年経ったら絶対迎えに来いよ」
 そうだ、あと3年。瞬は覚えていてくれたんだ!
 暗い心にひと筋の光が差し込んで、マイナスの感情が少しずつ薄れていくような
気がする。
「わかった。瞬こそ例のOBと浮気したら、ボコボコにしてやるからな」
「まだ気にしてんの? それってヤキモチ?」
「うっせー!」
 笑い声が部屋の中に響いた。
 瞬、本当に安心してもいいんだよね? 

                      to be continued




#302/1158 ●連載
★タイトル (tra     )  04/07/03  12:09  (257)
寝床(六)     Trash-in
★内容                                         05/07/01 19:00 修正 第3版
 吉田が宮地の後に続いて部屋に入ると、中には、リムレスフレームの眼鏡をかけた小
柄で痩せぎすな小林と、電話で話している綾瀬がいて、小林はパソコンに向かって入力
作業をしていた。
 綾瀬は、吉田の会社では女性で初めて課長職に就いた才媛の代名詞の様な存在で、そ
してそう言われるだけのことはあって、三十代後半だったが切れ長の目と年を追うごと
に厚みを増す化粧が印象的な美人だった。ただ、吉田が宮地から聞いた話では、綾瀬に
は風変わりなところがあって、それは恋愛の対象が大学生に限られていることで、しか
も何かコンプレックスでもあるのか、普通の大学生は眼中に無く、相手は美術大学の学
生でなければならず、そして付き合いだすと献身的に貢ぎ、半年ほど経つと、もれなく
捨てられるということだった。
 そうした綾瀬の行動は、美しい顔とよく切れる頭を持て余した上での酔狂なのか、も
しくは持て余しているのは母性愛なのか、あるいは婚期を逸して捨て鉢になっているの
か、それとも単なるバカなのかが、話題の尽きかけた酒席ではよく論じられ、やがてそ
の議論も下火になってくると、「俺も貧乏な美大生になって、貢がれたいもんだなあ」
などと誰かが軽口を叩き、女性達の無言のブーイングを浴びるのが一つのパターンにな
っていた。
「ねえ、どうして今さらそんなこと言うの。ヒロくんひどい」綾瀬が言った。彼女は、
左手に受話器を持ち、右手で顔を覆っていた。「わたしの何がいけないの。わたしわか
らない」
「宮地さん、出直しませんか」吉田が小声で言った。常識的に考えて聞いてはいけない
話のようだった。
「どうして」宮地が驚いたように言った。「あれなら気にするなよ」
「いや、気になりますよ。かなりシビアな話をしてるじゃないですか」
「かまうなかまうな。よくあることだ。なあ、小林、急な話だが、木俣の義太夫が今日
あるんだ」
「そうですか」
「いつもは2月だけど、自社ビルの新築披露にあわせたんだろう」
「ええ」
「担当の井上が、行きたくないから情報を握りつぶしてたんだ。今日になってわかっ
た」
「そうですか」
「オッズなんだけど、まさか出来てないよな。ひょっとして出来てる?」
「ええ」
「やった、えらいぞ小林。お前は素晴らしい」
「そうですか」
「先に藤原部長に会っておきたいんだけど、ここに来なかったか」
 小林は黙ったまま右手を持ち上げると、人差し指を対面の壁に向けた。隣の総務にい
るというつもりらしい。
「そうか。ちょっと行ってくる」宮地はそう言うと問題のFAXをひらひらさせながら部屋
を出て行った。
 吉田は、宮地に去られてかなり心細かった。小林は口が重く、しかもすぐ近くで別れ
話が進行している。
「いい天気ですね」吉田が言った。
「ええ」
「冬型の気圧配置が弱まっているようですね」
「そうですか」
「こういう日は仕事なんか休んで、どこかに遊びに行きたいですね」
「ええ」
「ドライブなんかいいですよね」
「そうですか」小林はポケットからティッシュを取り出すと、眼鏡をはずして、無言で
レンズを拭いた。
「車の車検がもうすぐで、いっそのこと買い換えようかと迷っているんですよ」
「ええ」
「でも、新しく買うとなると高いし」
「そうですか」
「・・・・・・・・・・・・」吉田は会話を小休止させた。努力した割には『ええ』と
『そうですか』を交互に聞かされるだけで、若干の徒労感を感じ始めていた。
「年末だから、経理は忙しいでしょう。年末調整で」吉田は気を取り直して会話を再開
させた。
「ええ」
「年末調整用に保険会社からハガキが来るじゃないですか。あれをどこかにやっちゃっ
て、困ってるんですよ」
「そうですか」
「・・・・・・この前ケータイを新しくしたんですよ」
「ええ」
「機種の交換よりも新規加入した方が安いって言うのも変な話ですよね」
「そうですか」
「・・・・・・・・・・・・」こいつは『ええ』と『そうですか』以外の単語を知らな
いのか。何だか吉田は腹が立ってきた。もういい、黙っていよう。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「だって、どうして?今そんなこと言わなくてもいいじゃない」二人の沈黙を破って綾
瀬の涙声が部屋に響いた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「ああ、もうあたし死んじゃう。死んじゃう死んじゃう死んじゃう」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「束縛ってなに?あたし束縛してるつもりなんかないよ。だってそうしないとヒロくん
が」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「違うの違うの。着信履歴を見たのは、ヒロくんが無駄遣いをしたらいけないと思った
から。だってだってだって、だからだって、ねえ、ちょっと聞いてよ。ねえ、あたしの
話を聞いて」
「そろそろクリスマスですね」吉田が口をきいた。このまま黙っているとまるで綾瀬の
別れ話を立ち聞きしているようになってしまう。それにしても小林とのダンマリ合戦に
根負けしたのには腹が立った。
「ええ」
「クリスマスはどこに行っても込みますね」小学生のとき、通知表に『根気がありませ
ん』と書かれた事を思い出しながら吉田が続けた。
「そうですか」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「疑ってないのよ、疑ってないの。ヒロくんのことすっごく信じてるし、だってだって
だって、もしあたしがヒロくんが言うみたいに、嫉妬深くて、無実のヒロくんの行動を
いちいち監視してる嫌な女だとしたら、先々月の28日の午後5時23分から12分48秒もミチ
カちゃんにケータイから電話したことを電話会社の利用明細書で知って、それから、ヒ
ロくんの財布の中のレシートで、スターバックス銀座マロニエ通り店でホットココアを2
杯飲んで同じ日の午後7時15分に740円を払ったことを知った時点で、ヒロくんに警告し
ているはずでしょう」
「インターネットで」小林が語りだした。
 なんだ、やれば出来るじゃないか。自分の友好的な関係を築こうとする誠意が小林に
通じたのか、あるいは彼も聞いてはいけない会話を延々聞かされることに抵抗を感じて
いたのかもしれない。吉田は、「インターネットがどうしました?」と言葉を返した。
「色々なものが買えるようになりましたよね」
「デルがパソコン売ってますし、車も買えるみたいですね。車の下取りの査定もするら
しいですよ」
「インターネットってすごく進化していくじゃないですか」
「ドッグイヤーって言いますからね」吉田が弾むように答えた。
「このままインターネットが進化していくと」
「ふんふん」
「アメリカで黒人奴隷がインターネットで売買される日も近いでしょうね」
「・・・・・・なるほど・・・ええ・・・まあ、そうですね・・・・・・それが、そ
の、進化なのか退化なのか僕にはよくわかりませんが・・・・それは、やはり、綿花か
何かを摘むための労働力として?」
「冗談です」
「ははあ、なるほど」吉田は全身の力が抜けるような気がした。
「面白いですか?」
「・・・そうですね・・・そのう・・・ブラックな感じで・・・ただ、アムネスティの
集会とか、そういうヒューマンな人たちがいる場所では避けた方が無難かと」
「ヒューマンな人というと」
「えーと、例えば黒柳徹子とかオノ・ヨーコとか」
「んふんふんふ。派手ですね」
「言われてみればそうですね。なんか関係があるのかな」
「あるわけないでしょう」
「・・・そうですね。派手なオバサンでもデヴィ夫人はヒューマンな匂いがしません
ね」吉田は悲しくなってきた。なぜ自分はヒューマニズムの見地からデヴィ夫人を評し
ているのだろう。
「あたしもう疲れちゃった・・・今日帰ってから、ゆっくり話そう。ね?ヒロくんの好
きなハンバーグの入ったカレーを作ってあげるから」
「ちょっと出ませんか」吉田が言った。とにかくストレスフルな環境から逃げ出したか
った。
「ええ」小林はそう言うと、デスクの上のボトルタイプの容器からウェットティッシュ
を一枚抜き取り、手を拭いて立ち上がった。
「おーい、FAXを藤原に渡してきたぞ。奴は井上に5万円賭けた」宮地が元気よく戻って
きた。
「いらないってどうして?どうしていらないの?この前カレーにニンジンを入れちゃっ
たから?あれは意地悪したんじゃなくて、あたし、うっかりしてて」
「まだやってたのか」宮地は綾瀬を見て少し驚いた。
「とにかくここから出ませんか宮地さん」吉田が懇願するように言った。
「出たってどういうこと?荷物は?荷物は?荷物は?荷物も?・・・そう、そういうこ
となんだ。そうなんだ・・・きっとかわいいかわいいミチカちゃんが手伝ってくれたの
ね。あたしと違ってかわいいかわいいミチカちゃんが。そして今度はミチカちゃんと住
むのね」
「もうすぐ終わりそうじゃないか」宮地が言った。
「そうですね」小林が答えた。「終わりそうな雰囲気ですね。いろんな意味で」
「出ましょう。とにかく。コーヒーでも飲みに行きましょう」
「コーヒーならさっき飲んだよ」
「じゃあ、他のものを飲みましょう」吉田は苛つく自分を抑えながら努めて冷静に言っ
た。
「ええ、そうですね」小林が加勢してくれた。「ホットココアでも」
「俺は忙しいんだよ。時間が無いんだから。オッズのチェックもしなきゃ」
「オッズの表をプリントアウトしましょう」小林がそう言ってマウスを動かし、何度か
クリックすると、プリンタの駆動音が聞こえてきた。
「もういいの」綾瀬がこちらを向いて言った。そして受話器を置きながら繰り返した。
「もういいの。もう終わったから。気を使わなくてもいいから」
 やがて、すすり泣く声が聞こえてきた。「もういいの。終わっちゃったから」綾瀬は
両手で顔を覆った。「終わっちゃった。何もかも。ぜーんぶ終わったの」
「綾瀬さん。あの、上手く言えませんが、人間生きていれば、こういうこともあります
よ」
「ありがとう宮地君」
「宮地さんの言うとおりです」小林が続いた。「生きていれば、こういうこともありま
す。特に三十をいくつも越した女性の場合は頻繁に」
「ありがとう小林君。あなたなりに励ましてくれてるのがよく判る」
「綾瀬さんくらいの美人なら、もっといい美大生にめぐり逢えるよ」
「ありがとう宮地君。なかなかそんな気にはなれないけどね」
「そんなことはありません」小林がプリントアウトされたオッズ表を宮地に手渡し、ウ
ェットティッシュで手を拭いた。「また出逢えます。前回も、別れてから8日目にニンジ
ン嫌いの美大生を捉まえました。あの時の綾瀬さんは、間違いなく幸せの絶頂にいまし
た」
「ありがとう小林君。あの頃のことを思い出すのはとても辛いけどね」
「そんなにいつまでも泣いてないで。きれいな顔が台無しですよ」宮地がオッズ表を食
い入るように様に見詰めながら言った。すでに興味は賭けのオッズに移ったようだっ
た。
「宮地さんの言うとおりです」小林もまたオッズ表に見入った。「化粧が崩れてしまい
ます」
「ありがとう」
「美人を際立たせる化粧が。数多くの男達を悩ませてきた、ただでさえ美しいその顔を
より美しくする化粧が」宮地が言った。
「宮地さんの言うとおりです」小林も同調した。「数多くの男達を悩ませてきた、ただ
でさえ厚塗りの化粧が。防水スプレーがありますが、これで涙を弾けます」
「ありがとう二人とも気を使ってくれて。でも、もう泣いちゃったから防水スプレーは
いらないわ。それに少し使い方も違うような気もするし」
「これ、ちゃんと20%利益が残るように、なってるよな」
「ええ」
「連勝複式の倍率が低すぎないか」
「そうですか。でも、これ以上高くすると、万が一、二人行くことになったときの利益
の確保が」
「・・・初めはね、上手くいくと思ったの。どうしてこうなっちゃったんだろう。あた
しは、初めて会ったときに、この人だって思うと、頭の中で音楽が鳴るの」
「そうなんですか。ロマンチックですね・・・この倍率、二倍にしよう」
「『慕情』っていう映画があって、そのテーマソングで『Love Is a Many Splendor
ed Thing』っていう曲が、フルオーケストラバージョンで聞こえてくるの」
「美人だから、そういうきれいな曲がよく似合いますね・・・二人行くことはありえな
い。連勝複式の倍率を全て倍にしよう」
「そうですね。綾瀬さんらしいロマンチックな選曲です。『Love Is Over』が鳴るな
んて・・・しかし赤字の可能性が」
 綾瀬の泣き声が少し大きくなったような気がしたが、気を取り直したのか、「その時
も、その時も音楽が鳴ったの。『Love Is a Many Splendored Thing』が」と言っ
た。
「それはすごい。ものすごい直感ですね・・・単勝のほうはこれでいい」
「ええ、とても素晴らしい直感です。もう、ほとんど病気です・・・でも、藤原部長と
井上課長が行く事になったら」
「行くわけないだろ」宮地が強い口調で言った。
「もし行ったら」
「その頃のあたしは、前の美大生と別れたばかりで、ぽっかりと大きな空洞を抱えた様
な感じがしていたの」
「ありえないことを想定しても意味無いよ。なあ吉田、あの二人が行くと思うか?」
「担当とその上司が行くのが普通ですよ」
「普通はそうかも知れないけどさ。ここは株式会社ミミタだから。政府発表の経済指標
の悪化とともに売り上げを落とし、景気が底を打ったなどというと世迷言にも敢然と反
旗を翻えしてシェアを縮小し続けるミミタだぞ」
「そしてヒロくんは、強すぎる感受性を自分でもどう扱っていいのか解らずにいる自我
の不安定なアーティストっていう感じだった」
「やっぱり藤原・井上の連勝複式はもっと倍率を高くしよう」宮地が小林と吉田に言っ
た。
「そうすると・・・他の倍率が」小林が難しい顔をして、「全体にも影響があります」
と付け加えた。
「背が高くて、華奢なように見えたけど、でも肩幅は広くて、とても才能があるのに、
でも認められなくて、その鬱屈が眼差しをとても強いものにして、あたしはそれに惹か
れた」
「ありえないケースだから無視していいと思うけどな」
「いや、宮地さん、説明させてください。例えば、営業部員が30人いたと仮定して、こ
の場合の組み合わせが」小林が胸ポケットからシャープペンシルを取り出して、オッズ
表の余白に『nCr』と書いた。「このケースでは、n=30で、当然r=2になります。解って
いるとは思いますが、30C2になるわけです」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「知り合いのギャラリーの人が紹介してくれたんだけど、でもその人はヒロくんの才能
までは見抜けていなかった。アーティストって才能が大きければ大きいほど、それが認
められなかったときに、ものすごく屈折するのね。ヒロくんも自分で自分の神経を切り
刻むような自虐的なところがあって、あたしは放っておけないな、と思ったの」
「まあ、nPrとnCrの関係は」と、小林は沈黙する宮地と吉田に構わず、今度は『nCr
=nPr/r!』と書いた。「こういうことなんですが。で、この連勝複式ですが」
「いやあ、よく分ったよ、マイ・フレンド」宮地が力強く言った。「とても分かりやす
い説明だった」
「いや、その、分かるも何もこれから説明が始まるので、今のはその前段階なんです
が」
「いや、よく分ったよ。つまりnCrがnPrをrのビックリマークで割ったものなんだろ
う」
「ビックリマークではなく、rの階乗と言いますが」
「昔はビックリマークと言った。まあ、早い話が、このオッズ表通りなら売上げの20%が
利益として確保できるということだよな」
「ええ・・・まあ、そうですが・・・」
「ほら、もう理解した。いやあ、分かりやすい説明だった。なあ、吉田」
「ホントに分かりやすかったですよ」吉田が宮地に調子を合わせた。この先を聞いても
どうやら理解できそうも無い。「一を語って十を知らしめる名解説だと思います。完璧
に理解しました」
「で、これは俺の意見なんだけど、二人行くことはありえないから、連勝複式の倍率は2
倍にして、ただし、藤原・井上の組み合わせは絶対にありえないから、それは客が食い
つくように4倍にしよう」
「そうですか。宮地さんがそういうのなら」小林がやや肩を落としてモゾモゾと言っ
た。どうやら不服のようだった。そしてシャープペンシルを胸ポケットに戻すと、ウェ
ットティッシュを一枚抜き取って、いつものように無表情のまま手を拭いた。




#303/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/07/07  03:42  (204)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「日本滅亡」  久作
★内容
■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝・番外編「日本滅亡」

 八犬伝に提出されている重要な概念の一つに、【尸解】がある。第百五十回、死んだ
筈の一休さんが大御所・足利義政の眼前に現れ諫言する場面だ。「唐山にて仙術を得た
る者、死するに及びて実は死なず、稍地に柩を蝉脱して深山幽谷に躱れて人間に還らぬ
あり。是を名つけて尸解といふ。仏者にも亦この事あり。達磨の如き即是なり」。両者
とも、かなり皮肉っぽい性格だったらしいが、禅宗の高僧とされる達磨と、同じく一休
を関連付けている。そして達磨尸解に関する物の本のうち、比較的毛並みの良い一書
が、「七代記」(広島文理科大学蔵本)だ。こんな塩梅である。
     ◆
大唐衡州衡山道場釈思禅師七代記云、往年西国有一婆羅門僧、其名達磨。此人遷化、魏
文帝即位大和八年歳、次丁未十月到来漢地。徘徊衡山、吟詠草室。於是達磨道場之内六
時行道、問思禅師云、汝此寂処幾年修道。答云、廿余歳。問何見霊験、何被威力。答
云、不見霊験、不被威力。達磨良久歎息云、禅定易厭、濁世難離、余忽遇素交、永滅塵
劫之重罪、暫随清友、長植来生之勝因、阿々師々努々力々、何故化留此山、不遍十方、
所以因果竝亡、海東誕生。彼国無機、人情麁悪、貪欲為行、殺害為食、宜令宣揚正法、
諫止殺害。禅師問云、達磨誰人。答云、余者虚空也。相談已訖、向東先去。聖容不停、
来儀髣髴。禅師恋望朝夕啼泣、六時行道。年将五十、後魏帝柘抜皇始元年庚申、永逝
也。
     ◆
 実は七代記、聖徳太子の伝記で、上記「大唐衡州衡山道場釈思禅師七代記」の話を、
聖徳太子が中国「思禅師」の転生だと云いたいが為に引っ張り出している。聖徳太子
は、馬琴が大好きだった太平記なんかでも、予言書を遺したことになっているスーパー
ヒーローなんだが、予言と云えば、避けて通れぬ詩がある。兎園小説第八集に「天照太
神を呉太伯といふの弁」がある。ちょっと引こう。
     ◆
 或云、伊勢国天照太神を呉の泰伯と申す説。宋元の代より申す所にして、儒者よりこ
れを見れば、尤事跡に付きて左あるべし。神道者よりは此説を嫌ひ、堂上方禁中方にて
も不被用。これも亦たあるべし。日本は大唐と各別の式を立つる故なり。然れ共、仰ぎ
てこれを考ふるに、呉の泰伯は誰人ぞ。周室の高祖、后稷の嫡子にて、二男は王季な
り。后と王季と聖人なり。王季の子文王、その子武王、周公、何れも聖人なりと称す。
世子の説ありて、泰伯は弟の王季に譲りて、家を出でて去りぬ。是を三譲といひて、論
語にも泰伯をば至徳と称せられたり。呉国へ去られしと古書にもあり。呉国より日本へ
渡せらる。呉国は南京なり。日本と近し。其頃は日本は纔の島国にて、鬼畜同前の土民
住す。彼等穴に住し猟漁して食せしなり。泰伯九州日向鵜渡の港へ舟を留めらる。其後
高千穂の嶽に上り住し給ふ。日向に今その事跡残れりと申し伝ふ。彼国にても王代の古
質あり。耕作を教へ、人倫の道を教へ給ふ。仍りて人道開けて国人尊敬す。素盞烏尊は
皇の御弟なり。然れ共、御心に不叶事ありて御教を止めて引き籠り給ふ。仍りて法令の
教なし、人々難義に及び、これを天の岩戸に引き籠らせ給ひて、常闇の世といふ。然れ
ば皆人なげき諫め申して、再び法令あるにつき、日月かがやくといふ。彼渡海の時の御
舟、是を伊勢国の船の御蔵と申す御寶、是なり。農具を入れ持せたる。今に御蔵に納め
たり。仍りて御倉と申す。其外司室童子の画あり。髪を乱して童形の竿さす処の絵な
り。是渡海の御船を写すと云ふ。又内宮に三譲伏あり。三譲の文字を写す。是御殿に質
朴礼義をふまへさせ給ふしるしなり。これによりて、内宮を泰伯、外宮を后稷と説き申
すといふ。外宮は国常立尊と申すも此説あり。扨、日本を姫氏国と、野馬臺の詩にも見
えたり。周室又姫氏符号如斯。弁に云、此説古来より誤り来ること年久し。釈の圓月日
本史を作、朝に献ず。其書に泰伯を以て始祖とす。故に議論ありて、おこなわれずと云
ふ事は、蕉了子が記せる史記抄路に見ゆるなり。且舊事記、古事記、日本紀に、此説に
似たる事、実になし。浜成の天書記、広成の古語拾遺、倭姫世説、鎮座伝記、御鎮座次
第、実碁本記、類聚神祇本源、元々集等の書に、亦見えず。野馬臺の詩は、世俗に伝は
るばかり。書籍の中、嘗て見えず。梁の寶誌和尚の讖文なりといへども、誌か詩伝中に
も見えず。仮令、実作りぬるも、霊僧の詞証拠とするに足らず。神皇正統記に、異朝の
一書中に、日本は呉の泰伯の後なりといふ。更に当らず。思ふに、唐土の人我邦の書を
しらず。偏に商舶俗侶の口に任せて、年代をも不弁、実非を不正、実を失ふこと常に多
し。固と我邦の人、国史に瞽き故、姫氏国の言に迷ひ、泰伯を誣罔し、佛者は大日■
(靈のしたが女)の名を以て、大日を附会し、是周礼造言の刑を免れざるの人、国神正
直の教に背く。実に聖神の罪人なり。開闢の始、神霊を称するは、古今の常。予別に説
あり。此に略す。或云、天地開闢の始より、我国有りて、大日本豊秋津洲と称し、我君
の子世々統を続き給ふ。所謂天照太神の御子孫なり。呉は泰伯より始まり、世の相おく
る丶こと数千歳。日本何そ、泰伯の子孫ならんや。史記呉の世家を按ずるに、泰伯卒し
て子なし。弟仲雍立つ。後十七世夫差、越の勾践の為に滅さる。此時我邦、孝昭天皇三
年に当る。夫差より前、呉の日本に通ぜし事なし。異域の人、我邦に来て臣民となる
は、則是あり。其氏族を蕃別といふ。この類多し。その中に松野氏あり。新撰姓氏録に
曰、松野は呉夫差の後なりと。是呉人我邦に来るの始なり。日本紀に拠るに、応神天皇
三十三年春二月、阿智使主、都賀の使主を呉に遣し、縫女を求めしむ。ふたりの使者高
麗に渡り、呉に至らんとするに、呉に通ずることを得たり。呉王工女兄媛、弟媛、呉
織、穴織四人を与ふ。大織冠鎌足執政の時、百済の禅尼法明、対馬に来て、呉音に維摩
経を誦す。よりて呉音を対馬読といふ。呉音の源起なり。然れども、泰伯を天照太神と
いふ事、何れの書にも見えず。日本紀纂疏に、一條兼良公の説に、韻書を考ふるに、姫
は婦人の美称なれば、思ふに天照太神は始祖の陰霊。神功皇后は、中興の女主たる故
に、国俗姫氏国と称すとかや。只字義によりて、事を論ずるときは、此類常に多し。蓋
物極れば変じ、人窮すれば則本に返る。天地の常道にして、古今の事宜なり。予兎園小
説を作らんとす。嚢底を叩きて考ふるに、奇説新説、諸君の筆に出づ。予が輩、如之何
そ筆すべき。於是本に返り、源を尋ね、天照皇の説を写し、聊以て例の兎園に備ふと云
ふ。
               乙酉八朔   中井琴民識
     ◆
 此処では「野馬臺詩」なるものに於いて日本が「姫氏国」すなわち天皇の名字が「
姫」であると記していることを紹介し、信ずべき書物に根拠が見られないことから、是
を否定している。筆者だって本気では信じていない。眉唾だ。が、此処で何の説明もな
く「野馬臺詩」が登場していることからも、此の詩が当時の読書人にとって、当然知っ
ているものだと考えられていたことが分かる。他愛もない詩だが、刺激的な内容なの
で、江戸版本から紹介しよう。まずは、「序」から。
     ◆
野馬臺序
野馬臺詩者梁寶誌和尚所作也。野馬者陽焔也。臺者謂國也。言倭國人道軽薄雖有而如
亡。猶陽焔起春臺、故指本朝云野馬臺也。昔寶誌和尚行道日、化女忽然而来与和尚倶
語、恰如旧相識、一女去一女来、如斯一千八人也。皆謂本国之終始也。和尚怪之以千八
人女、作文字者、乃倭字也。爰知是倭國之神也。和尚託其言、作一十二韻詩以貽将来
矣。嗚呼誌公是観音大士、不知自作倭國之讖乎。中古聖武皇帝朝、吉備公入唐、唐人以
其本国之讖出野馬臺詩、使之読為試其知力、文字交錯乎直不書之、非神助則不可読之。
於是吉備公黙然祈仏天及本国之神祇、俄而有蜘蛛随其紙上、漸歩曳絲遂認其跡、読之不
謬一字。唐人称美之。
【現代語訳】
 野馬臺詩は梁の寶誌和尚が作った。野馬とは陽焔(かげろう)で、臺は国を謂う。倭
国は人道があってなきが如きであり、この「あってなきが如き」状態を、春臺に陽焔が
立っているようだ、と謂っているのである。出典は荘子内篇逍遙の「野馬也、塵埃也、
生物之以息相吹也」だ。現代語訳すれば「オーラ」ぐらいになるか。野馬は人に制御さ
れず駆け回り、絶えず上気して汗塗れだ。賛否両論だろうけれども、「青春」の字面に
於いて、やや上気し艶やかな即ち汗っぽい女性が、お人形さんみたく粉っぽいより、多
くの男の劣情を惹き付けるとは、勿論のことであろう。妙齢以上の女性が何やらかにや
ら肌を艶やかに見せようとする努力を、厚化粧と呼ぶが、其れは此の「気」の発散なる
考え方に依拠してをると、私は常々考えている。女性の旺盛な気は、それだけで男を絡
め取る触手である。頭の悪いガキどもが、「いやぁ猥談できる女性(発散する女性)っ
て素敵だよね」なぁんて宣う情景を思い浮かべていただければ、解り易いか。……いや
まぁ簡単に言やぁ飽和水蒸気量の関係で「上気」し、空気が揺らいで見えるだけなんだ
が、熱を帯びた上気/陽焔は、発散/オーラの代名詞にされたんだろぉな。即ち「野馬
/陽焔」は生気の謂いであり、現象としては、「陽炎(かげろう)」である(だがまぁ
現在では、無生物だって陽炎を生ずるのでピンと来ないかもしれない)。しかし我らが
馬琴は燕石雑志で、こう云っている。
     ◆
逃水
夫木集第廿六雑の部の八。俊頼朝臣のうた
 武蔵野にありといふなる逃水のにげかくれても世をすぐすかな
この逃水といふものは、実の水にあらず。春の曠野にたつかぎろひを遠く眺望れば水の
流る丶如くに見ゆるをいふよしは、人みなしるものから、野馬陽炎を水にたとひたる
事、おのづから根く所あり。左性霊集、詠陽焔喩(見于巻十第六十二張)遅々春日風光
動、陽焔紛々曠野飛、挙体空々無所有。狂児迷渇遂忘帰。遠而似水近無物。走馬流川何
依(以下略)運廠註智論曰、飢渇悶極見熱気如野馬、謂之為水。疾走赴之転、近転滅。
走馬流川、皆謂陽炎状貌也
逃水の事これにて義審なり。俊頼は空海の句にもとづかれたるにや。
(巻之二)
     ◆
 ちなみに、寶誌和尚に関しては、梁書や陳書、南史、北史などに予言僧としての言動
が多く収録されているが、例えば次のような話も残っている。

 武帝の時に侯景が謀反したが、天監年中に寶誌が、そのことを言い当てた。「尾の曲
がった狗子が発狂し、人を噛んだと思ったら、忽ちに死んだ。また、山里の児童が猿の
ように腕を振り回し、皇帝が政治を行う太極殿の前に行って批判がましい目で睨み付け
た。これは、汝南の事から起こって、三湘に横死するとの意味だ」。即ち、狗子も児童
も猿を象徴しており、都市が攻められ皇帝が害毒に侵されることを意味していた。侯景
の乱である。侯景は、魏との戦いで懸瓠(汝南)に於いてシクジり帝を逆恨みするに至
ったが、このことから起こり謀反し、三湘で横死する。侯景は、いったん天下を奪い、
百二十日の後に亡んだ。所謂、百日天下だ。前出「狗子」は、侯景が子供の頃に呼ばれ
ていた名だともいう。また侯景は、左右の脚の長さが違い、それを「掘尾(尾が曲がっ
た)」と表現したか。また、侯景の左足には亀の形をした瘤があり、調子の良いときに
はクッキリと浮き出し、敗北すればスッカリ隠れたという。玄武/水気と関わる存在だ
ったのだろう。猿は金気の動物で、金生水、水気との親和性は高い。五行大義に拠れ
ば、「梁」は「七」の数字を割り当てられている。七とは火気の成数であり、水気に克
される。完全に克されなかった理由は、侯景の〈徳〉が不足していたためだろう。水・
金の陰気は殺を好む。侯景は性残忍で、いつも小刀を持ち歩き、人を殺すときは鼻や耳
を削いだ挙げ句、すぐには殺さない、幾日か苦しみを味わせた上で、徐に殺すことが常
であった。陰は殺を好む。陰性の徳、例えば金気(少陰)は、少陽の木気を併せ持ち初
めて、モッキン・バード、源頼朝の如く王業を達成する。侯景には陽がない。人の気
(木)を、それだけで支配するには無理がある。故に、陰としての気が強くとも、陽気
の王朝を追い込むまでは出来るが、自ら徳を建てて民を率いることは不可能だ。敗死し
た暴虐の王・侯景の肉体は市に晒され人々に削ぎ取られ、煮込みなんかにされて、喰わ
れた。肉(ししむら)を食らうとは、本朝の八犬伝にも表記された、民衆最大限の憎悪
表現である。
 話を野馬臺詩に戻そう。昔、寶誌和尚が行道していると、妖しい女が、まるで旧知の
如く和尚に語りかけた。一人去っては、また一人が現れ、千八人に及んだ。女たちは
皆、自国の歴史や行く末を語った。和尚は、「千八人の女」が現れた意味を考えた。
千・八・女と画すると「委」、これに人(ニンベン)を付ければ「倭」となる。和尚
は、女たちが倭国の神であり、女たちが語った事柄は倭国の顛末であると悟った(八犬
伝の「八百八人の計」と同類の謎懸け)。そこで聞いた事どもを五言十二韻百二十字の
詩に表し将来に残した。嗚呼、寶誌和尚は観音菩薩の化現であったが、自ら知らぬうち
に倭国についての予言詩を書いてしまったか。大昔…とまでは言わぬ昔、聖武天皇の時
代、吉備真備が遣唐使として中国に渡った。唐人は、寶誌和尚が作った日本未来記たる
野馬臺詩を持ち出し、読ませて知力を測ろうとした。表記は交錯し、その侭では読むこ
とが出来なかった。神の助けが必要であった。吉備公は黙然として仏と日本の神々に祈
った。いきなり蜘蛛が現れ、野馬臺詩を書いた紙の上を歩き回った。歩いた跡には糸が
残った。糸を辿って吉備公は、一字も間違わずに訓み下すことが出来た。唐人は、称賛
した。現れた蜘蛛は長谷寺の観音であった。……もう明らかだろう。此の説話は、観音
の自作自演だ。真備が苦境に陥ったのも、仲麻呂が虐殺されたのも、観音の差し金だ。
当然の真理は、当然の真理として眼前にあるが、人は其れを真理とは見ない場合があ
る。中国皇帝と真備の確執は、まさに此の点に在る。此を人々に語ろうとする観音の体
温が、説話の本懐であろう。(【参考】天監中有釋寶誌曰、掘尾狗子自發狂當死未死噛
人傷須臾之間自滅亡起自汝陰死三湘。又曰、山家小兒果攘臂太極殿前作虎視。掘尾狗子
山家小兒皆猴状。景遂覆陷都邑毒害皇室(新校本梁書/列傳卷五十六列傳第五十侯景・王
偉)
 前置きが長くなったが、それでは吉備真備が提示されたという「野馬臺詩」を紹介し
よう。
     ◆
水丹腸牛龍白昌孫填谷終始
流尽鼠食游失微子田孫臣定
天後黒食窘水中動魚走君壌
命在代人急寄干戈膾生周天
公三鶏黄城胡後葛翔羽枝本
百王流赤土空東百世祭祖宗
雄英畢与茫為海國代成興初
星称竭丘々遂姫氏天終治功
流犬猿青中國司右工事法元
飛野外鐘鼓喧為輔翼衡生建
     ◆
  本シリーズは読むに当たって縦書き推奨だが、上記文字列に限っては、このままで
原文である。縦横転換すれば、違ったものになってしまう。
 説話に於ける蜘蛛の導きに拠れば、以下の通りとなる。
     ◆
東海姫氏國、百世代天工、右司為輔翼、衡主建元功、初興治法事、終成祭祖宗、本枝周
天壌、君臣定始終、谷填田孫走、魚膾生羽翔、葛後干戈動、中微子孫昌、白龍游失水、
窘急寄胡城、黄鶏代人食、黒鼠食牛腸、丹水流尽後、天命在三公、百王流畢竭、猿犬称
英雄、星流飛野外、鐘鼓喧國中、青丘与赤土、茫々遂為空。
     ◆
 第二句の「右」を「石」、第二十一句目の「飛」を「鳥」もしくは「烏」とするもの
もあるが、「星流鳥/烏野外」はナンセンスなので、元は「鳥/烏」であったかもしれ
ないが「飛」としておく。十五世紀半ばの臥雲日件録にも最終部分が話題に上っている
けれども、同様の詩本文テキスト群のうちでは、東大寺本(十六世紀前半)が、纏まっ
たモノとして初期に属するとされ、次々に同様の史料が写本もしくは刊本の形で流布す
る。十二世紀初頭に成立した江談抄には「百王流畢竭」辺りが引かれているが、全文と
も現行の表記であったか否かは、よく分からない。
 ただ、制限行数を超えるので紹介は次回になるが、少なくとも末尾十句が延暦九年ま
でには成立したことを示す史料もある。上記のものと若干の異同があり、表記がより混
乱しているものの、同様となっている。
(お粗末様)




#304/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/07/07  03:44  (196)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「自ら課した限界」  久作
★内容
■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝・番外編「自ら課した限界」

 中世に野馬臺詩が取り沙汰されたとして前回は史料をあさったが、古代からして、【
日本滅亡】の形で当該詩の一部が存在している。延暦寺護国縁起として纏められたもの
の中に、最終部分だけ載せ、延暦九(七九〇)年のものだと注釈を掲げてたりする。
     ◆
本朝王法延暦以後嘉運以当山仏法持国本縁第八
野馬臺懺(讖?)云(大唐梁代寶志和尚述十一面観世音化身也)
丹水流尽後 天命在三公
百王流畢■(ゴンベンに錫のツクリ) 猿大称英雄
皇流烏野外 鐘鼓諠国中
青丘与赤子 范々遂為空
已上
延暦九年註云
 丹水流尽(千八女帝尽又馬野女帝崩也是清原孫尽故曰天命運逮近所孫大納言故云公一
書云)
又云う。言水湯而衡主者(千八女又王尽而三公成王也)
衡(漸歟)者胡法滅仏法守倭云々。
又云。胡法滅者国随也云々。又云范々遂為空。謂仏法滅国邑。亡国破宗破終。無君長終
成曠野運順。
謹案和注意云、本朝王法光仁天王御代、百王流尽也。称徳天皇崩後、依王孫尽白壁王子
准三公一大納言是也。改之為継体君、光仁天皇也。桓武天皇其光仁天皇御子也。光仁天
皇以前、依王法権威持国。光仁天皇以後、依仏法之助縁持国。王法仏法共滅尽、国随滅
無君長。故終無仁民、終成曠野此意也。于時桓武聖主深知此理、伺仏法之最要。爰我日
本国仏法東漸者、自欽明天皇御宇至光仁天皇治世、諸宗名僧各各所将来教迹者、只是小
乗与権教也。而延暦年中伝教大師始開秘密之奥蔵、専伝天台之妙宗、応時咸得両宗。天
皇咸悦、而宗中殊崇天台真言両宗、為鎮護国家之宗。開比叡山岳之霊崛、為天子本命之
道場矣。
     ◆
 なんだか字面も句点の打ち方も、甚だ心許ない表記(大日本仏教全書版)だが、とに
かく、「延暦九年」を信じれば、当時既に、現行のものに近い野馬臺詩の結末部分が存
在していたことが解る(確かに此だけでは自称に過ぎぬが、先人の史料批判が在る)。
まぁ昔から現行体制に対する不満を抱く者はいたんだろう。取り敢えず、八世紀末まで
に、皇家を呪う野馬臺詩は存在した可能性がある。

 姫氏は百代で滅亡する。これは単なる予言ではあるが、予言を信じる人達にとって
は、【史観】だ。此の「天皇家百代限定史観」で書かれた史書が愚管抄だ。天皇家の歴
史を説き始めるに当たり、
     ◆
神ノ御代ハシラズ。人代トナリテ神武天皇ノ後百王トキコユル。スデニノコリスクナク
八十四代(順徳)ニモナリニケル中ニ。保元ノ乱イデキテ後ノコトモ……
     ◆
と、天皇家の終末を予言している。してるんだけれども、愚管抄は末尾で、こうも云っ
ている。
     ◆
今百王ノ十六代ノコリタル程。仏法王法ヲ守リハテンコトノ。先カギリナキ利生ノ本
意。仏神ノ冥応ニテ侍ルベケレバ。ソレヲ詮ニテ書キヲ侍ル也
     ◆
 百王/天皇家が尽きても仏教は存続する、即ち帽子に過ぎない支配層が滅亡し果てて
も、人類は残り生き続けていくことを宣言して、史書(愚管抄)の筆を閤くんである。
末法思想の影響はあれ、とにかく「天皇家は百代限り」なる思想は、実は日本人もしく
は日本列島に生きる人々の終末を、決して意味してはいなかったかもしれないのだ。帽
子は天気や気分で代えれば良い。権力なんぞといぅものは、実は其の程度のモノなんで
ある。此処に於いて「百王論」は、終末論ではなく、単なる政治史の画期として捉えら
れている。深刻な問題じゃないから、アレコレ思考し詮索することが、(政治的規範で
はなく良心に於いて)許される。実の所、姫氏が滅亡したって如何したって、媚び売っ
て得をしている連中以外、誰も影響を受けない。いや、今は媚び売って諂い利得を得て
いる者ほど、恐らく、滅亡後は後足で砂を掛けまくること、火を見るよりも明らかだ。
権力者が権力にしがみつくのは、無能なくせに偉そうにしていることを心の底で自覚し
ているからだし、身近な周囲が実は自分そのものではなく自分に纏わる権(字義に於い
てイコール仮/幻)故に、自分をチヤホヤしてくれるんだと本能的には解ってるんだろ
う。バカはバカなり、バカには出来ない。ずり落ちれば反動で、酷い目に遭う。だか
ら、しがみつく。真に愛されていれば、隠居の方が楽だし愉快に決まっている。隠居し
ないのは、心に負い目がある証拠だ。

 愚管抄は、天皇の藩塀ではあるものの藤原摂関家という、有力であるが故に殆ど同格
意識を持ち、天皇を相対化して見られる一族に連なり、しかも王法(天皇)と両立し得
る仏法に帰依した坊さんが書いたものだ。天皇なんざ当時、藤原摂関家を無視しては成
り立たない。ってぇか、血脈として天皇家は、殆ど藤原氏と考えることも出来る(代々
藤原氏と遺伝子を結合させている)。「血」を重視するなら、天皇家と藤原氏は、ほぼ
同一の流れと云って良い。しかも、聖武帝以来、天皇であっても、所詮は仏の弟子であ
った。愚管抄の作者は高僧だから、心の中では天皇を蔑ろにすることが可能だ。天皇が
百代で終わっても、別に困らない。だからこそ、天皇家が百代で終わると考えることが
出来たのか?

 そうではない。百代で皇家が断絶するとの考え方は、長元四(一〇三一)年八月四
日、ある貴族の日記にも遺されている。皇家の本質的かつ日常的な伊勢神宮祭祀を一身
に引き受けた、斎王の託宣である。最高の巫女に託された皇祖神の言葉だから、余りに
重い。藤原摂関家に連なる坊さんが文句を付けるのとは、全く違う。身内も身内、身内
どころか天皇が存在の拠り所とする者それ自身が、天皇百代限定論を下したのである。
世情(天候)不順の状況の中でのドタバタは前後にも広がっており愉快だが、差し当た
って該当日条の関連部分のみ引く。
     ◆
己卯 ……中略……頭弁持来宣旨(或可定申或勘宣旨)又即帰来伝関白御消息云々伊勢
太神宮御託宣事近曾従斎宮内々示送然而無子細多仍召遣斎主輔親奉託宣者也而有所労不
早参上一日参上面問案内申云斎王十五日着給離宮十六日参給豊受宮朝間雨降臨夜月明神
事了十七日還給離宮欲参内宮暴雨大風雷電殊甚在々上下心神失度人走告有喚由凌風雨参
入間笠二被吹損依召参御前斎王御声猛高無可喩事御託宣云寮頭相通不善妻亦狂乱造立寶
小倉申内宮外宮御在所招集雑人連日連夜神楽狂舞京洛之中巫覡祭狐枉定太神宮如此之事
不然之事也又神事遺礼幣帛疎薄不似古昔不敬神也末代之事不可深咎抑光清運出官舎納稲
放火焼亡又殺害神民其事遅々無被早行僅及第三ケ年十二月晦夜被配光清公家懈怠也奉護
公家更無他念帝王与吾相交如絲当時帝王無敬神之心次々出給之皇亦有勤神事歟降誕之始
已定王運暦数然而復有其間事(延縮間歟)百王之運已及過半伴相通并妻可追越神部件妻
交居女房中早可追遣即追遣公郡仰輔親令斎王■過状依難背神宣忽以■不及為硯書也神宣
云斎王奉公之誠勝於前々斎■然而依此事令進過状可読申者輔親申云無御本心候之間雖読
申難聞食歟神宣云取収斎王神所申可然可令蘇生即本心出給仍読申其後神宣云可奉七ケ度
御祓者此及大雨不止僅三ケ度奉仕今四ケ度欲奉仕之間水已湛来仍退斎王御座之間極不便
也今四ケ度還給可行者又神宣云汚穢事多可献酒亦供酒者仍三ケ度供之毎度五盃合十五盃
亦神宣云事可託四五穢者忽無爾年歯者仍託斎姫者給終不致参内宮被申事由致抜捨神供雑
物之是荒祭神御託宣云々他事多事云々近候女房承之歟不能日記又関白御消息云配流相通
託宣事可令諸卿定申歟如何報云託宣已明可無疑慮非寄託凡人寄託斎王託宣給事往古未聞
可令恐怖給也最可信給事也只任託宣可令行給者也若被下可及公卿定之宣旨可似有託宣之
疑乎即帰来伝御消息云々所示之旨尤可然事也然而従斎宮告送事者内々事也又召輔親陣頭
可被留歟輔親面有所申彼内々事也又両三上達部可参入由示遺輔親之事便仰同弁少時令参
内中納言乗車尻参自待賢門如恒着陣之後左右弁着座余着南座仁王会日仰頭弁経任令陰陽
寮令勘申日時廿二日廿九日時之間時剋午二剋者而左大弁令書僧名(大極殿百高座并南殿
清涼殿院宮神社等如例)次々書検校(中納言経通参議経頼)行事人等(権左中弁経任史
国宣守輔)書了大弁進見了納筥(日時勘文僧名定文検校定文等也但不奉行事定文是例
也)以行事弁経任先経内覧(関白経営参入今朝御消息云未時許可参入者然而依定申仁王
会事未時参入後日関白差開随身令見下官参入同余参入不沐浴労参云)被示云乗延者重服
者可致被他人歟北野講師改清朝等也重経内覧令奏聞即致下給下給仰云廿二日可行也僧名
日時勘文検校定文行事定文等相加下給行事八弁経任一々結申可仰廿二日可給之由問斎主
輔親参不申云召遣使未申左右仍重召遣訖頃之申云使相共参入者令奏事由仰云可問伊勢託
宣事者便仰頭弁是密事也若有不可外漏事者以他人令問可無便也仍仰頭弁於陣頭令問者有
立聞之輩歟於御書所可問之由相含之心底所思者於蔵人所辺若頭宿所令問給以彼所事被仰
下可宜歟民卿斎信云以外記可被問歟余答云佚可多披露以頭弁於閑処所令問戸部説矣時剋
多移頭弁伝申輔親所奉之託宣即令奏若可令注進歟展転之間非無渉先可随仰之由経伝奏耳
此間雷電大雨殊甚召官人并随身等令候陣砌内宜陽殿壇上諸卿失色怖畏無極陣前水湛亦陣
後同溢頭弁被妨陣後七(水?)不能伝勅語徘徊南殿以陣腋橋床子相構以彼為橋纔出陣伝
勅之託宣(以下欠文歟)「小右記」
     ◆
 愚管抄より二百年程以前の出来事だ。「斎王御声猛高無可喩事御託宣云……中略……
奉護公家更無他念帝王与吾相交如絲当時帝王無敬神之心次々出給之皇亦有勤神事歟降誕
之始已定王運暦数然而復有其間事(延縮間歟)百王之運已及過半」の部分だ。まぁ当時
の天皇は桓武で五十代ジャストだから「過半」とは云いにくいんだが、皇祖が降臨した
とき、既に皇家の存続は百代に制限されており、其の「過半」となってしまっていると
云う。斎王の言葉/託宣は、或る意味、天皇そのもの、いや、より根本的な存在(皇
祖)の言葉だ。自分で自分を「百代で終わる」と云ったんである。真に言ったとして
も、テキトーに口から出任せを決め込んだに違いない。しかし、言動は、特に敵対者と
鬩ぎ合っている場合、自らをも厳しく制限してしまう。言葉を絶対(値)化すれば、九
十九か百か百一かが問題となってしまう(ナンセンスなんだが……)。言葉の独り歩き
ってヤツだ。公卿たちは、トップ・シークレットとして隠蔽しようとした。でも無駄だ
ったろうな。隠蔽するほど事実は残る。しかも、神懸かりで斎王が自らの存在に否定的
な事を口走った背景として、世間(少なくとも貴族・僧侶の教養階級)で百王論が一般
化していたと考えられる。真に荒唐無稽、全くのトンチンカンは、世上に流布しない。
何か心の琴線に触れるからこそ、流布するのだ。中世前半には成立した平家物語だっ
て、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有、沙羅双樹の花の色、生者必衰の理をあら
はす、奢れる者も久しからず、唯春の夜の夢の如し、武き者も終には亡ぬ」と仏教的無
常観を冒頭で宣言している。絶対的もしくは永遠の存在などない。此の様な思想を根底
にして、百王論は受け入れられたのだろう。尤も斎王が示した自らの限界は、それまで
の千六百九十一年と同じ程の時間、皇家が存続するとの保証でもある。当時、貴族女性
の寿命は三十年にも満たなかったかもしれず、千六百九十一年とは【永遠】に庶い時間
だ。「百代」なる設定自体、実は無責任なものと言える。本人にとっては永遠の保証を
しつつ警鐘を鳴らし、気に喰わぬ者の排除を図っているようにも思える。しかし、此が
愚管抄のように残り十六代ともなれば、深刻さが増す。百代目となれば、人々を脅す材
料にもなる。西暦一九九九年前後、ノストラダムスの予言を廻る騒ぎを思い出せば、解
り易い。「んな訳ねぇよ」と言いつつ、少なくともネタとしてメディアは騒いだ。自分
の理解できぬことを否定したがる科学万能の世でさえ、コレだ。呪術が支配していた当
時の恐慌は、察して余りある。行為や事実が思考を形成し、思考が事実や行為に影響を
与える。実際、百代の後円融(皇統譜では後小松が百代だけれども室町時代なんだから
当時は北朝計算で考えていた……ってぇかソレが正しく皇統譜が間違いとしか思えない
んだが)の時代、天皇の権威は、男色家の日本国王・足利義満に陵辱し尽くされた。義
満の息子・義持が、結城合戦に際して天皇に治罰倫旨を強請ったことで、漸く天皇は軍
事権を(形式上のみ)回復した。八犬伝の端緒である。「百代」そのものの時に偶々義
満みたくアクの強い将軍が誕生したって事は偶然に過ぎないだろうけど、天皇だって永
遠の存在ではないとの思想が前提として在ったとは思える。水は澱めば腐り、月は盈つ
れば則ち虧くる。権力の成長・衰微過程は、教科書通りに辿ったようだ。

 結局、「野馬臺詩」なるものは【中世初頭ぐらいまでには存在が話題となってはいた
し、古代のうちに大まかには固まっていたが、現行のテキストに固まった年次は十六世
紀前半以前としか言えない】状態だ。延暦九年の表記と、江戸版本の表記との間の異同
は、人の手を経る内、よりよく意味が通ずるように改変されたことを示すか。
 また、東大寺本は、解釈が阿部(定ではない)すなわち大裸(まら)大好き女帝・孝
謙と道鏡の乱れた関係を一際強調しており、後に流布する解釈とは大きく異なってい
る。可能性としては、孝謙時代の記憶が生々しい世代もしくは天武系の後を襲った皇統
の政治的必要から古代の内に書かれたモノを十六世紀に写したか、それとも鎮護国家道
場として僧侶を戒めるために敢えて道鏡をクローズアップしたかだろう。一般に、予言
詩の解釈は、其の解釈を下した時代の状況を、最終部分に当てる傾向があるだろう。そ
うでないとしたら、客観的もしくは主観的に、自分の相対的立場を向上させる必要性を
動機としている。例えば、自らの祖先称揚もしくは敵対者祖先の貶めが、想定される。
訴訟なんかに持ち込まれる由緒書では、特に其の傾向が著しい。
 一方、近世に入ると刊本の形として流布する。即ち、狭い範囲で自分の立場を強固と
するためのみに書かれた解釈だとは、考えにくくなる。客観的に一定の説得力を持ち、
且つ衆目を惹くべき解釈となる筈だ。故に、東大寺本などでは詳細に亘る詩後半の解釈
が、刊本では思わせぶりに疎漏となる。読者の解釈に委ねるってことだ。読者が自分で
考え、「そういえば現在の権力者は……」と勝手に納得することを期待する形だ。此の
疎漏は、近世には、ほぼ【公認の芸術である漢詩の解釈虎の巻】として刊行されている
ことと無縁ではなかろう。殆どが、超有名な長恨歌や琵琶行とセットで掲載されてい
る。時事に関する評論は禁じられ、当時現存の支配層(寺社含む)に関する歴史も一般
に流布しているもの以外は絶版を命じられる虞があった近世、とにかく幕府は、政治的
な「新奇の説」を否定する立場であった。「現在の亡国的状況は、昔から予言されてい
た」なんて出版できないに決まっている。江戸文学ならぬエロ文学も、今でこそ殆ど自
由に出版されているようだが、昔は教訓めかしていたものだ。例えばエロ主人公が最後
に不幸に陥ったりして、「エロは滅びる」との教訓を、こじつけていた。尤も読者にと
って、そんな事は如何でも良い。途中のエロ描写こそ、眼目であった。また、荒んだエ
ロ描写を文化人とやらが【芸術】だと主張し、国家に許容するよう強要しようとした時
代は、ほんの数十年前だ(また但し、此の両義的な相貌自体がエロティックであるがた
め、新たにエロティックな価値を生成してしまう所が、なかなか油断ならかったりす
る)。同様の発想であろう。野馬臺詩の場合も、出版するためには「有名な漢詩の解釈
ですぅ」との形式を採る必要があったのだろうし、文学/芸術の体裁を纏っていたのだ
ろう。【詩解釈虎の巻 野馬臺詩】刊行は、近世後半となっても執拗に行われた。馬琴
が青春時代を送った寛政期の物もある。

 今回は、「野馬臺詩」の概略に就いて述べた所で、制限行数残り少ない。次回から、
内容に就いて触れることになろう。
(お粗末様)




#305/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/07/07  03:46  (198)
伊井暇幻読本・八犬伝「詩は世に連れ 世は詩に連れ」  久作
★内容
■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝・番外編「詩は世に連れ、世は詩に連れ」

 前回は、不吉な予言詩・「野馬臺詩」の概略に触れた。今回から、内容を見ていこ
う。しかし、「野馬臺詩」、中国の高僧が書いたとは思えぬ、置き字も何もないアッサ
リした、まるで日本人が書いた中途半端な漢文だ。……まぁいい、引き続き注釈書を引
こう。筆者が使用した近世解釈本のテキストだ。近世流布のものは、これと大同小異の
ようだから、細かく詮索はしない。()内が、割り注である。
     ◆
東海姫氏國(本朝后稷之裔也故云姫氏國也)百世代天工(人王天工也理庶民百代政出於
王者也)右司為輔翼(昔神代天児屋根命天太玉命二人奉天照太神勅為左右之臣扶翼然後
神武皇帝東征為天下扶翼謂一統彼二神之子孫天種子命天富命又為左右之扶翼臣也)衡主
建元功(衡主者謂聖徳太子也衡岳恵思大師後身也推古天皇朝為摂政好定官位十八階也)
初興/治/(治和)法事(聖徳太子十七箇条憲法以治世者也條)終成祭祖宗(慎終追遠
則莫善聖徳太子矣)本枝周天壌君臣定始終(本枝君臣也聖徳教治後風雲之際令命不違普
天之下莫不有王土卒土之寶莫不王臣也)谷填田孫走魚膾生羽翔(谷填魚鱠言天智皇子大
伴作乱有陵谷之変天智諱葛城号開別天王)葛後干戈動中微子孫昌(葛謂藤氏也天児屋根
命以来為其裔者代々扶翼朝中臣鎌子討賊有大功故更賜藤原姓鎌子之後恵美押勝作乱故云
葛後干戈動中微子孫昌者押勝以後藤氏不振処矣清和天皇朝良房公奉文徳天王之遺詔為摂
政忠仁公是也爾来彼子孫連綿任其職昌司可知矣)白龍游失水窘急寄胡城(白庚龍辰指孝
謙天皇言彼女帝庚辰歳誕生也在位之日婬乱而無度寵弓削之道鏡太過矣故九族不親諸臣無
朝遂失位不堪窘急而寄身於胡城中以自譲矣曽彼太上天皇孝謙改大臣曰大師初上皇僭幸藤
原武智丸大臣第二子押勝而為大師居正一位藤原下添二字而賜姓云藤原恵美又幸法師道鏡
号大師押勝寵衰於是欲廃上皇与謀作乱也)黄鶏代人食黒鼠食牛腸(黄鶏者指平氏之将門
言黄己鶏酉将門己酉歳生矣大将門作乱而略東八箇國以称王是代人食之謂也黒鼠者謂乎相
國清盛也黒水鼠子太政入道也壬子歳生矣無道而乱君臣之権而不奉祭祀食其肉也)丹水流
尽後(丹水喩天子徳沢安徳天皇以後王道衰微徳沢涸天下之政出於諸侯云々)天命在三公
(言後鳥羽院朝源頼朝討平氏而有功天下之事無大小皆聴於頼朝朝臣三代登公小輔自是以
後天下政幽不復于天子也)百王流畢竭(百王以後必有申戌之歳人而威如四海乎)猿犬称
英雄(猿犬云也)星流飛野外鐘鼓喧國中青丘与赤土茫々遂為空(星謂戻氏世以星喩庶民
言万民遁逃國中唯有鼓■鼓の下に卑しい/之声而巳故云青丘与赤土茫々遂為空矣)
     ◆
東海姫氏國(本朝后稷之裔也故云姫氏國也)百世代天工(人王天工也理庶民百代政出於
王者也)

 これは、まぁいい。事実関係は別として、穏当である。「后稷」は、中国の五帝のう
ち舜代、農業大臣に任じられた人物だ。実は舜の先代・堯の時代から仕えていたが、職
務分掌が定まっていなかった。五帝の歴史は、国家の成立を象徴的(且つ論理的空想
的)に跡づけたものでもあるため、官僚集団が専門分化する過程が、堯→舜の移り変わ
りともいえる。とか言いつつ、堯の時代から后稷は后稷と呼ばれている。これは名前っ
ていぅより職名で「稷(しょく)を后(きみ)する」だから、そのまんま「農業大臣」
なんだけれども、細かいことは気にしないよぉに。昔の本では、初登場の場面から最終
的な官位官職称号諱号で呼ばれることが、ママある。彼の本名は弃(すてる)だ。その
つもりのない女性が、思いがけず妊娠して捨てた子だから、「弃」だ(酷い話だ)。八
犬伝でも、金碗大輔孝徳(丶大)は望まれぬ子であったけれども、無責任に出奔した八
郎孝吉の忘れ形見だったから「カタミ」と名付けられた。同様の発想だ。史記周本紀冒
頭に明らかである。弃は「姫」姓となり、周を宛てられた。妲妃に誑かされた殷の紂王
を滅ぼし、孔子に理想王朝と称された、あの周である。この簒奪王朝の分家が、日本だ
と言っている。また、此の分家が百代に亘って、日本を支配するとも言っている。裏返
せば、天皇家の支配は百代に限定される、との謂いである。
     ▼
右司為輔翼(昔神代天児屋根命天太玉命二人奉天照太神勅為左右之臣扶翼然後神武皇帝
東征為天下扶翼謂一統彼二神之子孫天種子命天富命又為左右之扶翼臣也)

天児屋根命と天太玉命は天照太神を祀る重要な二神だ。前者は中臣/藤原氏の祖とさ
れ、後者は忌部の祖とされた。これが天照神話に於ける左右の臣だとは、異議のない所
だ。また「左右」には輔翼との意味がある。君主の左右にあって輔弼するのだ。議会に
於いても議長から見て右が右翼、左が左翼なんだけれども、共に国家を翼賛する(筈
だ)。しかして、国史日本書紀は、中臣/藤原氏の影響下に書かれた。故に、その祖神
たる天児屋根命が優越する。忌部は対抗して私撰史書古語拾遺を書いて天太玉の優越を
主張したが、影響力の差は縮められなかった。忌部は国政に於いて、傍流に甘んじる。
其の忌部の国が、八犬伝の舞台たる安房なんだが(実際には違うが国史では)、そんな
話は後にして、先に進もう。此の野馬臺詩では、本来なら藤原氏・忌部氏双方が「左
右」として天皇を補弼する筈が、「右」のみが「輔翼」となっている。故に、これは、
忌部が脱落して、藤原氏のみが残る/残ったことを意味していよう。
     ▼
衡主建元功(衡主者謂聖徳太子也衡岳恵思大師後身也推古天皇朝為摂政好定官位十八階
也)初興/治/(治和)法事(聖徳太子十七箇条憲法以治世者也條)終成祭祖宗(慎終
追遠則莫善聖徳太子矣)本枝周天壌君臣定始終(本枝君臣也聖徳教治後風雲之際令命不
違普天之下莫不有王土卒土之寶莫不王臣也)

 衡岳恵思大師とは通常、「南岳慧思禅師」と呼ばれる人物だ。中国の天台第二祖であ
る。南岳は、中国五嶽の一、衡山のことで、恵思は此処の福厳寺に住した。衡山の主だ
から、衡主だ。早くから鑑真和上の事跡を述べる書なんかに、聖徳太子が衡岳恵思大師
の転生だと主張されてきたらしい。遅くとも、「唐大和上東征傳」(東寺観智院蔵本/
真人元開:淡海三船:八世紀の篤学撰)には載す。
     ◆
前略……栄叡普照(東征第一発)留学唐国已経十載、雖不待使而欲早帰……中略……時
大和尚在揚州大明寺、為衆講律。栄叡普照至大明寺、頂礼大和尚足下、具述本意曰、仏
法東流至日本国。雖有其法、而無伝法人。日本国(日字群招高三本無。群本註云日)。
昔有聖徳太子曰二百年後、聖教興於日本。今鍾此運、願大(大字群招高三本無。但群本
注大)。和上東遊興化。大和上答(答字群本注云イナシ)曰、昔聞、南岳思禅師(慧思
続伝十七)遷化之後、託生倭国王子興隆仏法済度衆生……後略
     ◆
である。ただし数百年後、扶桑略記(古代末中世初頭/十一世紀末?成立)なんかでは
疑問も呈されている。
     ◆
相当陳大建九年、南岳思大師入寂之日也。由霊応伝第四巻之文、引合和漢年代暦計之也
(私云、今案、聖徳太子、是南岳大師後身也。鑑真和尚云、聞、南岳思禅師遷化之後、
託生倭国王子、興隆仏法済度衆生。倭国王子者、聖徳太子也。又滋覚大師奏状云、大唐
南岳禅師之後身聖徳太子、以不世徳、伝生此国。然太子年六歳時、南岳大師入滅後身之
義、年序同時也。其意如何。本伝云、先身念禅比丘。或本云、前身思禅師矣)巻第三敏
達天皇六年丁酉六月二十二日条
     ◆
 聖徳太子が生まれたとき、恵思は、まだ生きていたのだ。故に【聖者が死んで別の聖
者として生まれ変わる】との意味での「転生」ではないと言っている。なるほど、「転
生ではない」との主張は、一応の理屈は立っており、まぁ許容の範囲とは思う。
 ただ、しかし、八犬伝なんかでは、洲崎沖海戦に於いて、直前に死んだ侠客・荒磯南
弥六(洲崎無垢三外孫)の霊が、息子の増松に憑依する。また、八犬伝本文には書かれ
ていないが、金碗八郎孝吉は死に際して対面したカタミ・大輔孝徳に憑依もしくは【自
らの運命を押し付けた】疑いが濃厚だ。馬琴は、もう一つの傑作・椿説弓張月でも、源
為朝の妻・白縫をして琉球・寧王女に憑依せしめ体を乗っ取らせる。別に恵思と聖徳太
子、生涯が重なっていたとしても「転生」は流石に語彙としてマヅイとしても、霊的に
同一の存在であったことを否定する根拠とはなり得ない。四乃至六歳の聖徳太子に、死
んだ恵思が乗り移っても、筆者は全然困らない。だいたい聖徳太子は、恵思大師と同じ
く救世観音の垂迹ともされていた(扶桑略記巻第三欽明天皇三十二年卯正月一日甲子条
など)。本体は飽くまで観音であり、其の現世に於ける発現が、恵思であって、且つ遅
れて生まれた聖徳太子だと考えられていた。高次の存在が、下位次元の現世に於いて存
在する場合、同時かつ場所を異なっても不思議はない。三次元の針千本は、二次元平面
の複数点を同時に突き破って針(平面上では円)を出現せしめ得る。其の意味で、聖徳
太子が恵思と同一の存在だと言いたいのだろう。
 聖徳太子は十七条憲法を定め、まぁ倫理規定を明文化したに過ぎず如何ほどの拘束力
があったか覚束ないが、とにかく王者さえ守るべき題目を動かし難いイーワケのきかぬ
形/明文化したことのみを以ても、法治国家への方向性願望を示すものと言えなくもな
い(十七条憲法が聖徳太子作でないとの説もあるが、本稿は馬琴当時の水準で考察を重
ねている)。君臣の終始を定めたとは、官位十二階(同前)のことを言っているのだろ
う。これは、官僚集団を秩序づけると同時に、官位/人臣なるものから天皇を切り離
し、絶対的に別次元の存在としたとも言える。
 史記舜本紀でも、職務分掌/官職を定めた後、姓が発生した。上述の通りだ。姓は差
し当たって血脈の別を標識するものだ。尭は能力を鑑みて、血の繋がらない舜に帝位を
譲ったのだけれども、舜代に至って職務分掌が明らかになり官僚集団が秩序づけられる
と前後して、血脈の標識たる姓が定められたのだ。官僚集団が有能となれば、皇帝は無
能でもよい。皇帝世襲の道が拓かれた。即ち、皇帝が世襲したいなら、その他の血脈は
峻別されなければならず、姓が必要となったわけだ。
 まだしも中国では易姓革命論が厳然としてあり、王朝も姓をもつわけだが、そういっ
た弱肉強食の世界に対して引き籠もりを決め込み逃避するなら、姓を放棄せねばなら
ぬ。五行説の呪縛から逃れる唯一の手段は、自らを無色とすることであったろう。万が
一「姫」が姓であっても、自ら忘れ去られねばならぬ。そこら辺の事情は、「日本ちゃ
ちゃちゃっ」で書いたから、繰り返さない。
     ▼
谷填田孫走魚膾生羽翔(谷填魚鱠言天智皇子大伴作乱有陵谷之変天智諱葛城号開別天
王)葛後干戈動中微子孫昌(葛謂藤氏也天児屋根命以来為其裔者代々扶翼朝中臣鎌子討
賊有大功故更賜藤原姓鎌子之後恵美押勝作乱故云葛後干戈動中微子孫昌者押勝以後藤氏
不振処矣清和天皇朝良房公奉文徳天王之遺詔為摂政忠仁公是也爾来彼子孫連綿任其職昌
司可知矣)

 ここらから、割り注の内容が甚だ怪しくなってくる。前半は壬申の乱をいっているの
だと言う。「陵谷」は、詩経小雅の「節南山之什 十月之交」の注釈(毛詩正義)なん
かにある言葉で、小人が上位に立ち君主が下り賢者が隠れて、世が乱れることを謂う。
     ◆
十月之交、朔月辛卯、日有食之、亦孔之醜。

彼月而微、此日而微。今此下民、亦孔之哀。
日月告兇、不用其行。四國無政、不用其良。
彼月而食、則維其常。此日而食、于何不臧
YY震電、不寧不令。百川沸騰、山冢■(山のした卒)崩。
高岸為穀、深穀為陵。哀今之人、胡■(リッシンベンに僭のツクリ)莫懲
皇父卿士、番維司徒、家伯維宰、仲允膳夫、
■(取のした木)子内史、蹶維趣馬、■(キヘンに禹)維師氏、艶妻煽方處。
抑此皇父、豈曰不時、胡為我作、不即我謀
徹我墻屋。田卒■(サンズイに于)莱。曰予不■(爿に戈)、禮則然矣。
皇父孔聖、作都于向、擇三有事、亶侯多藏。
不憖遺一老、俾守我王。擇有車馬、以居徂向。
黽勉從事、不敢告勞。無罪無辜、讒口囂囂。
下民之■(クサカンムリに追のツクリよこに辛したに子)、匪降自天。噂沓背憎、職競
由人。
悠悠我里、亦孔之■(ヤマイダレに毎の本字)。四方有羨、我獨居憂。
民莫不逸、我獨不敢休。天命不徹、我不敢效、我友自逸。
(前略)毛以為幽王時不但日食、又然有震雷之電其聲駮駛過常令使天下不安止由、王政
教不善之徴所致也。又當時天下有百川之水皆溢出而相乘。水流■(ソウニョウに多)下
小人之象。今溢出由貴小人在上也。又時山之頂高之上■(山のした卒)然崔嵬者皆崩落
山高在上君之象。今崩落是君道壞也。於時又高大之岸陷為深谷岸應處上今陷而在下由、
君子居下故也。又深下之谷進出為陵谷應處下今進而上由小人處上故也。變異如此禍亂方
至哀哉。今在位之人何曾無肯行道コ消止、此異者但尚コ省刑退不肖進君子、則此異止
矣。此所陳皆當時實事震電既言不寧不令由、所致有象在下致皆有象矣。故箋皆以象解之
推度災曰百川沸騰陰進山■(山のした卒)崩人無仰高岸為谷賢者退深谷為陵小臨即是
也。鄭唯脂、時為異。傳山頂曰至箋乘陵。正義曰釋山云山頂炎曰謂山■(山のした顛)
也又。云■(山のした卒)者■(ガンダレに垂)子規反語規反。郭璞曰謂山頭■(山に
讒のツクリ)岩者意或作嵯此經作■(山のした卒)箋作崔嵬者雖子、則爾雅小異、義實
同也。徐■(シンニョウに貌)以■(山のした卒)子恤反、則當訓為盡。於時雖大變異
不應天下山頂盡皆崩也。故鄭依爾雅為説百川沸出相乘陵者、謂陰盛也。水泉溢時川多然
故舉百成數也。周語曰幽王三年西周三川皆震伯陽父曰周將亡矣。昔伊洛竭而夏亡、河竭
而商亡。今周若二代之季其川源必塞必竭夫國、必依山川山崩川竭亡國之徴。是歳三川竭
此言百川沸騰與彼三川震不同也。何者此有沸出相乘水盛漫溢而巳非震之類也。彼幽王之
時云若二代之季、若脂、時巳百川皆震不當遠比二代之末以此知沸騰非震也。彼云三川震
此云百川沸又知此詩非幽王時也。鄭以為當刺脂、於義實安
     ◆
 この詩は、玉藻前・九尾狐が化けたともいう褒■(女に似)に誑し込まれ周を滅ぼし
た幽王に関するエピソードを取り上げている。周と祖を同じくする天皇に、周滅亡の予
兆となった「陵谷」を突き付けている。
 また、日本書紀巻二十八天武天皇上元年五月条に「是月朴井連雄君奏天皇曰臣以有私
事独至美濃時朝庭宣美濃尾張両国司曰為造山陵予差定人夫則人別令執兵臣以為非為山陵
必有事矣」とあり、大海人側が、大友側の造陵を目的とした人夫徴集を戦争準備だと猜
疑した事情を語っている。此のことをイーワケに、大海人は、決戦を決断し兵を起こ
す。やられる前に、ヤレだ。

 えぇっと、だから、此処の割り注は則ち、「谷填」を、この造陵を念頭に置き、大友
の【陵を造ることに言寄せた兵員徴集によって準備された乱】と「陵谷の変」を重ねて
いるようにも読める。また馬琴が燕石雑志に引く所では、「楊柳観音の事によりていふ
歟。又法華経薬釈法雲、姓周氏、陽羨人云々。嘗一日講、散感天花状如飛雪、満空而延
于堂内云々。続斉諧記、京兆人田真兄弟三人、共分財、所居堂前有紫荊、一株華甚茂、
共議破而為三、待明截之。忽一夕樹即枯死。真見之驚謂弟曰、樹本同株、当分折便憔
悴、況人兄弟。孔懐而可離。是人不如樹木也。兄弟相感而更合。而更合、樹随復活、亦
開元遺事、明皇遭禄山之乱。■(鸞のツクリに金)輿西幸、林中枯松復生……後略」
(巻四・花咲翁)とあり、「田孫走」は、兄弟/親族がバラバラになったら一族として
も滅びるとの思想を示していることになる。古代天皇家の歴史は、叔父甥やら兄弟やら
の家庭内暴力の、連続だ。……とまぁ通釈に牽強付会して話を進めてきたが、やはり、
此の部分の通釈には、大きな疑問が残る。それは即ち……と、御約束の制限行数だ。次
回は、通釈に反し、独自の解釈を下すことにもなろう。お粗末様。




#306/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/07/07  03:47  (203)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「創業の詩」  久作
★内容
■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝・番外編「創業の詩」

 前回は、「谷填田孫走魚膾生羽翔。葛後干戈動中微子孫昌」のうち、前半の「谷填田
孫走」までを話題とした。続きを書こう。「魚膾生羽翔」の通釈は、余りにも苦しくは
ないか。天智の号天命開別の「開別(ひらかすわけ)」を、魚を捌いて「魚膾」にした
って読むのは、如何にも突飛だ。よしや、読むとしても、天智に羽が生えて翔ぶこと
が、大友の大海人攻撃になるとは解せない。壬申乱に関わる「羽」の話題なら、大海人
が吉野に籠もったとき、誰ともなく「(さっさと殺せばよいものを吉野に逃がすなん
て)虎に羽を与えたようなものだ」と、近江朝の後難を予言した日本書紀の記述を思い
出すぐらいだ。もしかしたら割り注作者は、「膾」に羽が生えたとの壬申乱関連挿話を
知っていたのかもしれないが……。また、天智の諱が「葛城」だと言っておきながら、
後半では、いきなり「葛とは藤原氏のことだ」とは、トンチンカンに過ぎるだろう。た
だ、「中微」は、途中で一旦、勢力が衰えることを指すから、恵美押勝の乱で衰微しな
がらも復活し摂関を独占するまでに成り上がった藤原氏のことだと理解しようとした努
力は認めたい。また後句割り注と関連付けるなら、此処等で孝謙女帝に登場して貰って
も良かったのではないか。即ち、「中微」の字面から「紫微中台」を想起すれば、「葛
後干戈動中微子孫昌」は、割り注解釈よりも時間を約めて、【葛城/天智天皇の亡き
後、干戈が動いた/壬申乱が起こった。孝謙によって紫微中台に任じられた恵美押勝は
他ならぬ孝謙に亡ぼされた(が孝謙は死んで天武王朝は消滅することになる)。此によ
り一旦は藤原氏の後退/中微となったが、摂関の地位を後に独占し大いに繁昌する】と
スンナリ読める。
 また、素直に解釈すれば前半、谷を埋めて治水し、開墾した田で孫が走り回る(経済
的に豊かとなって余裕のある生活となる)、後半は対句である筈なので、やはり幸せな
情景、「魚の膾は羽が生えて飛ぶようだ」と解し、上述の国家確立過程の結果として、
豊かな国となった描写だと考えるべきではないか。褒め称え、次なる崩壊過程を強調す
るのだ。例えば、七歩歩く間に素晴らしい詩を賦した曹植(曹操の子)に、「七啓」が
ある。吉備真備が読まされた文選から当該箇所を引く(巻三十四「七類」)。
     ◆
鏡機子曰、芳菰精■(米に卑/稗)、霜蓄露葵、玄熊素膚、肥豢膿肌。蝉翼之割、剖纖
析微、累如疊穀、離若散雪、輕随風飛、刀不轉切。山■(綴のツクリに鳥)斥■(晏に
鳥)、殊翠之珍、寒芳苓之巣龜。膾西海之飛鱗、■(月に霍)江東之潛■(憚のツクリ
上半分に鼈の下半分)、■(目のみぎに隹したに乃)漢南之鳴鶉。糅以芳酸、甘和既
醇。玄冥適鹹、蓐收調辛、柴蘭丹椒、施和必節。滋味既殊、遺芳射越。
     ◆
 風が吹いたら桶屋が儲かる(迂遠な論理だとは筆者も自覚しているが、予言詩解釈な
んて、んなもんだろぉ)……ぢゃなくって、風が吹いたら飛ぶほど薄く切った肉や、西
海の飛び魚の膾が、御馳走の代表として描写されている。豚肉の薄切りは、「蝉翼(の
ように)」からして透明感があるので、薬味タップリの膾(マリネ)か生ハムか。飛び
魚の膾は、カルパッチョか。やや酸味を利かしているに違いない。とにかく旨そうだ。
……読者は不審に思うかもしれない。美味の描写で僧侶たる寶誌は、精進料理を例示す
るのではないか? 膾なんて生臭モノを引き合いに出すことはオカシイと。でも大丈
夫、寶誌は生臭坊主であった。
     ◆
時有沙門釋寶誌者不知何許人、有於宋泰始中見之、出入鍾山、往來都邑、年已五六十
矣。齊宋之交、稍顯靈跡、被髮徒跣、語黙不倫。或被錦袍、飲啖同於凡俗、恒以銅鏡剪
刀鑷屬挂杖負之而■(ソウニョウに多)。或徴索酒肴、或累日不食、予言未兆、識他心
智(「新校本南史」列傳卷七十六列傳第六十六隱逸下)
     ◆
 こんな寶誌でも天監十三年に死んだとき、金剛力士像が「(観音)菩薩がいなくなっ
てしまった」(同上)と嘆いたってんだから、のんびりしたもんだ。どうも戒律を守ら
ぬでも高僧は高僧であるらしい。こんな寶誌が書いた(ことにされた)野馬臺詩だか
ら、次句以降、急激に混乱を増す。
     ▼
白龍游失水窘急寄胡城(白庚龍辰指孝謙天皇言彼女帝庚辰歳誕生也在位之日婬乱而無度
寵弓削之道鏡太過矣故九族不親諸臣無朝遂失位不堪窘急而寄身於胡城中以自譲矣曽彼太
上天皇孝謙改大臣曰大師初上皇僭幸藤原武智丸大臣第二子押勝而為大師居正一位藤原下
添二字而賜姓云藤原恵美又幸法師道鏡号大師押勝寵衰於是欲廃上皇与謀作乱也)
 割り注に拠れば、白龍とは庚辰であり、庚辰の年に生まれた孝謙女帝を指すと云う。
在位中、「婬乱」で弓削道鏡を寵愛し、自ら欲望を抑えることがない。大きな過失を生
じる。このため近しい皇族さえ疎遠となり、廷臣も出仕しなくなる。責任を問われるこ
と厳しく、僻地へと逃亡せざるを得なくなって譲位する。上皇となった孝謙は、かつて
「大臣」を「大師」と改めた。藤原武智丸の次男・押勝を大師とし、最高位の正一位に
叙した。且つ、藤原の下に二字を加え、藤原恵美の姓を賜った。また、上皇が法師道鏡
を寵愛するようになって疎まれた押勝は、上皇を廃そうと乱を起こした。

 本割り注にある、五行説を背景に当該語句を特定干支生まれの人物を指すと考えるこ
と自体は、説得力のあるものだ。が、どうも其の年代特定がハチャメチャになってい
る。まず庚辰は天平十二(七四〇)年、天武九(六八〇)年あたりだが、これでは孝謙
女帝、十歳か七十歳ほどで即位したことになる。実際には、三十二三歳だった筈だ。数
年の誤差なら、まだしも、ちょっとズレ過ぎである。養老二(七一八)年すなわち戊午
(つちのえうま)に生まれたと考える方が、穏当だろう。また、恵美押勝の乱や道鏡事
件に関する叙述も混乱しているようだ。このような混乱を無視しては、解釈が成り立た
ない、ってぇか、予言詩が説得力を以て世人の前に立ちはだかるためには、論理の整合
性が求められる。五山とか東大寺の秘奥で囁かれるレベルではない。本稿の対称は、刊
本なのだ。
 話は変わるが、「白龍游失水窘急寄胡城」、八犬伝好きが訓めば、「白龍游びて水を
失い、窘めること急にして胡城に寄す」としたくなる。黄龍なら皇帝との解釈となろう
が、白龍は八犬伝で冒頭の主人公・里見義実と関係が深い。「游」は故郷を離れること
であり、別に現代語の意味での「遊ぶ」と限ったものではない(現在でも「遊学」との
語彙があるが、これは「遊びが勉強だ」と酒色にウツツをぬかすことでは本来ない。故
郷を離れて学問することだ)。故郷を離れ結城合戦に参加し、敗北して尾羽打ち枯らし
(水を失い)安房へと渡る。君主の神余光弘を弑逆した山下定包を討とうとする(窘め
ること急にして)金碗八郎孝吉に擁立され、東条城・瀧田城に攻め寄せ攻略する。
 そうなると詩の冒頭「東海姫氏國」からして、ソソられる。里見家の支配領域は、馬
琴によれば東海の浜(ほとり)だ。従来、「姫氏國」は、天照とか神功皇后とか何と
か、女帝国の意と解されてもきたわけだが、だったら伏姫神が守護する国と訳したっ
て、別に構わない。「百世代天工」だって、一王朝の百代が連続して親政統治する、王
朝が想像を絶して存続するマジナイってぇか単なるレトリックだ。百代以上続く王朝っ
て方が非常識なんである。よって「百世代天工」は、字面通りの意味ではなく、より象
徴的な存在だろう。即ち政治的存在ではなく、宗教的な君主だ。そのような「象徴的」
君主は、実は幻、陽炎、「野馬」であろう。百世なんて非現実的な数合わせを無視すれ
ば、里見十代の文学的表現ととることが出来る。「右司為輔翼」も「右」は「すけ(
輔)」に通じるから、金碗大輔孝徳に纏わる挿話を引き出す。「衡主建元功」は「衡
主」を恵思大師/観音とすれば伏姫が心ならずも犬士を孕んで、里見家が強国となる礎
を築いたこと。「初興治法事終成祭祖宗本枝周天壌君臣定始終」は、纏めて、国家体制
が確立すること。「谷填田孫走魚膾生羽翔」は上記の如く、国が栄えること。これは八
犬士集合以前の義実仁政を指す。「葛後干戈動中微子孫昌」は多少難解だが、「葛」は
案外、八犬伝に関わりがある。まず葛飾行徳。小文吾の実家・古那屋がある。即ち、小
文吾・信乃・現八・親兵衛(房八)おまけに大輔孝吉・丶大が勢揃いする八犬伝前半の
大舞台の一つだ。また、村雨を手に入れた道節が(偽)関東管領を待ち伏せしたとき
「葛石」に座っていた。葛西となれば、毛野の父・粟飯原胤度が謀反の疑いをかけられ
たとき関わる地域だ。まあ、毛野が華々しい仇討ちを敢行した対牛楼は、葛西まで見渡
せた。此の時、毛野が書き付けた詩にも「葛」は在るが、其処迄は云わない。差し当た
っては葛飾行徳に於ける四犬士集合の意として考えれば、以後、信乃ら犬士の苦難は続
くが(中微)、後に子孫は恵まれることを示すか。
     ▼
黄鶏代人食黒鼠食牛腸(黄鶏者指平氏之将門言黄己鶏酉将門己酉歳生矣大将門作乱而略
東八箇國以称王是代人食之謂也黒鼠者謂乎相國清盛也黒水鼠子太政入道也壬子歳生矣無
道而乱君臣之権而不奉祭祀食其肉也)
 黄鶏は、平将門だ。黄は土気の色たるに依って己(つちのと)、鶏は酉であるから、
将門は己酉年生まれであったか。将門は大乱を起こし関東八カ国を攻略、王を称した。
これが、「人に代わって食す」の意味だ。黒鼠は、平清盛を指す。黒は水気の色、鼠は
子(ね)であるから、清盛は壬子(みずのえね)年の生まれか。清盛は無道にも天皇に
優越して権力を振るった。国家としての天皇祭祀をしなかった。故に「その肉を食ら
う」と謂う。

 此処でも年代特定が、やや混乱している。己酉は寛平元年(八八九)で、これは、ま
ぁ良い。将門の乱すなわち承平の乱は、承平五(九三五)年だから、数え年で四十七歳
のとき起ったことになる。実は確たる生年は未詳で、乱は四十五歳当時だったとも伝え
られているから、誤差は比較的少ない。壬子に就いては、延久四(一〇七二)年や長承
元(一一三二)年があるが、これでは平治の乱(平治元年/一一五九)時、八十七歳だ
か二十七歳となる。やはり実際には、二十七歳に十歳ほど足した方が良いだろう。
     ▼
丹水流尽後(丹水喩天子徳沢安徳天皇以後王道衰微徳沢涸天下之政出於諸侯云々)
 丹水は、天子の徳沢を謂う。安徳天皇以後、王道は廃れ「徳沢」は涸れた。天下の政
は、天皇ではなく、諸侯がリードするようになる。……しかし、せっかく将門・清盛と
桓武平氏の【悪事】を論ったにも拘わらず、話を終えてしまうと勿体ないのではない
か。「丹水」は赤い水、水は流れだから、赤の流れが尽きたと考えては、如何だろう。
即ち、前句まで栄えた平氏、赤旗を用いた平氏が衰亡したと解釈しても、宜しかろう。
     ▼
天命在三公(言後鳥羽院朝源頼朝討平氏而有功天下之事無大小皆聴於頼朝朝臣三代登公
小輔自是以後天下政幽不復于天子也)
 これは、後鳥羽院の時に、源頼朝が平氏を討った功績によって、天下の事は大小とな
く全て裁断するようになり、源家将軍が三代に亘って権を握ったことを指す。この後、
天下の政は幽(くら)くなり、天皇に権力が戻ることはなくなる。

 前々句で清盛を相国と呼んでいた。漢の職名で、日本の太政大臣に当たる。三公とは
同じく漢の職名で、相国の下に在って、土木建築を掌る司空、民政一般の司徒、そして
軍事を統括する太尉を謂う。司空・司徒は、日本に当てるべき適当な律令官職がない。
太尉は、律令では近衛大将ぐらいだろうが、征夷大将軍のイメージもある。前句の「丹
水流尽後」と併せ、【平家去って征夷大将軍の幕府に権が移った】と考えれば、淀みな
く読めるのではないか。
     ▼
百王流畢竭(百王以後必有申戌之歳人而威如四海乎)猿犬称英雄(猿犬云也)
 天皇百代以降に必ず申戌(さるいぬ)年生まれの人が、天下に威を張ることになる。
この人たちを、英雄と称する。
 この句は、冒頭第二句の「百世、天工を代える」に、よく対応する。第二句は、天皇
の支配を百代に限るとの宣言でもあるが、結果として此処で、「百王の流れは畢(お)
わり竭(つく)した」と、第二句の宣言が成就することを述べている。この【天皇は百
代限り】とも読める宣言は、室町期に政治利用されることになった。即ち、室町幕府三
代・足利義満が、まさに百代(北朝計算で後円融)の時、天皇家の廃絶を目論んだ。さ
て前句までは天皇家の天命喪失・藤原氏の隆盛・平家の諸行無常と、中世世界に雪崩れ
込む混乱を跡づけているように読める。が、此処からは妙に抽象的で、如何とも解釈で
きるようになる。申・戌年生まれの人物なんて、平均で六年に一度生まれている。注釈
は「猿犬とは、猿犬のことだ」と、最低に無責任な言い方をしている。注釈者の念頭に
は執筆当時に権を握っていた特定人物が浮かんではいたであろうが、明らかには書かず
読者の想像に任せている。筆禍を恐れてのことでもあろうし、謎めかし興味を惹く効果
も狙ったかもしれない。とにかく、特定できぬ書き方が、此の「野馬臺詩」に【普遍性
】を与えた。
 例えば、此んな冗談だって言える。即ち、猿とは甲申年(明治十七/一八八四)生ま
れの東条英機(統制派)や同年生まれの後藤文夫(岸信介など新官僚のリーダー)が結
託し、国家総動員体制へと突っ走った。犬を丙戌年(明治十九/一八八六)とすれば日
独伊三国同盟締結時の駐独大使・来栖三郎辺りだと言っても良いワケだ(但し来栖は恐
らく偶々職務として駐独大使だったんであって、後に日米関係改善交渉にも携わる)。
結果として確かに、日本は一旦、滅亡した。東条内閣および日独伊三国同盟成立は、共
に【日本滅亡】への画期であった。……当然、此の様に結果から都合の良い事実のみを
抽出することで、論理というものは本来、成り立つべきではない。正当性がない。が、
論理には正当性と説得力の両面があり、実は一般に、正当性より説得力がモノを言う。
語る者の立場や発散する暴力性に依り、糞詰まらぬ屁理屈が、罷り通る所以だ。亡国の
道である。正に、此の【説得力のみ】の論理に依り、戦時体制は構築されたと言って良
いんだから、上記の如き言葉遊びは、許されねばならぬだろう。また現在に引き付けれ
ば、例えば、昭和十九(一九四四)年、甲申(きのえさる)年生まれの著名人には田中
真紀子元外相がいる。……いや、別に何でもない。確かに彼女が「英雄」と称される世
は途轍もない乱世だろうが、まぁそんな心配は、杞憂だろう(父親は戊午)。
     ▼
星流飛野外鐘鼓喧國中青丘与赤土茫々遂為空(星謂戻氏世以星喩庶民言万民遁逃國中唯
有鼓■鼓の下に卑しい/之声而巳故云青丘与赤土茫々遂為空矣)
 星は戻氏を謂う。世に星は庶民の喩えとなっている。万民が住処を離れ逃げ回り、国
中に軍鼓が轟いている。青い丘・緑のない土地ともに、見渡す限り使用可能な人工物は
何もない。日本は滅びた。
 青丘は中国の南方に設定された仙境、赤土も南方の古国を指す場合もあるが、別に太
平洋戦争で日本軍が南方を侵攻・占領したこととは、恐らく全く関係がない。この詩
は、飽くまで日本の【滅亡】を予言するモノだ。調子の良い所で終わる筈がない。……
が、恐らく此の詩は、真の滅亡を望んではいない。多分、社会もしくは自らの現状に不
満を抱く者が、時の権力者に放った呪詛であろう。少なくとも、詩の解釈文は、そうで
あったに違いない。が、不満を抱く者が、不満の元凶を憎むとは、不満のない幸せな社
会を、実は希求していることを示している。詩作者に擬せられた寶誌は、観音の生まれ
変わりとも考えられていた。……また観音が登場した。観音が予言した以上、【滅亡】
は必然かもしれない。だが同時に、救済の可能性も立ち現れる。観音は、大悲の菩薩で
ある。滅亡することが分かっていても、人々を救済すべく苦心惨憺する存在が、観音
だ。「青丘与赤土茫々遂為空」即ち「国破山河在」(杜甫「春望」)だが、それでも人
類は残る。寧ろ、観音が「滅亡」を語り掛けてくることは、それ自体、救済の方便であ
る筈だ。「国」は必ず滅びる。しかし人類は残る。滅びる者は「国家」に過ぎない。よ
り精確に云えば、「姫氏」が滅びるだけだ。其の後に、新たな国を建てれば良い。創造
の為の破壊、世直し、アンシャンレジュームのリセット、これが野馬臺詩の主張する者
だ。
 野馬臺詩が主張する「聖徳太子の恵思大師後身説」は、同じ文脈で達磨尸解を語って
いた。スピリテュアルなものの在り方を示す者だ。此の在り方は、一休・丶大尸解に繋
がる。また観音を本体とする聖徳太子と恵思大師の繋がりも、八犬伝と無縁でなかろ
う。引いては、理想(例えば観音)を掲げ現実を呪詛する野馬臺詩の姿勢は、「怨/
恨」を背景とした此の国の心裡史を浮かび上がらせているのではないか。其の深く暗い
流れに、八犬伝も連なっているとしたら……。以上、唐突に八犬伝愛読者である筆者
が、此の【滅亡の詩】を取り上げた所以である。(お粗末様)




#307/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/07/07  03:47  (213)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「南総七十万石」  久作
★内容
■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「南総七十万石」

 富山に隠棲した犬士は、富山に尸解する折、二世達に妙なことを云う(第百八十勝回
下編大団円)。「安房は僅に四郡にて九万貫文の小地なり。然を先君臣等八人に秩禄八
万貫文を賜りしは、是軍功の恩賞なれども、君臣其禄を等しくするに似たり。王制に大
夫は士の禄に倍す、君は卿の禄を十にす、といふに当らず。然ば若們が五千貫文も猶過
たり。折もあらば辞ひまつりて三千貫文にて事足るべし。君子は周くして党せず、小人
は党して周からずといへり。若們八人は倶に周くすべし。善悪に就て党すべからず」。
 なるほど和漢三才図会には各国の石高を表示しているが、其れに拠れば、安房は九万
千百七十九石だ。安房だけ見れば、確かに君臣九等分である。しかし他ならぬ馬琴は、
第九輯下帙之上附言に於いて、次のように云っている。

     ◆
有人云在昔里見氏は安房に起りて後に上総を略し又下総をも半分討従たりき。有恁ば安
房は小国なれども其発迹し地なるをもて今も世の人推並て安房の里見といふにあらず
や。然るを叟は這書に名つけて南総里見とす。便是本を捨て只その末を取るに似たり。
故あることか、いかにぞや。と詰問れしに予答て云否、子が今論ずるよしは後の称呼に
従ふのみ。上れる代の制度を考るに安房は素是総国の郡名なり。▲(シンニョウに貌)
古天富命更求沃壌分阿波斎部率往東土播殖麻穀好麻所生故謂之総国{古語麻謂之総也今
為上総下総二国是也}阿波忌部所居便名安房郡{今安房国是也}と古語拾遺に見え古事
記並に書紀景行紀に東の淡水門を定め給ふよし見え且景行五十三年冬十月天皇上総国に
到給ひて淡水門を渡り給ふよし見えたり。しかるに元正天皇の養老二年五月乙未上総な
る平群安房朝夷長狭四郡を割て安房国を置給ひしに聖武天皇の天平十二年十二月丙戌安
房国を元のごとく上総国に併せ給ひき。かくて孝謙天皇の天平宝字元年五月乙卯安房国
旧に依て分立らる丶よし書紀又続紀に見えたり。是よりして後は安房と上総と二国たる
に論なし。さばれ安房も初は総国なり。当時里見氏の威徳を思料るに土人相伝へてその
封域をいへる者二百二十七万石とす。房総志料第五巻安房の附録に是を否して里見九代
記に拠るに里見の領地は義尭より義弘へ伝へし所、安房上総並に下総半国是に加るに三
浦四十余郷あり。此彼を合しても七十万石には尚充ざるべきに土人の口碑に伝る所は何
等に本づきていへるにか、といへり。縦七十万石に充ずとも大諸侯と称するに足れり。
然れば起本の国といふともかくの如き小説には褊小の安房をもて里見の二字に冠すべか
らず。▲(しか)りとて又房総と倡へなばなほ三浦四十余郷あり。因て南総といふとき
は、その地広大に相聞えて唯上総にのみ限るにあらず。這書に載する里見父子は賢明当
時に無双なれば南方藩屏第一の大諸侯たるよしを看官にしもおもはせんとす。作者の用
意素よりかくの如し。知ず僻言ならんかも(栗鼠の頬袋より修正転載)。
     ◆
 此処で馬琴は、「南総里見八犬伝」の「南総」に込めた意味を、上総・安房に下総半
国および三浦(相模国)四十余郷を併せた領域だと規定しており、戦国大名としての石
高(貫高)を七十万石足らずだと推定している。里見家の支配領域は九万石ではない。
だったら八万石ぐらい、親戚なんだから、くれてやれよ、何処が「君臣其禄を等しくす
る」なんだ。だいたい馬琴は、第一回冒頭で里見家を、「房総の国主」と云っている。
また、第九十七回冒頭で里見義実は「安房上総二州の守」となっており、室町幕府は里
見義成を安房守に任じ、「房総二州の国司」としている。第百五十七回までに於いて義
成は、幕府のみならず朝廷にも「里見安房守兼上総介」を追認/信任されている(上総
は律令上「大国」すなわち親王を守に据えるため介が事実上の最高官)。下総・相模は
国全体を支配していないので国司とはなっていないけれども、里見家領国は、上総・安
房を中核としつつ下総・相模へも跨る区域であった。

 此処で、ちょっと脱線して、江戸期の将軍と大名の石高比率を見てみよう。何故に
個々の大名家に於ける君臣比率を考えないかといえば、面倒だから……ではなくって、
八犬伝に登場する理想王国たる南総里見領国は、日本全国の縮図と考えた方が良いから
だ(でも、やっぱり面倒なのが大きな理由)。
 太閤検地で全国の総石高は約千八百五十万石であった。元禄期に約二千五百万石、幕
末には三千万石規模にまで拡大したと見られている。増収の大きな理由は新田開発であ
った。耕地が拡大した。一方、和漢三才図会表記の各国石高を累計すると、約二千二百
二十万石だ。上総は三十七万八千八百九十石だから安房・上総合わせて四十七万石、図
会で下総は三十九万三千二百九十石だから、この半分として十九万六千六百四十五石を
足すと六十六万六千七百十四石、此に「三浦四十余郷」を加えて、まぁ七十万石といっ
たところか。馬琴は七十万石足らずとしているが、計算の簡便化のため此処では七十万
石と考えておく。また馬琴も、だいたい三才図会程度の見積もりなので、全国石高を二
千二百二十万石と想定する(八犬伝の舞台は近世新田開発以前の状態だから、もっと少
ない筈だが、其処まで小五月蠅く馬琴も考えてはいなかっただろう)。ところで、馬琴
と若干の通交があった松平定信が老中となる以前、正徳の治ってのをやった新井白石
は、幕府支配地を約七百万石としている。うち旗本領分が二百六十万石ほどだ。
 あくまで上記の仮定に於いてではあるが、幕府支配地は全国の三割一分五厘、旗本領
分を除いた直轄領が四百四十万石で二割程度だ。この割合で里見領国を配分すれば、直
属の使用人俸給を含めた里見家支配分は七十万石中の二十二万七百二十石七升二合…。
対して犬士は一万石、決して小さい差ではなく、「君は卿の禄を十にす」にも逆らわな
い。また、里見家と犬士を合わせて三十万石を超すものの、残りは三十九万九千二百七
十九石二升七合…で、一人当たり五千貫文(石)の家老たちやら何やらも、まぁ養える
んだろう。それでも足らなかったら褒美としては、武具なり金なり馬なり書画なり菓子
なり感状(表彰状)もしくは年賀謁見の席次の上昇って手もある。
対して、実際の幕府体制は(初期は織豊時代から続く大大名が割拠していたが次々露骨
に潰されていき比較的安定する元禄以降で考えると)、まぁ次のような感じだった。加
賀前田家百二万石は、幕府領の七分の一に匹敵する。他に仙台伊達六十三万石、御三家
では尾張六十二万石、和歌山五十六万石、水戸三十五万石だったし、島津が七十七万石
であった。これらの六大諸侯だけで三百九十五万石、幕府領の半分をゆうに超える。こ
れに肥後細川五十四万石・福岡黒田五十二万石を加えた八大諸侯となれば五百一万石、
幕府領の七割を超す。考え方を変えて、【犬士のように石高面で最も優遇されている】
加賀前田家が八つあれば、実は幕府領を百万石ほど超過してしまう。故に、里見家の体
制は、別に馬琴が心配するような、【君臣等しい】形ではない(尤も名目石高と実際に
は乖離があり、上記は数字上の遊びに過ぎない)。ところで、また、馬琴は上の「第九
輯下帙之上附言」で「七十万石でも大諸侯」と云っているが、確かに前田には及ばぬも
のの伊達・尾張を超え、島津と並ぶことになる。幕府転覆も、或いは可能だ(鸚鵡を飼
っていたり、異国と全く接触していないわけでもない)。
 また、里見家に於ける犬士の位置を全国に拡大投影すると、それぞれ三十五万七千
石。里見家当主/義成の甥だから御三家レベルとすれば、まさしく水戸の肛門痔瘻……
もとい黄門侍郎なみとなる。更に言えば、江戸期の大名は、改易されたり新設されたり
で変動するが、俗に二百六十余家と云われ、だいたい其の位の数があった。即ち一大名
平均は、五万石弱。但し、上記の如く大大名の寡占状態だし、他にも浅野やら池田やら
鍋島やらの三十万石級、南部やら保科やら山内やらの二十万石級もいて、実際には数万
石の大名が最も多かった。十万石もあれば、堂々たる大名である。犬士も確かに里見家
の中で優遇されているとは言えるが、せいぜい水戸家ほどの相対的地位だと考えられ、
犬士の特殊性を考えれば、驚くほどではない。

 とはいえ、読者には疑問が起こるかもしれない。あくまで安房だけに限れば九万石
(実在の江戸期里見家の名目石高は十二万石)であって、里見家支配地の殆どが上総に
分布していては危急の時に不安はないか? 逆だろう。戦闘は、兵士の質・数が同じな
ら、指揮官の質に左右されよう。安房に九万石しかなければ、安房国内で動員できる兵
は、それに見合ったものでしかない。石高(貫高)は、軍事と一体化した数字だ。毛野
のような有能な軍師、親兵衛のような化け物じみた最前線指揮官がいる方が良い。義成
一人より、八犬士が各々の手勢を率いて戦った方が、高い効果を期待できる。八犬伝の
舞台背景は、一応は封建制であり、封建制は君主もしくは中央政府が軍事力を独占する
ものではない。領地を与えられた家臣が、それぞれの領地から兵力を捻出し手勢を率い
て馳せ参じることこそ基本だ。何たって、八犬伝で犬士が、叔父である義成を裏切る筈
がないのだから、義成にとっても、此の方が安心だ。第百八十回中「第一番に八犬士を
召出して這回の軍功の賞として各一城の主に做されて采邑各一万貫文を賜ふべし、と仰
らる。但し上総は郡県広く且富饒の地なれども稲村に遠ければ股肱の臣を置べからず。
この故に故意当国に宛行はる」に、上記の事情が込められていよう。
 また、江戸期には、此の「一万貫(石)」ってなぁ幕府に臣従しつつ、共に【直参】
である大名と旗本を分けるラインだった。大名の方が独立性が強い。譬えるならば、幕
府は大名にとって盟主、旗本にとっては主人、ぐらいにイメージの差がある。そして大
名の家臣は、大名が将軍に臣従しているのだから、臣の復た臣、陪臣(またもの)と謂
ぅんだが、そういぅ陪臣に、「大名」並の一万石を里見家は、与えた。もっとも江戸
期、大大名家の重臣は万石を軽く超えていたし、仙台伊達の家老・片倉家なんて、(一
藩一城制/俗に言う一国一城令があるにも拘わらず)城持ちだったりした。
 でもまぁ、やっぱり、近世には、陪臣で万石以上かつ城持ちは、特殊なんである。勿
論、八犬伝は戦国初期の物語だから、万石以上が大名で未満が旗本だとか、大名の家臣
は通常なら城を持てないとか、そういう制限は全くない筈でもある。が、挿絵を含み、
八犬伝に登場する風俗は明らかに近世の其れであり、近世の読者に親(ちか)しいもの
でもあった。出版統制もあり、物語は【現在と切り離されたもの】として書かれ其の様
に振る舞うが、実は【現在と繋がっているもの】でしかない。描かれているものは、一
種のエキゾティシズム(異国情緒)、日本人なら眼鏡出っ歯でカメラをぶら下げ、ヤン
キーならば紅毛碧眼カウボーイハットを被らねばならぬ。異国/異時代の現実ではな
く、飽くまで当時の読者の思い込みにこそ忠実でなければならぬ。
 所詮は大名家の家臣でありながら、万石以上で城持ちの犬士たちは、戦国期には別に
珍しくもないけれども、近世の読者であれば、片倉家の如き現在の実例はあれ、やはり
特異な存在として映ったろう。或いは、「徳川の御代には珍しいけれども、戦国時代に
は、こうだったのかなぁ」ぐらいに感じたかもしれない。此の彼此のギャップ(異国情
緒)こそ八犬伝の、隠微の根元かもしれない。ギャップを認識する瞬間、人は彼此を実
は混淆している。異質な者が混ざり合う瞬間に生じるココロの【泡立ち】が、エキゾテ
ィシズムだろう。エロティシズムにも庶(ちか)い。なりなりてなりあまれる者が、な
りあわざる者との差を認識したが故に、合一の衝動に駆られる。エロティシズムであ
る。……では、強烈なる【同化】の衝動によって、心性からして取り込まれ/同化して
しまった読者にとって、犬士の如く例外的存在は、常識的存在へと変貌するのではない
か。「んな奴ぁいねぇよ」から「斯くあるべし」への移行である。そう思わせるのが、
稗官の腕の見せ所だ。馬琴は、成功したか? 私の見るところ、成功している。八犬伝
を読めば読むほど、馬琴の手管に絡め取られてしまう。まぁ「読む」とは「同化」の道
筋であるかもしれず、当然といえば当然なのだが。馬琴の手柄である。
 また一方、犬士の位置を確認するため補助となる人物が、政木大全孝嗣である。犬士
と同等の資質を、伏姫ならぬ政木狐に与えられたと思しき彼は、「今よりして犬士等と
倶に当家の股肱たるべしとて、名刀一口を賜りける」(第百七十八回下)と準犬士に列
する。四家老の次席として五千貫文を領し、城主となる。また、犬士は、(従兄妹ぢゃ
ないかとも思うんだが)里見の姫たちと婚姻するけれども、孝嗣は親戚筋の葛羅姫と娶
せられる。何処から見ても「準犬士」だ。そして「準犬士・政木大全」で書いたよう
に、此の大田木・政木(正木)大全(大膳)家は里見家から嫡子を迎えたりして長く存
続、江戸期半ばの八代から幕末に至るまで将軍家を継いだ紀州流徳川家の血の根源とな
った女性を輩出した家である(諸説あるが、そぉいぅ説も確かに在った。家康側室お万
の方である〈養珠院殿/←「珠を養う」ですぜ、奥さん!←誰に言っとるんだ〉大滝城
主正木左近太夫頼忠の娘である)。物語前半に於ける八犬士による冒険を、縮小しなが
らも一身に集中した孝嗣は、犬士消滅後も(史実でも)居残り、主家が改易した後も、
血の源泉として日本の権に関わっていく。則ち、犬士の何等かの特殊性は、血を以て
(全く活躍しない)二世・三世に無意味に継承されたのではなく、何時の間にやら政木
(正木)家に移譲されたと見るべきだろう。何が移譲されたか、当然、此の国を導く論
理を体現することだ。八犬伝は、馬琴が八犬伝を書いている時まで、日本を支配した【
血】紀州流徳川家の根源(いや実は水戸家も……)を、それとなく示し、且つ、聖別さ
れた血も、実は長くは世襲できないことを明示している。犬士自身、二世にすら資質を
譲り渡せていない。里見家も、代を重ねる毎に天命を失っている。【(易姓)革命性】
は、八犬伝に於いて、全く自明である。
 裏から語れば、例えば史実の、三浦支族であった正木時綱は、安房安西氏を頼って房
総半島に来たんだが、里見義通の近臣となり、義通の妹と婚姻したことになっている。
義通の妹とは(いやまぁ姉でもあるが)、犬士が婚姻した相手である。八犬伝では犬士
が義通の姉妹、政木孝嗣が親戚筋と婚姻しているが、如何やら実際には、正木(政木)
が義通の姉妹と結婚しちゃっている。犬士と孝嗣の置換法則は、やはり成立しそうだ。
また、お万の方は、熱心な日蓮宗徒として知られているが、此の事と、里見義実が日蓮
宗徒を糾合して国盗りを実現した事は、あながち無関係ではないだろう。
 正木/里見から、馬琴生存時の日本の権は継がれていたのである。其れが故の「縮小
しながらも一身に凝縮」である。物語上では、其れには政木狐が深く関わっていよう。
奇しくも幼き孝嗣が睡眼朦朧「狗子(わんわん)」と表現した政木狐だ(孝嗣は幼児だ
ったので筆者の如き酔眼ではなかったろぉ)。移譲は、特に政木狐が龍となって、しか
も石化して墜落した時点ではないかと疑ってはいるのだが(其れを確認するのが小文吾
と孝嗣の鯛を廻る歌争いか←犬士と対等に争える即ち同格だと確認できる)、現時点で
は此を説明する、説得力ある論理を構築できてはいない。飲んだくれ筆者の怠惰まこと
に忸怩たる所がある。

 しかし、馬琴が否定的なニュアンスで、「君臣其禄を等しくする」と書いているには
変わりがない。此れは即ち馬琴が、八犬伝に於ける里見領国を安房・上総両国を中核と
する領域と規定しつつも、理念/イメージ的本拠は、あくまで安房であることを示して
いよう。役行者に与えられ伏姫を通じて犬士に渡った霊玉は最後に、里見家を守護する
四天王像の目に変わる。四天王像は、安房・上総を中核とした里見領国全体に分置され
たのではなく、安房の四隅に配された。また、安房・上総の国境である鋸山に、実際に
現存する千五百羅漢を髣髴とさせる、五十体の仏像が安置された。【房総随一の仏地】
であるという理由で。
 私は軍事に疎いが、現在の海軍航空隊が安房館山に駐屯しているとは知っている。そ
して鋸山全体が太平洋戦争時には帝都を守る重要な拠点として基地に変えられたことも
知っている。以前に里見家を、江戸を守る(イメージ上の)任務を帯びた藩塀だと延べ
たが、加えて、江戸の喉仏に匕首を突き付けている不気味な存在でもあることを指摘し
よう。江戸を守る最前線は、瞬時に江戸を攻める最前線に豹変し得る。そして、房総随
一の仏地であり安房の国境でもある鋸山に五十体もの仏像を配備したことも、結界を構
築して外敵を守るためとすれば、其の仮想敵は太平洋から来る黒船か? それとも江戸
湾もしくは三浦半島から漕ぎ出してくるのか? 日本の中で日本的理念を純化し、独立
なる王権を建てた国は、さて、「日本」なのか、「日本」でないのか? 理念を奉じ、
濁世と闘う犬士の、里見家の、物語が、現実の「日本」に対するアンチ・テーゼである
ならば、「国境/結界」たる鋸山の「外」は、「日本」である可能性もある。

 里見家の本拠である安房アワ/総フサ/扶桑は、日本であって日本ではない。扶桑/
総/安房は、泡沫(あわ)のように儚く消え去る、日本の夢か。其の「日本の夢/馬琴
の夢」は、「君臣等し」い世であろう。臣の資質/民度高くて初めて、共和制は成り立
つ。そうでなければ衆愚に堕する。近世村落の自治は、形式的な制度を無視して、馬琴
眼前の現実であったわけだし、江戸の大変態・馬琴の射程を、実はテキトーで維新前と
にかくイカン酷かった史観に毒されたテレビ時代劇レベルの認識(坪内逍遙も此の一派
ですな)に追従させる必要は、全くない。そうでなければ明治前期に、極めて民主的か
つ合理的な憲法制定建白が存在する筈もないではないか。国史は前代が何故に滅びて現
体制が出現したかを説明しようとする者だが、其処に若干の、現体制に対する御追従、
前体制への必要以上の非難が鏤められたりもするんだが、明治体制に於ける史学には、
まぁ、そんな内股軟膏な論もある。強きに靡く論は、既に士(読書人)の史ではない。
明治の史論自体が当時の世相を語る史料であって、別に鵜呑みにする必要はサラサラな
いんである。
 また若干の怪奇味を望むならば、五十体の仏像を、古代平安京を守るべく将軍塚に埋
められたホムンクルスと重ねればよい。宝剣を手に闕起し、舞うが如く血塗られた防御
戦を展開する美しき童顔の仏像群に、毛野の面影を映しても可だ。毛野のような美少女
に殺されるなら、文句の言いようもない。せめてもの、仏の情けだろう。南無阿弥陀
仏、南無阿弥陀仏。(お粗末様)




#308/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/07/07  03:48  (217)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「虚花と実花」  久作
★内容
■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「虚花と実花」

 八犬伝を読む限り、馬琴の【血】に対する観念は一見、混乱錯綜している。偽一角と
の対決を通じ、血が重要な親子の証となった。DNAの塩基配列を調べて云々するので
はない。父の髑髏に子の血を流せば凝固する、なぁんて呪術めいた現象が起こる。呪術
すなわち不思議である。不可思議にも明らかな関係、それが親子であり、血の繋がりで
あった。また、匠作・番作の如く、一個人で表現し得た物語を、二世代に分けた背景に
は、やはり親子がクローン程度に複製された者、いやクローンはmind(ココロ・記
憶)を共有しないが、全くココロを一つにできる者だとの綱領が透かし見える。
 にも拘わらず、犬士は二世に資質を譲っていないし、里見家は代を追って天命を失
い、滅亡する。血によっては、聖なる資質/天命は、必ずしも相続されていない。血に
よる統治の継承を宣揚しつつ、だが実際には里見家が滅びることを後に馬琴は明示す
る。隠微である。或いは当時、血の継承を絶対視するムキもあったかもしれない。しか
し国史の実際は、権を執る者の血脈をコロコロ変えてきた。平氏を滅ぼした鎌倉源氏将
軍は三代で消滅(摂家や親王が将軍位に就きはするが)、平姓北条執権、次ぎに後醍醐
が挟まって、室町源氏、それも管領やら戦国大名が入り乱れて……こんな基本的な史実
を馬琴が知らぬと思うことこそスットンキョーだ。
 ハッキリとした権力、権力が人格を有つ以上、血による継承は、永続しない。天命
は、幾つもの血脈を渡り歩く尻軽だ。天命を革することによって行われる権力の移行
を、革命と謂う。……もしかして、「非革命性」とやらを言い募るムキは、革命には、
近代に西洋および阿弗利加大陸などで起こった暴力革命しかないと勘違いしているのか
もしれない。認識不足に因る誤解だ。そして、対関東管領戦で不殺生を標榜する里見家
を革命の主体として理念化するならば、其れは禅譲に依って行われるべきかもしれな
い。しかし実際は、対関東管領戦は、【イメージ上は革命への可能性を秘めたものであ
っても物語表記では事実上の独立戦争に留まっている】のであり、一応は戦争をしてい
るから放伐ってことにはなる。なるのだが、其処で不殺生を唱える里見家は、憎悪によ
る残虐な暴力革命の主体では勿論ない。
 付け加えるならば、関東管領に対して里見家が実際の戦争で勝利したと殆ど時を同じ
うして、室町(変態)管領に対しては、親兵衛による模擬戦争とも言うべき武芸試合や
虎退治によって、勝利する。

 「虎、トラ、寅」で「虎、トラ、寅」で「虎は、狸の後身」だと書いた。実社会に於
いての祖母・妙真と合わせ鏡であり、八房の子としては養祖母であり、八房の転生たる
房八の更なる転生としては養母に当たる妖狸・八百比丘尼を殺した親兵衛仁に、狸/八
百比丘尼の後身たる虎が消滅させられる。因みに、虎出現の原因となった竹林巽は、甕
襲の玉が発した丹波国桑田に住んだ。また、虎は(主に)悪人を挫く役割が目立つ。洛
中を震撼させ、被害を受けた者もあったやに書いてはいるが、被害者の名前も特定され
ておらず、読者をハラハラさせはするものの、対岸の火事みたいなもんだ。読者の眼前
で害される者は、悪徳僧やら何やら、せいぜい(悪役である)管領の雑兵ぐらい迄であ
る。
 巽の妻が「於兎子」であり「於兎」が虎の異名であるとも書いた。そして、虎/寅が
木気である所から、木気の親兵衛が変態管領・政元から解放される指標としての役割
を、虎が担っているとした。この考えは、未だに変わっていないのだが、より重要な意
味が虎にはあることを、付け加えておきたい。

 ところで、「狸おやじ」では、第八十六回、前後の脈絡なく丶大が「知風道人」と名
乗り、悪人を退治する挿話があり、中国古典でも狸は雨風を支配していることなどか
ら、これを、丶大が洲崎沖海戦に於いて甕襲の玉を使い巽の風を招く司祭となるための
階梯であると断じた。ついでに、丶大が、風を支配するのだから「狸おやじ」だとも述
べた。とにかく、風と言ったら「狸」なんである。また、同稿で「虎」にも風はつきも
のだと述べた。

 虎が風を象徴する動物だと考える。すると、豊後出身ではあるが、丹波国桑田に住ん
でいた竹林巽風および於兎子(イコール虎子)は、共に風に関わっていることが解る。
巽風と於兎子の物語は、虎出現に纏わる話として受け取ることが出来るけれども、虎を
風と置き換えれば、此の風/虎によって変態管領・細川政元は失脚し、且つ其の風/虎
を里見犬士の随一・親兵衛仁が制したことは、丶大が、丹波国桑田で発見された甕襲玉
を使って、風を制御して関東管領軍を撃破したことと、対応していると見ねばならぬ。
更にまた言えば、巽の絵の師匠で於兎子に男色の対象として信じられた寅童子/行童
は、細川政元の男色相手として熱望された親兵衛のドッペルゲンガー……とは言わぬま
でも、寅は木気であるからして、密接な関係にあろう。例えば、高次元に於ける根を同
じうし、三次元では別個体として現象しているほどの関係であろうか。片や変装した丶
大が関東管領の命令によって甕襲玉を用いて風を起こし関東管領軍を撃破した。片や室
町管領の命令によって巽が起こしてしまった虎/風が洛中を吹き荒れ室町管領を失脚さ
せたが其の虎/風を制することで、親兵衛ひいては里見家は室町管領に対し優位に立っ
た。親兵衛に対する鶏姦を賭けた隠微で淫靡な暗闘は、室町管領の完敗に終わった。同
様の結果を導く話を、全く同じではなく、或る部分で対称的に描く手法は、八犬伝の他
の部分でも見られるものだ。

 例えば、「虚花」で言えば、前後の浜路。八犬伝終盤(第百八十勝回中)、豊島の犬
山家から大塚蟇六家へ養女に出された前の浜路は、里見五の姫/後の浜路の「虚花」で
あったと明かされる。前の浜路は円塚山で、道節の虚花たる網干左母二郎に奪われ惨殺
された(「犬士類型」参照)。見ていた義理の兄で、網干左母二郎の【実花】たる道節
は、助けるどころか、妹と知っても末期の願いを聞き入れず、奪った村雨を信乃に返す
とは答えない。絶望のうち、浜路は自らの血の海に沈む。対牛楼のジェノサイドでも、
毛野は自ら手を下さずに馬加大記の妻や幼女を死に至らしめ族滅する。復讐は、完遂さ
れねばならぬ。同様に、自分と母を殺そうとした、いや実は母と道節両人を殺した黒白
と共犯者は既に刑戮されているため、せっかく冥府から復讐鬼として甦った道節は、読
者の敵に廻らぬよう、仇敵の眷属・浜路を死に至らさねばならない。勿論、道節は【無
意識】のうちに、其れを行う。此の円塚山 浜路虐殺の場面、是である。自らの虚花/
左母二郎に浜路を殺させた後、徐に現れ、血涙滴る美少女の願いを、勇士の本懐をイー
ワケに、踏みにじる。この態度自体、(イーワケをして読者に許されるものの)復讐で
なくて、何か。
 しかし一方、信州猿石で、後の浜路に対する道節は、救済の使者であった(第七十・
七十一回)。いや単純に、神隠し(鷲隠し?)に遭った里見五の姫浜路を救い出すので
はない。亀篠を思わせる夏引の奸計によって囚われの身となった信乃を助け出し、二人
を添わせる前提となる活躍を見せる(いやまぁ単に土地の役人を騙っただけだが、おバ
カな彼にしては上出来だろう)。前の浜路に復讐した彼は、其れ故に前の浜路が命を賭
してさえ添い遂げられなかった信乃と、後の浜路を結び付ける重要な役回りを与えられ
る。【同じ浜路】を相手に、復讐を完遂し妹を死という絶望の底へ突き落としながら
も、妹本人も恋人も共に救って兄としての恰好よさも演じるのだ。
 このように、「虚花/実花」は、同じき物語を持たなかったりする。単なる繰り返し
ではない。強いて言えば、両者を並べて初めて平衡するが如き一対である。此の対応を
馬琴なら、【照応】とでも呼ぶか。

 対関東管領戦と親兵衛虎退治が、実花/虚花の関係であるとすれば、色々と辻褄が合
ってくる。曰く、虎を実体化させた絵師の名が巽風(洲崎沖海戦で吹いた風は巽風)。
曰く、巽風が住み着いた土地は但馬国桑田(風を起こす甕襲玉は日本書紀の記述により
但馬国桑田と関係付けられている)。曰く、風を象徴する虎の出現・消滅により親兵衛
は解放され室町管領は失脚する(風により洲崎沖海戦で兵の多くを失った関東管領は里
見家の独立を許す)。かなり能く対応している。しかし一方で、洲崎沖海戦では里見側
の毛野が立案し丶大が風を起こすが、虎退治では(やや悪役側の)巽風が虎/風を現象
化させる。丶大も(悪役側の)関東管領の命令で風を起こすのだが、飽くまで毛野の策
略としてだ。虎すなわち洛中を吹き荒れた暴風を消滅させることこそ、親兵衛の役割で
あった。室町管領が出来ぬ洛中の治安維持を、男色家好みのムチムチ色白美少年が成し
遂げたのである。室町管領と親兵衛/里見家の立場は逆転する。いや、逆転すると言っ
ても、親兵衛が細川政元を犯そうとしたのではない。其れは、【逆転】だ。いやまぁ確
かに、親兵衛が実際は政元に何度かは抱かれつつ天井の節目を数えなかったと断言はし
ないし、節目なんか数えず元々何にでも器用なんだから天賦の才で腰遣い政元を骨抜き
にしなかったとも強弁しないし、その時つい膨らんだ部位を政元に捻じ込まなかったと
決め付けたりはしないけれども、其処等辺は読者の想像に任せるとして、筆者の言う所
は、洲崎沖で風を起こすことにより成功した独立戦争と、風/虎を消し去ることで得た
独立、即ち【対称】である。

 親兵衛による虎退治は、里見家による対関東管領戦の虚花として位置づけられる。し
かし【本物】に先行する「虚花」が、物語の本質に於いて「虚」なのか、逆に、それこ
そ本質そのものであるかは、また別次元の話だ。虚たる物語に於いては、「虚花」が本
質的な存在だったりもするんぢゃないだろか。虚花/前の浜路と、実花/後の浜路、ど
ちらが読者にとって【真の浜路】か? 勿論、前者であろう。後の浜路/実花は、美し
く忘れ難い虚花/前の浜路に対し、斯くあらまほしと願う人々の優しさの生んだイリ
ュージョンだ。イリュージョンを実現するのが、稗史/小説だ。前後浜路の関係は、譬
えるならば馬琴の御近所さん、嬬恋稲荷は自分のために犠牲となった吾嬬・弟橘姫を慕
い狂い悶える日本武尊の結ぼれの夢が(彼岸に於いてではあろうが)成就すべく近在の
者達が建てたというけれども、想い破れた者へのシンパシィを惹き起こす。八犬伝に於
いては、虚花こそ真実の存在であり、実花は平衡をとるための者すなわち虚花が(読者
の願う)真実に着地する為の【よりしろ】に過ぎぬ場合もあるのだ。

 上記、前後の浜路を引き合いに出し、必ずしも虚花が実花を導き出すためのみの存在
ではないと考えた。虚花こそ【本命】である可能性だ。また、親兵衛による虎退治が、
対関東管領戦の帰趨を決した洲崎沖海戦の虚花であると仮定した。そして、洲崎沖海戦
は、関東管領に対する里見家の独立戦争であり、(五虎を含む)親兵衛の虎退治は、室
町管領に対する独立(模擬)戦争であったと指摘した。では、洲崎沖海戦が虎退治の実
花であるならば、馬琴は何を言おうとしたのか。

 言うまでもない。関東ローカルで華々しく戦われた洲崎沖役は、室町幕府(全国的中
央政権)に対する独立戦争の、矮小化した現実への投影である。ちょっと簡単に言い回
そうか。理念は現実に其の儘では現象しない。理念は現実に制約され縮小され或いは歪
められ、漸く現象する。高次の存在が、現れる次元に制約された形で像を結ぶようなも
のだ。まっとう至極の一般人も、その全体像を夢想だに出来ぬバカから見たら、奇妙奇
天烈な形にしか見えないだろう。「幕府転覆」なんて、当時の出版統制状況では、明言
できる筈もない。
 だが幕府の関東出先で、しかも幕府から兵を向けられ、いやさ実は八犬伝に明記され
ていないものの朝敵であった関東公方、更にしかも、其の職掌すら空虚となっていた足
利成氏ならば、バカにし放題だ。攻め立てても、「幕府転覆」ではない。元の家臣筋で
あった里見家に完膚なきまで打ちのめされても、文句は出ないよう周到に暗愚さが羅列
され続けてもいた。だいたい、既に関東管領が下克上、関東公方を蔑ろにしている。前
提として、舞台が戦国時代に置かれてもいる。
 (八犬伝刊行当時は、「革命」なんて言えないんだから)二重三重に里見家を弁護し
ているが、要するに、上位権力が天命を失い暗愚で社会の為にならないなら、放伐して
然るべきだって革命論だ。尤も里見は「仁君」だから、関東公方・管領を丁寧に扱い辱
めたりしない。しかし、臣従も決してしない。第十一回で里見家に、鎌倉府を通じて官
職が与えられた。しかし第九十七回、直接幕府から官職を与えられるようになってお
り、遂には第百七十九回中、朝廷から勅使を迎えるようにまでなる。既に「漂う国・南
総」で論じたように、八犬伝本文に於ける里見家の地位は、上記の階梯を登るのだ。相
手を生かしていようと殺そうと、丁寧に遇そうと如何しようと、過去に上位に在った権
力との関係を無化しているなら、革命性を有する。既に相手の天命を認めていないのだ
から。
 そして、関東管領との決戦を前に、親兵衛による虎退治が何故だか挿入されている。
大塩平八郎の乱も関係しているだろう。前後の浜路に見る如く、虚花こそ【八犬伝の真
実】ならば、対関東管領軍戦の虚花・虎退治こそ、全国政権の否定、独立、革命性こ
そ、馬琴が隠微にも読者に幻視させようとしたものではなかったか。根岸鎮衛とか色
々、此の「八犬伝の真実」に気付いた読者もいるだろう。しかし馬琴は曲者だ。八犬伝
物語が大団円を迎えようとする直前、おっ被せてイーワケを重ねる。「何故に里見家が
天下の権を執らぬのか」そんな疑問をはぐらかすのだ。

 第百八十勝回上、政木大全が政木狐龍の墜落石化を目の当たりにしたとき、武田信隆
「義実侯少かりし時、結城落城の日に死を免れて、いかで安房へ渡さんとて相模さる三
浦の海辺に船を徴め給ふ程に白竜俄然と海より起りて天に登るを見給ひにきといへり。
竜は鱗虫の君にして其徳を王者に比す。源氏は素より金徳にて色は白を貴べり(……中
略……)天下の連帥たるべき者は必里見氏なるべきに然はなくて東南の一隅へん褊小な
る安房上総を領するのみ。下総半国の外に又地を増事を得ず……(後略)」。

 簡単に言えば、「里見は、あれだけ良い領主なのに、何故全国を支配するようになら
ないのか」。尤もな疑問であり、読者の代弁だろう。此に対し孝嗣の返答は、素っ気な
く簡単明瞭かつ不気味だ。

 「天なり命なり……中略……漢は火徳なり。色は赤を貴べり……中略……成敗をもて
人を論ずる者は、天命を知らざるなり……中略……我君房総両国の守にして地を増給ふ
事あらずとも、良将の御名後世に流芳して御子孫長久ならんには仁義善政の大益あり…
…後略」。
 「里見が天下の権を執らない理由は、そういう巡り合わせだからだ。現世的結果だけ
を見て評価するとは、天命というものを知らない証拠だ。限られた領域であっても良い
政治を行い栄えれば、正義善政の手本として全国に大きな利益をもたらす」。里見家が
全国を支配することはないとしつつも、里見家および犬士が実践した論理が手本とし
て、全国に行き渡ることを期待している。
 言い換えれば孝嗣は、里見家は天命を与えられて然るべき資質を与えられてはいる
が、「天なり命なり」時運が合っていないと言っているのだ。簡単に云やぁ、天命とい
うものを語ることで、【革命】へのベクトルを暗示しつつ、革命そのものを完遂させち
ゃぁ下克上文学/革命文学として弾圧されるだろうから、【寸止め】しているだけの話
だろう。八犬伝の論理が行き渡れば、自然と天命が舞い降りる。革命の勃発である。里
見家を取り上げた理由だって、史実(江戸初期に改易)も「寸止め」に都合が良いから
に違いない。此を革命への指向性/ベクトルと云わずして、何とするか。

 例えば、里見家および犬士が実践した論理の一つは、【一代限りの忠】だ。結城合戦
に於ける里見季基および大塚匠作や、祖父・父の主筋と決裂した信乃、いや二世に減俸
させた挙げ句に致仕させた犬士全員を見れば明白だ。其れが故に、当主として直接に仕
えてもいなかった道節が、滅びた煉馬家に過剰な忠を捧げるが、とことん失敗し、やや
揶揄されているかの如く描かれるのだ。彼こそが忠の基準であるならば、当主としてで
はなくとも結城合戦に参加していた里見義実は不忠者になってしまう。しかも、「一代
限りの忠」とて絶対ではない。現八なんて、飛脚の息子だったんだけれども典獄にまで
引き立てられたが、其の不条理な職を返上して投獄された挙げ句、出奔している。政木
大全などの例もあり、「一代限り」どころか、相手によっては否定することも可能なの
だ。
 このことは、馬琴の出自に関係があるかもしれない。筆者は馬琴のプライバシーに立
ち入る趣味は余りないんだが、馬琴の家は、江戸の武家を渡り歩いて奉公する階層であ
った。武士ではあるが、世襲を約束された者ではない。個人の資質によって、待遇され
る奉公人であった。しかも、馬琴は十八歳の時に、主家を飛び出す。
 主家の息子が馬琴に音曲を奏することを強要したからだという。現代なら別に何とも
ない要求で、親しい仲なら頼まれもせぬに急に歌いだす輩もいる。上司や先輩のマイク
を奪う若者だっていよう。しかし昔は、例えば唄を歌うことは屈辱に庶かったのかもし
れない。馬琴は八犬伝の中でも音曲を愛でる網干左母二郎や亀篠、馬加大記を悪役に設
定している(小文吾も尺八を吹いたのではないか? ちなみに「尺八を吹く」とは隠語
で……いや、止めとこう)。本当に唄が問題であったのか……。床三味線とか、佳い声
で泣く、雁が音を吹くとか淫靡な語彙があり、音曲は艶っぽいジャンルでもある。ちな
みに全く関係ないが、馬琴の青少年期から八十八年ほど後、東京日々新聞に拠ると、次
のような事件が起こったらしい。……と、此処で御約束の制限行数である。どんな事件
が起こったか、それは次回に申し上げよう。刮目して待て。(お粗末様)




#309/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/07/07  03:49  (228)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「九等分」  久作
★内容                                         04/07/07 04:00 修正 第3版
■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「九等分」

 鶏姦は獄中の規則
    六月四日
       小島仁三郎
自分儀御吟味中入檻被仰付居候処当五月八日岡田善吉と申者新入仕候折柄事無きの余り
同人へ相戯れ流行唄謡ひ可申若不謡節は鶏姦犯させるは圏中規則と申欺き其夜遂に同人
を鶏姦仕候処翌朝同人より前夜の次第御訴申上自分御吟味を受け恐入候事右之通相違不
申上候。以上
(東京日々新聞第三百九十七号/明治六年六月十四日)
  【書き下し】
自分儀、御吟味中、入檻仰せ付けられ居り候処、当五月八日、岡田善吉と申す者、新入
し仕り候折り柄、事無きの余り、同人へ相戯れ、流行唄謡い申すべし、もし謡わざる節
は、鶏姦犯させるは圏中規則と申し欺き、其の夜、遂に同人を鶏姦仕り候処、翌朝同人
より前夜の次第御訴え申し上げ、自分御吟味を受け恐れ入り候。事右の通り相違申し上
げざる候。以上
  【口語訳】
私は裁判に引き出され勾留されているわけですが、先月八日、同じ房に岡田善吉という
者が新しく入ってきました。私は無聊の余り戯れて、彼に「此処では規則で、新参者は
流行唄を歌うか鶏姦させるかせねばならない」と申しました。勿論、そんな規則はござ
いません。(彼は流行唄を歌いませんでしたので?)その晩、私は彼を犯しました。翌
朝になって彼が事の次第を訴えましたので、こうして私は取り調べを受けております。
いま私が申し上げましたことは、全く間違いございません。以上
     ◆

 当時の東京日々新聞は、まぁ現在の毎日新聞だが、恐らく皆さんがイメージするもの
とは全く違って【瓦版】なんである。近世には「濫りがましき」ことどもをも書き連ね
弾圧されたんだが弾圧されきれなかった所謂、一枚刷りの直系子孫だ。分類上、錦絵新
聞と呼ぶ。残念ながら上記は「明治性的珍聞史」(大正十五年・梅原北明)からの引用
だから、筆者は現物を見ていない。如何な絵が描かれていたか甚だ興味をそそられる
が、入手閲覧された方は画像を送っていただきたい。で、錦絵とは、明治期に隆盛とな
った、まぁ写実を目指した浮世絵とでも謂うか、漫画の元祖である(それぢゃぁよく解
りません←いや、先を急ぐので読者が御自分で調べてくださるよぉに)。
 で、此の記事からは、昔の新聞は警察調書を直接筆写したものだったことが分かる…
…いや、違う、取り調べのために小島氏が入れられた拘置所で、新入者は流行唄を歌う
か、鶏姦をさせるかを選択せねばならない規則があった。これが有名な「鶏姦規定」
(改定律例/明治五年十一月)だ。以下に引く。
     ◆
第二百六十六条 凡鶏姦スル者ハ各懲役九十日。華士族族ハ破廉恥甚ヲ以テ論ズ。其姦
セラル丶ノ幼童十五歳以下ノ者ハ坐セズ。若シ強姦スル者ハ懲役十年。未ダ成ラザル者
ハ一等ヲ減ズ。
     ◆
 あれ? 「鶏姦させろ」ではなく「鶏姦するな」と書いてある。おかしぃなぁ……と
ボケるツイデに申し上げると、この法律は明治五年に作られた。明治五年とは即ち、琉
球王を華族に列して日本に組み込んだり西洋と共通の太陽暦を採用したり国立銀行条例
を発したり、廃藩置県(明治四年)地租改正(明治六年)とか丁髷を止めろ(明治四
年)だとか刀を差すな(明治三年)とか国会を作れ(明治七年/民撰議院設立建白書)
とか徴兵令(明治六年)とか銭湯には男女別々に入れ(明治五年東京府入混湯禁止令/
明治二十三年国の混浴禁止令は男女七歳にして席を同じうせずとばかりに七歳以上の混
浴を禁止したが、明治三十三年に十二歳以上の混浴を禁止したりしている←全く守られ
ていなかったらしい)とか何とか彼んとか、近代国家の見てくれを無理遣り整えていっ
た時期である。明治政府は、幕府が結んだ列強との不平等条約に頭を悩ませ、日本も文
明国だから対等に扱ってよと交渉していたが、まぁ結局、日露戦争っていぅ西洋のパ
ワーバランスに影響を与える事件に出会したことの論功行賞として、平等化が進むこと
になる。見てくれなんか実は関係なかったんだが、誰に騙されたんだか、日本の醇風美
俗「混浴」まで廃したことは、確かに国辱的誤謬であったろう(本気にはしないで下さ
い)。
 えぇっと此の明治五年に、明治政府が行き当たりばったりに編纂した刑法の祖型が
「改定律例」である(施行は明治六年)。明治初年、近世以前の遺風を受け継ぎ且つ粗
暴を目指した蛮カラ学生たちが、男の子同士で姦りまくっていた。H(鶏姦)とS(レ
ズ)が、明治の合い言葉である(嘘)。例えば鶏姦に就いては南方熊楠らの記録なんか
でも詳らかであるが、筆者は全く関心がないので、如斯き話題がお好きな方は、図書館
で調べてみてほしい。学生たちの鶏姦騒動に就いて地方官から困惑の声が上がったた
め、律例を改定するとき規制したのである。が、明治政府お抱えフランス人ボアソナー
ドが、自国では鶏姦罪がないことから不要と答申、日本の刑法典には組み入れられなか
ったという(さすがマルキ・ド・サドの祖国だが、カソリックじゃなかったか、フラン
ス?)。近世以前、日本で鶏姦はHEN(雌鶏)タイ/Hエッチではなかったのである
(だが、やっぱり鶏に致すのは変態だと思うぞ)。

 閑話休題。明治六年五月八日の事件は、服役囚が、同房の者に歌うか鶏姦を受け入れ
るか択一を迫られ、歌を拒み強姦されたため、訴え出た事件だ。例えば、現代米国でも
刑務所で起こるメイル・レイプは公的に問題化されていたりするし、日本でも近年、刑
務官が服役囚の直腸に高圧の水流を流し込んで死に至らしめたりしてをり、同性間に於
ける肉体陵辱は閉鎖した特殊な空間で起こりがちな事件ではあるけれども、馬琴にとっ
ての奉公も、牢獄にが在る如きであったか。
 ……いや、そんなことを言おうとしたのではなかった。だから、渡り奉公の下級武士
出自で若君の理不尽な命令に抗して出奔した馬琴は、世襲による忠とか絶対服従の忠な
んてものから程遠く生きたと言いたかっただけだ。八犬伝以外で、子を殺す忠なんても
のを流行作家として書いていた馬琴の【真実】は、執拗なまでに書き続けた八犬伝にこ
そあったかもしれない。ふと、そう思う。

 ところで「南総七十万石」で、「八犬伝の舞台背景は、一応は封建制」と書いた。封
建制だから一応、定員一人の君主は里見家当主だ。何故って、八犬伝なる物語は、当時
の出版統制状況からして遠い過去に託さざるを得ず、中世を舞台にして仕舞った段階
で、封建制を背景にすることが決定づけられる。が、イメージとしての里見家本拠、そ
れは人生の多くを殆ど核家族レベルの狭い集団で暮らした馬琴にとって濃密な関係の【
家庭】かもしれないが、領国の中でも一割より少し多い程度の地域(九万石)譬えるな
らば核家族レベルの領域に限って本拠とし、その中でのみ、犬士それぞれと里見家当主
が「君臣其禄を等しくする」な関係を構築していた。この場合、里見家当主義成は、【
君主】ではなくプリンケプス【同等者中の第一位】盟主に過ぎず、象徴君主制に庶い
(尤も「庶」いだけで、象徴制に於いて君主は政治的人格を否定されているので「同
等」とは言えない)。但し、義成と犬士計九人を社会全体の縮図と見るか、彼ら相互は
「同等」であっても彼らの下に人民が外形内面とも封建的に支配されているかと考える
か、判断する明確な根拠はない。が、シリーズで縷々述べてきたように、象徴天皇制へ
の親近性や里見家を人民が進んで奉戴していること、里見家や犬士が質素を旨とし少な
くとも貧富の差を顕在化させようとしていない点、安易な世襲制を排していることなど
を総合的に鑑みれば、八犬伝の延長線上には、単なる封建制とは違った体制が透かし見
えてくる。

 また回外剰筆に載す税率の話で、井田法が引き合いに出されているが、此を、里見
家・犬士による安房九等分を思い起こさせるものだと説く論者もある。其処から九曜や
大八車、ひいては文殊曼陀羅まで連想が及んでいる。甚だ魅力的な説ながらも、史学を
出自とする筆者には、やはり抵抗が大きい。やはり井田法は、まずは税率すなわち領主
と人民との間の関係論であって、君主(上級領主)と家臣(下級領主)の取り分比率の
話ではないことが、如何しても引っ掛かってしまう。前者は差し出すものであり、後者
は分配するものだ。結果としては共に取り分比率の問題だが、ベクトルが全く逆の話な
んである。日曜史家の筆者にとっては、このベクトルの向きは絶対であって、看過でき
ぬ重大事だ。勿論、全く違う次元の話もしくは内在するベクトルが逆であっても、結果
としての【形】が似ているだけでも引っ張り出し、いはば変換して、相似なる印象のみ
与える筆法が、確かに文学には許されている。井田法の図は、九曜までの連想を期待す
る馬琴一流の隠微な仕掛けかもしれない(だが文殊曼陀羅までは行き過ぎ)。そうかも
しれないが、それならばそれで、間にある甚だ大きな隔絶を論理で埋めねば気が済まぬ
所も、日曜史家の悲しい性(さが)だ。回外剰筆に於ける井田法は、あくまで仁政(
「聖人、唐虞三代、及成湯文武の時」)の言い換えであることを、第一義としている。
文脈では、八犬伝の舞台となった室町期の税率を三割五分程度とした上で、井田法は税
率一割一分一厘一毛…(以下略。要するに九分の一)と人民の負担の軽い仁政の象徴と
している。但し書きとして馬琴は、「和漢戦国の世に至りては、財用続ざれば民に取事
のおのづから多くなるべき勢ひなり。今にして井田の法に因ば士を養ふことを得ざるべ
し」と言い添える。戦争のない聖賢の時代には人民の負担は軽く済むが、争ってばかり
いる戦国時代には負担が重くなる。故に聖賢の世が望ましい、と言っているに過ぎぬ。

 しかし此処で、井田法を字義通り解釈して、逆に里見家と犬士の関係を変換しては如
何だろう。馬琴の謂う「君臣」からすれば、里見家と犬士の関係は、【君臣であって君
臣でない状態】だ。まぁ義成は伏姫の弟だから、叔父甥の関係でもある。里見家は犬士
にとって、【同等者中の第一位】に過ぎぬ。領主と人民の関係を示す井田法が、里見家
と犬士との関係を謂っているのならば、此処で上級領主(里見家)下級領主(犬士)と
も、一段降格させねばならない。すると、領主(里見家)と人民(犬士)に変わる。そ
して里見家は犬士の「同等者中の第一位」プリンケプスであり、犬士が人民であるなら
ば、其の形は一種の共和制プリンパキトゥスと言わざるを得ない。
 そもそも犬士とは何者であったか。元は宿屋の息子だったり郷士だったり浪人だった
りした、武士だ。親の跡を継いだ世襲の者ではなく、二世に減禄させた挙げ句に里見家
を致仕させ浪人させる、武士だ。身分/社会的立場は本人の資質に依るものであり、世
襲するものでは決してないとのイデオロギーが厳然として其処には在る。
考えてみれば、馬琴の親や兄そして本人は渡り奉公の武士であったし、御家人は株さえ
買えば町人でもなれた(一旦は武士身分を棄てた馬琴も株を買って孫を御家人にした
)。だいたい、この「株」からして、一代限りの御家人が売買していたものだ。御家人
は将軍直参ではあるが、世襲を認められた家と、一代限りの召し抱えがいた。ただ、一
代限りでも後継者の指名権が徐々に認められていき、結局、自分の子を指名すれば【世
襲みたいなもん】となる。金を貰って他人を指名することを「株」と称した。この事情
は、大名家の家臣でも同様で、下級家臣の足軽で代々世襲する譜代者は一部、多くは一
代限りの召し抱えであった。ただ此の世襲・非世襲は家格の問題でもあって、やはり永
年勤続であれば後継者指名権を認められたし、それで何代か勤めれば世襲の家となって
いった。とはいえ、足軽は戦闘に於いて主力である鉄砲・弓の最前線部隊を構成する。
頑健であることが求められ、脆弱な者は後継者と認められない場合もあった。中間は一
代限り且つ臨時雇いだ。簡単に云えば、世襲とは一定以上の身分の【特権】であり、多
くの下級武士は、原則として一代限りの身分であった。供給源は、武家の嫡男以外・農
民・町人であった。封建制といえど、実際には境界付近は、かなり流動的ではあった。
また馬琴は息子を医者にしたが、医者は武士ではないにしろ、息子は松前侯に仕え【武
士身分みたいなもの】となった。また「士」とは元々教養階級を指す語であり、馬琴の
ような教養階級は、支配階級である武士とも交遊した。また教養は一代限りのものであ
り、本人の資質に影響される。単純に世襲できるものではない。即ち馬琴は世襲なる枠
からはみ出て絶えず、身分の狭間を流動しながら生きた。馬琴の言葉の端々には、忠と
か何とかあるから、ついつい馬琴本人も封建制ベッタリ人間だと判定せざる得ないよう
な錯覚に陥りがちだが、人は現在を生きる者だから、時代に或いは迎合或いは妥協せね
ばならない。しかし、馬琴の一生は、重箱の隅から目を上げ概観すれば、激しく流動す
る波に揉まれている。だいたい孫の生活安定を望んで御家人株を買ったというが、それ
って封建制理念を否定してないか。単に生活安定の為のみ武士になることは、封建制へ
の侮辱に等しい。時代の枠として封建制は、認めないって言っても現実なんだから、在
ること自体は認めねば、しょうがない。そういう意味では馬琴も封建制を勿論【肯定】
しているのだが、理念としては明らかに【否定】しているのではないか。共和制プリン
パキトゥスを夢見た馬琴。

 自分でも突飛な考えかもしれないと思ったりもするけれど、いや、相手は江戸の大変
態・馬琴だ。我々が一方的に思い描く時代劇レベルの認識で御一新前、「江戸時代」の
枠にムリヤリ馬琴を緊縛して押し込み、勝手に矮小化することが、果たして素直な八犬
伝解釈と言えようか。
 稗史小説家である馬琴は、時代によって社会の形が変わることを当然、知っていただ
ろう。日本書紀だけでも豪族政治あり律令制があり、ダイコンミズマシ、その後の藤原
摂関政治やら院政やら幕府やら何やら彼にやら。また中国史に造詣の深かった彼は、世
襲によらぬ尭舜、封建制の周やら天命を与えられているうちのみ圧倒的な権力を行使で
き試験登用した巨大な官僚群を率いる皇帝、いやさ神皇正統記も読んでいた彼は、原始
共産制の存在まで知っていた筈だ。歴史には、其の時々の社会の変態ヴァージョンがウ
ジャウジャある。史家は、其の何連をも理想とし得るし、自分なりに複合して新たなモ
デルを提出することも可能だ。例えば、八犬伝のテクスト自体を全く無視して、それ以
前、例えば文化年間に書かれたモノのみを嬉しげに取り上げ、八犬伝テクストと矛盾し
ているにも拘わらず、其の以前の文言に八犬伝を従属させて反革命性だか何だか、非科
学的な事を宣うムキもあるが、論外として無視することが、せめても武士の情けだろ
う。見なかったことにしておこう。

 結局、馬琴は、当時の通念であった世襲制をアカラサマには否定し得ていないが、隠
微に否定していることになる。唯一、天皇に関しては、良心的な態度をとらせつつ、決
して出しゃばらせてはいない。出しゃばらせる/人格を明確にすれば、【革命】の対象
となってしまうからだ。八犬伝の世界観は、無人格な御輿としての無味無臭無色な天皇
のもと、資質によって実際の権柄を執る/指導的立場に座る者が出現し、しかも其れは
地方自治の連合政権であった。里見家に対する(変態)管領・関東管領の実質的敗北
は、資質の無い者が世襲で権柄を執ることの否定であって、隠微に、当時の政体を批判
している、としか八犬伝は読めない。八犬伝本文テクストを、筆者は八犬伝を読む上
で、最優先する立場だからだ。

 馬琴が「隠微は作者の文外に深意あり。百年の後知音を俟て是を悟らしめんとす」
(八犬伝第九輯中帙附言)もしくは「百年以後の知音を俟べく」(第九輯下帙中巻第十
九簡端贅言)と言ったとき、其れは単なる隠微に関する一般論および修辞であった可能
性もあるんだが、とにかく「百年」経った時に漸く現れるであろう「知音」に期待した
ものは何だろう。些末ながら詳細正確な語句解釈を期待したか? それで「百年」っ
て、ちょっと大袈裟に過ぎる物言いだろう。ならば、ストーリーの背後に潜む、当時の
体制/枠内に留まっていた同時代人には決して理解し得ぬ論理を読み解くことを、後生
(こうせい)に期待したか。だいたい二千六百五十余年(?)の歴史で、天皇は実権を
奪われていた時期が長い。また、奪われても指を銜えて見ていなければ、存続できもし
なかったろう。何があっても見て見ぬ振り、政治的人格を無化していたからこそだ。否
定しようにも、抑も存在しない人格を否定することは出来ない。

 もっとも元々「天皇」は、緊迫せる東アジア状況の産物だったかもしれず、中国大陸
や朝鮮半島との対外関係の中で発明された言葉だとの指摘もある。しかし、馬琴の意識
は現在歴史学の水準には至っていなかっただろう。だが、対外関係云々にまで思いを馳
せなくとも、記紀を一読すれば、天皇が、易姓革命の範疇から這いつくばって逃れよう
とジタバタ足掻いたことぐらいは、誰だって解る。馬琴は、上記引用でも、「漢は火
徳」だとか何だとか言っているが、其れを知ってて日本書紀壬申の乱の記述、大海人皇
子側が合い言葉を「火」にした理由を、馬琴が気付かなかったと思いたいなら、八犬伝
解釈は恐らく二百年は後退する。少なくとも馬琴が八犬伝を【書いた以前】にまでは後
退するしかないだろう。そうではなく、火徳を僭称した大海人側は大友側を一方的に金
気に指定したが、金気の復権(ひいては素盞烏やら日本武尊の復権)、すなわち火気た
る天皇家への疑問符を馬琴が提示したと考え新たな視覚を立ち上げる方が、八犬伝解釈
にとって、遙かに有益だ。
 八犬伝は公衆小説であり、体制的権威にドップリ浸かって解釈しようとしても、無駄
だ。馬琴の(保身的?)迷宮に陥り、表層の理解しかできなくなる。また自軍の犠牲は
最少でありつつ朝鮮半島に対する日本による唯一のトライアンフを挙げた者が神功皇后
であるとは、日本書紀の明示する所だ。記紀は、神仏儒五行をないまぜにした史書であ
り、どれかに特定して狙い撃ちしようとしても、当たるワケもない。馬琴の世界観に関
しても、現代に於いて分類した特定の純化した思想にピッタリ嵌ると考えることこそキ
チガイ沙汰だ。如何程度の配分かは今後の課題だが、馬琴が実在の人物であれば、当
然、様々な思想をゴチャゴチャに内包していただろう。実際、八犬伝でも、儒を纏いつ
つ仙に遊び、老荘の言葉で煙りに巻きつつ心学に触れ、単純素朴な情を語って、世智を
述べ徳から離れもするが、和歌のココロも忘れない。こんな馬琴を、浅薄な理解で解っ
たように語ることは、それこそ滝沢解に対する最悪の陵辱であろう。H(鶏姦)野郎で
ある。とか何とか言ううちに、やっぱり制限行数である。今回も、締めの言葉を探しつ
つ、毛野は文殊シリ菩薩、不必要に鶏姦(analKoitus)まで話題を広げウダ
ウダ迂遠に書き連ねたが、そろそろココロに形が現れてきた。次回こそ尻仕舞い、尻ー
ズ……ではなかった、シリーズを仕舞いたい。(お粗末様)




#310/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/07/07  03:49  (210)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「プリンケプス」  久作
★内容
■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「プリンケプス」

 ところで現在の政体には、大統領制なんてのがある。直接選挙(もしくは選挙人選
挙)によって、かなり強力な行政府の長を選ぶ形だ。アメリカ合衆国を本家とする形で
あり、故に最も最新式の類の政治形態だ。まぁ一党独裁の国家が最新って言やぁ最新式
で、其の総書記だか書記長だかが最高権力者として君臨する形もあるのだけれども、此
を本気で「最新」と考える者はおるまい。そう、「最新式」だからといって、人類が希
求してきた、それぞれの人が幸せに暮らせる形とは限らない。実は大統領制を採用する
国って、独裁国家が多かったりするのだ。数年前までのイラクだって、大統領制だっ
た。チャウセスクも大統領だったし、アミンだって大統領だった。雄略のような「暴虐
の帝」とか、ビスマルクのような「スーパーリーダーシップの鉄血首相」ってのは、過
去の話だ。比較して現在は、王制や議院内閣制の方が穏便である。強力なリーダーシッ
プは、際立った人格として表現される。だから、物事の本質を弁えぬ族は、際立った人
格こそが強力なリーダーシップを生むと思い込みがちだ。が、「際立った人格」にも
色々あって、妖しく人々を破滅に追い込むハーメルンの笛吹もいれば、【際立ったバカ
】もいる。衆愚政治である。ヒトラーは、虚栄心と厳しい現実に揺れ動く国民を、実は
自分たちは優越感を持っても良いのだと吹き込む程には、智恵があった。余り認めたく
はないが、其れは其れで人間の弱さってものを射抜く、巧妙な筆法ではあった。が、表
現は明快であっても、その実、何も本質を語れないまま権に押し上げられる者もいる。
真に求められている者は、真実を平易明快に提示できる者なのだが、真実のシの字もな
くて取り敢えず簡単な言葉を駆使する者が得をする。これなら、難解な言葉を駆使し真
実を語りつつ真実を隠蔽しようとした者の方が、まだしも真摯であったと思い起こされ
る。余りの退嬰に、憂国の念を禁じ得ない。いやまぁ少しく前まで絶対的で非民主的な
権力といえば、王制とか帝政であった。それが今や大統領制に取って代わられている。
理由は簡単で、手続きが違うだけで、形として類似品だからだ。全国民の(投票者の過
半数に過ぎぬかも知れぬが)総意として奉戴する以上、それは国家なる者の【人格】を
代行する者である。大統領制では、(建前上は)個人に其の「人格」が凝縮され投影さ
れている。王制(帝政含む)は、王朝として特定の「人格」を持つ。だから武断の王朝
では王は武人でなければならず文治の王朝では読書人でなければならぬため無理にでも
訓練させられたし、実力がなくとも「まぁそぉいぅことにしとこぉ」って誤解されてき
た。また或る古代文明の王朝では王が定期的に国内をマラソンして体力を見せつけねば
ならなかったという。明確な「人格」を持つことが、実は強力なリーダーシップの前提
である。故に、王制とか帝政そして大統領制は、【強人格】の政体で、同じ穴の狢なん
である。共に独裁制へ陥り易い。対して合議的な、例えば幕府の評定衆制とか、まぁ大
して事実上は変わらぬが政党内閣制とかは、行政最高責任者の「人格」が、より薄れ
る。最近では「首相公選制」とか何とか不可思議な話題も耳にするが、それは寧ろ大統
領制に庶い。しかしまぁ、まだしも議院内閣制だから語彙のない、「日本」を語るに最
も縁遠い者が権を執っても、何となくアカラサマな破綻を見ずに日本は存続しているわ
けだが、そうでなくなったら此の国は早晩、滅びるしか道がない。背景とは直接の関係
を絶った単発の語彙をスットンキョーかつ断片的に叫ぶ姿は突発的に囀る鳥の如き鳥頭
だが、鳥にしちゃぁ風見鶏にまで嫌われてるって、いったい何なのか、さっぱり解らな
いほど、奇妙な生物だ。権を執るより、天然記念物が、お似合いだ。

 ……かなり道草を食ったが、まぁ、要するに、「人格」が問題だ。強力な権力とは
「明確な人格」であり、調整的な権力とは「拡散した人格」なんである。また、この
「調整的な権力」を、トコトンまで突き詰めれば「無化された人格」となる。これが恐
らく、馬琴が八犬伝に於いて、天皇の存在を認めつつ、でも幕府もしくは管領・有司を
否定、天皇へもベッタリ臣従せずにいる、即ち中央権力が、少なくとも内政に於いては
仲介とかの弱い調整能力しか持っていない状態を描き出した、政治的意味だろう。ター
ムで言えば、それは既に「象徴天皇制」であり、この象徴的君主だけでは対応できぬ時
のために使い捨て(即ち革命の対称たり得る)幕府/政府の存在をも、(平時には邪魔
にしつつ)認めてはいる。

 ところで、里見家は、能力としては出来たろうけども、関東管領軍を全滅させたりは
していない。圧伏はさせるが、存在は許している。戦争を、それ自体が至上命題ではな
く、単なる政治の一環として扱っているからだ。里見家の優位が読者に明示されたら話
は済む。間に入っている室町幕府・鎌倉府を無きが如き位置に置ければ良い。結局、馬
琴は八犬伝の中で、里見家の独立性を強調しつつ天皇を象徴的君主と認めているよう
だ。虎退治でも、室町管領を失脚させるに留まっている。しかし、管領、将軍、天皇の
順に(実力は)弱くなるワケだから、室町管領を優越するとは、天皇を軽く実力/暴力
で凌ぐことだ。最弱の天皇を、里見は蔑ろにはしていない。いや、最弱だからこそ、蔑
ろにしていないと云うべきか。強権理不尽の者なら、容赦はすまい。虎退治した当の親
兵衛も、天皇が自分を従六位上兵衛尉に叙する勅命を拒まねばならぬと、子供のように
泣きじゃくる(って子供なんだけど……。第百四十九回)。この時の論理が振るってい
る。勅使(代)秋篠将曹広正は、「天の与るを取ざれば、反て咎を受る」と責めるが、
親兵衛「人の臣たる者は只其君を以天とす」やはり辞退する。上っ面は常套句じみてい
るが、かなり注意が必要だ。
 「礼記」なら「民以君為心、君以民為体(民は君を以て心とし、君は民を以てからだ
とす)」だが、親兵衛は君を「天」としている。これを儒教的な「天」とすれば、親兵
衛の言葉は、君を「自分が生きる空間そのもの若しくは空間の主宰者」と規定している
ことになる。天皇は、自分の生きる空間の外部に在ると云っているのだ。だから親兵衛
は天皇と繋がれない。流す涙は、尊皇意識からすれば天皇の勅命を受けなければならな
いが、自分の限界を里見家中と定めて拒絶せざるを得ない苦衷を表現している……表現
しているが、親兵衛って、嘘寝して河鯉孝嗣を騙し自らの白く豊満な胸をまさぐらせた
前科がある。今回も、嘘泣きでない証拠はない。此奴はガキのくせに、油断がならない
のだ。
 いやまぁ親兵衛は、若しかしたら、本気で言っているのかもしれない。何たって彼が
伏姫に養育されたって経緯もある。しかし、此のような論理を、八犬伝を貫く論理だと
は、本文を読みさえすれば、全く思えない。八犬伝に於いて、「君は天」論など非常に
特殊であって、一般論とはなり得ない。何故って、今までも縷々述べてきた如く、主人
/君をコロコロ替える者がゴロゴロしているではないか。まぁ「コロコロ」は言葉のア
ヤで、そうコロコロ変える者は籠山逸東太縁連ぐらいかもしれないが、ゴロゴロはして
いる。それぞれ主君への遠近感は異なるけれども、里見義実、犬飼現八、犬塚信乃の三
人だけを、試しに取り上げてみよう。里見義実だって、一応は足利成氏を主筋としてい
る。現八も信乃もだ。この三人は、それぞれ成氏への遠近感が異なる。義実に就いて
は、父・季基の死で主従関係をキャンセルしたと強調している。現八の場合は、理不尽
に殺されかけたことが、キャンセルのイーワケとなろうか。此の類型に、河鯉孝嗣も含
まれる。信乃は、当主と仕えていたのは祖父までの筈だが、本人は父から譲り受けた関
東公方家伝来の名刀を手土産に【帰参】しようとする(網干左母二郎によって擦り替え
済み)。手土産だったら、道節みたいに関東管領家に仕官しようとする手もあったが、
やはり関東公方家が主筋と考えていた信乃には、思いも寄らなかったろう。しかし偽物
を献上した罪で追われ、逃げまくるうち本物の名刀・村雨も手に入る。関東公方に詫び
を入れる道もあった筈だけれども、信乃は知らぬ顔で冒険を続ける。もう関東公方家と
は、意識の上で切れちゃっていたんだろう。対関東管領戦の後、信乃は漸く村雨を関東
公方に返す。八犬伝に於いて、主君を替えることは全然オッケーなんである。上記の如
き「君は天」論は、一般論としては成り立たない。
 故に「君天」論は、親兵衛一流の、彼の生い立ちや資質のみに関わる言葉として扱え
る。……まったく馬琴は卑怯だ。「君天」論は、親兵衛にこそ似合う。だからこそ、親
兵衛に言わせたんだろ。現八や信乃が云っても、「ふぅん。でもアンタ……」と嫌味を
云われるのがオチだ。犬士だったら京でも活躍し叡感浅からざる仕儀と相なろうが、親
兵衛が京へ向かう必然性を構築して、さも当たり前の様に他の誰も信じていない「君
天」論を吐かせ詔勅を拒ませる。

 ……甘羅だ。「本文外資料」でも申し上げたが、第九輯口絵の「著作堂」讃に、「神
童甫九歳 筋力捷成人 不羨甘羅敏 勇且唯得仁」とある。勿論、親兵衛のことを歌っ
ている。史記巻七十一樗里子甘茂列伝に登場する、あの甘羅だ。祖父の甘茂は戦国時代
の秦で、恵王・武王のもと丞相を務めた。昭王のとき讒言により罪を得て国外へ逃亡し
た。秦王政のちの始皇帝の代、丞相・呂不韋は甘茂亡き後に孫で十二歳の甘羅を召し抱
えた。甘羅は秘策ありと自ら志願し趙への使者として起った。秦が燕からの人質を帰す
との条件で、忽ち五城を割譲させた。人質を帰すとは、友好関係を放棄し侵入する予告
でもある。秦の支援を失った燕は、趙に攻められ三十城を奪われた。趙は十一城を秦に
差し出した。結局、秦が合計十六城を得て、趙は差し引き十四城を得たことになる。甘
羅は功により、上卿に列せられ、丞相であった祖父・甘茂の田宅を賜った。司馬遷は、
奇計を捻出した甘羅を「仁義の君子ではなく戦国の策士」だと評している。人質まで差
し出して秦との友好関係を得た燕であったが、秦側から一方的に契約を破棄するとは信
義に悖る。信義に悖る使者として十二歳の少年が起った。大人だったら正面きって言い
出せないことも、子供ならば出来る。燕が秦を非難しようにも、何のことだが解らずウ
ロウロするうち、趙が攻めてくる。人質を帰された以上、秦に援軍を求められない。よ
しや非難できたとて、秦は「あぁー、アレねぇ。ありゃ子供のやったことだからねぇ」
とはぐらかすだろう。秦の【国家としての人格】の埒外に位置できる子供の甘羅が遣っ
たことにすれば良い。趙にしたって、燕を攻略できたら五城なんて安いもの、【子供の
使い】だって使者が失敗する筈もない。結局、甘羅が使者に起ったとは、自らが非公式
と位置づけられることを狙ったものだ。多分、呂不韋か始皇帝の発案だろう。これだけ
の殊勲を挙げた甘羅は、後に特段の活躍を見せない。やっぱり、始皇帝辺りに利用され
ただけなんだろう。

 此の甘羅に擬せられているとは、親兵衛、里見が標榜する徳「仁」の化け物だとして
も、子供だし、やはり里見の【国家としての人格】から外れた部分があることを示して
いよう。だからこそ、里見の論理とは外れる君天論を披瀝して恥ずる所がないのだ。逆
に、親兵衛が子供らしく泣きじゃくりながら君天論を吐いてるんだが、馬琴は甘羅に親
兵衛を擬すことで、此の場面は八犬伝一般の論理から外れることを明示している。君天
論を以て、里見の根本的論理だと騙された読者も少しはいたかもしれないが、甘ったる
い話を殆ど蔑視するかの如く、遊女の手練手管さえ見破り嗤う江戸パブリックは、そん
なに御人好しではない。
 だいたい、君天論の如き封建的な言辞を口走る親兵衛にして、後に他犬士と共に隠
棲、二世に致仕させていることから、八犬伝に於いては君主との関係は個人的なもので
あり、明らかに世襲の必要性は否定されている(世の中には不必要なものがあってしま
うものだからか、世襲の存在自体は否定されていない)。
 実際の所、八犬伝に於いて、「君」は「天」ではない。暗愚の君がテンコ盛りで、里
見義実でさえ、玉梓誅戮を躊躇ったとき、金碗八郎孝吉に、殆ど面罵とさえ言える激し
い諫言を蒙った。全然、絶対的な存在ではないんである。って言ぅか、諫言を聞き入れ
る、絶対的ではない、臣の良心(天)によって軌道修正もされる浮遊する者が、良将な
んである。十戸の邑にも忠臣あり。扇谷上杉定正にも、巨田持資・河鯉権佐なる忠臣が
あり、蟹目上なる賢妻があった。定正は、忠臣賢妻の諫言/忠告(正に文字通りの「忠
告」)を聞き入れなかったため、滅びの道を進んだ。暗愚なくせに、いや暗愚だから
か、忠告を聴かぬ頑迷さ故の、自滅である。「強力なリーダーシップ」ってヤツを誤解
したバカの陥りやすい道だ。
 一方、「浮遊する君」の最終形態は、縷々述べてきた象徴君主制だ。強力なリーダー
シップは、余程注意を払っていないと、頑迷に堕する。失敗した(自由選挙に拠らぬ)
大統領制だ。象徴君主ではないものの、類型として近い里見家は、ただ最小公倍数的徳
目である「仁」を、何とかの一つ憶えみたいに、言い募るのみだ。殆ど無色透明である
(故に透き通って美しいとも言えるが)。対関東管領戦に於いてさえ、殺生するなと無
茶を言う。道節はアカラサマに反発しているし、国府台合戦でも信乃率いる里見勢は鉄
砲を用いて敵を総崩れさせる。信乃自身も敵将を射殺している。命令は、貫徹されてい
ない。結局、犬士でさえ、大枠の理念として里見を奉じているに過ぎないことが解る。
だからこそ、里見から天命が去れば、離れていく。

 此処で再び親兵衛の謂う「君天」論を考える。涙を流す云々の条から、前に見た「尊
皇」云々の解釈が、ストーリーの流れからは正当であると信ずるけれども、八犬伝の世
界観で、必ずしも君主は絶対的に臣下を統制できず、臣下の自由意思によって奉戴され
ている。其の様な場所で「君天」論を独り歩きさせてみようか。「天」は、子供が見上
げる青い天(そら)、其の下で伸び伸び自由に活動できる大らかな空間だ。人は空を見
上げ、其処に在る多彩流動なる雲の如く、様々に思いを廻らせる。其の「天」は「絶対
的」な形を人に押し付けはしないが、様々な形を受け入れる点で「絶対的」だ。とはい
え里見の天にも境界があって、攻められたら防御するし、刑罰もあるから、幼児的自由
の空間ではない。ちゃんと秩序はある。法がありつつも抑圧を感じないほどに自由と
は、法が緩やかで且つ其の緩やかな法を皆が遵守できる空間だろう。「心所欲不踰矩欲
(ココロの欲する所に従いてノリをこえず)」(論語為政)とは、衆愚を脱した共和制
の姿だが、孔子の様に膨張欲の強すぎる人物でさえ、七十歳にもなったら、此の境地に
至ったと云う。此の空間は、少なくともテレビ時代劇レベル(まぁ近世には実在しなか
ったろぉが)の強権武断の体制下には生じ得ない。故に親兵衛の謂う「君天」論は、八
犬伝全体に及ぶとき、硬直せる封建制度下の言葉ではなくなる。
 「日本滅亡シリーズ」で示した如く、百代とか百年ってのは【大台に乗る】とか何と
か【数の魔力】で人を囚える数字だ。永遠なる先ではなく必ず来るが、現状が全く変わ
るほど遠い先、を意味しているに過ぎない。字面の数字は、本来的な意味を失ってい
る。馬琴だって、別に百年先キッカリに正当な解釈者が現れることを予言したのではな
いだろう。其の証拠に、いまだ八犬伝を能く解釈する者は、出現していない。だいたい
江戸の大変態・馬琴を解釈できる者って、変態は変態を知る、かなりの変態さんだろう
から、出現してもらっても案外みんな困るかもしれないし……。いやまぁ、とにかく馬
琴の有名な「知音」待望論を、倣岸な自負とのみ解釈すべきではないだろう。だいたい
単に難解であるだけのことを自慢できる筈がない。大衆小説として失格だ。そうではな
く、自らの夢を存分に且つ密かに描くことで時代の枠を超えてしまったとの自覚が、馬
琴にはあったのではないか。
 犬士は【鬼神】である。「神は心なり、鬼は気なり。人の心気は形なし。鬼神亦形な
し」(燕石雑志)【人の思い】と言い換えても良さそうだ。読者が同化し読み耽った八
犬伝の主人公たる犬士/ヒーローは、時代に苦闘せる人々/読者の思いであり夢であり
希望である。また多彩で、微妙に性格が異なる。また毛野のように振幅の広い、恐らく
は仇敵・馬加大記に媚びを売りつつも確固とした復讐心を堅持する(もしかしたらって
ぇか美少女と思い込んだ芸人を斯んなイヤラシイ奴が真面目に放ってはおかないだろ
う。芸は売っても身は売らないなんてキレイ事の通用する族ではない筈だと思えるキャ
ラクター設定だ。毛野は好機を窺うため馬加家に居続けなければならないのだから、大
記の執拗な求めに屈しgayを売ったと妄想するは、あながちスットンキョーでないと
思うけれども、如何?)冷静無比の計算高さを持ちつつ、河鯉権佐の信義に報いようと
墓を建て永世供養を寺に頼む道徳的な面も全く欠落しているわけではないって絶妙のキ
ャラクター設定を筆頭に、正に多士済々である。犬士って案外に、奥行きのある人間像
だったりする。幅広い類型が揃い、且つ個々の犬士も奥行きがある。其の何処かにシン
パすれば、其れを取っ掛かりに読者は知らぬうち導入され、八犬伝の世界観を受け入れ
てしまう。移入である。
 これら読者の同化せる犬士たちは互いに平等で、且つ君主と等しい地平に立つ。基本
的平等である。一応犬士にとって里見家は主君ではあるが、見限れば主従関係を自由に
解除できる。それでも生きて行くには、近世の様な未発達の世では、霞を食うしかない
との表現が、犬士隠棲の段だろう。そう、良心に従って生きるなら、霞を食うしかない
というこそ、【未発達な世】である定義である。読者に理念を見せびらかした挙げ句、
ででかちかちでかちかち(お囃子)ドサッと現実に落とす。此の筆法は、何を目指した
か。夢と現実の格差は、何をもたらすか。革命論の筆法である。しかも八犬伝は、聖代
には租税が九分の一・約十一パーセントだったと、「戦国の世は国家維持に経費がかか
るから三割五分でも仕方ないけどねぇ」(八犬伝刊行当時も概ね三割五分)と嘯きつ
つ、提示する。税負担が十一パーセントとは、「戦国の世」ではない筈の現代に比べて
も遙かに軽い。このような世の中は……更に百年以後の知音を俟たねば、実現しそうに
ない。お粗末様。




#312/1158 ●連載
★タイトル (pot     )  04/07/12  00:16  (212)
alive(14)      佐藤水美
★内容
          14

 あの12月の嵐の後は、夕凪のように穏やかな日々が続いた。
 北風が南風に変わり、この街で咲いた薄紅色の花が少しずつ散り始めた頃、僕た
ちはそれぞれ進級して新しいスタートを切った。
 卒業を迎えるまで、もう何事もないだろう。
 僕はいつしか、そういう楽観的な見方をするようになっていた。
 卒業式や引っ越しの日が近づいたら、お互いに悲しくなって涙することもあるか
もしれない。だけど、僕が20歳になるまでの辛抱なのだ。その目標さえ忘れなけ
れば、どんなことがあってもきっと乗り越えられるに違いない。
 瞬のためにも、受験勉強を頑張らなくっちゃ。
 僕の胸には新しい希望が芽生えていた。
 
 5月中旬。
 帰宅して玄関のドアを開けると、見慣れた瞬の革靴が転がっているのに気づいた。
よほど慌てていたのか、靴の片方は底を上に向けてひっくり返っている。
 確か、今日は部活のはずなのに……。
 不審に思いつつ家の中に入り、居間へと向かう。
「いてっ!」
 つま先に、いきなり鋭い痛みが走った。顔をしかめて足元を見る。
「何でこんなところにあるんだよ!」
 居間の入り口には、瞬のリュックが放り出されていた。教科書やノートなどが詰
め込まれた、怖ろしく重いやつだ。僕はそれに全く気づかず、つま先で思い切り蹴
り上げてしまったのだ。
「しょうがないなあ、瞬の奴。いてて……」
 リュックを拾い、足を少し引きずりながら階段を上る。いったん自分の部屋に入
って鞄を置き、うんざりするような重さの荷物を肩にかけて廊下に出た。
 つま先がまだジンジンする。文句のひとつも口にしないと気が済まない。僕はふ
くれっ面をして隣のドアを叩いた。
 しかし、返事がない。靴もリュックも瞬のものなのに。すでにどこかへ出かけて
しまったのだろうか。
「瞬、いるの?」
 それを確かめるべく、ノブを握って静かにドアを開ける。
 本棚、学習机、そしてベッドが視界に入ったとき、僕は目を大きく見開いた。ベ
ッドの上には制服姿の瞬が、両腕でお腹を抱えるようにして、身体をくの字に折り
曲げて横たわっている。
「瞬!」
 リュックを床の上に放り出し、急いでベッドに駆け寄った。従弟は真っ青な顔に
苦しげな表情を浮かべ、口を少し開けて肩で息をしている。
「どうしたの? 気分が悪い?」
 僕は腰を屈め、瞬の前髪をかき上げて額に手を当てた。汗をかいているけれど、
妙に冷たい。
「瞬、大丈夫か?」
 再び声をかけ、今度は背中をさすってやる。
「……うん……」
 今にも消え入りそうな声だった。目をぎゅっと閉じると同時に、眉根に深い縦皺
が寄る。僕の顔を見上げる余裕など、全くない様子だ。
「お腹が痛い?」
「……胃が……」
「救急箱から胃薬持ってくるよ。ちょっと待ってな」
「……幹彦」
 瞬は目を開けたかと思うと、ふいに手を伸ばして離れようとする僕の腕をつかん
だ。息づかいがひどく荒い。
「……側に、いて」
「わかった」
 僕は瞬の手を握り、ベッドの縁に腰掛けた。空いているほうの手で改めて背中を
さすってやると、瞬は青ざめた頬に弱々しい笑みを浮かべた。
 お腹の風邪でも引いてしまったのだろうか。さっき額に触れた感じでは、熱いと
いうより冷たかった。発熱するとしたら、これからなのかもしれない。
「あ……、今日……バイト……」
「休むよ」
 何のためらいもなく断言する。もう前のような思いをするのは嫌だった。
「……いいの?」
「もちろん。瞬のほうが大事だからね」
 笑って言うと、瞬は肩を大きく動かして僕の顔を意外そうに見上げた。まばたき
を忘れた両目が、次第に潤んでくる。
「ん? どうした?」
「何でも……ない……」
 瞬は声を震わせて言い、大粒の涙をこぼした。
「痛かったら我慢しなくていいんだよ。胃薬を飲んだほうが、早く楽になる」
「……やだ」
「やだ、じゃないでしょうが。薬と水を持ってすぐに戻ってくるからね」
「嫌だ、行かないで……」
「あのねえ、瞬。5分、いや3分もかからないんだから……」
「嫌だっ!」
 瞬はいきなり大声を出したかと思うと、起き上がって僕に抱きついてきた。慌て
てベッドの縁に片手をつく。あやうく後ろにひっくり返るところだった。
「嫌だよ……嫌だよ……」
 僕の胸に顔を埋め、肩を震わせながら涙声で何度も繰り返す。
「わかったよ、どこにも行かないってば」
 僕は瞬の身体をしっかりと抱いた。
 おかしい、様子が変だ……。
 胃痛に苦しんでいたら、薬を飲んで早く楽になりたいと思うはずだ。でも瞬は、
目の前から僕がいなくなることだけを恐れている。
 納得してくれたんじゃなかったのか?
 忘れかけた不安が、再び頭をもたげてくる。
「……幹彦」
 絞り出すような声にはっとする。
「……俺は、俺は……うっ!」
 瞬はみぞおちの辺りを押さえて、顔を歪めた。急に起き上がったりしたせいだ。
「横になったほうがいい」
 そう言った途端、瞬は突然喉を鳴らし、かすの混じった茶色い液体を僕の膝の上
に吐いた。
「瞬!」
「ご……ごめ……げほっげほっ!」
 瞬が両手で口元を押さえようとした途端、激しい咳と共に、さっきと同じ液体が
大量に吐き出された。従弟の表情は苦痛に歪み、目からは涙が溢れてくる。
「いいよ、どんどん吐いちゃえ。そのほうがすっきりするよ」
 半ば開き直って言い、瞬の背中をさすった。すえた臭いが部屋の中に立ち込めて、
こっちまで胸が悪くなってくる。
 数分後、瞬は胃の中のものを全部吐き出してしまったらしく、激しい嘔吐はよう
やく治まった。汚物は僕のズボンだけではなく、瞬のネクタイや上着、ベッドの掛
け布団、床にまで飛び散っていた。
 バイト先や伯母への電話連絡、汚れ物の後始末、こもった空気の入れ換えと床掃
除、そして瞬の世話。忙しく走り回りながらも、僕はあることを考えていた。
 幹彦、俺は……。
 あのとき、瞬は僕に何を言おうとしたのか。
 でも、今は訊けない。従弟は胃薬を飲んでからまもなく、精根尽き果てたように
眠ってしまった。
 早く元気になれよ。
 青白い寝顔を見つめながら、心密かに祈る。
 僕は全く気づいていなかった。
 この日の出来事が、異変の前兆だったことを。
 
 翌日、瞬は学校を休み、伯母に付き添われて病院に行った。
 診察の結果、下された診断名は急性胃炎。消化の良い物を食べ、処方された薬を
飲んで3、4日安静にしていれば治るだろうとのことだった。胃潰瘍や十二指腸潰
瘍じゃなかったのは、不幸中の幸いだと思う。
 早く顔が見たい。
 僕は瞬の部屋へと急いだ。ドアの前に立ち、軽くノックしてみる。返事はなかっ
たけれど、ノブを回して手前に引いた。
「瞬……」
 小声で従弟の名を呼んだ。瞬は掛け布団にくるまって、眠りに落ちたかのように
目を閉じている。
 静かに歩いてベッドに近寄り、腰を屈めて相手の顔を覗き込む。何だか今朝より
もやつれて見えるのは、気のせいだろうか。
 可哀想に……。
 過去、幾度となくしてきたように頭をなでてやると、瞬は薄く目を開けた。まば
たきを数回繰り返してから、やっとこちらに視線を合わせる。
「僕だよ、瞬」
「……うん」
「気分、どう?」
「……少しは、いいよ」
 瞬はかすれ声で答えると、ため息を吐いて再び目を閉じた。まだ調子が良くない
のだろう。
「幹彦……」
「ん? 何?」
「……あっち行って」
「え?」
「マジでうざい」
 瞬は苛立たしげに言い放つと、寝返りを打って僕に背を向けた。
 うざいって……聞き違いじゃないよね?
 顔面パンチをいきなり食らったような気分、とでも言えばいいのだろうか。僕は
返す言葉もなく、その場に呆然と立ちつくした。
 ふざけんな、もう1回言ってみろ!
 瞬が元気だったら、僕はそう言い返したかもしれない。でも、今は違う。
 気持ちを落ち着かせるように深呼吸をひとつする。
「ごめん……じゃあまた……」
 声が少し震えた。下唇を噛みしめて踵を返し、ドアを開けて廊下に出る。僕はそ
のまま隣の自分の部屋に移り、ベッドの上に身体を投げ出した。
 自然に、深いため息が出てしまう。脱力感と疲労感が同時に襲ってきたかと思う
と、胸のあたりが圧迫されるように重くなった。
 マジでうざい。
 忌まわしい台詞が耳の奥で蘇る。
 瞬にあんなことを言われたのは初めてだった。
 あれは病気が言わせた台詞なんだ。具合が悪くてしゃべりたくなかったのに、話
しかけた僕が……悪い。
 いくら自己説得してみても、心に受けた衝撃は痛みとなって波紋のように広がっ
ていく。僕は胸に片手を当てて、顔をしかめた。
 だけど、ああいう言い方をしなくたっていいじゃないか!
 僕は膝の上に吐かれても怒らなかった。うんざりするような後始末だって、全部
ひとりでやった。感謝されたくて行動したんじゃない。
 昨日瞬が言いかけた言葉の続きを、もはや知りたいとは思わなかった。その正体
を聞き出したところで、何になるというのか。
 僕はベッドから跳ね起きて、部屋を飛び出した。乱暴に閉じたドアが、2階中に
響き渡るような凄まじい音を立てる。
 階段を駆け下り、1階の電話台に向かう。受話器を取ってLマートの番号をダイ
ヤルすると、偶然にもマネージャーが出た。
「じゃあ、今すぐ出てきて」
 契約日ではないけれど、仕事に行きたいという申し出は簡単に許可された。特別
に時給もつけてくれるという。僕は伯母にその旨を早口で伝え、彼女の返事を待た
ずに玄関へと走った。
 自転車にまたがり、いつもの倍のスピードで坂道を下っていく。
 何かしていないと、気が変になりそうだった。

「ひどいこと言って、ごめんなさい」
 あれから数日後、身体の健康を取り戻した瞬は、そう言って僕に頭を下げた。ど
うしてそんな言葉が出たのか知りたい気持ちはあったけれど、本人は反省して謝っ
ているのだから、僕はあえて何も訊かず、従弟を笑って許した。
 しかし――この出来事を機に、僕に対する瞬の態度は大きく変わった。
 まず、口数が極端に少なくなった。以前のように甘ったれて抱きついてきたり、
キスをせがんだりすることもない。最初は、僕の受験勉強のために遠慮していると
思ったのだが――ろくに目を合わせようともせず、こちらから話しかけてもおざな
りな返事をしてくるようになって、ようやく僕自身も瞬の中で何かが決定的に変わ
ったのだと認めざるを得なくなった。
 日曜日になると、朝からさっさと出かけてしまい、帰宅するのは夜になってから。
あれほど僕にまとわりついていたことが、まるで嘘のようだ。楽しそうな長電話が
多くなって、疎外感すら覚えた。
 どうしてそういう態度を取るのか?
 僕を避ける瞬をつかまえて、その真意を問いただしたいと何度思ったことだろう。
 でも、僕は何も訊けなかった。瞬の口から紡ぎ出される言葉がどんなものである
か、これまでの行動を見ていれば何となく想像がつく。そしてそれは、僕が最も恐
れている台詞なのだ。
 僕が20歳になるまで、あと2年半はある。年下の瞬にとって、待つには長すぎ
る年月なのかもしれない。
 ならばどうして、あのとき「3年経ったら迎えに来い」なんて、僕を喜ばせるよ
うな台詞を吐いたのか。今になって生殺しにされるくらいなら、最初からバッサリ
と切り捨てられたほうが遙かにましだった。
 瞬は僕から自立しようとしている。だから、そっとしておこう。
 悩んだ末、ようやく導き出した結論だった。こちらも受験が控えているのだから、
瞬との関係にこだわってばかりはいられない。
 バイトを週1日にして、他の日は図書館で参考書を読み問題集に取り組む。僕は
心を固く閉ざして、瞬と過ごした忘れがたい日々を、大学受験という新しい絵の具
で塗りつぶす努力を始めた。
 ふられたという事実(本当はまだ認めたくない)から目を逸らすには、それより
他に方法がなかったからだ。
 苦しくて辛い日々が果てしなく続くように思われた、7月の初め。
 思わぬことが起きた。
 瞬が学校で嘔吐を繰り返して倒れ、救急車で搬送された先の病院に、そのまま入
院してしまったのだ。

                    to be continued




#321/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/07/21  02:11  (  1)
そりゃないぜ!の恋17   寺嶋公香
★内容                                         21/01/19 21:57 修正 第3版
※都合により一時非公開風状態にします。




#322/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/08/01  17:34  (325)
◎2004年7月度 CO2削減実績報告 〜その@〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:07 修正 第2版

 深刻さを増す地球温暖化問題に対して1地球人である私としても何とかしたい
と数年前からCO2 削減に取り組んで来ました。更に1999年からは1997
年12月の『地球温暖化防止京都会議』で定められた国別の削減目標の内、日本
の削減目標である2008年−2012年までに1990年レベルより6%削減
する」という数値目標に習って、我が家の削減目標を設定し、粘り強く削減努力
を続けてきました。その結果、1999年には6.97%、2000年には26
.22%、2001年には39.94%、2002年には45.70%、そして
2003年には53.04%まで削減することができました。これにより太陽光
発電等自然エネルギーを使わない方法ではほぼ限界まで削減することができまし
た。普通の方法ではもうこれ以上の削減はできないので、今後はこのレベルを維
持することを第一に行なって行きたいと思います。ただ、子供が独立し家族の人
数が減ったので、単純に1990年レベルからの削減率では語れなくなりました。
2001年までの削減は純粋に削減努力によるものでしたが、2002年以降は
削減努力によるものの他、人数減による削減も含まれています。(今年2004
年からは完全に人数が2人になります)家庭のエネルギー消費にはベースがある
ので、人数分がそのまま減るわけではありませんが、そういうことも考えながら
今後とも削減努力を続けて行きたいと思います。
 今年2004年の我が家のCO2削減実績を1カ月ごとに途中経過を報告して
行きます。以下に計算結果を順を追って示します。


1.2004年のCO2削減目標

  年        電気    ガス    水道      CO2
           KWh    m3      m3       Kg       基
1990 排出実績 5468  611    242   1085.9 ←準
                                                                    年
2000 削減実績 3845  476   220   801.2
       率%−29.7 −22.1  −9.1 −26.22%

2001 削減実績 3622  290   200   652.2
     削減率%−33.8 −52.5 −17.4 −39.94%

2002 削減実績 3341  249   183   589.6
     削減率%−38.9 −59.2 −24.4 −45.70%
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2003 削減実績 2984  200   149   509.9
     削減率%−45.4 −67.3 −38.4 −53.04%

2004 削減目標 2984  200   149   509.9
     削減率%−45.4 −67.3 −38.4 −53.04%
                           ^^^^^^^^^^^^^^
2.削減目標の詳細

 (1) 電気=2984x0.12= 358.08Kg
  (2) ガス= 200x0.64= 128.00Kg
  (3) 水道= 149x0.16=  23.84Kg
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   2004年のCO2 排出目標 509.92Kg(炭素換算)
             (削減率 53.04%)

3.今月までの実績

 (1) 電気・・・・・・削減目標 −45.4%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990  572    467    381    367    437    359    547    774    523    375    3
11    355   5468
 (CO2)  68.64  56.04  46.08  44.04  52.44  43.08  65.64  92.88  62.76  45.00  
37.32  42.60 656.16
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998  515    441    360    448    446    374    607    644    575    421    4
60    366   5647
 (CO2)  61.80  52.92  43.20  53.76  53.52  44.88  72.84  77.28  69.00  50.52  
55.20  43.92 677.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999  448    383    396    380    390    514    548    622    665    342    3
02    280   5270
 (CO2)  53.76  45.96  47.52  45.60  46.80  61.68  65.76  74.64  79.80  41.04  
36.24  33.60 632.40
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000  359    307    305    287    345    315    373    389    350    276    2
95    244   3845
  (CO2)  43.08  36.84  36.60  34.44  41.40  37.80  44.76  46.68  42.00  33.12  
35.40  29.28 461.40
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001  310    271    282    255    296    293    355    369    309    297    3
04    281   3622
  (CO2)  37.20  32.52  33.84  30.60  35.52  35.16  42.60  44.28  37.08  35.64  
36.48  33.72 434.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002  306    263    265    233    274    266    314    351    307    256    2
76    230   3341
  (CO2)  36.72  31.56  31.80  27.96  32.88  31.92  37.68  42.12  36.84  30.72  
33.12  27.60 400.92
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003  251    251    234    257    265    231    268    277    281    221    2
22    226   2984
  (CO2)  30.12  30.12  28.08  30.84  31.80  27.72  32.16  33.24  33.72  26.52  
26.64  27.12 358.08
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標  251    251    234    257    265    231    268    277    281    221    2
22    226   2984
  (CO2)  30.12  30.12  28.08  30.84  31.80  27.72  32.16  33.24  33.72  26.52  
26.64  27.12 358.08
    累  251    502    736    993   1258   1489   1757   2034   2315   2536   27
58   2984   2984
  (CO2)  30.12  60.24  88.32 119.16 150.96 178.68 210.84 244.08 277.80 304.32 3
30.96 358.08 358.08
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績  284    236    220    250    246    226    277                          
            1739
  (CO2)  34.08  28.32  26.40  30.00  29.52  27.12  33.24                       
             208.68
    累  284    520    740    990   1236   1462   1739                          
            1739
  (CO2)  34.08  62.40  88.80 118.80 148.32 175.44 208.68                       
             208.68
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
  達成率 88.4   96.5   99.5  100.3  101.8  101.8  101.0%                       
             101.0%


  (2) ガス・・・・・・削減目標 −67.3%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
------------------
 1990   94     79     71     52     48     38     32     28     30     37     
44     58    611
  (CO2)  60.16  50.56  45.44  33.28  30.72  24.32  20.48  17.92  19.20  23.68  
28.16  37.12 391.04
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998  159    111     94     57     50     43     32     31     36     45     
45     54    757
  (CO2) 101.76  71.04  60.16  36.48  32.00  27.52  20.48  19.84  23.04  28.80  
28.80  34.56 484.48
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999   89     70     59     41     43     26     32     27     30     33     
36     46    532
  (CO2)  56.96  44.80  37.76  26.24  27.52  16.64  20.48  17.28  19.20  21.12  
23.04  29.44 340.48
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000   72     57     52     43     37     33     27     19     24     35     
40     37    476
  (CO2)  46.08  36.48  33.28  27.52  23.68  21.12  17.28  12.16  15.36  22.40  
25.60  23.68 304.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001   48     27     29     21     24     20     15     13     16     24     
26     27    290
  (CO2)  30.72  17.28  18.56  13.44  15.36  12.80   9.60   8.32  10.24  15.36  
16.64  17.28 185.60
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002   36     25     24     20     19     15     20     11     13     19     
25     22    249 
  (CO2)  23.04  16.00  15.36  12.80  12.16   9.60  12.80   7.04   8.32  12.16  
16.00  14.08 159.36
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003   34     22     22     16     17     11     12     13     14     12     
13     14    200
  (CO2)  21.76  14.08  14.08  10.24  10.88   7.04   7.68   8.32   8.96   7.68  
 8.32   8.96 128.00
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標   34     22     22     16     17     11     12     13     14     12     
13     14    200
  (CO2)  21.76  14.08  14.08  10.24  10.88   7.04   7.68   8.32   8.96   7.68  
 8.32   8.96 128.00
    累   34     56     78     94    111    122    134    147    161    173    1
86    200    200
  (CO2)  21.76  35.84  49.92  60.16  71.04  78.08  85.76  94.08 103.04 110.72 1
19.04 128.00 128.00
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績   16     12     13     11     11     12     10                          
              85
  (CO2)  10.24   7.68   8.32   7.04   7.04   7.68   6.40                       
              54.40
    累   16     28     41     52     63     75     85                          
              85
  (CO2)  10.24  17.92  26.24  33.28  40.32  48.00  54.40                       
              54.40
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 達成率212.5  200.0  190.2  180.8  176.2  162.7  157.6%                       
             157.6%


  (3) 水道・・・・・・削減目標 −38.4%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
------------------
 1990    -     30      -     42      -     40      -     46      -     39     
 -     45    242
  (CO2)   -      4.80   -      6.72   -      6.40   -      7.36   -      6.24  
 -      7.20  38.72
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998    -     50      -     47      -     51      -     49      -     44     
 -     45    286
  (CO2)   -      8.00   -      7.52   -      8.16   -      7.84   -      7.04  
 -      7.20  45.76
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999    -     38      -     34      -     43      -     40      -     42     
 -     36    233
  (CO2)   -      6.08   -      5.44   -      6.88   -      6.40   -      6.72  
 -      5.76  37.28
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000    -     36      -     32      -     38      -     41      -     38     
 -     35    220
  (CO2)   -      5.76   -      5.12   -      6.08   -      6.56   -      6.08  
 -      5.60  35.20
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001    -     30      -     28      -     37      -     38      -     34     
 -     33    200
  (CO2)   -      4.80   -      4.48   -      5.92   -      6.08   -      5.44  
 -      5.28  32.00
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002    -     31      -     30      -     31      -     33      -     29     
 -     29    183
  (CO2)   -      4.96   -      4.80   -      4.96   -      5.28   -      4.64  
 -      4.64  29,28
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003    -     28      -     26      -     26      -     24      -     23     
 -     22    149
  (CO2)   -      4.48   -      4.16   -      4.16   -      3.84   -      3.68  
 -      3.52  23.84
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標    -     28      -     26      -     26      -     24      -     23     
 -     22    149
  (CO2)   -      4.48   -      4.16   -      4.16   -      3.84   -      3.68  
 -      3.52  23.84
    累    -     28      -     54      -     80      -    104    104    127    1
27    149    149
  (CO2)   -      4.48   -      8.64   -     12.80   -     16.64  16.64  20.32  
20.32  23.84  23.84
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績    -     19      -     17      -     19      -             -            
 -            55
  (CO2)   -      3.04   -      2.72   -      3.04   -             -            
 -             8.80
    累    -     19      -     36      -     55      -             -            
 -            55
  (CO2)   -      3.04   -      5.76   -      8.80   -             -            
 -             8.80
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 達成率  -    147.4    -    150.0    -    145.5%   -             -            
 -           145.5%


  (4) CO2 ・・・・・削減目標 −53.04%

 --------------------------- 月別排出目標と実績(Kg)-----------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990   68.64  56.04  46.08  44.04  52.44  43.08  65.64  92.88  62.76  45.00  
37.32  42.60 656.16
 1998   61.80  52.92  43.20  53.76  53.52  44.88  72.84  77.28  69.00  50.52  
55.20  43.92 677.64
 1999   53.76  45.96  47.52  45.60  46.80  61.68  65.76  74.64  79.80  41.04  
36.24  33.60 632.40
  2000   43.08  36.84  36.60  34.44  41.40  37.80  44.76  46.68  42.00  33.12  
35.40  29.28 461.40
 2001   67.92  54.60  52.40  48.52  50.88  53.88  52.20  58.68  47.32  56.44  
53.12  56.28 652.24
 2002   59.76  52.52  47.16  45.56  45.04  46.48  50.48  54.44  45.16  47.52  
49.12  46.32 589.56
  2003   51.88  48.68  42.16  45.24  42.68  38.92  39.84  45.4   42.68  37.88  
34.96  39.60 509.92
  目標   51.88  48.68  42.16  45.24  42.68  38.92  39.84  45.4   42.68  37.88  
34.96  39.60 509.92
    累   51.88 100.56 142.72 187.96 230.64 269.56 309.40 354.80 397.48 435.36 4
70.32 509.92 509.92
  実績   44.32  39.04  34.72  39.76  36.56  37.84  39.64                       
             232.24
    累   44.32  83.36 118.08 157.84 194.40 232.24 271.88                       
             232.24
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
  達成率117.1  120.6  120.9  119.1  118.6  116.1  113.8%                       
             113.8%
                                                                               
             ^^^^^^

注1)3の(3)項、水道に奇数月の実績が入っていないのは、私の住む自治体の
   道料が検針も集金も1カ月置きだからです。計算の便宜上奇数月の使用
   量は0とします。

そのAへ続く
                                 ヨウジ
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#323/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/08/01  17:36  (150)
◎2004年7月度 CO2削減実績報告 〜そのA〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:08 修正 第2版

4.考察

   梅雨入り後も余り梅雨らしい陽気はなく、平年より早く梅雨明けしました。
  関東でも7月13日には近畿・甲信地方と共に梅雨明けしてしまいました。
  以後、連日猛暑が続き、7月20日には千葉県市原市で40.2度、甲府市
  で39.9度、東京でも39.5度の観測史上の最高気温を記録しました。
  これと共に集中豪雨による洪水や竜巻による被害が出た地方もありました。
  これらの異常気象は日本だけでなく、アジア全体で起こっているようです。
  逆に昨年猛暑だったヨーロッパは今年は冷夏でドイツでは雪が降ったとか。
  異常気象の原因は気象学的には高気圧の勢力が例年になく強く居座っていて、
  それに伴いジェット気流が蛇行しているからだとか言われていますが、根本
  的原因については専門家程ハッキリ言いません。根本的原因が地球温暖化に
  あることは分かり切っていることなのですが・・・?。
   梅雨明けし、いよいよ暑くなったので7月15日にはベランダの屋根部に
  UVシートを張りました。屋根の下側なので天井に張ったと言った方が分か
  り易いかも知れませんが。7月20日の猛暑の時には余り暑くて参ったとい
  うことはなかったのですが、2日後の22日になり「これは暑い」と感じ、
  前回予告したようにベランダ側面にもう1枚遮光ネットを追加し二重にしま
  した。
   ところが7月24日になり予定外のことが起こりました。買って4年目に
  なる冷風扇が故障してしまったのです。数日前から明け方になると突然運転
  が止まり、以後はスイッチを入れても回らなくなりました。何時間かすると
  スイッチONでまた回るようになるのですが、この日はいつまで待っても回
  るようになりませんでした。猛暑の中、冷風扇なしでは夜暑くてとても眠れ
  ないので、生命維持装置でも買いに行く気持ちで、急遽、自転車を走らせ隣
  の埼玉県にあるディスカウントショップまで買いに行きました。
   去年はマイナスイオン発生器付きというのがありましたが、今年は更に抗
  菌フィルターとかUVランプで水を殺菌できるものまで出ていました。そう
  いう機能もあれば尚良いですが、それより冷やすという基本機能が肝心です。
  そこで購入候補を3機種に絞り比較しました。方式的には「フィルター回転
  方式」と「ポンプ汲み上げ方式」とがあり、これまで使っていたものが後者
  で良く冷えるのでできればこの方式のものにしたいと思いましたが、どうも
  その店の3機種はどれも「フィルター回転方式」のようでしたから、方式は
  関係なくなりました。2機種は前述した最新型の抗菌フィルターやUVラン
  プが付いているものでしたが、風に勢いがありませんでした。残る1機種は
  旧型ですが、風量が十分にありました。冷風扇はエアコン(クーラー)とは
  違い部屋全体を冷やす機械ではありません。あくまでも冷風【扇】ですから
  至近距離から体に直接風を当てて冷やすものです。十分に強い風が出なけれ
  ば涼しくなりません。それでその旧型の冷風扇に決めました。最新型の2機
  種が7千円台のところ、買ったものは中国製で特別に安く5480円(税込
  み)でした。柄は大きいですが、軽いので自転車の後ろの荷台に積んで持ち
  帰りました。
   帰って早速試運転しました。ところがまったく冷えません。背面のエアフ
  ィルターを外して中を覗き込んだら、給水フィルターと呼ばれる回転フィル
  ターは外側が黒いネットで覆われ、内側はフェルトのような白い材料ででき
  ていました。フィルターに手で触って見たら余り湿っていませんでした。そ
  れに目が詰んでいて空気の通りが悪そうでした。フィルターに原因があるの
  ではないかと思いました。全面の吹出口の温度を測ったら室温より0.5度
  しか冷えていませんでした。これでは扇風機と同じです。冷風扇の価値があ
  りません。だから安かったのかと半分後悔しました。しかし、風量は十分だ
  し、音も静かだし、リモコンを含む電子制御は以前の機種に比べ格段に進歩
  していて申し分ありません。どうにかこれを生かしたいと思いました。
   そこで回転フィルターを自作することにしました。十分に水を含みもっと
  空気の通りの良いフィルターを作れば良いのです。以前の「ポンプ汲み上げ
  方式」の冷風扇のフィルターが参考になりました。白いレースのカーテンを
  何枚か重ねたようなフィルターです。翌日、近くのDIYショップに行き探
  したところ、洗濯用ネットが丈夫で目の粗さがちょうど良いと分かりました。
  中でも毛布洗濯用のネットがサイズが大きく作り易いと分かりました。これ
  と合わせてガーゼも購入しました。ネットにガーゼを挟んだ方が水を良く含
  み冷やす効果が上がるのではないかと考えたからでした。手縫いで手間は掛
  かりましたが、元々付いていたフィルターと同一寸法のちょうど腹巻きのよ
  うな形のフィルターが出来上がりました。
   夕方になっていましたが試運転開始。風を受けた瞬間に分かりました。冷
  却力が格段に高まりました。温度計を前面吹出口に当てると赤い線が見る見
  る下がって行きました。室温が32度のところ28.5度まで下がったでは
  ないですか。3.5度も下がったのです。これは以前の冷風扇と同等の冷却
  能力でした。
   かくして少し手間が掛かりましたが、以前と同様に良く冷え、かつ静かで
  操作性が格段に向上した冷風扇を格安の値段で手に入れたというわけです。
   それでは今月の実績を見て行きます。電気は目標268KWhのところ実
  績277KWhと目標をややオーバーしました。今年は猛暑になりましたが、
  昨夏は不順ではっきりした梅雨明けがありませんでした。その昨年7月の実
  績を今年の目標にしたからです。気温が高くなれば扇風機や換気扇や冷風扇
  の使用時間が長くなったり、風量をより強くして使用するので消費電力が増
  加するからです。また、冷蔵庫も気温が高くなれば自動的に消費電力が増加
  するからです。本当はもう少し差が大きくなるはずですが、検針日の関係で
  使用日数が昨年が33日間であったのに対して、今年は31日間と2日少な
  かったので僅かな差となりました。
   ガスは目標12m3のところ実績10m3と余裕を持って目標をクリアーす
  ることができました。電気と同様、今年は猛暑なので気温や水温が去年より
  高いので、お風呂が短時間で沸いたからです。(ガスコンロで使うガスもこ
  れと同様です)それからお風呂の湯温設定を7月1日からそれまで42度に
  していたのを40度に下げたことも効いていると考えられます。更に使用日
  数が昨年が31日間であったのに対して、今年は30日間と1日少ないので、
  何もしなくても0.3m3〜0.4m3位は使用量が減る勘定になります。こ
  れらの総和が使用量が2m3減少した原因だと考えられます。
   猛暑でもありますし、入浴はほぼ毎日となりました。風呂水の再利用回数
  (初回も含む利用回数)は3〜6回で平均4回でした。例により入浴直後に
  風呂水清浄剤を入れ、雑菌の繁殖を抑え、ぬめりや臭いが出るのを防ぎまし
  た。我が家で使っている風呂水清浄剤は花王の「ふろ水ワンダー」です。
  1錠12円位です。風呂桶1杯の水の水道料金が70〜90円位ですから、
  環境だけでなく家計にとってもプラスになります。
   この結果、今月のCO2 排出量は目標39.84Kgのところ実績39.
  64Kgで目標をクリアーすることができました。年初からの累計でも目標
  309.40Kgのところ実績271.88Kgとなり、達成率113.8
  %で目標をクリアーすることができました。
   夏期の夜間のエアコン使用も止めたのが2000年からで、これにより大
  電力を喰うエアコン使用を全廃し、その代わり冷風扇を使うようにし、夏期
  の電力使用量を大幅に削減しました。冷房シーズンである6月から9月まで
  の4カ月間で実に682KWhもの大幅な節電となりました。これは普段月
  の約2カ月分の電力使用量に相当します。これによりCO2 を約82Kgも
  削減しました。これが毎年累積されて行くので大変な削減となります。私た
  ちの生活には膨大な贅沢や無駄があるので、意志さえあれば思いの外莫大な
  CO2 が削減できるものです。
   ところが現実はこれとは逆で、エアコンの普及率は益々増加し、1人1部
  屋にエアコンを使うのが当たり前になりました。このようなライフスタイル
  が先進国だけでなく途上国にまで広がりつつあります。そしてエアコンの使
  用人口が増加するとCO2 の排出量も増加し、更に温暖化が進むので、また
  更にエアコン使用人口が増加し温暖化が進むという悪循環に陥ります。これ
  はエアコンに限ったことではなく、私たちの生活全般について言えることで
  す。経済成長しより豊かな物質文明を享受することは同時に私たちの最も重
  要な生存基盤である地球環境の破壊を加速させることに繋がっています。
   このままではの間違いなく近い将来に破局的終末がやって来ます。人間は
  おろかほとんどの動植物が生きて行けなくなる時代が来ます。森林は枯れ、
  そこに住む動物は居場所を奪われ死滅し、水脈は枯れ動植物は渇き死に絶え、
  農作物は様々な原因で育たなくなり、家畜も飼えなくなり、飢餓で膨大な人
  が死に、サンゴ礁は白化し死滅しそこに住んでいた魚貝類も死に絶え、食物
  連鎖の頂点にいる人間の食物もなくなり飢え死にする。疫病が蔓延し億人単
  位の死者が出る。そして南極と北極の氷が解け海水面が上昇し陸地が水没し
  て移住地域が奪われ、更に異常気象で巨大台風や巨大竜巻が発生し建造物が
  ことごとく破壊され、巨大な高波や大洪水で都市が消失し、政府の手に負え
  ない程の損害を被る。地球規模での文明の破局的終末がやって来ます。これ
  はSFではなく、迫り来る現実です。
   私たちが排出したCO2 は大気中に溜り二度とは回収できず、地球環境と
  そこで暮らす私たち自身に害悪を及ぼし続けます。省エネをすれば確実に害
  悪は減ります。
   今日からあなたのできることすぐに始めてください。みんなの努力で私た
  ちのかけがえのない◎地球環境を守りましょう!!!

                                ヨウジ

P.S.CO2 の計算には下記のフリーソフトウェアを使ってください。

NIFTY
FGALAP/4/8 (https://iw.nifty.com/iw/nifty/fgalap/lib/8/index.html)
1111  BXC02020 01/01/02 136625 CO2_122 .LZH 地球温暖化対策CO2 V1.22

VECTOR
http://www.vector.co.jp/pack/dos/edu/science/co2_122.lzh  01/01/02 136625
    地球温暖化対策プログラム(光熱費等の使用量からCO2排出量を計算
説明ページ: http://www.vector.co.jp/soft/dos/edu/se035828.html

私のホームページからもダウンロードできます。(下記URL)
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#324/1158 ●連載
★タイトル (pot     )  04/08/03  00:40  (240)
alive(15)      佐藤水美
★内容
          15

 僕は伯父からの電話で、瞬の入院を知った。伯父は学校と伯母からの連絡を受け
て、職場から病院に直行したらしい。
 話を聞き終えて受話器を置いた途端、僕はその場にへなへなと座り込んだ。
 薬で嘔吐を止めている、精密検査が必要……。
 伯父の台詞が、パズルのキーワードみたいに頭の中を回っている。心配しすぎな
いようにと言われたけれど、それは無理な話だった。
 5月の中旬に体調を崩したとき、何か重大な見落としがあったのではないか。仲
がギクシャクしているとはいえ、僕は伯父夫婦よりも瞬の近くにいる。異変が起き
ていたとしたら、真っ先に気づかねばならないのに、自分が傷つくことだけを怖れ、
内にこもって足元ばかり見つめていた。
 瞬と話をするべきだったんだ。
 何を言われたとしても、怖れずに……。
 僕は後ろの壁にもたれかかり、後悔のため息を吐いた。たとえわずかな時間でも、
お互いに顔を合わせて話をすることさえできていれば、違う結果が出たと思う。倒
れる前に、病院へ連れて行くのも可能だったのではないだろうか。
 大丈夫かな、瞬……。
 病に苦しむ従弟の姿を思い浮かべるだけで、胸の奥が痛くなる。
 うざい、キモイ、何とでも言え。それで君の気が済むのなら。
 僕は膝を胸元に引き寄せて、両腕でしっかりと抱え込んだ。膝頭に顔を埋めた途
端、目の奥が熱くなった。
 If I were a bird,I could fly to you.
 こんなときに英文法の例文を思い出すなんて、我ながらどうかしている。
 だけど、今の気持ちにぴったりじゃないか。
 もし僕が鳥ならば、君の元に飛んで行けるのに。
 そして、この手で抱きしめてキスしたい……。

 倒れてから3週間、夏休みを迎えても、瞬の容態はいっこうに回復しなかった。
相変わらず嘔吐が続き、食事もろくにできない。点滴しながら寝込んでいるのだと
伯父から聞かされたとき、僕は瞬が可哀想で思わず涙ぐんでしまった。
 入院中、当然のことながら瞬は数多くの検査を受けた。胃、膵臓だけではなく肝
臓や脳まで調べたのだが、明らかな異常は発見されず、原因はわからなかった。
 見舞いに行きたい。ほんの数分でいいから顔を見たい。でも、僕のささやかな願
いは全て拒絶された。瞬本人が僕との面会を拒んでいるのだという。
「瞬と何かあったんでしょ?」
「本当は心当たりがあるんじゃないの?」
 看病疲れからくる苛立ちのせいか、伯母は僕と顔を合わせるたびに、半ば詰問口
調で訊いてくるようになった。瞬の病気の原因は僕にあると、頭からきめつけてい
るのだから始末に負えない。伯父が側にいれば、間に入って伯母をなだめてくれる
のだが、ふたりきりのときは、嵐が過ぎ去るまでひたすら耐えるしかなかった。

 8月になると、瞬は自宅に戻ることなく地元の病院に移った。
 一時帰宅すらできないのは、容態がよほど悪いに違いない。それに社会人となっ
た冴子が、「伯母の手伝い」という名目で家に戻ってきたことも、僕の不安に拍車
をかけた。
 恋の終わりを告げられたというのに、寝ても覚めても瞬のことが頭から離れない。
 今頃どうしているのかと思うと、居ても立ってもいられなくなる。
 面会させてもらえないなら、せめて病室内の様子ぐらいは知りたい。諦めの悪い
僕は、すがるような思いで幾度となく訊いてみたけれど、伯父夫婦も冴子も皆そろ
って口が重く、納得できるような答えは返ってこなかった。前の病院にいたときは、
こんなじゃなかったのに……。
 不安が不安を呼び、僕は受験勉強が手につかなくなった。夜はあまりよく眠れず、
体重は例年以上に減った。試しに受けた学力テストも散々な結果に終わって、すっ
かり凹んでいたある日――。
「幹彦くん、ちょっといいかしら?」
 そう言って僕の部屋に現れたのは、冴子だった。病院からひとりで戻ってきたら
しい。
「勉強ばかりだとストレス溜まるわよね。気分転換にドライブしない?」
 スカートの裾をひらひらさせて僕に近づいてくる。甘いコロンの匂いを嗅いでも、
彼女の真意はつかめなかった。
「でも……留守番しないと……」
 逡巡する僕に向けて、冴子が言い放った台詞を今でも覚えている。
「瞬に会わせてあげる。あなたたち、特別な仲なんでしょ?」

 僕は冴子に引きずられるようにして家を出た。
 特別な仲という言葉が、頭の中をぐるぐると回っている。
「さあ、早く乗って」
 冴子は車のドアを開けると、助手席に僕を押し込んだ。直射日光が当たっていた
せいで、車内は焼けつくように暑い。
「うわあ、何これ。エアコンつけなきゃ駄目ね」
 運転席に座ってシートベルトを素早く締める。エンジンをかけるとすぐ、エアコ
ンのスイッチを入れた。吹き出し口からの風は、まだ生温い。
「瞬は今、精神科病棟にいるの」
 冴子は前を向いたまま言い、ハンドルを握ってアクセルを踏んだ。車体がゆっく
りと動き始める。
「……精神科って……その……」
 声が震えてしまう。病院に着いたらきっと、僕は許されざる行為を糾弾されるに
違いない。瞬の病の原因はそれだと、誰もが思うだろう。
 血の気がすうっと引いていくような感じがする。嫌な動悸が始まって、僕は胸に
手を当てた。坂道を下る車体が空っぽの胃袋を揺さぶるせいで、気分が悪い。
「びっくりするのも当然よね。私も初めて聞かされたとき、何も言えなかったから」
 冴子はハンドルを右に切ると、狭い路地に入った。スピードを落として徐行する。
「瞬の病気は、心因性の嘔吐症なんですって」
 聞いたことのない病名だった。心因性とつくのだから、ストレスか何かが原因に
なっているのだろうか。
「身体の状態が今より良くなったら、薬とカウンセリングで治していくっていう話
だったけど……」
 冴子は言葉を切ると、ふいにため息を吐いた。
「かなり……悪い、とか?」
「うーん、良くなったり悪くなったりっていう感じかなあ。おかゆが少し食べられ
る日があったかと思うと、次の日は水を飲んでも吐いちゃったりするのよ。そんな
状態だから、あの子すごく痩せちゃって」
 瞬の辛さを思うと、心臓のあたりが痛くなった。
 いったい、何がその引き金になったのだろう。
 伯母の言うように、僕が原因を作り出してしまったのだろうか。
「お母さんがいろいろ言ったみたいだけど……ごめんね、幹彦くんが悪いわけじゃ
ないのに。疲れてて、ちょっと混乱してただけだと思うの」
「僕は、気にしてないから……」
「私がもっと早く戻ってこれたらよかったんだけど。就職しちゃうと、時間が自由
にならないのよね。学生時代が懐かしいわ」
 幹線道路に出ると、そこはひどい渋滞だった。冴子が車と車の間に割り込んだも
のの、車列は動く気配すらない。僕は、今日が日曜だったことを急に思い出した。
夏休みに入っているため、曜日の感覚が薄れていたのだ。
「相変わらず混んでるわね。何とかならないのかしら」
 ハンドルを軽く叩きながら、苛立たしげに言う。
 瞬には会いたい。でも病院で伯父夫婦と顔を合わせたら、僕は……。
 彼らに理解してもらえるとは思っていない。我が子が同性愛者だと知って、衝撃
を受けない親はほとんどいないはずだ。それに僕自身、恭一が父さんへの想いをか
いま見せたとき、自分を見失うほど激しく拒んでしまった。伯父夫婦も、あのとき
の僕と同じ反応をするに違いない。
 覚悟しなきゃいけないのか。
 僕は下唇を強く噛んだ。まるで死刑台に向かう囚人みたいな気分だ。
「心配しないで。お父さんとお母さん、全然気づいてないから。それから恭一も」
「……えっ?」
「脅かすつもりじゃなかったのよ。でも、ああまで言わないと、幹彦くんは立ち上
がってくれそうになかったから」
 僕のほうを見て、いたずらっぽく笑う。
「瞬はね、口じゃあれこれ言ってるけど、実は幹彦くんに会いたくて仕方ないの。
あら、信じられないって顔つきしてるわね。悪いけど本当よ。あっ、動いた」
 冴子が急いでハンドルを握る。だが車列が動いたのはほんの数メートルで、また
すぐに止まってしまった。
「うたた寝しながら何度も幹彦くんの名前呼ぶから、ほんとは会いたいんじゃない
のって瞬に訊いたのよ。そしたら、あの子泣き出しちゃって……。お母さんは余計
なこと言ったからだって怒ってたけど、私は違うと思ってる」
 瞬の泣き顔が目に浮かぶ。抱きしめてやりたいけど、拒絶されるのも怖い。
 それにしても、冴子はいつ瞬と僕の関係に気づいたのだろう。端から見ても、そ
れとわかるような雰囲気が僕たちの間にあるとすれば、安心などできそうにない。
「冴子さん、ひとつ訊いてもいいかな?」
「いいわよ」
「僕たちのこと……何でわかったの?」
「笑ったからよ」
 車列が再び動き始める。冴子は緩くアクセルを踏んで車体を動かした。
「寝言で幹彦くんを呼んだときにね、瞬が笑ったの。ちょっとの間だったけど、す
ごく幸せそうな顔してた」
 僕は何も言えず、ただ黙ってうつむいた。
「幹彦くんが家に来てから、瞬は明るくなったわ。寂しそうな表情も、おどおどし
たところもなくなった。でも、あのときの顔は……何て言ったらいいかしら、とに
かく誰にでも見せる表情じゃないって思ったの」
 まだ僕のことを想っていてくれるのなら、何故瞬は……。
 いったい何がいけなかったのだろう。瞬と僕の歯車はどこで狂ったのだろう。
 車が静かに止まる。
「気持ち悪いとか、思わなかった?」
 僕は顔を上げ、自嘲めいた笑いを冴子に向けた。
「どうして?」
「どうしてって……やっぱり男同士だし……、嫌ってる人もいるから」
「誰かを好きになるって素晴らしいことよ。男同士だからとか、そんなの関係ない
と思う。言いたい奴には言わせておけばいいじゃない」
 冴子が半ば怒ったように言う。僕は予想外の反応にとまどい、言葉を失った。彼
女は僕たちの関係を肯定してくれたのだろうけれど、何故かそれを素直に喜ぶ気持
ちにはなれなかった。
「幹彦くん、瞬を助けて欲しいの。このままじゃあの子、トンネルの中から抜け出
せないわ」
 冴子はすがるように言い、またアクセルを踏んだ。ゆっくりとではあるが、車列
が動き始める。
 おそらく冴子は、僕に昔のようなマジックを使って欲しいのだ。でも僕たちの関
係は、あの頃とは決定的に違ってしまった。
「あなたしかいないのよ、瞬の心の中に入れるのは」
 車の流れが次第によくなっていく。冴子はアクセルをさらに踏み込んだ。
 瞬の心の中。つい最近まで、完璧に理解していると自負していたが、今は濃い霧
に包まれて、何が何だかわからなくなっている。
 瞬の悩みや苦しみを軽くするためなら、何でもしてやりたい。この気持ちに偽り
はないけれど、瞬は僕を受け入れてくれるだろうか。
 車は幹線道路に沿って直進を続け、交差点を左折した。緩やかだけれど、曲がり
くねった坂道を上っていく。
「ねえ、幹彦くん……」
「話してみるよ」
 僕はフロントガラスに目を向けた。アスファルトの道も左右に建つ家々も、強い
日差しにあぶられている。
「僕だって、瞬が今何を思っているか……知りたいんだ」
「どういうこと? 瞬と喧嘩したとか?」
 冴子が釈然としない様子で疑問を口にする。僕なら、瞬の全てを把握していると
考えていたのだろう。
「違うよ、喧嘩じゃない」
 僕は首を横に振り、小さくため息を吐いた。
「気がついたら……こうなってたんだ」

 瞬の病院は、坂道を上りきった場所にあった。塗装を終えたばかりのような白い
外壁が、日光を反射して輝いて見える。僕は冴子の後に続いてその内部に入った。
 受付と外来は日曜らしくシャッターが下りているが、待合用に並べられたソファ
ーには、患者や見舞客とおぼしき人たちが何組も腰掛けていた。談話室にでもいる
ように、皆おしゃべりに夢中で、ちょっと効きすぎの冷房も気にならないらしい。
「こっちよ」
 冴子がエレベーターの前で手招きした。タイミングよくドアが開く。誰も乗って
いない小箱にふたりだけで乗り込んだ。
「瞬の病室は3階の315号室よ。個室だから、ゆっくり話せると思うわ」
 冴子が3のボタンを押すと、数字が緑色に変わった。
 やっと瞬に会えると、手放しで喜ぶわけにはいかなかった。これまでの経緯を思
い浮かべてみると楽観はできないし、特に伯母は嫌な顔をするに決まっている。
「お母さんやお父さんには、私からうまく言っとく。幹彦くんは、瞬のことだけを
考えてて」
「冴子さん……」
「秘密は絶対に守るから安心して。ほら、着いたわよ」

 リノリウムの床と白っぽい壁。
 家を焼け出され、両親を失った僕が一時入院していたところも、こんな内装だっ
た。全く違う場所だとわかっているのに、昔の記憶が頭痛みたいに蘇ってくる。
 少し前を歩く冴子が何も気づいていないのを幸いに、僕は歩きながら、両手でこ
めかみを軽く揉んだ。動悸は治まらないし、胃のあたりも変な感じがする。全身が
ストレスの塊になったようなものだ。
「あら、恭一。来てたの」
 冴子が足を止めたのは、革張りのソファーと小さな丸テーブルが置かれたコーナ
ーだった。あの恭一が、ここは自分専用の場所だとでもいうように、ふんぞり返っ
て座っている。
「来てたの、はないだろ? 俺だって忙しいのに、時間作って来てやったんだから」
 右手の人差し指と中指の間に挟まれたタバコが、苛立たしげにヒクヒクと動く。
僕の存在をまるっきり無視してくれてたのが、かえってありがたかった。
「瞬には会った?」
「ああ。でもあいつ、俺の顔を見た途端に吐きやがって。ムカつくよ、全く」
「しょうがないじゃない、病気なんだから。あなたが昔、瞬に何をしたかよく考え
てみたら?」
 厳しい口調だった。恭一が瞬をいじめていたことを、冴子は知っていたのだ。僕
は驚いて従姉を見た。
「ハイハイ、わかってますよ。それよりさ、これ吸えるところ知らない?」
 恭一は人を小馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いを浮かべ、右手を僕たちのほうに突
き出した。
「1階に喫煙コーナーがあるわ。早く行って」
 冴子が吐き捨てるように言う。恭一はソファーに置かれたライターとタバコの小
箱を拾って、のっそりと立ち上がった。ズボンのポケットにそれらを押し込みなが
ら、相変わらずの威張った歩き方で、こちらに近づいてくる。
 僕の中に恭一への恐怖心はないけれど、嫌悪感ならたっぷりある。今の冴子との
会話を聞いて、その感情はますます強くなった。自然と表情が険しくなり、上背の
ある大柄な男を睨みつける。
 僕と目が合っても、恭一の表情に変化はない。すれ違おうとしたその刹那、従兄
は僕の肩に左手を置いて耳元に唇を寄せた。
「瞬が待ってる」
 低いささやきに刺激され、弱気な心が奮い立つ。
「恭一! 言いたいことがあるなら、私に直接言いなさいよ!」
 冴子がとうとう声を荒げる。だが恭一はさっきの薄笑いを浮かべて、タバコを口
にくわえた。何も言わず、僕たちに背を向けて悠然と去っていく。
「何なのよ、あの態度は! ごめんね、幹彦くん。嫌な思いばかりさせて」
「そんなことはないよ」
 僕は首を横に振った。
 早く瞬に会いたい。
「冴子さんも、もう謝らないで」
「ほんとに我慢強いのね。私ならとっくに爆発してるわ」
 冴子が小首を傾げて、ため息混じりに呟く。
「それじゃ、気を取り直して行きましょう。あの角を曲がってすぐの部屋よ」

                      to be continued




#325/1158 ●連載
★タイトル (yiu     )  04/08/05  14:51  (  4)
我流哲学G     司悟翁
★内容
所詮、この世は諸行無常である。
酒池肉林を極めれば必ず滅びがやってくる。『極』は良いが、そのままでいると危な
い。そののためにも、私は運命に身をまかせて生きる「隠生」を提唱する。夏目漱石の
「則天去私」でもある。




#326/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/08/07  22:21  (  1)
そりゃないぜ!の恋18   寺嶋公香
★内容                                         21/01/19 21:58 修正 第2版
※都合により一時非公開風状態にします。




#327/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/08/08  08:17  ( 37)
●新・権力の陰謀81 これで悪辣さが証明された ヨウジ
★内容

31年間
KGBさながらに
一人の人間に対して
口実をころころ変えながら
組織的に付きまとい、
圧力を掛け続け
裏工作で妨害し
人権侵害を行ない続けて来た。
公共のためではないから
正義のためではないから
筋を通さず、法に基づかず
裏工作で行なうのだ。
裏で行なうのは
理由が公にできないからであり、
自分たちに被害が及ばぬよう
自分たちの都合の良いようにするためだ。
裏で行なうことは
嘘や隠蔽と同様
悪意があることの証だ。
私には微塵の悪意もないし、悪いこともしていない。
然も私が大犯罪を侵したかのように言い触らして来たが、
何か悪いことをしたというなら言って見ろ。
こ汚い官僚主義め。

                            ヨウジ
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P.S.私にも自衛権がある。
    公権力による不当な人権侵害。
    (裏でなら何やってもいいというのだから)
    だから正当防衛が成り立つ。




#328/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/08/15  21:47  ( 28)
@コラム515 靖国参拝に良い意味なし  ヨウジ
★内容

戦時中に軍国主義に洗脳された年輩者の中には
靖国神社に参拝して当然と考える人もあるだろうが、
霊などというものは存在しないし、
存在しないもの(無)に参拝しても
戦没者の慰めにはならないし意味がない。
それより先の侵略戦争で大きな被害を被った
東南アジア諸国の国民感情を逆なでし
関係悪化を招くというマイナスの意味のみがある。
「哀悼の誠を捧げるため」とか言って
信仰があるように見せ掛けているが、
そういう人程偽善者であり、
また天皇や靖国神社を
国民を戦争に駆り出す手段に使うタイプの人だ。

                            ヨウジ
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P.S.戦没者への慰霊や平和を願うなら、何も曰くつきの靖国神社でやる必要
    はないではないか。

    戦没者を可哀相だと思うより、憲法改正してまた戦争に行けるようにし
    ようなどとは考えないことだ。実行しない反省は無意味。




#329/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/08/17  09:00  ( 33)
●新・権力の陰謀82 正常な連中ではない  ヨウジ
★内容

何の罪も犯していない私に
21年間も付きまとい工作し
耐え難い心理的圧力を掛け続け
真面目に生きようとしていた
私の社会生活を個人生活を
ことごとく妨害し、
精神的に経済的にその他生活全般に渡り
多大な損害を与えておきながら、
11年半前からのネットでの訴えを知りながら
弁明もせず謝罪もせず
却って手口をエスカレートさせ
妨害を行ない続け
私が再起不能になるまで
しつこく人権侵害を行ない続けて来た。
時に嘲笑いながら、ふざけながら。
正常な神経を持った連中ではない。
人で無しとしか言いようがない。
お陰で丸13年間失業同然。
そして更に見張って付きまとい
99.9%までも完全に潰そうと付け狙う異常さ。

                            ヨウジ
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P.S.盗聴・盗撮器等で監視し手を回し
    妨害したり反撃をかわすことを楽しんでいる。
    私が単なるゲームの中の標的であるかのように。




#330/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/08/21  22:57  ( 28)
●新・権力の陰謀83 そんな滅茶苦茶通るのは役所だけだヨウジ
★内容

お前らはそれで当然と思っているかも知れないが、

そんな滅茶苦茶なことが通るのは役所だけだ。

民間企業では筋の通らないことを言ったりやったりすれば

追及され否応なしに正される。

訳の分からないことで

組織的に苛められるなどということも起こらない。

民間企業では先輩上司から面倒見られ育てられる。

そんな滅茶苦茶なことが罷り通るのは

お前らの住む官僚組織だけだ。

                            ヨウジ
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P.S.だから国が良くならない。




#331/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/08/28  12:49  (325)
◎2004年8月度 CO2削減実績報告 〜その@〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:08 修正 第2版

 深刻さを増す地球温暖化問題に対して1地球人である私としても何とかしたい
と数年前からCO2 削減に取り組んで来ました。更に1999年からは1997
年12月の『地球温暖化防止京都会議』で定められた国別の削減目標の内、日本
の削減目標である2008年−2012年までに1990年レベルより6%削減
する」という数値目標に習って、我が家の削減目標を設定し、粘り強く削減努力
を続けてきました。その結果、1999年には6.97%、2000年には26
.22%、2001年には39.94%、2002年には45.70%、そして
2003年には53.04%まで削減することができました。これにより太陽光
発電等自然エネルギーを使わない方法ではほぼ限界まで削減することができまし
た。普通の方法ではもうこれ以上の削減はできないので、今後はこのレベルを維
持することを第一に行なって行きたいと思います。ただ、子供が独立し家族の人
数が減ったので、単純に1990年レベルからの削減率では語れなくなりました。
2001年までの削減は純粋に削減努力によるものでしたが、2002年以降は
削減努力によるものの他、人数減による削減も含まれています。(今年2004
年からは完全に人数が2人になります)家庭のエネルギー消費にはベースがある
ので、人数分がそのまま減るわけではありませんが、そういうことも考えながら
今後とも削減努力を続けて行きたいと思います。
 今年2004年の我が家のCO2削減実績を1カ月ごとに途中経過を報告して
行きます。以下に計算結果を順を追って示します。


1.2004年のCO2削減目標

  年        電気    ガス    水道      CO2
           KWh    m3      m3       Kg       基
1990 排出実績 5468  611    242   1085.9 ←準
                                                                    年
2000 削減実績 3845  476   220   801.2
       率%−29.7 −22.1  −9.1 −26.22%

2001 削減実績 3622  290   200   652.2
     削減率%−33.8 −52.5 −17.4 −39.94%

2002 削減実績 3341  249   183   589.6
     削減率%−38.9 −59.2 −24.4 −45.70%
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2003 削減実績 2984  200   149   509.9
     削減率%−45.4 −67.3 −38.4 −53.04%

2004 削減目標 2984  200   149   509.9
     削減率%−45.4 −67.3 −38.4 −53.04%
                           ^^^^^^^^^^^^^^
2.削減目標の詳細

 (1) 電気=2984x0.12= 358.08Kg
  (2) ガス= 200x0.64= 128.00Kg
  (3) 水道= 149x0.16=  23.84Kg
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   2004年のCO2 排出目標 509.92Kg(炭素換算)
             (削減率 53.04%)

3.今月までの実績

 (1) 電気・・・・・・削減目標 −45.4%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990  572    467    381    367    437    359    547    774    523    375    3
11    355   5468
 (CO2)  68.64  56.04  46.08  44.04  52.44  43.08  65.64  92.88  62.76  45.00  
37.32  42.60 656.16
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998  515    441    360    448    446    374    607    644    575    421    4
60    366   5647
 (CO2)  61.80  52.92  43.20  53.76  53.52  44.88  72.84  77.28  69.00  50.52  
55.20  43.92 677.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999  448    383    396    380    390    514    548    622    665    342    3
02    280   5270
 (CO2)  53.76  45.96  47.52  45.60  46.80  61.68  65.76  74.64  79.80  41.04  
36.24  33.60 632.40
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000  359    307    305    287    345    315    373    389    350    276    2
95    244   3845
  (CO2)  43.08  36.84  36.60  34.44  41.40  37.80  44.76  46.68  42.00  33.12  
35.40  29.28 461.40
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001  310    271    282    255    296    293    355    369    309    297    3
04    281   3622
  (CO2)  37.20  32.52  33.84  30.60  35.52  35.16  42.60  44.28  37.08  35.64  
36.48  33.72 434.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002  306    263    265    233    274    266    314    351    307    256    2
76    230   3341
  (CO2)  36.72  31.56  31.80  27.96  32.88  31.92  37.68  42.12  36.84  30.72  
33.12  27.60 400.92
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003  251    251    234    257    265    231    268    277    281    221    2
22    226   2984
  (CO2)  30.12  30.12  28.08  30.84  31.80  27.72  32.16  33.24  33.72  26.52  
26.64  27.12 358.08
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標  251    251    234    257    265    231    268    277    281    221    2
22    226   2984
  (CO2)  30.12  30.12  28.08  30.84  31.80  27.72  32.16  33.24  33.72  26.52  
26.64  27.12 358.08
    累  251    502    736    993   1258   1489   1757   2034   2315   2536   27
58   2984   2984
  (CO2)  30.12  60.24  88.32 119.16 150.96 178.68 210.84 244.08 277.80 304.32 3
30.96 358.08 358.08
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績  284    236    220    250    246    226    277    250                   
            1989
  (CO2)  34.08  28.32  26.40  30.00  29.52  27.12  33.24  30.00                
             238.68
    累  284    520    740    990   1236   1462   1739   1989                   
            1989
  (CO2)  34.08  62.40  88.80 118.80 148.32 175.44 208.68 238.68                
             238.68
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
  達成率 88.4   96.5   99.5  100.3  101.8  101.8  101.0  102.3%                
             102.3%


  (2) ガス・・・・・・削減目標 −67.3%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
------------------
 1990   94     79     71     52     48     38     32     28     30     37     
44     58    611
  (CO2)  60.16  50.56  45.44  33.28  30.72  24.32  20.48  17.92  19.20  23.68  
28.16  37.12 391.04
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998  159    111     94     57     50     43     32     31     36     45     
45     54    757
  (CO2) 101.76  71.04  60.16  36.48  32.00  27.52  20.48  19.84  23.04  28.80  
28.80  34.56 484.48
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999   89     70     59     41     43     26     32     27     30     33     
36     46    532
  (CO2)  56.96  44.80  37.76  26.24  27.52  16.64  20.48  17.28  19.20  21.12  
23.04  29.44 340.48
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000   72     57     52     43     37     33     27     19     24     35     
40     37    476
  (CO2)  46.08  36.48  33.28  27.52  23.68  21.12  17.28  12.16  15.36  22.40  
25.60  23.68 304.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001   48     27     29     21     24     20     15     13     16     24     
26     27    290
  (CO2)  30.72  17.28  18.56  13.44  15.36  12.80   9.60   8.32  10.24  15.36  
16.64  17.28 185.60
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002   36     25     24     20     19     15     20     11     13     19     
25     22    249 
  (CO2)  23.04  16.00  15.36  12.80  12.16   9.60  12.80   7.04   8.32  12.16  
16.00  14.08 159.36
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003   34     22     22     16     17     11     12     13     14     12     
13     14    200
  (CO2)  21.76  14.08  14.08  10.24  10.88   7.04   7.68   8.32   8.96   7.68  
 8.32   8.96 128.00
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標   34     22     22     16     17     11     12     13     14     12     
13     14    200
  (CO2)  21.76  14.08  14.08  10.24  10.88   7.04   7.68   8.32   8.96   7.68  
 8.32   8.96 128.00
    累   34     56     78     94    111    122    134    147    161    173    1
86    200    200
  (CO2)  21.76  35.84  49.92  60.16  71.04  78.08  85.76  94.08 103.04 110.72 1
19.04 128.00 128.00
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績   16     12     13     11     11     12     10     10                   
              95
  (CO2)  10.24   7.68   8.32   7.04   7.04   7.68   6.40   6.40                
              60.80
    累   16     28     41     52     63     75     85     95                   
              95
  (CO2)  10.24  17.92  26.24  33.28  40.32  48.00  54.40  60.80                
              60.80
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 達成率212.5  200.0  190.2  180.8  176.2  162.7  157.6  154.7%                
             154.7%


  (3) 水道・・・・・・削減目標 −38.4%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
------------------
 1990    -     30      -     42      -     40      -     46      -     39     
 -     45    242
  (CO2)   -      4.80   -      6.72   -      6.40   -      7.36   -      6.24  
 -      7.20  38.72
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998    -     50      -     47      -     51      -     49      -     44     
 -     45    286
  (CO2)   -      8.00   -      7.52   -      8.16   -      7.84   -      7.04  
 -      7.20  45.76
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999    -     38      -     34      -     43      -     40      -     42     
 -     36    233
  (CO2)   -      6.08   -      5.44   -      6.88   -      6.40   -      6.72  
 -      5.76  37.28
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000    -     36      -     32      -     38      -     41      -     38     
 -     35    220
  (CO2)   -      5.76   -      5.12   -      6.08   -      6.56   -      6.08  
 -      5.60  35.20
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001    -     30      -     28      -     37      -     38      -     34     
 -     33    200
  (CO2)   -      4.80   -      4.48   -      5.92   -      6.08   -      5.44  
 -      5.28  32.00
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002    -     31      -     30      -     31      -     33      -     29     
 -     29    183
  (CO2)   -      4.96   -      4.80   -      4.96   -      5.28   -      4.64  
 -      4.64  29,28
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003    -     28      -     26      -     26      -     24      -     23     
 -     22    149
  (CO2)   -      4.48   -      4.16   -      4.16   -      3.84   -      3.68  
 -      3.52  23.84
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標    -     28      -     26      -     26      -     24      -     23     
 -     22    149
  (CO2)   -      4.48   -      4.16   -      4.16   -      3.84   -      3.68  
 -      3.52  23.84
    累    -     28      -     54      -     80      -    104    104    127    1
27    149    149
  (CO2)   -      4.48   -      8.64   -     12.80   -     16.64  16.64  20.32  
20.32  23.84  23.84
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績    -     19      -     17      -     19      -     25      -            
 -            80
  (CO2)   -      3.04   -      2.72   -      3.04   -      4.00   -            
 -            12.80
    累    -     19      -     36      -     55      -     80      -            
 -            80
  (CO2)   -      3.04   -      5.76   -      8.80   -     12.80   -            
 -            12.80
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 達成率  -    147.4    -    150.0    -    145.5    -    130.0%   -            
 -           130.0%


  (4) CO2 ・・・・・削減目標 −53.04%

 --------------------------- 月別排出目標と実績(Kg)-----------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990   68.64  56.04  46.08  44.04  52.44  43.08  65.64  92.88  62.76  45.00  
37.32  42.60 656.16
 1998   61.80  52.92  43.20  53.76  53.52  44.88  72.84  77.28  69.00  50.52  
55.20  43.92 677.64
 1999   53.76  45.96  47.52  45.60  46.80  61.68  65.76  74.64  79.80  41.04  
36.24  33.60 632.40
  2000   43.08  36.84  36.60  34.44  41.40  37.80  44.76  46.68  42.00  33.12  
35.40  29.28 461.40
 2001   67.92  54.60  52.40  48.52  50.88  53.88  52.20  58.68  47.32  56.44  
53.12  56.28 652.24
 2002   59.76  52.52  47.16  45.56  45.04  46.48  50.48  54.44  45.16  47.52  
49.12  46.32 589.56
  2003   51.88  48.68  42.16  45.24  42.68  38.92  39.84  45.4   42.68  37.88  
34.96  39.60 509.92
  目標   51.88  48.68  42.16  45.24  42.68  38.92  39.84  45.4   42.68  37.88  
34.96  39.60 509.92
    累   51.88 100.56 142.72 187.96 230.64 269.56 309.40 354.80 397.48 435.36 4
70.32 509.92 509.92
  実績   44.32  39.04  34.72  39.76  36.56  37.84  39.64  40.40                
             312.28
    累   44.32  83.36 118.08 157.84 194.40 232.24 271.88 312.28                
             312.28
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
  達成率117.1  120.6  120.9  119.1  118.6  116.1  113.8  113.6%                
             113.6%
                                                                               
             ^^^^^^

注1)3の(3)項、水道に奇数月の実績が入っていないのは、私の住む自治体の
   道料が検針も集金も1カ月置きだからです。計算の便宜上奇数月の使用
   量は0とします。

そのAへ続く
                                 ヨウジ
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#332/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/08/28  12:52  ( 84)
◎2004年8月度 CO2削減実績報告 〜そのA〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:09 修正 第2版

4.考察

   8月になっても猛暑が続きましたが、立秋(8月7日)頃からは夜は「あ
  れっ」と思う程涼しくなりました。夜になると北から涼しい風が吹くように
  なったからです。冷風扇もそれまで夜通し「強」で運転していたものが、「
  中」や「弱」で済むようになり、8月も半ばになると明け方は寒くなり、止
  めて換気扇だけにする日も増えました。
   注目されていた東京の連続真夏日の記録は、7月6日から始まり8月11
  日までで37日間となり、これまでの最高の平成7年とタイ記録となり、ど
  こまで記録が伸びるか連日天気予報の話題となっていました。それでその問
  題の8月12日は、予報では朝方だけ曇りとなっていたのに、12時になっ
  ても日が出て来ず心配していましたが、午後から晴れて辛うじて30度とな
  り、見事に新記録達成となりました。結局、真夏日は14日(土)まで続き、
  連続40日間の観測史上新記録となりました。決して喜ばしい記録ではあり
  ませんが、どうせなら記録を更新して温暖化対策に弾みが付けばと思ってお
  りました。
   それでは今月の実績を見て行きます。電気は目標277KWhのところ実
  績250KWhとなり目標をクリアーしました。検針日の関係で昨年が31
  日間だったのに対して今年は29日間ですから、実質は267KWhとなり
  10KWh削減できたことになります。これはちょうど電気炊飯器による保
  温に消費する電力に近い値なので、電気を使わないランチジャー使用の効果
  だと考えられます。(0.4KWhx29日間=11.6KWh)
   年初からの累計でも目標2034KWhのところ実績1989KWhとな
  り、達成率は先月よりやや上がり102.3%となりました。
   ガスは目標13m3のところ実績10m3となり、目標より大幅に削減でき
  ました。昨年の実績を今年の目標にしていますが、昨年が29日間であった
  のに対して今年は32日間なので、実質的な実績は更に少ない9m3となり
  ます。減少要因としては猛暑で気温水温が昨年より高かったこと。アルミ保
  温シートを使うようにしたこと。妻の帰省期間中に3日間だけ水風呂で済ま
  した日があったこと。湯温を42→40度に下げたことなどが考えられます。
   例により真夏なので入浴は毎日でした。風呂水の再利用回数(初回も含む
  利用回数)は3〜6回で平均4.2回でした。
   年初からの累計では目標147m3のところ実績95m3となり、達成率
  154.7%で目標をクリアーすることができました。
   水道は目標24m3のところ実績25m3と目標をややオーバーしました。
  増加原因としては植木への散水をほぼ毎日行なったことが考えられます。
  雨水を再利用すればこの分は削減できるので、いつか行ないたいと考えてい
  ます。市販の専用タンクは高価なので、ただの大きめのポリバケツでも良い
  かなどとも考えていますが、自治体から助成を受ければ半額位になることも
  知ったので、どうするか考えているところです。
   年初からの累計でも目標104m3のところ実績80m3となり、達成率
  130.0%で目標をクリアーしています。
   この結果、今月のCO2 排出量は目標45.4Kgのところ実績40.
  40Kgとなり目標をクリアーすることができました。年初からの累計でも
  目標354.80Kgのところ実績312.28Kgとなり、達成率113
  .6%で目標をクリアーすることができました。
   今夏でエアコン無し生活も5年目となりますが、始めた当初の夏は暑さに
  耐えるだけで精一杯だったものが、次第に体が慣れ、消夏ノウハウが進歩し、
  健康法も実行したりで、今年は特に夏バテすることもなくこれまでで一番元
  気に過ごせた夏でした。何事も困難に負けず積極的に前向きに立ち向かうこ
  との大切さを再認識しました。
   8月も終わりに近付きめっきり涼しくなりました。残暑で昼は多少暑い日
  があっても夜は涼しいので、冷風扇もいらない日が多くなりました。一応、
  冷風扇を内サッシの吸気口前に置きますが、スイッチを入れなかったり、入
  れても風量「弱」で運転したり、それでも寒くなり明け方には消したりして、
  換気扇だけ回せば済むようになりました。CO2 が急増する夏が終わりまし
  た。
   私たちが排出したCO2 は大気中に溜り二度とは回収できず、地球環境と
  そこで暮らす私たち自身に害悪を及ぼし続けます。省エネをすれば確実に害
  悪は減ります。
   今日からあなたのできることすぐに始めてください。みんなの努力で私た
  ちのかけがえのない◎地球環境を守りましょう!!!

                                ヨウジ

P.S.CO2 の計算には下記のフリーソフトウェアを使ってください。

NIFTY
FGALAP/4/8 (https://iw.nifty.com/iw/nifty/fgalap/lib/8/index.html)
1111  BXC02020 01/01/02 136625 CO2_122 .LZH 地球温暖化対策CO2 V1.22

VECTOR
http://www.vector.co.jp/pack/dos/edu/science/co2_122.lzh  01/01/02 136625
    地球温暖化対策プログラム(光熱費等の使用量からCO2排出量を計算
説明ページ: http://www.vector.co.jp/soft/dos/edu/se035828.html

私のホームページからもダウンロードできます。(下記URL)
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#335/1158 ●連載
★タイトル (GSC     )  04/09/10  05:22  ( 42)
フリー日記  /OAK
★内容
   9月9日(木)

『あけぼの合唱団15年の歩み 「世界の歌 日本の歌」』のLPレコードを、プレック
ストークを使ってCDに復刻(複現)したのは、今から2年くらい前だっただろうか? 
そのCDのバージョン6をM君に送ったら、感激の礼状を
くれたので、それに逆刺激を受けて、私はさらにもう1枚のCDを編集・復刻した。
テープレコーダーと2台のMD機とプレックストークを駆使しながら、他の趣味をそっ
ちのけにして、徹夜がかりで三日三晩もかかって完成したCDだが、20余年に渡る合
唱団との関わりは、M君の言葉を借りるならば、
「歳をとって涙腺が弱くなった今、涙無くしてはとても聴けない。」
 そして、今更ながらつくづく思うことだが、下記の人たちに深い感謝の念を禁じ得な
い。
 1 M君[バス 視覚障害]: 小学1年からの同級生で、あけぼの合唱団の創立当
初、私を指導者(指揮者)に推薦したという行きがかりもあるだろうが、私の方針を全
面的に認め、協力・推進してくれた。
 2 Kさん[ソプラノ 晴眼]: 練習熱心で控えめな人柄、声の色も合唱にとけ込
み、コーラスをよく支えてくれた。
 3 Tさん[アルト 晴眼]: 視覚障害者の面倒をよく見てくれて、例会の活動や行
事の運営には欠かせない人だった。
 4 Fさん[バス 晴眼]: 第2指揮者として団員をよくリードし、楽譜提供やパー
ト用テープ作りに努力してくれた。
 歴代の団長は勿論のこと、録音係、会計係、伴奏者、各パートリーダー、ボランティ
アなど、数え切れない人たちの有形無形の助けがあったからこそ、私好みの音楽を奏で
ることが出来、数々の思い出を秘めたCDが2枚も残ったのである。
 その2枚のCDの点字ラベルを下に記す。

   あけぼの合唱団 15年の歩み
     「世界の歌 日本の歌」
        収録 20曲
       (スタジオ 10  ライブ 10)
     団員 38名
     指揮 オークフリー
     レコード製作 1986年
     CD製作 2004年
     音楽溶CDR Ver7

   あけぼの合唱団 20年の記録(抜粋)
      トラック タイトル 12
      リハーサル 3  ステージ 5
        曲目 19
      CDバージョン 2
      2004年9月10日




#337/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/09/15  00:34  (  1)
そりゃないぜ!の恋19   寺嶋公香
★内容                                         21/01/19 21:58 修正 第2版
※都合により一時非公開風状態にします。




#338/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/09/18  00:41  (  1)
そりゃないぜ!の恋20   寺嶋公香
★内容                                         21/01/19 21:58 修正 第2版
※都合により一時非公開風状態にします。




#339/1158 ●連載    *** コメント #279 ***
★タイトル (yiu     )  04/09/19  10:29  ( 28)
狂気の勇者達。the diamond dust (6)  早川篠村
★内容
サルナス。ハイマイゼル達が住む大陸の中で通常、天に棲んでいる神々が姿を現す場
所。
聖地である。
 そこで、事件は起こった。
 ハルカが移住した十ヶ月後のこと。神々たちの行動を決める評定にて人間に対し友好
的な政策を推進した神々のリーダー、正一位大神軍官ノーデンスが崩御した。この機に
乗じてノーデンスの支配の下発言力が弱かった、ナイアーラトテップは今は亡きアザ
トースを復活させるために行動を開始した。対して、ノーデンスの意思を継ぐヴォルヴ
ァドス等、対人間友好派はノーデンス崩御に殺害説を提唱。犯人断定のため捜査を始め
た。
 という一連の事件を耳にしたハルカは好機と見て神位を得るために戦闘集団「噸兵
隊」を結成した。本陣は庵のあるカラドゴラド山脈に決定。巷で暴れているゴロツキを
雇い、集まったのは十八人。
十八人集まったところでハルカは声を挙げた。
「我々噸兵隊は近い将来サルナスに攻め入る。そのためには武器や金、食料が必要であ
る。それらを得るには商いが盛んなアラガスを手に入れるのは必須である。」
アラガスで夜盗に入っていたゴリゴラスは助言をした。
「アラガスは俺が夜盗として入っているためか警備を強化している。自警団の装備も豪
華なものになってきているぞ。」
ハルカは見向きもせずに続けた。
「大気が乾き、東南の強風の日の夜、火を放ち夜襲をかける。ゴリゴラスは十一人引き
連れてアラガスに潜伏してくれ。」
「わかった。」
とゴリゴラスは言った。
 一方、カラスが籍を置くクヅギ家は奉じていたノーデンスが崩御した為に急遽、ベル
ガニア総攻撃を中止。クヅギは民政に力を注いだ
 ベルガニア側は喜んだ。これを機会に侵攻を目論見始めていた。
 アラガスのハイマイゼルはただならぬ胸騒ぎを感じていた.




#340/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/09/24  11:26  ( 45)
●新・権力の陰謀87 訴えの終了条件  ヨウジ
★内容

この私の警視庁を中心とする地方行政機関に対する
「●権力の陰謀」、「●続・権力の陰謀」と今回の「●新・権力の陰謀」へと
続く、1992年11月4日から始まった12年間にも及ぶ一連の訴えが
その目的を果たし終了する条件を提示する。

1.警視庁等の地方公務員による私に対する付き纏い行為等による
  人権侵害とその他のあらゆる妨害工作の即時停止。

2.陰謀の真相を明らかにすること

    陰謀の目的は何か。21(31)年間も私に対してこのようなこっ酷い仕
   打ちを行なって来た理由は何か。単なる虐待かそれとも日本の伝統的風習で
   ある差別か。または私という人間の存在に何か都合の悪いことでもあるのか。
   (法的根拠がないことは分かっている。またリンチ(私刑)が禁じられてい
   ることも。いずれにせよ越権違法行為なのだ)
  
3.私に対する付き纏い行為その他の妨害工作を可能にした要員配置と
  盗聴器・盗撮器・感知器等の違法な監視機器とその設置場所を明らかにし、
  これらの資金の出所を公表すること。

  (1) 工作に関わった要員の所属と氏名と役割
 (2) 監視機器の名称・価格・購入先企業名と設置場所と設置年月日
 (3) 監視機器の即時撤去
 (4) 資金の出所(不正経理による裏金か正規の予算か。正規の予算なら
   その名目を明示)
 (5) その資金の年度ごとの額

4.責任の所在を明らかにし再発防止策を提示すること。

5.被害者である私への謝罪と慰謝料の支払い。

                            ヨウジ
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P.S.予算を誤魔化す者は仕事そのものも誤魔化す。
    「嘘吐きは泥棒の始まり」とは良く言ったものだ。

    役人の不正が正されなければ構造改革は進まず国も良くならない。
    警視庁は代表して即時にこの訴えに答えるべきである。




#341/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/09/24  22:54  (  1)
かわらない想い 27   寺嶋公香
★内容                                         21/01/18 22:15 修正 第2版
※都合により一時非公開風状態にします。




#342/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/09/25  00:07  (  1)
かわらない想い 28   寺嶋公香
★内容                                         21/01/18 22:15 修正 第2版
※都合により一時非公開風状態にします。




#343/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/09/28  17:02  ( 40)
●新・権力の陰謀88 腐敗し過ぎていたから ヨウジ
★内容

警察が不正を行ない続けてきたことは明らかだが、
余りに腐敗し過ぎていたために
12年間にも及ぶ私のネットでの訴えは
良識を呼び起こし自浄作用を働かせるには至らなかった。
却って開き直らせ悪徳を蔓延らせてしまった。
腐敗を助長させる訓練をさせてしまった。
だが、私には訴え続ける以外に選択肢はない。
悪いものを悪いと言い続ける以外にない。

                            ヨウジ
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P.S.今日はまた来た。昼前からロヂャース戸田店へ買い物に行ったら
    5名以上の工作者が二言三言言って圧力を掛けるために。
    ここのところはパトカー等による大っぴらな嫌がらせは控えているが、
    結果からして違法な盗聴盗撮機器等を使った見張りが今もしつこく
    行われていることの証だ。だがでっちあげた口実だから、これ以上は
    何もできない。いや、これを口実に標的にして一生潰せば良いと考え
    ているのだ。民間企業は実績を上げないと潰れるが、役所にはそれがな
    いから良識が働かないのだ。特に警察は秘密のベールに包まれ監査も受
    けないから、腐敗しやりたい放題になっているのだ。

    連中は「合法的だから」と言うが、指1本触れず裏で誰にも知られない
    ようにやること(裏工作)と合法的とは異なる。合法的とは発覚しよう
    が発覚しまいが法に違反しないことだ。21(31)年間、法に基づか
    ず私に付き纏い言い知れぬ不安感と不快感を持たせ、平常心で自由に働
    き暮らす自由を奪い、また会社に長くいられないよう裏工作したことは
    人権侵害以外の何物でもない。また盗聴器等を設置することも違法行為
    だ。

    空き交番が問題になっているが、工作者A、B、Wxのような21年間
    も市民苛めをやる余計な警官を振り向ければ解決できるのではないか。

    工作者Aの姿見たぞ。不細工な顔のずんぐりむっくりした奴だ。




#344/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/09/28  23:34  (  1)
かわらない想い 29   寺嶋公香
★内容                                         21/01/18 22:15 修正 第2版
※都合により一時非公開風状態にします。




#345/1158 ●連載
★タイトル (pot     )  04/09/29  22:21  (312)
alive(16)      佐藤水美
★内容
          16

 やっと、瞬に会える。
 どんな顔をして会い、何の話をすればいいのか(「具合はどう?」程度しか思いつ
かない)わからないけれど、今は黙って瞬を抱きしめてやりたい。
 冴子とふたりで角を曲がったとき、クリーム色のドアが内側に開いた。現れたの
は、苦り切った顔をした伯父だ。
「あっ、お父さん!」
 冴子が声をかけると、伯父の表情がほっとしたように緩んだ。ドアを静かに閉め、
こちらに歩み寄ってくる。愛娘を見る父親の目は、限りなく優しい。
「冴子か。いったいどこに行ってたんだ? お母さんが探して……」
 伯父の視線が僕の上で止まる。和やかな表情が、次第にこわばっていく。
 そうか、伯父も伯母と同じように思っているんだ。
 ひどい失望感が僕を襲う。
「瞬、また吐いたんですって? 恭一が言ってたけど」
「ああ……でも今は落ち着いてるよ」
 伯父はそう言って、僕から目を逸らした。
「よかった。それなら、幹彦くんが瞬に会ってもいいわよね」
 冴子の台詞は、驚くほどストレートだった。思ったことを遠慮なく言える従姉が、
少しうらやましい。
「ちょっと待ちなさい、冴子。家族以外の面会には、先生の許可が必要なんだよ」
「じゃあお父さんは、幹彦くんは家族じゃないって言うの? 血が繋がってること
も4年間一緒に暮らしてきたことも無視して、赤の他人だって言うのね?」
「そんなことは言ってないぞ」
「言ってるじゃないの、言ってるのと同じに聞こえる。今日は何が何でも、幹彦く
んを瞬に会わせるからね」
「冴子、いい加減にしないか。とにかく面会には許可が要るんだ、それに……」
 伯父が僕の顔にちらりと目をやる。
「本人が会いたがっていない」
 声を落として言う。冴子や恭一がどう言おうと、瞬の気持ちがわからない以上、
その台詞には僕を痛打できるだけの力があった。
「違うわ、瞬は会いたいのよ。だけど会いたいって言えないの」
「どうしてお前にそんなことがわかるんだ?」
 伯父は両腕を組み、少々気色ばんだ様子で訊いた。
「瞬は弟だもの。さあ行くわよ、幹彦くん」
 冴子は強引な理由をつけると、僕の手首をつかんだ。
「駄目だ、冴子」
「お父さんは瞬を助けたくないの?」
「助けたいに決まってるじゃないか! だから先生の指示通りに……」
「先生の言うとおりにしたって、瞬は良くなってない。ちょっとしたことで吐いた
り泣き出したりして、悪くなる一方よ!」
「冴子の気持ちはわかるが、無理矢理会わせてどうする気だ? 幹彦に会ったから
といって、瞬の病気が良くなるとは限らんぞ。もし悪くなったら、お前は責任が取
れるのか?」
「悪くなんかならないわ、絶対に」
 冴子は断固とした口調で言い返し、僕の手首をつかんだまま伯父の脇をすり抜け
ようとする。
「あ、あの……」
 僕は冴子について行くわけにもいかず、おろおろとふたりの顔を交互に見た。
「全く強情な子だ」
 伯父がため息を吐いて、首を軽く横に振る。
「だが、連れてきてしまったものは仕方がない。少しだけだぞ」
 大きな手が、僕の肩をポンと叩く。
「お父さん、ありがとう!」
 伯父は愛娘の言葉に薄い笑みを浮かべ、僕たちに背を向けた。ズボンのポケット
からライターとタバコの小箱を取り出したところをみると、喫煙コーナーに行くつ
もりなのかもしれない。僕はその後ろ姿に黙って頭を下げた。
「よかったね、幹彦くん」
「冴子さん、ありが……」
 ふいに声が詰まる。従姉の顔が滲んで見えて、僕は下を向いた。

 冴子がドアをノックすると、中から伯母の「どうぞ」という声が返ってきた。胸
の鼓動がまた速くなる。僕はごくりと唾を飲み込んだ。
「お母さんは私に任せて。大丈夫、きっとうまくいくわ」
 冴子は小声でささやき、金属製のレバーを押してドアを開けた。病室特有の臭気
が微かに鼻をかすめる。
 入って右側には、トイレと小さな洗面台がついていた。正面つまりベッドのある
ほうは、天井から下りた薄い水色のカーテンに遮られている。そのため、相手の姿
はお互いにわからないのだ。
「入るわよ」
 冴子は事も無げに言い、カーテンを人ひとりが通れる程度に開けた。従姉の肩越
しに見えるのは、モスグリーンのソファーに茶色いミニテーブル、白いブラインド
の下りた窓だ。
「冴子なの?」
伯母の声が聞こえた。僕は思わずカーテンの後ろに我が身を隠す。
「あなたどこへ……」
「家に帰ってただけよ」
冴子はそう言ったかと思うと、カーテンを一気に開けた。
「あっ!」
 伯母と僕、声を上げたのはほとんど同時だったと思う。ふたりとも、心の準備が
できていなかったのだから当然だ。
 伯母の顔には驚愕の表情が貼りついていた。挨拶ぐらいはしなければならないの
に、喉が詰まって言葉が出ない。僕は慌てておじぎをするしかなかった。
「……どうしたの?」
 細くて弱々しい声。
 瞬!
 弾かれたように上体を起こす。
 ベッドに横たわっていた少年が、片肘をついて上半身を起こそうとしていた。伸
び放題の髪、異様に白い肌、ぶかぶかのパジャマの中で泳いでいる痩せこけた身体、
点滴を繋いでいる細い腕。見た目こそ変わってしまったけれど、彼は確かに瞬だ。
「瞬、幹彦くんが来てくれたわよ」
 冴子がはっきりとした口調で、すかさず僕の来訪を告げる。
「さ、冴子っ!」
 伯母は我に返ったようにハッとして、うわずった声を出した。眉根にしわを寄せ、
怒りに紅潮した顔をこちらに向ける。
「これはどういうことなのっ!?」
「ええと、その……」
 僕は早くも伯母の気迫に圧倒されていた。頭の中で、様々な言葉が浮かんでは消
えていく。相手を刺激しないような台詞なんて、見つかるはずはなかった。
「お見舞いに来ただけよ」
 冴子が悪びれた様子もなく、あっさりと言い放つ。従姉に対する認識が、今日を
境に180度変わってしまいそうだ。
「ごまかさないできちんと説明しなさい! 幹彦くん、あなたから冴子に……」
「違うわよ! 私のほうから頼んで来てもらったの。何でもかんでも幹彦くんのせ
いにするのはやめて」
「私はそんなことしてませんよ。瞬の身体に障るから、ふたりとも出て行ってちょ
うだい!」
「ええ、そうするわ。ただし、出て行くのはお母さんと私よ」
「何ですって!」
「お母さんも疲れてるでしょ? 瞬は幹彦くんに任せて、下の喫茶店で休憩しまし
ょうよ。それに、どうしても聞いて欲しい話があるの」
 冴子はそう言うが早いか、伯母の腕をがっちりとつかんだ。
「幹彦くん、後はお願いね」

 ドアが耳障りな音を立てて閉まる。言い争うふたりの甲高い声が、次第に遠ざか
っていく。病室内に再び静けさが戻った。
 瞬はすでにベッドの上で身体を起こしていた。うつむいて背中を丸めた姿は、し
ょんぼりとして見える。伸びた前髪が顔にかかっているため、表情はわからない。
 僕は僕で、最初の立ち位置から動けずにいた。薄い身体を抱きしめたいけれど、
もし拒絶されたら平静でいられる自信がない。手のひらがじっとりと汗ばんでくる。
乾いた唇をなめてみても、気持ちは落ち着かなかった。
「瞬……」
 声をかけた途端、細い肩がビクリと動く。ささいな動作にもかかわらず、僕の心
はひどく傷ついた。愛おしいという感情が、たちまちマイナスの方向に傾いていく。
 嫌いになったって、はっきり言えよ!
 胸の中で、やけくそになったもうひとりの僕が叫ぶ。でも現実の僕は、唇を噛む
だけで何も言えない。
 瞬は我が身を守ろうとするかのようにいっそう背中を丸め、骨張った手で自分の
肩を抱いた。点滴のチューブが引っ張られる。
「うっ……うう……」
 ふいに、呻き声のようなものが聞こえた。瞬が肩を震わせるたびに、透明な滴が
次々とこぼれ落ちる。掛け布団に広がるふたつの染みが、僕を無言で責めているよ
うに思えてならなかった。
「どうして泣くんだよ」
 ぶっきらぼうに言う。そのせいか、瞬の嗚咽が大きくなる。
 会いたくないって言ったのは、瞬のほうじゃないか。苦しんでるのは自分だけだ
と思っているみたいだけど、僕だって辛いのを我慢してた。伯母さんに責められて
も、ひとりで耐えてたんだ……。
 恨み言の数々で、頭の中がいっぱいになる。とてもじゃないが、冴子が期待して
いるような話し合いはできそうにない。
 僕はため息を吐いた。ミニテーブルの上にあったティッシュの箱を取って、泣い
ている瞬に近づく。
「拭けよ」
 そう言って箱を差し出したが、瞬は受け取ろうとしなかった。涙の染みは、いつ
の間にかくっついてしまっている。
「しょうがないな」
 僕はティッシュを数枚抜いて、箱をベッドの片隅に置いた。柔らかい紙の塊を握
らせようと、点滴に繋がれていない左手を取る。瞬は全く抵抗せず、手をこちらに
引き寄せるのは簡単だった。
 何て冷たいんだろう!
 外はうだるような暑さだというのに、瞬の手は氷水に漬けた後のように冷え切っ
ていた。貧血がひどいのかもしれない。
「ほら、ティッシュ……」
 胸の奥が痛むのを感じながら、手のひらを上に向ける。それと同時に、腕の内側
があらわになって――。
「何、これ……!」
 生白い皮膚に浮かぶ、青紫色の痣。それもひとつやふたつではなく、無数と言っ
てもいいくらいだ。あることが思い浮かび、僕は手を返してその甲を見直した。予
想にたがわず、黄色っぽい痕が残っている。持っていたティッシュが音もなく落ち
た。
「こんなにいっぱい……やったんだ……」
 僕はベッドの縁に腰を下ろし、瞬の手と腕をなでた。
 上条くんは血管が細いわね、看護婦泣かせだわ。
 僕も点滴の針を刺すとき、よくそう言われたものだ。さんざん痛い思いをしてや
っと針を入れても、すぐに詰まってしまい、翌日には別のところに刺さねばならな
くなる。あのときの僕の腕も、こんなふうに痣だらけだった。
「痛かっただろ……」
 鼻の奥がツンとする。僕の目尻から熱いものがこぼれた、その刹那。
「!」
 瞬がしゃくり上げながら、僕にしがみついてきた。涙と鼻水にまみれた青白い顔
を、くしゃくしゃに歪めたその表情を、僕は決して忘れないだろう。
 様々な感情が一気にこみ上げてくる。溢れる涙を拭おうともせず、僕は従弟の痩
せた身体を力いっぱい抱きしめた。
「……幹彦」
 瞬が僕の名を呼んでくれる。その声を、どれほど待ち望んだことか。うざいとか
会いたくないとか、いろいろ言われたけれど、そんなことはどうでもいい。
「どこにも……行く……な……」
「……行かないよ」
 鼻をすすって答え、瞬の頭を優しくなでた。胸の奥が、また痛くなる。
「……そばに、いて……」
 瞬は僕の胸元に顔を埋め、回した腕に病人とは思えない力をこめた。細い肩が、
痙攣でも起こしたように小刻みな上下動を繰り返す。
「やっぱ……駄目だ、俺……」
 くぐもった声が何を言おうとしているのか、すぐにはわからなかった。僕は瞬の
背中をさすりながら、次の言葉を待った。
「幹彦……いないと……、駄目だ……」
「瞬……」
「もう……頑張れ……ない……。苦しいよ……」
 息づかいを荒くして呻くように言い、首を力なく横に振った。僕を取り巻いてい
た濃い霧が、その台詞で急速に晴れていく。
 瞬は強くなろうとしたんだ。来年僕がいなくなっても暮らして行けるように、自
ら関係を絶って。推測に過ぎないけれど、たぶん当たっているはずだ。
「……ごめん……ごめんな、瞬……」
 声を震わせ、やっとの思いで言う。さっきとは違う涙が溢れ、僕の胸を激しく掻
きむしる。年下の従弟の気持ちを少しも思いやれなかった自分自身に、ひどく腹が
立った。
 心の弱った瞬を最終的に追い込んだのは、あのとき植えつけられた強い不安感に
違いない。タイムマシンで時間をさかのぼり、過去を変えることができたなら。
 瞬のやっかいな病気の原因を作ったのは僕だった。悔しいけど、伯母の言うとお
りだ。そして皮肉にも、この泥沼から従弟を救い出せるのは、僕しかいない。
 でも、どうやって?
 家を出るのはやめにした。せめてそう言えたら、どんなによかったか。
「どこか、遠くに行こうか……」
 現実から逃げ出したいという願望が、思わず口をついて出てしまう。
 誰も来ない、ふたりだけの静かな場所に行けたら。
 点滴のチューブを引きちぎり、ブラインドを上げる。窓をいっぱいに開け、瞬を
抱えて空中に一歩を踏み出す……。
「……幹彦」
 瞬の声にハッとする。
「一緒……だよね?」
「……ああ」
「よかった……。俺、ついて行くから……」
 瞬はほっとしたように言い、ゆっくりと顔を上げた。濡れて赤くなった目が、こ
ちらをじっと見つめている。
「……置いてくなよ」
 やつれ果てた顔に、弱々しい笑みが浮かぶ。瞬はおそらく察しているのだ、僕が
今考えていることを。
 微かに震える両手で、瞬のこけた頬をそっと包む。
 幹彦、お前はあのときと同じ過ちを繰り返すのか? 
 耳の奥で、誰かの声が聞こえた。押し黙って唇を噛み、目を伏せる。
「どうしたの……?」
「……できない。そんなこと、絶対できないっ!」
 僕はそう叫ぶが早いか、瞬の身体を再び強く抱きしめた。愛しい者の鼓動が、服
を通して胸に伝わってくる。
「もう……自分を、責めないで……」
 耳元で瞬がささやく。それを聞いた途端、僕はたまらなくなって小さな子供のよ
うに声を上げてしまった。涙で濡れたメガネが、鼻筋にそってずり落ちる。
「幹彦、悪くないよ……。俺が……弱虫だから……」
 それは違う。年上のくせに、弱虫なのは僕のほうだ。
 君にはいつも慰められてばかりいたじゃないか。
 僕はうっとうしいメガネを片手で外し、ベッドの上に放った。手の甲で目元をこ
すり、詰まり気味の鼻をすする。
 愛してるよ、瞬。
 そう口に出して伝えたいのに、声が出ない。
「今まで、ごめん……。幹彦……愛してる」
 先に言われてしまうなんて。ああ、やっぱり僕は……。

 金属製のゴミ箱は、瞬と僕が使ったティッシュでたちまちいっぱいになった。僕
はベッドの縁に座ったまま、残り少ない紙でメガネをていねいに拭っていく。
「メガネ外した顔、久しぶりに見た」
 瞬が物珍しそうに言う。ソフトフォーカスの中の恋人は、はかなげな笑みを浮か
べてこちらを見ていた。
「間が抜けて見えるだろ?」
「そうかな? 俺は好きだけど」
 さらりと出た言葉に、僕は自分の頬が熱くなるのを感じた。半ば死んでいた心が、
息を吹き返してくるようにさえ思える。
「さてと、こんなもんかな」
 平静を装い、手の中でメガネを観察する。
「コンタクトはする気ないの?」
「目の中にレンズを入れるのが嫌なんだよ。何となく気持ち悪くてさ。それに、手
入れしなきゃいけないのが面倒くさい」
 そう答えてメガネをかけようとしたとき、瞬がいきなり僕の手首をつかんだ。
「待って。今日はこのままでいてよ」
「このままでって……見えないから駄目だよ。瞬の顔だって、目を細くしないとぼ
やけるんだから」
「じゃあ、近づけばいいんだ」
 瞬はそう言うなり、つかんだ手首を自分のほうへ引き寄せた。不意をつかれてぐ
らりと動いた僕を受け止めるように、唇を重ねてくる。乾いて荒れた感触が痛々し
い。
「……んっ」
 瞬の舌が、待ちかねたように僕の前歯をなめる。
 おいで。
 歯列を割って侵入してきた瞬を強く吸う。柔らかくてざらりとした感触が、過去
の快楽を呼び覚ます。股間が次第に熱くなっていく。
「ん……んんっ……」
 僕は片手で瞬の後頭部を押さえ、舌は言うに及ばず、歯列、頬の内側、口蓋など
口の中のあらゆる場所をなめ回した。股間に集まった熱が、今や全身に波及しよう
としている。頭の中がぼうっとして、もう何も考えられない。
 汗がじっとりと浮かんでくる。早く生まれたままの姿になって、瞬を抱きたい。
「幹……んっ……苦し……」
 瞬が突然、僕の腕から逃れようとするかのように身をよじった。
「駄目」
 あっさりと拒否し、再び唇を吸う。びくびくと動く舌の感触が、たまらなくいい。
「んんっ……、マジ……苦しい」
 瞬が僕から顔を背け、薄い胸に手を当てて荒い息を繰り返す。壊れそうな肩が大
きく動くのを見て、僕はやっと相手の苦痛に気づいた。
「ごめん! 瞬、大丈夫か!?」
「……うん」
 返事はするものの、瞬の顔は蒼白だった。
「横になろうね」
 僕は慌ててメガネをかけると、従弟の身体を抱えてベッドの上にそっと寝かせた。
「ほんと、ごめんな。ちょっと興奮しすぎた」
 反省の弁に、瞬が薄く笑う。どんな言いわけをしようと、病人への気づかいを忘
れた僕が悪い。
「ええっと、ナースコールはどこだ?」
「……大丈夫だよ」
「でも、看護婦さんを呼んだほうが……」
「ときどきね……こうなるんだ……」
 瞬は力なく言い、僕の手を取って自分の胸に当てると、ふうっと息を吐いた。
「少し、休むよ……」
「わかった。もし吐きそうになったら、すぐに言うんだぞ」
「うん……でも、もう吐きたくないよ」
 僕を見つめる目が、うっすらと潤んだ。
「瞬の病気、僕が必ず治してやるからな」
 どんなことをしてでも、瞬を救いたい。僕は誓いを立てるように、空いているほ
うの手で従弟の頭をなでた。 
「……ありがとう」
 瞬は小さな声で答えると、静かに目を閉じた。

 ブラインドの隙間から漏れる光が、いつの間にか赤く変わっている。冴子が病室
に戻ってきたのは、瞬が眠りに落ちてから間もなくのことだったと思う。
 僕は早速、伯母の様子を従姉に訊いた。それによると、末っ子から強引に引き離
された伯母は、何と恭一に説得されて(!)しぶしぶ家に戻ったという。やむを得
なかったとはいえ、僕にとっては気が重くなるような話だ。
 伯母に会いたくないからというわけではないが、僕はしばらくの間、病室に泊ま
り込んで瞬の看病をしたいと申し出た。それは冴子を通じて伯父や主治医へと伝え
られ、運良く承諾を得ることができた。
 従姉は陽が完全に落ちた後も、家と病院の間を往復して僕の着替えや勉強道具を
運んだり、夕食を買ってきてくれたりした。彼女には本当に感謝している。
 しかし、いつまでも再会に酔いしれていられるほど、現実は甘くなかった。

                      to be continued




#346/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/09/30  10:34  ( 67)
●新・権力の陰謀89 警察に敬意を表しないからよ ヨウジ
★内容

「(警察に)敬意を表しないからよ」
と工作者Aは言いに来たが。
まず、警察に敬意を表するか否かと
人権侵害されたり、でっちあげられたり
不利益な扱いを受けるということとは無関係だ。
国民は法の下に平等だからだ。
(これが理由になるなら気に食わないだけで
差別されたり、でっちあげられたりする)
更に私が警察に辛辣なことを言うようになったのは
権力の陰謀シリーズによる一連の訴えを読めば分かるよう
長年付き纏われ裏工作され平穏な生活と仕事を奪われ続けて来たからだ。
(結果的に一生奪われた)
犯罪者か重症の精神異常者でもない限り
訳なく警察に敵意を持つ人間などいない。
何故このような当たり前のことを説明しなければならないのか。
こんなことを言いに来る警察官の教養とモラルを疑う。

                            ヨウジ
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P.S.「21年前以前から私を差別する意志が働いていたのではないか。
    夫婦喧嘩後に電話問い合わせしただけで21年もこのようにこっ酷い
    仕打ちを受ける訳がない」
    日々付き纏われ妨害され追い詰められ、だから12年前、連載パソ通
    小説 ●『権力の陰謀』を書くことになった。

    おまけに今回は親権を無視され家出した娘(当時は未成年)と引き離さ
    れ、2年数カ月に渡り大きな屈辱と心痛を味あわされた。昨秋、行方不
    明の娘を探す最後の手段として取った「住民票職権消除」の手続きも、
    事もあろうに父親である私をストーカー犯にでっちあげ、住民票の閲覧
    制限を掛けて妨害した。これらのことも人権侵害であることは言うまで
    もない。この娘の家出問題は未だに未解決のままであり、胸のつかえが
    取れない苦しい日々を強いられている。

    詳しくは娘の家出シリーズを参照(下記)

     02/10/17 ●新・権力の陰謀26 娘の家出
     02/10/19 ●新・権力の陰謀27 娘の捜索願はストーカ警察へ
     02/10/19 ●新・権力の陰謀28 行方不明の娘の手掛かり
     02/10/19 ●新・権力の陰謀29 親子を引き離そうとする警察
     02/10/20 ●新・権力の陰謀30 携帯がもたらした家庭崩壊
     02/10/21 ●新・権力の陰謀31 警視庁裏権力の究極の目的
     02/11/06 ●新・権力の陰謀32 全ては警視庁の人権侵害から
     03/05/12 ●新・権力の陰謀38 娘の失踪から今日で丸1年
     03/08/25 ●新・権力の陰謀48 娘はもう直帰ってくる
     03/08/25 ●新・権力の陰謀49 娘は風俗に捕まっている
     03/08/27 ●新・権力の陰謀50 警察の妨害は20年前から始まった
     03/08/30 ●新・権力の陰謀51 警察のDVでっちあげ
     03/09/01 ●新・権力の陰謀52 隠蔽され腐敗する警察
     03/09/04 ●新・権力の陰謀53 悪意のある警察
     03/09/14 ●新・権力の陰謀54 DV防止強化の前に
     04/07/07 ●新・権力の陰謀74 娘の家出絡みで新展開
     04/07/13 ●新・権力の陰謀75 突然、住民台帳が閲覧禁止に
     04/07/13 ●新・権力の陰謀76 区の要綱適用に当たらない根拠
     04/07/13 ●新・権力の陰謀77 家出人探しは警察に頼むな
     04/07/13 ●新・権力の陰謀78 警察に頼まなければ家庭崩壊せ
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#347/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/09/30  23:39  (493)
冥々白々 1   永山
★内容                                         05/12/12 17:49 修正 第3版
「それでは、水曜会議を始めます」
 九条若菜(くじょうわかな)は薄いピンク色のクッションから腰を浮かし、
四角い座卓の縁に手をつくと、自分の座る以外の三辺を順番に見た。テーブル
上には、スナック菓子等の盛られたバスケットがいくつかと、ジュースの注が
れたグラスが四脚。
「まず、身近で、気になった出来事があったかどうか。報告を」
 いつもの通り、右回りに発言を促す。九条が顔を向けると、ツーテールの長
い髪が、共振実験の振り子みたいに揺れた。
「事件とは云えないかもしれないけれど」
 曽我森晶(そがもりあきら)が前置きをして始めた。
「月曜日のことなんだけれど、学校の図書館にちょっとした異変が。本が」
「盗まれたか?」
 九条の正面に座る江尻奈由(えじりなゆ)が、先走る。そうして話の腰を折
っておきながら、身を乗り出さんばかりに片腕をテーブルにつき、曽我森に続
きを求めてきた。
「盗まれたのなら、明らかに事件になる」
 首を振った曽我森は、抑えた口調で答えた。
「じゃあ、返却期日を守られていないってだけか」
「それも違う。本が増えていたの」
「増え……?」
 さすがに江尻の口も止まる。代わって、九条が嬉しそうに微笑んだ。
「事件ではなくても、ミステリーの匂いがします。表に出たがらない篤志家の
寄付じゃなければ、ですけれどね」
「図書委員でもないあきちゃんが、そういうことに気付くなんて、凄いね」
 全然別のところで感心したのは、ずっとお菓子に専念していた両津重子(り
ょうつしげこ)。指先をウェットティッシュで拭いてから、やっと本腰を入れ
るかのように、輪に加わった。
「蔵書の並びを覚えていただけよ。見覚えのない本がたくさんあって、しかも
タグも何も貼っていないんだから、目立つわ」
「ほんとに寄附じゃないのかしら? 悪い云い方をすれば、体のいい廃品回収。
不要になった本を、捨てるには忍びなくて、こっそり置いていった……」
 九条は寄附説に拘りを見せた。曽我森も頷きながら応じる。
「否定しきれないわ。一度に置いていったとしたら、大変な量だけれどね。私
が気付いた分で、九十九冊あったはず」
「そのことを、図書委員や司書の先生は、把握できていたの?」
「私がカウンターの子に尋ねるまで、誰も」
 曽我森は肩を竦め、首を横に振った。
「ほとんどが、使用頻度の低い、つまり目立たない書架に置いてあったせいと
思う。神社仏閣の資料写真集や大活字本、ハードカバーサイズの哲学書のコー
ナーといったところにね」
 三つ目の項目には、説明が必要かもしれない。彼女達の学校で哲学書を読む
生徒が皆無という訳ではなく、携帯に便利な新書サイズで揃っているのだ。
「勝手に置いて行かれた本の中に、図書館に元々所蔵されていたのと同じ物、
ありました?」
「あったあった。少し古い文庫本、文学全集、辞書の類ね。合計すると四十三
冊になったわ」
「そう」
 九条は意識して落胆のため息をついた。
「さっきの勘が当たってた気がする。寄附を申し出ても、全体の半分近くが蔵
書にあるのと同じなら、全部は引き取って貰えないと勝手に判断し、それなら
こっそり置いて行こうと考えた。ありそうじゃない?」
「九十九冊を運び込むのは、大変だよ? 何回かに分けたにしても、結構な手
間だ」
 しばらく大人しかった江尻が、やけに張り切った調子で異を唱える。続いて
曽我森が、「少しずつ増えていったのなら、私ももっと早く気付いたと思う」
と疑問を呈した。
「そうだよね。あきちゃんの記憶力は抜群にいいもんね。ちょっとでも前と違
っていたら、気付いた可能性大!」
 両津も同調する。興味を失いかけていた九条は、気を取り直して新たに考え
始めた。昔から有名な日本の某探偵のごとく、頭を掻く。無論、ふけが出るよ
うなことはない。
 やがて口を開く。飛んでもない答が出て来た。
「それなら、図書委員か司書の先生が犯人なのでしょう。あるいは、鍵を管理
している用務員さん。うちの学校の図書館に本を納めている書店の店員さんは、
時期的に除外できる。本を入れるのは、確か年度末だったはずだから」
「ふわ?」
「だって、そうじゃない? 曽我森さんがこの月曜まで気付かなかったからに
は、一度に九十九冊を運び込んだことになる。それができるのは、さっき云っ
たいずれかでしかあり得ない」
「筋道は通っている気がしないでもないけれど」
 困惑顔の曽我森は、同じような表情をする江尻と目を見合わせた。それから
すぐに、曽我森が云った。
「本好きな図書委員や、司書の先生がそんな真似するとは思えないわ」
「だったら、用務員さんに決まり。まあ、鍵を自由に取り扱える立場の人なら、
誰でも当てはまりますけど」
「うーん、反論できないよう」
 両津が頭を抱えるポーズをする。彼女の発した言葉は、他の二人の気持ちを
代弁していたかもしれない。
「明日以降、当たってみるとしましょう。この件は今日はこれまで。はい、次」
 九条は右手指先で、テーブルの端をとんとんと叩いて、進行を促した。
「両津さん、何かありましたか」
「私? 特にないよー。近所の飼い猫が迷子になったとか、いつもはすぐ売り
切れるジオールのメロンメロンケーキが二つも残ってたとか、M電機店の広告
で、価格表示が一桁間違っていたとか、それくらい」
 上目遣いで思い出す風にしながら、一気に喋ったあと、両津はまたお菓子に
手を伸ばした。
「念のため、検討してみましょう」
 九条はほんの一瞬だけ思案し、順番を決めた。
「価格の誤表示は、店側のミスで決着したの?」
「うん。私も店に行って、一応、聞いてみたよ。だってその値段なら、私もサ
ブマシンに欲しいって思ったんだもん、パソコン」
「ケーキが売れ残っていたのは、何曜日のこと?」
「先週の金曜」
「大雨だった日……。客足が鈍っても不思議じゃないわね」
 これもミステリーと呼ぶほどの話ではなさそう。がっかりしつつ、迷い猫の
件に。
「誘拐の可能性はあるかしら」
「さあ? 血統書付きとかじゃなく、ただの三毛猫だからねえ。でもさあ、飼
い主にとったらすっごく大事ってことはあるかもしれないしぃ」
「その猫の性別は知ってる?」
「確か、雌」
「じゃあ、正真正銘、珍しくもない三毛猫ね。家の近所で、小動物の惨殺死体
が見つかった、なんてことは?」
「ないない。あったら真っ先に報告してるって!」
 きっぱり否定したのを見て、九条は江尻と曽我森に、何か意見はないか、尋
ねた。曽我森は九条からの視線を無言でスルーし、江尻を見やった。
「猫で思い出したけれど、そういえば近頃姿を見なくなった野良猫や野良犬、
結構いる気がするな。前はもっと見掛けていたのに」
 江尻が云い、首を傾げる。
「寿命なのかな。それに今年の夏、猛暑みたいだし、野良達にはきつそうだわ」
「猫には猫の墓場があって、死期を悟るとそこへ自ら行き、誰にも知られずに
死んでいくって云うわね」
 曽我森が、彼女自身はあまり信じていないらしい口ぶりで云った。
 それはともかく、新しい話を得て九条は再度、黙考を重ねたが、結論や閃き
は出て来なかった。
「これは今後の展開待ち。より凶悪な犯罪の前兆現象でないことを願うけれど、
犬や猫の死体が見つかってないからと云って、安心するのは早計だし、現段階
では手の打ちようがありません」
 ため息混じりにここで打ち切り、三人目の江尻に視線を向ける。
「この一週間で、何か変わったことはなかった?」
「あったことになるかな。悪い意味の事件じゃなくてね。あー、でも、みんな
知ってるだろうなー」
 勿体ぶって、片目を瞑る江尻。九条は殊ミステリーとなると、せっかちな方
だが、ここは辛抱強く待ち、小首を傾げてみせた。
「何かしら」
「学年トップの座に長らく座り続けていた、あの逸見美真(へんみみま)が、
初めて陥落したじゃない」
「そういえば、噂になってたねー」
 両津が何故かにこにこ笑いながら応じた。尤も、彼女はそのふくよかさから、
いつだって笑っている表情に見えるのだが。
「先生もわざわざ云ってたし。でも、どちらかって云うと、代わって一番にな
った、えーと、誰だっけ」
「鈴木君よ。鈴木玲二(すずきれいじ)」
 曽我森に教えられると、両津は「あー、そうだった」と何度も頷いてから続
ける。
「鈴木君の努力を誉め称えるニュアンスだったよね。頑張ればできないことは
ない、とまでは云わなかったけれど、それに近い感じで」
「努力家が報われるのは、よいことです」
 九条は淡々と述べた。実は、彼女は学校の勉強にほとんど関心がない。それ
なりにいい成績を収めているから、心配もしてない。そんな九条が、他人の成
績や順位に興味を持てるはずもなく、だから今、江尻達が話題にしたことも初
耳だったし、ぴんと来なかった。
「しかし、ミステリーではありません。一応、聞きますけど、逸見さんのその
ときの成績が極端に悪かった訳ではないのでしょう?」
「それは勿論。飽くまで、鈴木君が頑張った結果だと思うよ」
「無闇に疑うのはよくありませんが、鈴木君がカンニングなどの不正を働いた
ようなこともないでしょうね?」
「多分。鈴木君て人がよくて、根が正直な感じだよ。仮に悪いことしたとして
も、すぐ顔に出ちゃうタイプ」
「では、事件性は疎か、謎も存在していませんね。この件も、これまででいい
でしょう」
「あのー、団長」
 江尻が右手を挙げた。九条は途端に顰めっ面になった。整った顔立ちの眉間
にのみ、深い皺が寄る。
「団長と呼ぶのはやめてくださいと、前から何度も云ってるのに」
「少女探偵団のリーダーなんだから、団長だと、前から何度も云ってるのに」
 ここぞとばかり調子に乗って、口真似をする江尻。
「でしたら、せめてリーダーと呼んでほしいです」
「それなら、そうする前に、名称を少女探偵倶楽部とかに変えない?」
「もしそんな名前にしたら、今度は部長と呼ぶつもりでしょう」
 延々と続きそうなやり取りに、曽我森が手を叩きながら割って入る。
「はいはい、不毛な論争はそこまで! 奈由、そんな話をしたくて挙手したん
じゃないでしょ、最初の様子だと」
「そうだった」
 頭を掻き掻き、江尻は咳払いをし、改まって九条に向き直った。
「いつもと様子が違うよ、だん……若菜」
「そうかしら」
「普段なら、関係なさそうな出来事を、あっちから一つ、こっちから一つって
感じで引っ張ってきて結び付け、飛んでもない大陰謀事件をでっち上げるのに」
「でっち上げだなんて。豊かな想像力の発露です」
 不平そうに唇を尖らせてみせた九条。江尻は、今度は素直に応じた。
「その豊かな想像力を、今日に限って発揮しないのは、何で? 私達の報告を
悉く、小さな事件として片付けようとしてたけれど」
「よくぞ聞いてくれました」
 途端に上機嫌になったのを、九条本人も自覚する。
「私も、この一週間に気付いた出来事があります。そこに、大事件の匂い、ミ
ステリーの匂いがするのです」
 要は、そのことを皆で早く検討したくて仕方がなかった、という訳だ。
「なぁんだ、そういうことか。私はまた、頭でも打って、どっかおかしくなっ
ちゃったのかと心配してたよ」
「至って正常です」
「ねえねえ、その事件の話、長くなりそう?」
 両津が顎を引き、見上げる風にして云うと、九条は察しをつけ、「分かりま
した」と首肯した。
「お菓子と飲み物の追加、ね」

「私は機械音痴で、さっぱり駄目でしたが、三月から両津さんに教わって、人
並みにインターネットを始めました」
「知ってる」
 曽我森が云った。他の二人と違って、お菓子やジュースにあまり手を出さな
い彼女は、早く話を聞かないと間が持たない様子である。
 九条はにっこり笑って、続ける。
「では、間を飛ばしましょう。何やかやとあって、私が定期的に覗くようにし
ている掲示板の一つに、幌真シティBBSがあります。自分達の住む街の名が
付いた掲示板は、ここくらいですから」
「知ってるー」
 手を挙げて反応したのは両津。
「いかにも公式っぽいけど、ほんとは違うんだよね。起ち上がった当初は、結
構賑わってたみたいだけれど、今は寂れてるんじゃなかったっけー?」
「うん、寂れてるけれども、たまに書き込みはあるの。そうでなければ、私も
定期的に覗きません。そして先週土曜、遡る内に、興味深い書き込みを発見し
ました」
 九条は立ち上がると、背後の机に向かった。あらかじめプリントアウトして
おいた用紙を手に取り、戻ってから皆に配る。
 書き込んだ者の名は、“冥”となっている。タイトル欄には「CATCH MEI IF 
YOU CAN」とある。洋画の題名を捩ったものらしい。日付は古く、四月一日だ。
書き込みの時間帯は、4:44。狙ったものなのだろうか。
 そして、なおのこと気味が悪いのは、その内容だった。
『我が名は冥。
 冥府魔道の絡繰り士。キマグレに命を貰う者也。

 遠くない未来に、次の者共の命、貰い受けることになるは、真理による定也。
 覚悟して待たれよ。

じゃにんDすとああてぃNしょうひゃくTけっこんGいかはつめBころじいえY

 侍の月を迎える迄に我を捕まえること能わざるときは、新たなる供物を求め、
再臨す』

「何これ? 殺人予告と暗号?」
 曽我森が紙から面を上げ、九条を見やる。
「さすが、少女探偵団のメンバーです。私も同じ考えに到りました。恐らく、
四月一日から十月三十一日までの間に、六人を殺害しようという宣言です」
「ちょ、ちょい待ち!」
 江尻が慌て気味に叫び、プリント用紙に顔をぐっと近付けた。目を皿のよう
にして、文面を追う。が、程なくして、投げ出すように云った。
「うーん、分からん。四月一日は書き込みのあった日だから、まあ分かる。十
月三十一日ってのは、どこにあるの? それに被害者の人数も」
「侍の月とは、十一月でしょう。小の月を覚えるのに、よく云いませんでした
か。『西向く侍』と」
「あっ。二、四、六、九、十一か」
 飲み込めた面持ちになった江尻。曽我森は端から分かっていた様子で、二度
ほど軽く首肯する。だが、両津は左右に首を傾げた。
「分かんない。聞いた覚えがないよー」
「あんたの文系嫌いには、びっくりするわ。教えてあげるよ」
 紙と鉛筆を使って、手早く説明する江尻。
 十一を重ねると士になることから、武士、つまりは侍だというところまで話
が終わるのを待って、九条は場の話題を本線に戻しにかかる。
「犠牲者に予定されている人数が六人というのは、暗号の形から判断しました。
予告文には『者共』とありますから、この――」
 と、彼女は、“じゃにんDすとああてぃNしょうひゃくTけっこんGいかは
つめBころじいえY”の箇所を指差した。
「――暗号文は、一人ではなく、複数名の人物を表すはず。一連の文が、アル
ファベットで六つに区切られていることから、一区切りが一人に対応している
と推測するのに、さほど無理はないでしょう?」
「なーる。それで六人か」
「最も重要なのは、誰が狙われるか、よね」
「勿論そうですが……暗号、まだ解けてなくて。だから、全員で当たろうと思
って」
 少しはにかんだ口ぶりになる。それを自覚して、九条は顔を若干、皆から反
らした。少女探偵団を結成し、リーダーを務めているものの、彼女が理想とす
る探偵像は、飽くまで個人なのだ。他の物事に関してなら、みんなで協力する
という形でも、一向に気にならないのだが。
 九条の信条とは関係なく、議題は進む。早速、曽我森から意見が出された。
「暗号をまともに解くのは難しそうだし、実際に起きた事件を当てはめていっ
た方が、早いかもしれないわね」
「ん? どういうことです?」
「これを書いた冥さんとやらが本気だとして、半年で六人の殺害を予告してる
んだから、ひと月に一人の割合でしょ。今月でもう三ヶ月目よ。二、三人の犠
牲が出ていて、おかしくないわ。その全てが発覚してない訳はないと思うの」
「云いたいことは分かりました。凄い」
 感心して首肯する九条。江尻や両津も、似たような具合に頷いた。
「ハードルは、対象にすべき殺人事件が、あまりにもたくさん起きていること。
四人で手分けしても、何日間掛かるか……」
 難しげに唸って、俯き加減になった九条に対し、曽我森はさも意外そうに、
「幌真市とその周辺ぐらいでいいんじゃないの?」と云った。
「それは何故?」
「絶対的な根拠にはならないけど、幌真の掲示板に書き込んであったんだから、
それでいいんじゃないかなって。わざわざ寂れてるとこに、こんな予告したっ
て、普通は注目されないわよ。もっと大きな、賑わっている掲示板に書き込ん
でこそ、犯人の目的は達せられるんじゃないかしら」
「愉快犯なら、確かに……。しかし、余所の掲示板に書き込んでいるかいない
か、分かりません」
「検索掛けたら、ある程度は掴めるよ」
 両津が云って、重い腰を上げた。立ち上がってからは足早に、九条の勉強机
に向かった。ノートパソコンに手を乗せ、聞いてくる。
「起動していい? 調べるのに」
「ああ……分かりました」
 パソコンやインターネットをまだ使いこなすまでにはなっていない九条にと
って、今この場で検索してみるという発想自体、出て来なかった。
「折角だから、こっちに。みんなが見易いように」
 江尻の言に従い、九条愛用のパソコンを勉強机から座卓に移す。コード類の
捻れを直し、起ち上がりを待った。いや、待つというほどのこともなく、使え
る状態になった。
「軽いなー。私みたいに色々載せてたら、こうはいかないもんね」
 お喋りをしつつ、作業をてきぱきと進める両津。
「検索語は何にする?」
「そりゃあ、決まってる」
 江尻が即答し、先ほどの用紙を持つと、一箇所を指差した。犠牲者を予告す
る暗号文だ。
 それを見ながら、両津が入力していく。
「全部?」
「うーん、Nぐらいまででいいんじゃないかなあ」
 異論は出ない。“じゃにんDすとああてぃN”で検索を行った。
「……ないね」
 両津が呟く。実際には一件だけヒットしていたが、それは九条がこの冥の書
き込みを見つけた、幌真シティBBSだから、端から除外だ。
「どうしよ? 短くしてもう一回かな」
「これで充分でしょ。少なくとも、この暗号文は、余所に書き込まれていない
可能性大ってことよ」
 曽我森が断定するのへ、九条が疑問調で口を挟む。
「別の暗号文があるとしたら、まだ分からないということですね」
「別の? それを心配し出したら、きりがないわ。雲を掴むような話になっち
ゃう」
「だったら……この、『冥府魔道の絡繰り士。キマグレに命を貰う者也。』で
検索しましょう。暗号の部分が異なっていたとしても、これは共通しているは
ず」
「ラジャ〜」
 両津はすぐさま応じ、手先を軽快に動かした。先ほどより時間が掛かったの
は、漢字に直すのに手間取ったせい。「めんどいー。一発で変換してくれない
よ〜」とぼやきながら、どうにか正確に打ち込んでいった。検索ボタンをクリ
ックして、息を飲んで待つ。今回も結果が出るまでは短かった。
「空振りだね」
 最前と同じだった。両津が、あーあと大きく伸びをする。曽我森がすかさず
云った。
「がっかりすることないわ。これで絞り込めたんだから。何故だか知らないけ
れど、冥はこの幌真市を舞台に選んだ」
「もしくは、己の犯罪劇場に招待する客を、幌真市に住む人々に限定した」
 九条が付け加える。
「だって、幌真の人が予告を読むものと期待して、あの掲示板に書き込んだの
は確実としても、犯行がなされるのが幌真市と決まった訳ではないでしょう? 
勿論、幌真が犯行の舞台になる可能性は、極めて高いとは思うけれども」
「とにかく、次のステップに行こう」
 江尻が焦れたように云う。彼女は両津の肩を揉みながら、皆を相手に続けた。
「仮に幌真が舞台になってるとして、既に冥の予告は実行されているかもしれ
ないんだろ。調べるには、何て検索すればいい?」
「ネット検索では、手間が掛かりすぎるんじゃない?」
 曽我森が云うと、両津も頷く。
「新聞社のデータベースにでもアクセスして、そこからだね」
「そんなことしなくても、私、スクラップを作っています」
 九条は机の一番下の深い抽斗を開けると、そこから青いカバーのファイルを
取り出した。A4より二回りほど大きなサイズで、厚みもある。テーブルに置
く際、なかなか重たげな音がした。
「探偵を志したときから、新聞に掲載された変死事件の記事を全て切り抜き、
取ってあります。これは今年の一月からの分。今日のはまだ切り抜きを許され
てませんので、昨日の夕刊までですけれどね」
 ルーズファイル形式になっているページを、ぱらぱらとめくった。
「こんな、いつの間に……」
 江尻と曽我森は驚きと呆れが一緒になったような苦笑を作り、口を半開きに
してファイルの中を見入る。両津はそれを横から眺めつつ、「使い勝手のいい
データベースにするのは魅力的だけれど、入力が大変そう……」云々とこぼし、
難しい顔になっていた。
 九条は日々の努力の積み重ねが役立つのが嬉しく、それが表情に出ていた。
目を細め、ページを繰る。と、あるところで止めた。
「ここからですね。念のため、四月一日に起きた事件から見ていきましょう」
 当該分を外し、四つに分けようとする九条。彼女の腕を、両津がつついた。
「何でしょう?」
「ねえねえ、幌真の事件だけをまとめて抜き出してないの?」
「そこまでは無理です。スクラップを始めるに当たって、考えなくもなかった
のですが、全てコピーして、別のファイルを作らねばなりませんからね。中学
生には厳しいです」
「はあ……。リーダー、パソコンをもっと活用しようよぉ」
 両津の嘆きはさておき、分担してのチェックが始まった。まず、幌真で起き
たものを選んでいく。次いで、未解決事件に絞り込む。
「幌真の規模から云って、殺人事件は年平均……二十ぐらい? 月に二件弱ほ
ど起きてるような感じがする」
 江尻の予想を、九条は「とんでもない」と否定した。
「ここ最近は、年間発生数は十前後で収まっているみたいですよ」
「そんな程度? 俄には信じがたいなー」
「他の地域とごちゃ混ぜになってません? 幌真の規模なら、これでも多い方
です。南部に繁華街を抱えているせいか、喧嘩の末に殺してしまったケースが
案外あって。以前、親が子を虐待死させた中にも、殺人と認定された事件があ
りましたしね」
「ああ。そう云えば、交通トラブルでもあったね。揉めて、片方の人が相手の
車にしがみついて、運転手はスピードを上げ、蛇行運転を繰り返し、さらには
塀に擦りつけて死なせた事件。明確な殺意があったとして、殺人になったっけ」
 話しながらでも作業は意外と捗り、四件の未解決殺人事件と、続報の見当た
らない変死事件が三つ残った。それぞれ一つずつ――山中で発見された焼死体
と、岸壁近くを漂っていた水死体――、被害者が身元不明のものを含んでいる。
「さっき聞いた平均からすると、ペース早くない? 変死はともかく、殺人が
ふた月余りに四件て」
 江尻が感想を述べると、九条はゆっくり頷いた。
「冥が暗躍しているからかもしれません。ひとまず、両津さん。これらが本当
に未解決事件かどうか、調べてください。中には、私が見落とした分があるか
もしれない。変死事件で、後に殺人でないと分かった場合は、決着しても記事
にならないこともあるようですし」
「ラジャ、ラジャ〜」
 両津はジュースのグラスを空けると、鼻歌混じりに取り掛かった。
「でもその前に、幌真の掲示板が、IP丸出しかどうか、確かめとくね」
「アイピー?」
「発信元の特定にある程度役立つっていうか……あ、いいや。出てない。今の
時点では忘れてOK」
「そう、ですか……? では、追跡調査をお願いします」
 分からないまま形だけ頷いた九条は、他の二人に向き直り、「私達は、暗号
解読に取り組みましょう」と云った。江尻が呼応して、先の用紙を凝視するの
に対し、曽我森は一つの疑問を出した。
「その前に、リーダー。幌真のBBSにその後、書き込みはないの? 予告に
関係のある書き込みって意味ね」
「元々寂れていますからね。それでも、たまにありました。予告に反応した、
品のない書き込みばかりですけれど。『本気じゃねーくせに』『通報しますた』
『タイーホ』と、そんな程度の。まともに暗号を解こうとした人はいなかった
みたいですね。ちなみに、本気で通報が行われた気配は、今のところありませ
ん」
「冥の新しい書き込みもなかったって訳ね」
「はい。別の名を騙ってもいません、多分」
「こういう劇場型犯罪の犯人て、犯行を一つやる度に、誇示したくなるものじ
ゃないのかしら」
「書き込みの題名で、MEIつまり冥を捕まえられるものなら捕まえてごらん
と挑発しているのですから、自己顕示欲は強いんでしょう。なのに誇示してい
ないのだとしたら、あまりにも掲示板が寂れているから、愛想を尽かしたのか
も」
「愛想を尽かしたなら、どこか別の掲示板に書き込んでいても、不思議じゃな
いような……」
「予告にあった暗号を余所に書き込むことはしていないと分かっただけで、冥
が余所の掲示板に全く書き込んでいないかは、断定できません」
 話を続ける二人に、江尻が「そろそろ、こっちに力を貸せーっ」と怒ったよ
うな口ぶりで云った。
「リーダーのことだから、既にいくつか検討してみてるんでしょ。それを教え
て。手間が省ける」
「はい。まず……アルファベットは数字を変換したものではないかと仮定し、
アルファベット順に数字を対応させました。Dは4、Nは14という風に」
「うん、それで」
 紙にメモを取りながら、江尻が先を促す。九条は困惑顔になりつつ、説明を
続けた。
「それで、たとえば『じゃにんD』は、じゃにんの各文字を前か後ろに四つず
つずらしたら、解読できるのではないかと考えたのですが……」
「それだと、じゃにんはえっと……」
「ずらし方の法則にも拠りますが、後ろにずらすなら、『ぞゅのん』『ぞりの
げ』『ぞりのえ』等になって、まるで意味をなしません。前にずらすも同じで
す」
「考えみたら、ずらすというのは、小さい『や』や『ん』の扱いがはっきりし
ないなあ。あ、濁音や半濁音もか」
「それは考え得る全てを試せば済む話ですから、大きな関門ではないでしょう。
いずれにせよ、このやり方では駄目でした」
「なるほど。次は?」
「逆さ文かと思いました。ローマ字に置き換えて、逆から読むという……」
 再度『じゃにんD』を例に取ると、ZYANINDとし、これを逆順にDN
INAYZと並べ替えて読もうという考え方だ。これも意味のある結果にたど
り着かないのは、明白だった。
 九条は三番目に考えついた説を話す。
「ローマ字に置き換えたことから発想したのですが、全てをローマ字にした後
に、更に数字に変換するのはどうか、と。Zは26、Yは25、Aは1という
風に」
「ZYANINDは……26251149144?」
 曽我森が考え考え云うと、九条は軽く首を縦に。と、次に横に振る。曇った
表情で、ため息混じりに云う。
「でも、そこから意味のあるメッセージを導き出すには到ってません。恐らく、
間違ったのです」
「二重、三重の暗号ってこともなさそうだし……」
「はい。殺人予告とは本来、狙われる者に恐怖を与えるのが目的のはずです。
それを暗号化するだけでも本末転倒なのに、さらに多重暗号だなんて。暗号マ
ニア以外、そんな間怠っこい真似をするとは考えにくい」
「案外、冥は暗号マニアなのかもよ。ハンドルネームも、ひょっとしたら本名
のアナグラム……MIEを並び替えたMEIだったりして」
「面白い説だと思います。ただし、真相を射抜いているかどうかは、現時点で
は、その他の数多ある説と同等です」
「そりゃそうだわ。根拠なしの、単なる推測に過ぎないものね」
 ひとしきりの議論が済んで、九条と曽我森も暗号解読に臨む。一足先に取り
掛かっていた江尻が口を開いた。
「これって意外と、一つの名前を表してることって、ないかな」
「一つの名前? それはないわ。さっき、リーダーが云ったように、複数名の
殺害予告なのは間違いないんだから」
 曽我森が即、否定するが、九条はそれを遮って、言葉を差し挟む。
「一人の名前、ではなくて、一つの名前、と云いました?」
「さっすが。鋭い」
 両手の人差し指を真っ直ぐにし、九条へ向ける江尻。曽我森は、「どういう
こと?」と問いたげな目線を二人に送った。
「同姓同名の人間が、世の中には結構いるんじゃないかってことさ」
 江尻が得意げに説明を始める。が、最初のフレーズのみで、曽我森も察した
らしい。
「そうか。分かったわ。暗号では一つの名前を示し、その名を持つ人が次々に
狙われていく。そういうことね」
 この説を認めると、選択肢が増えてややこしくなる。厄介だなと感じつつ、
無視する訳にも行かない。
「じゃあ、私はこれまで六つの名前に固執して、散々頭使っているから、気分
転換の意味も込めて、江尻さんの説で考えてみる。江尻さんと曽我森さんは、
六つの名前で考えてみてくれる?」
「うん、その方がいいか」
 役割分担が明確になったところで、場は静かになった。クリック音とペンを
走らせる音のみが、しばらく続く。
 更に十五分程度が経過した頃、パソコンを弄っていた両津が口を開いた。し
ばらくストップしていたお菓子を再開しつつ、結果報告。
「殺人は全部、未解決みたいだよ。変死の方は、二つが決着。水死の奴が事故
死だったって発表されてる。あと一つ、自殺で片が付いてた」
 食べながらだから不明瞭な箇所もあったが、大凡は聞き取れた。九条はスク
ラップ記事の中から、解決済みの物を確認すると、元に戻した。
「ご苦労様。それじゃあ、残り五つの事件で死んだ人の名前、リストアップし
ていきましょう」
 九条が云うと、両津はいつの間にか起ち上げていたエディタに、手早く文字
を入れていく。作業はじきに終わり、指先を拭くのに使ったちり紙を丸めてか
ら、画面を九条の方へ向けた。
「これをプリントアウトすれば、すぐにリスト完成〜」
「あ、ありがとう。随分早い……」
「コピー&ペーストの繰り返しだから、さっきの検索よりずっと楽だったよ。
さっきもこうすればよかった」
 この程度のことにも感心しきりの九条だが、ともかく印刷しようと、コピー
機にパソコンを接続した。どこにどう線をつなげばいいのか、まだ覚えていな
いため、配線メモを片手に、できる限り素早く。そうしてプリントアウトした
紙を各人に配り、彼女自身も手に取るとじっくりと見入った。



――続く




#348/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/10/01  19:10  (500)
冥々白々 2   永山
★内容
四月
・殺人
4/2 佐藤伸哉(さとうのぶや23)アルバイト    E町8−1
4/15 殿宗寺佐助(でんそうじさすけ70)書家   N町5−2

五月
・殺人
5/8 高橋浪江(たかはしなみえ64)主婦・未亡人  W町1−3
5/21 中村家康(なかむらいえやす48)芸術家   S町2−9

六月
・その他の変死
6/2 生島剛(いくしまつよし17)高校生      N町3−6


「冥がひと月に一人、殺害していると仮定すると」
 曽我森が口火を切った。
「四月、五月はそれぞれ二件の内のどちらかが、冥の仕業となるけれども、こ
の見方は甘いかしら?」
「いえ、そうでもないと思います」
 受けるのは九条。伸びたツーテールの左をしきりに弄りながら、微笑みを浮
かべた。
「その前に、江尻さんが先ほど唱えた説が、九十九パーセント消えましたね」
「ん? あー、そうか」
 名前を突然呼ばれて戸惑い気味ながら、江尻は程なく察した。
「名字が違うから、あの暗号が一つの姓名しか表していない、という考え方は
誤りだってことね」
「暗号は矢張り、六名を示しているのだと思います。そして、その上で、冥が
ひと月に一人殺害しているという仮定を採用しましょう」
 九条は紙の上の名前を指差した。
「『じゃにんD』が表すのは、佐藤伸哉か殿宗寺佐助ということになります。
同じく、『すとああてぃN』は、高橋浪江もしくは中村家康に対応するはず」
「どう変換するのかは分からないけどぉ」
 両津が右手を挙げながら云った。
「Dは殿宗寺のDじゃない? Nは中村で」
「浪江もNだよ」
 両津は江尻に指摘されて、「あ、そうか」と自説の弱さをあっさり認める。
 九条はしばし考え、両津の意見を「いい線行っているかもしれません」と評
してから、尋ねた。
「佐藤伸哉とDとを関連づけるような情報は、何かないですか? たとえば旧
姓や住所のイニシャル、渾名――」
「うーん、ちょっと待ってよ……あっ、アルバイト先がファミリーレストラン
のデリーズだ。週刊誌の記事だけれど、働きぶりは真面目で、いずれ正規採用
にという話が出ていたとか何とか。でも当人は俳優志望で、あんまり気乗りし
てなかったんだって」
「働いていた場所、ですか。難しいわ。個人をある程度特定する属性ではある
ものの、名前ほどじゃない……」
「名前だって、同姓同名はいるわよ。個人特定という意味なら、仕事場と大差
ないんじゃないかしら」
 曽我森が意見を述べると、九条はそれもそうねと思い直した。探偵業に限ら
ないかもしれないが、修正や切り換えの速さも大切と認識している。
 そこへ江尻が口を開いた。顔は両津の方を向いている。
「両ちゃん。四件の殺人の中で、絶対に冥の犯行とは違うと云えそうなのって
ないのかな? たとえば、えーっと、容疑者は絞り込まれているが、誰がやっ
たかまでは特定できていない。そのために未解決扱いであるとかさ」
「なーるほど。しばし待たれよ……」
 両津の手がキーを叩くのを見ながら、九条は江尻の見方を検討してみた。
「絞り込まれた容疑者達の一人が、冥かもしれない。だからそれを材料に、安
易に除外するのは反対です」
「そりゃ勿論だけどさ。容疑者なら警察のマークが厳しくなるだろうから、動
きづらいんだろ? 冥が容疑を向けられるような間抜けだったら、余裕こいて
殺人予告してる場合じゃないって」
「理屈になってないように思いますが……」
「いやだから、何て云うか……そうだっ。容疑者扱いされるってことは、恐ら
く、動機がはっきりしてるんだ。対するに冥は、無差別殺人を画策しており、
犠牲者個人に明確な動機を持っているとは思えないな。よって! 冥は容疑者
扱いされない」
 江尻の自信満々の発言だったが、九条は首を傾げた。
「待ってください。冥の計画が無差別殺人と断定するのは、現時点では少々危
険でしょう? さすがに、全てが明確な動機による殺人とは云いませんが、明
確な動機による殺人一つをカモフラージュする目的で、大量殺人を狙っている
可能性もあります」
「あれね。木を隠すなら森っていう」
 曽我森が呟く。江尻は「だめか〜」とぼやき、引き下がった。
「いえ、だめではありません。なるべく論理的に行こうと思ったまでです。私
も心情的には、江尻さんの説に傾いています」
「そうか? それならいいんだけど」
「ともかく、両津さんの調べた結果を待ちましょう」
 九条の声を合図としたかのごとく、両津が「はい」と挙手をした。
「分かったよぉ。というか、分かった範囲じゃあ、高橋浪江さんの事件が引っ
かかる。この人、未亡人で、亡くなった旦那さんから結構な財産を引き継いだ
らしいよ。その財産目当てに殺されたっていう見方が有力視されてて、警察も
容疑者逮捕の日が近いことを記者に匂わせている、だって」
「興味深いですね。他の三件は?」
「これといった続報記事は見当たらず。たださあ、その中の二件が、とっても
変な具合なんだよね」
「どういう風に」
「私達の好きなミステリの言葉で云うと、不可能&不可解ってやつみたい」
「……決まりです」
 目が輝くのを意識する九条。軽い興奮で、息が荒くなった。
「その二件が、冥の犯行に違いありません!」
「そんな無茶な」
 江尻が口を中途半端に開け、顰めっ面を作っていた。
「階段を一歩一歩、堅実に昇ってたのが、突如、三段とばしを始めた感じ」
「一般的な犯罪者が、わざわざ不可能犯罪を行うことは、極めて希です。対照
的に、冥のような劇場型犯罪者には、不可能犯罪がお似合いというもの」
「乱暴な理屈だよ、それ。極めて希ってことは、絶対にないことじゃないんだ
し」
 火の着きかけた九条と江尻のやり取りを、曽我森が止めに入る。
「ここはまず、どの件が該当するのかとか、どんな不可能犯罪なのかを聞いた
あと、判断すればいいじゃない」
「――正論です。建設的です」
 九条はクッションに座り直し、両津の方に首を向ける。江尻もため息混じり
の渋々ながら、話を聞く姿勢になった。
 両津は他の三人の注目をあからさまに意識しつつ、右手人差し指を立てた。
「一つ目は、殿宗寺さんの事件! 一人では決して出られない部屋で刺し殺さ
れていた!」
「……興味深いけれども、具体性に欠けて、いまいち、状況を思い描きにくい
というか……」
 曽我森が小首を傾げると、両津は画面の記事をちらちら見つつ、読み上げ始
めた。否、掻い摘んでの説明らしい。
「えーっと。殿宗寺さんの自宅には、隠し部屋がいくつかあり、その内の一つ
が犯行現場と思われる。部屋の扉は、開閉には複数名の協力を必要とする構造
であるにも拘わらず、発見当時、殿宗寺さんの遺体しかなかったことから、謎
が深まっている……」
「両津さん、文章、間違ってませんか? 成り立ちません」
 瞬間的な苛立たしさに襲われた九条は、感情を抑制して聞き返した。その分、
指先でテーブルの縁を叩く。
「間違ってないと思うけど。扉の説明として図が出てるから、それを見たら納
得するんじゃない?」
「図面とは関係なく、文章がおかしいと感じたのです。開閉に複数名の協力が
必要というだけなら、複数犯であれば何ら問題はありません」
「……あー、そだね。図を見たら、最低でも部屋の中に一人、外に一人いない
と開閉できないって分かるんだけれど、文章にはそこまで書いてない」
「そうでしたか」
 九条は満足して頷き、図を見ることにした。他の二人と同様に場所を移動し、
両津の脇に回る。
 と、そのとき時計に注意が向いた。例会を始めてから、既に三時間になろう
としている。少女探偵団の規則の一つに、平日の会合は三時間を超えないよう
に務める旨があった。現に事件の解明に当たっているのであれば例外とするが、
今日のような場合は、まだ解明に当たっているとは云いにくい。事件の存在の
有無を調べている段階だからだ。
 団の中で最も探偵熱の高い九条である。ここは素知らぬふりを決め込んで、
続けたいところ。だが、リーダーとして、それはできなかった。
「残念ですが、じきにタイムアップを迎えます。例会はここで終了とし、本事
件の検討は、帰ってからも個別にやるようにしましょう。扉の構造の図など、
必要な物をプリントアウトして、各自持ち帰ることに」

 やり残しの宿題を片付けた九条は、間を置かずに、冥の事件に取り掛かった。
 殿宗寺事件の現場、その扉は一風変わった構造をしていた。
 出口は一つ、金属製の扉のみで、これは上下に動く。上がった状態が、“開”
だ。操作は手動。部屋の奥に固定されたハンドルを回すと、滑車の仕組みで、
扉が上下する。ハンドルにはストッパーがなく、扉を上げた状態で手をハンド
ルから離すと、扉はすぐに下がりきる。扉を開けておくには、常に室内で一人
がハンドルを持っていなければならない。
 ではその一人はいかにして部屋を出るのか。出口は枯れ井戸(と云っても形
だけの造り物だそうだ)の底に通じており、出てすぐの壁面にレバーが設置さ
れている。このレバーを押し下げることで、隠し部屋の扉が上がった状態のま
まロックされ、室内の者はハンドルを手放し、外に出られるようになる。
 そしてここが要なのだが、井戸は上がっては行けるが、上から降りて行くこ
とはできない仕組みになっているという。遊園地等の入場口によくある、一方
向にのみ回る回転扉のような器具が取り付けられているのだ。
(この器具のおかげで、井戸から共犯者が降りてきて、レバーを操作するとい
う手段は執れない……)
 ふむ、と鼻息を小さくつき、微笑する九条。こうでなくちゃ、と思う。
 出口の構造は分かった。では、入口はどうなっているのか。
 入口は、床の間の壁にカムフラージュされている。掛け軸をめくると、握り
拳二つ分ほどの空間があり、上からロープが垂れている。このロープを引くこ
とで、壁の一部がどんでん返しのように回るのだ。そこから入ると、すぐにま
た回転扉がある。これは井戸に仕掛けられた物と同じく、一方向、つまり入る
ことしかかなわない。
 更に、この回転扉は二人が通る(換言するなら二回転する)とロックが掛か
る。ロックを解除する条件は、先に記した部屋を出るための一連の動作の終了
である。これにより、隠し部屋には常に二人一組で入るほかない。部屋から一
生出られなくてもいいのなら、一人で入ってもかまわないが。
 そして、回転扉を抜けて真っ直ぐ、約一メートル先に隠し部屋がある。
(入るルートの逆走は不可能。入口の回転扉を、一回転につき二人いっぺんに
通ることも不可能。完全な密室殺人……)
 ともすれば密室の謎解きに傾きがちな頭脳を、手綱を引いてとどめる。
 今すべきは、冥の事件であるかどうかの判定だ。密室の謎は、九条には大変
な魅力だが、後回しにせざるを得ない。
(殿宗寺さんて人、どうしてこんな変な仕掛けを作ったのかしらと思ったら、
書家だけでなく、忍者でもあったのね)
 両津によって手に入った、被害者の個人データに見入る。自称忍者、という
言葉があった。趣味にしていたらしい。手裏剣や刀の模造品、水蜘蛛やがんど
う等、多彩な忍者道具が物置から見つかっている。自宅に隠し部屋をこしらえ
たのも、趣味が高じた結果である。真似をするだけではつまらないので、人を
食ったような造りにしたと広言していたと伝えられる。
 収集及び増改築費用の出所は、書家として儲けたのではなく、先祖代々受け
継いできた土地家屋を切り売りした対価であり、被害者もまた自身所有の山の
中で、忍術修行の真似事をしていたという。このような趣味を独りで極めても
物足りなかったか、同好の士との付き合いは広範であった。その内の親しくな
った仲間に、順次、隠し部屋の存在を打ち明けていた。
(当然、犯人は隠し部屋について知っていたはず。でないと、こんな計画犯罪、
できる訳がない。容疑者は絞られるわ)
 今度は、犯人探しに気持ちが傾く。九条はまたもや頭を振って、最優先事項
に意識を向け直さねばならなかった。
(冥の犯行と断定するには、被害者とあの暗号を結び付けなくちゃ。暗号が六
人を差し示し、なおかつ、殺害順の通りに並んでいるとしたら、『じゃにんD』
が殿宗寺さんに該当するに違いない。……うん?)
 心の中での呟きに、引っかかるものがあった。凄く単純で明快な答が待って
いる、そんな予感が生まれる。
 九条は心中の呟きを声にした。
「『じゃにんD』……じゃにんじゃにんじゃにんじゃにんじゃにんじゃ……」
 次の瞬間、声を立てて笑っていた。
 こんなにもあからさまに答が掲げられていたなんて!
(『忍者』の前後を入れ換えて、『じゃにん』にしただけなのね。『じゃにん』
が趣味を表すのなら、Dは……これも簡単だわ。殿宗寺のイニシャル、D)
 この仮説が当たっているのか確かめようと、暗号の二項目、『すとああてぃ
N』の変換を試みる。
(名字のイニシャルはN。『すとああてぃ』は、真ん中で切って入れ換えると
……『あてぃすとあ』? 意味が通じない)
 困惑が眉間に皺をなす。区切る位置をずらしてみることを思い付いた。即座
に、答らしき言葉が浮かぶ。
(二文字目と三文字目の間で切って入れ換えれば、『ああてぃすと』になるわ。
アーティストで決まりね)
 ならばと、イニシャルNで趣味が芸術関係の被害者がいたか、チェックする。
程なくして、九条の脳裏でマッチングが成立。
(中村家康さんが当てはまる。名字のイニシャルはN。趣味じゃなく、仕事だ
けれど、芸術家だわ)
 そして、両津が云っていたもう一つの不可能犯罪も、中村家康の事件であっ
た。確信を強め、九条はこれまでの思考過程と結果を書き留めた。
 この程度ならみんなも気付くかなと思い、知らせるのは明日学校に着いてか
らでいいと判断する。実は多少恣意的な判断である。というのも、九条は不可
能犯罪の謎そのものに、早く取り組みたかったのだ。
 だが、それ以前にすべきことがまだある。
(解いたことを、冥に知らせてやりましょう。警察への通報は……冥の反応が
あってからでいいかしら。でも、次の犯行を防がなくてはいけないし)
 そこまで考えて、そういえば六月に起きた事件は、この暗号に当てはまるの
かと疑問が湧いた。急いで調べる。
 死んだのは生島剛、高校生。暗号は『しょうひゃくT』が対応する。
「……関連なさそう。『しょうひゃく』はどう考えても百姓だし、イニシャル
はTじゃないし」
 独り言を口にしてから、だったら未然に防ぐにはどうすればいいかという難
問に突き当たる。
(幌真市の農家で、イニシャルがTの人全員を警護するというのは、現実的で
ないのかなぁ。何軒あるのか分からないし、一軒につき何名いるのかはもっと
分からない)
 農業地帯を抱えてはいないから、莫大な数に昇ることはあるまい。それでも
農業に携わるイニシャルTの人全てに、警護員を付けることは難しいだろう。
警察に冥の存在を認識させ、これは連続殺人事件なのだと納得して貰わない限
り。
(冥に挑戦状を叩きつけるよりも、こちらの方が大事です)
 思うものの、実行に移すのには戸惑いを覚える。少女探偵団の例会で刑事事
件を取り上げたことは幾度かあったが、解決につながる糸口らしき物を掴んだ
のは、今回が初めてと云っていい。
 一介の中学生に、警察やマスコミに伝があるはずなく、正面から持ち込んで
も、まともに取り合ってくれるかどうかすら危うい。門前払いが関の山か。家
族や教師に相談してどうこうなる問題でもあるまい。
(お父さんお母さん相手でも、冥の暗号を解いたらこうなったんだけれど、ど
うすればいい?ぐらいの相談ならできるかもしれないけれど、そのあとがね)
 期待薄だ。
 九条の願い、それは、冥の次の犯行を防ぐことに加えて、この事件に積極的
に関わることもある。探偵になるべくして生まれた(と自負する)彼女にとっ
て、初めて巡ってきた大きな事件。つまり、初めての好機でもある。逃したく
ない。
(刑事か新聞記者の知り合いがいる人、いなかったかしら)
 本棚に目が行く。小学校の卒業アルバムと、中学校の名簿が並んで立て掛け
てある。探偵になりたいと明確に希望を持ち始めたのは、中学生になってから
であるため、小学校のときの同級生の親が何をしているかなんて、気に留めた
ことがなかった。ひょっとしたらいるかも、という淡い期待を抱き、膝立ちで
本棚に近寄ると、卒業アルバムの方へ手を伸ばす。
 目当てはアルバム内の名簿ではなく、小冊子として付いてきた保護者の名簿。
何の目的で作られたのか分からないけれども、家主の職業も併記されていた。
 ケースごと卒業アルバムを引っ張り出し、傾けると、小冊子が滑り出る。最
初から順に、職業の欄にだけ注目してページを繰っていった。

 梅雨のシーズン真っ盛りというのに、今朝は快晴。気持ちよく澄んだ青空の
下、そよぐ風もからりとしている。なのに。
「どうしたらいいのかしら」
 ため息と共にこぼす九条。登校の足取りは重かった。目が冴えてしまって早
早にベッドを抜け出、結果、普段よりかなり早く家をあとにしたからよいよう
なものの、いつも通りだと確実に遅刻のペースだ。
 学校で嫌な出来事が待っているのではなく、冥の次の犯行をどうすれば防げ
るのか、一晩考えてもアイディアは閃かず、手詰まりに陥ったため。名簿のチ
ェックも虚しい結果に終わっていた。
(暗号を解いただけじゃ弱い。論理性を高めて、説得力を持たせられたら、警
察に持ち込めるのに)
 ずっと考えてきたことが、また頭の中を回り始めた。
(何か、きっかけになる何かがあれば……)
 その“何か”が見つからず、苦しんでいる。
 根を詰めると、突拍子もないことを思い付くもので、昨晩、ベッドの上で苦
悩する内に一瞬、「冥に次の殺人を起こさせれば!」と考えた。およそ一分後、
かぶりを振ってこの考えを打ち捨てると同時に、自分を戒めたのは断るまでも
ない。
「若菜ーっ!」
 物思いに耽る九条の後ろから、長く引っ張る声がした。振り返らなくとも、
江尻と分かる。だから返事をせずに、彼女が追い付くのを待っていた。
 すると。
「ん? 誰?」
 三メートルほど前方を行く男性が、足を止めて、肩越しに振り向いた。眉に
掛かるか掛からないかぐらいの黒い前髪、丸っこい縁無し眼鏡の奥の眼は怪訝
な色を浮かべつつも優しげで、小さく高い鼻、引き締まった口元と併せて二枚
目ぶりを際立たせる。背は一八〇センチ超といったところで、スーツの下の身
体はスマートだが、肩や太股辺りに逞しさが漂う。年齢は二十代前半か。ノー
ネクタイであるところを見ると、勤め人ではないのかもしれない。
 などと観察を重ねる九条の後方では、江尻が立て続けに、「若菜ー! リー
ダー! 団長!」と叫んでいる。声が徐々に近付くのが分かった。いやに慌て
ているわと思い、ちらと横目で窺うと、赤信号で足止めを食らっていたらしい。
青に切り替わるや、ダッシュしてくる姿が見えた。
「ちょっと、もし」
 今度は男の声がして、九条は視線を戻した。最前の男性が若干距離を詰め、
話し掛けてくる。
「何でしょう」
「あの子は、君の知り合いですか?」
「はい」
「じゃあ、偶然だったのかな。君の名前も若馬(わかま)というんだ?」
「わかま? いえ、私は若菜、です。九条若菜」
 フルネームまで出す必要はなかったかしらと、小さく後悔しつつ、九条は相
手の反応を待った。
 若馬というらしいこの男性は、気不味そうな苦笑いを浮かべ、頭を左右に振
った。
「あいたたた。完全に聞き違えた。駄目だ、この歳で耳が遠くなったつもりは
ないんだが……」
「気になさることはないですよ。彼女、朝は掠れ声で滑舌が悪いから」
 何となく気の毒になって、フォローを入れる。江尻の声が掠れるのは、剣道
や空手の練習で気合いを入れすぎたときぐらいだ。
「あ、いや、どうも。つまんないことで声を掛けて、申し訳ない。学校には間
に合う?」
「多分」
 九条がそう答えたとき、江尻が追い付いた。
「おはよっ、と。この人、どなた?」
 朝の挨拶に続けて、若馬を見やる。警戒と好奇心を隠そうとしない。
 九条は手早く説明した。
 江尻が合点した風に頷くと、若馬はやっと解放されたとばかり、きびすを返
した。
「邪魔したね」
「いえ。こちらこそ」
 発端となった声の主である江尻に代わり、九条は軽く頭を下げた。
「私はまた、朝からナンパされてるのかと思ったよ」
 江尻は、若馬がまだ近いというのに、普通のボリュームで喋る。それをたし
なめてから、さらに九条は「さっき、団長と呼びましたね?」と注意した。
「あー、あれ。あれは……待ってくれっていうサインよ、サイン」
「逆効果、間違いなしですね。若馬さんに声を掛けられていなければ、私、怒
ってさっさと先に進んでいました」
「う……と、ところでさ。冥の事件について、何か分かった?」
 旗色が悪くなって話題を換えたいのがありありと出た、あからさまかつ強引
な持って行き方だった。が、九条にとっても望ましい展開なので、文句を言わ
ずに流れに従う。
「そのことですけれど」
 昨日の夜に考え付いたことや、今後どうすればよいのか悩んでいること等、
九条は掻い摘んで話して聞かせる。
「そっかあ。警察に届けるのも、このままじゃ難しいのか。私も知り合いにい
ないしねえ」
 江尻のそんな台詞に覆い被せる形で、男の声が斜め前方から届く。
「被害者の名前をもう一遍、言ってくれないか」
「は?」
 顔を向けると、若馬が何故か真剣な表情で食いついてきていた。
「さっき云った死んだ人達の名前、何て?」
 お喋りを聞かれていたのにも驚いたが、それ以上に、彼の勢い込んだ様子に
驚かされる。江尻が再度警戒を強め、態度を堅くしてしまったのを横に、九条
はゆっくりと応じた。
「理由を教えてください。あなたが知りたがる理由を」
「死んだ人達と僕の父との間に、つながりがあるかもしれない」
「――いかなるつながりがあるんです?」
 吸引力のある返答に、九条だけでなく、江尻も完全に立ち止まる。
「僕の父は小説家で、超一流ではないものの、プロなんだ。その父に、テレビ
番組出演の打診があって。幌真ケーブルテレビの、街の有名人という感じのコ
ーナーなんだがね」
 視線を外し気味に話す若馬。嘘を吐いて後ろめたいのではなく、身内につい
て語るのが面映ゆいようだ。
「全然、関係ない話に聞こえるんですけど〜」
 江尻が非難がましく茶々を入れる。若馬は一つ、大きく頷いた。
「さっき君達の云っていた二人は、同じコーナーに出た人かもしれない」
「ええ?」
「出演の依頼というか打診があったとき、テレビ局の人は参考にと、これまで
出演した人のリストと、何回分かのVTRを持って来た。死んだ人達の名前が、
どちらもリストにあったように記憶している」
「まじ?」
 素っ頓狂に叫んで反応する江尻。九条は努めて冷静に振る舞った。
「まさか、リストを今、お持ちじゃありませんよね?」
「残念ながら。自宅にはあるよ」
「では……」
 九条は手帳から一枚、紙を破り取り、冥にやられたと推察される被害者二人
の名前を書き付けた。
「ご記憶に?」渡し、尋ねる。
「……この、殿宗寺佐助さんは覚えている。珍しい名前だし、忍者と佐助がぴ
ったりだなと感じたから。中村さんの方は、家康という名前に覚えがあるよう
な気がする」
 手渡した紙片に、殿宗寺の趣味が忍者であることまでは書き付けていない。
九条は若馬を信用した。
「色々と協力してほしいことがあります。最初に、自己紹介ですね。私は九条
若菜、幌真東中学の三年生です」
 江尻も引き続いて名乗る。若馬は、ふむ、と鼻を鳴らすような反応を示した。
「僕の名は、若馬隆邦(たかくに)だ。職業は……隠していたようで云い憎い
んだが、幌真東中の教師」
「!?」
 目を白黒させる江尻。九条は友達を見て、自分もそうなってるんだろうなと
思った。
「授業を持つのは明日からで、今日は早めに行って、朝礼での挨拶やら何やら、
とにかく学校に慣れておくつもりだったんだが、予定が狂った」
 若馬は楽しげに云った。
「だが、大凡の雰囲気は掴めたかな。三年生が探偵ごっこに精を出すとは、ユ
ニークな学校のようだね」

 進学希望なのにこういうことに首を突っ込むのは感心しないな。
 と、ちくりとやられたものの、若馬は話の分かる先生だった。九条達の希望
を即座に聞き入れ、なおかつ車で送ってくれた。
「今朝お会いしたとき、車ではなく、歩きでしたのに……」
 助手席に収まった九条は、隣を見た。後部座席、若馬の真後ろに陣取る江尻
も、「そういえば、そうだったっけ」と思い出す口ぶりで云った。
「勿論、学校には車で来た。今朝は、駐車場に置いて、周辺を散策していたん
だよ」
「そのおかげで、こうして手がかりを掴めたのね。ラッキー」
 後部座席真ん中の両津が、手を叩いて喜ぶ。さして広くない車内に、拍手の
音が響いた。
「お若く見えますね。云われませんか?」
 九条の後ろから質問したのは、残る一人、曽我森だ。
「若く見られても、男だからか、全然嬉しくないな。童顔だの、がきっぽいだ
のと云われたこともある」
 九条は内心、悔しがっていた。何故なら、今朝の初対面時に予想した年齢を、
若馬は十近くも上回っていたのだから。
(外見から実年齢を推測できないようでは、探偵として失格です)
 若馬が特別なのだとは考えず、九条は自分への課題とする。
「そろそろ着く。最初に云ったように、父は在宅していると思うが、会えるか
どうかは分からない」
「それで結構です。今のところ、出演者リストがあれば充分でしょう」
 九条はすかさず答え、気合いを入れた。冥の暗号に加え、リストとの符合も
見つかれば、自分の推理を警察に持ち込むに足る有力な仮説に仕立てられよう。
 道路の前方左手に、古風な日本家屋が見えてきた。スピードを落とし、そち
らの方へハンドルを切りながら、若馬が云う。
「リストだけでいいのなら、待ってろ。取ってくる」
「あ。もう一つ、お願いがあるのですが」
 車庫に入らず、ドアを開けて出て行こうとする若馬を、九条は手を伸ばして
呼び止めた。
「警察にこの話を持ち込むときは、若馬先生、付き添ってください。いえ、む
しろ、先生が思い付いたことにしてくだされば、警察もよりきちんと聞いてく
れるでしょう」
「僕みたいな一教師かつ若造が乗り込んでも、どうだか。こういう場合は、被
害者の身内が訴えるのが効果的と思うが」
「しかし、遺族の方達にこれから会って、一から説明し、納得して貰う猶予が
あるようには思えません」
「ほぉ、なるほど」
 感心しましたという風に、立ったまま腕組みをした若馬。しばし思案する仕
種を見せたかと思うと、彼はぽんと手を打った。
「父の伝を辿れば、出版社か新聞社の人に動いて貰えるかもしれない。記者が
持ち込んだ話が、相当な説得力を持っていれば、警察も無視はしまい。これで
どうだ?」
 この提案に、九条も他の面々も、元気よく応えた。
「はい。考えられる限り、最高の形です」

「事情は飲み込めた」
 若馬隆邦の父、勲は重々しく首肯した。和服姿で座椅子にでんと腰を据え、
目を閉じたその様は、型にはまり過ぎで、多少大げさでもあった。
 九条達は新聞記者に働きかけて貰うため、ことの次第を勲に説明すべく、若
馬宅に上がり込んだ。出されたお茶や菓子には(両津でさえも)手を着けず、
真剣に頼み、今、可否の判断を仰いだところである。なお、テレビ局が持って
来た出演者リストとの照合は先に済ませておいた。殿宗寺佐助及び中村家康の
名は、間違いなく記載されていた。
「それで、いかがでしょう?」
 九条が返事を求める。短い時間でも沈黙が耐え難い。
 勲は悠然と構えていた。なかなか答がないことに、息子が気を揉んだらしく、
声を掛けようとする。と、そのとき小説家は目を開けた。
「犠牲者はまだ二人。偶然という目も捨てきれないが、仮に君達の推理が当た
っていたとしたら、大変だ。すぐにでも通報して、次の犯行を未然に防ぐよう
努力しなければならない。心よりそう思う。よかろう」
 引き受けるが早いか、若馬勲は膝を立て、腰を上げた。
「電話をして来よう。何しろ初めてのことだから、絶対にうまく行くとは約束
できないが、説得しよう」
「お願いしますっ」
 九条の礼と、曽我森らの黄色い歓声に送られる形で、勲は和室を出て行く。
襖が閉じられると、教師の若馬は座った体勢のまま、教え子達に向き直った。
「ああ云いながら、内心では恐らく、事件を小説のネタにしようと考えている
んだ。だから、一方的に感謝する必要なんかない」
「それよりも気になることが……。先生のお父さんは、テレビ出演を?」
「断った。打診があったのは、かれこれ……半年か七ヶ月か、それくらい前に
なる。リストの顔ぶれを見て、気に入らなかったらしい」
「理由はどうあれ、出演なさらなかったのなら、安心です。命を狙われること
はないと思えるだけの理由になりますから。今、一番に心配すべきは」
 九条の指先が、リストにあるテーマの欄を上から下へとなぞる。一点で止ま
った。
「この人ですね。千代谷健悟郎(ちよたにけんごろう)さん。独自の減農薬栽
培で成果を収め、その話題でコーナー出演が決まったようです」
「この人が……?」
 リストに注目していた皆が、面を起こして、今度は九条の発言に耳を傾ける。
「冥が次に狙うと予告した人です。イニシャルはT。職業は農業、つまりお百
姓さん。冥の暗号規則に照らし合わせると、『しょうひゃくT』となります」
「なるほど。見事に符合する」
「続く暗号でも確かめてみました。『けっこんG』は平仮名をどう入れ換える
のか分からずに、迷いましたが、ふっと気付きました。これはそのままでいい
んです。小さい『つ』と『ん』があるんだから、どこで区切って入れ換えよう
ともまともな言葉になりません。これは結婚、ウェディングです。リストを見
ると、ウェディングプランナーを仕事にする、岳伸也(がくしんや)という名
がありました。イニシャルGも合います」
「面白ーい。次、私がやってみる!」
 両津が身を乗り出し、手のひらに指で文字を書く仕種を始めた。『いかはつ
めB』の平仮名を組み替えているに違いない。
「――あ! 『いかはつめ』は発明家だよね。リストを見ると、町の発明家っ
てことで出演した人がいるし」
 坊野矢七(ぼうのやしち)という名があった。イニシャルB。
「最後の『ころじいえY』が分かりにくいわ。リストにある名前で、イニシャ
ルがYの人が一名のみなので、逆に辿れたけれども」
 と、今度は曽我森が云った。彼女の指が差し示した箇所には、淀原樹理(よ
どはらじゅり)という名前が。現役の大学生で、環境保護・美化活動グループ
の代表を務める、とある。
「なるほどなるほど。『ころじいえ』はエコロジーか」
 若馬が半ば呆れ気味ながら、それでも感心したような口ぶりで頷いた。
「先生。テレビ局の方と、今でもコンタクトを取れますでしょうか」
「そりゃまあ、僕も父も名刺を貰ったから、電話ぐらいならできるが。何のた
めに?」
「決まってます、住所を知るためです。犯行を防ぐには、まず指名された人達
の居所を掴まないと話になりません」
「そういうことは、警察に任せるべきだ。冥とかいう輩の書き込んだ暗号を解
読したら、リストに挙がった名前に悉く該当者がいた。この事実だけで、もう
充分だろう。この材料を持って、出版社の人間が働きかければ、警察も間違い
なく動く」
「仰る通りでしょう。けれども、三番目に予告されている人には、今こうして
いる間にも、危機が迫っているかもしれません」

――続く




#349/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/10/02  17:20  (325)
◎2004年9月度 CO2削減実績報告 〜その@〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:09 修正 第2版

 深刻さを増す地球温暖化問題に対して1地球人である私としても何とかしたい
と数年前からCO2 削減に取り組んで来ました。更に1999年からは1997
年12月の『地球温暖化防止京都会議』で定められた国別の削減目標の内、日本
の削減目標である2008年−2012年までに1990年レベルより6%削減
する」という数値目標に習って、我が家の削減目標を設定し、粘り強く削減努力
を続けてきました。その結果、1999年には6.97%、2000年には26
.22%、2001年には39.94%、2002年には45.70%、そして
2003年には53.04%まで削減することができました。これにより太陽光
発電等自然エネルギーを使わない方法ではほぼ限界まで削減することができまし
た。普通の方法ではもうこれ以上の削減はできないので、今後はこのレベルを維
持することを第一に行なって行きたいと思います。ただ、子供が独立し家族の人
数が減ったので、単純に1990年レベルからの削減率では語れなくなりました。
2001年までの削減は純粋に削減努力によるものでしたが、2002年以降は
削減努力によるものの他、人数減による削減も含まれています。(今年2004
年からは完全に人数が2人になります)家庭のエネルギー消費にはベースがある
ので、人数分がそのまま減るわけではありませんが、そういうことも考えながら
今後とも削減努力を続けて行きたいと思います。
 今年2004年の我が家のCO2削減実績を1カ月ごとに途中経過を報告して
行きます。以下に計算結果を順を追って示します。


1.2004年のCO2削減目標

  年        電気    ガス    水道      CO2
           KWh    m3      m3       Kg       基
1990 排出実績 5468  611    242   1085.9 ←準
                                                                    年
2000 削減実績 3845  476   220   801.2
       率%−29.7 −22.1  −9.1 −26.22%

2001 削減実績 3622  290   200   652.2
     削減率%−33.8 −52.5 −17.4 −39.94%

2002 削減実績 3341  249   183   589.6
     削減率%−38.9 −59.2 −24.4 −45.70%
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2003 削減実績 2984  200   149   509.9
     削減率%−45.4 −67.3 −38.4 −53.04%

2004 削減目標 2984  200   149   509.9
     削減率%−45.4 −67.3 −38.4 −53.04%
                           ^^^^^^^^^^^^^^
2.削減目標の詳細

 (1) 電気=2984x0.12= 358.08Kg
  (2) ガス= 200x0.64= 128.00Kg
  (3) 水道= 149x0.16=  23.84Kg
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   2004年のCO2 排出目標 509.92Kg(炭素換算)
             (削減率 53.04%)

3.今月までの実績

 (1) 電気・・・・・・削減目標 −45.4%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990  572    467    381    367    437    359    547    774    523    375    3
11    355   5468
 (CO2)  68.64  56.04  46.08  44.04  52.44  43.08  65.64  92.88  62.76  45.00  
37.32  42.60 656.16
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998  515    441    360    448    446    374    607    644    575    421    4
60    366   5647
 (CO2)  61.80  52.92  43.20  53.76  53.52  44.88  72.84  77.28  69.00  50.52  
55.20  43.92 677.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999  448    383    396    380    390    514    548    622    665    342    3
02    280   5270
 (CO2)  53.76  45.96  47.52  45.60  46.80  61.68  65.76  74.64  79.80  41.04  
36.24  33.60 632.40
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000  359    307    305    287    345    315    373    389    350    276    2
95    244   3845
  (CO2)  43.08  36.84  36.60  34.44  41.40  37.80  44.76  46.68  42.00  33.12  
35.40  29.28 461.40
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001  310    271    282    255    296    293    355    369    309    297    3
04    281   3622
  (CO2)  37.20  32.52  33.84  30.60  35.52  35.16  42.60  44.28  37.08  35.64  
36.48  33.72 434.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002  306    263    265    233    274    266    314    351    307    256    2
76    230   3341
  (CO2)  36.72  31.56  31.80  27.96  32.88  31.92  37.68  42.12  36.84  30.72  
33.12  27.60 400.92
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003  251    251    234    257    265    231    268    277    281    221    2
22    226   2984
  (CO2)  30.12  30.12  28.08  30.84  31.80  27.72  32.16  33.24  33.72  26.52  
26.64  27.12 358.08
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標  251    251    234    257    265    231    268    277    281    221    2
22    226   2984
  (CO2)  30.12  30.12  28.08  30.84  31.80  27.72  32.16  33.24  33.72  26.52  
26.64  27.12 358.08
    累  251    502    736    993   1258   1489   1757   2034   2315   2536   27
58   2984   2984
  (CO2)  30.12  60.24  88.32 119.16 150.96 178.68 210.84 244.08 277.80 304.32 3
30.96 358.08 358.08
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績  284    236    220    250    246    226    277    250    303            
            2292
  (CO2)  34.08  28.32  26.40  30.00  29.52  27.12  33.24  30.00  36.36         
             275.04
    累  284    520    740    990   1236   1462   1739   1989   2292            
            2292
  (CO2)  34.08  62.40  88.80 118.80 148.32 175.44 208.68 238.68 275.04         
             275.04
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
  達成率 88.4   96.5   99.5  100.3  101.8  101.8  101.0  102.3  101.0%         
             101.0%


  (2) ガス・・・・・・削減目標 −67.3%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
------------------
 1990   94     79     71     52     48     38     32     28     30     37     
44     58    611
  (CO2)  60.16  50.56  45.44  33.28  30.72  24.32  20.48  17.92  19.20  23.68  
28.16  37.12 391.04
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998  159    111     94     57     50     43     32     31     36     45     
45     54    757
  (CO2) 101.76  71.04  60.16  36.48  32.00  27.52  20.48  19.84  23.04  28.80  
28.80  34.56 484.48
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999   89     70     59     41     43     26     32     27     30     33     
36     46    532
  (CO2)  56.96  44.80  37.76  26.24  27.52  16.64  20.48  17.28  19.20  21.12  
23.04  29.44 340.48
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000   72     57     52     43     37     33     27     19     24     35     
40     37    476
  (CO2)  46.08  36.48  33.28  27.52  23.68  21.12  17.28  12.16  15.36  22.40  
25.60  23.68 304.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001   48     27     29     21     24     20     15     13     16     24     
26     27    290
  (CO2)  30.72  17.28  18.56  13.44  15.36  12.80   9.60   8.32  10.24  15.36  
16.64  17.28 185.60
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002   36     25     24     20     19     15     20     11     13     19     
25     22    249 
  (CO2)  23.04  16.00  15.36  12.80  12.16   9.60  12.80   7.04   8.32  12.16  
16.00  14.08 159.36
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003   34     22     22     16     17     11     12     13     14     12     
13     14    200
  (CO2)  21.76  14.08  14.08  10.24  10.88   7.04   7.68   8.32   8.96   7.68  
 8.32   8.96 128.00
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標   34     22     22     16     17     11     12     13     14     12     
13     14    200
  (CO2)  21.76  14.08  14.08  10.24  10.88   7.04   7.68   8.32   8.96   7.68  
 8.32   8.96 128.00
    累   34     56     78     94    111    122    134    147    161    173    1
86    200    200
  (CO2)  21.76  35.84  49.92  60.16  71.04  78.08  85.76  94.08 103.04 110.72 1
19.04 128.00 128.00
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績   16     12     13     11     11     12     10     10     12            
             107
  (CO2)  10.24   7.68   8.32   7.04   7.04   7.68   6.40   6.40   7.68         
              68.48
    累   16     28     41     52     63     75     85     95    107            
             107
  (CO2)  10.24  17.92  26.24  33.28  40.32  48.00  54.40  60.80  68.48         
              68.48
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 達成率212.5  200.0  190.2  180.8  176.2  162.7  157.6  154.7  150.5%         
             150.5%


  (3) 水道・・・・・・削減目標 −38.4%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
------------------
 1990    -     30      -     42      -     40      -     46      -     39     
 -     45    242
  (CO2)   -      4.80   -      6.72   -      6.40   -      7.36   -      6.24  
 -      7.20  38.72
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998    -     50      -     47      -     51      -     49      -     44     
 -     45    286
  (CO2)   -      8.00   -      7.52   -      8.16   -      7.84   -      7.04  
 -      7.20  45.76
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999    -     38      -     34      -     43      -     40      -     42     
 -     36    233
  (CO2)   -      6.08   -      5.44   -      6.88   -      6.40   -      6.72  
 -      5.76  37.28
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000    -     36      -     32      -     38      -     41      -     38     
 -     35    220
  (CO2)   -      5.76   -      5.12   -      6.08   -      6.56   -      6.08  
 -      5.60  35.20
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001    -     30      -     28      -     37      -     38      -     34     
 -     33    200
  (CO2)   -      4.80   -      4.48   -      5.92   -      6.08   -      5.44  
 -      5.28  32.00
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002    -     31      -     30      -     31      -     33      -     29     
 -     29    183
  (CO2)   -      4.96   -      4.80   -      4.96   -      5.28   -      4.64  
 -      4.64  29,28
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003    -     28      -     26      -     26      -     24      -     23     
 -     22    149
  (CO2)   -      4.48   -      4.16   -      4.16   -      3.84   -      3.68  
 -      3.52  23.84
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標    -     28      -     26      -     26      -     24      -     23     
 -     22    149
  (CO2)   -      4.48   -      4.16   -      4.16   -      3.84   -      3.68  
 -      3.52  23.84
    累    -     28      -     54      -     80      -    104    104    127    1
27    149    149
  (CO2)   -      4.48   -      8.64   -     12.80   -     16.64  16.64  20.32  
20.32  23.84  23.84
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績    -     19      -     17      -     19      -     25      -            
 -            80
  (CO2)   -      3.04   -      2.72   -      3.04   -      4.00   -            
 -            12.80
    累    -     19      -     36      -     55      -     80      -            
 -            80
  (CO2)   -      3.04   -      5.76   -      8.80   -     12.80   -            
 -            12.80
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 達成率  -    147.4    -    150.0    -    145.5    -    130.0%   -            
 -           130.0%


  (4) CO2 ・・・・・削減目標 −53.04%

 --------------------------- 月別排出目標と実績(Kg)-----------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990   68.64  56.04  46.08  44.04  52.44  43.08  65.64  92.88  62.76  45.00  
37.32  42.60 656.16
 1998   61.80  52.92  43.20  53.76  53.52  44.88  72.84  77.28  69.00  50.52  
55.20  43.92 677.64
 1999   53.76  45.96  47.52  45.60  46.80  61.68  65.76  74.64  79.80  41.04  
36.24  33.60 632.40
  2000   43.08  36.84  36.60  34.44  41.40  37.80  44.76  46.68  42.00  33.12  
35.40  29.28 461.40
 2001   67.92  54.60  52.40  48.52  50.88  53.88  52.20  58.68  47.32  56.44  
53.12  56.28 652.24
 2002   59.76  52.52  47.16  45.56  45.04  46.48  50.48  54.44  45.16  47.52  
49.12  46.32 589.56
  2003   51.88  48.68  42.16  45.24  42.68  38.92  39.84  45.4   42.68  37.88  
34.96  39.60 509.92
  目標   51.88  48.68  42.16  45.24  42.68  38.92  39.84  45.4   42.68  37.88  
34.96  39.60 509.92
    累   51.88 100.56 142.72 187.96 230.64 269.56 309.40 354.80 397.48 435.36 4
70.32 509.92 509.92
  実績   44.32  39.04  34.72  39.76  36.56  37.84  39.64  40.40  44.04         
             356.32
    累   44.32  83.36 118.08 157.84 194.40 232.24 271.88 312.28 356.32         
             356.32
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
  達成率117.1  120.6  120.9  119.1  118.6  116.1  113.8  113.6  111.6%         
             111.6%
                                                                               
             ^^^^^^

注1)3の(3)項、水道に奇数月の実績が入っていないのは、私の住む自治体の
   道料が検針も集金も1カ月置きだからです。計算の便宜上奇数月の使用
   量は0とします。

そのAへ続く
                                 ヨウジ
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#350/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/10/02  17:22  ( 99)
◎2004年9月度 CO2削減実績報告 〜そのA〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:10 修正 第3版

4.考察

   台風が来てまた災害に見舞われた地方があったり、暑さのぶり返しもあり
  ましたが、やっと秋らしくなりました。月の後半は睡眠時ほとんど冷風扇を
  使わずに済みました。下旬には換気扇も必要ない日が多くありました。最近
  は外側サッシを7Cmだけ開け、小網戸の付いた内側サッシを閉め、ロール
  スクリーンを床まで下げた状態で寝ていますが、薄めの掛け布団1枚でちょ
  うど良く眠れます。夏には涼しいところを探してあちこちで寝ていた愛猫も
  最近は枕元の直ぐ上のソファーで落ち着いて眠るようになりました。
   しかしながら世界情勢は順調ではありません。イラクは相変わらず治安が
  悪く、連日多数の死傷者が出ていますし、アフガニスタンも油断できない情
  勢です。パレスチナも相変わらずイスラエルの軍事侵攻で多数の死傷者が出
  ています。おまけに原油価格の50ドルに迫る高騰で経済の先行きが不透明
  になっています。
   このような中で一つだけ良いニュースはロシアがようやく京都議定書の批
  准に向けた実務作業に取りかかったことです。でも依然、地球温暖化問題を
  解決できる目処は立っていません。未だ世界は経済成長を目指しているので
  あって、地球温暖化問題に本気で取り組もうとはしていません。問題の先送
  りを繰り返しています。一度失われた自然環境は二度とは元に戻らないとい
  うのに。
   産業界がどうであれ、一般家庭でできることはいくらでもあります。近年
  家庭からのCO2の排出割合が急増しており、家庭が省エネに取り組めば、
  京都議定書の削減目標は十分に達成できるのです。家庭の排出割合が14%
  だとした場合に、例えば各家庭が30%削減すれば削減目標の4.2%が賄
  えます。残り1.8%を産業界の省エネや排出権取引等で削減すれば良いの
  で、削減目標は十分達成可能になります。そのためには政府が家庭向けの省
  エネマニュアルを作成し、地方自治体を通して省エネ教育を行なう必要があ
  ります。実効が上がるよう家庭向けの段階的削減目標を設定したり、資金を
  助成したり、グリーン税制を設けることも必要になるでしょう。本気で取り
  組めばアイデアはいくらでもあります。私がこの報告書で示してきたように、
  既存の技術で削減目標は十分に達成可能です。(各家庭が30%削減すると
  は、1990年レベルから30%削減するという意味です)
   それでは今月の実績を見て行きます。電気は目標281KWhのところ実
  績303KWhとやや目標をオーバーしました。検針日の関係で昨年が32
  日間だったのに対して今年は34日間だったことが主因です。32日間に換
  算すれば今月は285KWhであったことになり、ほぼ目標通りとなります。
  今年は猛暑なので本当はもっと多くなるところ、先月同様電気炊飯器による
  保温を止め、代わりに電気を使わないランチジャーを使用したことで帳消し
  になったと考えられます。
   年初からの累計でも目標2315KWhのところ実績2292KWhとな
  り、達成率101.0%で目標をクリアーすることができました。
   ガスは目標14m3のところ実績12m3となり、目標より大幅に少なくな
  りました。しかし、検針日の関係で昨年が31日間であったのに対して、今
  年は29日間だったので、換算すればほぼ目標通りであったことが分かりま
  す。涼しくなったのでお風呂の湯温も40度から41度に上げました。もう
  少し気温が低くなれば42度に上げることになると思います。検針日の9月
  22日まで毎日の入浴となりましたが、以後は1日置きで良くなりました。
  風呂水の再利用回数(初回も含む利用回数)は4〜5回で平均4.1回でし
  た。例により新規の水で沸かす日の朝にお風呂の残り湯で洗濯を行ない、ほ
  ぼ100%再利用しました。今月は水道の報告はありませんが、涼しくなり
  雨も多くなり植木への散水日もめっきり少なくなりました。やはり雨水の再
  利用は止めました。
   年初からの累計では目標161m3のところ実績107m3となり、達成率
  150.5%で目標をクリアーすることができました。
   この結果、今月のCO2 排出量は目標42.68Kgのところ実績44.
  04Kgとやや目標をオーバーしましたが、電気のところで述べた通り、こ
  れは検針日の関係で日数が昨年より2日多くなっているためです。年初から
  の累計では目標397.48Kgのところ実績356.32Kgとなり、達
  成率111.6%で目標をクリアーすることができました。
   8月23日にベランダの遮光ネットを2重から1重にしましたが、そろそ
  ろその1重の遮光ネットもいらない季節となりました。それでもまだ半ズボ
  ンにランニングで暮らすことがほとんどです。ここは日当たりが良いので晴
  れればまだ暑いからです。寒ければ着れば良いので、慌てて遮光ネットを撤
  去する必要はありません。以前にも言いましたが、ベランダ下の1階の遮光
  ネットは1年中張りっ放しにしています。濡れ縁の金魚とメダカの水槽に日
  が当たらないようにするためです。部屋にとってもこの季節、直射日光は暑
  いし畳が焼けるので遮光ネットはあった方が良いのです。
   原油価格高騰のニュースで気付きましたが、世界の原油使用量は未だに増
  加し続けているわけですよね。つまり地球温暖化は止まるどころか益々加速
  しているわけです。これって大変なことだとは思いませんか。逆に言えば、
  世界の原油使用量を減らさなければ温暖化は止まらないということです。・
  ・・・・・??????
   私たちが排出したCO2 は大気中に溜り二度とは回収できず、地球環境と
  そこで暮らす私たち自身に害悪を及ぼし続けます。省エネをすれば確実に害
  悪は減ります。
   今日からあなたのできることすぐに始めてください。みんなの努力で私た
  ちのかけがえのない◎地球環境を守りましょう!!!

                                ヨウジ

P.S.CO2 の計算には下記のフリーソフトウェアを使ってください。

NIFTY
FGALAP/4/8 (https://iw.nifty.com/iw/nifty/fgalap/lib/8/index.html)
1111  BXC02020 01/01/02 136625 CO2_122 .LZH 地球温暖化対策CO2 V1.22

VECTOR
http://www.vector.co.jp/pack/dos/edu/science/co2_122.lzh  01/01/02 136625
    地球温暖化対策プログラム(光熱費等の使用量からCO2排出量を計算
説明ページ: http://www.vector.co.jp/soft/dos/edu/se035828.html

私のホームページからもダウンロードできます。(下記URL)
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#353/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/10/09  23:59  (500)
冥々白々 3   永山
★内容                                         05/06/17 01:05 修正 第2版
 静かだが、強い調子で訴える九条。
「理屈は分かるが、電話口でテレビ局の人を説得するのは難しい気がする」
 若馬は考え込み、数瞬後、口を開いた。
「暗号の出た掲示板に、謎を解いたぞと書き込んでやるのはどうだろう? 犯
人に対するメッセージという訳だ。おまえの手口はお見通しだぞと。これなら
冥とやらも動きづらくなるはず」
 先生のアイディアは、緊急の一手として即座に実行に移された。

 若馬勲の要請を受け、出版社が働きかけた結果、地元警察は、現実的な線で
は最大限の迅速さで対応した。といっても、三番目の被害者として名指しされ
た千代谷の家に、警察官が駆け付けたときには丸一日が経過していたが。幸い
にも千代谷健悟郎は無事で、この点、掲示板に警告を書き込んだことで冥を足
止めできたのかもしれない。
 ただし、警察からは注意を受けた。全く別物と思われていた殺人事件二つを
結び付けた功績は認めてくれたものの、犯人に手の内を明かすような行為は慎
んでいただきたかった云々と。九条達も、あれは仕方がない選択だったとは思
いつつ、掲示板上で冥からの反応はなく、警察の見解にも頷ける部分があった
ため、退いた。
 四番目以降に予告された人達についても、各自宅を重点的に巡回する対策が
採られた。これは、犯人逮捕につながることをも期待した措置である。尤も、
暗号を破られたと知った冥が、のこのこ現れるとは考えにくい。
 こうなると、幌真シティBBSの書き込みが重要になってくる。徹底的に調
査された。
 幌真シティBBSは、よくあるレンタル掲示板の一つで、幌真出身の某会社
の元社長が開いたものだった。東京で成功を収め、息子に代を譲り、自らは隠
退したときに、故郷を懐かしんで開設したという。管理人であるその元社長が
健在の内は、当初の目的通りに使われ、そこそこの活況を呈したようだ。が、
彼が逝去すると、遺族は掲示板を閉じるに忍びず、そのまま契約更新だけをし
て放置することが続いた。結果、急速に雰囲気が悪くなり、しばらく無法地帯
の状況が続いた後、寂れるに至った。それでもたまに書き込みがあるため、閉
鎖されずに残してきたらしい。
 書き込みの際の個別情報は、表面的には読み取れないよう、レンタル掲示板
のサーバーサイドで自動的に加工される。情報そのものはサーバーで当然把握
しており、警察の捜査協力要請により、開示された。
 そうして判明したのは、冥が意外なほど無防備なまま書き込んでいた事実。
発信元は比較的容易に特定された。
 逮捕につながる手がかりと色めき立った捜査陣だが、程なくして、無防備さ
には理由があったと分かる。彼もしくは彼女は、他人名義の回線を使っていた。
「佐藤伸哉という人の部屋から書き込まれたが、その佐藤さんは四月二日に他
殺体で見つかった。よって佐藤さんは冥ではないという論法のようです」
 冥の事件に取り組み始めてから、ちょうど一週間が経過した水曜日。九条は
少女探偵団を代表して、若馬から事後報告を受け、それを例会の席で他のメン
バーに伝えた。
「え、ちょい待ち。その佐藤さんて、あの佐藤さん?」
 江尻が質問しながら、鞄の中をごそごそとかき回した。やがて出て来たのは、
先週こしらえた、幌真で四月以降に起きた殺人・変死事件のリスト。同姓同名
は明らかだった。
「同じ人物です」
「じゃあ、冥は佐藤さんの知り合いかなー?」
 両津が云った。即座に、曽我森が否定的見解を述べる。
「決め付けられないんじゃない? 知り合いなら、黙ってパソコン使って一回
書き込むぐらい、こっそりできそうだわ。わざわざ殺さなくても」
「押し込み強盗みたく、無理矢理部屋に入って、佐藤さんを殺害し、それから
ネットに書き込んだってことに? うわあ、凶悪犯」
「一度きりの書き込みのために、見ず知らずの人を殺したのだとしたら、確か
に冷酷非道の凶悪犯です。あの『キマグレに命を貰う者也』というフレーズも、
嘘じゃない」
 九条は噛みしめるように云って、目を一旦瞑り、三秒ほど間を取った。今日、
下校中に浮かんだ思い付きを、皆に披露すべきか否か、少し迷う。まとまって
いないからだ。
 彼女は、これは勘みたいなものですがと前置きし、始めた。
「逆の見方もしなければいけないと思いました」
「逆って、何を」
「全ては冥の計画通りかもしれないってことを。さっき、佐藤さんと冥は見ず
知らずの間柄である風に云いましたが、逆かもしれない。この場合、無差別の
連続殺人、その準備段階で殺された佐藤さんこそが、実は冥が殺したい本命だ
ったという可能性」
「……凄いかも」「盲点よね」「さすが、リーダー。名推理!」
 一瞬の沈黙を挟み、三人から感嘆の言葉が出る。九条は苦笑を浮かべた。
「名推理かどうかは分かりませんけど。あらゆる可能性を検討しなくてはいけ
ない、という探偵訓を肝に銘じていたおかげです。それにこの推理は、もし仮
に警察が、短絡的に犯人は佐藤伸哉の知り合いだと見なし、捜査を進めたとし
ても同じことになり、問題ない訳ですから、大した発見じゃありません」
「無差別殺人の中に、本当に殺したい人物を紛れ込ませるというのは、ミステ
リではさして珍しくないけれど、初っ端に本命を持って来て、その後、無関係
の人を殺し続けるっていうのは、どうなのかな」
 疑問を呈するのは江尻。そうでなくてはと、九条は一つ頷き、意見を述べに
かかる。
「一見、あり得ないように思えます。計画を立てる者はいても、実行するのは
心理的に厳しい。だって、一つ目の本命の殺しで、犯人は怪しまれずに済んで
いるのに、殺す必要のない人達をわざわざ殺すことは、普通なら躊躇するもの。
犯行を重ねるにつれて、発覚の恐れが高くなるし。
 けれども、冥はその裏を掻いた、そんな気がします。忍者密室の犯行を取っ
ても、冥にはそれだけの才覚と実行力が備わっているのではないでしょうか」
「まあ、分からなくもないわ。自殺に見せかけるでもなく、密室殺人をやらか
すなんて、ミステリマニアの匂いがするからね。私達と同類」
 曽我森が自嘲めかして云った。彼女を含め、メンバーは全員、ミステリマニ
アを自任している。九条は忍び笑いを更に潜め、なるべく重々しく口を開いた。
「私達の立場から云って、今後、情報を貰えることは期待できませんから、容
疑者探しは警察に任さざるを得ません。私達が着手できる問題、それは先ほど
触れた密室と、二番目の事件の謎でしょう。――両津さん」
「はいはい。中村さんの事件のデータだよね? どんな不可思議な犯罪なのか
っていう……」
「ええ。お願いします」
「この人も自宅で殺されてて、死因は窒息。ロープみたいな物で絞められた。
その上、自らの商売道具である彫刻刀で身体の一部――主に両腕表面を削られ、
絵の具を顔に塗られ、粘土で作った輪っかを両手両足に填められていたんだっ
て。これらはみんな、事件発覚後しばらくは公にされなかったけれども、捜査
が行き詰まりかけたので公表に踏み切ったという経緯があったみたい」
「自宅のどこ? そこまで仕事に関係あるように装飾するのなら、工房かアト
リエか窯かしら」
 曽我森の質問に、両津は首を横に振った。
「単純に、自宅の居間が現場」
「削った肉片は、その場に落ちてました?」
 九条がさらりと云うと、みんな大なり小なり、顔をひきつらせた。
「そ、その辺りの詳細は、表に出てないと思うよ」
「見つかってないのなら、処分方法も気になる……トイレに流すか、燃やすか、
食べるか」
 再び、頬をひくつかせるみんな。
「はっきりしないことは後回しにして、やっぱり、何故そんな細工をしたのか
が肝心なんじゃない? それを考えないと」
 江尻があからさまな方向転換を図ると、九条は素直に従った。
「そうですね。不可解な装飾の必然性、乃至は犯人の意図を読み解くことこそ
最重要課題」
「必然性に絞ってもいい気がするけれど……」
「今回の犯罪は、冥という劇場型犯罪者によってなされています。幌真という
狭い空間ではあるけれども、観客を意識しているは間違いありません。殿宗寺
さんの死が密室という、恐らく意識的な謎に彩られたことから類推すると、中
村さんの事件も、犯人がそうせざるを得なかったという必然性と同程度に、故
意に作り上げた不可解さの演出である目を捨てきれません」
「云いたいことは分かるわ。でも、不思議にするために、故意に被害者の肉体
を削ったり、顔に絵の具を塗ったりするのは、『やりたかったから』に落ち着
いてしまうんじゃなくて? そういうのって、謎でも何でもない」
 曽我森が冷静に分析する。それは九条も承知していることだ。
「確率の高さは、やむにやまれぬ理由から装飾を施した方に分があるでしょう。
私が強調したいのは、あらゆることを検討する姿勢です」
「じゃ、現実に今、解けそうなのはどっち?」
「必然性の方なら、仮説を立てました。少々、劇場型犯罪の側面も持ち合わせ
た形になりましたが」
「本当?」
 尊敬の眼差しで見られていると気付き、九条は急いで両手を振った。
「あの、飽くまで仮説ですよ。根拠皆無の空想に近い推理というやつで……」
「いいから、聞かせてよ」
 催促されると、話す気になった。真相を見抜いたかどうかは別にして、推理
を語る行為は心地よい。途端に九条は頬を緩めた。
「被害者は死の間際、犯人の正体を明瞭に示すメッセージを、自らの身体のど
こかに残したんじゃないでしょうか。首を絞められ、薄れ行く意識の中、ダイ
イングメッセージを残すとしたら、利き腕で反対の腕に何かを書き付ける、書
く物を持っていなければ爪で皮膚を傷つける、そんなところになると思います」
「何か……またちょっとグロいんですけど」
 嫌そうな顔をする江尻を気にせず、九条は続ける。
「犯人は犯行後、そのメッセージに気付いた。このままにしておくと、自分の
犯行とばれてしまう。けれども、それは消すに消せないメッセージだった。で
はどうするか。上から塗り潰しても、科学捜査によって判読される恐れがある。
そうなると、メッセージそのものの破壊しかありません。腕を切断して持ち去
るか、肌を焼け爛れさせるか、皮膚ごと肉片にして削り取るか。一つ目は時間
が掛かるし、持ち出すのにもかさばって目立つ。二つ目は臭気が近所に漏れる
かもしれません。三つ目が最も簡単な解決策ではないでしょうか」
「……」
 曽我森も、江尻も、両津も、呆気に取られたように言葉が出ない。九条は付
け足した。
「包丁などではなく、彫刻刀を使ったのは、その意図をカムフラージュするた
め。顔へのペイントも、粘土の腕輪や足輪も、同じ目的のための小細工だと考
えました。いかかがでしょう?」
「感心しちゃったよー」
 両津が叫ぶように云って、跳ぶように抱きついてくる。彼女をしっかり受け
止め、九条は照れ笑いを浮かべた。
「一つの答だなあ。筋道は通る、うん」
 江尻もまた感心した風に、しきりに首肯する。
 残る一人、曽我森だけは、色々と思うところがあったらしく、九条と視線を
合わせると、肩の高さに挙手をした。
「ちょっといい? 腕のメッセージを消すためとすれば、他の装飾はいらない
気がするわ。だって、腕のメッセージを消すために彫刻刀をふるったと気付か
れても、それが即、犯人特定にはつながらない。肉片は恐らく現場に残さない
だろうし、犯人は一刻も早く現場から立ち去りたいものでしょう? 余計な行
為に割く時間があったかどうか、疑問ね」
「そこに、私は冥の遊戯性を見ます。観客を意識するが故に、敢えて謎を拵え、
不可解な事件に仕立て上げた……。あるいは、より切実な理由があったと考え
られなくもないのですが、これは詰め切れてないので」
 九条はひとまずの反論を示し、口を噤もうとする。だが、最後の一言が皆の
興味を惹いた。
「途中まででいいから、話してみてよー」
「しかし」
「名探偵ぶって、全てを解くまで推理を話さない、なんてやってると、新しい
犠牲者が出るかもね」
「でも、本当に思い付きの、そのまた欠片に過ぎないんですが」
「その欠片を、私達の力で、一枚の大きな絵にできるかもしれないでしょうが。
もっと信用してほしいわね」
 三人から順繰りにやりこめられ、九条は覚悟を決めた。僅かばかりため息を
ついて、話す。
「現時点で、有力な容疑者は疎か、怪しい人物の目撃情報すら警察は掴めてい
ないようです。ということは、冥は外見に際立った特徴のない人物ではないで
しょうか。飛び抜けて背が高いとか、通路を通れないほど太っているとか、腕
が一本ないとか、片目だとか、片足を引きずっているとか、角が生えているな
どということがあれば、きっと目撃者がいるはずですから。この仮定を認めて
ください」
 九条は三人を見た。二人が黙って頷き、一人が「いいよ」と返事した。
「そのような凡庸な外見の冥を、中村さんはどんな風なメッセージで残したの
でしょうか。まさか『男』や『女』、『無精髭のある』、『三十歳ぐらいの』
なんていう曖昧な文言ではないでしょう。この程度なら腕を削らず放置してい
ても、まあ、犯人逮捕に結び付きそうにない。また、いくら被害者が絵画も仕
事の一つとしていたからと云って、似顔絵を残すほどの余裕もないはずです。
多分、中村さんは冥の本名を知っていた。その名前を自分の腕に刻んだと思い
ます。これなら、冥は否応なしにメッセージを消さねばなりません。ところが、
メッセージを消したという行為を知られると、たった今、私が推理したように、
犯人は中村さんと面識のある人物と推察される。少なくとも、その材料を捜査
側に与える結果になります。冥はそれを嫌い、遺体を過剰なまでに飾った……
いけない、喋りすぎましたね。タイムオーバー間近です」
 時刻を認視し、目を見開く九条。例会を始めてから、こんなに経っていると
は思いも寄らなかった。
「そ、それだけ組み立てられてるなら、犯人まであと数歩って感じじゃない!」
 曽我森が珍しく興奮を露にする。
「犯人までは依然として遠いですよ」
 仮説がなくもないですが、というフレーズは飲み込んだ。
「それなら、もう一つの忍者密室事件の方は? あっちはまだ目処が立ってな
いの?」
「目鼻は付いたかなっていうところでしょうか。密室成立の状況が厳しくて、
これしかないという答が結構あからさまな気がするんですよ」
「ど、どうやって」
 どもりながらも、早く早くという風に、拳を作った両手を口元に持って行く
両津。九条は再び頷いた。
「犯人は殿宗寺さんと一緒に、隠し部屋に向かいます。途中、回転扉がありま
すから、先に殿宗寺さんを行かせる。彼がある程度進み、隠し部屋に入ろうと
する瞬間、犯人は長い長い槍を使って、回転扉の隙間を通し、殿宗寺さんの背
後から刺した……いえ、槍は冗談です。隠す場所がありません」
「時間がないってのに、冗談なんかいれるなー!!」
 両津を筆頭に、三人から猛烈な突っ込みを受け、九条は反省した。自ら気を
取り直し、槍の箇所を訂正に掛かる。
「犯人は飛び道具を使ったのでしょう。矢の先に軽い金属でできた刃物を、尻
には充分な長さのテグスでも結び付けておき、それをアーチェリーかボーガン
の類で撃つ。犯行後、テグスを引いて矢を回収する。
 あるいは氷など解けてなくなる弾丸を銃で発射したという説も、考えに入れ
ておきましょうか。可能性は低いでしょうけど。
 ともかく、このようにして殺害すれば、犯人は入ってきたルートを引き返す
ことで、楽に脱出・逃走できます」
 九条は時計を見た。
「では、そろそろ」
「リーダー。その推理、念のため、早く警察に云った方がいいよ!」
 両津達が九条を取り囲み、うんうんと何度も首を縦に振っていた。
「そうでしょうか?」
 細切れの推理をいくつか披露しただけだし、証拠はないし、関係者に質問も
していなければ、現場検証もしてない(それどころか現場に足を踏み入れてさ
えいない)。何よりも、名探偵が謎の数々を一刀両断にする推理小説でお馴染
みのクライマックス気分も味わえていない。
 そういう訳で、九条は乗り気でなかったが、三人のメンバーに推されては抗
し難かった。
「分かりました。じゃあ、なるべく近い内に、えっと、若馬先生に付き添って
いただき、足を運ぶことにしましょう」
「なるべく近い内にじゃなく、今日、これから!」

 九条が推理を持ち込んだ翌日の夜、事態は大きく動いた。
 犯人と目された男が死んだのだ。
 それは、捜査本部のある警察署に出向いた際、九条がついでと思い、怪しい
と指摘した人物だった。
「松井正次(まついしょうじ)? 誰それ?」
 金曜日、臨時の会を持つことになった少女探偵団は、いつもと異なり、両津
の家に集まった。
「地元ケーブルテレビ局の番組で、街の有名人コーナーを担当していた男です」
 九条が答えると、質問者の江尻だけでなく、両津も曽我森も、「あ」と何か
に気付いたみたいに短く叫んだ。
「松井は、殺したい人物をピックアップし、街の有名人コーナーに出ないかと
打診していったようです。相手の行動パターンや性格を知るために、そしてい
ざ殺す際に、接近しやすいように。ただ残念なことに、簡単な遺書しかしたた
めていなかったようですから、具体的にどんな動機を抱いていたのか、全く不
明のままです」
 松井は局内のトイレで、首吊り死体として発見された。遺書とされる物には、
乱雑な字でメモ書き程度に、「俺がやった。あいあむ冥」とだけ自筆で記され
ていた。
 参考人として警察署に呼ばれ、長時間の聴取を受けて、帰された直後だった。
松井は疑われていることは察知しただろう。だが、まさかいきなり自殺を選ぶ
とは、警察サイドも予測不可能だったと見える。
「リーダーは、テレビ局の人間が怪しいと、どうして思った訳?」
 曽我森がストレートに尋ねてきた。九条は少し時間を貰い、考えをまとめた。
「以前、私が云ったのを覚えてると思います。中村さんが腕に残したダイイン
グメッセージ、あれが犯人の名前だと仮定すれば、中村さんは犯人の名を知っ
ていたことになる、と。加えて、殺しが被害者宅で行われている点から、犯人
は被害者及び殺害予定者各人と親しく、家に上がり込める立場にある人なのか
な、と考えました。これに当てはまるのは、街の有名人コーナーを担当したテ
レビ局の誰かさんと見るのが、最もしっくりきます」
「なるほどね。私はまた、冥は有名人嫌いな奴で、テレビに出た幌真の人達の
中から犠牲者を選んだと思い込んでいたから、全然分からなかったわ」
 参りましたとばかり、両手を上げた曽我森。今回、メンバーの中で先んじて
解決できたことを九条は誇る気にならない。むしろ、曽我森らとの討論を経て、
真相に近付いていったというのが実感だ。
「結局さあ、佐藤伸哉って人は、どっちだったんだろ? 冥のきまぐれで殺さ
れたのか、ちゃんと殺されるだけの理由があったのか……」
 今度は江尻が云い、両津がそうそれと受ける。九条は軽くかぶりを振った。
「分かりません。ただ、松井との間に接点は見つかりました。松井がかつて担
当したクイズバラエティ、その番組で雇ったアルバイトの一人が佐藤さんだっ
たそうです。これを突破口に、目下、調査中といった感じでしょう」
「ふーん。あとからぽろぽろ、出て来るもんなんだねえ」
「推理小説のように一から十まで、うまくは行かないということなんでしょう
ね。今度の事件で、手がかりが全部揃うのを待っていたら、犠牲者を増やして
いたかもしれません」
「それにしても、冥って、激しくのんびりしてたよね」
 両津が聞きようによってはおかしな日本語を駆使する。
「一年以上前に、狙いを付けた相手をテレビ出演させてお近づきになっといて、
この春からやっと実行し始めてるんだよ。それも、二人を殺しただけで捕まっ
たんだから、準備期間が長い割に、呆気なく終わった感じ。あ、勿論、犠牲は
少ない方がいいんだけどさぁ」
 云いたいことは、朧気に分かる。九条も同じような感想を抱いていた。
 時間を掛けて計画し、やっと実行に移したが、二ヶ月ほどで頓挫し、警察に
一度呼ばれただけで自殺。小さいとは云え、幌真シティBBSというネット上
の公の場で大胆な犯行予告を出した人間にしては、諦めがよすぎる。そんな印
象が脳裏に張り付き、拭えない。
 真っ先に解決に辿り着いたのに、それを素直に誇ったり喜んだりできないの
は、この残された曖昧さに原因があるのかもしれない。いや、あるに違いない。
「ま、色々あったけれど、初めての大事件にしちゃ、上出来じゃない? 終わ
りよければ全てよし」
 江尻が調子よく云った。
「そだね」と両津が応じる。記録を付け終わったらしく、自前のノートパソコ
ンを閉じた。
「今は、次の大事件を期待する気持ちと、このまま平穏無事な毎日が続くよう
に願う気持ちが、半々ぐらいね」
 曽我森の正直な吐露に、九条も漸く微苦笑を浮かべた。
 殺された人数が二桁になりそうな頃合に、名探偵がやっと真相を言い当てる
ミステリでも、最後は大団円を迎えるものだ。三人で食い止め、なおかつ自分
達が拘わってからは一人の犠牲者も出させなかった彼女達の功績は、胸を張っ
てよかろう。
「締め括りは、少女探偵団、万歳!ですね」

「じゃ、また月曜に」
 互いに似たような挨拶を交わし、手を振りながらY字路の左右に分かれる。
左に歩みを進めた九条は、やがて住宅街を外れ、坂を下り始めた。ここから自
宅まで、結構距離がある。
 六月だから、まだまだ暗くはないが、黄昏時は矢張り心寂しい。加えて、周
囲はひと気の乏しい緑地帯。西の空に幾重にも浮かぶ雲々がいやに黒く見え、
恐いぐらい。
 坂を下りきったとき、雲間から一瞬、陽光が差し、九条は目を細めた。彼女
以外に道を行き交うものはなく、危険はないのだが、歩くスピードを緩める。
 雲の切れ目はすぐに閉じ、彼女は視界を回復した。その刹那。
 そいつは現れた。
 わ、という声を飲み込む九条。何もない空間に突如、出現したように思えた。
 太陽の光が目に入ったせいと理解して、心の漣を収めようとする。それから
相手を見やる。
 道のほぼ中央、右足を前に、組むようにしてすっと立つ姿はスマートで、テ
ンガロンハットらしき帽子が似合っている。着ている物は、サファリルックと
思しき柄のシャツにパンツ。カウボーイと探険隊を混合した出で立ちなのに、
何故か調和し、栄えている。左の肩越しに紐のような物が見えるのは、巾着型
のバッグを背負ってるようだ。逆光のため、表情は無論、性別すら判然としな
い。ただ、その目は九条を見つめているよう。
「……」
 九条は視線を意識しつつ、通り抜けようとした。すぐ横に来たとき、喉仏の
あるなしを見てやろうと、頭を少し動かした。
「九条若菜さん。この度の大活躍、おめでとう」
 いきなり話し掛けられた九条は、言葉を返すよりも先に、あ、女の人だわと
感じた。中性的な質だが、男のものとは思えない。
 警戒しながら立ち止まり、「どうして知ってるんです?」とだけ返した。
「私が本物だから」
 間髪入れずの答だが、九条には理解し難かった。相手は再び云った。
「私が本物の冥だからね」
 九条は息を呑んだ。喉の渇きを感じて、唾も飲み込む。
 相手は荷物を下ろし、帽子の位置をちょっとだけ直した。横を向いてシルエ
ットだった顔が拝めた。
 綺麗な形をしていた。
「……名前、教えてください。本名を」
 聞いた九条は、色々な可能性を考えていた。本当に三人を殺した真犯人とし
ての冥なのか、たちのよくない悪戯か、あるいは二代目の冥を宣言しているの
だろうか。
「冥は冥だよ。九条さんの活躍を聞き及び、こうして敬意を表しに現れた。も
っと歓迎してくれてもいいんじゃないのかな?」
「人を呼びます。警察」
「何の罪で?」
 冥と称する人物は、初めて鼻で笑うような物云いになった。
「あなたが冥なら、三人を殺した罪で」
「佐藤、殿宗寺、中村の? あれらは松井という男の犯行でしょう。九条さん
が推理した通り」
「では、あなたは冥じゃない」
「いや」
「主張するところが理解できません。冥の予告通りに二人が殺されたのだから、
少なくとも殿宗寺さんと中村さんの事件は、冥が関与しています。あなたは松
井と共犯で、実行したのが松井だという意味ですか」
「共犯はいませんよ。ふふふ」
 芝居がかった笑い方なのに、冥がやると、自然な振る舞いに感じられる。
「名探偵の示した答こそが、真実になる。仮に誤ったとしても、犯人の協力に
より正しくなる」
「あなたが私の推理を聞いて、それを“真実”にするために松井を自殺に見せ
かけ、殺したのか?」
 声が少し大きくなり、言葉も若干荒くなる九条。あり得ない、信じられない
気持ちの一方で、眼前の人物の不気味さに圧倒されそうになっていた。
「さあ? そうかもしれないし、そうではないかもしれない」
「肯定の返事として受け取ります。何のためにそんなことをするのか、興味が
あります」
 無理矢理にでも自らを鼓舞し、気持ちを立て直す。理性の信号は即座に立ち
去るよう、九条に求めてきたが、このチャンスを逃すと冥には二度と会えない
予感もした。
「偉大な犯罪者には、偉大な探偵が付き物だ。まあ、探偵側から云わせれば、
逆になるんだろうが」
「そんなことはありません。偉大な犯罪者なんて、いなくていい」
「嘘はいけない」
 冥は、立てた人差し指をちっちと振る。九条は嫌な感覚に囚われた。冥の予
定通りにことが運んでいる。台詞も、仕種も、前もって書かれた脚本と一分の
狂いもなく進んでいるような……。
「少女探偵団を名乗り、そのリーダーを務めるあなたが、怪人二十面相や少年
探偵団、明智小五郎ら、いわゆる乱歩ワールドの洗礼を受けていないとは云わ
せない。仮に自覚がないとしても、二十面相のような犯罪者を深層心理下で欲
しているのは、間違いない」
「――現実に現れたとしたら、何度も捕り逃がしたりはしません」
 九条は腕を素早く伸ばし、冥の左手首を掴んだ。冷たい感触が伝わってくる
が、冷酷な犯罪者にふさわしいと思えた。
 相手はたちまち呆れた表情になる。
「やれやれ、またですか。このまま警察に行くとでも? それとも人を呼ぶ? 
何の罪で告発してくれるのやら」
「痴漢をされたと叫べば、ほとんどの大人は信じてくれると思いますけれど」
「……なるほどね。仮令、同性でも痴漢は成立するなぁ。仕方がない。こんな
に早く、手品の一つを披露する羽目になるとは、予想外」
 警戒して身構えた九条。力ではかないそうもないが、護身術や捕縛術の心得
ならある。ところが、敵は想定外の行動に出た。
「あっ」
 掴んでいた手首が外れた。抜け殻のような左手の型だけが、九条の手元に残
る。特殊な樹脂製か何かなのか、色合いも肌触りも本物そっくりだ。爪の部分
など、うっすらと半透明になっている。
「奇術用品に指サックというのがあるのを知ってる? 指にすっぽり被せる指
型のカバーで、中に物を隠せる。指サックの手バージョンが、それ」
 二メートル余り距離を取った冥は、薄い笑みを覗かせていた。
「ちなみに、もう一つ装着しているから、その手型に私の分泌物や指紋が残留
していることは、期待しない方がいい」
 九条は落ち着き払って、手の型を学生鞄の中に仕舞った。万が一に備え、筆
入れに押し込む。少年探偵団みたいに秘密の探偵グッズでもあれば、ここで取
り出して駆使するのだけれど、現実にそんな物はない。
 必要な動作を終えると、彼女はため息混じりに面を起こし、冥を見た。
「では、もう一つも剥ぎ取るまでです」
 そう云ったものの、実行に移すか否かは、敵の出方次第と考えていた。時間
を稼げば、閉塞状況を打開できる。その可能性に賭けた。
 必然的に、睨み合いのような形になる。木々の影が動いたと認識できるほど
の間、二人はそうしていた。
「埒が明かないな」
 冥が呟く。
「顔半分が日焼けするのも嫌だし。いいことを教えてあげる。あなたがさっき
云ったような手段で人を呼んでも、私は包囲網を突破できる。無論、場合によ
っては何人かの命が失われるのは確実」
「それならなおのこと、あなたの汗や指紋を貰わなくちゃいけないわ」
「無理に奪おうとすると、九条さん、あなた自身が痛い目に遭う。死ぬかもし
れない。それは私の望まない方向なんだよ。将来の好敵手に成長すると見込ん
で今回、世に出る手助けをしてあげたのに、無駄骨になってしまう」
「あなたの苦労が水泡に帰すなら、それも悪くない気がします」
 九条は強がって云った。身体や声が震えないようにするだけで精一杯だ。
「投げ遣りな発言は名探偵らしくないね。悲しませないでほしい」
「つまり、あなたの見込み違いですね。お生憎様」
「時間を稼げば、いつか人や車が通ると思ってる? 残念だけれど、それはな
い。前も後ろも通行止めにしておいたから」
「――そうでしたか。道理で、誰も通りかからないと不思議に感じていました」
 九条の受け答えは、冥に気に入られたらしい。
「そうそう、その冷静さ。それこそ名探偵にふさわしい。動揺を隠すのも、中
学生とは思えない見事さ。その才能を活かして、私の好敵手になるんだ。ここ
で散らすこともあるまい」
「そうですね。私、まだ恋もしてませんし、大切な命を短く散らすつもりはあ
りません」
「聞き分けがよい子供は好きだよ」
 冥はくすりと笑い、そのままきびすを返した。
「待って」九条は呼び止めた。まだ逃がす訳にはいかない。
 冥は辟易したような顔で振り返った。
「物分かりよく、今日はここで綺麗にブレイクしようと思っているのに、あな
たは反対?」
「最後に一つだけ。あなたが敢えて姿を現したのは、何故? 私にメッセージ
を送るだけなら、他にもっと安全な策があったはず」
「そんなこと」
 鼻を鳴らす仕種のあと、冥は云い放った。
「偉大なる犯罪者と名探偵の対決には、劇的な場面があった方がいいでしょう。
ましてや、今日は記念すべき初の顔合わせなのだから」
「……がっかりです。くだらない理由に」
「あれ? あなたなら理解してくれると踏んでいたのだけれど」
 冥が意外そうに目を見張る。九条は横目で、あることを確認してから、敵に
告げた。
「本当の好敵手同士なら、分からなくもありません。だけれども、あなたの云
う記念すべき初対面のシーンは、記念すべき逮捕のシーンになり、ここで物語
は終わりますので」
「何のことだか」
 冥の言葉が終わらぬ内に、道の両方向から、それぞれ二人ずつ、男が現れた。
九条から見て左手には制服警官二名、右手には制服警官一名に刑事が一名。刑
事は中村家康殺害事件の担当で、九条や若馬の話に耳を傾けてくれた人物だ。
「そこの奴、動くな」
 拡声器を使ってもいないのに、大した胴間声を張り上げる刑事。冥が顔をし
かめたのは、状況の急転よりも、声を耳障りに感じたせいかもしれない。それ
でも右手を帽子に、左手を胸ポケットにやった格好は、なにがしかの武器を取
り出せそうな姿勢に見える。刑事達も安易な接近はせず、様子を見る。
「お嬢ちゃん、そいつが本物の冥だってか?」
「そうです。少なくとも、当人はそう主張してます」
 九条は安堵しつつ、早口で答えた。対する冥は唇を舐め、ゆっくりと云った。
「これは、偶然ではないな。どうやって呼んだ?」
「簡単です」
 へたり込みそうなところを気力を振り絞って足に力を込め、九条は学生鞄に
手を入れた。そして買ったばかりの文明の利器を取り出す。
 冥は、それを見て意外そうに目を丸くした。
「……そうか、さっき鞄に手型を仕舞ったとき、短い文章をメールで送ったか。
しかし、分からない。私の調査では確か、九条若菜は機械音痴で、携帯電話の
類も持たない主義のはず」
「友達に云われましたし、刑事さんともお知り合いになれたのを機に、思い切
って購入しました。まさか、こんなに早く役立つなんて、信じられません。今
まで持っていなかったのが、莫迦らしくなりますね」
「まったく。携帯電話を持っていると最初から分かっていれば、うまい対処の
しようもあったのに」
 云うなり、冥は帽子を取った。刑事が制止の警告を発する間もなく、その帽
子の布地を突き破って、弾丸らしき物が飛び出した。前もって、中に拳銃を仕
込んでいたようだ。
 右方向に無造作にぶっ放した冥は、そちらにいた制服警官達の反応を見る様
子もなく、一気に駆けた。
 銃を構えていた訳でもない警官二人は、突然の修羅場に動転したのか、あっ
さりと道を割る。加えて、冥の足が速い。
「何してる! 追え!」
 刑事の怒号が辺りに轟いたときには、冥の姿は緑の奥に紛れていた。
 その場に座り込んだ九条は冷や汗を全身で感じながら、ハンカチで自分の手
を包み、鞄から唯一の戦利品を慎重に取り出した。これ以上、指紋を付けてし
まわないように注意しながら、手型を広げてみる。
「――え?」
 思わず、驚きの声を上げた。
 どんな仕掛けを施してあったのか、手型の表面には、文字が浮き出ていた。
 またね、と。

――終




#354/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/10/20  22:54  ( 84)
●新・権力の陰謀92 民主主義に巣くう社会主義的悪 ヨウジ
★内容                                         04/10/20 23:07 修正 第2版

これが官僚主義の越権・犯罪行為であることは分かっている。
世の中の役に立つ本来の仕事は法的に杓子定規に行ない、
自分たちの利益のために私のような邪魔者を排除する時には
法に従わず裏で結託して長期間大量動員して人権侵害を平気で行なう。
それを裏付けるように、
あの時、来る日も来る日も信一(私)に対する虐待を繰り返していた
都庁の若山課長(渡辺憲司)はこう言っていた。

以下、「1993/01/12 ●連載パソ通小説『権力の陰謀』 10.言葉」より

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 信一は虐待される中で色々な言葉を浴びられたが、次のような意味ありげな
言葉もあった。


「それまでに下地を作ってね」(若山課長)

 恐らく、差別者に仕立てるための下地を、こうして信一を皆で苛め広め、また
信一自身にもその意識を深く植え付けておくの意味だろう。 「それまで」とは
後で分かるが、何と十数年先のことを意味していたとは、何と大掛かりな計画的
な恐ろしい行事だろう。


「またとない奴が来た。」(一般職員)

 苛めの出来る相手が来たの意味。 これにより組織の訓練ができ、組織力を
強化することが出来るの意味。


「一人だけ本当のことを云う奴がいるからね。(おちおち悪いこともできない)」
                               (若山課長)
 帝都にはそういう差別村の風習があるので、差別に加わらない人間が1人でも
いると危険なのだ。 差別者は孤立させないとやり返される可能性があるからだ。


「一人だけ自分の利益になるよう行動しない奴がいるからね。」(若山課長)

 これも前述と同様の意味。 信一は自分の利益に関係なく、良心と正義に基づ
き行動する人間だから、不道徳な彼らには信一が邪魔なのだ。


「一人だけ孤立する奴がいるからね。」(若山課長)

 前述のような結果、信一は孤立することになる。


「組織が弱くなるからね。」(若山課長)

 前述と関連するが、信一のような人間がいると組織に異質なものが入り結束が
揺らぐの意味。 善い人間は残れないのだ。 悪くなれる人間だけが残るから、
組織は強固になるが、腐敗することになる。 これが蔓延すると各行政機関は
本来の機能を果たさなくなり、民主主義は崩壊するという重大な問題を含んで
いる。 各官僚が自分の権力の維持を大一義に考える結果、社会的使命がなおざ
りになるからだ。 だから正義は置き去りになってしまう。 信一は官僚組織の
中に社会主義を見たのだった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

官僚主義はその時々により姑息な口実を並べ立て、
21(31)年間も私に対する虐待行為を繰り返して来たが、
私は法的にも道徳的にも問題はなかった。
仮に私が法律に違反するようなことを行なっていたとしても
法の定めにより裁かれ罰せられるものであって、
官僚が勝手に決めて集団暴行で一生を奪って罰するようなものではない。
これは立派な犯罪行為だ。
公権力による重大犯罪だ。
21(31)年間も絶え間なく虐待行為を繰り返すしつこさは
裏を返せば連中の悪辣さ貪欲さの表れだ。
官僚組織は必然的に腐敗する。
民主主義の内部に巣くう社会主義的悪。
●権力の陰謀。

                            ヨウジ
*--------------------------------------------------------------------*
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P.S.いつしか犯罪行為の主力は警察(警視庁)に移り、
    最後には私をストーカー犯にでっちあげ、親子を引き離した。
    目的が私に対する差別虐待にあるからだ。
    家出した娘は一つの道具に過ぎない。




#355/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/10/21  12:16  ( 57)
@コラム516 靖国参拝の論理矛盾 ヨウジ
★内容

小泉首相は
「戦争に行ってくれた人があったから今の日本がある」
「だから哀悼の誠を捧げるため参拝している」
という意味のことを言って参拝を正当化しているが、
これは論理の矛盾だ。
侵略戦争を行なったから数百万人の自国民の犠牲者が出たばかりでなく
近隣諸国に計り知れない人的物的損害を与えた。
だから「戦争に行ってくれた人があったから今の日本がある」のではなく、
そういう悪いを戦争を起こしたから
自国や他国の多くの人々を不幸に陥れたのだ。
(広島・長崎の被爆者の方々もこの中に入る)
よってこれは感謝すべきことではなく、避難されるべきことだ。
A級戦犯と言われる侵略戦争を指揮した政治家や軍指導者に一番の責任がある。
軍国主義の下、戦争に駆り出された国民も被害者だが、
他国から見れば加害者の一味だ。
今の日本を代表する政治家が
A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝することは
侵略戦争を正当化することに繋がる。
(事実、今も右翼的な政治家等は先の戦争を肯定している)
だから日本政府の謝罪の言葉とは裏腹に
他国から「日本は心からは謝罪していない」
と受け取られて当然である。
何せ日本を代表する総理大臣が参拝しているのだから。

                            ヨウジ
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P.S.東シナ海における中国の天然ガス田開発や尖閣諸島の帰属問題などを種
    に、右翼的な政治家等による中国敵視の報道が度々流されているが、
    こういうことが起こるのも日本側の政治姿勢に問題があるからだ。
    つまり中国側の根底に靖国参拝問題があるからだ。サッカーでの日本選
    手や日本人サポータへのブーイング問題も原因は同じだ。中国が反日教
    育をするのも、日本側の政治姿勢に問題があるからだ。

    国際問題は自国中心主義では解決しない。
    相手の立場になって考えないと。

    もう戦後59年も経っているというのに。
    いい加減にして貰いたい。
    この問題が起こる度に国民は恥をかいている。
    (南京大虐殺や朝鮮人強制連行や従軍慰安婦問題もあったことだし)
    「いったい何十年謝れば良いのか」ではなく
    心無い一部政治家による言動のために
    「日本は心からは謝罪していない」
    と思われているからである。

    人は死ねば無となり、霊などというものは存在しない。
    靖国参拝しても死者には何も届かず有難くもない。
    だから「哀悼の誠を捧げるため」は無意味である。
    対外関係を壊すマイナスの意味しかない。
    今の日本の指導者がどう思っているか(歴史認識)が問題の核心だ。




#356/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/10/27  23:42  (  1)
そりゃないぜ!の恋21   寺嶋公香
★内容                                         21/01/19 21:59 修正 第2版
※都合により一時非公開風状態にします。




#358/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:39  (204)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「天変地異」 久作
★内容
 現在でも人間は、荒ぶる大自然の前で、余りにも無力だ。台風・旱魃・地震・火山噴
火……まぁ国際間の交易が現在程にまで拡大すれば、飢饉は即座に致命的な【災害】と
はならぬかもしれぬが(ってぇか、食糧自給率が低過ぎ)、前近代日本では深刻な問題
であった。飢饉で食い物がなくなったら、死ぬ。少しでも延命しようとすれば、死んだ
子供の頭割り脳髄掻き出し啜る……凄惨な情況が展開する。人が人として最低限の文化
程度を以て生きる環境を保障するが、国家の義務だ(「文化程度」の程度は時代によっ
て異なろうけども)。食料は確保されねばならない。八犬伝でも、飢饉は重大な転機と
なっている。抑も里見家所領地が飢饉に陥らなければ、隣の安西景連に付け込まれるこ
となく、ならば八房が凶暴な姿を見せる局面はなく、故に伏姫が八房と配偶することも
なくって、抑も話が始まらない。食糧問題(飢饉)は、それだけで国家の正当性に疑問
符を突き付け得る重要な問題であった。兎園小説でも馬琴は、「愈文豹吹剣録云、丙午
丁未年、中国遇之、必有災。謝肇■(サンズイに制)五雑俎載是言、曰亦有不尽然者、
粤放清王十槇池北偶談、又有其弁云、丙午丁未而盛、故陰極必戦元而有悔也……中略…
…解いはく天朝もいにしへより丙午丁未の年毎に、さるしるしのこりけるにや、いまだ
考索にいとまなければ見ぬ世の事は姑く措きつ。只予が親しく耳に聞き目に見しま丶を
もてすれば、天明丙午の火災洪水、丁未の飢饉にますものなし」(第十一巻「丙午丁
未」の項)。
 「天明丙午の火災洪水、丁未飢饉」を、馬琴が生きた時代、最悪の禍であったと言っ
ている。丙午とは天明六(一七八六)年、丁未は翌年だ。特に後者は「天明の大飢饉」
として有名である。天明の大飢饉に至る三十年ばかり、日本は天候不順や火山噴火に幾
度となく悩まされた。其処等辺の事情を馬琴の友人/杉田玄白に語ってもらおう。玄白
は刑死した罪人を解剖して西洋医学の正確さに感動し、ろくな辞書もない時代に洋書を
翻訳した苦労を「蘭学事始」で著した。蘭学に姦した篤学者だ。一面で玄白は馬琴の家
を訪れ、「鼬憑きってのがあるけど、これは何?」と質問したりしている(馬琴は「そ
りゃ鼬ぢゃなく尾さき狐だろう」と答えている/「兎園小説」)。当代随一の蘭学者に
して「鼬憑き」が如何たら楽しそうに語っているからオチャメだが、ガリガリの唯物論
者でなかったことが知れる。そんな彼が記した【大江戸大災害略史】「後見草」を少し
く引用する。同書は三巻本で、上巻は明暦大火を伝える亀岡石見入道宗山「明暦懲■
(比のした必/ひ)録」を写したもの、中巻からが玄白のオリジナルだ。明暦大火は江
戸の大半を焼き尽くす被害を出したが、何といっても馬琴の時代より百数十年前の話
だ。割愛して、中巻から災害に関する記述を抄録することにしよう。
     ◆
鴨の菊太夫長明が方丈記に行水は絶えずしてしかも元の水にはあらず流れによどむうた
かたは且結び且消ると移り行世のさまざまを書あらはせしも宜なり予生れしより以来二
十四五年の間に重サ六七匁も有なんと思しき雹の降しこと龍の天昇せし由にて故の郡上
太守金森殿の長屋を引倒しけるより外に驚く事もあらざりしに宝暦九年の夏の頃より誰
云出すといふ事もなく来年は十年の辰の年なり三河萬歳の唄へる末禄十年辰の年にあた
れり此年は災難多かるべし此難を遁れんには正月の寿きをなすにしくことなしと申触た
り是によりて或は雑煮を祝ひ蓬莱をかざり都鄙一統の事とはなりぬ。其年も暮れ明る十
年の辰の年には将軍家右大将に任じ給ひ御年もたけさせ給ふとて大納言殿に政務を御譲
ありて其身は二丸に移らせ給ふ大納言殿新将軍の御祝を二月四日に定めらる在江戸の大
小名の御家にて此事祝し奉るとて其前夜よりさざめきあひたり然るに刻斗の赤坂今井谷
といふ所のあやしき稗官の家より出火長坂通り一本松小山あたりへ火移り次第に風はげ
しくなり南は品川八ツ山辺まで焼出北は田町と云ふ所にて火は止ぬ……中略……同じく
七日には御府内の町人に此度の御祝ひの猿楽見せ給ふとて又宵よりさ丶めき合たり扨此
夜いかなる時にやありけん戌刻斗に神田旅籠町に有ける五社の神の祠に一明専明といへ
る悪党有て火を放ちたり折節辰巳の風はげしく吹て忽火さかんになり次第に移り行くほ
どに柳原佐久間町はいふに及ばずさしも瓦をならべし江戸の町千町斗も一時の焔ともえ
あがり武蔵下総の境と聞えし両国川を越深川に飛火して神社仏閣一宇も残らず一ぺんの
烟となり……中略……又此夜増上寺と云寺より出火同時にもえ揚り其火も移り行程に先
の日焼止し田町と云所迄行々て移るばき家居もなく北東は大海ゆへ火はむなしく焼止ぬ
八代将軍家御仁愛の余り江戸中の家居土蔵作りといふ者に作り建られしより後凡四五十
年以来か丶る大火はなかりしにより四民ゆたかに侍りしが今度の災にか丶り人々の財宝
はいふに及ばずふるき文まで数を尽し失しこと実惜むべき事なりともの知れる人の大息
し給ひぬるこそことわりなりけれ何者か祝しかへて読たりけん
   左右よりひの出をあふぐ右大将
    けるおほやけの御代ぞめでたき
宝暦も申の年に改元ありて明和元年とはなりぬ今年は新将軍家を祝し奉るとて朝鮮王国
より遠く我国へ使して吾妻迄来聘す公の警固大方ならず殊に火事は第一なりとて辻々小
路々々に番屋を建少しのすきもあらざりしに此時も又いかなる家より出しけん二月二十
日の夜神田あたりより火出室町辺にて焼止ぬ其使帰るさ摂津国迄罷りしに道の守護は対
馬の大守宗殿なりしが其家のおとな古河大炊が下部茂市といへる者財宝を奪はんため彼
使の中官戴天宗といふ者の寝所へ忍入天宗を刺殺し其場より迯失けり其死骸のかたはら
に我国の鑓の穂にて作れる懐剣の落有しより事あらはれ一旦遠く隠れすみしも尋ね出し
異国人の前にて首をはねられたり是もためし少き事のよし又同年の暮武蔵国秩父郡八幡
山の土民公に訴へごと有とて同所の神流川といへる大河の辺りに寄集り鯨声を揚ければ
近郷近村はいふに及ず上野下野の土民共同じ様に徒党をなし我先にと駆集る五郡の人数
合せて二十余万人鴻巣大宮さして押来る蕨の駅まで至りぬと聞えしかば……中略……扨
此事も明る二年の正月十日あまり漸静りければ……中略……此邪法の根元は小細工次郎
兵衛とやらんに初り新吉原町の近江屋権兵衛といふ者に其法伝り斯は其徒ふへける由同
じく四年の春山縣大弐藤井右門と云る者恐れ多くも斯治れる御代を乱し奉らんと上もな
き事ども工み企る由宮崎隼雷櫻井兵馬なんど云る者公に訴へ出ければ是やすからぬ事な
りとて其徒に組せし沙汰ある者罪あるも罪なきも時を移さず召捕給ひ様々に責問玉ひし
かはてはあとなき事なれど時を譏り上を蔑にし奉るとて大弐は首を刎られ右門は鈴ケ森
にて獄門にさらされたり……中略……又同年の夏水無月十六日の夜の事と覚えたりはた
丶神夥しく鳴て竹橋といへる所の軍器籠置給へる宝蔵へ落たりしにより是が為に焼失ひ
ぬ又同じ年秋の頃と覚えたり髪切といふこと時行りぬいかなる故といふ事を知らず是は
男女の差別なく美しく結ひたてたる髪の元結際より剃刀以て切るやうに何者か切て落す
事なりただ襟元ぞと寒気立と覚えし迄にて別に怪しき事もなく老たる人は少くして若き
女子にことに多かりけりすべて此怪の行はれしは皆夕暮方の事也世の人飯綱の法修する
者の所為なるよし申触侍りしより湯島大根畑に住せし大善院を初として名た丶る修験の
数々公に捕へられ様々に尋問し給ひしが彼等が業にもあらずとて後はゆるされたりもし
かの黒青の類にやと申人も侍りき同じ年の夏の末秋の初に至り帚星とやらん怪しき星東
北の方にあらはれ根は細うして末ひろく大きなる草箒の形のごとし此星次第に長くなり
後は数十丈に及び天の半にも至りぬと見ゆ二タ月斗も毎夜に見えたりしが北へ北へと下
りて終に見えずなりぬ是も古き文に記せる迄にして誰見しと云事をきかず此時何者か狂
歌しけん
   天中に怪しき物ありて絵にかける屁の如しと云前書して
    君が代はくさきもなびく帚星
     天下太平ぶうん長久
とぞ詠てけり又同年八月二十六日の事なりしか未の刻ばかりに辻風俄に吹起り御府内の
人家夥しく吹破り或は板庇を飛し垣を倒しさしも丈夫に作り建し深川洲崎の三十三間堂
を地より高く吹上て微塵にくだきはたしてけり……中略……扨其九月に至感冒盛んに行
はれ……中略……同七年の夏孛とやらんいへる星天中に現れ其形さだかに見えず四辺く
まどりたる様にて大サ一尺斗も有なんと覚ゆ是火星にて凡地にあるほどの水気此星の為
に吸取るなりさればこそ其夏より秋に至り次第に旱し雨絶て降らざりしにより四民是が
為に苦しみ農事のいとなみならず……中略……是より後三年程毎に旱してあくまで人の
難儀とはなりたり此秋の事なりき日は忘れたり戌の刻ばかりに天俄に赤気立終宵見えた
りしが京地にては北国方の火事なりといひ江戸にては下総常陸のあたり大火事にてあり
なんと申人も多かりき何の故といふ事をしらず惣て日本国中見えぬ国はなかりし由同八
年は鶴亀の毛生ひたる馬を献じ又打続きたる旱にて海のさま違ひたるにや東海の魚北海
に生し南海の真名鰹東海に揚り凡有べき物其地にはなくあるまじきもの其地に生し海魚
河にて揚り中にも■(虫に票)蛸といふもの上総国に集り九十九里といへる所にては海
の色も見えずなりけるとなりか丶ることも聞に稀なることの由又同年夏の事にて侍りき
時の老職上州安中の太守板倉殿のおはしける櫻田の御屋敷に怪しき事の沙汰しけるは下
部の多く集り住ける所へ如何なる化生ともしらず其寝所に忍び入彼者の能寝入たる吭も
とを一度に強くしむると覚え唖と云声して互に目覚けるとなり夜毎にかくの如きこと侍
りしが……中略……明れば九年今年は明和九とて言葉の縁あしきと人々兼てより申居侍
りしに二月二十九日の朝より西南の風烈しく吹出烟天を覆ひ日光さだかならず皆人火事
の油断ならず抔申合たり然るに午の上刻頃目黒行人坂大圓寺といへる小寺へ長五郎坊主
真秀といへる悪党有て火を放ちたりしに……中略……果は千住骨ケ原迄焼出て夜はほの
ぼのと明たりけり又其夜の亥刻ごろ本郷菊坂より火出東北さして焼けるが昼の火と二ツ
に別れ谷中三崎へ移り行東叡山を取巻て家なき方迄焼出たり明れば三月朔日にぞなりぬ
されども火は猶止もせず……中略……奉行へ訴へしも四百余人と聞えたり或は堀河に身
を沈め大名の屋形内に焼焦れ果たる者其数計知るべからず……中略……凡此度の火災に
か丶りし所幅一里に余り長さ六里に足らずとなりさしもに広き江戸の中三分の一に過た
る由……中略……又文月二十六日武蔵国茨木郡石河郡と云所の土民孫左衛門といへる者
両頭の亀をとらへ由……中略……同八月二日の早朝より雨しきりに降申の刻斗に至り南
北の風強く吹起り日の暮ほど猶はげしく物すさまじく……中略……丈夫に作り建たる家
蔵までたやすげに吹潰せり本所深川なんどいふ地卑の方へは潮さし入床の上まであふれ
みつ……中略……また同じ月十七日是は朝より北風強く通し二日の風雨の如くいとすさ
まじく吹けるに其勢をくらぶれば先のあらしにはおとりしかど北よけにて助りし家居の
分南の方へ倒れし也惣て両日の嵐にて吹潰れし家居御府内は数しれす伊奈殿の支配し給
ふ関東筋の土民の家四千余軒と聞えし也……中略……明和八年の春より伊勢皇大神宮の
難有御利生ありと申触侍りしにより畿内近国を先として物の弁へしらぬ女童八歳九歳の
小児まで我一にと語り合主親の目を忍び抜参りといふことをなし或は乳喬子を抱き御乳
めのとに至るまで其身斗か飼馴し犬猫をも率連ておとらじまけじと詣しなり後は七道の
国々残る方なく雲霞の如く打群て日毎日毎に参りし程に太神宮の長官より人一人に剣御
祓といふ物を一ツ宛分ちさづけ与へしが五月五日六日の頃は其数一日に二十四五万に及
しと也宝永年中か丶る事ありしよしは聞伝へしが其後いまだ其沙汰を聞ずいかなる事の
御利生にや覚束なし唯好事もなきにはしかしと申侍るは無為にこそあらまほしけれ(後
見草中終)
前略……扨明和も九年に改元ありて安永元年とはなりぬ今年より世中あらたまりよろづ
目出度なりぬべしと申侍りぬ然るにいまだ大火の後なる故させる替りも見え侍らざりし
により何者かしたりけん
   年号はやすくながしとかはれども
    諸色高じきいまに明和九
と読出したり是は四民の心易からざる所よりおこりぬと見えたり又其年のことなりと覚
ゆ日光の宮薨し給ひ幾程なく凌雲院覚応院信源院の三僧正公に召捕られ極悪人を見るが
如く獄屋の中に囚れ給へり是大乗小乗とやらんいへる法儀の上の事なるよし無程ゆるさ
れ給へども東叡山を追払はれ無官の僧となり給ひぬ……中略……其年の冬より同二年の
春に至り疫癘天下に行れ就中東海道は甚しく死しける人々多しと也……中略……別て遠
江国日坂の宿などにては人種も尽る計に死けるよし江戸にても余りに人の死ける故公よ
り御救として人参といふ薬を賤しき者に給りたり此年閏二月より同五月晦日まで葬具商
ひしこといか斗りありしと棺屋のかぎりよび出し時の奉行の問せ給へば凡十九万ばかり
と答へ申侍りき此病ひ中人以上は病む人少く下賤の者のみ多かりき……中略……同しく
三年の冬例よりは寒気強く所々の入り口氷厚く船路絶て来る正月に松はやすべき便りも
なし……中略……又同四年のことなりし飛騨の国の土民共公に訴へごと侍りとて数十万
人徒党をなし高山の陣屋とやらんへ押寄強訴する由聞えしにより美濃の大垣殿同国郡上
殿岩村殿越中の富山殿此四人の殿達に仰て其党人をしづめらる中にも郡上殿の御人数一
番に馳付とある森の片蔭に徒党の者共打集り朝飯くらひ居し所へ鉄炮の筒先揃へ微ぢん
になれと打ける由此勢ひに胆をけし徒党の奴原さわぎ立互に押合ひ踏倒し右往左往に迯
散て忽ち此事静りけりされ共此騒動に或は深手浅手を負死せし者も多しとぞ今の御代治
りて後鉄炮を以て土民を殺し侍る事此時を初めと聞……中略……同五年の春の末より麻
疹といふ病ひ流行三十以下の人々の病ざるものは稀なりし此病二十五ケ年以前行れしが
其時とくらぶれば今年は殊にはげしと也……中略……又同年(八年)日光山大嵐して其
土地の御役人山口平兵衛とか申せし人父子とも中善寺普請の小屋に居て其夜吹倒せし大
木の枝に打貫れ即座に命を失れしと也いかなる神の御咎にや昔より此御山には大小の天
狗数多ありて少しも邪の心有ものは必害にあゆ由也まぎれ無きことにや覚束なし又去年
の年の暮より今年の秋に至り伊豆国大島と云島のおのづからに焼出夜毎夜毎に西南の方
鳴動し江戸中に響渡り其筋に当る所戸障子襖の類ひまで倒れし事多かりきまた一日空打
曇り細き灰風につれ都下一面に降たり日を経て後に聞ぬれば薩摩国櫻島といふ所是も同
じく焼出し其国は云に及ばず近国までも鳴響き恐れぬ者はなし……中略……又同九年の
夏幾日ともなく大雨降り利根川荒川戸用川をさきとして関東の大河のかぎり水溢れ堤崩
れ武蔵下総一面に地卑の方に洪水せり……中略……御府内第一と聞えたる両国川の水は
やく矢をつくよりも甚しく永代橋新大橋も一時にくだき落したり……中略……安永も十
年の春に改元有て天明元年とは成にけり……中略……公よりの御沙汰として上野国より
出せる■(イトヘンに旨)一匹毎に銀二分五厘目といふ運上を定めらる一国の民是を歎
き大勢打群徒党を結び要訴するよし聞えければ直に其事許されたちされどもこの事召れ
よと何某等が申出し侍りぬと誰いふとなく触ければ名におふ上州者のならひにて気あら
き者共寄集り五百三百打連立此家彼家押込て土蔵をこぼち戸を破り衣類調度のゑらびな
く引裂ては投出し踏砕きては取てすて狼藉至極に振舞たり後には盗人立交り物盗て其為
に鬢をかけて童となり一番に躍入又危と見る時は引かなぐつて袖にかくし富豪の家を撰
み指図してこぼちにこぼちし由……中略……総て近来のならはしにて上に訴訟ある時は
土民必党を結び狼藉を振舞故領主地頭の勢ひは何となくおとろへて下に権の落るに似た
り実に季世のありさまと嘆息しぬる人もありその年もくれ明る二年の春より海上の波あ
らく何がしの浦何がしの沖船とも数多破れし事何百艘とも知れざるよし凡此年一年の間
の溺死せし人数しれずわづか極月十七日の一日さへ七百人死せしとなり……中略……又
同年春より夏に至り雨多く降けるにより所々洪水の訴しげく中にも伊豫土佐の地は甚し
く田畠もあれ損し人馬数多魚の腹に葬られしと也……中略……
     ◆
 数年に一度は起こる大火災や大嵐・洪水に翻弄される江戸の人々、そして何か不吉の
兆なのか巨大な彗星が接近する……。書き始めるに当たり玄白は、「自分が生まれて二
十四五年の間は殆ど無事に過ごしてきたが、宝暦九年の夏頃から不穏な空気が漂った。
翌年は三河万歳で不吉とする『十年辰年』に当たるからだ」と後二十七年の間、天変地
異が続くことを予告する。しかも、詠人知らずの狂歌を借りて、江戸幕府十代家治の将
軍就任が異変の時代を幕開けたと暗示している。次々に江戸を襲う災厄に、幕府はじめ
人々は無力だ。そして庶民を襲うは自然現象だけではない。支配層が自分たちの無能の
ツケを庶民に回し税や社会保障負担を重くする……現在でも繁く見かける現象だが、遂
に大規模な暴動が起こる。上州絹一揆と呼ばれる税負担減免闘争には二万人が参加し
た。標的は、公権力そのものではなく、公権力に媚びて擦り寄り「庶民に運上(税金)
を払わせりゃ良いぢゃありませんか」と献策する奸佞な富豪であった。地縁としても階
級としても【仲間】であるべき者が裏切ったから、制裁を加えるとの感覚だ。此の感覚
は後に江戸で勃発する未曾有の大暴動「天明の打毀」にも表れる。玄白は絹一揆に関連
し「総て近来のならはしにて上に訴訟ある時は土民必党を結び狼藉を振舞故領主地頭の
勢ひは何となくおとろへて下に権の落るに似たり」と述懐してもいる。中世以来の住民
(農民)自治の伝統を基盤に、いや支配層も成長するけれども、共に育った住民/農民
の意識に依って、住民・支配層両者の力が拮抗しつつ鬩ぎ合う様が、目に見えるよう
だ。とは云え、幕藩権力の確立時期には、当然ながら支配層(武士)の力が強かった。
しかし江戸も後期となれば、支配層と被支配層の相対的位置関係に再び変化が見られ出
したのだ。合間々々に保守的言い回しが纏わり付いてはいるが、これは単なるレトリッ
クだ。打ち続く地異は、まるで幕藩体制の天命が薄れることを告げているようだ、との
隠微な表現である。流石、馬琴の友人だ。此の一種の史観もしくは世界観が、次回に引
用する部分から、より強調されてくる。(お粗末様)




#359/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:40  (248)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「世相」 久作
★内容
 天変地異は、人が懸命に積み上げてきたものを、一瞬にして奪い去る。或いは自暴自
棄にもなるだろう。一九三〇年頃の総合誌などでは、関東大震災が人心に与えた悪影響
を論ずるものが多い。震災直後の東京へ乗り込んだ夢野久作は、庶民が助け合い生き抜
こうとする姿に感動し地元福岡に伝えんと健筆を振るったが、復興後の東京は「堕落時
代」に陥っていると失望した。江戸の美学は「粋」だが、粋は刹那的な側面も有する。
江戸は大火に度々見舞われた。論者によっては、火災が頻発し、蓄積したものを再三奪
われたことが、江戸文化の刹那的側面を助長したとする。当否は別として、なかなか説
得力がある。心の荒廃は人災を呼ぶが、さて人災と天災、何連が苛きか、虎が暴れ回る
ことと、荒廃した人間の政治と、何連が苛きか……。杉田玄白「後見草」の引用を続け
よう。

     ◆

扨同(文)月十四日の子の刻頃どろどろと鳴出し物音強くゆり立たり人々の寝入込たる
頃なれば驚き騒ぐ事少なからず明る十五日は殊に空打曇り残る暑さもわきて強く諸人日
の暮るを待かねて涼みがてらに端居して居たる頃又俄にゆり出し踏もとまりかね壁を振
ひ瓦を落し戸障子なんどを打倒し大地ゆさゆさ動揺して……中略……二百十日の順迄に
晴と曇を数れば雨の方ぞ多かりける……中略……是により川々の水増り千住浅草小石川
小日向なんどといへる所一時に洪水押出し軒を浸し塀を越し水災にか丶れる家何程と云
数しれず大川橋柳橋水におされて流れ落さて文月になりぬれば空更に晴やらずやうやう
四日五日の頃秋の暑さ身にこたへ五穀のみのりよかりぬべしと人々勇み触る然るに六日
の夜半頃西北の方鳴動し雷神かと聞ばさに非ず一声々々鳴渡れり夜は已に明けれど空の
色ほのぐらし庭の面を打見れば吹来る風にさそはれて細き灰を降せたり……中略……又
其日の夕暮方より動揺に鳴出し終夜止もせず明る七日は猶はげしく降灰も大粒にて粟黍
なんど見る如し手に取て能見れば灰にはあらで焼砂なり又是に交りて馬の尾の如き物同
じ様に降来る色は白も黒も有……中略……八日の早朝は其震動の強きこと頃日よりもす
さまじき也……中略……同十日の日下総国金町村と云所の勘蔵といへる村長御郡代伊奈
殿の裁断所へ訴えしは昨九日未刻江戸川の水色変じ泥の如くに候故不審と詠め候うち根
ながら抜し大木を始人家の木材調度の類皆こまごまに打砕け又それに交りて手足切たる
人馬の死骸数も限も知らざりける程川一面に流れ浮み引もきらず候ぬ……中略……無程
信州佐久郡の軽井沢上州碓氷郡の板鼻宿其外東山道の宿々より訴出けるが中にも軽井沢
の者申せしは今年は春より同国の浅間嶽おりおり焼出し烟いつもより甚しく別て去月の
下旬に至次第々々に繁くなり遂に今月七日亥の刻頃と覚しき時俄に震動雷電し其山どつ
と焔上り家々屋鳴強く所の男女驚き騒ぎ皆親族の見分もなくおもひおもひに迯出しぬ斯
る折しも虚空より大石小石砂交り焔々ともえながら雨より繁く降下り宿の長役七が屋の
棟へ焼石多く落か丶り其火四方へ散よと見えしが忽に焼付て宿中俄に大火となり火の粉
焼石吹雪のごとく実に大小焦熱地獄遁れがたく候間老若男女時に途方にくれて候也……
中略……後慥に見聞し人に尋問侍りしに今年水無月二十八日九日頃浅間嶽鳴動厳しく日
毎夜毎に止時なく文月六日七日に至空暗くいなびかり眼を射日中も暗夜のごとく砂石の
降音は雪霰より甚しく人々恐れ戸をさし固め往来する人も絶て……中略……同八日未の
刻鳴動殊に甚しく何やらん降来る音したりいかなる物と見侍れば是は則泥雨にて其熱き
事湯よりも熱くまた夫に交りて焼石はげしく落か丶れり是は浅間嶽東の方の鳴動の時に
当り一度にさつとさけ開き隣国上州吾妻郡吾妻渓へ熱湯を吹出せしにて侍りし也……中
略……此渓川に従ひし左右に続きし二十ケ村惣て此間に立並ぶ大家小家は云に及ばず草
木人畜に至る迄少しも形ある物は有情無情の差別なく皆熱湯に飛出す百間五十間の焼石
にはねられて微塵に砕けおし流さる……中略……浅間嶽の麓より利根川のみきはに至り
凡四十里計の内皆泥海の如くになり人家草木一つもなく砂に埋れ泥に推れ死亡せし牛馬
限り幾程と云数しれず老若男女僧俗まで合て二万余人也と……中略……扨も此三四年気
候あしく五穀の実のりよからぬ上又此秋の大変にて米価甚騰踊し四民の困窮大方ならず
来年の秋までには雑穀までも尽はて丶人々飢に及ぶべしと浮説様々成により都下の四民
怖れをなし易き心はなかりし也今年も暮同四年の春に至り米価日毎に貴くなりやがて払
底し侍るべしと申触侍りしにより大小名の御家には家子はごくむ為也とて多く買貯へ給
ふにより小賤の者は妻子を棄て迯走り或は淵川に身を沈めあへなく死るも多かりし後は
鳥目百文にしらげし米五合にたらず売ける故……中略……又此春三月二十四日の事なり
きいかなる怨や候ひけん時の老職羽州の松山酒井殿遠州掛川の太田殿勢州八田の加納殿
武州金沢の米倉殿新御番の詰所の前打並んで退出有其真中に立せ給ふ相良殿の御嫡男田
沼山城守意知朝臣と申に佐野善左衛門政言と申せし人詰所よりつ丶と出粟田口忠綱がう
ちたりける大脇差を抜はなし真一文字に切かけたりあまりの事に驚かせ給ふにや立並ぶ
人々を初めとして次の御間に扣へたる芙蓉の御間に詰給ふ諸役人一度にどつと立上り思
ひ思ひに開かせ給ふ跡は意知と政言ばかり意知其日の御脇差は貞宗の作也しが殿中を憚
りて抜放しもし給はず鞘ながら受留給へば鍔はきれふくりん飛うしろ引に引ながら桔梗
御間へ出させ給ふ此方はすかさず切込て深手二ケ所負せ参らせ已に危く見へし所に遙隔
てし所より大目付松平対馬守殿此体を見るよりも一さんにかけ寄て政言が後より両小手
かけてむんずと組政言は組れながら放せ放せとあせる中御目付柳生主膳殿もの陰よりつ
丶と出押へて脇差を奪ひとる一たんひらきし人々も立帰り折重り遂に政言を捕すくむ又
意知朝臣はかたへに助け参らせて大勢いたはり集りて御番医師天野了順を呼出し療治を
加へらる然ども了順は殿中の故なるにや果敢果敢しき療治もせで血止計をあて丶やうや
う疵口おさめ療治せし由仰此山城守意知朝臣の御父と申は主殿頭意次朝臣と申し八代目
将軍家の御時龍助と申食禄三百俵給はりし御小納戸たりしが次第に昇進し将軍家の御代
に至り厚く御旨に叶ひ一万石の地を給り大名にぞなされし也其後先将軍家の御時御寵恩
増増厚く領地を加へ賜ひ遂に五万八千石に至り遠州相良の城主にして官位四位の侍従に
任じ老職の列になり天下の政事をあづかり給へり此殿の上座には彦根中将浜田侍従など
おはしませど其人々の事は申さで唯此殿の御光をのみ四海の人々恐れてけり然るにより
日毎夜毎に其門に出入し膝行頓首するもの市の如く我おとらじと殿の御旨に叶ふべしと
て珍器珍物其価をいとはず買求め贈り参らせしにより金銀珠玉は云に及ばずありとあら
ゆる異国の宝まで此家に集らざるはなし一日或人意知朝臣に対し御家には昔し今の珍宝
不足し給ふものは有まじきと申されしに其席に羽州山形の大守永朝朝臣居合せ給ひそれ
が中に戦場の血付たる武具は所持し給ふまじと戯れ給ひし程也また此頃世の人己が支干
の七ツ目にあたれる甲乙の形ある者常に愛し翫ふ時ははからざる幸ひを得る事有と申触
たり此殿子の年の御生れにて七ツ目午にあたり給ふにより馬を愛し給ふの由人々伝へ聞
太刀かたなの金具より掛物屏風類に至るまで物の上手の作り出せる馬の形有物は一々取
て参らせしにより皆此殿の御家に集りぬもしも世に残りある時は其価むかしに十倍すと
也亦夫より猶甚しきは唐土阿蘭陀の商人ども日本にては七曜の模様付たる物こそ能価に
成ぬと心得其模様付たる織物著物の類積来る事多し是は此殿の御家紋七曜なるが故なれ
ば也又其年月忘れたり過し頃豊州臼杵の城主稲葉弘通朝臣といひし御方神田橋御門の御
守り仰蒙らせ給ひし時或夜此役の家士瀬田内膳といひし男の下部酒に酔狂ひ其御門を通
り過て何やらん不法の事を云募り罵り呼りたるにより番人ども腹を立強くいましめたり
其仕業悪かりしとて其日詰居たりし番頭何某とやらんいへる男重罪を蒙りたり其威光の
盛なりしこと此類ひ多かりき意知朝臣はか丶る目出度御家の御嫡子に生れ給ひしかも御
父子執政の重職を蒙り給ふ程の御果報に渡らせ給ふ御身にして如何なる宿世の因縁にや
か丶る剣難に逢給ひける事の怪しさよ同二十六日の夜に至御手疵次第に重らせ給ひ百薬
その効しなく遂に空しく成給ひぬ扨善左衛門政言は意知朝臣果給ひしにより其罪切腹に
定り同四月三日と申に山川下総守殿検使に立せ給ひ揚り座敷の庭にて腹切てはてられた
り凡士は賢不肖となく朝にあれば譏られ女は美悪となく宮に入ば妬まる丶とやら意知朝
臣の御事有て後も相良殿御勢ひかわらせ給ふ御気色も見へさせ給はず一日二日も過ざる
にはや常の如くに出仕ましまし又折ふしの憂を忘れ給ふためなるか猿楽など興業し給ふ
のよし人々伝聞知るも知らざるも悪み譏り奉らざるはなし去年より童謡にいやさの水晶
で気はさんざと云事の行れし最中なれば下賤の者共夜に入ば暗きにまぎれ此殿の御門前
を打通りいやさの善左で血はさんざと謡ひはやし又二人の乞骸人一人は七曜の紋付たる
酒樽の古き筵をかぶり怪しき姿して馳出せば一人は鍾馗大臣となり悪魔遁さじと追詰太
刀にて切殺す真似にして町々小路々々を白昼に廻歩行けり是を見聞人毎にあな心よきふ
るまひやと申さぬ者はなかりし也かく侍りける人心なりしにより政言は死して後かはら
ざる幸ひを得侍りぬ去年の頃より聞も及ばぬ飢饉にて四民あくまで困窮し侍りしに此人
果られし翌日より五穀の価少し賤しくなりしにより頑愚のもの共寄集りあなたうと有難
や此人は人間にてはましまさず神にておわしましけるが我々を救んためかりに此世に生
れ来てか丶る奇怪の事を仕出し神あがらせ給ひけりと云触て其なきがらを葬りし浅草本
願寺の地中徳本寺といふ寺へ毎日蟻の集る如く引もきらずつどひ詣でひたすらに世直し
大明神とあがめ唱へ申す由時の奉行聞し召近頃奇怪の至り也疾是をしづめよとその卑官
さしやり給ひ門の出入を止められたり是により暫く人も聚らざりしが其後も何事祈るら
ん詣る人は絶ざりけり是も宿世の因縁にやためし稀なる事なりき扨此後に至り御府内は
五穀の価少し賤しくなりしかども他国はさしてかはりなく次第次第に食尽て果は草木の
根葉までもかてになるべき程の物食はずと云事なし……中略……南部津軽に至りては余
所より甚しく……中略……元より貧しき者どもは生産の手だてなく父子兄弟を見棄ては
我一にと他領に出さまよひなげき食を乞ふされど行先々々も同じ飢饉の折からなれば他
郷の人には目もかけず一飯与ふる人も無く日々に千人二千人流民共は餓死せし由又出行
事のかなはずして残り留る者共は食ふべきものの限りは食ひたれど後には尽果て先に死
たる屍を切取ては食ひし由或は小児の首を切頭面の皮を剥去りて焼火の中にて焙り焼頭
蓋のわれめに箆さし入脳味噌を引出し草木の根葉をまぜたきて食ひし人も有しと也又或
人の語りしは其ころ陸奥にて何がしとかいへる橋打通り侍りしに其下に餓たる人の死骸
あり是を切割股の肉籃に盛行人有し故何になすぞと問侍れば是を草木の葉に交て犬の肉
と欺て商ふなりと答へし由……中略……出羽国米沢の侍従治憲朝臣と申は賢君にて渡ら
せ給ひ……中略……其外尾張中納言家熊本少将若狭の侍従白河の太守など皆美政おはし
ませしにより此殿原の御領地に餓死せし人は聞えずとぞ夏も過漸く秋にも至りぬれば新
穀も出来り世中少し穏なりされど昔より人の云伝し如く飢饉の後はいつとても疫癘必ず
流行とかや今年も又其如く此病災にか丶りては死亡する者多かりき……中略……又此年
は辰の年にていつも辰の年は必火災多しとて人々恐れ居たりしに師走も半過れども今迄
其事なかりし故世の云ならはしは空言ぞと諸人油断し葉針き然るに下の六日の夜戌の刻
と覚しき頃鍛冶橋御門の内遠州横須賀の城主西尾隠岐守の御屋形より如何してか火をあ
やまりけん一時にさつと焼出せり……中略……南は新橋仙台殿の御屋形を限り北は京橋
を堺にて其間に有ける人家一宇も残らず焼払ひ東南さして広がり行築地鉄砲洲に立並ぶ
大小名の浜屋敷只一ぺんの烟りとなりもえうつるべき家居もなき波打際にて火は止ぬ凡
前夜の戌刻より明る二十七日の午の刻迄只焼に焼ける程に家数何千といふ数しれず其間
に立たりける西本願寺を先として一ツも残る物はなく空しき原とぞ成たりける……中略
……
明れば五年は世中穏かに五穀の価もや丶賤しく人々もいとなみ安く悦び勇み侍りぬ然る
に春より秋に至り世に稲葉小僧といへる曲者有と沙汰したり此曲者の振舞は並々の盗賊
ならず人家の軒に飛上り飛下ること天をかける鳥よりも軽く又塀を伝ひ屋根を走る事地
を走る獣よりも早しと也然により如何なる堅固の御屋形にても此曲者の忍び入らんとお
もひし所はいり得ずといふ事なしまづ一番に御三卿の御本殿を先として薩摩中将熊本少
将廣島侍従小倉侍従津侍従郡山四品其外時の老職浜田侍従相良侍従此殿原の御屋形或は
御寝所御座の間近くいつの間にやら忍び入太刀刀を先として衣服調度或は千金二千金の
御宝数多く盗みとる今日は其所の御屋形昨日は此所の御屋形と日毎夜毎に其沙汰止時な
し是を伝へ聞し人々人間にてはよもあらず必妖術修したる悪党にてぞ侍るべきと申さぬ
者はなかりし也公にも其沙汰聞厳しく尋ね求め給へど何所に隠れ忍しにや半年余りも知
れざりしがか丶る希代の曲者も運命尽る時なるか同年九月十六日の夜一ツ橋の御屋形へ
再び忍び入たりしに名もなき下部に召捕はれ公にぞ渡されたり即裁断所へ引出され様々
拷問召されしかど同類も侍らず音に聞えしと事替りさせる術なき盗賊にて元来は武蔵国
入間郡の生れにて今年三十四歳になる新助といふ男也片田舎の生れ故田舎小僧と申せし
を聞誤り呼ならはし稲葉小僧と唱へし由其罪已に定れば程なく首を刎られて獄門にかけ
られたり世乱れ国に道なき折にこそ高位高官の御座の間近く盗賊は入べけれか丶る治れ
る御代といひ殊に又大国を知しめす武夫の御屋形だとひ戸ざしはなかりしとも御威勢に
懼れ参らせて忍び入べき道理にあらず然るに此新助の容易に忍入たるは是ぞ誠に人妖と
や申べき
又同じ年の八月の事なりき日は忘れたり藤枝外記殿と申食禄四千石しろし召れし御旗本
如何に狂気やし給ひけん新吉原に住居する大菱屋の遊女綾衣と云傾城と情死して果られ
たり公に此事聞し召其身にも似合ざる不儀なりと知行を没収し血筋を断じ給ひたり昔よ
り聞も及ばぬ事也
今年も暮同じく六年とはなりぬ今年は支干丙午にして元日も丙午にあたり殊に皆既の日
蝕なれば又如何なる年いかなる珍事や出来ぬらんと去年より是を恐れ諸人案じ居たりし
に既に元日といふに至り暦の面と事替り八分ばかりの蝕なりければ世の人是を見侍りて
実に目出度事なるべしさせる事も侍るまじと頑愚の者の習ひにて悦ぶ事も一倍せり……
中略……睦月の半頃より日毎日毎に風荒くもの丶乾く事火を以てあぶるが如し同じ月二
十二日に至朝より西北の風強く土烟吹立空の色見えわかず午の刻と思しき頃湯島の臺よ
り火事出来て黒煙り巻上れり……中略……南は室町を限りとして日本橋にて焼止たり北
は馬喰町を堺として山伏井戸にて火は止ぬ……中略……明る二十三日も同様に風はげし
く昨日焼し灰を吹あげ空一ト入に暗かりしに又午の刻とおぼしき頃西の久保の田町あた
りへ飛火して童謡に焼けるが海際にてしづまりぬ凡此日の火事は幅三町に長五町と聞え
たり同二十四日の夜南の方空赤く日を経て後に尋ぬれば神奈川の宿の内三百余軒焼たる
由夫より後に至りても日々夜々に風荒く同二十七日の朝本町二丁目に火災あり又其日の
午の刻本所四ツ目より焼出し釜屋堀まで焼通り堀の向ひへ飛火して家なき所にて焼止り
ぬまた其夜の事なるに雉子橋の御門の内にありたりける御蔵の御搗屋より出火して御城
の方風下故に既に危く侍りしが幸に消留て是は此所にて焼止たり睦月も過衣替着六日午
の刻又小日向の蓮花寺前より出火して……中略……御茶の水際にて其火則消止たり同日
駿河国久能山の脇山より野火出て明る七日も終日焼けるが同八日の早朝に風とともに止
しと也朔日のごとく風吹かば御宮も焼べかりしに幸に風止しは東照宮の御神霊による成
べしと其土地の人申せし也同九日は下野国日光山風雪烈しく降たりしに如何して火を誤
りけん御奉行天野山城守殿の厨より出火して坊数四十一ケ所町数八十二町一時の灰とな
りけるよし久能といひ日光といひ共に神祖の御神廟無恙とは申せども斯驚かせ奉る事い
かなる事の御告にやと恐れぬものはなかりし也……中略……又同月(彌生)二十三日相
州の箱根山自から鳴動し同二十四五日の頃地震殊に甚しく凡此両日に百度計ふるひし由
是により二子山崩れ蘆湯底倉なんど丶いふ湯治の場所へ大石落人家多く破りしと也扨此
鳴動に驚きてや猛獣ちまたに走り出畑湯本あたりにて往来の者にかみ付人々害を蒙る由
春も過又卯月の半頃より同五月六月に至雨しきりに降続時ならぬ冷気行はれ夏の衣著る
人もなし是によりて畠物のみのり熟せずこれは恐ろしまた今年も秋納あしく侍るべしと
申さぬ人もなかりしなり同文月十二日の夜風雨殊に烈しくして関口より小日向あたり洪
水軒をひたし夫より日々大雨止ず勢ひ車軸を流すが如く水はますますいやましてこ丶も
かしこもあふれ終に十八日と云に至り向かしより聞も及ばぬ水災とはなりにけり凡関八
州の国々此災にか丶らぬ地はなく……中略……又此春の初めつかたより何の故といふ事
を知らず夜な夜な空中に怪しき音し侍りぬ此所にあるかと聞けばかしこに聞ゆ大名の宿
直の武士又病人の介抱人たしかに聞人多かりき世の人是を天鼓と号し今度の洪水出し後
絶て其沙汰止てけり是水災の告なるべしと申人も侍りき明英宗皇帝天順七年癸未の年件
の如き音せし由其時李賢と申せし臣下奏せしは上下恤下厥有鼓妖と申せしと也若もしか
ある類ひにやいぶかし又同月晦日の夜たしかに月の二ツ並び出しを見し人ありと語りた
り是尤も怪しき事也又其頃伊豆の国宇佐美久津見の海の面潮一時に真水となり海猟暫く
絶たる由是はさいつ頃の洪水の海へ入し故也とぞさも有事にや……中略……
     ◆
 焼砂を江戸にまで降らした浅間山の大噴火に、玄白も深刻な不安を抱いたようだ。ま
たも農産物は凶作で物価は高騰する。藩主など上級武士が買い占めに走る。更に高騰
し、庶民には、文字通り、絶望の淵に身を投げ入水する者が多かった。そんな時代、老
中/田沼意次の嫡子でありながら何故だか(一家で当主以外の者が幕府役職に就くは異
例)若年寄だった意知が江戸城内で、佐野善左衛門政言に殺される。出自不明の田沼家
を由緒正しい自家の系図に繋げると申し出た佐野に、田沼家が系図を返さなかった為に
起こったとも言われるが、真相は分からない。面白いのは、玄白が、意知の治療に当た
った天野了順の処置に着目し、疑問を抱いている点だ。結果的に死んだのだから処方が
間違っていたとも想定できるけれど、当の了順は血止めだけで十分だと判断したのだろ
う。玄白の記述は、医学者らしい着眼ではあるが、事件内容も或いは医学者ネットワー
クからの情報であったか(意次失脚時の記述でも医者の動きに着目している)。
 勿論、佐野は切腹に処せられる。しかし庶民は佐野を「世直し大明神」と称えた。折
しも直後に米価が下落した。佐野を葬った寺には参詣者が引きも切らず、不穏を感じた
町奉行は寺の門を閉ざすが、庶民は押しかけ続ける。動機不明の暗殺事件で、これだけ
庶民が熱狂した理由は、時の老中/田沼意次を憎んでいたからだ。縁故と賄賂で政治を
私し、庶民が物価高に喘いでいるのに豪商を保護し、対応策をとらない。新田開発も行
おうとするが、これとて庶民の目からすれば、豪商を利することに重点を置いていると
映っただろう。また玄白は関係者の横暴を挙げ、意次に対する庶民の憎悪に有利な心証
を与えてもいる。暗殺事件を快いものだと田沼屋敷前で敢えて嘯く者達、白昼に路上で
勧善懲悪仕立ての寸劇を披露する乞食……玄白は口先では此等の行為を非難しつつも、
「是を見聞人毎にあな心よきふるまひやと申さぬ者はなかりし也」と伝えている。ま
た、息子を殺された意次が喪に服すわけでなく事件後程なく猿楽を興業したことにも、
庶民の怒りは向けられる。但し玄白は、「憂さ晴らしではないか」と、一応は意次の肩
を持ってはいるが、玄白の如斯き記述には特徴があって、文章の途中に穏便な感想を挟
み、文末は庶民の怒り・憎悪で終える。明らかに、庶民の怒り・憎悪を強調し結論とす
る筆法で、【穏便で常識的な感想】はイーワケ程度のものに過ぎない。さて、玄白は田
沼政治に対する密やかな不満を、庶民の口を借りて表明し、毎度お馴染み天災記録を続
けるが、いきなり江戸後期の大盗賊、稲葉小僧を紹介する。大名・旗本の屋敷を次々襲
った怪盗だ。人々は妖術使いだ何だとか大騒ぎして話題にしたようだ。しかし捕まえて
みれば普通の人間で、しかも武蔵国入間郡(片田舎)出身だから元は「田舎小僧」と呼
ばれていたが、聞き違えた者が「稲葉小僧」と呼んで定着してしまったのだと、殊更に
「大盗賊」を貶める情報を掲載している。玄白ほどの名士なら、情報源は幕府の役所だ
(馬琴の兎園会を例に挙げるまでもなく幕吏や江戸勤番の地方武士と江戸の知識人は情
報ネットワークで繋がっていた)。玄白が馬琴に伝えた「鼬憑き」の情報も、訴状を見
て知ったものだった。役所か、或いは町役人にコネがないと、訴状なんて見られないだ
ろう。よって、「田舎小僧」情報は役所側が【大盗賊を英雄にしたくない】と、御尤も
な欲望に駆られ敢えてリーク/喧伝したものとも感じられる。が、もしも、そうだとし
たら、逆効果だ。たった一人の「田舎小僧」如きに当主の寝所近くまで侵入され家宝や
金を奪われた大名・旗本家は、「田舎小僧」未満ってことになる。
 また続く火事の記述のうち、興味深いものがある。駿河国久能山(遺言により家康の
遺骸を一時安置した場所で徳川の一聖地)の脇山から出火、すわ久能山焼亡かと思われ
たが、風が吹いて鎮火した。「東照宮の御神霊によるべし」と家康の権威を持ち上げて
いる……が、直後の記述で、日光奉行の厨房が失火、日光一山大被害を被ったと云う
(家康廟は無事)。徳川家の聖地が二つながら火の手に迫られ脅かされたのだ。「いか
なる事の御告にやと恐れぬものはなかりし也」。家康すなわち幕府権威の凋落を感じて
いるが如きだ。

 幕府は私的な軍政機構であり、大名・旗本は武威を以て社会を維持するべき者であっ
た。其れがトコトン馬鹿にされているのである。玄白は続けて、大身旗本が遊女と心中
した事件を語る。文脈の流れは明らかに、【支配階級もしくは上級武士階級の堕落】
だ。天災と、武士の堕落を交互に書いていく玄白の姿勢は、何を言わんとしているの
か。(お粗末様)




#360/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:42  (305)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「天災と人災」 久作
★内容
 引き続いて「後見草」を引用する。
     ◆

同八月将軍家此頃御不例におはしましける由申人も侍りきされども外様にては知る人も
なかりし也然るに今月十五日外殿へ出御ましまさぬよし人人伝え聞奉り扨はたしかに御
病気にておはしけりと初めて驚き奉りぬ同十八九日のころ御病次第に重らせ給ひしよし
にて日向庵若林敬順といへる町医師二人俄に御城内に召れ其日より直宿仰渡されたり是
を聞人毎に只ならぬ御病にてぞおはしますらんとますます驚き奉れり同二十一日と申に
さしも日本にて御勢ひ盛んに渡せ給ふ遠州相良の太守意次朝臣俄に出仕を留られ給へり
又是とひとしく先の日召れし二人の医師同く外様へ逐出され無程無暇給はりぬ是を聞人
毎にこは如何にいかなる御事の候とて唯何となく打あやしみ道行人も行逢ては互に目と
目を見合ては物の一ツもいひ兼たり同二十七日に相良殿御役被召放房州館山の領主稲葉
越中守正明朝臣も同じく御役被召放是は知行三千石を減ぜられ給ひたり共に一方ならぬ
御寵臣にておはしけるが何の落ち度や候ひけんと聞人興をさましてけり又其後に至り幾
程なく相良殿も知行二万石を減ぜられ住馴給ふ居屋敷をわづか三日の間に召上られ築地
の屋敷に移らせ給へり実に赫々たる者は必衰ふといへる古人の言葉空言ならず龍蛇の勢
ひ尽る時は螻蟻相集りて制すとかや昨日までは門前に問来る人の馬駕絶る間なくさしも
盛んなりし御ありさまも今日はそれに引かへて■(曜のツクリ)公が官を止しより甚し
く唯寂々寥々として人なき宿の如く又様々に便り求めて結びし縁の大小名四十余家其身
ばかりか召仕家子まで少もつながる縁ある者は皆仇敵の様に交りをた丶せ給ひたりやん
ごとなき御方々さへか丶る奇怪をなし給へばましてわきまへ知らぬ下部ども此所かしこ
に寄集りいろいろにいひ罵る其有様の耻かはしきいかに末世とな乍申浅間敷かりし事ど
も也蓋し九代目将軍家御在任の半頃より時の執権たる方々に物を贈り参する事を権門と
呼びはむきと唱へ貴賤となく其門に出入する事止時なくそれが中に相良殿の政にあたり
給へる日ほど盛なる事はあらざりし也さるによりて此殿の親族と呼る丶人々皆一時の勢
ひを得高位高官に昇らせ給ひ昔よりなりがたき事も自由になり官を売位を販ぐの類多か
りしにより我も我もと縁を結び又よるべなき方々は蛛の素の遠くつながる便りを求め両
敬と申事に唱へなし互に親族の如くにもてなさる中にも此殿の御次男中務少輔忠往朝臣
と申を豆州沼津の領主水野出羽守忠友朝臣御養君となされしにより沼津殿もおし続たる
御勢ひにてぞおはしけるその御家に仕ふ下部まで皆社によるの鼠にて何となく勢ひ有し
程に世の人うらやみ尊みて又物を贈る事も多かりき一日堀田何某といへる者其家のおと
ななる土方縫殿助といへる男の許に茶事にまねかれたり其日は草の茶事とやらんにて先
寄付の座敷の床には古法眼元信が画る掛物をかけ前には黄金の米俵に白銀の鶏とまれる
香爐をすえ次の一間には三尺余りもありなんと覚しき白銀の花生を釣り時の花水際清く
挿角棚には唐鳥の羽箒に光孝が弟の水仙の毛彫せし黄金の棗を取合せ置扨風呂にはいか
にも大きなる白銀の茶鑵をかけ傍に染付といひ形といひ上なき南京焼の水指をかざり付
茶事既に終りて後炭流れければ通ひの男採籠を持出たり其内に摂津国の鴻池善右衛門が
家に伝る安南黄色の亀の香合を後藤光煌に黄金にて写させたるをのせたりし由棚にかざ
れる棗もいと重かりしが香合は手もたゆむばかりに覚へしと語りき相良殿に縁ある家の
おさたるに如此の事なれば其主君主君の花美全盛おしはかられてしられけり昔より上を
学ぶの習なれば宝暦の下つ方より今天明に至り世の奢侈聞も及ばぬ事のみ多し……中略
……たまたま質素の輩あれば只ねぢけ人の様にいひなし指差笑ひ誹謗する者多きにより
互に負じ劣らじと奢侈をのみ第一とはなしぬ斯ありし程に人々の営み悪く日々月々に衰
へ上たる人も不足し給へば下ざまのものはますます不足し今は上下困窮極れるにより奸
商酷吏此時を幸と思ひさまざまの工みを企て己を利するが為に上に向て御益御為と説き
物毎に付て運上めせとす丶めしにより時の奉行頭人も多くは其旨に従ひ給ひ金銀の両替
より炭薪の類に至るまで物毎に其事のあらざるはなく又少しも余地ある所へは新地を築
き新田を開き給ふ事止時なく是によりて世の風俗は次第に変じやんごとなき方々も文の
往復言葉あや位にも似ぬ事のみ多く唯巧言令色を以て人の心にさからはぬ輩あれば是な
ん今の世の大通人と云者也と誉称し侍りし程に讒諂面諛を能事とおもひ尊卑の分を別ち
知者なし何ものか
   世になきは御無事御堅固致し候
    つくばひ様に拙者其元
   世の中は諸事御尤有難い
    御前御機嫌さておそれ入
と狂歌して譏れりまして賤しき者に至りては耻を知り義理を知者なし……中略……扨も
相良館山二人の殿達御役御免仰蒙らせ給ひて後わづか四五日過侍りて此一両年の御企に
て莫大の金銀を費し開かせ給ふ下総国印旛手加両沼の新田去し洪水に堤崩れ土手破れし
故なるか又別にいはれ有事にや其儘普請止られたり其外和州金剛山の金堀事又此頃触を
出されて凡日本国中公領私領を初として寺社に寄附に置れたる少し斗の所迄小間一間に
銀三匁づ丶運上召れ給はんと有し事是も同く止られたり何の御故なる事にや朝に令を出
し夕にあらたむるの類ひぞと申人も侍りき同二十六日には遠江国浜松の宿龍の天昇なし
ける由にて数多の人家破れし由同二十九日には辻風おぼただしく吹侍りぬ関の東の国々
はさせる破損もなかりしが関より西は甚敷豊前国中津あたり民家はいふに及ばず城の御
門二ツ迄吹倒し侍りし由又北陸道若狭国小浜といふ所にては西北の風朝より烈しく雨頻
りに降けるが午の刻過る頃空少し晴かたにて風も止よと覚しきにさはなくして同じ半刻
又黒雲おほひ重り山鳴海荒く波の高さ一丈余りに打上て俄に西風どつと吹立並ぶ家家の
妻戸をしむる間もなく屋根をまくり垣を倒し小家のかぎりは吹潰し沖に繋ぎし船どもは
碇を切て陸に吹付小き伝馬船の類ひをば屋の棟までも上たる由……中略……同月八日と
申に将軍家薨去し給ひし由を触られたり扨は此程の変事共此事の御知せと始めて思ひ合
たり……中略……
又同月十二日いかなる者が申触けん玉川猪の頭と云両所の上水へ毒を流し入たりと云伝
へ侍りし程に諸人一度に騒ぎ立只一日の其間に貴威権門の御住ひを初として町々小路小
路に至るまで此水の通る所汲貯へし其かぎり俄に傾け棄るもあり又此あたりは源へ程遠
し毒の染る間もあるべし明日の用意になすべしと周章ふためき汲も有ひとへに奇怪の浮
説也扨秋も過冬の初の四日の日雨いたく降けれど将軍家の御葬送御式無子細済せ給ひ幾
程なく勅使下向ましまして俊明院殿と謚を参らせらる凡人の世にある貴きと賤きとの差
別はあれど禍福吉凶に至りてはみな天の致す所人力の及ぶ所にあらざるにや又徳不徳に
因ことにや此君御在位の内是ぞ御不徳と聞えさせ給ふ事もあらざりしに将軍宣下有りし
より今年に至り二十七年の其間外にしては天変地妖止事なく又内にしては御臺所を始奉
り御公達御二方御姫君御二方共に先立せ給ひ唯御身一人此世に残り止り給ひ朝夕の御事
迄下の意に任せ給ひて万事自由なる御行ひも聞え給はず一生を終り給ひし御事如何なる
過去の因縁にや実に天下の富貴をたもち給ひし御身にして果報つたなき御事計と心ある
も心なきも皆いとおしみ奉りぬ同十一月には大納言殿本丸に移らせ給ひ御新政も逐々に
仰出させ給ひ世の風俗も何となく改るべき御萌しあらはれ給ふにより世の人末頼もしく
難有御事に申唱奉りぬ然れども三十年来の悪習なれば俄には変じがたく此年も暮明れば
丁未の年正月十七日に至り今日は御番頭水上美濃守殿御宅にして同じ御役勤給ふ小堀河
内守殿小笠原播磨守殿大久保玄蕃頭殿三枝土佐守殿酒井紀伊守殿内藤安芸守殿能瀬筑前
守殿都合七人の御方寄集り芸者寄合といふ事し給へり是は時の名妓六七輩も呼集め大酒
宴をなし給ふ事也その時酒たけなはに及び兼て遺恨や侍りけん又は其坐のたはむれ事に
や大久保殿水上殿の膝元に摺寄り携へ来りし菓子取揚是参らせ候と箸とつてはさまれし
に水上殿は其折しも盃ひかへ給ひし故酒半に候間後刻頂戴仕らんとかたへに差置給ひし
に大久保殿是を見て声あら丶げ栗饅頭にては候はぬ物をとて手の指のべて其菓子つかみ
側に居たりし妓女の顔へした丶かに打付給ひし由こはさいつ頃相良殿盛んなりし時浅草
馬道に住居せし生花の指南何某とか申せし者其家子潮田尉右衛門と云男にいさ丶かの怨
ありて栗饅頭といふ菓子に草烏頭と石膏と云薬を細末にして入贈りあたへし事侍りきそ
れをたとへに引出給ひしならん扨此大久保殿の御言葉を初として七人の御かたがたおも
ひおもひに悪口し後は各立上り其日饗応に出されし将軍家より賜りし調度なんど初めと
して或は膳椀皿鉢まで手にあたる物を幸に打こぼち蹈潰し又はつかんで投出し給ひし由
其中に甚しきは大小便を席上にした丶かにたれちらし又それを箸にて挟みそこらあたり
へ打付給ふ御方も有し由か丶る非礼の振舞を耻かしとも思はぬ方々なれば其外の傍若無
人おしはかられて知られけり凡此御代治りてのち人の頭となる人の鄙夫下臈にまさりた
る其悲法狼藉聞も及ばぬ事共也是ぞ誠に人妖とも申べし又春も過ぎ来る四月初めには大
納言大将軍に任じ給ふべしと兼て触置給ひしに折節大雨降続き海道の川々水増り勅使を
初め奉り堂上の御方々是にさ丶へ止められ給ひ漸く同月十日頃御下向ましませしにより
同月十五日宣下の大礼行れ内大臣の大将軍に転じさせ給ひたり今日よりは天下の御政事
御手づから出ぬべき御事なれば世の中の風俗も改り万事穏に成行て万民泰平の御徳化を
蒙り奉るべしと身をそばたて歓喜せり然れども寒去れば暑来るの習ひ秋暑は三伏より甚
しく春寒は三冬よりも猶厳しく御代既に改るとは申せども去し子の年已来打続き七年の
凶作にてあくまで諸民困窮し殊に去し午の年は凡日本国中おしならし三分一の収納なる
よし是によりて今年の春に至り米価次第に騰踊し既に五月の中旬頃浅草の御蔵庭相場と
申に豊なる年は百俵を小判十七八両に商ひし年も有しに今年はそれに引替て貴きの極り
は二百十二両までに至りたり実に艱難にも馴ればなる丶習ひとて鄙も都も諸ともに様々
の物を貯へ市町にて商へば是へ調へ喰ひし故過し年の如く餓死する人はなかりしかど一
日限り炊き喰ふ者共は鳥目百文に三合は商はざるにより百計既に尽果て此事救ひ給はれ
と時の奉行所へ訴へけり奉行も聞し召不愍の事に思し給ひ色々に御思案あれど兼て足ざ
る米なれば如何にとも詮方なく若も箇様に物の価騰踊するは奸商どもの所為にもやと商
家の蔵々一々改め少しも貯へ持たるはその錠前に封を付私に売らせ給はず只貧富の差別
なく食をひとしくなすべしと男一人に米二合女一人に米一合是を一日の食と定め伊勢町
といふ所にて五日の分をかぎりとなし所々の長共の證文と引かへて売あたへ然るべしと
町々へ触られたりしかありしにより売買の道却てふさがりますます諸民窮困し鄙賤の者
共詮方なく今は餓死なんよりはとて遂に同月二日の夜赤坂といふ所にて雑人原徒党をな
し同じ所に住居する雑穀商ふ家々を打破り打こぼりて是を騒ぎの始として南は品川北は
千住凡御府内四里四方の内誰頭取といふことなく此所に三百彼所に五百思ひ思ひに集り
て鉦太鼓を打ならし更に昼夜の分ちなく穀物を大道へ引出し切破り奪ひ取八方へ持退た
り初の程は穀物計奪ひしが後には盗賊加りて金銀衣服の類ひまで同じ様に奪ひ取ぬ斯あ
りし事既に三日に及びしかば公にも聞し召安からずや思しけん町奉行盗賊奉行の方々に
仰せつ丶是しづめよとありければ各組子を召連て馬に跨り鎧を合せ縦横に乗廻り厳敷召
捕給へども元来烏合の雑人なればこ丶かしこに迯散て捕へらる丶は数少しか丶る騒ぎの
折からなれば様々の浮説多く少しも富る輩は今や此家打こぼちやがてあの家も破りぬべ
しと女童部を引連て貧者の方へ身を忍び潜り避る人も有又大名の御米を迎へ取給ふにも
警固の薄かりしは途にて奪ひ取のよし申触侍るによりわづか車一二輌に積載たる扶持米
に武士四五十人前後を囲ひいかめしげに引たりける或は一度こぼたれし者共は重て家蔵
破られては叶はじ物と寄集り一町一町手組をなし合印の鉢巻し手に手に竹鑓磨すまし再
び来ると見ならば拍子木を合図となし只一勢に突に出皆殺しにしてくれんと勇み進んで
待も有けり松永貞徳が戴恩記に町々小路々々に新関を構へ柵をふり鹿垣を結常の往来も
自由ならずと戦国の古を見しま丶に記し置しが今ぞ又其如く木戸々々をさし行道を結び
往来も自由ならざるにより工商二民業を止め戸ざしを塞て居たりしは怪しかりける形勢
なりしかありしよりいよいよ売買の路たへて仮令千金万金を重ね持ても砂石に同じく米
穀買ふべき便りなく貴人高位の方までも四五日窮し給ひしは希代の珍事と申べし此事遂
に公に聞し召急ぎ此乱しづめよと御先手の人を撰み十組に仰渡されたりさて窮民を御救
ひには老少男女の隔なく人一人に米五合と銀三匁目余即時に下し賜ひたり猶是も事足ず
や思召けん御郡代伊奈半左衛門殿生年二十四歳なりしを従五位下摂津守に任じ仮に米国
運送の惣司となしたまへり抑この伊奈の御家と申は世々関東の御郡代として其徳八州に
しき給ひ又今の伊奈殿は賢才のましますによりさばかり払底せし米穀を如何して取集め
給ひけん公より下し賜ひたる二十万両と云金子を以て時の価ひ小判一両に米二斗づ丶に
商ひしを其儘に買求め一倍賤しき価を以て窮民に分ちあたへ其外大豆黍までも皆是に准
じ買調へて分ち給へば諸人ますます此儀に感じ此殿助け参らせんと日々四方の国々より
御府内に運び入是によりて五穀忽ち豊饒となる扨其時の有様は船の印に伊奈といふ文字
白地に赤く染出し船毎に押立しは秋の木の葉の浮ぶが如く海河狭しと見渡りぬ又穀物分
ち給ふ場所は芝糀町深川浅草此四ケ所に定めらる此に集る窮民は偏に雲霞の如くにて何
万といふ数しれずみな大旱に雨を得しよりいさましく目出度君の御国恩とよろこびの声
巷にみつ蓋天運循環して往てかへらずと云事なく三十年来たいはいせし風俗の改りぬる
時至り奥州白河の太守定信朝臣を老職第一の座に撰み同国泉の領主本多殿を少老職とな
し給て別て石川土佐守殿は御寄合より撰み挙げその外当時賢才の聞えある方々を追々に
朝に挙用ぬ又奸猾の徒は不残外様へ追しりぞけ賄賂の路を絶ち給ひぬ此分に侍らば程な
く寛永享保の化に至るべしと皆目を拭ふて待奉も昔より丙午丁未の両年は必変事多しと
て丙丁季鑑といへる書を漢土人も著し置けり実さる事も侍るにや斯御政事は改れど兼て
不足の米穀なれば俄に補ひがたく在江戸の四民ども麦を搗やらかて炊ぐやら片山里の如
くにて命をつなぎ侍るのみ又気の行はる丶所年の数によるにや肥前国長崎にては五月二
十五日摂津浪花にては同月十一十二十三日陸奥国石巻にては六月六日より八日まで雑人
原党をなし多くの人家破りし由其外紀州の和歌山和州の郡山是等の所を先として騒がぬ
国は少なしと也其中に皇都はさすが宮古にて人の心もさはがしからず近郷近村の雑人ど
も二百三百打群て九重の御門御門に立向ひ今年豊年になし給へと祈り申奉り或は賽銭擲
て伏拝むも有しとなり又今年も春より雨多く洪水せし国もありしかど本立て道行はる丶
のならひにて朝に賢者をあげ給へば聞人さらに恐怖せず殊に又五穀のみのり近年の豊作
と申触侍るにより万民泰山による心地してけり賤しきたとへに雨降て地かたまるといへ
るが如く若今度の騒動なくば御政事は改るまじきなど申人も侍りきやつがれ若かりし時
より風化次第に乱れ下り此末いかなる世とやなりなんまた如何なる事や出来なんと五十
年にあまる老の身にも応ぜぬ事のみを日夜案じ居侍りしに白河の太守老職に挙られ給ひ
て後わづか三月ばかりにして
   世にあふは道楽ものにおごりもの
    ころび芸者に山師運上
   世にあはぬ武芸学文御番衆の
    ただ慇懃にりちぎなる人
といへる悪風忽ちあらたまり又逢かたきと思ふ世に再びあひ奉ることのうれしさに拙き
筆をこ丶に止む(後見草下 了)

     ◆

 遂に田沼意次が失脚した。此処でも医者の出入りがある。即ち、徳川家治が病気にな
る、町医者二人が呼ばれ二十四時間体制で懐抱せよと命ぜられる、家治の病状は悪化す
る、そして突如として意次が老中職を免ぜられ所領も大部分が剥奪される。実は二人の
町医者は意次筋が推挙した。しかし家治の病状が悪化したため医者の推挙自体が暗殺計
画と疑われたとも云われる。意次は失脚を余儀なくされる。幕府の如き一種のカリスマ
政権(カリスマ家康の霊を継承した将軍を頂点とする)では、実は其のカリスマ(将
軍)の信任のみが実質的権力者の存在基盤ともなり得る(でも実は幕藩権力内の均衡で
【死人に口なし物云わぬカリスマ家康/将軍】の意向が決定される)。意次が、家治よ
りも自分にとって都合の良い将軍位継承者を見付け家治暗殺を謀ったのかもしれないし
(既に家治は死んでもおかしくない年齢で意次が若年寄に仕立てた嫡子/意知の安泰を
も確実な者とするためには、草臥れた家治を棄てて次なるカリスマを早期に立てようと
するは、当然だ)。それとも善意で推挙した町医者がヘマをして、暗殺計画だとの、【
あらぬ疑い】をかけられたのか。(私が少しでも情緒的な人間ならば意次が政敵に陥れ
られたと思いたがるだろうが)全く何連かは判断できぬ状況である。玄白が、逸早く医
者の動向を知ったことは、医者ネットワークに連なるからか。
 また玄白は、賄賂がこびり付き奢侈に浸った田沼政治を論う。「世の中は諸事御尤有
難い 御前御機嫌さておそれ入」との狂歌で「巧言令色を以て人の心にさからはぬ輩あ
れば是なん今の世の大通人と云者也と誉称し侍りし程に讒諂面諛を能事とおもひ尊卑の
分を別ち」という武士階級の堕落を指摘する。何だか現在の状況を描写しているよう錯
覚しそうだが、引用史料は確かに過去のものだ。玄白は続いて、全国各地が大風被害を
蒙った現象を挙げた後に将軍家治の薨去を記して、「此程の変事共此事の御知せと始め
て思ひ合たり」と関連付ける。一応は、社会的影響のある貴人の死を、災害が予告して
いたとの謂いだが、追悼の一言もない。前に書いた如く、如何も玄白のスタンスは【家
治が将軍位に就いてからロクな事がない】だ。だから追悼の言葉がないどころか、「此
君御在位の内是ぞ御不徳と聞えさせ給ふ事もあらざりしに」と、お約束の予防線を張っ
ておいて、「二十七年の其間外にしては天変地妖止事なく又内にしては御臺所を始奉り
御公達御二方御姫君御二方共に先立せ給ひ唯御身一人此世に残り止り給ひ朝夕の御事迄
下の意に任せ給ひて万事自由なる御行ひも聞え給はず一生を終り給ひし御事如何なる過
去の因縁にや実に天下の富貴をたもち給ひし御身にして果報つたなき御事計と心あるも
心なきも皆いとおしみ奉りぬ」と、憐憫とも非難ともとれる記述が続く。即ち玄白が家
治の治世を総括すると、「在位の間、家の外では、とにかく天変地妖が止むことなく、
家の中では奥さん始め男の子二人女の子二人に先立たれ独りっぽっちになって一生を終
えた。専制君主というでもなく、身近なことまで万事、仕える者の言いなりになってい
たのに。全国の富を一身に集める身にあって、前世で如何なる悪事を働いて、こんな不
幸な目に遭ったのか。皆々可哀想がった」だ。嘘でも上げ底でも、死んだ時ぐらい将軍
としての功績を挙げてやっても良さそうなものだが、全くない。仕える者(田沼意次
?)の言いなりだから、本人の「御不徳」(前出)は元より無いかもしれないが、玄白
は、かなり否定的評価をしていると感じられる。トンチンカン政権が崩壊した時には混
乱が起きるが常道だが、「同月十二日いかなる者が申触けん玉川猪の頭と云両所の上水
へ毒を流し入たりと云伝へ侍り」なんて近代でも、例えば関東大震災時や植民地朝鮮独
立運動時でも見られる、御馴染みの流言飛語まで飛び出した。
 翌年四月に家斉が将軍に就任する。翌五月には、遂に江戸に於ける未曾有の大暴動、
天明の打ち壊しが発生する。物価高騰に業を煮やした町民が、米屋を中心に豪商を襲っ
たのだ。血生臭い階級闘争ではなく(抑も町人たちは豪商を【階級対立の相手】とは思
っておらず【ご近所さん】と思っていた節がある)単に食料の分配を目的としたものだ
った。翌六月、漸く真打ち松平越中褌担ぎ定信が老中職に就く。打ち壊しの原因となっ
た飢饉で、白河藩内に餓死者を出さなかった遣り手だ。現在に親い視点で経済を見てい
たからとか何とか田沼政治を評価する向きもあろうが、なるほど縁故・賄賂で物事が動
く世相は現在に確かに親い。親いからってだけで評価するこそ、縁故・賄賂政治の温床
だが、とにかく田沼政治では、庶民を喰わせることが出来なかった。此が厳然たる事実
である。無能の烙印を押さねばならぬ。勝てば官軍、政治は結果論だ。其処に締まり屋
で、自分の責任である領内の民だけは餓死させなかった大名が、権力の中枢に迎えられ
た。色々抵抗はあったようだが、如斯き権力移動が実現したこと自体(まぁ裏面はエゲ
ツないにせよ)、まだしも幕府の底力を感じさせる事件であった。ただ、此の「底力」
は、玄白によれば、後押しされて漸く発揮されたものだ。「賤しきたとへに雨降て地か
たまるといへるが如く若今度の騒動(天明の打ち壊し)なくば御政事は改るまじきなど
申人も侍りき」。玄白は、執拗に天変地異と武家政治の堕落・腐敗を描き続け、打ち壊
しに繋げ、此の打ち壊し故に政治が改まったと書いている。田沼意次に象徴される腐り
きった武家政権は、内部が腐りきってるんだから、自浄能力がない。当たり前だ。【外
部】である被支配階級の「打ち壊し」あってこそ、如何にか軌道修正を試みることが出
来た。また腐っても鯛、武士は、口先だけであったかもしれぬが、強い倫理観を建前と
していた。易きに流れて縁故・賄賂政治に浸りきっていても、体制の危機に遭遇すれ
ば、襟を正すだけの廉恥心は持っていたようだ。
 さて、現在の体制は、民主主義とやらで、建前としては支配者と被支配者が一体とな
っている。が、国民の側からすれば税金は「取られる」ものであり、政府の側からすれ
ば年金基金は自分たちの利得だ。国民に寄生しつつ甘い汁を吸って倦むことがない。一
体となっているべき両者が、利害を【対立】させている。これでは前近代の、田沼政治
と差別する所は無い。三回に亘って、馬琴の友人/杉田玄白の大江戸大災害略史を引い
た。「災害」は実は天災だけでない。支配層である武士階級の腐敗・堕落こそ、玄白の
描きたかった災害/人災であったか。また若干ながら、江戸の知識階級がネットワーク
で互いに繋がっていたことにも触れた。ネットワークは情報のみならずメンタリティを
も共有する。
 天明の打毀し時、「暴徒」側は【礼儀正しく狼藉】したと伝えられている。【秩序立
った暴動】であり、社会規範が或る程度は守られていたことが解る。「暴徒」らは、私
的な盗みすら厳禁し合っていた。即ち【略奪】ではなく【強制的な富の分配】である。
中世には徳政令すなわち借金棒引きが幕府から命じられていた。少数者に極端な富が集
中した場合、貧富の格差を一定程度は解消することこそ、前近代日本の社会規範であっ
た(現代日本も自由経済の名の下に、自由経済の結果たる独占状態を禁止している)。
 こういった一本芯の通っている限定的ダイナミズムの裡に、サーフィングする如き姿
勢が、或いは前近代日本の心性であったかもしれない。けれども「ダイナミズム」と言
っても誤解してならないのは、所謂【何でもあり】ではないことだ。「何でもあり」と
は即ち【何にもない】ことであり、虚無主義に過ぎない。日本であれば、例えば、殺人
に対する心理的禁忌は比較的高かったと思われる。近世は、結構安易に……いや、頻繁
に百姓一揆や都市騒擾が起こるのだけれども、金持ちやら庄屋やら米問屋やらが襲われ
財産を強奪されたりもしたが、殺害まで及ぶことは稀であったし、鎮圧する側も、まず
は威嚇を以てし、武器を使うことは稀であった。一揆・騒擾のメンバーが捕らえられて
も、死刑に至る者は極少数(もしくは一人)の首謀者のみであった。これが同時代(一
七八〇年)のイギリスなんかだったらジョージ・ゴードン卿が扇動したゴードン・ライ
アットにはロンドン市民六万人が暴行・略奪を恣にした、と言われている。公式発表は
処刑者二百八十五人であった(しかし鎮圧中の市民殺戮が五百人以上はいたとも言われ
ている)。対して我等が天明の打毀し(一七八七年五月二十日から)は、大坂・江戸を
はじめ各地に広がったけれども、江戸だけで僅か四五日間の間に約千軒の米屋が襲われ
たことからして、広い意味で参加した町人の数は六万人どころではなかっただろう(中
核的な【暴徒】は五千人程と見積もられているが)。村方騒動や都市部での打毀しの背
景には、恐らく【極端な格差は解消されて当然】との意識があったろう。結果、幕府
は、捕縛者のうち一人は遠島に処したが、死刑は皆無であった。現代の感覚からすれ
ば、甚だ奇異な判決だろう。十両盗めば首が飛ぶ近世法制で、打毀しは財産権の侵害だ
と考えられてはいないのだ。寧ろ私闘として扱われたために、此の様な軽い処分になっ
たと考えられている。私闘は近世に於いて(ってぇか中世の武家法の時代から)【喧嘩
両成敗】が原則だ。打毀した町人にも五分の理があり、打毀された豪商にも五分の非が
あるとされたのだ。被害者である筈の商人たちは物的被害を以て相殺したと解釈せね
ば、此の判決は理解し難い。現在の法制では通用しないが、当時の社会通念としては、
如何にか通る論理だったのだろう。一方的強奪に、五分であれ正当性を認めさせた、民
衆の実質的勝訴である。
 そして馬琴の友人でもあった杉田玄白は、此の天明打毀しに就いて、「若此度の騒動
なくハ御政事ハ改るましき」(後見草)と述懐しているとは既に述べた。実は天明打毀
しが政権に与えた影響は甚大であった。何たって公方様御膝元の江戸で大暴動が起こっ
たのである。武士政権である幕府の面目丸潰れだ。八代将軍・吉宗の孫でありながら田
沼の都合で将軍位継承権者から外され単なる奥州白河十一万石の大名に引き擦り降ろさ
れていた、松平定信が老中となる。
 近年には田沼の経済的見識を過大に評価するムキもあるが、当時の民衆にとっては実
の所、如何だったろうか。田沼は豪商を保護しはしたが、民衆の貧苦・飢餓に対して無
理解・無能であったと言って良い。完全に失政である。対して定信は、打毀しの原因と
なった天明大飢饉の折、仙台藩なんかでは餓死者三十万人とも言われるが、全国各地死
屍累々たる情況の中で、領民を一人も飢え死にさせなかったと言われている。天明以前
から全国的な食糧不足に見舞われること再々であったが、定信はコツコツ食料を備蓄し
ていたのだ。老中に就任するや、江戸でも大規模な食糧備蓄を計画した。腹の底で何を
考えていたかは別として、幕府は飢民を救済する責任を自らに課した。馬琴が二十一歳
の頃であったか。
 【何でもあり】では決してなく、一定の社会規範を守りつつ暴動を爆発させ、実質的
に勝訴した民衆、続く幕府の民衆慰撫政策は、若き馬琴に何を感じさせたであろうか。
また、「一定の社会規範」の背景ともなっていた仏教は、まさに流動と固定のアワイを
真骨頂とする。共通せる者が分化(流動)し、異質の者が統合(固定)する八犬伝世界
は、自在に変化しつつ繰り返しながら、終末へと向かう。此の物語は一体、何処まで行
くのだろうか。(お粗末様)




#361/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:43  (203)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「杜子春」 久作
★内容
 所謂「唐代伝奇(小説)」に、「杜子春傳」がある。撰者は李復言とも鄭還古とも云
うが、芥川龍之介の童話「杜子春」の元ネタと陳べれば通りが良いか。龍之介によれ
ば、とにかく無言の行をする杜子春に、「虎」やら「四斗俵程の白蛇」が襲いかかって
くる。成就すれば仙人になると云われた無言の行を妨げようとする魔物である。何や
ら、悟りを開こうとするゴータマさんの邪魔ばかりする障魔とダブってをり、原作とは
異質だが、明治に生まれ大正に活躍し昭和初めに死んだ日本の代表的文学者の古典語彙
理解に於いて、魔物の代表が大蛇と虎であったことには、注意を要する。虎は、まぁ日
本古典と云ぅより漢籍や仏典の魔物なんであるが、大蛇の方は日本昔話にも頻出する恐
怖の対象であった。即ち、まだしも馬琴の感性に親(ちか)い所では、日本に於いて、
大蛇と虎は魔物の代表であったのだ。
 勿論、馬琴の時代に龍之介はタネにもなっていなかった(←まぁお下劣)。しかし、
時代・風土により輿論は千変万化するため物語メッセージの換骨奪胎は勿論あろうけれ
ども、近しい時代の語彙内包は、まだしも共通する。でもなけりゃ、文物の継承は全く
不可能であり、言語そのものを否定せねばならなくなる。否定して見せたいガキ殿たち
は或いはおられようが、その否定する言葉さえ人に伝わる筈もなく、自己撞着に陥って
いることに気付かぬならば、オメデタイにも程がある。玉顔を御洗い遊ばされて、御出
(いで)御直し戴きたく存じ奉り上げ候ってな所だが、龍之介版「杜子春」では、主人
公に無言の行を破らせるは、自己への責め苦ではなく母親への虐待であり、虐待を受け
て尚も息子を思い遣る愛/債権への返済義務であった。通俗化した【孝】である。対し
て原作版「杜子春傳」では、(予め自分の無言行を破らせようとする現象は虚影に過ぎ
ぬと教えられているからなんだが)主人公は妻を地獄の獄卒どもに緊縛SM陵辱殺害さ
れても知らぬ顔、おかげで「女の身にもなってみろ」ってことなのか、文字通り女性に
生まれ変わらされ、仲睦まじくFuck三昧に明け暮れた相手の夫が、まさに二人の間
に生まれた子を眼前で(いたいけな親兵衛に対して為されかけた如く)岩に打ち付けら
れて虐殺されたことに因る。堪らず「忽忘其約、不覚失声云、噫(あなや)」(声を失
って何故に声が出たかなんて突っ込まないよぉに←前者の「声」は言葉であり後者の
「声」は音声なんだから云わずもがなぞな)。
 また、前提として、龍之介「杜子春」は主人公が仙人になれるからと無言の行を唆さ
れたのだが、原作では三度まで杜子春を信じ(たフリをして)情けをかけた老人が仙人
になるためにこそ利用されたってことになっている(仙人になる薬の材料を調達するた
めだから、其れを呑めば杜子春も仙化する筈だが第一義として老人の為だ)。前者で
は、仙人になりたいといぅ本人の欲望が、後者では本人の欲望を(虚しくも)三度は叶
えてくれた相手に対する恩義に報いようとすることが、無言の行の動機となっている。
即ち前者では、飽くまで杜子春本人の心裡で完結しているが、後者では他者との関係性
に於いて物語が構築されている。此を時代の差とも国の差とも風土の差とも個人差と
も、論者の立場で様々に言えようが、此処では「相身互い/共生」を合い言葉にしてい
た前近代と、「自分の為」としか自分を励ます事が出来なくなった、他者との関係性の
空白を自己肥大化で埋めてしまった【内向的な近代以降】の差と、差し当たっては捉え
ておこう。龍之介のストーリーは、飽くまで主人公本人にのみ終始している。私小説の
作法ではある。対して原作は、(現実にはあり得ぬこととはいえ)自分が見捨てた【妻
】なる者の位置に変換されたが故の破局を示す。だが流石は明治生まれの龍之介、上述
の事共なぞ百も承知だったろう。
 何故って、責め苦の対象が龍之介版では、自分→両親である。原作は、自分→妻→妻
たる自分→子だ。前提となる自己完結/他者との関係性って所も含めて、見事な対称と
なっている。通底するが故の「対称」だ。翻案と原作、併せ読めば、両者の間に、自他
の位置関係を把握した上で動き合う剣舞の如き緊張感がある。しかも、当時の世相に於
いて、【孝】を前面に押し出すってイーワケもあった。童話だから、上述の様な小難し
い所まで穿鑿されはしなかったろう。隠微である。あれこれ引っくるめて、此の「対
称」は、時代差を表現しているか。東洋と東洋・西洋のキメラ/近代日本との格差、で
ある。

 西洋との交渉の深さって点で表向きのストーリーは対称的となってしまったが、唐代
小説よりも、馬琴と龍之介の時間差は小さいし、風土も共通だ。語彙に関しては親しか
ろう。と、考えれば、原作では実は「猛虎毒龍毛峻猊獅子蝮蝎」とされていた箇所を、
虎と大蛇に置き換えた日本語彙感覚は、我々よりは馬琴に親かったと思う。ならば、さ
て、虎もしくは大蛇と対峙する無言行者は八犬伝に登場するかと探してみれば、やはり
居た。大角だ。無言行者は大角一人だけれども、彼が対峙したのは「山猫」ではあっ
た。が、外ならぬ馬琴は八犬伝の中で、こう云っている。「曲亭主人曰、唐土にて山猫
と唱るものは即、虎の事なり……中略……虎と猫とはその形状相似て、その気を同く
す」(第六十七回)。
 恐らくは、余りに話がスットンキョーになるため大角に無言の行を永らく続けさせな
かったのだろうが、確かに大角は、妻・雛衣の切なる哀願を敢えて無視して、実質的に
無言の行を続ける。原作「杜子春傳」である。そして「無言の行」は、自らの心裡に起
きた感情やら何やらを一切口に出さぬことだ。偽一角(山猫/虎)を倒すまでの大角
は、まぁ心底善ぃ奴ではあるんだが、自らの自然な愛情も感情も表に出すことはない。
此奴は四六時中、「無言の行」を行っていたのだ。
 大角は、偽父と後妻(即ち血の繋がりはないDNAでは無関係の相手)の責め苦に絶
句し、而して(本当は違ったんだけれども)妻・雛衣の胎児それは愛する妻の子である
が故に自分の子でもあり得る(八犬伝では同気相感、セックスしなくっても子供が生ま
れることを忘れてはならない)が、胎児に(実は先に飲み込んだ礼の玉)に妻自身が刃
を突き立てた瞬間、責め苦の元凶たる偽父&義母が正体を顕して一気に解放へと向か
う。原作「杜子春傳」でも、それまでの責め苦は【虚影】であったんだが、八犬伝では
実体を伴うものの【虚影/偽父】を根源としていた。虚実のズラしは、馬琴の得意技
だ。眩惑するしかないが、如何にか踏み止まって解釈を試みれば則ち、庚申山の場面
は、杜子春の希いが四度(よたび)破綻した悲劇的な結末に至る杜子春傳を、救済する
ストーリーとなっている。仙人/人外たることを欲望する道士にネチネチ弄ばれた杜子
春を、人間世界に救い出すことこそ、馬琴の目的であったか。物語の書き換え/稗史で
ある。
 ただ多分、馬琴は杜子春には何の義理もない。なのに救い出したとは、馬琴の主張に
添うからだろう。そして八犬伝末尾で、犬士は揃って仙化する。仙人を否定したくせ
に、仙人たるを肯定してる???、ワケがない。若し、そうだったら、アカラサマな矛
盾だ。「杜子春傳」の道士は、人外の仙人になるためには人間的感情を否定し超越する
こと(を杜子春に代行させ其の気を取り込むこと)が必要であると考えたのだが、此れ
自体が矛盾を隠し持っている。何故なら、「仙人になりたい」と思うことこそ人間的な
欲望である。対して仙人とは、人間的欲望から超越した存在であるんだから、【望んで
為る】ことは抑も不可能なんである。杜子春に人間的感情を超越することを代行させよ
うとした道士の企ては、起点からして破綻を約束されていた。別に珍しい論議ではな
い。中国に於ける儒教Vs道教お馴染みの争点であり、雨月物語は青頭巾、解脱しよう
とすることこそ妄執であって、表面的かつ積極的な仏教者こそ、最も解脱に遠いとは、
禅宗を中心に、日本でも御馴染みの論理に過ぎぬ。だからこそ、犬士は、何の説明もな
く、【なんとなく】仙化に成功しているのだ。為りたいってったって、仙人は自分で勝
手に為るワケにはいかない。然るべき資質ある者だけが、為る。ぢゃぁ何故に中国の説
話で修行するか? 修行せねば成らぬならば、抑も企て/欲望せねば、為り得ない。矛
盾ではないか。……まぁ中国の昔話では、修行して仙人になった人間の例がテンコ盛り
だが、此の「矛盾」は、馬琴の主張と関係していよう。簡単に云やぁ、馬琴は「ただ良
心/天に従って行為したら、天に繋がる存在/仙人になっちゃう」と云っているに過ぎ
ない。仙人になることを【目的】とし、他者の心を陵辱し蹂躙し弄んでしまえば、決し
て仙人にはなれないって云ってるんだろう。仙人になりたいとは個人の事情に過ぎない
のであって、天の理とは全く関係がない。天に、そのような天の理に外れた者を受け入
れる必要性は、全くない。それだけのことだ。天を「他者との関係性」に置き換えれ
ば、現代でも全く同じきことが言えるんだが、まぁそんな事ぁ如何でも良い。話を進め
よう。
 「杜子春傳」が八犬伝に影響しているとなると、「魔の代表として虎が登場したんな
ら大蛇は?」と気になってくる。大蛇を探すと、結城法会で蜑崎照文によって語られ
る、里見季基の挿話が直ちに思い出されよう。季基が本貫である上毛に居た頃の話だ
(第百二十四回)。狩猟に出かけた季基は、酒に酔い伏した猿回しが大蛇に襲われる場
面に遭遇した。見れば猿回しの刀が勝手に抜けて大蛇に応戦していた。宝刀らしかっ
た。季基としては黙って見過ごし猿回しが食われてから宝刀を手に入れる手もあったの
だが、それぢゃぁ「惻隠の情なきに似たり」、射程に入るよう馬を進めて矢継ぎ早、ま
ずは大蛇の右目を、そして次に喉を射抜いて退治した(蛇の喉って……)。目を覚まし
た猿回しは、助けてもらった礼にと件の刀を差し出した。季基は、タダでは悪いからと
百両もの金を支払い、漸く刀を手に入れた。結城合戦で失われたが、ひょんなことから
入手した義実は伝家の宝刀・大月形(ペアの小月形は親兵衛に下賜済み)の小刀とし
て、嫡子の証とて義成に与えた。件の刀こそ、後に義通に譲られる刃渡り二尺の「狙公
(さるひき)」である。
 此の挿話は、なかなかに心温まる。季基は、猿回しが大蛇に呑まれてから徐に狙公を
手に入れることが可能であった。だが、猿回しを助けた。猿回しとしては命を助けて貰
ったのだからと狙公を(恐らく無償の積もりで)差し出すが、季基は宝刀なんだから
と、百両もの金を支払った。其処には搾取して当然との武家の奢りは全く見られない。
便宜を図ったとか何とか云わず、物質の移動に対価が必要だと考えるためには、互いに
平等の地平に立って交換するのだとの感覚がなければならぬ。搾取しようと思えば出来
た筈の刀に、季基は多額の対価を支払った。機能としての身分差はあったかもしれない
が、基本的に平等な世界観である。
 緑深い豊かな渕に大蛇が棲むとは、日本人なら慣れ親しんだ感覚だ。例えば愛媛県新
居浜市の或る地域には、次の様な昔話が伝わっている。
     ◆
病身の祖母と二人暮らしの孝行息子がいた(父母とは死別)。少年は山へ柴刈りに行っ
て生計を立てていた。或る日のこと、少年が渕の辺を通りかかると、よく育った大きな
魚が、たくさん泳いでいた。少年は、おばあさんに魚を食べさせたいと思った。貧乏だ
から、魚を日常の食膳に供することが出来なかったのだ。しかし渕には大蛇がいるた
め、誰も近付いて魚を捕ったりしていない。少年は村の鍛冶屋を訪ね、毎日柴を持って
くるから刀を作ってくれと頼み込んだ。

褌一丁で鍬を鍛えていた鍛冶屋は立ち上がり、口ずさんだ。「太刀つくる たくみ乃と
もハはだかにて 打のばせども きる物はなし」(八犬伝第九輯下套口絵)。少年が怪
訝そうな表情をしていると、鍛冶屋が粘っこい口調で言った。「脱げ」「え?」「裸に
なれ、と言ってるんだ。代金は、柴なんかぢゃなく、肉体で支払ってもらう」「そ、そ
んなっ」「刀が欲しいんだろ」「……うん」「ぢゃぁ、脱げ」。
事が済んで鍛冶屋は、フと一息吐いて見下ろした。少年が全身汗に塗れて横たわり、苦
しそうに喘いでいる。波打つ薄い肩に鍛冶屋が手を置く。「ふふふ、どうだ、俺の銘刀
は」「はぁはぁ、す、す凄い」「太いだろ、これで貫かれたら、女だって於兎子……男
だって、すぐ逝(い)っちまう。死ぬ死ぬぅぅっってな。おら、も一度握ってみろ」
「あぁん」少年は握り締め頬擦りし愛おしそうに口づける「ぼ…僕のカ・タ・ナ……」
潤んだ目で見詰める。鍛冶屋は急に優しげな瞳になり、「お前も巧かったぞ。本当は初
めてぢゃなかったんだろ」「そんなっ、僕、ボク初めてだったんですっ」「本当かぁ?
 腰遣いと言ぃ声と言ぃ、何たって俺に合わせて動くタイミングが何とも……」鍛冶屋
は思い出し笑いをして、「本当に、初めてだったのか。大したもんだ」「……うん」含
羞み俯く少年。
鍛冶屋に言われ初めて鍛造の助手を務めた少年は、疲れ切った体を漸く起こし、出来た
ばかりの刀を受け取った。「おじさん、ありがとう」「あぁ、そうだ、丁度いい鞘もあ
る。あぁあ、危ねぇな、寄越せ。ほら余ってる柄も付けてやる。……これで、よし、
と。ほら、持ってけ、サービスだ」「ボク、毎日いっぱい柴を持ってくるよ」「余計な
事すんぢゃねぇ、そんな暇あったら婆さん孝行してやれ」「ありがとう」少年は刀を打
ち振り駆けていく。鍛冶屋は少年の後姿を暫く見送り、微笑んで仕事に戻る。

その日から早速、刀を持って少年は渕に行き、魚を釣る。毎日魚を売って、祖母に薬を
飲ませる。祖母も元気になってきた。皆が不審がる。これまで渕に行った者は大蛇に呑
まれ、生きては帰ってこなかった。評判となり殿様の耳にも入る。殿様は家来に命じ
て、少年が無事である理由を調べさせることにする。
家来が後をつけ見ていると、少年は何の衒いもなく渕で釣りを始める。入れ食い状態で
少年が夢中に釣りをしていると、いつの間にか大蛇が少年の背後に忍び寄り、まさに一
呑み……と見るや、少年の刀が、ひとりでにスルリ抜け、大蛇に打ち掛かる、大蛇退
く、刀鞘に収まる、大蛇忍び寄る、刀打ち掛かる、これを何度か繰り返す間、少年は気
付かず釣りに没頭している。
驚いた家来は急ぎ戻って殿様に報告する。殿様は少年の孝心が刀に神を宿らせたのだと
感心し、少年を召し抱える。大蛇丸と名付けられた刀は藩の宝として伝えられている
(が、んなモン今は無い)。
     ◆
 因みに第二段落から第四段落は筆者の創作挿入であるが、当然、少年が鍛冶屋の仕事
を手伝った様を描いているだけなのだけれども、万一変な想像をした者は、怒らないか
ら後で職員室まで来なさい。オジサンの銘刀で御仕置きが必要だ。

 豊かな渕を、恐らくは水と密接な関係にある蛇が支配しているとは、日本古来の自然
な発想であり、京を守るホムンクルス(将軍塚)もあれば、現在でも自動迎撃ミサイル
網に膨大な予算を浪費する国があるぐらいで、オートマチックな防御装置は、古今東西
共通に夢想してきた。また持ち主が念ずれば遠くにあっても手元に飛び込んでくる剣な
ら、遅くとも例えば、ケルト神話の光神ルーのフラガラックまで遡れる。故に、持ち主
の知らぬ間に刀が勝手に応戦してくれるなんざ、それ自体は出典を求めねばならぬ程、
特殊な話ではない。自然に発生しそうな話だ。
 問題は、其のレベルには無い。八犬伝は公衆小説なんだから、刊行当時の社会心理面
にこそ注目すべきだろう。実は上野に於ける季基の大蛇退治挿話、かなり厄介だ。猿回
し(以下では猿牽)は、被差別者/賤民であった。維新後に賤民は「新平民」とされ、
制度が廃絶された(けれども「新平民」と戸籍に記載され「平民」と差別されたが、ま
ぁ一応の制度的平等は達成され社会経済実質的差別のみとなった←此れが戦後政治に大
きな禍根を遺すが、まぁ此処では論じない)。が、「平民」たちは怒った。一揆暴動し
て、「新平民」となるべき賤民を襲ったり制度改変に反対したりした。いやまぁ制度改
変前には、確かに農民とか町人との通婚が禁止されたり着衣制限があったりしたのだ
が、全面的に心底差別していたかは甚だ疑問で、例えば賤民は近世法制上、町人居住地
に立ち入れない筈なんだが、猿牽やら鳥追やら万歳(まんざい)やらの門付、芸能神事
を担った被差別者たちだって町人・武家居住地に出入りせねば、抑も「門付」自体が不
可能だ。実態として、差別法制が貫徹されなかったこたぁ幼児だって納得できよう。法
制明文のみでは理解し得ない世界が広がっていたことは明らかであるし、先人の指摘で
は、猿牽が町人になりたいって訴訟を起こしたりしてて、意識の上で身分が本当に実態
として隔絶せるものであったか甚だ疑わしい。にも拘わらず賤民身分撤廃時、「平民」
による「新平民」苛めが起こった。まさに身分撤廃という瞬間に、それまでは穏やかな
区分であったものを急激に意識したため、差別自体を以前の実態より遙か尖鋭化してし
まった、不幸な事件だったのではないか。民族やら宗教の対立でも、平時は「自分たち
とは一寸違ってはいるが、他人として付き合う分には支障なく穏やかに共存できる相
手」が、それこそ一寸した事件で、互いに絶対的に隔絶した存在となってしまう。植民
地期朝鮮では民族間の対立が尖鋭化したとき「日本人が井戸に毒を入れた」との流言が
あったし、関東大震災直後には「朝鮮人が井戸に毒を入れた」との虚言が流れた。不倶
戴天となる。人は、まことに業が深い。……暗澹たる気持ちだが、次回に継ぐ。(お粗
末様)




#362/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:44  (205)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「日光神領猿牽」 久作
★内容
 前回は維新後被差別者の一応の解放がもたらした、「平民」対「新平民」の衝突で話
を終えた。政情が不安定となりつつあった幕末、日本の真の君主は何者かとの問いがク
ローズアップされつつあった時代に、八犬伝は刊行されていた。身分差が尖鋭化する背
景が準備されつつある時代、八犬伝は尖鋭化とは逆の方向、領主である季基が被差別階
級の猿牽と交感する。武家同士もしくは天皇に対して杓子定規な身分差を適用しつつ、
被差別者さえも対等の位置に置こうとする。この矛盾を孕んだ態度こそ、八犬伝であ
る。
 が、実は此、「矛盾」とは言い切れない。譬えば、「どんな盾でも貫く矛」があった
とする。そして続いて「どんな矛も防ぐ盾」を持ち出したとする。「その盾を先程の矛
で突けば如何なるか」? 答えは簡単、「貫けない」だ。総ての発話が真であれば、
「どんな盾でも貫く矛」より後に「どんな矛でも防ぐ盾」が発生しただけの話だ。時間
差があれば、矛盾でない可能性が生まれる。では「杓子定規な身分差」と「被差別者さ
え対等の位置に置こうとする態度」に「時間差」はあるか。「杓子定規な身分差」は、
八犬伝ストーリーの同時代的現象だ。対して「被差別者さえ対等の位置に置こうとする
態度」は、八犬伝ストーリーより遙か以前、結城合戦以前の挿話である。メルクマール
である結城合戦以前の挿話が、結城合戦メモリアル法会の場で語られた。其れは、メル
クマール以前の世界を理想的に語っているのだ。過去に理想像を求めるは、前近代の常
套である。過去に理想を仮託するのだ。ならば、此処で語られる挿話は、八犬伝ストー
リーの同時代的位置から見て、進むべき方向、あるべき形、理想であるに他ならない。
同時代的位置/現実と、あるべき形/理想は当然、矛盾する。矛盾するからこそ人は、
矛盾を解消し理想に近付くため闘うのだ。何処まで闘えるのか、何処まで闘ったか、其
の橋頭堡が、時代の形を規定する。
 身分差(機能差)として天皇を象徴君主と規定し、実は同時に自分を物質搾取する者
とは全く認めぬ里見家の理念は、同時に賤民と同じ地平に立とうとする。井田制を通じ
た理想表現「プリンパキトゥス」に就いてはすでに述べた。天皇と賤民は左右対称、人
民から等距離に在る。誤解による傾きを正せば、三者とも標高は同じだ。理の当然、当
たり前の話に過ぎない。だいたい、一億人のアイドル毛野には、芸能民であった過去が
ある。肉体を鬻いだこともあっただろう(妄想)。あ、いや、抑も口絵表記の「傀儡
師」は関八州内であれば、江戸の穢多頭・弾左衛門支配下であると、しっかり慣習法化
されていた。「放下」だって門付芸人だ。千葉庶流ではあるけれども、大大名の親類っ
て犬士の中では最も血統書が良いとも言える。だが、当時だったら「身を落とした(町
人などから穢多扱いの猿牽など芸能民に転化することはあった)」とでも云われ、何の
説明もなく、いきなり大名の家臣になるには無理があろう。でも、なった。此が八犬伝
の厳然たる作中事実である。

 また、狙公挿話は、別の側面からも話題を提供している。季基の本貫が上毛である点
だ。徳川家は(嘘っぱちではあるが)源姓新田流ってことになっていた。里見家と同じ
流れだってことだ。そして、上野国新田には「日光神領猿牽」と称される、東照宮支配
下の猿牽が分布していた。まぁ下野国の足利やら下総国の結城・古河にも居たんである
けれども、近世との繋がりは知らないが、現在でも日光猿軍団なんて名乗る集団があ
る。以前には穢多頭・弾左衛門に組織化されていた江戸の猿牽も維新後の東京では、周
防辺りから出てきた猿牽集団に追い落とされたりしたけれども、日光って近世でも猿牽
の重要拠点の一つであった。何たって、猿牽も賤民(穢多扱い)である以上、建前上、
関八州内は江戸・弾左衛門支配下の筈なんだが、日光神領御祭礼に供奉する者は、弾左
衛門支配から独立し得た。具体的に「支配」とは、他の職人ギルドと同様に、指揮下に
あることやら免許交付やら定期的な献金だったりするんだが、それをしなくてよいって
ことだ。弾左衛門としては収入に直結する話だから、日光だろうが何だろうが関八州の
内なら支配下だって主張して訴訟してたりするのだが、認められはしなかった。「日
光」とは特殊な地域なのだ。だって、幕府の権威の源泉は家康なんだから、手出しが出
来ない。幕府支配から脱ける現実的手段が、日光直属となることなのだ。自分たちの権
威の源泉である家康直参には、幕府だって手出しができないって、こりゃ当たり前の話
だろう。自らの根拠を否定することは、なかなかに難しいことなのだ。新田支族の里見
家は上州新田辺りに存在したと考えられる。一方、「東照宮の牡丹と梅と犬」でも「八
房の梅」など魅力的な特産品があること、「結果WholeRight」では観音浄土の補陀落信
仰など東照宮と観音ひいては八犬伝の関係を示した。家康すなわち日光東照大権現であ
る。故に季基と対等に交わった狙公・朝暮七は、幕府権威から独立せる賤民であった
と、近世読者はイメージし得ただろう。
 ところで例えば親兵衛は「師走生れの年弱もの」(第三十五回)だ。まぁ荘介も毛野
も十二月生まれだし筆者も十二月生まれだが(関係ないだろ)、親兵衛の場合は、京都
滞在での挿話で寅童子の化身とされていた。徳川家康の誕生日は十二月二十六日だ。家
康は、寅童子の化身とされていた。故に「寅童子」の共通から、荘介・毛野とは違い、
親兵衛は家康と重ね合わされていて、誕生日は、師走は師走でも、十二月二十六日であ
ったと考えられる。(広い意味での)年末である。一方、近世大名としては足利氏と共
通する二引両紋を用いていた安房里見家の実在に逆らい、馬琴は里見家が一引両紋すな
わち新田流であることを強調した。「東照宮大権現縁起」なんかも、新田義貞が自分の
子孫が天下を取ると宣言し故に家康が征夷大将軍になったと言っている(←だから家康
は源氏ぢゃなく実は藤原姓だったろぉが←単にイメージの表徴としての話だから別に構
わんが)。
 恐らく、此の時点で、奇妙な逆説が生じた。東照大権現の神格を高めようとすれば、
東照大権現の祖先である新田義貞を高めねばならず、新田義貞を高めれば、属した南朝
を高めざるを得ず、単純に(もしくは純粋に)高めていったら、(室町)幕府が奉じた
北朝を否定することに繋がり、南朝を正統とすれば、天皇対幕府の構図が浮かび上がっ
た時、天皇側に同情せざるを得ない。徳川幕府の正統性を強調することは、(南朝)天
皇の正統性を強調することに他ならない。両者の関係が、幕府優位の【蜜月】期には、
幕府側から自発的に南朝正統論が出されて、全くオカシくはない。しかも、近親憎悪と
は言わぬが、権威として接近せる分家が本家に対抗意識を持つは自然の流れで、分家が
共通の祖先(家康)を異常なまでに高めつつ、現在の本家/将軍を軽く見ようとしたが
れば、かなり自然に、水戸学が生まれる……
 ことほど左様に家康の影は八犬伝に大きな影を落としているが、犬士の中でも重要な
位置を占める親兵衛が、寅童子なるモノだけでなく、誕生日まで一致させられていると
なると、馬琴にとって、【誕生日】は重要なモノであったと漸く頷ける。此は、或る人
物の生涯を、宇宙全体の中に、必然なるものとして組み込む所作に他ならない。なら
ば、誕生日への注目は、死んだ日/命日にも特別な意味を見出すだろう。
 此処に於いて漸く、結城法会の意味を語ることが出来る。結城法会すなわち里見季基
の命日(を記念する行事)である。各種系図に於いて、里見義実の父親は「家基」だ。
【家の基(もと)】なんである。其れを馬琴は、【季の基】季基(すえもと)と変換し
た。筆者は以前、「季」の意味を、【末(終末)】か【時(一定の長さを持った期間)
】か特定できぬと述べた。現在でも出来ない。……ってぇか、実は両者、同じかな、と
思ってもいる。宿命論に於いては、始点(誕生日)と終点(命日)は予め定まってお
り、即ち生きている期間は、予め定まっている。終点の予告は、始点に於いて為され得
る。「(始点・)終末の確定」と「期間」は、ほぼ等しい。
 そう、四月十六日は、八犬伝に於いて、【特別な日】だ。結城落城、結城法会、勅使
が八犬士と義成はじめ里見家中に対面(第百七十九回中)、そして里見義実の死んだ
日、犬士と里見義成そして丶大が会同し牡丹痣の意味などが明かされる日……。四月十
六日が【メルクマール】として設定されていることを示している。次の様な塩梅だ。

       ◆

嘉吉元年より明応九年に至りて星霜六十年を歴たり。這年四月十六日(一云十四日)は
結城落城の昔を偲ぶ季基朝臣の六十年忌、義実老侯の十三年忌に丁るをもて、この日義
成主は旱天より稲村の城を出て、延命寺へ参詣あり。(第百八十勝回中編/牡丹の種明
かし場面)
・・・・・・・・・・・・・・・・
里見は封内無異にして後安かりける程に義実老侯は長享二年四月十六日に卒りぬ。次の
年延徳と改元せらる。嘉吉元年よりこ丶に至りて春秋四十七年を歴たり。義実結城没落
の時十八歳ならば卒する年六十五歳なるべし。則白浜延命寺へ葬る。中興の祖なるをも
て廟墓究めて厳重なり。其忌日四月十六日は結城落城の月日と同じ。人是を一奇とす。
二世義成は文亀元年四月十五日に卒りて三世義通に嗣ぐ……後略(第百八十勝回下編大
団円)

     ◆

 ……ところで、里見義実の命日が四月十六日であると語る史料を筆者は知らぬ。以下
に各種史料を載す。「東照宮大権現縁起」やら「東照宮御実紀」は、オマケだ。

     ◆
里見系図
義実(刑部少輔)法名杖珠院殿建室輿公居士。嘉吉元年足利春王殿安王殿与力合戦打
負、自結城木曾堀内召具、相州三浦渡、三浦之者共相頼、安房国白浜渡海、其節神余家
臣山下左衛門企逆心殺主己神余主、乃安房郡号山下郡、丸与又相争合戦、安西者与東條
縁者也、故請加勢討取丸、従此丸家臣悉以義実為主君、先此山下之者共属義実、於是義
実両郡之率勢、為征安西瀧田迄出張、于時手勢纔五十騎巳、丸勢馳加為大勢、安西聞
之、瀧田迄出張、自知不叶乃降参、義実以安西為先手攻東條、已城落、終領一国、長享
三年戊申卯月七日七十三歳卒
成義(刑部大輔或曰左衛門佐)法名慰月院大幢勝公居士、征上総国先攻自萩生城、其後
攻佐貫、従此丸谷・推津・東金・大瀧・庁南・万喜・池和田・窪田等之諸城悉属旗下、
永正元年甲子四月十五日卒
……後略
・・・・・・・・・・・・・・・・
別本里見系図
前略……
家基(大炊助常陸大将)
義実。房州大将、始上野住居、此時房州住人安西三郎・金鞠・丸五郎・東條四人已討
果、其後稲村築城為居城、号稲村屋方、七十一逝去
成義(刑部少輔又号左衛門佐)
……後略
・・・・・・・・・・・・・・・・
密蔵院本里見系図
前略……
義基(同/里見氏)
義実(同)結城にて嘉吉元年に足利春王院殿・足利安王院殿と打組、上杉に打負給。是
より寛永八年まで百十九年に成。結城より木曾・堀野内御供にて三浦の兵共を頼、安房
国白浜へ渡り給也。其時分神余の家老山下左衛門謀叛を起し、君をひそかに殺奉る。己
神余の大将と成。是より此郡を山下郡と号。去程に丸と安西、彼が無道を悪み、公方へ
申上、左衛門を打取了。然に安西と丸と此郡を分ケ取、俄に合戦出来、安西は東條と縁
者成間、加勢を以て丸を打取。是より丸の牢人義実を主君と頼み申。則丸の五郎俊信が
吉例に任せ御主従のけひやくし、山下の牢人も内頼申。両郡の者共に合、義実安西え押
寄せ給ふ。大将と木曾は山下の勢をもよをし、堀野内と三浦衆は丸の勢を催す。大将千
臺と云東條へ打出給時、御手勢五十騎也。然処に丸の勢来り、已に安西が城へ押寄せけ
る。安西も窪田まで打出しが、如何思ひけん、かうさんに出たりける。則先祖の景益が
例にまかせて、主従の御けいやく有り。又安西を御先手に被成、東條え押寄せ城を取
給。是安房頭の初也。長享三年戊申卯月七日七十二歳にて逝去。枝珠院殿建空輿公居士
号。上総戦
刑部大輔成義 義実の御子也。上総の国をせめ給ひ萩生の城をせめ給。城方よわよわと
成り、城を渡事無念にや思ひけん。以使者之言様は、代々里見家は文武にくらからずと
承候間、今日の内百首を作て此処の躰を不残給はば、城方は一人も残らずかうさん可仕
と有間、一昨日の内二百首迄詠て被送候。則城方不残かうさんに出たりける。是を始と
して東西よりせめらる丶。大瀧・庁南・萬喜・勝浦・池和田・丸谷・窪田・東金・佐
貫・推津の城に或は付手、或打取り、上総国を給。卯月十五日逝去。慰月院大幢勝公居
士号。
・・・・・・・・・・・・・・・・
断家譜巻廿四

清和源氏 里見 本国安房 紋丸中黒
陸奥守義家後胤
里見伊賀守義成八世
大炊助家兼男
家基(里見刑部少輔)嘉吉元年結城合戦為上杉家遂討死

義実(刑部少輔)嘉吉元年父討死後逃于房州白浜、文安二年攻取東条城、同三年与正木
合戦、正木無利降参、房州一円治之、長享二年戊申四月七日没、年七十二、葬房州白
浜、法名杖珠院建宝輿公

義成(刑部少輔。母真里谷氏女)明応二年与生実御所(足利義明)責上総国長南、後討
下総国木内、後平治房州・上州、居稲村城、永正二年乙丑四月十五日没、年五十七、葬
白浜、法名慰月大憧勝公

義通(上野介。母上総万喜左近女)居稲村城、属于生実御所(足利義明)永正十七年庚
辰二月朔日没、年二十八、葬房州滝田、法名天笑院高山正皓
……後略
・・・・・・・・・・・・・・・・
前略……
一、義実兵を大田木に進む。正木大膳くだる。長享三年の事也。按に正木氏家譜、大田
木圓照寺という禅院に有と。考へ見つべし。
一、義実長享三年に卒す。菩提院は白浜なり。按に義実三浦より渡海の始住し処ありと
彼土の人かたれり。菩提院寺号可考。(房総志料巻五安房付録)
……後略
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前略……
角て義実公にも上総合戦御帰陣の砌より御眼病甚はた痛ませ給ひ今年の冬よりひしと両
眼閉晴になり玉へは医薬力を尽すと云とも、御老衰の上なれは御悩み日々に増り、終に
長享二戊申歳四月十七日、七十二歳にて薨し給ふ。御嫡子成義公を始両国の御孫君国中
の家士或は惜み或は別を悲み歎傷せすと云者なし。然りと云とも生者必滅の習ひ力らな
く白浜村種林寺に葬り奉る。御法名杖珠院殿建室輿公居士と号し奉(房総軍談記に見へ
たり/房総叢書本は「房総里見記に見えたり」)……後略(房総里見誌巻三義実公逝去
之事)
……中略……
前略……斯て永正二年の春の頃、不図御病気付せ玉ひ医療も力らを尽しけれ共、定命限
り有てや、御年四十六歳にして同年四月十五日、終に薨し玉ふにぞ痛はしき。此君を以
房総里見の中興とす。御戒名慰月院殿大幢勝公居士、菩提寺白浜村にて葬奉る。御墓今
彼村福聚院の傍に有之(一本に永正元年甲子と云、異説なり)此君は長禄三年己卯年に
御誕生三十歳にして家督に立しめ治世十七年也。
……後略(同稲村城成就并宮本城附成義公逝去之事)
     ◆
 引用の途中だが、疲れたので、ひとまず筆を擱く。(お粗末様)




#363/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:44  (204)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「命日」 久作
★内容
 史料引用は、まだ続く。
     ◆

里見刑部少輔義実公の事
前略……義実公は長享二年戊申四月七日七十二歳にして逝去、杖珠院殿宝興公居士と号
す。白浜に葬る。
 里見刑部少輔義成公の事
前略……永正二年乙丑四月十五日義成公逝去五十七歳也。慰月院大幢勝公居士と号す。
白浜に葬る。御在城は稲村也。
……後略(里見九代記第一)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家基(足利刑部少輔)結城合戦討死
義実(元祖。足利刑部少輔)生国下野足利。杖珠院殿建空興公居士。長享二年戊申四月
七日薨、行年七十二、菩提寺白浜。
義成(第一。里見刑部少輔)生国房州安房郡白浜。慰月院大幢勝公居士、永正二年乙丑
四月十五日薨、行年五十八、菩提寺白浜。
……後略(里見代々記冒頭系図)
前略……同(文安)三年甲午正月廿七日大瀧の正木が城を押取巻昼夜攻戦終に城方敗れ
て正木降参したりける〈房総里見軍記では文安四年正月二十五日〉。夫より白浜へ引帰
り暫く事静になりければ義実公の給ひけるは、我十九歳にて当国へ渡り纔五六年も旅住
せし所に不思議の合戦起りしより当国を切随ひ今は上総迄手に入たり。可然者の娘を娶
らばやと仰ける。安西承上総国真里谷某が息女可然候とて押付迎取御前にぞ定たり。斯
て御添合睦かりければ御男子誕生ましましける。大将御悦かぎりなく千歳を祝ひ春若丸
と名付給ふ。月日来り過行程に今年十五歳にならせ給ふ。御元服の御祝ありけり。義実
公の給ひけるは、我足利を名乗とも元根は新田の三男里見也。其子足利なれば我父家基
末葉故足利を名乗給ひしぞかし。然ば先祖の氏里見を名乗ものなし。今日より汝元服せ
ば里見を名乗べしとて、里見刑部少輔義成とぞ名付給ひけり。近習外様に至る迄寿き祝
し奉る。御祝甚賑ひたり。かくて年月を経るほどに文明三年辛卯春大将刑部殿へ仰られ
けるは、足下にもはや廿五歳、軍大将にも立べき頃なりし。我は未五十余歳少も年の若
き内上総国を攻べきなり。いそぎ勢を催して打立ばやと仰せける……中略……義実公は
長享二年戊申四月七日七十二歳にて薨し給ひける。……中略……〈義成は〉後永正二年
乙丑四月十五日生命五十八歳にて薨給ける。安房の里見の初祖は此殿にてぞ在ける。
……後略(里見代々記)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前略……
刑部少輔家基(鎌倉稚子春王丸殿安王丸殿に頼まれ結城に於て討死堀内是から出す)
刑部少輔義実(安房国白浜後合杖珠院。奥方真里谷入道道環娘)是中興祖也
刑部少輔義成(奥方萬喜左近将監頼久娘)……後略(房総里見軍記冒頭系図)
……中略……
巻之七
里見義実逝去の事。并義成へ遺言の事
前略……長享二年の初夏になりければ……中略……七日の朝には病脳しきりにして、も
だへ苦しみ給ひしが……中略……斯のごとく遺書を譲りたまふて長享二年戊申年四月七
日七十二歳にて逝去し給ひければ何れも涙にくれ死出の具を調度して白浜に葬送なし、
すなはち杖珠院建宝興公居士と法名し奉るなりこそ。
……中略……
義成卿病気にて仮初の床に付給ひしが定業にてやありけん、次第に病脳おもりて永正二
年乙丑年四月五日五十七歳にして逝去なし給ふ。是によつて照月院殿大腫勝公居士と法
号して白浜にほふむりけるとなん。(房総里見軍記巻之八生実御所里見所々城責の事。
并里見義成逝去の事)
……後略
前略……斯くて長享二年戊申四月七日里見刑部少輔義実死去し給ふ。御年七十二歳。簾
中は真里谷殿の娘なり。家臣木曾・堀内・安西ら別離を惜しみ徳を慕ひ悲泣の涙は袂を
潤し袖を浸し哀愁限りなし。されどもかくて有るべき事ならねば、房州白浜村菩提所に
て葬礼の儀なり。杖珠院建宝興公大居士と号し追善の仏事を営みけり。(巻の一、真里
谷の入道父子降参の事)
……中略……
 所々開城の事
前略……永正元年四月義成五十七歳にて逝去し給ふ。慰月院殿大幢正公庵主と号した
り。……後略
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小倉本里見家系図
前略……
 長享二戊申年四月七日卒す。七十二才
元祖杖珠院殿建室興公居士 足利刑部少輔 義実
              白浜在城
 尼丘院殿■(翔のツクリに良)雲慶朗大姉 室 真里谷娘
里見
 家門丸に二引 左巴
 勅許菊門   五七桐
二代成義(改)里見刑部太輔 房州上総領之 白浜城住
……中略……
    永正十四丁丑年六月廿八日行年七十八歳里見刑部太輔
 慰月院殿大幢勝公居士 成義
  妙光院殿貞室梵善大姉 室 萬喜娘
……後略
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東照宮大権現縁起
傳聞いにしへ溟潦の蒼海に三輪の金光有て浮浪す。天地ひらけ陰陽わかる丶に至て三輪
の金光同く三光の神聖と成て其中に化生す。此故に神国たり。神世萬々人皇千々にいた
り一刹利種系連禅譲していまだかつて移革せず。相胤も亦しかなり。閻浮界の裡、豈か
くの如く至治の域あらむや。されば日域を根本として印度支那を枝葉とせる事、良有以
哉。抑本朝帝皇の苗裔姓氏あまたにわかれし中にも第五十六代水尾帝の御末の源氏はた
けきいきほひありて、君を守り国を治ること世に超過せり。ことさらに当家の祖神に祝
ひたふとび給ふ東照大権現の名高き世のほまれは言説にも述がたく筆端にもつくしがた
し。今この本縁を顕すも巨海の一滴九牛が一毛のみならし。そのかみ彼慈父贈大納言廣
忠卿、若君のなきことを歎き、北の方もろともに参州煙巌耶麻鳳来寺の医王善逝に参詣
ありて、丹誠を凝し、諸有顕求悉令満足の誓約を深くたのみ給ひき。
ある夜、北のかたあらたなる霊夢を蒙りたまふ。夫夢は六のしな四のわかちありといへ
ども、瑞夢■(テヘンに曷)焉して御身も唯ならずおはしませば、まさしき卜筮の者に
とはせ給へば、孕にいまするは宿植徳本の男子十有二月にて平安に誕生あるべし。是十
二神将擁護の故なりと考へけり。
誠に占かた掌をさすが如く十二ケ月にあたり天文十一年壬寅十二月廿六日易産の紐をと
き給ふ。御骨法非常して乳母湯母備侍り養し奉り、蟇目の儀式碁手のかけ物など調へつ
とめて、三日五日の夜の祝ごとども本所はさらにもいはず、こなたかなたの御養産不可
勝計、此君襁褓のうちより風姿岐嶷に幼して雄略義気いましければ、御家族の反映行末
たのみ有て、国人皆天壌と、きはまりなからんことをねがひよろこびあへり。
……中略……
源君の仰に云く、当家は神武天皇より五十六代清和天皇第六の王子貞純親王の六孫王経
基始て源の姓を賜り多田満仲頼信頼義八幡太郎義家義国の嫡子義重新田の祖也。次男義
康足利是也。惣じて源平両家は宝車の両輪の如く天下を補佐し違逆を退治す。其職にあ
たれり。保元平治の乱の時、平家世を取て廿余年、寿永元暦のころ平家を追罰し、源氏
日本惣追捕使征夷大将軍に任ぜらる。其後同姓なりといへども、新田足利確執す。武勇
に勝劣なしといへども聖運によつて足利世をとる。中間に千変万化すといへども時のよ
ろしきに随ふ所なり。敢て其職にあらず。我今将軍となり氏の長者となる。且は先祖の
素懐をとげ、且は累代弓箭の耻を雪む。宿因の催す所、天道のあたふる所なり。倩清和
天皇の御即位を案ずるに恵亮なづきを砕しかば二帝位につく併法力也。義貞、山王権現
に鬼切をさ丶げて、子孫の征夷大将軍を祈る。神慮感応有て、予其職に昇る。是神徳
也。現在の願望すでに満ず。豈後世をしらざらんや。然ば則八萬の聖教に通達すといへ
ども、後世をしらざるは愚者也。一文句章に不及といふとも後世を識知するは智者也。
肆に諸宗の知識をめすに雲の如くあつまり、星の如く列なる。源君内には諸宗の奥義を
つたへ、外には朝暮に論議決択せしむ。諸仏の化導を観するに但本在因地未離我執時各
別発願各修浄土各化衆生如是等業差別不同矣仏すでに因位の我執をはなれず我亦各執本
習而入圓衆なれば太子は厭離穢土求浄土欣の思ひ乗して子孫をつがず我は現世安穏後生
善処の文に依て家門を繁昌せむ。造次にも思惟し顛沛にも観察す。有事我常在此娑婆世
界説法教化の文に当て忽然として大悟し累刧の妄情已にはれたり。重て思惟すらく若迷
於根源則増上濫乎真証若香流失緒則邪説混於大乗只恨らくは師傳なき事を。故に諸宗に
あふて是を尋ぬ時に山門碩学の中に相承あり。山王神道是也と云々。爰にを以て朝には
三千三観の窓に向ひ夕には山王の神道を観ず。我願既満じ衆望またたりぬ。後陽成院の
宸筆にも新田大相国家康公者好勇恢武天下之名士也加之研精於文学発志於経論而極諸宗
奥秘抜而以寔惟之則胸励戒定恵之三業止観圓頓漸之一念難行苦行累月累年云々。僉曰若
種姓高貴の家に生れては自在の威勢に誇て則恣に罪業を造り若貧窮下賤の身を受ては官
位福禄を求て鎮に悪念をおこすといへり。貴も賤も諸善を知るといへとも行ひがたきは
道なり。奇なるかな妙なるかな、源君忝も前代未聞の観を凝し還帰本理の成道を唱へ東
照大権現とあらはれて廣く衆生を度し別しては家門繁昌にして氏族永くさかえむ守護神
と成たまふ萬歳々々萬々歳ならくのみ。委は真名縁起の如し。権現因位の御時常にのた
まはく。虎斑は見易く人斑は見がたし。然といへども予知見する所あり。嫡孫に至て家
風彌吹興さむとのたまへり……後略
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前略……清康君後の北方(華陽院殿御事なり)いまだ水野忠政がもとにおはしける頃設
給へる御女あり(傳通院殿御事なり)。定吉はじめ酒井・石川等のおとなどもの計ひに
て、この御女をむかへとり 廣忠卿の北方となし奉る。天文十一年十二月廿六日、此御
腹に 若君安らかにあれましける。これぞ天下無疆の大統を開かせ給ふ当家の 烈祖東
照宮にぞましましける。その程の奇瑞さまざま世につたふる所多し(北方鳳来寺峰の薬
師に御祈願ありて七日満願の夜薬師十二神将の寅神を授け給ふと見給へしより身重くな
らせ給ふなど日光山の御縁起にも記されしこと多し)。石川安芸守清兼蟇目をなし、酒
井雅楽助正親胞刀を奉る。御七夜に 竹千代君と御名参らせらる……中略……○(慶長
十年四月)十六日勅使広橋大納言兼勝・勤修寺権中納言光豊卿等二條城に参向あり。右
大将に征夷大将軍を授られ正二位内大臣にあげ給ひ淳和・奨学両院別当源氏長者とせら
れ牛車にて宮中出入の御ゆるしまで御父君にかはる事ましまさず。御所は此時より大御
所と称し奉り、しばし伏見の城にゐましけるが、おなじ九月十五日、伏見を出まし十月
廿八日、江戸に還御なる……後略(東照宮御実紀巻一)
前略……(慶長十年四月)○十六日勅使広橋権大納言兼勝卿・勤修寺権中納言光豊卿等
二条城に参向あり。右大将殿に征夷大将軍を授られ正二位内大臣にあげ給ひ淳和奨学両
院別当源氏長者とせられ牛車にて宮中出入の御ゆるしまで御父君にかはる事ましまさ
ず。御所は此時より大御所と称し奉り、しばし伏見の城にゐましけるが、おなじ九月十
五日伏見を出まし十月廿八日江戸に還御なる……後略(東照宮御実紀巻十)

     ◆

 はっきり言って、里見義実の命日が四月十六日であることを積極的に肯定すること
は、かなり困難な情況だ。しかし馬琴は、これらの史料を、根拠なく否定する。即ち…
…

     ◆

里見の旧記は其写本坊間になし。只吾知る所をもていはば、里見記・里見九代記・房総
治乱記・里見軍記あるのみ。這内中、里見軍記は坊間に写本あれども就中疎鹵にして且
訛舛も尠からねば考証に備るに足らず。里見記といふ物四五本ありと聞しかど吾異本を
いまだ見ず。この余は北条五代記・甲陽軍鑑及本朝三国志などいふ俗書に里見の事を載
たれども他郷の人の筆なれば、聞僻めたる事なきにあらず。只近曾、上総国夷■(サン
ズイに旡ふたつ下に鬲)郡臼井郷長者里人、中村国香の著せし房総志料五巻あり。いま
だ全豹を見に足らねども房総の地理及里見の旧跡なども粗載て且編者の考へあれば吾這
著編の栞とす。(回外剰筆)
本伝の作者按ずるに里見軍記に義豊を義通の弟として実尭と確執の事なし。且実尭を世
代に載せず、又義弘を義尭の弟とす。并に訛舛甚し。同書に義実は長享三年四月七日に
卒す、法号献珠院殿建宝興公居士、義成法号は庁月院殿大憧勝公居士とあれども、延命
寺の過去帳に据にあらざれば真偽いまだ詳ならず。(第百八十勝回下大団円)
     ◆


 「四月十六日」説を積極的に肯定する史料を提出できぬまま、里見関係の軍記は信憑
性が低いと言い募り、果ては「延命寺の過去帳を見ていないから真偽は判らない」と逃
げている。いや別に馬琴を責めてはいない。馬琴は稗史作家であり、八犬伝は史書では
ない。馬琴が、なりふり構わずトンチンカンなイーワケをせねばならぬ情況をこそ、批
判すべきだ。恐らく、「四月十六日」説を否定する動きを、馬琴の主観が感じたからこ
そ、妙なイーワケをしているのだろう。稗史を、其の表記を根拠づける史料がないから
と言って、「それは間違いだよ」と言いたがる卑しい心性をこそ、批判すべきだ。間違
いも何も、八犬伝は大衆小説なんだってば。史実と思われる事柄とズレているからと言
って、価値を減ずるものではない。確かに馬琴は八犬伝を書くに当たって、(自分の都
合の良いときには)各種史料を引いて、表記に正当性もしくは説得力を与えている。だ
からこそ、史実と思われる事柄とズレている部分に関しては、苦しいイーワケをせねば
ならなかったのだろう。けれども、そりゃ単にリアリティーを与えるための方便であっ
て、全体として八犬伝は史書ではないのだから、いくら史実と重なる部分があったとて
八犬伝を史実を語る典拠としてはならぬと同時に、史実と違う部分があっても責めるべ
きではない。元々稗史とは、作者の思想・論理によって事実を捻じ曲げズラし或いは創
造するものであるが、此の暗黙の了解を読者に忘れさせて高いリアリティーを感じさせ
ることを以て感情移入させ、自らの魅力を高めようとするものでもある。「暗黙の了
解」を読者に完全に忘れさせたなら、其れによって責められ苦しめられても、実は馬琴
の手柄である。妙なイーワケの仕方からして馬琴は気に病んでいるようにも思うが、そ
りゃ甘受せねばならないだろう。黙って気に病んでろ、馬琴。但し八犬伝ほど長きに亘
って名作とされるものは、虚構ではあっても、人のココロの真実に訴えかける力を持っ
ている……筈だ。即ち八犬伝が何等かの「真実」を語っているとするならば、其れは事
実の表層レベルではなく、精神的なもの、もしくは史実ではなく史観レベルのものだろ
う。馬琴が近世の人気作家であり、現在に至るまで評価され続けていることが、八犬伝
の論理的(故に倫理的)強靱さを物語ってもいよう。
ところで確かに里見関係の軍記も、事実を歪曲し創造している疑いが濃厚だ。が、まぁ
【取り敢えず】の史実としては、批判した上で、認めねばならぬ箇所もある。だいた
い、「房総志料」だって、馬琴が非難している各種軍記を典拠としてるんだから。
 話が横道に逸れるが、旧制安房中学校の斎藤房之助先生が明治四十年代に発行した
「安房志」は、けっこう滅茶苦茶を書いている御茶目な本だ。いや斎藤先生が滅茶苦茶
なのではなく、引用史料が滅茶苦茶なんだけど。
 次回は、とにかく愉快な安房・金丸(八犬伝の金碗)氏に纏わる記述を紹介しよう。
(お粗末様)




#364/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:46  (199)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「事実と虚構の狭間」 久作
★内容
 お約束通り、「安房志」を紹介する。

     ◆

家系を按ずるに、金丸氏は大織冠藤原鎌足公より出つ。魚名の第三子巨麻金麿、甲斐国
巨麻郡に住す。巨麻を氏とす。房州初代藤原宗光、巨麻太と称す。延暦十年辛未年秋七
月、巨麻金麿は大伴弟麿・阪上田村麿二将に従て東夷を征討し戦功尠なからず。十五丙
子年、奥州の賊を征して亦功あり。廿一年東国守護職となり従五位下に叙せられ安房国
安房郡神余郷を賜はる。延暦廿二癸未年六月、居城を此処に築く。廿三甲申年二月、其
氏名を改めて金丸巨麻太と称す。亦郷名を改めて金丸郷と云ふ。古昔神戸の上郷、後に
太神宮上郷と云。神余は其字にて実に金丸家草創の地也。宗光承和七庚申年十一月四日
死去、行年七十四、和田山に葬る。二代茂光、幼名宗一、後宗太と改む。承和十二乙丑
年四月廿日死去、行年五十二。三大宗茂茂光長子、巨麻太郎と称す。仁和元乙巳年六月
七日死去、行年六十八。四代茂業、宗茂長子。宗重郎と称す。昌泰二己未年九月五日死
去、行年五十七。五代宗孝、茂業二子。宗太郎と称す。天慶八乙巳年二月十三日死去、
行年七十九。六代茂孝、宗孝長子。天慶九丙午年四月廿八日死去、行年五十四。七代孝
良、茂孝嫡男。宗八郎と称す。天慶二己年二月十日死去、行年六十四。按するに孝良天
慶二年正月、相馬小次郎平将門追討の役、藤原秀郷卿平員盛二将に従ひ抜群の功を顕は
す。多田左馬頭源満仲、孝良を其館に召し外腹男九郎茂基を賜はる。孝良養て嗣子と為
す。成長の後、家督を譲る。此を金丸家八代となす。茂基は清和源氏より出て藤原姓を
継承す。万寿元甲子年八月廿五日死去、行年六十三。九代光業、幼名金太、後宗三郎と
改む。正暦五甲午年、諸国盗賊を追捕す。寛弘三丙午年、異国賊船、壱岐対馬二島を侵
す。光業房総海岸守護職に任せらる。寛仁四庚申年十二月、南蛮賊船来て薩摩に冦す。
光業を従五位下に叙し、安房守に任じ、国司と為し、専ら防海を防禦せしむ。茲に上総
国夷隅郡山田村土俵場城主村岡五郎・平良兼・上総介平忠常等叛く。光業京都に馳せ登
つて之を告ぐ。長元四辛未年、常陸介源頼信に従て之を討す。功有り。依て旧に復して
金丸郷を賜はる。長暦二戊寅年十一月九日病死、行年七十一。十代宗晴、巨麻三郎と称
す。光業の男。永承三戊子年八月二日死去、行年五十四。十一代茂貞、五郎と称す。宗
晴の男。康平五壬寅年、陸奥守鎮守府将軍源頼義其子義家に供奉し奥州の乱を平ぐ。戦
功に依て感牒数通を賜はる。是より藤原の姓を廃して源姓を称す。応徳三丙寅年五月十
八日死去、行年六十九。十二代宗周、巨麻四郎と称す。茂貞の男。寛治三己巳年七月三
日死去、行年五十一。十三代茂秀、巨麻八郎と称す。宗周次男。永長元丙子年秋八月、
茂秀謀叛の聞えあり。金丸郷領地を没収せられ絶に居所を賜はる。従是安房守金吾源親
元之を領す。天仁二己丑年春二月、将軍源為義、近江国に進発す。茂秀命を奉して先鋒
に列し、美濃守源義綱其子美濃次郎義明等と戦ひ撃て之を走らせ敵首十二を得たり。其
戦功に依り再び金丸郷一円を与へらる。保延四戊午年九月四日死去、行年七十五。十四
代宗春、七郎と称す。茂秀長子。仁平元辛未年十月十八日死去、行年五十九。十五代茂
長、宗七郎と称す。宗春嫡子。保元元丙子年、安西丸氏と将軍源義朝に供奉して院御所
を攻む。時に年四十有三。平治元己卯年八月七日死去、行年四十六。十六代昌孝、幼名
藤治、後六郎と改む。治承四年庚子年八月、源頼朝豆州石橋山の戦敗れ廿八日、土肥実
平始め侍従九人と相州真鶴崎より舟に乗して房州に遁る丶や、昌孝之に属す。其後佐殿
より甲冑腰刀を拝戴す。昌孝此甲冑を着け其腰刀お帯び諸兵を率て戦場に赴き、平氏の
軍を殲滅す。其戦功抜群なるを以て感牒を賜はること数回。佐殿平氏を西海に滅せし
後、六十六個国総追捕使と為るや勅命に依り安達盛長をして命を傳へ、安西・金丸・
丸・東条四氏に安房四郡を頒賜せらる。従是四氏各一郡を領す。時に文治二乙巳年二月
朔日也。昌孝子なし台命を蒙り此月十一日、奥州伊佐郡中村城主伊佐朝宗第三子佐三郎
宗満を養子と為し、家を継かしむ。宗満年廿八歳也。昌孝は建暦元辛未年十一月廿日病
没、行年七十三。十七代宗満、三郎と称す。幼時弓馬を善くす。人称して伊佐殿と云
ふ。文治五己酉年、伊佐を改めて伊達と称す。貞応二癸未五月死去死去、行年六十三。
十八代茂耀、十一郎と称す。宗満二子。嘉禎三丁酉年七月廿五日死去、行年五十八。十
九代宗清、巨麻五郎と称す。茂耀長子。文永十一甲戌年二月廿一日死去、行年七十。廿
代茂満、太一と称す。宗清三子。公安六癸未年三月廿日死去、行年五十九。二十一代茂
里、幼名与一。後改名宗太郎、茂満長子。弘安四辛巳年五月、蒙古賊船大兵を率て津島
沖に至る。時の執権職北条時宗は正二位左中将惟康親王の命を傳へ茂里をして安房郡平
南部金丸郷内太神宮下郷女良崎の海上より南北近海平北部に至るの地を防禦せしめ、従
五位下に叙し、安房頭に任ず。同五年七月四日、祖先菩提の為め新義真言宗金剛山圓如
寺を建立し、開基檀那と為る。正応五壬辰年獄月朔日、復旧して金丸氏を称す。永仁四
丙申年八月四日病死、行年四十七と。二十二代孝教、宗一郎と称す。茂里の男。貞和三
丁亥年四月七日死去、行年七十五。二十三代宗信、太門允と称す。孝教長子。延文五庚
子年二月三日死去、行年六十一。二十四代茂量、太門兵衛と称す。宗信二男。至徳三丙
寅年六月十四日死去、行年六十八。二十五代茂康、巨麻介、茂量四子。応永四丁丑年二
月十一日死去、行年五十三。二十六代景貞、幼名太郎、乗り次郎と改む。光孝或は景春
或は貞植と称す。茂康長男なり。応永六己卯年十月、大内義弘叛を謀る。依之将軍足利
義満之を追討す。此役、貞植男山に出陣せり。細川頼元に従ひ、堺城を攻めて之を陥れ
義弘を斬る。貞植先鋒と為り、縦横奮戦敵兵を破る。其勇絶倫、進退度に中れり。義満
感悦し玉ひ依て腰刀を賜ひ従五位下に叙し長狭介に任す。後累進して安芸守となる。名
を景貞と改む。時に年三十有三。応永廿三丙申年十二月、上杉憲氏乱を鎌倉に作す。天
下静謐ならず。此時金丸譜代老臣山下左衛門源景胤叛逆を企て、主家を滅さんと欲す。
応永二十四年丁酉年正月朔日、山下賊徒、本村房谷に屯集し松炬を設け虚威を張り、未
明に乗じて主家に乱入し暴逆至らざるなし。景貞防戦太だ力めたりと雖、遂に山下の為
めに弑せらる。実に応永廿四年丁酉年正月三日夜なり。行年五十有一。其歴数六百十六
年間。此に至て一朝滅亡す。豈惨ならずや。嫡男太郎満孝は乳景貞と別れ他日其仇を報
ひんが為め潜に出で丶此地を脱せり。景貞は居村東位に地蔵畠深山と称する所に於て自
殺す。石地蔵岩屋の主僧自性坊之を介錯す。法名香山受心大居士。号自性院殿。地蔵畠
深山の小窟に葬る。後称して御腹矢倉と云ふ。景貞の室は結城七郎の義姉綾瀬と云。応
永廿四年正月三日死。行年四十歳、法名林光院殿貞心明鏡大姉と号し、累代墓地和田山
に葬る。福聚山松野尾寺、神余村岩崎に在り。真言宗。小網寺に属す。寺傳曰、領主金
丸氏家臣山下に迫られ地蔵畑石窟に於て自刃す。時人追福のため念仏堂を立つ。文安五
戊辰年、金丸茂詮之を改め福寿山満福寺と称せしが其後今の寺号に改む。境内に観音堂
あり。本州札所の一也。又按するに、自性坊は村内上郷山口長平の産。応永二十九壬寅
年七月二十四日病卒、行年六十八。其居住の岩屋に薬師如来及地蔵尊像を安置す。主僧
死後、同三十一甲辰年二月二十五日、上郷の里より之を移せしと云。自性院は神余村大
倉に在り。真言宗。寺傳、応永十六年、自性道人開山。寛永九年正月、小網寺九世頼圓
師中興とあり。景貞居城の地に小邱あり。其麓を城之腰と云。其東に山あり。和田と称
す。金丸累代の兆域也。金丸家滅亡の時、戦死せし諸族の屍を埋葬せし塚あり。戦死塚
と云ふ。又賊徒一族の死骸を山下景胤住居地字山下と称する所に埋む。当初墳塚ありと
雖、其後墾して田圃となす。今や其形迹なしと云。同廿六年己亥年十月十日、景貞三回
忌供養の時、郷人相謀り其城趾北位を卜し小堂を建て念仏堂と称し内に文殊菩薩阿弥陀
如来像を安置し、以て其霊を祭れり。廿七代茂詮八郎と称す。幼名太郎満孝。景貞の嫡
男なり。応永廿四年丁酉年正月三日、本州を脱して里見刑部少輔源家基の客臣と為り。
満孝其姓名を改めて金鞠八郎源茂詮と称す。此時山下左衛門景胤は主家領地を奪略し同
年二月六日、名を定包と改む。又定兼に作る。安房郡平南部を押領して自ら領主と称
す。凡二十六年間人民を虐げ驕奢に耽る。加之威力を振て誇■(ゴンベンに壽)自居
る。其郡名を改めて山下郡と称す。金丸村を神余に復し朝夷郡畑龍口根本三村を我領内
に編入せり。故に以て安西・丸・東条三氏と争論絶ゆることなし。茲に里見刑部少輔源
義俊は建久四癸丑年八月、安房守護職に任ぜられ平群郡に住す。其八代孫を里見家基と
なす。永享十年戊午年、足利持氏乱を作す。上杉憲実は足利義教の執権たり。遂に其主
持氏を殺す。十二年庚申二月、結城七郎氏朝・里見家基等、持氏の二児春王安王を奉じ
て結城城に拠る。足利義教之を覚り兵を遣はして之を攻む。二児已に獲らる。氏朝大に
憾み宗族と西軍を衝き憲実を獲んと欲すれとも能はず。火を城中に放ち自刃して死す。
家基も亦奮戦して死す。家基嫡男、左馬助義実、金鞠茂詮と援けを相州三浦介に乞ふ。
其未だ婦らざるに、結城古河両城陥る。是於、茂詮は義実と策を講じ、潜に走て独り房
総二州に匿る。時に安西・丸・東条三氏は、山下定包の僭逆を悪み常に相争ふて和せ
ず。茂詮窃に安西三郎勝峰式部景春と謀り、嘉吉元年二月五日、定包を討たんと欲す。
然ども事竟に成らず。茂詮時機を伺ひ亦景春と謀り丸右近信朝と策を通じ、同年五月七
日、義兵を挙げ山下定包を討つ。此夜茂詮進み出で丶定包に謂て曰く、吾は金鞠八郎茂
詮也。汝は倶に天を戴くべからざる父の怨敵なるぞ。速に来て雌雄を決す可しと呼ばは
り遂に定包を撃ち殺せり。其余族残党等、我兵と神余村字大旗に戦ひ悉く討死す。茂詮
は廿六年間の艱苦を嘗め今初めて父の仇を報ずるを得たり。快と言ふべし。同月十一
日、安西・丸二氏、其兵を率て至る。事平ぐを以て各居城に帰る。茂詮は定包の首級を
提げ亡父景貞の墓前に供し以て其の霊を祭れりと云。従是安西景春・丸信朝二氏、定包
が押領地を分取せんと欲し亦怨恨を生ず。故に茂詮は八月十七日、本州を脱して上総国
奈良輪に住し名を神余源太茂詮と称し、亦四方に徘徊す。茲に安西・丸、俄に合戦を企
つ。時に東条定政、七郎左衛門常政と謀り、安西を援けて丸信朝を撃つ。同月廿七日、
信朝之に死す。然り而して景春は山下・丸両氏の領地を併せ取れり。時に里見左馬介義
実は寵臣堀内蔵人貞行・木曾右馬助氏元を具し主従三人にて嘉吉元年十一月十八日を以
て相州三浦より朝夷郡野島崎に上陸す。茂詮は其後潜かに往て義実に会す。是より四人
共、本州に潜伏し三年星霜を閲て文安二乙丑年春二月十一日、四人相具し長狭郡内裏郷
市川村を経て小湊に抵り、其山中に潜伏す。
夫より宗徒を集め土兵を募り揚言して曰く、仁政の将里見義実此所に在りと。時に丸右
近信朝の遺臣丸新八の従卒及三浦半左衛門の兵士等来り属す。義実は木曾神余両氏と共
に五十騎を率て千代村に至る。其陣場橋を五十騎橋と曰ふ。又堀内貞行は三浦の兵及び
丸の残党百騎を引率して倶に瀧田河磧に屯す。同月廿二日、安西景春乃ち之に降り君臣
の約を結ぶ。於是義実は家臣従卒を率ゐ朝夷郡白浜村に還り高■(ツチヘンに爽)の地
を撰び同年四月七日、新に居城を築き之に居る。金丸景貞の遺領地及丸信朝・安西景春
の領地等、義実悉く之を領す。房州里見家の始祖とは即ち是なり。文安二年五月、里氏
は茂詮を客将となし、軍事を掌らしむ。同年六月八日、安西景春を先鋒となし金山城主
東条常政を攻めのを陥る。茂詮之に与かる。同四年丁卯二月四日、里見義実、茂詮を旧
姓に復せしめ、金丸八郎と称せしむ。神余旧城地を治め其扶持料として高八十石を給
す。十月三日、金丸家一族及び忠臣戦死者の為めに菩提寺を村内平田に建て新義真言宗
医王山安楽院と号す。本尊は薬師如来、開山は圓如寺頼智法印也。頼智法印は即金丸景
貞第二実弟にて茂詮の伯父也。故に金剛山圓如寺の住僧なりしも転じて本寺に入住せり
と云。茂詮は圓如寺の檀家を離れて安楽院に入檀せり。故に茂詮を安楽院の開基檀那と
なす。四月十一日、里見氏は通識し圓如寺の地禄檀家を以て悉く安楽院に付与し圓如寺
は其名称を存するのみ。寺傳、正応五壬辰年、金丸茂里圓如寺を創立す。嘉吉二年壬戌
年金丸茂詮安楽院を創建す。長禄年中、圓如寺を廃すと見ゆ。文安五戊辰年十月六日、
景貞の三十三回忌辰に当るを以て念仏堂を改称して福寿山満福寺と号し、旧城地の東山
の絶巓を卜し、累代尊崇する所の本尊薬師如来を安置す。茂詮は是より先き文安元年二
月廿日、剃髪して入道宗源と号す。時に年五十二なりき。康正元乙亥年九月十四日還
俗。文正元丙戌年十一月五日病死。謚号を智徳英照大居士安楽院殿と云、行年七十四。
室は里見家基妹多喜代と云。応仁二戊子七月廿七日死去、行年六十八。法名智性院殿貞
月妙涼大姉。和田山戦塚に葬る。廿八代茂総、大介と称す。茂詮長男なり。応永廿三年
丙申年春二月、結城七郎左衛門氏朝は、里見太郎家基妹女多喜代姫を以て金丸景貞嫡子
満孝に妻はさんことを図り、其媒酌に依り婚姻の約成ると雖ども、同廿四年春正月、金
丸家滅亡せし故、結■(コロモヘンに璃のツクリ)の儀を行ふを得ず。景貞深く慮る所
あり。太郎満孝をして里見氏に走らしめ、名を改めて金鞠八郎と称し里見家の客臣とな
る。其時茂詮は多喜代姫を娶て妻となす。足利持氏乱を作すや結城城陥る。此時茂詮多
喜代姫は其子大介(年十有四歳)を伴ひ上総国望陀郡奈良輪住人蒲生一作宅に匿る。蓋
一作の妻なる者、多喜姫の乳婆なるを以て也。然り而して茂詮は白浜城に在て里見義実
に仕ふ。時に一作は嫡男大介を伴ひ白浜に着す。茂詮大に喜び名を茂総と称し家督を承
続せしむ。亦客臣と為て里見義実に仕へ側用人職となる。愈里見氏の寵遇を受く。翌文
安二乙丑年夏五月四日、茂総を東条に遣はし粮米を借受けしむ。東条常政悪心を発し里
見氏を討たんと欲し窃に諸卒に命じて先づ茂総を撃たしむ。茂総纔に免れて此所を去
る。是を以て父茂詮大に怒り勘気を受く。是より茂総髪を剃り入道西念と号し四方を修
行経歴せり。同年六月八日、金山合戦あり。西念兵を率て敵の本営に突入す。偶里見家
八房の猛犬あり。敵将東条常政を見るや跳て其吭を噛む。常政終に屠腹して死す。西念
敵兵と大戦数回、敵追撃するあたはず。其咬む所の敵首を獲たり。故に城中主将なきを
以て残卒奔逃せり。見方大将正木弾正、亦手勢を率て上総国大瀧に走る。依て敵城を乗
取り城中男女若干を捕獲し鬨を揚げて帰陣す。武功に依り前罪を許さる。里見義実の尚
ほ茂総を寵愛するを以て東条常政の領地を与へ以て領主と為す。義実の娘を照代姫と
云。時に年十六。之を以て茂総に妻さんとす。剃髪の故を以て肯て之を辞す。父茂詮、
里見氏に請て其の客臣たらしむ。此時照代姫の八房猛犬の念あり。之れが為めに俄然病
に臥し、文安二年十一月四日卒死、法名を伏光院殿安室妙栄大姉と云ひ、北郡瀧田村北
方遠見山に葬る。西念以猛犬を殺して之を同地に埋むと云。寛正元寅辰年春二月十五
日、帰俗して復茂総と称す。義実外腹季女琴路姫を以て後妻と為す。文明六年甲午年六
月晦日、茂総病死、行年四十八。戦塚に葬る。其室琴路姫、文亀元辛酉年五月二日死
去、行年五十三。葬地同じ。
廿九代茂保、十郎と称す。茂総長男。里見成義・義道二代に仕へ山下郡稲村城に居る。
下総武蔵常陸三国へ出陣の際、戦功あり。永正五戊辰年十一月七日死去、行年四十七。
室は里見義通の妹、秀代と云。大永四癸未年正月廿九日病死、行年四十五。……後略
(「安房志」)

     ◆

 読者は或いは、八犬伝を読んでいるよう錯覚したかもしれない。また若しかしたら八
犬伝の元ネタだと思ったかもしれないけれども、恐らく逆で、八犬伝を読んだ金丸氏の
人が、其れを取り入れつつ自分の祖先に都合良いようアレンジしたものだろう。八犬伝
に酷似せる部分は、他の金丸氏系図や里見関係の軍記などに類話が見当たらぬ。此は史
料としての系図ではなく、飽くまで稗史としてしか扱えない。ただ「史料」に書いてい
るからと、己の立場に都合良いものばかり連ねるは、斎藤先生には悪いけれども、史で
はなく稗史なんである。でも明治国家を背景にした小説を社会教育に持ち込むスットン
キョー自治体に比べれば、まぁ罪のない伝承の類である。目くじら立てる必要はない。

 八犬伝も稗史である。其れは馬琴が自称している。史実と思われる事柄とズレている
からと言って、其れを非難するは野暮に過ぎるだろう。各種史料に記された全国レベル
の事件、結城合戦終結の日「四月十六日」は、確かに動かし難い。比較してマイナーな
事件であった里見義実の死去は、マイナーな史料に若干の異同を含みつつ記されている
だけだ。大衆小説を書くに当たれば、そして必要ならば、マイナーな事柄を都合良くズ
ラすだろう。ズラすってったって、ほんの十日ほど迄である。
 そしてまた、もう一つのズラし、各種史料で義実の父は「家基」であるけれども、八
犬伝で「季基」に変換されている事実がある。やはり、「四月十六日」に関係があろ
う。端的に言えば、「家」→「季(時間)」への変換だ。安房里見家の祖とされる義実
の父が、「家基(家の基モト)」なんて出来過ぎではあるが、一応はドキュメント(史
料)にある名であって、フィクション(稗史)ではない。家基自体が架空の人物かもし
れないが、其れを「季基」と変換した馬琴は既に【史実】を無視している。
 稗史が、稗官の論理もしくは理想に都合良く捻じ曲げられたものならば、馬琴の論理
もしくは理想は、何であったのか。次回は、八犬伝を支配している論理に、聊か言及す
る。
(お粗末様)




#365/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:46  (205)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「時を支配する者」 久作
★内容
 八犬伝には七月七日と並んで重要な日付が存在する。「四月十六日」である。八犬伝
が幕を開けた四月十六日(結城合戦)から四十二年後の四月十六日、八犬士が初めて会
同した。また対関東管領戦で勝利を収めた里見家は、天皇から勅使を遣わされ、直接に
房総の国司に補せられ支配を承認される。此までに、京へ赴いた親兵衛が、室町幕府の
実力者・細川政元に対し、人間としての優越を見せつけていた。また義実は治部卿に任
じられている(家基は三等官の治部少輔で義実は二等官の大輔に進んでいた)。「五行
マジック」「MockingBird」で述べた通り、治部省は周制の春官である宗伯(馬琴の息子
の名前でもある)に比定できる。春は木気、東に配当される。上総介や安房守は実在の
土地を支配する権限を持つが、治部卿は天皇の東に在って補佐する役目とも言える。以
前に述べたように、各種史料では一般に、義実の官職は「刑部少輔」であって、管見で
は、治部関係のものはない。「家基」→「季基」と共に「刑部」→「治部」は、馬琴に
よる転換だ。
 四月十六日は、里見家が幕府権力から名実共に独立し、天皇と直接に繋がった日であ
る。そして、後の四月十六日に、八犬伝開始時の主人公である里見義実が死ぬ。また後
の四月十六日、八犬士が里見家当主・義成のもとに集まり、牡丹痣の謎解き即ち八犬士
が何者であったかを種明かす。此処で実質的かつ完全に、里見家と八犬士の縁が切れた
と筆者は考えている。後の関係は、単なる惰性だろう。

 即ち【四月十六日】は、「八犬伝」というより「里見家」にとって、重要な画期とな
っている。結城合戦で一旦は里見家が滅亡する。色々あって八犬士が里見家に集う。犬
士それぞれが関東の大名に睨まれる存在となるが、其の集大成として、里見家にとって
結城合戦の仇である関東管領との戦闘が繰り広げられる(主筋の関東公方ってぇか古河
公方も加わっているが既に悪役化し影も薄い)に圧勝、天皇に房総の領有権を認証さ
れ、且つ【東の藩塀】となる。義実が賜る治部卿は治部の最高官だが、治部は東官(木
気の官)と考えられる。しかして義実は死に、八犬士も里見家から離れていく。大きな
節目は、いつも「四月十六日」だ。

 斯くの如く里見家は四月十六日なる【時】に支配されている。時は天文の動き、日月
星辰に依り表現される。仏教でも二十八宿を用いた占法・宿曜経やら北斗七星年誦義軌
やらが、人の運命を説明する。中国では、北斗が死を、南斗が生を司る。一方で対関東
管領戦に於ける犬士は、如意輪観音(観音といえば伏姫)が訶梨帝母(変成男子たる毛
野)と北斗七星(毛野以外の犬士)を率い、自らを数の上で圧倒する敵を殲滅する呪術
を込めた如意輪曼陀羅をも思い起こさせる(「輪宝剣」)。星に関わる里見家は、即ち
「時」に関わっている。名詮自性に拠って八犬伝世界を構築しようとする馬琴にとっ
て、時/星に関わる里見家の祖は、「家基」ではなく「季基」でなくてはならなかった
らしい。即ち「家」より「時」を優先している。

 さて、ことほど左様に重要な「四月十六日」に語られた事柄は、注目されねばならな
い。季基の大蛇退治、即ち、季基と賤民であるべき狙公との対等交流である。此の対等
交流は、現実政治に於いて幕府を内在的に唯一超越する存在/家康(新田氏流)と里見
家(新田氏流)との重なりをも意識させる。里見家は、【幕府】から独立した存在なの
だ。幕府からの独立とは、八犬伝刊行当時の読者にとって、ほぼ【現実世界に於ける支
配/被支配関係のキャンセル】と等しい。そして、其の世界では、支配者が賤民との対
等交流する。現実に於ける、階級差別の破壊へと繋がっている。

 飽くまで付け足しだが、狙公に就いては、安房に纏わる話もある。其の筋(どの筋
?)では有名な、「勝扇子」事件(小林新助芝居公事)だ。宝永五(一七〇七)年の訴
訟だが、京都から下ってきた役者が安房で興業した。興行主は、正木村穢多善兵衛と庄
兵衛の両人。芝居の準備をしている所へ、偶々弾左衛門配下の者が通りかかった。役者
は賤民であるから、関八州の内で興業するときには、弾左衛門に金を差し出さなければ
ならないと主張した。しかし役者が断った。このとき、安房の穢多頭は弾左衛門の管轄
外であり、其の穢多頭自身が興行主だから、弾左衛門に金を払ういわれはないとの主張
がなされた。日光祭礼供奉だけでなく、安房も特殊な扱いだったらしい(実は上総も…
…)。
 しかし別の場所での興行で、三百人の穢多が押し掛け、芝居小屋を襲撃した。結局、
訴訟を持ち込まれた江戸町奉行は、歌舞伎役者を弾左衛門支配外と判断した(が江戸庶
民感覚としては賤民視されてはいた)。で、何故に此の事件が「勝扇子(かちおうぎ
)」事件と呼ばれるかってぇと、当該役者から日記を借りて書写した江戸役者が「俺た
ちは弾左衛門支配ではない(賤民ではない)」との勝利宣言(勝扇子)として家宝にし
たからなんである。まぁ勝訴側の一方的な記述だから全面的に信じることは危険だけれ
ども。

 上述した八犬伝の、賤民支配への否定的態度は、或いは馬琴の芝居好きと関係がある
のかもしれないが、そりゃそぉと、芝居と言えば、筆者は芸能に疎いが、名作として知
られる「源平布引滝」がある。並木千柳、三好松洛が作った人形浄瑠璃(寛延二年)
を、歌舞伎に写したものだ。前半の主人公は、読者御馴染み、悪左府・藤原頼長の愛人
で木曽義仲の父・帯刀先生義賢、後半は斎藤別当実盛だ。「名作歌舞伎全集」などから
要約を交えつつ、少しく引く。

     ◆

 多田満仲の末裔・蔵人行綱は、世を忍んで折平と名乗り、木曽源帯刀先生義賢の僕と
なっている。行綱は近江小野原村の百姓・九郎助の娘・小万と結婚し、太郎吉なる息子
をもうけていた。ある日、義賢のもとへ、行綱宛の密書を託した折平が、行綱を見つけ
られなかったと帰ってくる。しかし渡せなかった筈の密書の封が切られているため義賢
は、折平こそ行綱と見破り、平家討伐の志を打ち明ける。そこに平清盛の使い・高橋判
官長常、長田太郎末宗が来て、白旗を渡せと迫る。実は平治の乱で源義朝が討たれた
折、源氏の象徴的な旗印・白旗も奪われていた。後白河院が白旗を手に入れ、密かに義
賢に与えていた。知らぬ存ぜぬを通そうとする義賢に、長田は義朝の死首を持ち出し、
本当に知らぬなら踏んでみろと脅す。義朝は義賢の兄である。無体な言い掛かりに怒る
義賢に、高橋は恐れて逃げ出し、長田は殺される。覚悟を決めた義賢は、金碗八郎と姦
した濃萩ではないけれども、実は既に折平の子を宿す娘の宵待姫を属けて折平こと行綱
を逃がし、源氏再興の望みを託す。行綱は義賢と共に討ち死にすると駄々を捏ねるが、
「この義賢に犬死にさせるか」と強いて逃がされる、里見季基/義実を思い出させる御
約束。逃げるとき、宵待姫は、義賢の子を宿した葵御前も連れ出す。これは家の存続な
どというよりも、命を宿す女性としての本能か。九郎が現れ、嫉妬に狂う小万(当たり
前だ)には言い聞かせたから、行綱らの共をすると申し出る。別れの杯を交わすところ
へ、討手の進野次郎宗政、横田兵内が攻めつける。行綱らは逃げ出す。残っている小万
に義賢は白旗を託す。義賢は大見得を切って、討ち取られる。

 近江堅田浦は九郎助の家、妻の小由と甥・矢走の仁惣が葵御前らを匿っている。庄屋
が源氏の胤を捜索していると告げ、捕手の瀬尾十郎兼氏、斎藤別当実盛が登場。実は仁
惣の密告により、既に葵御前の正体はばれている。前段で「左孕は男子のしるし」と、
男子懐胎を暗示してもいる。男なら殺せとの命を受けた捕手方は、葵の子が男か女かを
追及する。実盛は自分が検分役だからと、瀬尾より先に子を受け取る。実は実盛、源氏
恩顧の武士で、どうにか子を救おうと考えている。男子であっても、「男子を女子と変
生男子と」と言いくるめようとするが、瀬尾も確認はするだろうと苦慮する。しかし、
小由から抱き取り見れば、子供ではなく、血に塗れた女性の片腕。瀬尾と共に驚く。機
転を利かせた九郎助が、「木曽の先生義賢の御台が腕を産んだとしれてはお名の穢れ、
なぜ隠しとげおらぬのじゃ」と小由を叱る。小由も合わせて、「あまり御詮議が厳しさ
に、是非のう持って出ましたわいの」。瀬尾は「ハテ、巧んだり拵えたり、日本はさて
置き、唐天竺にも腕を産んだ例はない。鳩のかいの売僧(まいす)め」と、真に受けな
い。が、実盛は「ホ丶オ、コリャ手前が申さぬまでも御存じあらん。かの唐土蘇(楚)
国の后桃客婦人は、常に暑きを苦しみ鉄の柱をいだく、その精宿って終には鉄の丸がせ
を産む。陰陽師に占わせこれを剣に打たす。干将莫耶が剣これなり。さっするところ葵
御前も、常に癪じゅ(積)の愁いあって、かしずきのものに介抱させしに、その手先の
心通じて、しぜんと妊めるものならん。ハテ争われぬ天地の道理、今より此所を……、
手をはらむ、ム丶、手孕村と名づくべし」。瀬尾も煙りに巻かれて、取り敢えずは納得
する。こうして赤子こと木曽冠者源義仲は、窮地を脱する。

 因みに、血に塗れた女性の腕は、九郎助娘・小万のものだった。平宗盛が竹嶋詣に向
かったとき、酒宴半ば、矢走の方から二十歳余りの女性が抜き手を切って泳いできた。
見れば、口に白絹を銜えている。実盛に助けられた女性は小万と名乗り、源氏の白旗を
隠し運んでいると答えた。船中の男どもは、奪い取ろいうと打ち騒いだ。実盛は源氏の
旗を奪われじと、事に紛れて女性の腕を切り落とした。女の腕には白旗が、しっかりと
握られたまま、琵琶湖を流れ行く。小万は、殺された。切り落とされた腕は堅田浦に流
れ着き、息子・太郎吉に拾われた。「廻り廻りて、このうちに、白旗もろとも帰りし
は、親を慕い子をしたい、流れ寄ったか、ハ丶ア」(実盛台詞)。漁師たちが小万の遺
体を運んでくる。また、この場面で太郎吉は、「母の筐(かたみ)」と呼ばれている。
タイトルの「布引滝」は、クライマックスで、平重盛が行綱に矢を射懸けられた場所。
使われた矢は、源氏に伝わる水破兵破の矢であった。白旗の白布を晒す水流も掛けた
か。

     ◆

 八犬伝第十二回に、「唐山楚王の妃は、常に鉄の柱に倚ることを歓びて、遂に鉄丸を
産しかば、干将莫邪剣に作れり。我邦近江なる賤婦は、人に癪聚を押することを歓び
て、竟に腕を産しかば、手孕村の名を遺せり」とある。八犬伝第九輯下秩下編中総口絵
に河堀刀祢が三方に腕を載せているが、挿絵其のものは上記文楽から引用とも言はば言
えるが、河堀には積極的な役割が与えられていないので、ストーリー上の直截な関係は
ないと見て良いだろう。しかし、ところで手孕村は、実在の地名で、手原とも書いた。
旧滋賀県栗太郡栗東町手原(現栗東市手原)である。上記の歌舞伎と符合する。しかし
実は、実話として言われていた物語は、そんなにドラマチックではない。ってぇか、ト
ンチンカンだ。仏教系作家・浅井了意が書いた小説仕立ての紀行「東海道名所記」(万
治四年頃/膝栗毛ほど面白くないが、それだけ直接間接に実際に伝聞した話を集積して
いると疑われる)巻五に拠れば、

     ◆

石部より草津まで二里十二町
 …中略…
手ばら村をうち過る。草津のもどり馬に大坂男をのせていく。馬かた申けるは。「爰に
手ばらと申す事は、もとの名をば、手孕と文字にもかきけるよし。いにしへ、この村の
某、他国にゆくとて、その妻の年いまだわかく、かたちうつくしかりければ、友だちに
あづけて、三年まで帰らず。友だち、これをあづかり、わがもとにをきたりしに、人の
ぬすみ侍らんことをおそれて、夜は女の腹に手ををきて、まもりしに、女はらみて、十
月といふに、手ひとつうみけり。それより、この村を、手ばらみといひけるを、略して
手ばらといふ」と、かたりぬ。
 …後略…

     ◆

 俗に十字軍の騎士たちは、妻に貞操帯を着けて遠征に赴いたという。洗うにも苦労し
て不衛生ではないかと思うが、妻たちも合い鍵ぐらい作ったことだろう。

 貞操帯と言えば、我らが万葉集(巻第十一古今相聞往来歌類上)にも「高麗錦(こま
にしき)紐の片方(かたへ)ぞ床(とこ)に落ちにける明日の夜し来(き)なむと言はば取り
置きて待たむ」(二三五六)がある。この高麗錦が貞操帯に当たり、男女共用である。
局部に結び目をつけ使用不能にするものだ。互いに複雑で自分流の結び目をつけるた
め、余所で勝手に解いて結び直したらバレる。紐の結び目は、結ぶ向きが逆になれば、
余計に難しくなるから、自分で結び直すことは殆ど不可能だ。結局、西洋のモノは強制
的に「貞操」を守らせようとするもので心までは拘束しないのだが、万葉の貞操帯(高
麗錦)は、やろうと思えば遣れるけれども、自発的に貞操を守った証拠となるものだ。

 ところで、上に引いた万葉歌は、解釈が難しい。互いに結び合った公認の仲なら、
「片方ぞ床に落ちにける」が解らなくなる。いや、屁理屈なら何とでもつくが、それで
は御先祖様がたに申し訳ない。少なくとも自分が最大限楽しめる解釈を探すことこそ、
作法であろう。公認の仲なら、紐が落ちることは当然であり、描写の必要はない。だい
たい公認の仲同士なら、自分だけが結ぶ、即ち自分だけが解くためにこそ、高麗帯を相
手に着けるのだから。よって、この歌からは、不倫の香りが漂う。
 落とした高麗錦の結び方を、器用な不倫相手は熟知していた。即ち、インターコース
する以前に、指なり舌なり唇なりを使ったか、とにかく、まじまじと見る機会があり、
結び方を記憶したのだ。記憶したと聞いたからこそ、安心して行為に及べた。が、終わ
って、相手に結んで欲しいと頼んでも、ぐずぐず言って結んでくれない。「本当は、俺
/アタシのことは遊んだだけだろう」と拗ねている。どうやら【満腹】とまでは満足し
ていないらしい。こんなとき、西洋の貞操帯なら力ずくで鍵を奪う選択肢もあるだろう
が、此方は相手の協力が必要だ。困じ果て「明日も来るから」と頼み縋る。相手はニヤ
リと笑い、「だったら、その時に結ぶ。別に一晩ぐらい誤魔化せる筈」。まぁ確かに一
晩ぐらい、【公認】の配偶者にばれないようすることは難しくない。しかし、二晩三晩
と長引くと、それだけ露見の危険度は増す。明日といわずとも、近いうちには来なけれ
ばならない。高麗帯を質に取られ、軽い気持ちだったのに泥沼化しそうな雲行きを感じ
つつ、すごすご帰るは、男か女か。はたまた不倫は異性間か同性同士か、全く手掛かり
はない。

 ……危うく何を書いているか忘れる所であった。上記「源平布引滝」と「東海道名所
記」両者のうち、馬琴は前者を採択している。関西旅行をしたこともある馬琴が、旅行
記に載す手原村の由来を知らなかったとは余り思えないので、小説家の馬琴は、こと此
に関する限り、面白さとか通りの良さで前者を優先したのではないかと疑える。尤も、
浅井了意も中国怪奇譚の翻案者であり、妖しい日本昔話を書いていた浄土真宗大谷派の
僧侶(京二条・本性寺/正願寺住職)で、本人が書いたか確認できぬ「著作」が数多あ
る、まぁ出版仕掛け人みたいな人物であって、リアルとフィクションの狭間って感じの
作家だ。とにかく此処では、馬琴が積極的に演劇挿話を採用していることを確認したか
っただけだ。
 但し、馬琴が必ず演劇挿話を優先すると考えることは危険だろう。広い意味での【リ
アリティ】も問題になる。東海道名所記と源平布引滝、両者は【女性が手だけを孕んだ
】と共に信じ難い現象を提出しているのだが、前者の「いつも持病の癪を抑えていたか
ら手の気が働き、手だけ孕んだ」とする方が、せっかく女性に添い寝して「他の誰かに
寝取られまいとするためのみに女性の下腹部に手を当てて毎日寝ている男」の存在を思
い浮かべるよりは、まだしもマシだ。勿論、預かった女性と関係を持たないなら持たな
いと決意して履行するは全く難しいことではないのだが、毎晩その女性の下腹部に手を
押し当てるだけなんて中途半端な関係を持続するとは、常軌を逸している。姦るなら姦
ればよいのだ。やはり「東海道名所記」より「源平布引滝」の方が、人間心理面でのリ
アリティーがある。……いや、だから、話が一向に前進せぬが、無駄な情報も八犬伝を
読む雰囲気ってものに影響すると思うので、敢えて提出したわけだが(←完全にイーワ
ケ)そろそろ話を戻そう。(お粗末様)




#366/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:47  (216)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「馬とか虎とか動物園かい」 久作
★内容
 猿牽の本来的機能は、獣医であった。別に科学的な治療を施すわけではない。猿を舞
わすことによって、馬を元気づけるのだ。日光東照宮の厩舎にも、見ざる言わざる聞か
ざるの三猿が彫り込まれている。弾左衛門が江戸及び関八州(および陸奥など計十二
国)の穢多支配を認められるに至った由来は(弾左衛門が主張する所に拠れば)、関東
入国のときに家康の乗馬が病に倒れ、猿牽を率いて弾左衛門が駆け付けたことに求めら
れる。当時、家康の愛馬は「花咲」であったが、恐らく其の時に死んだ。が、弾左衛門
側は治療に成功したと伝えている。待てよ……「花咲」である。そういえば、親兵衛に
付き従っていた花咲翁がいる。花咲(翁)に【乗る】って、そりゃぁ莫逆に過ぎるだろ
ぉと心配するムキもあろうが、愛さえあれば(?)年上だって親兵衛は厭わない。その
証拠に彼は後に九歳年上の静峯と結婚する。いや抑も別に「乗る」と申して必ずしも【
能動的行為】を意味しない。
 昔、或る女性に聞いたのだが、馬並みと迄は言わず、男のがやや太い場合、女性は痛
む場合があるという。相対的な大きさの問題であり、相性ってヤツだ。そんな時、女性
は騎乗位をとると幾分楽になるらしい。自然と広がるからだろうか(いったい何が?
)。細川政元や枝独鈷素手吉の獣欲を掻き立てる妖艶さが無垢未経験の者にあるとは余
り思えないんだが、年齢不相応の体格とはいえ、まだ十歳の親兵衛ならば狭隘であろう
から、【受動的行為】であっても、白く豊満な胸を揺すりつつ「乗る」ことは極めて自
然だ。抑も「騎乗位」とは受動側の姿勢であつて、即ち、馬に譬えられる方が、能動的
行為をなすのである。故に、「花咲」が乗られるとしても、馬と重ね合わせれば、決し
て莫逆ではない。親兵衛が政元に軟禁されたとき、花咲翁・代四郎が殆どヒステリック
に政元の悪態を吐く場面は、親兵衛との関係が主従の一線を越えてしまったが故の嫉妬
を表している……とは勿論、筆者は考えていないけれども、読者は御自由に。
 えぇっと馬の話である。親兵衛の愛馬は「青海波」と、政元からプレゼントされた
「走帆」だ。如何な馬かといえば、
     ◆
身材いと高くして常馬の優れること三四寸、其鬣と尾と四足は白きこと雪の如く其余は
全身蒼かりけり。当下政元又いふやう、やよや親兵衛、那馬は、近日我封内阿波国美馬
郡剣峰より忽然と出し来れる是蓋世の竜馬なり。我是を獲てしより走帆と命けて鍾愛
す。実に是千里の能あり……中略……といはれて親兵衛、遽しく席を避け額を衝て、こ
は辱き御賜この馬妙相皆具して欠たる処候はねば千里の駿足たること疑ひなし。且那毛
色も奇妙にて実に蒼海洋を走る白帆に似たるをもて如右名つけさせ給ひしは名詮自性、
亦妙なり……中略……在下東藩に在りし時、我老侯の賜はせし青海波の名馬あり。其も
亦千里の駿足にて善この馬と相似たり。且青海に走帆は妙対暗号、奇にして妙なる名号
宜きのみならず在下這回の上京は難波の浦まで水路にあなれば名青海波を牽せざりしに
……後略
     ◆
 即ち「青海波」を安房に残してきた親兵衛が偶々得た現地妻……ではなく乗馬で、安
房ならぬ阿波剣山(昭和まで四国最高峰と考えられ、実は最高峰だった伊予石鎚山と同
様に修験道の霊地)で近日忽然と現れた駿馬であった。体毛は、信乃の愛犬・与四郎の
ヨツシロに庶(ちか)く、四つ足と鬣・尾が雪のように白かった。それ以外が黒。蒼海
洋/青海原を走る白帆に似ているため、「走帆」と名付けられた。「走帆」は蜑崎照文
の紋所でもあるのだが、其処までは言わない、阿波といい、青海原と縁ある形状とい
い、最近霊山に忽然と都合良く現れたことといい、とにかく馬琴が親兵衛に乗らせたく
て登場させた、特別な馬であること明らかだ。
 此の馬は、親兵衛と共に虎と戦った勇馬であったが、京から安房への帰途に斃れた。
だって現地妻を安房へは連れて帰れないだろう……ではなく、京都に於ける青海波とし
て急遽出現した虚花たる馬は、実花たる青海波とは併存し得ない。消えて貰わねばなら
ぬ。また、体毛が与四郎に庶いことから、与四郎/「花咲」の翁の【代わり】として活
躍するやにも見える、雪降って庭駆け回るか、「姥雪代四郎与保」が、京都にいる間
中、親兵衛の後見人気取りである点と関わるか。そして復た、ヨツシロの走帆に乗る親
兵衛は、与四郎犬に乗る女装美少年・信乃にも擬せられていよう。え、親兵衛は女装し
てないって? 大丈夫、女装こそしていないが親兵衛は、細川政元によって、しっかり
性的に受動の位置すなわち女性に準ぜられている。孔(あな)さえあれば、美少女も美
少年も、殊更とり立てて差別することはあるまい。入れる所だって一寸/ちょっと/三
センチばかりしか、離れていない。入れる瞬間、少しく狙いを過てば間違う程の僅差
だ。所詮は、大脳の遊戯、両者の差異を強調し過ぎるは無粋だろう。
 そして「虚花と実花」では、京に於ける親兵衛の虎退治は、対関東管領戦の虚花であ
ると断じた。親兵衛は、一世一代の大征伐戦の帰途、青海原に縁ある愛馬「走帆」を喪
うのだ……そぉいや、そんな奴が八犬伝の外にも居た。源八幡太郎義家だ。彼は一世一
代の対外戦争「奥州征伐」の帰途、江戸で愛馬を喪ったのではなかったか。其の愛馬の
名は……えぇっと、そぉそぉ「青海原」ではなかったか。犬士の中核的存在ともされる
親兵衛が、八幡神の申し子として社頭で元服した源氏の棟梁、太郎義家とニアミスを犯
す。親兵衛と八幡太郎義家、両者の輪郭がブレて一瞬重なる。重なり合った輪郭は、八
幡神の其れか……。観音/天照/神功皇后が脇侍として寄り添う、あの阿弥陀仏を本地
とする、八幡神である。富山で観音/伏姫に寄り添われ育った親兵衛の、面目躍如だ。
源姓である里見義実は当初、頼朝の再来っぽく描かれる(里見軍記など現存する安房里
見関係文書は里見義実自身が事実たどった経緯といぅより頼朝の事跡を単純にトレース
させたフィクションとしてしか読めなかったりする)。だから義実は八幡神の多大な庇
護を受けるんであるが、天台仏教神道なんかでも八幡/阿弥陀は観音と置換可能である
し、馬琴が縁起を書いた両子山(天台系修験道の拠点)なんかでも、阿弥陀・観音両者
の間には緊密な関係が看て取れる。

 かなり余計な事どもをも語ったが、犬村角太郎礼儀こと大角の山猫退治には、淡く
「杜子春傳」が感じられる。大角の無言行は、いや仏道修行としての無言行は一度目の
現八訪問によって破られるのだが、「杜子春傳」と重ね合わせれば【己の感情を閉じ込
める】ことこそ「無言行」の意味であるに因って、偽物の父(実は山猫)に抑圧され己
の感情を強く表出しないうちは、象徴的な「無言行」と見做して宜しかろう。それが破
れるのは、妻・雛衣が胎児を差し出すよう迫られた時……ではなかった、此の時さえも
大角は、「そなたへ膝を推向て、うちも見戍れば降そ丶ぐ、膝の涙も玉あられ、胸は板
屋の妻夫、迭に顔を見あわして共に無言の告別(いとまごひ)」結局、雛衣を見殺しに
しようとする。いや見殺しにした。雛衣は乳房の下に短刀を突き込み、真一文字に引き
遶らせる。と、其の時、「颯と濆る鮮血と共に顕れ出る一箇の霊玉、勢ひさながら鳥銃
の、火蓋を放せし如く、前面に坐したる一角が鳩尾骨■(石に殷/はた)と打砕けば」
(以上第六十五回)……偽一角は倒れる。動転した偽一角の息子・牙二郎(やはり山
猫)が大角に切りかかる。それでも大角は、牙二郎を異母弟だと思っているので刀を抜
けず素手で防御するのみ。まだ「無言行」を続けている。隠れていた現八が漸く手裏剣
を放って牙二郎を負傷させ偽一角の妻として大角・雛衣を虐待した船虫を取り押さえ
た。家族に手荒なことをしたと怒ったトンチンカン大角は、しかし現八が差し出す骸骨
が実の一角だと悟り、漸く「無言行」から解放される。そう、「杜子春傳」と違って、
母ではなく父の死を突き付けられて、初めて無言行/虚構の中の責め苦から、解放され
るのだ。
 尤も前に述べた如く、「杜子春傳」では杜子春と道士との関係は虚構ではなく、其の
柵(しがらみ)の裡に眼前で起こった責め苦すべてが「虚構」だったのだが、八犬伝で
は大角の受難は虚構ではなく、【大角を捕らえる柵/親子関係】こそが「虚構」であっ
たのだ。前提と結果が捻れ、全く逆転している。見事な翻案だ。

 さて、此の悲劇は、実は現八が引き起こしたとも言える。偽一角が雛衣に胎児を要求
した動機は、目の治療であった。深夜、化け猫の姿で庚申山を散歩していた時、通りす
がりの現八に矢で射られたのだ。いや、現八を、マッチ・ポンプと責めているのではな
い。彼が射たからこそ偽一角は雛衣に胎児を要求した。自棄(やけ)になったか雛衣が
切腹したからこそ、礼の霊玉は大角の手に戻ったのだし、大角は郷里を捨てて犬士の隊
に入る。また雛衣に消えて貰わねば、犬士の一人として里見の姫と結婚できない。物語
が進まない……ってぇか、「物語」なんだから、大角が犬士の隊に入ることこそ予め定
まっており、其の結果へと導く為にこそ、庚申山の悲劇が起こる。そして悲劇は、偽の
父へと孝養を尽くそうとするが故に最悪の結果に陥る大角を描いている。まるで中国の
帝舜であり、礼の犬士として面目躍如たる所はあるが、読者にとって、かなりモドカシ
イ話だ。「其処までする事ねぇよ、その一角は父親ぢゃないんだから」。
 ……そぉ、八犬伝では、暴虐の抑圧者は主君たる資格を剥奪されるのだけれども、同
様に暴虐の抑圧者は「父親ではない」んである。犬塚番作さんが息子・信乃のため進ん
で割腹するように、里見季基が自らの死を以て関東足利家の支配を帳消しにして息子・
義実に独立の道を開いたように、親は子の為に命まで投げ出す。だからこそ、犬士は孝
行息子揃いなのだ。片務的な忠が存在せぬ八犬伝では、片務的な孝もあり得ない。一
応、八犬伝の書き方は、一角が偽物だったから大角を虐待したのだが、ここまで子を虐
待する者は偽一角だけである。まぁ実の孫が拉致監禁され陵辱されているのにノホホン
としている里見義実なんて唐変木もいるにはいるが、霊的には外孫に当たる親兵衛を猫
可愛がりして、「京で虎に襲われてるぅ」と心配する一面ももっている。結局、子を抑
圧し虐待する者は、ひとでなし、親ではない。いいとこ山猫か何かが化けているのだ。
よって孝を尽くすまでもなく切り伏せて顧みることはない。理不尽な家庭内虐待は、外
の世界から来た親友によって解消され、友と共に外の世界へと旅立つ大角の悲劇は、一
種の成長譚とも読める。ただ、雛衣の悲劇は解消されない。我々八犬伝読者は、雛衣は
死して真には死なず里見の姫・鄙木に変換したと思い込んで、自ら慰めるしかないだろ
う。

 前に大蛇と虎を【魔】の代表と考え、八犬伝に於ける両者を見ようとした。見ようと
したが、個々の話が魅力的過ぎて、かなりの贅言を呈してしまった。ついでに言えば、
記紀からすると、深夜の庚申山で射抜かれた偽一角/山猫/虎の射抜かれた「左目」は
月、日中の渕で射抜かれた大蛇の「右目」は太陽を象徴するか、では虎の左右両眼とも
射抜くは日月/陽陰とも制御/支配する陽陰神/天照と重ねる所為か、はたまた親兵衛
は故に陰/女性性をも多分に含み政元に犯され(そうにな)るのか、否か……。
 立ち返れば、庚申山の山猫/虎は、家庭内で暴虐濫望性的放恣な抑圧的父親の「魔」
か。里見季基が討った大蛇は、差別制度そのもの若もしくは其れを望む人の心性自体の
「魔」だ。そして親兵衛が退治した虎は、彼此の立場を利用して相手の肉体を望むセク
ハラ男を象徴しているのだろうか……多分、違う。親兵衛の退治した虎は、元々「うる
わしのちご」が竹林巽風に画かせ誂えようとしたものだ。此の稚児は、何等かの仏性、
多分は寅童子本人であろうけれども、妙に男好きする所なんか親兵衛そのものだし(少
なくとも巽風の妻・於兎子は、夫とデキてると信じ込んでいたし、一方で親兵衛が細川
政元に男色関係を迫られている話が同時進行している)、虎トラ寅、寅は東方木気であ
り、木気の徳は「仁」である。「うるはしのちご」と親兵衛は、やはり無関係ではある
まい。
 思い切って言うならば、「うるはしのちご」は、親兵衛と根を同じうする何者か、で
はなかったろぉか。画かせた虎が実体化したら、今度は虎を射抜いて消す、現八同様の
マッチ・ポンプだ。
 巽風に虎画を注文し絵の手解きをする稚児は、於兎子に巽風との肉体関係を疑われ
た。於兎子(おとこ)が、自分の男と見知らぬ男の子が姦りまくっていると邪推したの
である(あぁヤヤコシイ)。邪推して近所の樵(きこり)山幸樵六に頼んで稚児を殺そ
うと図る。待ちかまえた樵六は巽の家から出てくる稚児に発砲、が倒れた者は何故か於
兎子であった。眩惑されたのだ。巽は其の場で樵六を撲殺し、まだ目を入れていない件
の虎画を持って出奔した。色々あって細川政元が、虎画に目を入れてみろと巽風に迫
る。渋々巽風は目を入れる。絵の虎は実体化し、巽風を食い殺し生首を銜えて細川邸を
出る。追っ手は「洛外東の申明亭(ふだのつじ)」の前で「梟首俎(きゅうしゅだい
)」に載せられた巽風の生首を見付ける。即ち巽風は公式の罪人同様の扱いを受けてい
る。此は、虎が単なる凶暴な猛獣ではなく、公共の福祉を守る為に行為していることを
示す。だから巽風のほか追っ手の雑兵や猟師やら旅人やら幾人も虎に食われて死ぬのだ
が、「皆是残忍貪婪不孝不義の毎にて好人は一個もなし。且善人は那山を夜芟に越れど
も虎に撞見ず。有恁れば是霊獣なり。世に民の父母たる者、をさをさ仁政を行ひ給はば
征せずして那虎は必出ずなるべしと云、識者の批評聞ゆれ」(第百四十三回)と種明か
しされている。馬琴の参考書「代酔篇」にも、

     ◆
虎
鉄囲山叢談云嶺右俗淳物賤始吾以靖康丙午来愽白時虎未始傷人独村落間竊羊豚或婦人小
児呼躁逐之筆委置而走有客嘗過墟井繋馬民舎籬下虎来瞰籬客懼民曰此何足畏従籬旁一叱
而虎已去村人視猶犬然十年之後流寓者日衆風声日変百物湧貴而虎浸傷人今則啗人与内地
殊風俗澆厚亦及禽獣耶先王中孚之道信及豚魚知筆不誣(巻三十八)

     ◆
とある。そして八犬伝では、天皇にまで跋扈する虎の責任を問われた政元が、自分に巽
風を紹介した骨董屋禄斎屋与市に責任転嫁し処刑、また虎狩りの軍事動員中、武将やら
兵卒が互いに私怨やら戦線離脱を目的に殺し合う。作中で五山僧が「虎不害人、人反相
害」と嘯くドタバタ劇が繰り広げられる。

 どうやら霊獣で善人は害を受けないと思いはするものの、やっぱり虎は恐い。退治せ
ねば人心が治まらない。京の治安に責任をもつ左京兆(左京大夫)でもある政元は遂に
最後の切り札、親兵衛に虎退治を依頼する。とにかく虎を退治できねば、政元自身の責
任問題に発展するのだ。この時まだ親兵衛の肉体を渇望している政元は、下心たっぷ
り、駿馬「走帆」を親兵衛にプレゼントしている。安房に残してきた愛馬・青海波に代
え走帆に打ち乗った親兵衛は虎と対決、左右の目を射抜いて消滅させた。画竜点睛、点
晴して実体化した虎であるが故に、目を射抜かれたら、画に戻るのだ。
 一方、竹林巽風および画虎事件に先駆け、「五虎」なる者が登場する。武芸を試すと
称して親兵衛に、在京武芸者上位五人との試合が命ぜられるのだ。柔術捕縛術の無敵斎
経緯、剣術の鞍馬海伝真賢、鎗術の澄月香車介直道、騎馬砲の種子嶋中太正告、そして
弓術の秋篠将曹広当である。五人とも親兵衛に敗れるが、中でも鎗術の直道は悲惨だっ
た。親兵衛にボコボコにされた所へ投石術の紀内鬼平五景紀が助太刀に入り、思いっき
り石を命中させたのだ、直道に。堪らず直道は落馬して、物嗤いの種にされた。対して
広当は紳士的に対戦し「独秋篠広当は瓦礫の中の片玉なる哉。その言都て理義文明、実
に君子の風あり」と称されている(第百三十九乃至百四十回)。で、第百四十一回から
竹林巽風および画虎の話が始まるが、第百四十四回途中から、試合の遺恨が事件を呼ん
でいく。画虎が実体化したため、五虎のうちの三人が、政元の命で京都の警備に就く。
北面の武士・広当は本来の職務すなわち天皇守護の役目があるため、政元の出動依頼に
は応じられない。また直道は将軍や同僚から白眼視され、自宅謹慎していた。一方で、
直道の助太刀に失敗した景紀は、経緯・真賢・正告と共に、虎狩りの頭人として用いら
れる。直道は景紀を恨み、且つ疎遠になった経緯ら三人をも憎む。復讐しようと一計を
案じ、虚言を流す。
 「ある農民の夢枕に件の虎が立って言うには、『我に河を渡せじとて那河原を相戍る
紀内鬼平五景紀・種子嶋中太正告・鞍馬海伝真賢・無敵斎経緯等は年来管領の恩顧を負
て武芸に誇り気を使ふ不良の行ひ極て多かり。矧又其隊に従夥兵們も銭を欲りし酒を貪
り毎に管領の権勢を借て市人の患ひを做すのみ、一個も好人あることなし。この故に我
那河を渡すの日、頭人夥兵漏す者なく鏖にせまく欲す』」(此の流言は虎を悪人を誅す
る霊獣と認めている)。
 河原を守る雑兵たちは浮き足立つ。まず正告隊の小頭・三田利吾師平が、虎とは戦い
たくないし、家に帰るわけにもいかないと、南近江で幕府に反旗を翻し観音寺城に拠っ
ていた六角高頼の手下になろうと呼びかける。折しも比叡山から下ろす強風に、河原の
小石が吹き上げられ辺りが暗くなった。雑兵達は「虎嘯けば風起るといふ古語は是なめ
り」と算を乱して、近江路へ向かう。十五六町ほど行った所で日は将に山に沈もうとし
ている。逢魔が時、人に【魔が差す】時間帯、真賢隊の小頭・藻洲千重介が全隊へと急
に呼びかける。何の手柄なく六角氏を頼っても受け入れてはもらえない。いっそ四人の
虎狩り頭人が六角氏と内通し幕府に背こうとしたと訴え出て、家に帰る方がよい。引き
返して四人を殺す提案。雑兵たちは賛成し、河原へ取って返す。同じ頃、計画が図に当
たって雑兵たちが逃げ散ったと見て取るや、直道は酒肴を携え正告の守屋を訪問する。
守屋には四人の頭人が集まり、雑兵逃散に就いて話し合っている。直道は挨拶に来たと
上がり込み、宴になる。直道は、泥酔した景紀を抜き撃ちに斬り殺す。直道の助太刀も
踏み込んで乱戦となる。そこへ戻ってきた雑兵が鉄砲を斉射し鏖す。吾師平・千重介が
訴え出る。が、殺したと思っていた者のうち、直道の弟子・品塚赤四郎、正告の弟子・
花下仇丶太郎が息を吹き返す。吾師平・千重介の企みが露見し、主立った雑兵らも斬首
に処される。……さて、此の同士討ちは、何を意味しているかは、次回のお楽しみ。
(お粗末様)




#367/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:47  (203)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「最後の審判」 久作
★内容
 此処で事件を評して馬琴が地の文「抑この時に当て京師にて武芸をもて五虎の称を得
たりしは、秋篠広当をもて第一とす。シカるに広当は素是温順の君子にて己に勝るを仇
とし憎む那小人們に同じからねば機変破滅の田地に入らず。造化易るに紀内平五景紀を
もて充しに時の人は旧に因て猶是をしも五虎といふめり。蓋広当が賢にして五虎の称に
数まへられしは、瓦礫の中なる片玉なりき、と心ある者はいひけり」(第百四十五回
)。
 此の一文に、「虎」の問題が巧く説明されている。補助線は、広当だ。当初、「五
虎」は柔術捕縛術の無敵斎経緯、剣術の鞍馬海伝真賢、鎗術の澄月香車介直道、騎馬砲
の種子嶋中太正告、そして弓術の秋篠将曹広当だ。此処で「五虎」の表面上の意味合い
は、京で上位五人の武芸者ぐらいのものではあるが、加えて変態管領政元と関係がある
者に限定されている。しかし「五虎」が紹介された直後に、本物の虎が登場する。いや
まぁ実際には動物園にいる「本物の虎」ではなく霊的な存在だったわけだけれども、此
の画虎登場後、「五虎」が変質する。変質者だけの集団になっちゃうのである。投石術
の紀内鬼平五景紀が加わり、広当が離脱するのだ。「広当は素是温順の君子にて己に勝
るを仇とし憎む那小人們に同じからねば機変破滅の田地に入らず。造化易るに紀内平五
景紀をもて充しに時の人は旧に因て猶是をしも五虎といふめり」である。だから広当は
画虎が出現した途端に「五虎」から抜け、即ち政元から離れることをも意味するのだ
が、本職の北面武士として政元とは無関係に天皇警護の任に就く。一方、虎に備えた新
「五虎」は私怨に因る同士討ちの挙げ句、まさに(作為的な流言ではあったが)虎を恐
れた雑兵たちに鏖滅される。「五虎」から抜けた広当は後に勅使として、安房へ帰ろう
とするムチムチ親兵衛の尻を追い掛け回して掴まえて、道端の仏堂に引き摺り込み這い
蹲らせたと思ったら、ガンガンに責め上げ泣きじゃくらせて、交感するに至る(←別に
嘘は言っていない/第百四十九回)。親兵衛の奴、とんだ於兎子……男殺しである(麗
しの稚児が親兵衛と密接な関係にあるならば、やはり【於兎子殺し】事件に親兵衛は責
任がある)。いや、マコトに男殺し此の上ない。犬士なかんづく親兵衛は伏姫によって
聖別された存在である。読者の完全な同化を拒むかも知れない(ってぇか読者の方が無
意識のうちに拒む)。が、広当は、まぁ通常の人間としては最高度の武人とはいえ、所
詮は普通の人間だ。まだしも同化し易い。其の普通の人間が、化け物/親兵衛を泣きじ
ゃくらせるとは、【身分違いの姫/皇子/アイドルを陵辱し完全に性的な支配下に置こ
うとする制服マニアならぬ征服マニア】隠微で淫靡なファンタジー、男女共通の闇い欲
望を密かに満たすかもしれない。大衆小説の筆法である(一旦交感した動物が献身的に
助けてくれるなんてのも単純なるリバース、同じ穴の狢だろう)。
 簡単に云えば、元々の「五虎」は【猛武】ぐらいの意味で【政元寄り】のニュアンス
をもつが、本物の虎が登場すれば【人たる虎】は苛政もしくは圧政、権を私物化した者
達の謂となる。象徴的意味合いへの移行だ。だから、新たに悪人・紀内平五景紀が「五
虎」に加わり、広当が抜けるのだ。広当は京で最高の武芸者だが善い人なので、「五
虎」の条件が【猛悪】に変わると当然、抜けなければならない。また、「五虎」の条件
であった「政元寄り」は引き続いて生きている。其の意味でも、政元支配下から離れ天
皇直属の本来的立場(親衛の武士)に戻った広当は、資格を失っている。此処に於い
て、本物の虎(何等かの仏性によって準備された画虎)は悪人を懲らす通りすがりの暴
風雨みたいな存在となり、【人たる虎(五虎)】こそ人々に悪を為す者として強調され
る。だからこそ外ならぬ親兵衛は、政元に虎退治を依頼されたときグズつく。
     ◆
孔子家語に、孔子泰山を過るとき、婦人の哭をうち聞て其の故を問へば、対て曰、舅と
夫と及児子さへ皆虎に喫れたり。シカらばなどて他郷に去ざる。否とよ、この地方には
苛き政なければなり。孔子是を聞て歎ずらく、噫苛政は虎よりも猛かりき、といへる故
事も候ひき……
     ◆
 苛政は虎よりも猛かりき。「悪人の方が猛獣たる虎より始末が悪い」を地で行ったの
が新「五虎」事件であったのだ。しかし、実際に虎が暴れ回っているのに、「別にイィ
ぢゃん」との態度をとる親兵衛は、やはり怪しい。此のように自信タップリに「あの虎
なら大丈夫、政を正せば自然といなくなるよ」と言える者とは即ち、虎の関係者だけだ
ろう。やはり、於兎子によって於兎子の男(夫)とデキてると堅く信じられた男の子
(うるはしの稚児)は、政元に懸想され囲われた親兵衛のドッペルゲンガーもしくは、
高次に於ける根を同じうする何者かを、三次元に投影した存在であったと考えるべきだ
ろう。後に実体化する虎画を描かしめた者(うるはしの稚児)と通じる親兵衛だからこ
そ、其の虎を消滅させることが出来たのだ。虎自体は道具に過ぎない。
 また、うるはしの稚児が信奉する寅童子、薬師瑠璃光如来を守護する十二神将の東方
担当は、徳川家康ゆかりの仏でもある。家康は天文十一年十二月二十六日午前四時頃に
生まれたとも言われている。即ち、壬寅年の寅月の寅日の寅刻である。また誕生の瞬
間、三河国設楽郡鳳来寺の本尊薬師十二神将のうち金比羅神(寅童子)が消え、家康没
後に再び現れたなんて神話がある。親兵衛は、文明七年すなわち乙未年ではあるが、師
走に生まれた(第三十五回)。さて「偶然」が幾つも重なれば、やはり「作為/作意」
が浮かび上がる。裁判では推定無罪原則により、有罪には出来ないが、此処は裁判の場
ではない。親兵衛ひいては八犬伝と家康との関係は、政木大全やらも補完して用いれば
(「準犬士・正木大全」)、ほぼ認定できる。
 とはいえ、家康そのものへの回帰を馬琴は望んでいたのだろうか。そうではないだろ
う。江戸期の所謂「改革」は、総て東照大権現様(家康)への復古を標榜してはいた。
しかし結局は、「大厦の覆んとするときに、一木いかでこれをササエん」、幕府は潰れ
る。また、此の「東照大権現様」は、前例主義の硬直せる組織が弄する常套句に過ぎ
ず、「改革」のイーワケに過ぎぬ。前例主義は、まずは直近の例を参照するのだが、前
例は重ねる毎にズレてくる。状況も組織の構成員も違うのだから、当たり前だ。故に殆
ど「前例主義」とは、徐々に変化するための形なんであるけれども、「徐々に」である
から現状にキッチリ対処は出来ない。後手に回る場合が多い(いや後手に回るならマダ
シモ、トンチンカンに陥る場合も多い)。そんな時、思い切った「改革」をしようとす
れば、徐々にズレてきた当初の事象を検証し、現状を改革するに都合の良い論理を発掘
するなら、まだしも「前例」なる言葉の魔力によって、正統性を纏うことが出来る。結
局、そぉいぅ都合の良いモノとして持ち出された「家康」だろうから、それは既に実存
としての「家康」ではなく、「理想」に「家康」と名付けているに過ぎない。言い換え
れば、「家康」は捏造されし【最強の前例/理想】だ。現状を改革する為のイーワケとし
ての意味しかないんである。幕府の裏面たる弾左衛門から独立するため東照宮へと繋が
った、日光神領猿牽の論理である。
 飽くまで其の意味での「家康」は、八犬伝にも必要であった。幕府を否定する為に、
幕府さえも否定し得ない東照大権現を持ち出しイチビッたのだ。此と対極にある視点
が、大塩平八郎の乱だ。平八郎は、大坂東照宮に砲弾を撃ち込む。即ち暗愚な幕府の権
威源泉としての「家康」を否定することで、幕府を否定しようとした。成功すれば平八
郎の戦術の方が、改革を徹底化できはする。が、天保八年段階で、幕府の実力は、まだ
まだ強かった。既に屋台骨が朽ち果て尽くしていたならば、五十年遅れた仏大革命とな
ったかもしれない(故に明治維新なんぞ比べものにならぬほどの血が流されたではあろ
うが)。まだ幕府の屋台骨を揺さぶり蝕む段階であって、倒す機は満ちていない。言い
換えれば、「家康」自体をアカラサマには否定する段階ではなく、「家康」を利用しつ
つ眼前の(当然の如く「血」なぞで資質すべてが継承できる筈もないが、一応は「家
康」を継承してきている筈の)幕府を揺るがすべき段階だ。馬琴のスケジュールでは、
「百年以後の知音」を待って初めて改革が徹底し、八犬伝が読み解かれることになって
いたか。都合良く利用した「家康」を、結局は使い捨てるよう予め、八犬伝は予定して
いたと見るべきであろう。古川柳なんかでは「虎」といえば「家康」を暗示し得るんだ
が、八犬伝に於いて、画餅ならぬ画虎は、単に悪を懲らすためだけに引っ張り出され、
用済みとなれば使い捨てられる消耗品に過ぎないのだ。空恐ろしいまでの道具主義であ
り、合理主義だ。即ち、儒教的なんである。まぁ権力なんざ何時だって、消耗品なんだ
けれども。
 えぇっと要するに、薬師十二神将が象徴する【世界】が、第一回親兵衛上洛の背景と
して在り、上洛譚の前段として在る結城法会で語られた猿牽から始まって、徳川家康っ
て人名が薬師十二神将なる言葉から浮かび上がってくる。八犬伝刊行時の権力とは江戸
幕府だったわけだが、家康は幕府の権威源泉であったが故に、日光猿牽の如く家康と直
接に繋がることは、幕府権威超越を可能とする。薬師十二神将が八犬伝に関わっている
ことは、「南総里見八犬伝第九輯巻之二十九簡端或説贅弁」
     ◆
嚮に友人告ていへらく或云本伝第九十九回素藤鬼語を聞く段より第百四十九回一休画虎
を度する段まで事々物々怪談鬼話ならぬは稀なり。且上に十二地蔵の利益あり、下に薬
師十二神の霊異あり、又前に狸児の怪談あり、後に画虎の怪談あり。
     ◆
とあるので明らかだろう。
 ついでに云えば、「十二地蔵」は、猿牽の話題が持ち出された結城法会に登場する。
法会には、星額はじめ十人の僧(地蔵)が里見季基の遺骨を携え参列する。また、法会
に熱中する丶大・七犬士らに、悪僧・徳用が攻めてくると情報をもたらした鼻の欠けた
「衰老法師(後の記述は乞丐坊・法師)」(第百二十四回)、及び親兵衛または照文に
情報を与えた法師で「十二地蔵」だろう。第百二十七回に、
     ◆
親兵衛嗟歎して、そは勿論の事ながら、■(郷に向)我們路次をいそぎて諸川を過る
折、前面より来ぬる一個の法師が■(口に自)們をヤヤと喚住めて和君達は今日丶大庵
の念仏供養に会んとて結城に赴き給ふなるべし。いまだ知せ給はずや、件の庵主は今
恁々の地方にて一路児と共侶に免れかたき急難あらん。その故は箇情々々恁々の情由あ
りとて庵主の宿願成就の事、星額長老師弟の事、又先君季基朝臣の遺骨の事、又施行の
折に来にける乞丐法師の忠告の事の趣、逸疋寺の住持徳用その徒弟堅削們が悪心邪議を
幇助ぬる結城の驕臣経稜・素頼・惴利們が詭詐の緝捕の事、又犬山・犬阪・犬飼・犬
川・犬田・犬村の義兄弟は塔所の茂林をはやく立去りし事この余念仏供養の光景、姥雪
叟は故主の随意与四郎の与を改めて代四郎与保と喚る丶ことまで漏さで具に告らる丶言
約にして諄からねば……
姑息して照文がいふやう、是も亦犬江生、聞知られしか知らねども卑職この地に来ぬる
折、丶大庵をたづね難て殆困じたりけるに奇しき法師に案内をせられて面会の本意を遂
にき。矧亦星額師弟の石塔婆の奇工あり、乞丐法師の忠告あり、是に由て彼を思ふに和
殿に先機を告し法師は権者の化現なるべきか。いと憑しく候……
     ◆
とあるので、親兵衛と照文に情報を伝えた僧を別に数えれば「十三」になる。また、不
思議の僧は今一人登場する。
 徳用らの攻撃を凌いだ丶大一行は古い大伽藍に辿り着いた。直塚紀二六に命じて見に
行かせると、「昔はしかるべき大刹なりけん。今観る所は荒果て草茸々たる処々に柱礎
の遺れるのみ。遮莫庫裏は猶これあり。其も甍は堕砕けて雨はさらなり月も漏るべく白
壁壊れて骨の顕れたる処■(虫に喜)手形なる窓に似たり。然ば柱斜にして片仮名のノ
の字の如く簀子は朽て燕子花なき八橋かと疑る。恁れば守る者候はず。但庫裏の背のか
たに褊小なる白屋あり。其首には年六十許なる一個の法師が柱に背を凭けて打■(目に
屯)して在りしかば山号寺号を問んと思ひて、しばしば喚覚し候しに熟睡したるか聾児
なるか、応ぜざれば術もなく」(第百二十七回)。しかし一行が訪ねると「白屋」に法
師は居なかった。シリーズ当初から、源里見を白で象徴される金気とし、里見もしくは
犬士らが「白屋」で泊まるなどすれば、まるでHP回復ゾーンのように事態が好転する
ことが多いと指摘している。寺で休息をとる一行と離れていた信乃は浄西が住んでいた
地蔵堂に行き着き、食料を得た。徳用に遭遇するが、徳用は仲間と同士討ちする。倒れ
た者は、信乃を信州で罠に掛けた出来介であった。正に出来すぎだが、気にしないよう
にしよう。
 如上、実は「十四地蔵」の可能性だってあるんだけれども、馬琴が「十二」って云っ
てるんだから、「十二地蔵」なんだろう。と、此処まではオサライであって、読者御存
知の事だ。付け加えるべきは、何故に十二地蔵が法会に参列する十人と、情報を伝える
二乃至三人(及び安息の地「白屋」を明示する六十歳ばかりの僧)に分けた理由だ。だ
いたい地蔵とは、五十六億七千万年後に弥勒菩薩が救済のため降臨するまでの間隙を縫
って、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を輪廻する人々を救済する。六道それ
ぞれの担当者がいて、色々に呼ぶが、檀陀・宝珠・宝印・持地・除盖障・日光の六体セ
ットって言い方もある。曼陀羅に登場するときは菩薩形(ゴータマさんが王子だった頃
を模しており冠や装飾具を着けた王侯の姿。観音様みたいなやつ)だが、少年僧の姿
(比丘形)が一般的か。つんつるてんの頭に、額中央の印が印象的だ。額の印は所謂
「白毫」であり実は巻き毛なんだけれども、実写怪獣活劇の如く此処からビームが出
る。叡智の光だが、智恵によって魔を消滅させるのであつて、正義の味方のビーム武器
と解すれば、通りが良いか。額に輝くモノ、である。「額の星」と呼んでも可であろ
う。六地蔵の一は「宝珠」であるが、星額の師匠の名でもある。また字義通り星を星、
宝珠を宝珠と考えれば、犬士の「玉」が、空に煌めく北斗と北辰、丶大が輔星ぐらいに
感じられてもくる。
 また、身代わり観音ならぬ身代わり地蔵なる分野もあり、坂上田村麻呂を助けた地蔵
の話は既に紹介した。子供の姿で悪馬を働かせたり誰かの代わりに怪我をしたりして、
篤信の者を救う逸話は、各地の民話に残っている。変身して人間(じんかん)に化現し
がちな仏であるから、十二人の僧侶となって現れることに、違和感はない。また、上記
の如く地蔵は六体組で語られるのだが、「十二地蔵」は二倍体だ。他に「二十四地蔵」
なんて四倍体もある。とにかく基本は六地蔵だ。
 一方、十王地蔵ってのもある。此は六道のうち地獄をも地蔵が支配していると考え、
冥府の判官(閻魔と格下の九人)計十人の実体が地蔵だとする説に拠る。死者は初七日
に秦広王、二七日(十四日目)に初江王、三七日に宋帝王、四七日に五官王、五七日に
閻魔王、六七日に変成王、四十九日に太山王(泰山府君)、百日に平等王、一回忌に都
市王、三回忌に五道転輪王の前で裁かれる。ただ、馬琴の「燕石雑志」鬼神論にも「塩
尻云、玉笑零音云、人之初生以七日為臘而一魄成、故七七四十九日而七魄具矣、一忌而
一魄散、故七七四十九日而七魄散、故知鬼神之情状、といへり。いにしへは亡者の追善
四十九日にして止、この日七魄散ずる故なり。散じて後亦聚ることなし。譬ば春の氷の
解るがごとし。その解んとするとき、まづ砕けて水の上に浮ぶものは、人死すといへど
もその魂魄いまだ散ぜざるが如し。氷解て水に帰し、魄散て地に帰す。冤鬼は砕たる氷
の水上に浮の類なりか丶れば鬼神も滅するときあり。冤鬼の説誣べからず」とあって、
死後四十九日で霊は此の世から消滅し、彼岸に行ってしまう。十王も必要ではなく泰山
府君までの七人で十分ではある。残り三人は、異議申し立てか控訴・上告ってことにな
る。ために古代には、【此の世で最後の判官】泰山府君への信仰が厚く、毎度お馴染み
藤原頼長なんかも泰山府君を祀って喜んでいた。しかし十王では物足らなかったらし
く、十王に代えて十三仏なんてものが発明された。七回忌に阿閃如来(蓮上王)、十三
回忌に大日如来(抜苦王)、三十三回忌に虚空蔵菩薩(慈恩王)を当てた。親の三十三
回忌を祀る為には、かなり寿命が長くなければならないのだが、昔って、そんなに平均
余命が長かったか? 因みに十三仏を十王に配当すると、不動明王・釈迦如来・文殊師
利菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・観世音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如
来の順となる。此の相当でも閻魔と地蔵が組み合わされている。「地蔵と閻魔は一仏二
体。慈愛粛殺異なれども倶に能化の教主なり」(第九十回。船虫虐殺の前段)である。
また結城大法要は合戦の四十二回忌であるから、少なくとも十四仏が必要となるけれど
も、馬琴にも色々事情があったのだろう。

 結論を急ぐ。「十二地蔵」は本来的な地蔵信仰「六地蔵」の二倍体だが、うち十体を
取り出し「十王地蔵」に関連付けることで、死せる義人烈女に肯定的な【最後の審判】
を下している。単なる結城合戦戦没者追悼ではない。そうでなくて薄幸の別嬪人妻・手
束まで祀られる筈もない。義人に永遠の幸福、罪人に永遠の呵責を与え、新たな千年王
国が……と単純な二元論では捉え切れぬ、差し当たっての「小団円」である所の最後の
審判、闇に生じ光に満ちた物語は、再び闇の大団円へと転がりだしていく。(お粗末
様)




#368/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:48  (401)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「怪僧玄ム」 久作
★内容
 今まで何の疑問も抱かずスンナリ読んでいた文章が、ある時から奇妙なものに思えて
しまうことがある。
 元享釈書という本を読んでいたのだけれども、いや女性に関する記述を重点的に読ん
でて、ハイライトともいえる光明皇后の部分に差し掛かった。浴室を造り千人の垢を落
とそうと思い立った皇后、自分が建てた風呂屋で三助をしたのである。千人目は、皮膚
に瘡が出来た病人であった。病人が言う。自分の瘡は、人に吸い出して貰うと治る、ど
うか吸い出してくれ。皇后は躊躇ったものの、意を決して病人の頭もてっぺんから踵ま
で、瘡の膿を吸い出した。行為後、皇后は病人に言った。私が瘡の膿を吸い出したこと
は誰にも言わないで。病人は言い返した。お前こそ、アカ如来を舐め回したなんて言い
触らすなよ。病人は光り輝くアカ如来となって、姿を消した。有名な挿話であるが、こ
う書くとギャグだな。アカ(垢)如来だもん。って、アカ如来は、阿■(モンガマエに
人みっつ/本来はアシュクだが何故だかアカと振っている本がある)如来って実際に仏
教に設定されている重要な仏で、別に垢を司っているわけではない。でもまぁ、こんな
落とし噺に仕立てた方が、人々の印象に残るとの策謀だったか。で、問題の箇所は、
     ◆
后又誓曰、我親去千人垢。君臣憚之。后壮志不可沮也。既而竟九百九十九人、最後有一
人。■(ギョウニンベンに扁)体疥癩、臭気充室。后難去垢、又自思而言、今満千数、
豈避之哉。忍而■(テヘンに皆)背。病人言、我受悪病、患此瘡者久、適有良■(翳の
羽が巫)、教曰、使人吸膿、必得除癒、而世上無深悲者。故我■(サンズイに冗)■
(ヤマイダレに固)至于此。今后行無遮悲済、又孔貴之、願后有意乎。后不得已吸瘡吐
膿、自頂至踵皆遍。后語病人曰、我吮汝瘡、愼勿語人。于時病人放大光明、告曰、后去
阿■(門の中に人みっつ)仏垢、又愼勿語人。后驚而視之、妙相端厳、光耀馥郁、忽然
不見。
     ◆
である。確かに「孔」は、「はなはだ(しく/しい)」と訓んで、程度の大きい状態を
示す形容詞&副詞だ。でも、この用例は、滅多にない。例えば、光明子の部分から一人
空けて(同書は人別の伝記を羅列している)如意尼の項目では、同様の副詞として「
甚」を使っている。……やっぱり狙って使ったんだろう。「孔」はアナと訓む用例が遙
かに多い(孔子/こうし・くし/の例は人名なので除く)。しかも、このアナ、普通の
アナっていぅより、元々女性器の口を意味していたともいう。例えば古代の女性は初め
ての逢瀬で言ったかもしれない。「あな痛し」。勿論、冗談だ。……学生の頃は、別に
純情だったワケでもないが、前例に従って素直に「はなはだ」と訓んでいたが、今回読
み直して急に疑念を抱いてしまった。学生の頃よりも、読み方に余裕がでてきたせい
か、それとも単にエロオヤジに成り下がったか。
 まるで近世落とし噺の如き仏教説話を記録した坊さん、何故に稀にしか使わない「
孔」を、此処で使うかね。っていぅか、きっとアナと訓んじまった奴もいて、「甚ぐら
いにしとけよ」と言われなかったか? なぜ直さない? 写本する時に誰か直しとけ
よ。病人が非常識な図々しさで「俺の全身に口づけて膿を吸い出せ」と難題を吹っ掛け
てくる「孔(はなはだ)」しいセクシャル・ハラスメントな場面、締めの言葉が「又孔
貴之」では、如何したって、「孔(あな/ほと)」と訓じたくなってしまう。また、如
何やら高僧の性的スキャンダルを仄めかせているかもしれぬ「池尾の禅珍内供の鼻の語
(今昔物語 本朝世俗部 巻二十八 第二十)」」では、膿が溜まることと、性欲の昂
進が無関係とは思えなかった。そんなこんなを考えると、やはり権者は、交合を強制し
たのだ。

 勿論、直後に病人は、性とは無縁な如来であったことを明かし、「えぇ、さっきアナ
と訓んだ者は後で教官室に来るように」と掌を返すが如き、悪戯っぽい筆法だ。でも、
巧い。読者は強い印象を残す(アナと訓んだときのイマジネーションも共に……)。布
教も大変ですな、股間……もとい虎関師錬。光明皇后の話が出たから、玄ムにも触れよ
う。
     ◆
前略……
然ル間天皇ノ后光明皇后此ノ玄ムを貴ミ帰依シ給ケル程ニ。親ク参リ仕リテ后此レヲ寵
愛シ給ケレバ。世ノ人不吉ヌ様ニ申シ繚ケリ。其時ニ藤原ノ広継ト云フ人有ケリ。不比
等ノ大臣ノ御孫也。式部卿宇合ト云ケル人ノ子ナレバ。品モ高ク人様モ吉カリケレバ。
世ニ被用タル人ニテナム有ケル。其ノ中ニ心極テ猛クシテ。智リ有テ萬ノ事ニ達レリケ
レバ。吉備ノ大臣ヲ以テ師トシテ。文ノ道ヲ学テ身ノ才賢クシテ。朝ニ仕ヘテ右近ノ少
将ニ成ニケリ。其レガ糸只人ニモ非ザリケルニヤ。午時ヨリ上ハ王城ニ有テ右近ノ少将
トシテ公ニ仕リ。午時ヨリ下ハ鎮西ニ下テ。太宰ノ少弐トシテ府ヲ政ケレバ。世ノ人奇
異ク思合タリケリ。家ハ肥前国松浦ノ郡ニナム有ケル。常ニハ此ノ様ノミニシテ過ケル
程ニ。此ク玄ムヲ后ノ寵愛シ給フ事ヲ広継聞テ。大宰府ヨリ国解ヲ奉テ申シテ云ク。天
皇ノ后僧玄ムヲ寵愛シ給フ事。専ニ世ノ謗ト有リ。速ニ此レヲ可被止シト。天皇此ク申
シタルヲ糸便无キ事也ト思シ食テ。広継何ノ故ニカ朝政ヲ可知キ。此ノ者世ニ有テハ定
メテ国ノ為ニ悪カリナム。然レバ速ニ広継ヲ可罰キ也ト被定テ。其ノ時ニ御手代ノ東人
ニ仰セ給テ。速ニ広継ヲ罰テ奉レトテ遣シケレバ。東人宣旨ヲ奉テ鎮西ニ下ヌ。九国ノ
軍ヲ催シテ広継ヲ責メムト為ルニ。広継此ノ事ヲ聞テ大キニ嗔テ云ク。我レ公ノ御為ニ
錯ツ事无シト云ヘドモ。公横様ニ我レヲ被罰ムトス。是偏ニ僧玄ムガ讒謀也トテ。多ノ
軍ヲ調ヘ儲テ待戦フニ。御方ノ軍強クシテ広継ガ方少シ弱シ。(数字欠)持タリケリ。
其ノ龍馬ハ空ヲ翔ル事(数字欠)如シ。然レバ其ノ馬ヲ乗物トシテ。時ノ間ニ王城ニ上
リ。鎮西ニ下リ行ケル也。然レバ広継戦フト云ヘドモ。勅威ニ不勝シテ遂ニ被責ル際
ニ。広継海辺ニ出テ。其ノ龍馬ニ乗テ海ニ浮デ高麗ニ行ナムト為ルニ。龍馬前々ノ如ク
翔ル事不能ズ。其ノ時ニ広継。早ウ我ガ運尽ニケリト知テ。馬ト共ニ海ニ入テ死ヌ。其
時ニ東人責寄テ見ルニ。広継海ニ入ニケレバ家ニ不見エズ。而ル間沖ノ方ヨリ風吹テ。
広継ガ死タル身ヲ浜際ニ吹キ寄セツ。然レバ東人其頚ヲ切テ。王城ニ持上テ公ニ奉リ
ツ。其ノ後広継悪霊ト成テ。且ハ公ヲ恨奉リ。且ハ玄ムガ怨ヲ報ゼムト為ルニ。彼ノ玄
ムノ前ニ悪霊現ジタリ。赤キ衣ヲ着テ冠シタル者来テ。俄ニ玄ムヲ■(國に爪)取テ空
ニ昇ヌ。悪霊其ノ身ヲ散々ニ■(國に爪)破テ落シタリケレバ。其ノ弟子共有テ拾ヒ集
メテ葬シタリケリ。其後悪霊静ナル事无カリケレバ。天皇極ク恐サセ給テ无カリケレハ
天皇極ク恐サセ給テ吉備大臣ハ広継ガ師也。速ニ彼ノ墓ニ行テ誘ヘ可■(テヘンに毘)
キ也ト仰セ給ケレバ。吉備宣旨ヲ奉リ。西ニ行テ広継ガ墓ニシテ誘ヘ陳ジケルニ。其ノ
霊シテ吉備殆シク可被領カリケルヲ。吉備陰陽ノ道ニ極タリケル人ニテ。陰陽ノ術ヲ以
テ我ガ身ヲ怖レ无ク固メテ。懃ニ■(テヘンに毘)誘ケレバ其霊止マリニケリ。其後。
霊神ト成テ其ノ■ニ鏡明神ト申ス是也。彼ノ玄ムガ墓ハ于今奈良ニ有トナム語リ伝ヘタ
ルトヤ(今昔物語集巻第十一玄ム僧正亘唐伝法相語第六)

(天平)十八年六月丙戌(五)日、玄ム法師為太宰小弐藤原広継之亡霊、被奪其命。広
継霊者、今松浦明神也……中略……流俗相伝云、玄ム法師、太宰府観世音寺供養之日、
為其導師、乗於腰輿供養之間、俄自大虚、捉捕其身、忽然失亡。後日、其首落置于興福
寺唐院(已上)……後略(扶桑略記抜粋聖武天皇)

興福寺玄ム
釈玄ム、姓阿刀氏。従義淵学唯識。霊亀二年、奉勅入唐。謁智周法師、稟相宗深旨、唐
帝賜紫衣。天平七年、伴大使多治広成帰。以伝来経論章■(アシヘンに流のツクリ)五
千余巻及仏像等、献尚書省。八年賜封一百戸田一百畝及扶翼童子八人。九年八月、為僧
正。十八年六月、筑紫観世音寺成、ム為慶導師、乗輿入殿、忽空中捉提ム、ム騰不見。
後日、ム頭落興福寺唐院。蓋広継之霊為之也。其霊今之松浦明神也。ム之伝来経籍、救
蔵興福寺。賛曰、夫人雖有才、行不治者不為丈夫也。ム以俊才事遠遊、伝来経書数千
巻、受聖皇渥遇。豈不偉乎。世言、ム通花鳥使于藤室、故与藤氏有隙、今見遭捉身首異
処。恐其然乎。不爾者即是伝法之一高僧耳。誰敢間然、亦豈有夭乎。故吾曰、行不可不
治矣、悲哉(元享釈書巻十六力遊)
     ◆

 素直に読めば、唐・玄宗皇帝にさえ崇敬された玄ムは、帰朝して光明皇后から深く帰
依を受けた。密室(閨房)で二人きりになった。玄ムは、学識高く能弁、戒を守ってい
るなら引き締まった肉体であったろうし、やはり戒を守っていたなら溜まりまくってい
たワケでギラギラしていたかもしれない。皇后をソソったとしても不思議はない。デバ
ガメ藤原広嗣が覗くと、玄ムが皇后を犯していた。急いで皇后の夫・聖武天皇にチクっ
た。聖武帝が覗くと、【男と女】ではなく「千手観音と十一面観音」が衆生救済の方便
を語り合っていた(……そんなんアリかよ)。聖武帝は高僧を誹ったとして、広嗣を攻
めた。筑紫・太宰府近くで殺しちゃったんである。後に玄ムは筑紫に左遷され、観世音
寺を造立する。落慶法要のとき、玄ムは空中高く何者かに抓みあげられた。後に、もと
玄ムがいた興福寺唐塔へ首が落ちてきた。これは広嗣の祟りであった。
 八犬伝読者は、玉梓の如く、言い訳のしようのない者であっても、主観的に自らを正
当化すれば、祟りを為すと知っている。しかし此の場合は、如何だろう。玄ムは高僧で
前半、千手観音の権化として描かれている。玄ムは、聖武帝の証言がある故に、光明皇
后との姦通は無実とされている。にも拘わらず、広嗣の怨霊によって、手もなく虐殺さ
れる。此処で千手観音は、非常識な程に、脆弱である。……「非常識な観音」は、実は
観音ではなかったかもしれない。観音でない者が、聖武帝には観音に見えた。これは、
聖武帝がラリっていたか、騙されたかだろう。それとも行為を終え、共に満足しきった
穏やかな表情をしていた玄ム・光明皇后を、聖武帝は、「有り難い観音様みたいだ」と
思ったのだろうか。当時の高僧は呪力/霊力を持っているとされたから、何か妖かしの
術/蠱術を使い、幻覚を見せたか。僧侶は別に白魔術師ではない。怨敵を呪殺するブラ
ック・マジックも使う。幻覚を見せるぐらいは、朝飯前だろう(玄ムの場合は既に【据
え膳】を喰っているわけだが)。
 少なくとも上に引いた、今昔物語やら元亨釈書など仏教系説話集では、玄ムは姦通に
於いてクロとされている。私見では、玄ムに誑かされ広嗣を一方的に遠ざけた聖武帝に
も責任があると思うのだが、上記の仏教系説話集では、帝に累が及んでいない。それも
其の筈、聖武は、日本の仏教化を強力に推進した特別な帝だからだ。四天王護国之寺
(四天王が国を護るとの論理は八犬伝と共通ですな)とか総国分寺とか謂われる東大寺
(大仏)を建て、伊勢と並び二所宗廟とされる八幡神を仏教専属の守護神とし(大仏建
立時に何故だか宇佐八幡神が仏教守護神になることを宣言する)、全国の国々に国分
寺・国分尼寺を造る詔勅を発して仏教普及を目指した。仏教系説話集が悪口を叩けない
相手こそ、聖武帝なんである。
 だが、だいたいからして「今国別造観世音菩薩像一躯高七尺并観世音経一十巻」(続
日本紀巻十三桓武天皇天平十二年九月十五日)と詔を下したのは、広嗣闕起の二週間目
であった。翌十月十九日「朕縁有所意、今月之末暫往関東」、広嗣との思い出の詰まっ
た平城京から逃げ出すと宣言、実行する。二十九日に出発、同日、広嗣殺害の報告を受
けるが、肉体は亡んでも御霊は追い掛けてくる、聖武は逃避行を中止しなかった。恭
仁・紫香楽・難波宮を転々とし、天平十七年五月、漸く平城京に戻った。しかも此の
間、都の造営が完了せぬうち次の都を定めて移動している。じっくり計画を練り何等か
の建設的な意図を以て遷都しているのではないことが分かる。まさに「何かから逃げて
いる」態度だ。
 実は、広嗣の御霊から逃げ回った五年間のうちに、国分寺・国分尼寺および東大寺大
仏建立の詔を発している。彼の標榜した仏教による鎮護国家、其の代表的二大事業は、
まさに広嗣の怨霊を振り払おうとするかの如きタイミングで起こされているのだ。無関
係ではなかっただろう。例えば菅原道真は、自分を貶めた天皇さえ地獄に落として苛
む。聖武帝だって、逃れられない筈だ。上述の如く、仏教説話話集はオクビにも出さぬ
けれども国史を繙けば、聖武が怨霊から逃げ回っている様が浮かび上がる。……まぁ、
差し当たっては有罪判決を仏教説話集から受けた玄ムの話題に戻ろう。
 玄ムがクロならば、割を食った広嗣の相対的地位は向上する。単なる反逆者として遇
されるのではなく、一抹でも正当性を主張し得る、言い分すべてを聴かれずに恨みを呑
んで殺された「御霊(ごりょう/おんりょう)」に祭り上げられたのだ。代表的な御霊
社、例えば京の下御霊、大和秋篠寺別当八所御霊にも祀られている。いや、馬琴時代の
歳時記「増補改訂俳諧歳時記栞草」では「御霊の御出 十八日 御霊の社は上は京都の
北西にあり。下は京極大炊御門の北にあり。(雍州府志)此社始は近衛通新町にあり。
上御霊は京極の西出雲寺の北にあり。上下御霊の社毎年七月十八日御出八月十八日祭礼
あり。神輿二基也。御霊八所は崇道天王・伊与親王・吉備の聖霊・藤原大夫広嗣・藤原
夫人・橘逸勢・文屋宮田丸・火雷神也。世に火雷神を菅家の霊とする者は誤也。伝云、
御霊八所の内四所は桓武天皇の御時これを勧請す。下の四所は仁明天皇の御宇これを勧
請す」(こ七月)と、上下御霊社ともに広嗣を祭神としている。現代では菅原道真ほど
有名ではないものの、広嗣だって立派に「御霊」なのだ(栞草では道真を御霊社に配し
ていない)。そして、上掲史料を斜め読む限り玄ムは、聖武帝と結託し共同正犯として
広嗣を陥れたのではなく、聖武帝に幻覚を見せる蠱術を使ったと考えた方が、まぁ筋は
通る。そうであるならば、聖女とされる光明皇后が不倫に陥った原因も、蠱術であった
かもしれない。とは云え、実は、玄ムの破戒行為は、元々光明皇后を相手にしたもので
はなかった可能性もある。国史では、光明皇后ではなく、聖武の皇太后(簡単に言やぁ
母親)藤原宮子を誑し込んだことになっているのだ。まずは満腔の敬意を以て、続日本
紀を引こう。
     ◆
続日本紀巻十六聖武天皇天平十八年六月
己亥僧玄ム死、玄ム俗姓阿刀氏、霊亀二年入唐学問、唐天子尊ム准三品令着紫袈裟、天
平七年随大使多治比真人広成帰還。■(喪の上部にワカンムリ貝/もたらして)経論五
千余巻及諸仏像来、皇朝亦施紫袈裟着之尊為僧正、安置内道場。自是之後、栄寵稍乖沙
門之行、時人悪之、至是死於徒所、世相伝云為藤原広継霊安害
十七年……中略……○十月乙卯遣僧玄ム法師造筑紫観世音寺……後略
(巻十二聖武天皇天平九年十二月)丙寅改大倭国為大養徳国、是曰皇太夫人藤原氏(宮
子)就皇后宮見僧正玄ム法師、天皇亦幸皇后宮、皇太夫人為■(サンズイに冗)幽憂久
廃人事、自誕天皇未嘗相見、法師一看、恵然開晤、至是適与天皇相見天下莫不慶賀、即
施法師■(イトヘンに施ツクリ)一千疋絲一千絢布一千端、亦賜中宮官人六人位、各有
差、亮従五位下下道朝臣真備従五位上、少進外従五位下阿部朝臣虫麻呂従五位下、外従
▲位下文忌寸馬養外従五位上

     ◆
 流石に皇家の勅で書かれた国史には、自分チの不倫はアカラサマに書いていない。た
だ玄ムが、藤原宮子の病を治し、褒美を貰ったとのみ記している。が、これが坊さんの
書いた史書「元享釈書」になると、アカラサマだ。
     ◆

十月於大極殿講最勝王経、百僚皆集、其儀同元日、沙門道慈為講師、堅蔵読師、皇太后
藤宮子染沈痾、自誕帝曾相見、十二月、皇后光明子延玄ム法事、帝預聴、此日藤宮子在
焉、見ム師、洗然病癒、遂与帝晤、母子相喜、百僚皆喜、帝賜綿帛絲布各一千■純、書
曰与、淫萌也、ム師何不書官氏、蠱也
【淫萌左傍注。頭注是ム師与藤宮子得悪称之始也。以蠱道媚藤宮(蠱傍注)】
(元享釈書巻第二十二資治表三聖武天平九年)
     ◆

 玄ムは、呪術/蠱術を使って藤原宮子に淫を萌えさせ誑し込み、犯した。ちなみに現
代のヲタクさん達が「萌えぇ」と表現する起源が、元亨釈書まで遡るとは筆者も知らな
かったが(違うと思うぞ)、女性を萌えさせる蠱術とは、七日間断食し中指に酥蜜を塗
って三戟印を結びオン・マケイ・シツバラヤ・ソワカと唱える摩醯首羅天法か、それと
も何か媚薬を用いたのか。ちょっと知りたい気もするが、面倒だから、やっぱりいい
や。
 さて、奈良の萌え坊主・玄ムの話が続く。不倫の決定的証拠といえば、やはり子供だ
ろう。元亨釈書と同じく坊さんの書いた「扶桑略記」になると、玄ム・宮子がもうけた
不倫の子が登場する。
     ◆
(延暦)十六年丁丑正月十六日、興福寺善珠任僧正、皇太子(平城)病悩間、施般若
験、仍被抽賞。去延暦四年十月、皇太子早良親王将廃、時馳使諸寺、令修白業、于時諸
寺拒而不納。後乃到菅原寺、爰興福寺沙門善珠含悲出迎。灑涙礼仏訖之後、遙契遙言、
前世残業今来成害、此生絶讎、更勿結怨、使者還報委曲、親王憂裡為歎云、自披忍辱之
衣、不怕逆鱗之怒、其後親王亡霊屡悩於皇太子。善珠法師応請、乃祈請云、親王出都之
日、厚蒙遺教、乞用少僧之言、勿致悩乱之苦、即転読般若、説无相之理、此言未行、其
病立除、因茲昇進、遂拝僧正。為人致忠、自得其位也(已上国史)。……中略……四月
丙子(廿一)日、僧正善珠卒。年七十五。皇太子(平城)図其形像、置秋篠寺。法師、
俗姓安都宿弥京兆人也。流俗有言、僧正玄ム密通太后藤原宮子、善珠法師実是其息也
云々。善珠尋師往学、遅鈍難入、初読唯識論、反覆无数、爾乃窮三蔵之秘旨、分六宗之
通衢、大器晩成、蓋此之謂也(已上国史)……後略(扶桑略記抜粋桓武天皇)
     ◆
もう、こうなったらイーワケは出来ない。玄ムと藤原宮子が不倫していたと、けっこう
信じられていたらしい。此処は法廷ではない。ヒトが如何に思い行為していたか、馬琴
の時代に如何様な情報を提供していたかをテーマにしている。

不倫に於いて仏教説話集は玄ムをクロと推定しているが、他の文学でも同様だった。
     ◆
前略……
奈良御門の御時、左大臣不比等の孫、参議式部卿宇合の子、右近権少将兼太宰少弐藤原
広継といふ人ありけり。天平十五年十月、肥前国松浦郡にして、数万の凶賊をかたらッ
て、国家を既にあやぶめんとす。是によッて大野の東人を大将軍にて、広継追討せられ
し時、はじめて大神宮へ行幸なりけるとかや。其例とぞ聞えし。彼広継は、肥前の松浦
より都へ一日におりのぼる馬を持ッたりけり。追討せられし時も、みかたの凶賊落ちゆ
き、皆亡て後、件の馬にうち乗ッて、海中へ馳入けるとぞ聞えし。その亡霊あれて、お
そろしき事どもおほかりけるなかに、天平十六年六月十八日、筑前国御笠の郡大宰府の
観世音寺、供養ぜられける導師には、玄ム僧正とぞ聞えし。高座にのぼり、敬白の鐘う
ちならす時、俄に空かき曇、雷ちおびただ丶しう鳴ッて、玄房(ママ)の上に落ちか丶
り、その首をとッて雲のなかへぞ入にける。広継調伏したりけるゆえとぞ聞へし。
彼僧正は、吉備大臣入唐の時、あひともなッて法相宗わたしたりし人也。唐人が、玄房
といふ名をわらッて、「玄房とはかへッてほろぶといふ音あり。いか様にも、帰朝の
後、事にあふべき人なり」と相したりけるとかや。同天平十九年六月十八日、しやれか
うべに玄房といふ銘をかいて、興福寺の庭に落し、虚空に、人ならば千人ばかりが声
で、どッとわらふ事ありけり。興福寺は、法相宗の寺たるによッて也。彼僧正の弟子
共、是をとッてつかをつき、其首をおさめて、頭墓と名付て今にあり。是則広継が霊の
いたすところなり。是によッて、彼亡霊を崇られて、今、松浦の鏡の宮と号す。
嵯峨皇帝の御時は、平城の先帝、内侍のかみのす丶によッて、世をみだり給ひし時、そ
の御祈の為に、御門第三皇女有智内親王を賀茂の斎院にたてまいらせ給ひけり。是斎院
のはじめ也。朱雀院の御宇には、将門純友が兵乱によッて、八幡の臨時の祭をはじめら
る。今度もかやうの例をもッて、さまざまの御祈共はじめられけり(平家物語巻第七還
亡)

大神宮行幸の願 附広継謀叛 竝玄ム僧正の事
前略……天平十二年十月に肥後国松浦郡にて謀叛を起し、一萬人の凶賊を相語ひて、帝
を傾け奉らんと云聞え有りしかば、花洛の騒ぐ斜ならず、大野東人と申しし人を大将軍
として、官兵二萬騎を相副へられて、広継誅罰の為に下し遣されけり、又様々の御祈有
りける中に、同十一月に始めて太神宮へ行幸あり、今度其例と聞えけり、
彼の広継の謀叛を発しける故は、聖武皇帝の御宇に、玄ム僧正とて、貴き僧御座しき、
戒行全く持ちて慈悲普く及ぼし、智行兼備して済度隔なし、一天唱道国家の珍宝なり、
遣唐使吉備大臣と入唐して、五千余巻の一切経を渡し、法相唯識の法門を将来せり、皇
帝皇后深く御帰依を致し給へり、常に玉簾の内に召されて、后宮掌を合せ御座す、広継
后の宮に参り給ひたりけるに、玄ム婚遊し給へり、広継奏して申さく、玄ム、后宮を犯
し奉る。其咎尤も重しと、帝更に用ひ給はず、広継又后宮に参りたりける時、玄ム又皇
后と枕を並べて臥し給へり、重ねて奏して云く、玄ム只今皇后と席を一にし給へり、叡
覧に及ばば重科自ら露顕せんと申す、帝忍びて幸成つて、御簾の隙より叡覧あり、光明
光后は十一面観音と現じ、玄ム僧正は千手観音と顕れて、共に慈悲の御顔を並べて、同
じく済度の方便を語り給へり、皇帝弥叡信を発して御座して、広継は国家を乱すべき臣
なり、一天の国師たりたっとき僧を讒し申す条、罪科深しとて、西海の波に流されたり
ければ、怨を成して謀叛を起す、凡夫の眼前には非梵行の婚嫁と見奉れ共、賢帝の叡覧
には大悲薩■(ツチヘンに垂)の善巧方便と拝み給ふも噫貴し
彼の広継討たれて後亡霊荒れて、恐しき事共多く有りける中に、同十八年六月に太宰府
観音堂造立供養あり、玄ム僧正導師たり、高座に上つて敬白し給ひけるに、俄かに空掻
曇り雷電して、黒雲高座に巻下し、導師を取て天に騰る、次年六月に、彼の僧正の生し
き首を興福寺の南大門に落して空に咄と笑ふ声しけり、此寺は法相大乗の砌なり、此宗
は玄ム僧正の渡したれば、広継の悪霊、玄ムを怨みて、かくしけるこそ恐しけれ、此僧
正入唐の時、唐人其名を難じて云く、玄ムは還て亡ぶと云ふ音あり、日本に帰り渡つ
て、必ず事に逢ふべき人なり、只唐土に留り給へかしと云ひけれ共、故郷を恋しかりけ
れば帰朝したりけるが、斯く亡びけるこそ不思議なれ、広継の怨霊荒れて斯様に驚歎敷
事共ありければ、神と崇め奉る、今の松浦の明神と申すは是なりけり(源平盛衰記上巻
第三十)
     ◆
 厳密な裁判で玄ムが有罪か否かは、既に知る由もない。だが、後世の陪審員たちは、
如何やら玄ムが有罪で、実際に藤原宮子もしくは光明皇后と不倫関係にあったと信じて
いたらしい。「玄ム」が「還亡」に通じると、唐人が後難を予言した。観音の権化・伏
姫だったら個人は滅びても、後に里見家を隆盛に導く。伏姫が死ぬこと自体、救済の方
便であったのだろうし、第一、伏姫は殺されたのではなく、気高く死した。が、玄ムの
場合は違う。自らを圧倒的に凌ぐ超自然的な存在に、脆くも虐殺されたのだ。罪せられ
たと言い換えても良い。虐殺される予言は即ち、玄ムが聖なる観音でないことを明示し
ている。ならば広嗣は、冤罪で殺されたことになる。彼は高僧を讒言したのではなく、
聖武帝に事実を報告したまでだ(まぁ天皇の閨房を覗いた罪は残るけれども)。故に御
霊とされ、復讐の権利を強固に認められたと考えるべきだろう。

 ふと思う。日本人は「恨」が好きなのかもしれない。より精確に言えば、政治とかで
も、争いに敗れた方の(多くの場合は逆恨みかもしれないが)言い分を聴く。まぁ、勝
てば官軍、勝者の言い分は都合良く捻じ曲げられがちだから、敗者の言い分を聴いてみ
なければ確かなことは解らない。しかし、場合によっては、「判官贔屓」の範疇を越え
て、即ち単に敗者に同情するに留まらず、一緒になって勝者を攻め立てる。勝者は、完
全なる勝者たり得ず、敗者の機嫌を伺い、媚び諂わねばならぬ。勝利することは即ち、
敗者の実質的な支配を受けることを意味する……場合もある。
 有名な例としては、毎度御馴染み崇徳院がいる。保元の乱で現役天皇側に敗れ讃岐に
流されたから讃岐院(タヌキではない)と呼ばれていたが、没後十年の安元元(一一七
五)年、白峯陵が鳴動したため、「崇徳」なんて偉そうな号を贈って宥めようとした。
同時に保元の乱もう一人の張本人・男色で有名な悪左府・藤原頼長に正一位太政大臣を
贈りもした。更に建久二(一一九一)年、保元の乱に於ける勝者側であり源頼朝をして
「大天狗」と呼ばしめた後白河は病に怯え、陵のある白峰に頓証寺を建て霊を慰めよう
とした。生きながら天狗の姿となった崇徳院の御霊に、生ける大天狗・後白河院がビビ
ッちゃたんである。頓証寺建立の時、椿説弓張月よろしく、随身として源為朝像さえ添
えた。其の後、南北朝の動乱もあり、江戸幕府に掣肘された時代も挟むんだけれども、
天皇/明治政府が政権発足に当たって自ら課した義務は、崇徳院の陵を整備し、京都に
神社を建てて祀り直すことであった。
 考えてみれば、この「日本国の大魔縁」を馬琴は、「椿説弓張月」の主宰神として扱
った節がある。即ち、少なくとも弓張月世界で、崇徳院は肯定的に描かれている。それ
は民衆御馴染みの話だったし、何よりも、上記の如き明治天皇の卑屈ぶりに見られる通
り、歴代天皇のアキレス腱でもあった。勿論、崇徳院の凄まじい負のパワーは、上皇す
なわち元天皇であることを担保としている。人臣とは峻厳に聖別された存在であるから
こそ、負に転じても超越的なパワーを有するのだ。逆に言えば、天皇の存在を強く意識
するからこそ、(元)天皇が敵に回ったときの恐怖も大きくなる。峻厳に聖別されたな
んて考えず、如何でもよい存在であるなら、崇徳院の話だって「ふぅん」と聞き流せた
はずだ。明治政府の過敏な反応は、簡単に言えば、勘違い野郎どもの自意識過剰に過ぎ
ない。
 また例えば同じく馬琴の「頼豪阿闍梨怪鼠伝」は、頼豪伝説を背景としている。嫡子
を望む白河院が、三井寺の頼豪に祈祷させ、目出度く子を得た。頼豪は褒美として、戒
壇の勅許を得ようとした。戒壇とは、僧を認可する場所もしくは認可する事そのものを
指す。即ち、僧侶を認可する権限を欲しがったのだ。戒壇を受けていない僧は、公には
僧と認められず、私渡僧と呼ばれた。勝手に頭を丸めているだけなのだ。因みに、鎮護
国家の道場・東大寺を始めとして、下野の薬師寺、筑前の観世音寺が三戒壇としてあ
り、後に大乗仏教の戒壇として延暦寺が漸く認められた。次いで延暦寺のライバル(な
んてキレイなものではなく政敵か)三井寺の頼豪も、同格となるため戒壇を望んだので
ある。しかし院は、ただでさえ強力な武でいがみ合っていた延暦寺・三井寺の抗争が激
化することを恐れ、三井寺戒壇は許さなかった。頼豪は契約不履行を詰り、せっかく生
まれた皇子を呪い殺して死ぬ。どっかのモッキン・バード里見義実の如く、軽い気持ち
で褒美を遣ると言っておきながら、いざといなったら渋るヤツって、何処にでもいるも
んだ。「言の咎」である。義実の場合は、伏姫の申し出により結局は履行するが、白河
院は裏切った侭だ。権勢を誇り自分の思い通りにならぬものは三つしかないと豪語した
白河院、しかし其の三不如意が「賀茂川の水、雙六の賽、山法師、これぞ我心にかなは
ぬものと、白河院も仰ありける」(平家物語巻一願立)であった。延暦寺・三井寺など
の強大な寺社権力は、多くの僧兵だけでなく、呪力によっても支えられていた(実際に
呪いが効いたとは思わないが、恐怖心は惹起せしむる。此の恐怖心が、空虚なる権力の
実体かもしれない)。

 因みに代表的な「怨霊/御霊」は主祭神を「八所」とする傾向があって、代表的な御
霊社である京の上御霊・下御霊、大和秋篠寺鎮守の八所御霊神社がある(別に特定の人
物を取り上げる御霊社もあるし、伊予宇和島には藩主伊達家の御家騒動に絡んだ「和
霊」神社ってのもある)。上御霊・下御霊・八所御霊の祭神には異同があるが、うち二
社(下御霊・八所)に広嗣が祀られている。だいたい「御霊」は、桓武帝が自分に恨み
を持つであろう者を中核に祀ったものだが、何故だか奈良朝の広嗣も祀られているの
だ。尤も、広嗣と敵対した吉備真備は三社共通で祀られており、いや確かに中年期には
藤原仲麻呂(恵美押勝)と対立して不遇をかこつものの、晩年には返り咲いて厚遇され
ているんだから御霊になる理由が明らかではない。八所に至っては藤原不比等まで祀っ
ているが、彼は成功者だ。真備と不比等は、一緒に祀られている誰かを抑える役割を期
待されているのだろうか。例えば真備は当代の碩学と称賛された男だが、今昔物語で
は、広嗣の霊を調伏したとされている。また、政敵・藤原仲麻呂の主張によって、広嗣
の怨霊を封ずることを任務として、九州の国司(筑前・肥前)に左遷されたこともあ
る。しかし後に帰京後、恨み骨髄に徹する不倶戴天の仇・仲麻呂が反乱を起こしたと
き、鎮圧側として決定的な打撃を与える戦功を挙げた。不比等に関しては、藤原氏の祖
として、広嗣を抑える役目か。
 上御霊の祭神は、早良親王・井上内親王・他戸親王・藤原吉子・橘逸勢・文屋宮田麻
呂・菅原道真・吉備真備、下御霊が早良親王・伊予親王・藤原吉子・藤原広嗣・橘逸
勢・文屋宮田麻呂・菅原道真・吉備真備、八所が早良親王・伊予親王・藤原広嗣・藤原
不比等・橘逸勢・文屋宮田麻呂・菅原道真・吉備真備である。三社共通は、早良親王・
橘逸勢・文屋宮田麻呂・菅原道真・吉備真備の四人だが、当初の御霊(桓武天皇が貞観
五年に宮中神泉苑で行った御霊会の祭神)は、早良親王・伊予親王・藤原吉子・橘逸
勢・文屋宮田麻呂の五柱だった。他の御霊は、後に種々の事情で付加されたらしく、い
ずれも「八」を打ち止めとする。実は他の【怨霊】も配祀されたりして共に祀られてい
るのだが(近世の皇位継承事件で流罪となった者も明治期に配祀されている)、あくま
で主祭神は八柱なんである。「八」は陰の最大数、【怨】の数字でもあるらしい。
 早良親王は、桓武の弟で皇太子だったが、桓武の腹心・藤原種継暗殺事件の首謀者と
して捕らえられ、無実を訴えるハンストの末に死んだ。伊予親王は謀反の疑いで母・藤
原吉子と共に捕らえられ、毒を煽って死んだ。橘逸勢・文屋宮田麻呂は桓武の御宇、そ
れぞれ別の反逆事件に坐した。桓武が後ろめたさを感じていた相手なんだろう。また、
菅原道真は、桓武死後約百年にして憤死したのだから桓武に責任はないのだが、「怨
霊」って云ったら、やっぱり此奴は外せないのだろう。
 ところで、御霊社として大和秋篠寺別当八所御霊をも挙げたが、此の秋篠寺は光仁天
皇の勅願寺であり、伎芸天像が有名である。ふっくらとした愛らしい体型で柔らかく腰
をくねらせ笑顔を湛えている。伎芸天はシヴァ(大黒天)が踊り狂ったとき頭髪から発
した伎芸の女神(カーラ)であって、元は川の女神であった弁財天(サラスヴァーテ
ィ)とは別物ではあるが、偶々弁財天も伎芸を司っていた。両者は日本で殆ど完全に混
淆……といぅよりマイナーな伎芸天が弁財天に吸収されてしまっている。

 秋篠と云えば、西行法師の「秋しのや と山のさとや しぐるらむ いこまのたけに
雲のかかれる(秋篠や外山の里や時雨らむ生駒の岳に雲のかかれる)」(西行物語な
ど)が有名だが、八犬伝口絵には衣笠内大臣の歌が引かれているけれども、内大臣の歌
として「風吹けば竹の葉そよぐ秋篠の里も寒けき夕まぐれかな」(夫木和歌抄一三二三
七)なんて筆者は好きだ。また秋御詠「秋篠の外山の薄ほのぼのと明くる峰より下ろす
山風」も佳い(同四三八六)。「外山吹く嵐をさむみ秋篠や篠に衣を打たぬ夜はなし」
(草庵集六三〇)なんてのもある。衣笠内大臣の歌は、風から竹を持ち出しており、技
巧を感じる(しかし縁があるからと虎まで持ち出せば、歌ではなく大衆小説になってし
まう)。清少納言は「秋は夕暮」と云ってはいるが、確かに秋の夕暮れは佳いんだけれ
ども、風吹く野辺の寂寥感こそ、あはれ、だろう。秋は夕風、である。
 また風の句としては、夭逝した美少年歌人・藤原義孝の「秋はなを 夕まぐれこそ 
ただならね 荻の上風 萩の下露」(和漢朗詠集)ってのもあるな。風が上を荒び通れ
ば、密生した荻/篠薄は、まるで波のようにうねる。風そのものの【形】を見せる。ま
た視覚的効果だけではなく、荻の靡き擦れ合う音は、寒々とした寂寥感を、いやます。
対して風の通らぬ萩の根元、日格差の大きい秋ならではの夕露、下露は、やはり秋らし
い。人恋しい秋の夕暮れ、荒む表情に隠した「下露」、何だか艶っぽくもある。秀句で
ある。そういえば、八犬伝、両国河原で薬を売っていた相撲取り崩れの名は、「荻野上
風」と弟子「下露」であった。やはり、秋は夕風、だ。しかし関取の「谷風」なら知っ
ているが、「上風」なんて聞いたことがない。稲戸津守の若党・荻野井三郎は荘介・小
文吾・毛野と縁ある登場人物で、荘介・小文吾が津守に捕らえられたとき、次団太とも
接触があったとは思うが、恐らく関係がない。荻野五九郎泰儀なる武士も登場するが、
敵方・長尾景春の家臣だ。此処は「曳手」が柿本人麿の「ふすま道を ひくての山に妹
を置きて 山道を行けば 生けりともなし」(万葉集巻二)を通じて変名「臥間」に変
換されたと考えられる(「火の玉! 音楽一家」)と同様に、歌による遊技的連想だろ
う。因みに、女重宝記(元禄五・艸田寸木子)に「笛竹とは、ひとよの契りなり」(巻
五新大和言葉并物の唐名)とあることを急ぎ付け加えて、次回へ。お粗末様。




#369/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:49  (202)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「反逆者への未練と恐怖」 久作
★内容
 前回は「秋篠」に就いて語っているうち次団太の話題に飛び火した。「秋篠」に立ち
返ろう。現代では宮家の名ともなっているが、続日本紀にも現れる由緒正しい姓だ。巻
三十八桓武天皇延暦四年八月「癸亥朔、右京人土師宿祢淡海其姉諸主等、改本姓賜秋篠
宿祢」、平和そうだが此の翌月、藤原種継が射殺されている。三週間前に死んだ大伴家
持は暗殺に関わったとして遺体を葬ることを許されていない。宮中が激動していた時期
だ。土師氏は菅原道真の一族で、相撲の創始者の家柄だ。延暦九年十二月「辛酉(三十
日)勅外従五位下菅原宿祢道長秋篠宿祢安人等並賜朝臣、又正六位上土師宿祢諸士等賜
大枝朝臣、其土師氏惣有四腹、中宮母家者是毛受腹也。故毛受腹者賜大枝朝臣、自余三
腹者或従秋篠朝臣或属菅原朝臣」十年春正月戊辰(七日)「外従五位下菅原朝臣道長秋
篠朝臣安人……中略……並従五位下」と、順調に出世している。続く日本後紀では巻二
十二嵯峨天皇弘仁三年六月壬子(二十六日)左京人従五位下秋篠朝臣上子・秋篠朝臣清
子・右京人従五位下秋篠朝臣室成・従七位上秋篠朝臣宅成等、賜姓御井朝臣」とあり、
土師から菅原・秋篠・大枝と枝分かれし、秋篠から御井なる姓も出たことが分かる。一
般に「御井」姓の者には「井」を称する者もいたらしい。全く別系統の藤原姓「井」が
遠江にいて、此処から「井伊」(江戸幕府重臣で幕末に大老直弼を出す)なんてのも派
生した。結城法会に於いて、信濃の井丹三が娘・信乃の母親は、「藤原氏諱は手束」と
されている。近世の名族・遠江井伊家に連なるかもしれない。井伊は伊井と通じてい
る。
 が、信濃に着目すれば、以下の記述が日本後紀巻八桓武天皇にある。即ち、延暦十八
年十二月癸酉(四日)「信濃人外従六位下掛婁真老・後部黒足・前部黒麻呂・前部佐根
人・下部奈弖麻呂・前部秋足・小県郡人・無位上部豊人・下部文代・高麗家継・前部貞
麻呂・上部色布知等言、己等先高麗人也、小治田飛鳥二朝庭時節帰化来朝、自爾以還累
世平民未改本号、伏望依天平勝宝九歳四月四日、勅大姓者賜真老等姓須々岐、黒足等姓
豊岡、黒麻呂姓村上、秋足等姓篠井、豊人等姓玉川、文代等姓清岡、家継等姓御井、貞
麻呂姓朝治、色布知姓玉井」。桓武帝の母・高野新笠は帰化人の家系であった。桓武紀
には他にも帰化人が日本風の姓を賜る記述がある。上記に拠れば、手束、帰化人系の井
氏を出自としているかもしれない。

 しかし思い出してみれば、「秋篠」の前は玄ムに就いて語っていたのだ。玄ムの話か
ら遠回りしてきたが、玄ムを語ったならば、相方の藤原広嗣に就いても語らねばならぬ
だろう。次に広嗣の乱を紹介する「怪僧玄ム」「寂寥たる復讐」でも仏教説話集から既
に概略は紹介したので、国史から、ややディテールを引く。まずは続日本紀巻十三聖武
天皇天平十二年である。
     ◆
(秋八月)癸未(二十九日)大宰少弐従五位下藤原朝臣広嗣上表指時政之得失陳天地之
災異因以除僧正玄ム法師右衛士督従五位上下道朝臣真備為言〇九月丁亥(三日)広嗣遂
起兵反 勅以従四位上大野朝臣東人為大将軍、従五位上紀朝臣飯麻呂副将軍、軍監軍曹
各四人、挑発東海東山山陰山陽南海五道軍一万七千人、委東人等持節討之……中略……
〇己丑(五日)勅従五位上佐伯宿祢常人従五位下阿部朝臣虫麻呂等亦発遣任用軍事……
中略……〇乙未(十一日)遣治部卿従四位上三原王等奉幣帛干伊勢大神宮〇己亥(十五
日)勅四畿七道諸国曰。比来縁筑紫境有不軌之臣命軍討伐願依聖祐欲安百姓故今国別造
観世音菩薩像一躯高七尺并写観世音経一十巻……中略……
     ◆

 続く「戊申(二十四日)」条から戦闘の概略が伝えられるようになる。そして「癸丑
(二十九日)」条には、
     ◆
前略……勅筑紫府管内諸国官人百姓等曰、逆人広嗣小来凶悪長益詐奸、其父故式部卿常
欲除棄、朕不能許掩蔵至今、比在京中讒乱親族故令遷遠、冀其改心今聞擅為狂逆擾乱人
民、不孝不忠違天背地、神明所棄滅在朝夕前已前……中略……勅符数十條散擲諸国、百
姓見者早宜承知如有人雖本与広嗣同心起謀、今能改心悔過斬殺広嗣而息百姓者白丁賜五
位已上官人随等加給……後略
     ◆

 まずは広嗣は幼少期から悪人で藤原一族から孤立、排除されそうになった所を聖武自
身が庇護したと云って、藤原一族に累を及ぼさないことを宣言している。藤原氏から聖
武への圧力があったと感じられる。そして広嗣が京で讒言(玄ムと藤原光明子の不倫
か)し一族を混乱させたため太宰府に左遷したが、悔い改めることを期待してのことだ
ったと語る(歯が浮かんか?)。此の部分は、広嗣を以前は庇護したと云っていること
と併せ、人民一般への布告ってより、何だか広嗣個人に対するイーワケに聞こえる。お
為ごかしだ。広嗣から完全な憎悪を受けたくないとの、脆弱なる性根が透かし見えるの
だ。仏教帝王を標榜する聖武にとって玄ムは手放したくないアイテムであったろう。だ
からこそ、玄ムと敵対する広嗣を棄てたんだろぉが、広嗣に対しても、善い顔を見せた
がっているようにしか思えないのだ。此のことは同時に、広嗣への未練もしくは後ろめ
たさがあることを意味していよう。そして一方、朝廷へ矛を向けた九州の人民・豪族に
対し、広嗣を殺せば、一般人でも五位以上の官を与えると唆している。何だか卑怯な言
い方だな。しかも褒美が、いきなり五位以上の叙位って、あんた、太宰少弐として、こ
れだけ聖武を恐怖せしめた反乱を起こす広嗣が従五位下、聖武の寵を受け中央で朝廷を
牛耳ってる真備が従五位上である。三位以上ほどでないにせよ、五位以上は各種特権が
認められた貴族であり、朝政の中核を為す上級実務官僚であって、遣りように依っちゃ
強大な力を持ち得た。多大な褒美は裏返せば、広嗣に対する恐怖の大きさ深さを意味し
ていよう。

 さて「冬十月戊午(五日)」条には、広嗣の敗北が決定付けられた場面が描写されて
いる。板■(キヘンに貴)河を挟んで、広嗣率いる一万騎(西岸)と官軍(東岸)六千
人が対峙する。まず官軍は、九州出身者を前面に立て、広嗣軍に呼び掛けさせる。「随
逆人広嗣拒捍官軍者非直滅其身罪及妻子親族者」。脅しだ。これで広嗣軍の兵は、矢を
射かけてこなくなる。勅使常人は広嗣に出てこいと十度呼ばわる。暫く答えがなかった
が、遂に広嗣が乗馬して現れる。すぐに出てこなかったとは、何か考えていたらしい。
「承勅使到来其勅使為誰」(勅使が来ていると云うが、其れは誰か、本物なのか)。常
人と安倍大夫が名乗る。「広嗣云、而今知勅使、即下馬両段再拝申云、広嗣不敢捍朝命
但請朝廷乱二人耳」」(広嗣は今初めて勅使が来ていると知ったと云って馬を下り再拝
する。続けて、自分は朝廷に背く気は全く持たず、ただ二人の乱臣を除きたいだけだと
陳べた)。
 即ち広嗣は、改めて自分には朝廷への敵意は全く無く玄ムと真備を除くことだけが目
的だと言い募る。前の勅符を当然見ていた筈の広嗣は、聖武が自分に未練を持っている
と感じ取ったのか、聖武への変わらぬ忠誠を強調し、或いは勅使が恭順の意を示した場
合の特例を言い含められてはいないかと、賭けたのかもしれない。しかし常人は、耳を
貸さない。「為賜勅符喚大宰典已上何故発兵押来」(九州に布告する勅符を与えるため
既に太宰府の典以上を召喚している。朝廷に背いていないならば、太宰府少弐の役目は
全うしている筈であり、即ち勅使が来ていることを知らぬとは云わせない。此処に於い
て問う、何故、勅使に向かい兵を率いて押し寄せたか)。広嗣は答えられず、馬に乗り
隠れ去った。広嗣軍はバラバラと投降していく。色々あって、広嗣は十月二十九日に捕
らえられる(十一月五日条)。
     ◆
広嗣之船従知駕嶋発得東風往四ケ日行見嶋、船上人云是■(身に沈のツクリ)羅嶋也、
于時東風猶扇船留海中不肯進行漂蕩已経一日一夜、而西風卒起更起還船、於是広嗣自捧
駅鈴一口云、我是大忠臣也神霊棄我哉乞頼神力風波暫静、以鈴投海、然猶風波弥甚遂着
等保知駕嶋色都嶋矣
     ◆

 船で逃げた当初は風向き良く東へ向かう。四日にして島が見えるが、風は東に吹いて
いるのに何故だか船が進まなくなる。漂うこと一昼夜、卒然として西風が起こり、船を
元来た方向、官軍が待ち受ける浜へと押し戻し始める。広嗣は一口の駅鈴を捧げ持ち、
稲村ケ崎の新田義貞よろしく、「自分は大忠臣である。それなのに、神霊よ、我を見棄
てるのか。神力で風波を暫くでよいから静めてくれ」。鈴を海に投げ入れる。が、西風
は更に激しく吹き荒れた。広嗣の船は、とうとう官軍の待ち受ける島へと着岸してしま
う。
 そして、十一月朔日、斬られた(同日条)。

 何だか広嗣、「駅鈴」を投げたら障害が除去され前進できると思ったらしい。「駅
鈴」とは……鈴なんであるが、唯一の例を除いて現存していない。馬琴の時代にも同様
だった筈だ。「駅鈴」は大化改新詔勅にも見られるが、律令制で確立した駅制で用いら
れたものだ。公使の証であり、此の鈴を駅で見せれば食料と換え馬を与えられた。駅か
ら駅へと繋いで旅を続けた。駅は原則として三十里(近世の四乃至五里)に一つほどの
基準で、街道に設けられていた。付近住民が維持・運営を負担した。
 なんだ、そんなモン、と云う勿れ。逓信は国家の枢要であり、詳細な情報は人間なり
何なりが物理的に移動するしか伝達手段がない時代だ。速度のみから云えば最速は烽火
だが、至極単純で限られた情報しか伝えられない。馬で飛ばして伝達するしかない。駅
制は、急使のリレーを保障する高速通信網であった。例えば、京で反乱が起きたとす
る。反乱側が逸早く諸国に偽の詔勅を飛ばし、自分の敵が賊軍であると伝えて兵を招集
すれば、如何なるか。それだけに駅鈴は厳重に管理されていた。管理責任者は中務省の
大主鈴(正七位下)・少主鈴(正八位上)で軽輩の役ではあったが、延喜式巻十二(中
務省)には、「主鈴 凡下諸国公文、少納言奏請印状、訖主鈴印之、但勅符并位記、少
納言印之 凡行幸従駕内印、并駅鈴伝符等、皆納漆■(タケカンムリに鹿)子、主鈴与
少納言共預供奉、其駄者左右馬寮充之……後略」また令集解巻三(職員令中務省)には
「大主鈴二人(掌出納/讃云出納其実耳/鈴印傳符/古記云少納言率主鈴等請進也則卿
輔等請進時并事緒相知耳/飛駅函鈴事)少主鈴二人(掌同大主鈴)」とあって、かなり
の要職で且つ行幸の時にも駅鈴は天皇の傍らにあり急用に応じようとしていたことが解
る。大少四人の主鈴が少納言指揮下で駅鈴の保管・使用を司っていた。少納言は、まぁ
現在の官房長官みたいなものか。
 また令集解巻三十四(公式令)では駅鈴の運用上規則が明らかにされている。
     ◆
前略……凡行公文、皆印事状物数及年月日并署継処鈴傳符尅数、凡給駅傳馬、皆依鈴傳
符尅数(穴云給駅傳馬者、未知何人乗傳馬。答厩牧令云公使須乗駅及傳馬、又云官人乗
傳馬出使者即知公使所乗也、但事急者乗駅、事緩者乗傳馬、宜応云耳。問傳馬行程。答
師云准馬七十里條/跡云同之/朱云。問傳馬行程何若准駅里如行不何。答依下條馬日七
十里者准此等可行耳者私未明何者下條為長行馬立程故未知何額亦同貞説也、此問答亦同
也、下立行程條見耳而何)事速者一日十駅以上、事緩者八駅(穴云私事速謂尋常駅尚有
速、緩致怠者程一日笞三十何者注量事緩急日有行程之文在笞三十之下故、若軍機要速者
加三等、謂為飛駅耳。私云可勘。師云雖曰馳駅若為軍機要速者是也。朱云事速者一日十
駅以上、謂往還並同也、此馳駅也、凡飛駅者毎駅代人馬往不見行程也、事速与事緩、雖
有行程別於駅使稽程罪無別也、見職制律者。問往時稽与還時稽有罪別不何可律案耳何
歟)還日事緩者六駅以下(謂四駅以上依文二駅為差故也。釈云以下謂四駅以上案本令知
也。古記云注云六駅以下謂四駅以上。跡云六駅以下謂四駅以上。唐令馬日七十里乗駅馬
四駅故也。穴云六駅已下者四駅以上諸読者同之)親王(古記云問親王未知有品無品同
不。答同跡云親王謂凡余條親王不云品者有品無品皆無別也)及一位駅鈴十尅、傳符三十
尅、三位以上駅鈴八尅傳符二十尅、四位駅鈴六尅傳符十二尅、五位駅鈴五尅傳符十尅、
八位以上駅鈴三尅傳符四尅、初位以下駅鈴二尅傳符三尅(朱云初位以下者未知以下限者
何。答無位若白丁並同無別者古記。問駅使有長官主典者未知給駅数。答随位増減也)皆
数外別給駅子一人(謂駅子駅馬為先行者凡駅家者人馬必相従故雖文不云人馬共給也。文
云駅子不云傳子即明数外亦不可給傳子也。問文云駅家不云傳子若員内傳馬亦必毎馬無人
哉。答私案一端云駅家歟如是記者傳子必相従歟抑可求故雖文不云人馬共給也。文云駅人
哉。答私案一端云駅子不言傳子即明数外亦不可給傳子也、釈云数外別給駅子一人、唐令
駅子者駅馬引導駅家一人耳、何者駅使鞍具宿具及束身調度一事以上駅家准擬故除駅子外
更無従人、此問駅使除飲食外一事以上例必随身、是以称駅子者馬一疋并子一人、彼此駅
子文同意殊耳、一云文称駅子一人即知人也、文称皆字故知傳子亦給一人耳、古記云。問
皆数外別給駅子一人未知駅子馬歟人歟又傳若為処分。答有馬而人従故称駅子又傳者別不
給本令別給駅子謂引導之人此間作駄跡云駅子謂傳駅各馬人一人也給馬謂馬人是也、朱云
給駅子一人傳子不給者額同也、穴云数外別給駅子一人謂為駄馬所充也、其於傳馬数外更
不給為充数駄故也、古私記亦同也。問文云給駅子一人者未知因何給馬読之意。答文云親
王及一位若干初位以上各有等差今此云数外別給駅子一人者然則明知初位以上所給之馬外
別給馬人也、但一端文称駅子一人案條旨可知耳)其六位以下随事増減不必限数(略)其
駅鈴傳符還到二日之内送納(前略……釈云還謂詣於京也、是職制律用駅鈴事訖応輸納而
稽留者一日笞五十、十日徒一年傳符減三等是也、到謂指所之国也、擅興律其駅鈴違限不
納者笞四十傳不現二等是……後略)凡諸国給鈴者(略)太宰府二十口(謂管内諸国亦国
別皆給也……後略)三関及陸奥国各四口、大上国三口、中下国二口。其三関国各給関契
(略)二枚、並長官執無次官執(略)凡車駕巡幸、京師(略)留守官給鈴契(略)
     ◆

 即ち、まず公文書には年月日やら署名などアリキタリの書式に加えて使者の持参する
駅鈴に就いての記述も必要だった。駅鈴には「尅」が入れられる。これは使者が使用す
る駅馬の数を規定したもので、使用する駅馬数は、身分に比例する。高位の者の方が多
く、高位であれば事の重大さを示すことにもなる。駅馬を使用すること自体、使者の緊
急性を示している。また、文書への尅数記述は、使者が使用馬数を誤魔化さぬため確認
する意味もあろう。駅は周辺住民の負担で維持されていたから、おいそれと使うべきも
のではない。緊急度に応じて、使者の速度は二つに分かれる。「急」とされたら日に十
駅以上の速度。原則として三十里に一駅だから一日二百キロ程度、「緩」とされても八
駅の行程。怠けたら鞭打ちの刑だが、緊急軍事行動の場合は罰則も強化される。帰りは
少し遅くて良い。「緩」の場合は日に四駅以上六駅以下の速度とされた。無品であろう
と親王であれば若しくは一位の者は十尅、三位以上なら八尅、四位は六尅、五位なら五
尅と、身分により異なる尅数の駅鈴が天皇から貸与された。使者は帰京後二日以内に駅
鈴を返さなければならない。更に、駅鈴は地方にも置かれた。朝鮮半島および中国大陸
に向き合っている太宰府は二十もの駅鈴を預かり緊急の用に備えた。京都防衛上重要な
三関と殆ど【外国】である陸奥には四つの駅鈴を配した。緊急連絡は外交・対外戦争で
最も多用すると想定していたのだろう。大国・中国で三、小国・下国で二口である。広
嗣は、太宰府に割り当てられた二十口のうち一つを海に投じたことになる。

 ことほど左様に厳重に管理された「駅鈴」は、単に公使の身分を証明する事務的なア
イテムではなくなっていたのだろう。(自分に都合の良い)情報を最も速く伝達するこ
とは、天皇の特権であったと窺える。そして天皇の意思は、完全に実現されなければな
らない。国家といっても政府は極小で、治安管理も京など極めて狭い地域だけなら、ま
だしも或る程度は維持できたであろうが、一歩山林に踏み込めば海に漕ぎ出せば、其処
は無法地帯。国家意思なぞ全国に十分浸透する筈のない時代にあって、それでも貫徹す
るためには、不可思議な力が必要であった。事務的に身分を証明するだけでなく、途中
の障害をも遠ざける呪術的アイテムだと説明されねばならぬだろう(まぁ実際、筆者が
山賊であっても、高速で移動する武装した騎士の一隊を好んで襲うことはしないだろう
が)。そうでなくては、広嗣が駅ならぬ海上、しかも風波相手に「駅鈴」を持ち出した
理由が解らなくなる。

 此処で又、お定まりの制限行数である。鈴屋主人本居宣長ならず筆者も、鈴フェチに
なった疑いがある。鈴の話は、まだ続く。(お粗末様)




#370/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:49  (202)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「鈴々乱々」 久作
★内容
 鈴の話である。駅鈴は公使の身分証明であると書いた。律令に於いて、公使は軍事に
も関わり、いや軍事こそ最も急を要するため、関係公使が遅滞した場合の罰則が重くな
ることを紹介した。朝廷が急襲せねばならぬ相手は、国外の敵か反乱軍である。故に朝
敵追討の場合にも、駅鈴が下された。源平盛衰記巻二十三、タイトルがモロに「朝敵追
討例附駅路鈴事」である。
     ◆
同廿二日に追討使官符を帯して福原の新都を立。大将軍三人の内、権亮少将維盛朝臣
は、平将軍より九代、正盛より五代、大相国の嫡孫重盛の一男なれば、平家嫡々の正統
也。今凶徒の逆乱を成に依て、大将軍に被撰たり。薩摩守忠度は入道の舎弟也、熊野よ
り生立て心猛者と聞ゆ。古郡より可相具と沙汰あり。参河守知度は入道の乙子也。侍に
は上総介忠清を始として、伊藤有官無官、惣而五万余騎とぞ聞えける。長井斎藤別当真
盛は、東国の案内者とて先陣をたぶ。抑朝敵追討のために、外土へ向ふ先例を尋に、大
将軍先参代して節刀を給るに、宸儀は南殿に出御し、近衛司は階下に陣を引、内弁外弁
の公卿参列して中儀の節会を被行。大将軍副将軍、各礼儀を正しくして是を給る。され
ども承平天慶之前蹤、年久して難准とて、今度は堀川院御宇嘉承二年十二月に、因幡守
平正盛が、前対馬守源義親を追討の為に出雲国へ発向せし例とぞ聞えし。鈴ばかりを給
て、革袋に入て、人の頸に懸たりけるとかや。朱雀院の御宇承平年中に、武蔵権守平将
門が、下総国相馬郡に居住して八箇国を押領し、自平親王と称して都へ責上、帝位を傾
奉らんと云謀叛を思立聞有ければ、花洛の騒不斜。依之天台山当時の貫首、法性坊大僧
都尊意蒙勅命、延暦寺の講堂にして、承平二年二月に、将門調伏の為に不動安鎮の法を
修す。加之諸寺の諸僧に仰て、降伏の祈誓怠らず、又追討使を被下けり。今の維盛先祖
平貞盛無官にして上平太と云けるが、兵の聞え有けるに依て被仰下けり。貞盛宣旨を蒙
て、例ある事なれば節刀を給り鈴を給り、大将軍の礼義振舞て、弓場殿の南の小戸より
罷出、ゆ丶しくぞ見えし。大将軍は貞盛、副将軍は宇治民部卿忠文、刑部大輔藤原忠
舒、右京亮藤原国幹、大監物平清基、散位源就国、散位源経基等相従て東国へ発向す。
貞盛已下の勇士東路に打向ひはるばると下けり。道すがら様々やさしき事も猛事も哀な
る事も有ける中に、駿河国富士の麓野、浮島原を前に当て、清見関に宿けり。此関の有
様、右を望ば海水広く湛て、眼雲の浪に迷、左を顧れば長山聳連て、耳松風に冷じ。身
をそばめて行、足を峙て歩む、釣する海人の、通夜浪に消ざる篝火、世渡人の習とて、
浮ぬ沈ぬ漕けるを、軍監清原の滋藤と云者、副将軍民部卿忠文に伴て下けるが、此形勢
を見て、

  漁舟火影冷焼波、駅路鈴声夜過山

と云唐歌を詠じければ、折から優に聞えつ丶、皆人涙を流けり。

漁舟とは、すなどりする船なり。火の影は、彼舟には篝の火をたけば、諸の魚の集りて
とらるゝ也。冷焼波とは、水にうつろふ篝の火の、波をやく様に見ゆる也。駅路とは旅
の宿なり。鈴の声とは、大国には馬に鈴を付て仕へば、よもすがら旅の馬山を過ける
を、かく云ける也。貞盛朝敵追討の蒙宣旨、凶徒降伏の鈴を給り、此関に宿たる折節、
釣する海人が篝を焼て魚をとる有様(ありさま)思知られければ、かく詠じけるにこ
そ。
     ◆

 同様の話が「平家物語」(巻五富士川)にもあって、かなり簡略である。
     ◆
昔は朝敵を平げに外土へ向ふ將軍は、先參内して節刀を賜る。宸儀南殿に出御して、近
衞階下に陣を引き、内辨外辨の公卿參列して、中儀の節會を行はる。大將軍副將軍各禮
儀を正うして、是を給はる。承平天慶の蹤跡も、年久う成て准へ難しとて、今度は讃岐
守正盛が、前對馬守源義親追討の爲に、出雲國へ下向せし例とて、鈴ばかり賜て、皮の
袋に入て、雜色が頸に懸させてぞ下られける。古朝敵を滅さんとて、都をいづる將軍
は、三つの存知有り。節刀を賜はる日家を忘れ、家をいづるとて妻子を忘れ、戰場にし
て敵に鬪ふ時身を忘る。さ れば今の平氏の大將軍維盛忠度も、定てか樣の事をば存知せ
られたりけん。あはれなりし事共也。
     ◆

 対関東管領戦に於いて犬士たちは「防禦使」の証として里見義成から、おのおの大刀
を与えられる。源平盛衰記や平家物語の「節刀」に相当する。また此の時、一人だけ上
洛していた親兵衛の節刀は信乃が預かっている。且つ、京から安房へ帰るとき、親兵衛
は室町管領細川政元から駅鈴一口を貸与されている(程なく秋篠広当を通じて返却)。
盛衰記や平家の記述からは、節刀もしくは駅鈴が討伐使の身分証明すなわち所持者が【
正当な武力行使者】として天皇権威に依り公認されているということだ。政元が親兵衛
に駅鈴を貸与した動機は後に考えるとして、一時でも親兵衛に駅鈴が渡ったことは、正
当なる武力行使者として親兵衛ひいては里見側が認定された(わけではないが必要なア
イテムを手にしたとの意味でイメージ上の正当性を獲得した)ことを、示している。
 駅鈴が纏う権威に就いて、より判然たる事件が国史に記述されている。広嗣が敵視し
た吉備真備の挿話である。続日本紀巻二十五淳仁天皇天平宝字八年九月、
     ◆
乙巳(十一日)太師藤原恵美朝臣押勝逆謀頗泄、高野天皇遣少納言山村王収中宮鈴印、
押勝聞之令其男訓儒麻呂等激而奪之、天皇遣授刀少尉坂上刈田麻呂将曹牡鹿嶋足等射而
殺之、押勝又遣中衛将監矢田部老被甲騎馬且劫詔使授紀船守亦射殺之、勅曰太師正一位
藤原恵美朝臣押勝并子孫起兵作逆仍解免官位并除藤原姓字已畢其職分功封等雑物宜悉収
之、即遣使固守三関……中略……授……中略……正四位下吉備朝臣真備従三位……中略
……正六位上坂上忌寸苅田麻呂外従五位下……中略……弓削宿祢浄人賜姓弓削御浄朝臣
……中略……坂上忌寸苅田麻呂坂上大忌寸、是夜押勝走近江、官軍追付
(壬子/十八日)時道鏡常侍禁腋被寵愛、押勝患之懐不自安、乃諷高野天皇為都督掌兵
自衛准拠諸国試武之法管内兵士毎国廿人五日為番集都督衙簡閲武芸奏聞畢後私益其数用
太政官印而行下之、大外記高丘比良麻呂懼禍及己奏密其事、及収中宮鈴印、遂起兵反、
其夜相招党与遁自宇治奔拠近江
     ◆

 高野(称徳/孝謙)天皇の寵愛が、自分から道鏡へと移っていると感じた藤原恵美押
勝は、遂に反乱を起こす。察知した孝謙が少納言に命じて鈴印を収容する。此を聞いた
押勝が少納言を襲わせ鈴印を奪う。が、孝徳側は名誉の武人・坂上苅田麻呂たちを差し
向け簒奪者を射殺する。押勝は次なる武人を派遣するが、返り討ちにされる……要する
に「鈴印」を奪い合っているのである。漸く鈴印を保全した孝謙は、押勝の称号・恵美
朝臣を剥奪、財産を没収すると宣言した。いや、引用した続日本紀の巻数を見て明らか
な如く、孝謙は「高野天皇」と名乗ってはいるが、「天皇」ではない。天皇は、あくま
で淳仁だ。故に当初は上皇と重臣の私闘なんであるが、「鈴印」を確保した途端に、孝
謙は押勝を賊と決め付け罰することが可能となった。「鈴印」こそが正当性の証、即ち
天皇の証。故に「鈴印」は、天皇の意思とは無関係に、天皇と同じ価値を持つのだ。一
方、鈴印を奪取できなかった押勝は、賊として近江に遁走せねばならなくなる。広嗣が
乱を起こした後、長らく押勝に冷や飯を食わされていた真備は、此の戦いで、押勝軍の
進路を予見し挟撃、致命的打撃を与える。雪辱である。則ち、(駅)鈴には天皇(を守
護する)霊が宿っているため、公使が任務を遂行するに当たって守護を与えるのだ。こ
う考えると広嗣が、自分の退路を拓くことを神に祈り、逆巻く波へ駅鈴を放り込んだ意
味も解る。

 ところで孝謙の改名癖は有名で、自分の思い通りにならない和気清麻呂を「穢麻呂
」、姉の和気広虫を「狭虫」と改名させたりしている。自分の嫌いな清麻呂が、そんな
綺麗な名前では許せなかったのだ。広虫→狭虫も貶めた積もりだろう。……が、そりゃ
まぁ「道鏡よ それは膝かと上皇(孝謙)云ぃ」と膝の入った彼女なら、確かに広かっ
たろうけれども、自分が広いからって、広いのが偉いとは限らない。男によっては、狭
い方に価値を置く場合もあろう。また上記でも、藤原仲麻呂から「恵美押勝」の名を剥
奪しているが、此も元々彼を寵愛していた頃に自分が与えたものだ。「恵美」は美称だ
ろうから「押勝」が孝謙のイメージだろう。政敵に「押し出しで勝つ」頼もしさを云っ
たか、それとも自分を「押して勝(しの/凌)ぐ(押し倒す)」相手すなわち愛人を意
味していたか。此も立派な「名詮自性」だ。己の内的世界に世界を従属させようとする
勘違い女(男もだが)は何処にでもいるものだ。

 八犬伝に話を戻せば、親兵衛が逢坂・坂本の二関を破り大津を押し通ろうとした時、
変態管領政元が追い付く(第百四十八回)。画に戻った虎を携えている。親兵衛の虎退
治が実証される。白紙に戻った画から奇音が発したために改めて見たのだ(こう書くと
妙椿狸が偽造した恋文を其の場で焼いた里見義成の短慮が際立つが……此も愛娘を想う
心か←インセストぢゃないだろな)。政元は代四郎・直塚紀二六にも対面し特に誉める
が、挿絵が傑作だ。紀二六は政元を穏やかに見詰めているが、代四郎は目も遣らず正面
(読者方向)を向き、左右の目の高さがズレている不動明王忿怒の形相なのだ。「ふん
ぬぅぅぅ。此奴だけは許さん。儂の可愛い親兵衛の操を、よくも、よくもぉぉ」との表
情なのである。
 ライバル代四郎を誉めるなんて、柄にもない所を見せた政元であったが、調子に乗っ
たか、トンデモナイことをする。いや、甘い顔を見せた親兵衛を押し倒したとかではな
く、「左ても右ても余波は竭ねど又留るに由もなし」といひつ丶腰なる錦の嚢の緒を緩
め拿出して「やよ親兵衛、これは是、官府の急逓脚に用ひらる丶駅路の鈴、即是なり。
我毎に外に出る日は必是を腰に佩て火急の公用に充るのみ。然ば五畿七道に配当して其
数才に十二あり。一箇も是を私に用ひかたき至宝なれども今不用意にして和郎を送れば
餞別に做すべき東西なし。則これを和郎に貸さん……中略……この駅鈴を佩たる者は則
諚使に準ぜらる。こ丶をもて那関令等が抑留せざるを恒例とす。和郎是をもて去向なる
其地の関令們に示しなば路次の凝滞あるばけらず」。親兵衛を掘れたとの確証こそない
ものの親兵衛に惚れた政元は、良いところを見せようとしたのだが、此の公私混同が彼
の悪役たる所以だ。
 政元と別れた翌日未下刻、親兵衛一行は石薬師村を通る(第百四十九回)。勅使・秋
篠将曹広当が追い付き、臨時の除目を伝達する。承知するようにと責める広当だが、親
兵衛は泣きじゃくりながら拒む。広当は加えて、駅鈴を返すように言う。
     ◆
東海道は伊勢尾張を除くの外、皆是京家の適地なり。縦駅鈴をもてするとも我恐らく尚
饒さざる所あらむ。且其駅鈴は朝廷より室町殿へ管給ひし其数則十二あり。一も欠べか
らざる至宝なるに、政元主私して一箇を和殿に貸たりとも帰東の後、早く還さずは其罪
和殿の上にあらん。
     ◆

 そして翌日、京に帰った広当は朝廷に復命、親兵衛が除目を拒んだと宣旨を返却す
る。室町将軍へも御教書を返す。同日、広当は政元にも対面し、親兵衛からだと駅鈴を
戻す。自分の教示によったとは言わず、「犬江が遠慮寔に以あり。第一相公のおん為な
れば在下則受拿て他に代りて返上す」と惚けて差し出す。政元は「苦咲して『其はよく
心つきたり』といひつ丶軈て受拿て嚢を啓き得と見て紐を締びて腰に吊けり。この折に
政元は親兵衛が辞勅のよしを広当に聞知りて及びかたきを恥る色あり。こ丶をもて広当
は敢又多言せず遽しく別を告て伴当を将て宿所に退りぬ」。

 近世後期の東海道旅行案内書「東海道名所図会」には次のようにある。
     ◆
前略……畿内七道ハ天武帝の御時勅によつて定られ其中にも東海道その冠首たり草薙の
余光煌々として四海の潮ハ東日に照されて浪の音謐也千戈の威日々に新にして梟鳥敢て
翔らず賞罰厳にして虎畏れをなす江府までの往来貴賤となく老少となく夜となく晝とな
く公卿ハ勅を蒙りて春の御使藩屏乃諸侯ハ加ハる々々々参勤ありあるハ商人の交易斗藪
の棄門風騒の歌枕俳諧の行脚伊勢満い里富士詣まで駅路の鈴の絶間もなく馬あり加輿あ
り舟あり橋あり泊々ハ自在にして酒旗所に■(扁に羽)飜たり周礼曰国野の道十里に一
盧あり盧に飲食あり三十里に宿あり宿に駅亭ありとそ馬に鈴をつくるを駅路の鈴といふ
むかし毎年貢を馬にて運び蔵奉る時又ハ公卿国々乃任ありて守護に下里給ふ時此鈴を付
たる馬ハ夜も関の戸を明て通しけるとなり日本紀孝徳帝の御宇大化二年に関宿を定め駅
馬傳馬に鈴の契を付る事あり又続日本紀及び延喜式江家次第令義解等にハ粗見へたり
新六帖
旅人の山こへワふる夕霧に駅の鈴乃古ゑひびくなり 衣笠内大臣

同
道細き里の駅の鈴鹿山ふりはへすくる友よハうなり 為家
同
神もさそふりくる雨は志の塚の駅の鈴の小夜深き声 逍遙院
国王七鈴をもつて七道につかハすにハ官使に一ツつ々賜ふや古れを印にしてむまやへつ
く毎にふりならして宿る也其所を駅路といふ駅舎ハ京師より江戸まで五十三駅也洛陽教
業坊三條ノ橋ハ東海道の喉口にして行程も古れより員始る此橋上より洛東の風景を見渡
せば……後略(東海道名所図会巻一)
     ◆

 草薙剣が如何のと書いているが、此の前段に日本武尊の話が載っている。寛政九(一
七九七)年の刊行だが、諸国往来が活発になっている事を示すと同時に、古代の駅制・
駅鈴に言及している。特に「国王七鈴をもつて七道につかハすにハ官使に一ツつ々賜ふ
や古れを印にしてむまやへつく毎にふりならして宿る也其所を駅路といふ」が目を引
く。此処では律令制下以降の全国区分「七道」から、鈴が七つ必要だとしている。一
方、手孕村の紹介でも引いた「東海道名所記」(巻一)には、

     ◆
前略……
一日路すぎて暮がたには、はたごやの宿泊々これあり。これをむかしは駅館と名づけ、
みかどより五畿七道に御つかひをくださる丶時、出しける伝馬をば駅馬(はいま)と申
す。駅馬とだにいへば人おそれてたちのきけり。今の世までも駅馬々々といへば道行人
もかたはらへ立のくは此事よりもいひつたへたること葉とかや。
     ◆
とあって、此方は「五畿七道」だから、「東海道名所図会」の発想からすれば、駅鈴は
十二あっても良いわけだ。細川政元が親兵衛に駅鈴を貸与した折りの「五畿七道に配当
して其数才に十二あり」に対応している。但し、後者では「五畿」が余計だ。五畿と
は、山城・大和・和泉・河内・摂津を謂い、都(設定時は大和)を防衛する最終ライン
として設定された。イザとなれば住民から軍事徴発をせねばならぬから、平時には税負
担が軽かった。ただ都の周辺であるから、駅制を無理に使うこともないだろう。駅は換
え馬と食料の補給が任務だったから、長距離通信に於いて威力を発揮する。

 しかるに馬琴は八犬伝で(室町幕府が朝廷より預かっている)駅鈴の数を「五畿七
道」を持ち出して十二と設定している。こんな制度の典拠が何処にあるか筆者は知らな
いし、あったとしても余り意味はない。駅制は古代後半の十世紀ともなれば、住民の負
担が重いため十分には機能しなくなっていたという。ましてや中世のように在地権力が
割拠する状況では、八犬伝で広当が言うように、駅鈴なんかあっても意味がない場合が
多いだろう。では、何故に意味のない駅鈴が十二もなければならないのか。そは次回に
解き分くるを聞かねかし。(お粗末様)




#371/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:50  (200)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「怪鳥を射ること」 久作
★内容
 駅鈴が十二ある理由を冒頭から述べようと思っていたが、気が変わった。少し休憩し
て、前回掲げた「東海道名所記」の続きを読もう。ちょっとした芸能蘊蓄となってい
る。考証の典拠となるものではないが、話として面白い。国史やら何やら、硬いものば
かり紹介してきたから、軟派な話で骨を休めていただきたい。

     ◆

(承前)……中略……
そもそも浄瑠璃といふ事は、そのかみ九郎判官は鞍馬にそだちて牛若殿と申せしが十五
歳の春、山を出て奥州に下りやはぎの宿の長者が家に宿をとりて長者がむすめ浄瑠璃御
前は薬師の申子にてこの名を付たり。美人にて有しかば牛若殿これに忍びて契り給ひけ
る事を、こと葉をつづけてふしをつけてかたりしより初まりて、余の事までも浄瑠璃と
はいひつたへ侍るなり。
……中略……
そもそも歌舞妓といふは出雲の国大社の神子の舞そめしといふ説あり。それにはあら
ず、後鳥羽院の御時通憲入道は舞の上手にて、おもしろき舞の手をえらび出し、磯の禅
師といふ女にをしえてまはせけり。しろき水干にさうまきの太刀をさ丶せゑぼしを引い
れたりければ男舞とぞいひける。禅師がむすめ静といへる白拍子につたへ侍り。今やう
をうたひて舞けるを後にはことがらあらけなく侍りとて、ゑぼし腰がたなをとどめ水干
はかまばかりにて舞けり。歌をうたひて舞ける妓女なれば歌舞妓と名づけたり。さいつ
ごろまでか遊女どもの舞けるに瓢金のとびあがりども、これに心をとらかされて、ある
ひは親の銭箱に合鍵をこしらへ、あるひは子もちの山の神が目をしのびて一跡のたから
を質にをき、ひたゆきに行て見けるほどに、ゐ勢あらそひのはり合に、いさかひどよめ
き、こうびんさきをそがれ、にげ尻をきられて公事のうつたへをいたすものおほけれ
ば、国のさまたげ人のわざはひなりとて女の舞をとどめられぬ。
その丶ち若衆歌舞妓といふ事をはじめて、うるはしき少年にまはせければ猶又たましゐ
をうばはれ心くらみてうかれまどひ股をつきて腰ぬけになり、かひなをひきて傷をいた
み、つかぬ片輪になるもの多し。諸寺の僧達は変成男子の利やくはこ丶なりとよろこび
布施のまめいたは鼠戸の札せんとさだめ祠堂の丁銀は、しなせこと葉のまいらせ物にな
す。仕舞柱にくりつかはす花の枝は舞台にさしあげて色をあらそひ、さげ重箱にかざり
いれたる酒肴は桟敷にかきいれて舌をならす。これにしあげてたらぬときは紅の袈裟・
金襴の打敷に釈迦の鑓・弥陀の利剣をとりそへて質物にいれ、もぢの衣は新発意太鼓の
狂言師にゆづり末ひろの扇は海道下りの太夫様に奉り、つゐには寺にもたまられず心も
ゆかぬ遁世して、たうとげもなき難行苦行に身をうづもれ、ゆきがたしらずうせにけり
と檀那にうたはれ侍る。末世の僧は児の臂をとると経文にゆるされたれども此世からま
よひはて丶来世はさこそと思ひやらる。
もろこしにも若道はある事にて伊川先生よりはじまりて栽尾とかや名づくめり。騎馬少
年清且婉とつくれる詩は蘇東坡が李節推をしたひて風水洞におもむきつ丶こ丶にてつく
れる所なり。又我朝のそのかみは業平の少年なりし時、真雅僧正これを恋て、常磐の山
のいはつ丶じいはねばこそ、とよみ給へり。されば詩歌をなかだちとして、なれしたし
みまじはる中に義もあり礼もあり、しかも信ありて契り久しからむ主君にかしづかる丶
少年は、その契り二世をかたらひ死出の山路のあとをおふ事これ又ためしならずや。
されども歌舞妓の少年は此ためしには遙に違ひ侍る事、誰とても推量べきを忽に色に染
て身をくづをらし財をいしなふ。か丶る若衆歌舞妓は、まことに二の舞の人だをしよと
て、若衆どもの額髪をおとさしめらる。うとましきかたちなり。そのさまひねこびてを
かしかれども、もてなしからに見ぐるしからず、かざりたてつ丶幕うちあげたれば橋が
かりにねり出たるは、又あつた物ではないと思はる丶に、桟敷より、あれあれ御らいご
うよとほむれば……中略……やがて舞おはりて楽屋に引こむ。せめて打越なりとも給は
らんと連歌にはきらへど酒もりにはこのみて八ごゑの鳥もろ共に、なきなきいなせて庭
鳥をうらむるごとくなる世の痴者また市のごとし。楽阿弥も、これにはちとほの字なり
けん。かくぞよみける。
  うつくしき若衆歌舞妓をんながたこれは世界のまんなかぞかし
……後略

     ◆

 作者が仏教系だから男女間の姦淫には手厳しいものの若衆趣味には寛大どころか、主
人公の楽阿弥自身うつつを抜かしているから滑稽だ。自分の属する仏教界への自虐でウ
ケを狙っている。八犬伝を読む上で、刊行当時に流布していたと思われる情報/データ
は必要だが、失われた当時の感覚も、なろうことなら窺い知りたいし、少しでも同好の
士に紹介したいと願っている。……って、興に任せて書いてるだけなんだが、人は現在
に拘束される者ではあるが、八犬伝を繙くひとときだけでも、現在からの自由を得たい
と思うは贅沢に過ぎるか。現在の一般常識に抗う上記の如き言葉たちを、愉しむことは
無駄ではあるが、無用の用、案外に大切なことかもしれない。


 それは、さて措き、問題は駅鈴だ。実は駅鈴が十二あったことだけに注目しても意味
はない。【十二あったもののうちの一つが一時的に元あった場所から離れ暫くして戻る
】ことこそ重要だ。三十三なら観音だが、十二は薬師如来の数である。画虎事件の発端
をつくった竹林巽は丹波国桑田郡薬師院村で、まさに薬師院に奉納する絵馬を描く者で
あった。薬師十二神将のうち寅童子に擬すべき麗しの稚児が現れ、問題の画虎を描くこ
とになった。点晴して画虎は実体化した。実体化した画虎は親兵衛に両眼を射抜かれ再
び画に戻った。麗しの稚児若しくは実体化した画虎を虎童子とすれば、何処かの虎児童
が其の間消滅していたのだろう。そして「十二あったもののうちの一つが一時的に元あ
った場所から離れ」たものの取り返された時、それは秋篠将曹広当が親兵衛に追い付い
たときだが、伊勢石薬師村であった。大角の礼玉が登場した白山権現と関わりの深い泰
澄が菊面石を見付け空海が彫った薬師如来像を本尊とする石薬師寺付近であって、御丁
寧にも親兵衛は、「そういえば画虎を描いた巽風は丹波国桑田郡薬師院村に住んでたん
だよなぁ」と思い出す。
 十二は薬師の数字である。唐突かつ実用上無意味に登場した駅鈴は、全部で十二あっ
た。うち一つが広当によって石薬師で取り返され、政元の手に戻った。広当に駅鈴を突
き付けられた政元は「苦咲(にがわらい)」する。或いは駅鈴を持っていった親兵衛を
罪人として追求し、今度は軟禁状態どころか投獄緊縛して無理にでも嗜ませようとした
のに失敗したから「苦咲」したに違いないのだが、其の様なことは筆者の想像が及ばぬ
所なので差し当たり、或る神秘的な思いが政元を捉えたと考えておく。

 即ち、【十二あったもののうちの一つが一時的に元あった場所から離れ暫くして戻る
】ことから、親兵衛を十二神将の一つと重ね合わせ、其れは画虎事件から容易に寅童子
を連想したといぅことだが、寅童子が眼前に生ける者として存在するとは寅童子そのも
のは消滅していることを示し、寅童子が戻ってきたってこたぁ眼前にいた筈の寅童子の
化身は消滅してしまったことを意味する。恋い焦がれ渇仰した親兵衛の肉体は、政元の
手の届かぬ所へ行ってしまったのだ。家康が生まれたとき寅童子が消え、死ぬと出現し
元に戻った。後日談として政元が失脚し殺される所から見て、寅童子がとった政元への
態度は、拒絶どころか断罪であったと知れる。セクハラ管領・政元の末路である。


 ところで、馬琴の時代にも、唯一の例外を除いて駅鈴は現存していなかったと書い
た。では、「唯一の例外」とは? 本居宣長がレプリカを持っていた。宣長、かなりの
コレクターかつ鈴フェチで、自分の号を「鈴屋」としたほどだ。疲れると鈴の音を鳴ら
し陶然としていたという。確かに心澄ませる音ではある。古人の鋭敏な聴覚なら、或い
は障魔を払う力を感じたかもしれない。此のレプリカは、源氏物語講釈の礼にと寛政七
(一七九五)年、石見浜田藩主・松平周防守康定から贈られた。隠岐国造家に二つ伝わ
っていた駅鈴を型に鋳たものだ。隠岐には二つ残っている。隠岐は下国であるから、上
掲「令」の規定に合う。隠岐と云えば、八犬伝には、隠岐次郎左衛門尉広有が登場す
る。

 「寂寥たる復讐」で秋篠姓に就いて若干の史料を提示した。秋篠姓の祖は土師氏であ
った。菅原道真の一族である。で、問題の秋篠将曹広当だが、八犬伝では後醍醐帝のと
き紫宸殿上を飛び回っていた怪鳥を射落とした隠岐次郎左衛門尉広有の六世孫だとされ
ている。「広有」の子孫が「広当」ってのは良いとして、片や「隠岐」片や「秋篠」、
何だか先行きに不安が漂うが、まぁ見てみないと解らない、太平記から隠岐二郎左衛門
広有の事跡を引こう。巻第十二である。

     ◆

広有怪鳥を射る事
元弘三年七月に改元有て建武に被移。是は後漢光武、治王莽之乱再続漢世佳例也とて、
漢朝の年号を被摸けるとかや。今年天下に疫癘有て、病死する者甚多し。是のみなら
ず、其秋の比より紫宸殿の上に怪鳥出来て、「いつまで、いつまで」とぞ鳴ける。其声
響雲驚眠。聞人皆無不忌恐。即諸卿相議して曰、「異国の昔、尭の代に九の日出たりし
を、■(羽の下にコマヌキ/ゲイ)と云ける者承て、八の日を射落せり。我朝の古、堀
川院の御在位時、有反化物、奉悩君しをば、前陸奥守義家承て、殿上の下口に候、三度
弦音を鳴して鎮之。又近衛院の御在位の時、鵺と云鳥の雲中に翔て鳴しをば、源三位頼
政卿蒙勅、射落したりし例あれば、源氏の中に誰か可射候者有」と被尋けれ共、射はづ
したらば生涯の恥辱と思けるにや、我承らんと申者無りけり。「さらば上北面・諸庭の
侍共中に誰かさりぬべき者有」と御尋有けるに、「二条関白左大臣殿の被召仕候、隠岐
次郎左衛門広有と申者こそ、其器に堪たる者にて候へ」と被申ければ、軈召之とて広有
をぞ被召ける。広有承勅定鈴間辺に候けるが、げにも此鳥蚊の睫に巣くうなる■(虫に
焦)螟の如く少て不及矢も、虚空の外に翔飛ばゞ叶まじ。目に見ゆる程の鳥にて、矢懸
りならんずるに、何事ありとも射はづすまじき物をと思ければ、一義も不申畏て領掌
す。則下人に持せたる弓与矢を執寄て、孫廂の陰に立隠て、此鳥の有様を伺見るに、八
月十七夜の月殊に晴渡て、虚空清明たるに、大内山の上に黒雲一群懸て、鳥啼こと荐
也。鳴時口より火炎を吐歟と覚て、声の内より電して、其光御簾の内へ散徹す。広有此
鳥の在所を能々見課て、弓押張り弦くひしめして、流鏑矢を差番て立向へば、主上は南
殿に出御成て叡覧あり。関白殿下・左右の大将・大中納言・八座・七弁・八省輔・諸家
の侍、堂上堂下に連袖、文武百官見之、如何が有んずらんとかたづを呑で拳手。広有已
に立向て、欲引弓けるが、聊思案する様有げにて、流鏑にすげたる狩俣を抜て打捨、二
人張に十二束二伏、きりきりと引しぼりて無左右不放之、待鳥啼声たりける。此鳥例よ
り飛下、紫宸殿の上に二十丈許が程に鳴ける処を聞清して、弦音高く兵と放つ。鏑紫宸
殿の上を鳴り響し、雲の間に手答して、何とは不知、大盤石の如落懸聞へて、仁寿殿の
軒の上より、ふたへに竹台の前へぞ落たりける。堂上堂下一同に、「あ射たり射たり」
と感ずる声、半時許のゝめいて、且は不云休けり。衛士の司に松明を高く捕せて是を御
覧ずるに、頭は如人して、身は蛇の形也。嘴の前曲て歯如鋸生違。両の足に長距有て、
利如剣。羽崎を延て見之、長一丈六尺也。「さても広有射ける時、俄に雁俣を抜て捨つ
るは何ぞ」と御尋有ければ、広有畏て、「此鳥当御殿上鳴候つる間、仕て候はんずる矢
の落候はん時、宮殿の上に立候はんずるが禁忌しさに、雁俣をば抜て捨つるにて候」と
申ければ、主上弥叡感有て、其夜軈て広有を被成五位、次の日因幡国に大庄二箇所賜て
けり。弓矢取の面目、後代までの名誉也。

     ◆


 流石に広当の祖先だけあって(?)、武勇のみならず尊皇精神も旺んで、怪鳥を射た
とき矢が宮殿の屋根に立つことを忌み、鏃を取り除いて射た。深謀遠慮の武士であった
らしい。尊卑分脈に拠れば、広有は藤原長良(冬嗣息/従二位左衛門督・権中納言・贈
正一位太政大臣)流で、長良の息には従一位太政大臣で摂政も務めた基経もいるが、其
れではなく従四位上右大弁・遠経から従五位下右衛門権佐・大蔵大輔の良範と結ぶ。良
範の三男が「西海道賊首」従五位下伊予掾・藤原純友だったりするけれども其れではな
く、六男で春宮主殿首の純素に繋がり、茂範、雅亮、忠厚、致孝、親任、俊基、致康、
忠広、康久、俊親、広能と続く。概ね従五位下で国守やら弾正忠やら勘解由判官やらで
典型的な受領層って印象だ。代々二条家(摂関家)の執事みたいなことをしていたらし
い。んで広能は隠岐守で「大力」を以て知られた。次の広義も隠岐守で「大力」、大夫
尉も務めた。広義の息子が広有で隠岐守かつ「大力」、兄弟の広家も「大力」で正五位
下飛騨守・大夫尉だった。但し広有、注記に「出家之後於内裏射怪鳥 法名弘■穴に
勿」とあるので、怪鳥射殺の折りには頭髪ぐらい剃っていただろうか。

 因みに、馬琴の「燕石雑志」では、「近衛院の仁平の年間、内裡に怪鳥あり。源頼政
朝臣勅を奉てこれを射たり。これは保元の乱おこらんとする象ともいはんか。後醍醐帝
の建武元年亦内裡に怪鳥あり。隠岐二郎左衛門広有これを射る。かくて南北朝とわかれ
給ひき」とあり、太平記「広有怪鳥を射る事」は広有の武勇顕彰の側面ではなく、怪鳥
出現自体にも注目し此を射殺す事件そのものが、乱の兆しと見ているようだ。怪鳥なら
ぬ怪虎を射倒したは、広有の六世孫・広当ではなく、親兵衛であった。此の事件後に
色々あって政元は殺され、戦国の世へと時代は雪崩込んでいく。同時に此は、八犬伝刊
行時が、動乱の世界へと走り続けていたことの表現でもあるか。

 さて、隠岐次郎左衛門広有は南朝の忠臣だ。これが佐々木隠岐判官清高となれば北朝
の武士である。隠岐の領主だ。そして隠岐国造家は古代から隠岐に土着していた一族
で、素晴らしく物持ちが良くて近世には唯一、駅鈴を保管していた。大名によってレプ
リカが本居宣長に贈られた。三つの「隠岐」は全く別物だ。が、佐々木隠岐は「佐々
木」だから別として、広有と国造は、別なんだが、互いへの連想は妨げない。ってぇ
か、実際に駅鈴を保管していたのは隠岐国造だけれども、駅鈴は律令上、国司が独占的
に持つべきものであった。広有は、隠岐守すなわち国司であった(赴任し実務を執った
とは思わないが)。玄ムに付いてウジウジ書いたが、

     ◆

人の名につきて禍福吉凶あるよしは既にいへり。きのう■(ツチヘンに蓋)嚢抄を見し
に、その事粗載てあり。玄ム僧正は渡唐して■(サンズイに輜のツクリ)州の知周大師
に法相宗を習ひ給ふころ、彼処の人いへりける。玄ムは還亡と同音なるにと難ぜしが、
帰朝の後筑紫の観音寺供養の日、太宰少弐広嗣が霊にとられて生ながら雲の中に入りつ
丶、頭は興福寺の唐院にぞ落たりける。還て亡るの義終に違はず。(燕石雑志)

     ◆

 名詮自性、隠岐守である広有は隠岐国を管理する者であり、隠岐国の駅鈴行使も権限
の内だ。馬琴の時代に唯一(二口)残っていた有名な隠岐国造所蔵の駅鈴と、無縁では
ない、と馬琴は考えたのではなかったか。其の子孫たる広当が、政元によって私的に流
用された駅鈴を取り返す。また其の広当が元の「隠岐」を名乗らず「秋篠」を何故に名
乗っていたか。其処には、馬琴の個人的な事情も絡んで複雑な理由があったと想定でき
る。それは即ち……。と、気を持たせつつ、次回へ。(お粗末様)。




#372/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:50  (465)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「麗しき秋篠の人」 久作
★内容
 まず広当の印象から考える。彼は温厚だが武芸に秀で、恐らくは其の筋の方なら姦り
たくなるぐらいの美男子だ(妄想)。如何も政元を嫌っていた節のある親兵衛だが、道
端の仏堂で広当と二人きり、責め立てられ泣きじゃくっている(だから、そぉいぅ言い
方は……)。きっと舞わせても、いや事によると楽器を奏でさせても上手なのではない
か。京侍らしい雅びな雰囲気が漂っている。美男子となれば八犬伝では信乃か毛野って
印象だが(潤鷲手古内美容や上杉顕定の愛人・斎藤兵衛太郎盛実もいるけど存在感が薄
い)、温厚篤実となれば、信乃だろう。
 まぁ上記は単なる妄想だが、まず「秋篠」であるが、以前に見た如く、菅原道真と同
じ土師氏系で御井氏(井氏)を名乗る分家がある。遠江には藤原流の井氏が展開し江戸
幕府の重臣(大老井伊家)を輩出した。信濃にも井氏はあるが、此は帰化人系である。
名詮自性、別に土師氏だろうが藤原だろうが帰化人だろぉが、良いではないか。信乃の
母・手束は、信州の井氏である。また、生駒山麓の秋篠寺は薬師如来が本尊だが、八所
御霊社が附属していることは措いといて、本尊が薬師で十二神将像もあるんだが、何と
言っても、伎芸天が有名だ。まずは、伎芸天を紹介する上で外せない「摩醯首羅大自在
天王神通化生伎藝天女念誦法」を引く。


     ◆原文◆
摩醯首羅大自在天王神通化生伎藝天女念誦法
爾時摩醯首羅天王。於大自在天上。與諸天女前後圍繞。神通遊戲作諸伎樂。忽然之間於
髮際中化出一天女。顏容端正伎藝第一。一切諸天無能勝者。於大衆中而作是言。我今為
欲利益一切。有所祈願豐饒吉祥富樂之事。隨心■(リッシンベンに希)求悉能滿足。於
諸業藝速能成就。我有祕密陀羅尼法要。今當説之即説陀羅尼曰。曩謨(引)榲支摩貌施■
(ニンベンに去)地尾■(缶に本)羅(二合)■(缶に本)地野 (二合引)試(引)迦■(口
に羅)者■(口に魯)婪(二合)怛■(ニンベンに爾)野(二合)他(去引)濕■(口に縛)
(二合)惹底隷吠■(口に羅)摩惹哩■(ニンベンに爾)吽(引)發■(口に託のツクリ)
(半音)娑■(口に縛)(二合引)賀(引)。是時衆伎藝天女。説此陀羅尼已。告諸天衆。若
欲誦持我此陀羅尼者。先須建立道場如法嚴飾。種種香花以為供養。於二七日或一七日。
受持齋戒斷其婬欲。誦此陀羅尼滿其萬遍或十萬遍。於其中間勿食酒肉薫穢。至心誦持天
女現前種種加備。一切願求皆悉滿足。從此已後無有障礙。乃至妻子薫穢。亦不制斷。若
能淨持最為速驗。後有所用應令成就。若持誦時先須結界。或水或灰加持七遍。散灑四方
隨心遠近。即成結界地。一切鬼神莫能博近。若誦至一千遍。能令天龍人及非人見即歡
喜。若誦至二千遍。一切鬼神皆悉衛護。若誦至三千遍。草藥精靈悉現其前。華果林神歡
喜隨從。若誦至四千遍。一切毘多羅鬼深生恭敬。若誦至五千遍。一切龍神眷屬男女歡喜
敬仰愛念無厭。若誦至六千遍。一切藥叉眷屬男女。歡喜隨逐任其所使。若誦至七千遍。
一切天王摩達■(口に魯)等。并其眷屬以給侍。種種驅役不以為倦。若誦至八千遍。一
切持明五通仙人等。深生歡喜仰無盡。若誦滿一萬遍。乃至十萬遍。一切天龍藥叉乾闥婆
阿修羅緊那羅摩呼羅伽人非人等。乃至塞乾陀天一切鬼神。生大歡喜隨逐侍衛。常令行者
豐饒吉祥。又法若欲祈止不以為難。若天旱時如法結界壇。護摩念誦誦此真言滿一萬遍。
其雨應時即下。若雨過多惡欲止者。加持淨灰一百八遍。空中擲之其雨即止。又法若有怨
家興起惡意。以用朱砂或其赤土。書名或書形。於左脚下踏之念誦。夜後作之一百八遍。
無問遠近彼怨自來求解怨結。心生和順轉生愛敬。又法若欲使役一切鬼神。皆當召集生愍
念心。隨分飲食加持一百八遍。而散施之。然後驅使速疾成弁。常生歡喜終不離人。又法
若欲鉤召一切人民。隨心所念無問遠近。加持水七遍。散於四方望彼稱誦一百八遍。無問
識與不識。悉來奔就隨心所為不敢違逆。又法若有怨家來欲相害。至心誦明一百八遍。彼
即被打身契如火。若迴心相伏。即與解之時。誦明七遍云放。即放其身即平復如本。又法
若有夫婦。外心相背不相喜見。猶如火水相憎者。密書其名勿令知覺。一依前法左脚踏
之。稱名誦一千八遍。即相和順轉相怜愛如同膠漆。永更不生憎背之意。又法若有所愛宣
婦。乃至諸天女■(女に采)及天帝釋妃后眷屬心所愛者。一依前法念誦召之。應時即至
自來求之請為給侍。若不違之終不捨離。又法若欲鉤召藥叉女等。求其財寶隨心召之。迅
疾即至。一切所須悉皆奉獻。請為妻妾或為給侍。又法若欲得一切貴人愛敬。稱名念誦一
千八遍。自來歸敬以為僕使。又法若入官府。至心誦明七遍而至。遙仰善相使得隨心。若
見面時喜悦無量。有事求之即能相為。又法若有所愛女人。或其男子意相樂者。以加持胡
燕脂或紅藍花汁。塗其二脚掌下。以火炙之二手掩上。稱名念誦彼即立至。自来相求乃至
深隱之處。直来相來見乃至命終不肯相捨(毎稱名時於娑婆二合賀句上加之除其發■(口に
焚くのツクリ/二字)。若是女人為求男子者。並依前法作之隨心即至。又法若欲得令見諸
鬼神身者。取尸陀林燒死人柴。護摩一明一燒。乃至一百八遍。一切鬼神悉自現身即得相
見。又法若有所有一切財寶。隨心所須至心持誦自然獲得。又法若欲縛人問事。無問大小
淨與不淨。心想本尊至心念誦。應時即縛問知三世之事。一切皆説無所不知。非但能縛一
人。乃至百千萬人至心誦之。隨心應念一時即縛。又法若有家人逃走極遠處去者。準前書
名踏之。念誦其人迴還奔走立至。若來遲者即以灰書彼形。毎日三時作法。毎誦真言一遍
打之。一下乃至三七遍已。彼即恐怖如風即至。又法若欲療治一切病者。取■(ニンベン
に去)陀羅木。截作二十一段。誦明一投火中燒之。遍已但是疾病即得除差。又法若有患
神病者。取阿魏藥安悉香雄黄白芥子青木香若練葉等。並擣節相和作四十九丸。一誦明一
投火中其病即差。又法若患狐魅病者。取雄黄白芥子■(クサカンムリに弓)■(クサカ
ンムリに窮)獨頭萩犀角■(羊にルマタ)羊尿白馬懸蹄驢馬夜眼。並擣篩為丸。加持一
百八遍。燒薫鼻孔之中。并塗身上狐魅消滅其病即差。如上所説利益之法悉皆神驗。速疾
成就。凡欲作法必須至誠。若不至心輕慢誦者無益法亦不成。若至誠心一遍便獲效驗。我
今略説少耳。餘法莫能窮盡。若欲持誦求其證驗。先畫我壇并畫我像安置壇中。如法供養
即疾證驗即疾成就。
  大自在天女畫像法
先畫摩醯首羅天王。三面六臂顏貌奇特端正可畏。從其髮際化生一天女。殊妙可喜天上人
間無能勝者。著天衣服瓔珞嚴身兩手腕上。各有鐶釧左手向上捧一天花。右手向下作捻裙
勢。身形可長三尺。或隨大小任取稱量畫像了已。如法安置壇中供養。
  祈願壇法
量高四指肘量隨其處所大小。壇開四門於東門内燒安悉香。南門内燒沈水香。西門燒薫陸
香。北門燒兜樓婆香。於壇中心安本尊像。於四角安刀一口懸明鏡。於四門各須安箭兩
隻。於南門兩邊安尾那夜迦位。於壇四縁周迴隨其力分。安置甜脆華果等以為供養。
  次説火壇法
作護摩爐深十二指。爐可横量一肘。於壇傍作彼怨家形貌。以刀之割護摩念誦。以用皀夾
刺柴燒諸毒藥。一誦明一燒之。滿四十九遍或一百八遍。即大驗耳彼怨家即便消滅。若療
一切疾病亦如上法。作彼鬼神形状。斷截燒之決死之病應時得愈。
  摩醯首羅大自在天神通遊戲變化頂生衆伎藝天女成就法印
二手合掌。二名指二中指。外相叉指面著其手背。二頭指微蹙頭似寶。二大指頭並來去。
即成誦請召明曰。曩謨(引)摩醯濕■(口に縛)(二合)羅(引)野(一)榲支摩冒(引)試■
(ニンベンに去)野■(日に壹)醯(去引)■(口に四)娑■(口に縛)(二合引)賀(引
)。結此印已。隨誦此明七遍。請召本天與諸眷屬。悉皆降至種種加備。次結神通攝召一
切印。以右手中指直豎。次以名指■(クサカンムリに必)在中指後。以頭指鉤召指頭。
以大指横押頭小二指甲。以中指如鉤勢向外。鉤向身來去。即是誦根本明。於娑■(口に
縛)(二合)。賀字上加所召者名請之。若結此印誦明攝召一切。悉皆立至。是神通攝召
印。亦通一切處用。若逢怨惡人。欲相刑害。結印展其中指。望彼■(テヘンに為)之自
然散壞。諸惡鬼神指之消滅。結此印誦根本明。印心額喉頂即成護身。一切鬼魅不敢親
近。其法必須從師親授。淨室密持毎念誦了。以淨絵帛覆天形像。不得輒説此法。向餘
人。若妄泄之終身無效。慎之慎之。其天像或畫或素總得。於壇中心安置本天形像。於天
左右各安二女天。若壇中安坐位。形貌可喜。如天女形状。其像後又置二侍從女天位。唯
於前面留火爐處所。燒諸香藥奉獻本天。如不能安火爐。著一寶盆。盛其香水著諸妙花獻
之亦得。於壇四角四門不能安其刀箭。但於壇外畫之亦得。唯移鏡安於壇内四角。如餘部
壇法。安羯磨杵處即得仰安之。若畫壇時。於壇四面地上畫作五色綵雲。如捧壇從地踴出
勢。摩醯首羅頂生天女法

     ◆書き下し◆

摩醯首羅大自在天王神通化生伎藝天女念誦法
爾(そ)の時、摩醯首羅天王は、大自在天上に於いて、諸天女の前後圍繞と陣痛遊技し
諸伎樂を作(な)す。忽然の間、髮際中に於いて一天女の化出す。顏容端正にして伎藝
は第一、大衆中に於いて一切の諸天は能(よ)く勝(まさ)る者無し。而して是(こ)
も言(げん)を作す。我は今、一切の豐饒・吉祥・富樂の事を祈願する所あるを利益
し、諸業藝に於いて速やかに成就するを心に随いて希求するもの悉く能く満足せしむる
を欲(ほつ)することを為(な)す。我は祕密陀羅尼法要を有(も)つ。いま當(ま
さ)に之(これ)を説く。即ち陀羅尼に説きて曰く、「なうまくをつしまぼうせきゃぢ
びかんらかんぢやしきゃらしゃろらんたつにやたしつばじゃていれいばいらまじゃりに
うんはつたそわか」。是の時、衆に伎藝天女は此の陀羅尼を説き已(おわ)りて諸天衆
に告ぐ。「若(も)し我れの此の陀羅尼を誦持せんと欲せば、先(ま)ず須く道場を建
立し、法の如く嚴(いか)めしく飾り、種種の香花を以って供養を為せ。二七の十四日
あるいは七日、受持齋戒し其の婬欲を斷て。此の陀羅尼を誦すこと其の萬遍あるいは十
萬遍に満(み)ちよ。其の中間に於いては、肉薫穢を食飲すること勿(なか)れ。心至
して誦持し、天女の現前に種種の備を加えよ。一切の願うこと求めること皆(みな)悉
(ことごと)く滿足す。此れ從(よ)り已後(いご)障礙あること無し。乃至(ない
し)、妻子の薫穢は亦、制斷せず。若し能(よ)く淨らかにして持(じ)せば最も速や
かに驗(げん)を為す。後に用いる所あれば、應(まさ)に成就せしむべし。若し持誦
する時は、先ず須く結界せよ。或いは水、或いは灰にて加持すること七遍、四方に心に
随いて遠近に散灑せよ。即ち結界の地を成(な)す。一切の鬼神は能く博く近づく莫
(な)し。若し誦すること一千遍に至れば、能く天龍人および非人をして即ち歡喜に見
(まみ)えしめん。若し誦すること二千遍に至れば、一切の鬼神は皆、悉く衛護す。若
し誦すること三千遍に至れば、草藥の精靈は悉く其の前に現る。華果林の神は歡喜し隨
從す。若し誦すること四千遍に至れば、一切の毘多羅鬼は深く恭敬を生ず。若し誦する
こと五千遍に至れば、一切の龍神の眷屬の男女は歡喜して敬仰し愛念して厭うこと無
し。若し誦すること六千遍に至れば、一切の藥叉の眷屬の男女は、歡喜し其の使う所に
任せて随逐す。若し誦すること七千遍に至れば、一切の天王・摩達■(口に魯)等、并
(なら)びに其の眷屬は以て給侍し、種種の役に驅け倦むこと無し。若し誦すること八
千遍に至れば、一切の持明五通仙人等、深く歡喜を生じ仰ぐこと盡きる無し。若し誦す
ること一萬遍乃至十萬遍に滿てば、一切の天龍・藥叉・乾闥婆・阿修羅・緊那羅・摩呼
羅伽・人・非人等、乃至は塞乾陀天や一切の鬼神は大いに歡喜を生じ侍衛に隨逐し、常
に行者をして豐饒・吉祥たらしむ。又、法において若し祈り止むを欲すれ者あれば、難
を以て為さしめず。若し天の旱(ひでり)なる時は、法の如く壇を結界し、護摩念誦せ
よ。此の真言を誦すること一萬遍に滿てば、其の雨は時に應じ即ち下る。若し雨の多き
に過ぎて惡(あ)しく止めんと欲すれば、淨灰を加持すること一百八遍にして空中に之
を擲(なげう)てば、其の雨は即ち止む。又、法において若し怨家ありて惡意を興し起
こすことあれば、朱砂あるいは其の赤土を以て用いて名を書き或いは形を書き、左脚の
下に之を踏みて念誦し、夜後に之を一百八遍作せば、彼の怨みするものの遠近を問うこ
と無く、自ら来たり求めて怨結を解き、心に和を生じ順なりて轉じて愛敬を生ず。又、
法において若し一切の鬼神を使役せんと欲せば、皆、當に召し集め愍(あわれ)み念
(おも)う心を生ずべし。隨分と飲食加持すること一百八遍。而して之を散らし施せ。
然(しか)る後に驅使すれば、速やかに疾(はや)く弁を成し、常に歡喜を生じ終(つ
い)に人を離れず。又、法において若し一切の人民を鉤召せんとすれば、心に随いて念
ずる所は遠近を問うこと無し。水を加持すること七遍、四方に散らし彼を望み稱誦する
こと一百八遍、識(し)ると識らざるを問うこと無く、悉く來たり奔(はし)りて就
(つ)きて心に随うに所に敢えて違逆せず。又、法において、若し怨家の來たるありて
相(あい)害するを欲せば、心に致して誦明すること一百八遍にして、彼は即ち身を打
られる契り火の如し。若し心(しん)の迴りて相伏し即ち與(くみ)して解かんとする
の時、誦明すること七遍にして云いて放つ。即ち其の身を放ち即ち本(もと)の如く平
らに復す。又、法において若し夫婦ありて、外に心をおきて相背き相(たがい)いに見
ゆるを喜ばず、猶(なお)火水の如く相憎く者あれば、密かに其の名を書きて知り覺え
しむこと勿れ。一つ前の法に依り、左脚にて之を踏み、名を稱して誦すること一千八
遍、即ち相和し順じて膠漆にして同じくなる如く相いに怜(あわれ)み愛するに轉じ、
永く更に憎背の意を生ぜず。又、法において若し愛し宣(つう)ぜんとする所の婦あれ
ば、乃至は諸天女采および天帝釋妃后の眷屬を愛する所の心あれば、一つ前の法に依
り、誦して之を召す。時に應じ即ち至りて自ら來りて之を求め請いて給侍と為る。若し
之を違わざれば終に捨て離れず。又、法において若し藥叉女等を鉤召し其の財寶を求め
心に随いて召さんと欲すれば、迅疾にして即ち至り須(もと)める所の一切を悉く皆奉
獻し、請いて妻妾と為り、或いは給侍と為る。又、法において若し一切貴人の愛敬を得
んと欲せば、稱名念誦すること一千八遍にして、自ら來り敬に歸して以て僕使と為る。
又、法において若し官府に入らんとすれば、心を至して誦明すること七遍にして至る。
善相を遙かに仰ぎ心に随いて得さしむ。若し面を見る時は喜悦すること無量、之を求め
る事ありて即ち能く相に為る。又、法において愛する所の女人あれば、或いは其の男子
の意(こころ)に相いに樂しまんとする者あれば、以て胡燕脂あるいは紅藍花汁を加持
し、其の二脚掌下に塗り、以て之を火に炙り二手にて上を掩う。稱名念誦すれば、彼は
即ち立ち至り、自ら来たりて相求め乃至、深隱の處に直に来り相來りて見ゆ。乃至、命
の終りまで相捨てるを肯んぜず(毎稱名の時はシャバ二合カ句の上に之を加えハツフンを
除く)。若し是れ、女人の男子をして求ましむる者あれば、並びに前法に依り之を作せ
ば、心に隨いて即ち至る。又、法において諸鬼神の身を見さしむるを得んと欲せば、尸
陀林(墓)にある燒死人の柴を取り、護摩すること一明一燒、乃至一百八遍にして、一
切の鬼神は悉く自ら身を現し即ち相見ゆるを得る。又、法において若し一切の財寶を有
する所あらんとせば、心に随いて須める所に至り心に持誦せば、自然と獲得す。又、法
において若し人を縛り事を問う所あれば、大小や淨と不淨とを問うこと無く、心に本尊
を想い心を至して念誦すれば、時に應じて即ち縛りて三世の事を問いて知る。一切の皆
を説いて知らざる事路無し。但し能く一人を縛るには非ず。乃至、百千萬人を心を至し
て之を誦せば、心に隨いて念に應じ一時にして即ち縛る。又、法において若し家人に極
めて遠き處に逃走し去る者あれば、前に準じ名を書き之を踏み念誦すれば、其の人の迴
り還りて奔走し立ち至る。若し來るの遲き者あれば即ち灰を以て彼の形を書き、毎日三
時(度)法を作せ。真言一遍誦するごとに之を打て。一たび下す乃至三七(二十一)遍
にして已む。彼は即ち恐怖して風ぼ如く即ち至る。又、法において若し一切の病を療治
せんとすれば、■(ニンベンに去)陀羅木を取り截(き)りて二十一段を作す。誦明す
ること一たびにして火中に投じ之を燒くこと遍くして已む。但し是れ疾病は即ち除き差
(なお)ることを得。又、法において若し神病を患う者あれば、阿魏藥・安悉香・雄
黄・白芥子・青木香・若練葉等を取り、並びに擣(つ)き節(ほどよ)く相和し四十九
丸を作る。一誦明して一つを火中に投ずれば其の病は即ち差る。又、法において若し狐
魅病を患う者あれば、雄黄・白芥子・■(クサカンムリに弓)■(クサカンムリに窮
)・獨頭萩・犀角■(羊にルマタ)・羊尿・白馬懸蹄・驢馬夜眼を取り、並びに擣きて
篩(ふる)いて丸に為す。加持すること一百八遍、燒いて鼻孔の中に薫らせ、并びに身
上に塗れば、狐魅は消滅し其の病は即ち差る。上の如く利益を説く所の法は悉く皆、神
驗あり。速疾にして成就す。凡(およ)そ法を作すを欲すれば、必ず須く誠を至せ。若
し心を至さず輕慢にして誦すれば、無益法なりて亦、成らず。若し誠心を至せば、一遍
にして便(すなわ)ち效驗を獲る。我は今、少しく耳にするを略説す。餘の法は能く窮
め盡くすこと莫し。若し持誦して其の證驗を求めるを欲せば、先ず我が壇を畫し、并び
に我が像を畫して壇中に安置せよ。法の如く供養すれば、即ち證驗を疾くし即ち疾く成
就す。
  大自在天女畫像法
先(ま)ず摩醯首羅天王を畫す。三面六臂にして顏貌は奇特に端正にして畏(おそ)る
べし。其の髪際從り化生する一天女は、殊に妙なりて天上・人間を喜ばすべくして、能
く勝る者無し。天衣服・瓔珞を著(ちゃく)し身を嚴(おごそ)かにす。兩手腕の上に
各(おのおの)鐶釧あり。左手は上を向け一天花を捧ぐ。右手は下に向け、裙勢を捻る
を作す。身形は長三尺なるべし。或いは大小に隨い、稱量の畫像を取るに任せ了(おわ
ん)ぬる已(のみ)。法の如く壇中に安置し供養せよ。
  祈願壇法
高さ四指肘を量り其の大小する處に随う。壇は四問を開き、東門内に於いて安悉香を焼
く。南門内に沈水香を焼く。西門に薫陸香を焼く。北門に兜樓婆香を焼く。壇の中心に
於いて本尊像を安ず。四角に於いて刀一口を安じ、明鏡を懸ける。四門に於いて各、須
く箭兩隻を安ずべし。南門の兩邊に於いて尾那夜迦位を安ず。壇の四縁周に於いて、其
の力の分に随て廻る。甜脆華果等を安置し以て供養と為す。
  次説火壇法
護摩の爐は深さ十二指に作る。爐の横は一肘を量るべし。壇の傍に於いて彼の怨家の形
貌を作る。刀を以て割り護摩念誦す。以て皀夾柴を用いて刺し諸毒藥を焼く。一たび誦
明して一たび之を燒く。四十九遍あるいは一百八遍に滿たば、即ち大いに驗ありて、彼
の怨家の即ち便ちににて消滅するを耳にす。若し一切の疾病を療せんとすれば亦、上の
法の如し。彼の鬼神の形状を作り斷截し之を燒けば決ず之を死なしめ、病は時に應じて
愈ゆるを得。
  摩醯首羅大自在天神通遊戲變化頂生衆伎藝天女成就法印
二手は合掌す。二つの名指と二つの中指は外にし相(なら)べ叉、指面は其の手背に著
(つ)く。二つの頭指は頭を微かに蹙(かが)め寶に似せる。二つの大指の頭は並びて
來去す。即ち誦を成して請いて召して明らかに曰(い)う。「のうまくまけいしばらや
をつしまぼうしきゃやえいけいきそわか」。此の印を結び、此れを誦するに随うこと七
遍。本天と諸眷屬を請いて召す。悉く皆、降くだりて至る。種種に備えを加う。次に神
通攝召一切印を結ぶ。右手の中指を以て直ぐに豎(た)てる。次に名指を以て■(クサ
カンムリに必/なび)かせ中指の後に在り。頭指を以て指頭を鉤召す。大指を以て横に
し頭小二指の甲を押す。中指を以て鉤勢の如くし外に向ける。鉤は身に向け來去す。即
ち是れ根本明を誦す。「そわか」字の上に於いて、召す所の者の名を加え之に請う。若
し此の印を結び攝召一切を誦明すれば、悉く皆が立ち至る。是れ神通攝召印なり。亦、
一切の用いる處に通ず。若し怨惡する人に逢いて相いに刑害するを欲せば、印を結び其
の中指を展べ、彼の之を■(テヘンに為/はな)すを望めば自然と散壞す。諸の惡鬼神
は之を指(ゆびさ)せば消滅す。此の印を結び根本明を誦し心・額・喉・頂・に印せ
ば、即り護身と成る。一切の鬼魅は敢えて親しく近づかず。其の法は必ず須く師從り親
しく授けよ。淨室にて密かに念誦ごとに持す。淨らかな絵帛を以て天の形像を覆う。輒
(たやす)く餘人に向かいて此の法を説くを得ず。若し妄(まだ)りに之を泄(もら)
せば終身にして效無し。之を慎め、之を慎め。其の天の像あるいは畫あるいは素總を得
ば、壇の中心に於いて本天形像を安置す。天の左右に於いて各、二女天を安ず。若し壇
中に坐位で安ずるならば、形貌は喜くべきもの天女の形状の如し。其の像の後に又、二
りの侍從の女天位を安ず。唯、前面に於いて諸香藥を焼き本天に奉獻する所の爐處所に
火を留めること、火爐を安ずること能わざるが如し。一寶盆を著し、其の香水を盛り諸
妙花を著し之に獻ずれば、亦、得る。壇の四角四門に於いて、其の刀箭を安んずること
能わざれば、但し壇外に於いて之を畫すれば亦、得る。唯、鏡を移し壇内の四角に於い
て安ずること、餘部の壇法の如し。羯磨杵を安ずる處は即ち仰ぎ得て之を安ず。若し壇
を畫す時、壇の四面の地上に於いて畫し五色綵雲を作せば、地從り踴出する勢いありて
壇を捧げるが如し。摩醯首羅頂生天女法

     ◆
 まぁ要するに、伎藝天は、殆ど弁財天なんである。秋篠寺の「伝・伎藝天像」は国内
唯一と言われるもので全国各地、だいたいは弁財天が祀られている。経典は日本に入っ
てきていたにも拘わらず、である。恐らく川の女神として、また仏教神として二大巨頭
とされる梵天とか帝釈天とかの妻であり古代印度でも深く信仰されたサラスヴァーテ
ィー弁財天に吸収され混淆し、同一視された(ってぇか秋篠寺の「伝・伎藝天」も腰を
クネらせた格好が「躍るシヴァ神」に似てなくもないので伎藝天と伝えられているのだ
ろうけれども、実は帝釈天像と対になっており、弁財天だと解釈した方が……)。弁財
天は、信乃と縁が深い。だいたいからして、秋「篠(しの)」である。信乃は対関東管
領戦に於いても親兵衛の後見人/庇護者として振る舞うが、勅使として親兵衛に追い付
き、駅鈴を直ちに返すよう助言する広当は、然り気なく庇護者の雰囲気を漂わせてい
る。敢えて虚花とは云わず、かなり微かではあるが、広当は京に於いて親兵衛を見守る
信乃の如き位置を与えられているのではないか。

 さて、信州馬籠で走帆を喪った親兵衛は関東に戻る。千住河原で青海原と再会する。
信乃が陣中に連れてきていたのだが、盗人に奪われた。逃げ出し奇しくも親兵衛に巡り
会ったのだ。親兵衛が馬盗人を懲らしめていると、偶々里見方に属こうとしていた二四
的寄舎五郎・須々利壇五郎および手下計六十五人と合流する。一方、同じ頃、信乃は火
牛の計を以て許我公方・成氏らの駢馬三連車陣を破ろうとしていたが、牛の代わりに摩
利支天の社地で、もとは安房軍事演習で狩った猪を偶々得た。

 信乃が火計に於いて牛ならぬ猪を使う理由は、単純に考えると、以下の如きである。
伏姫→観音→天照太皇神→太陽の連想から、伏姫は眷属の陽炎/摩利支天女の使いであ
る猪は当然支配しているから、里見軍を救うために遣わした。洲崎神社が祀る女神は太
陽/天照の眷属とも考えられており、摩利支天女とも重なる。そして他ならぬ、信乃の
もとへ猪が届けられた理由は、信乃自身も、登場当初に伏姫の姿を写して女性させられ
世四郎犬に跨っており、信乃自身を太陽の眷属・陽炎の化身・摩利支天女に擬すること
が出来る。よって、摩利支天女の使いである猪を手に入れる。……が、馬琴は一筋縄で
はいかぬ。表記の意味や理由が一つとは限らない。実は「猪」と信乃の関係に、また一
つの可能性も在る。玄同放言下集第十一地理「武蔵太田荘」だ。

     ◆
武蔵国埼玉郡川口村は旧名太田の荘といひけり。……中略……余が通家、真中氏は彼郷
の旧家にして、猪隼太が後なりといふ。その口碑に傳ふるよしを聞くに、高倉院の治承
四年五月廿六日、宇治川の軍破れて、三位頼政入道父子、平等院にて自刃し給ひしと
き、猪隼太は遠江にあり(老後本国へ退隠せしなるべし)。遙に義兵のよしを傳へ聞き
て走せて京へ赴く折、三河路にて下河辺藤三郎が三位入道の首に倶して下総へと落ちて
来つるに逢ひけり。こ丶にはじめて猪隼太は主家の凶音を聞きて遺恨に堪へざれどもす
べなし、せめて和殿もろ共に主のおん首に倶し奉り墳墓せん処をも見果侍らんといふ。
藤三郎聞きて、げに遠江はなほ都のかた近かり。誘給へと打ちつれ立ちて下総へ落ちて
行けり。かくて頼政公の首を下総の猿島なる古河の里に埋葬つ丶隼太は其処にて頭顱を
剃りまろめ、塚のほとりに菴を結びて亡君の菩提を吊ひぬ。是年八月、前武衛木曾冠
者、東北に起りつ丶合戦年を累ねて平家は西海の波濤に沈没し、源氏一統の世となりに
けれども、隼太入道は旧里へかへることを思はず。終に古河にて身まかりけり。隼太が
妻子も其処に集合て子孫真中村(古河を去ること一里許にあり。今は間中に作るとい
ふ。その故をしらず)にをり。これ真中氏の祖なり。是より十あまりの世を累ねし比、
頼政卿の曾孫、左衛門の尉国綱ぬしの後たる武士某氏、武蔵国埼玉軍太田荘の地頭たる
により旧縁あればにや、真中氏も太田荘へ移住してけり。子孫今なほ彼処に在り。世村
正たり。皆実子にてし嗣きぬといふ。この事、祖父(諱興吉字左仲法名浄頓宝暦十年庚
辰十二月十九日下世年六十一)の物語なりとて、わが家の口碑に傳ふる所と吻合す。按
ずるに猪隼太は右大臣藤原武智麻呂の後裔、遠江権守為憲が末葉、同国の住人、井氏の
族たり。平家物語(ぬえの段)源平盛衰記(三位入道の段)参考太平記(塩谷判官讒死
の段)等に載する所、猪隼太(参考太平記)猪早太(平家物語)早太(盛衰記)とのみ
しるして実名傳はらず。家記には、守資、或は資直に作る。然るや否やをしらず。凡軍
記に載せたるは、頼政怪鳥を射る一段のみ。宇治川の戦に、かの人の事見えざれば事迹
の考ふべきものなし。……中略……松田一楽が武者物語(上巻)云、ふるき侍の物語に
曰、源三位入道頼政、氏の平等院にて自害の時、郎等に向ひて曰、吾白骨を平等院にを
さむべからず。頭陀に入れ汝首にかけて諸国を修行すべし。吾とどまらんとおもふ所に
て瑞相あるべし。其所に白骨を納むべしと有りて、自害とげ給ふ。其ごとくかの郎等、
白骨を首にかけ諸国をめぐる。こ丶に下総国古河といふ所に著きたり。とある芝原に頭
陀をおろし、しばし休息して扨立ちあがり頭陀を取りて首にかけんとしけれども、づだ
あがらず。郎等ふしぎの思をなし、さらば爰に骨ををさめんと思ひ、在所の人をかたら
ひ、古河村の在所に白骨を納め、其所にかの郎等も庵をむすび、おこなひすまして、其
所にて死にたりしとなり。今に於て古河に頼政塚あり。今は古河の城内になる彼塚のあ
る所を頼政曲輪といふなり。この書小説に係ると雖も、かの家説と暗合せり。只その郎
等の姓名を識さざるを遺憾とするのみ。
     ◆

 馬琴は自らのルーツを探ることに情熱を傾けていた。軍記や物語に登場する人物に、
「瀧澤」とか「真中」なんて見付けると、執拗に自分との関係を探ろうとしていた。そ
んな馬琴が、源平盛衰記とかに見出した源三位頼政の忠臣・猪隼太に就いて語った部分
である。「猪」は【遠江の藤原姓井氏】であったと言っている。遠江ではないが信乃の
母方は信州井氏であり藤原姓である。郷士を祖とした馬琴が、郷士・大塚家に自分を投
影していたとする論者もいるが、なるほど「井」氏を通じて、両者は重なる。秋篠将曹
と信乃が「井」でも繋がることは、既に示している。そして、信乃が若い頃、居候生活
から放浪生活まで長らく経験し、理不尽な扱いを経て確固たる自我を練り上げていく側
面は、或いは馬琴の主観的記憶が投影されたものか。……ぢゃぁ馬琴は幼い頃に女装し
ていたのか、との疑念も湧くが、黄表紙の自画像やら後の翁像を見て、美少年であった
と筆者は思いたくない気分なので、否定的だ。いや、そうではなく、馬琴は「井」氏の
表記に「猪」もあるとしているのだから、井氏(母方)に連なる信乃の眷属が猪である
とは、まことに以て名詮自性である。色白美青年・信乃にブヒブヒ擦り寄り甘える瓜坊
六十五頭……なかなか佳い図だ。
 ところで引用文後半に、猪隼太が携えた頼政の首が古河で持ち上がらなくなり、其処
に葬ったと書いている。此は素藤との戦いに於ける南弥六の挿話と無関係ではないだろ
う。例えば菅原道真も、配流先の太宰府で死んだとき、罪人だから死ねば斬首され都に
送られる筈なのだが、それではアンマリだと忠臣が遺体を密かに運び出した。車を引い
ていた牛が、ウンともスンとも動かなくなった。困った忠臣が、其の場に葬った。太宰
府天満宮である。自らが鎮座すべき場所に至ると動かなくなるってぇのは、珍しい話で
はないのだ。頼政の逸話も、其の一話に過ぎない。が、わざわざ馬琴は八犬伝に南弥六
の話を挿入した。自分の祖先に重ね合わせていたのだろう。南弥六は洲崎無垢三の縁者
で無頼の徒であった。里見義実を害せんとし、親兵衛に諭されて、里見家に従う。素藤
を追い詰めたが、妙椿狸の妖術に阻まれ、無念の死に至る。洲崎沖海戦では、息子の増
松に憑依して、華々しく軍功を挙げさせた。かなり恰好良い役柄だ。南弥六には馬琴の
思い入れが感じられる。閑話休題。
 国府台合戦に話を戻す。「太陽の眷属」に於いて、駢馬三連車との戦いが三国志の名
場面・赤壁の戦いを模したものだと述べた。三国志演義では諸葛孔明の活躍を過大に評
価しているが、三国志では呉の都督・周瑜の手柄だとしている。周瑜は美周郎とも称さ
れた美男子であり、信乃に似合う。但し、もう一人の美男子、毛野も美周郎だったりも
する。八犬伝第百五十三の、「八百八」の謎掛けは、百回本「三国演義」第四十六回
「用奇謀孔明借箭 献密計黄蓋受刑」が元ネタであろうとは、やはり「太陽の眷属」で
述べた。だいたい、史書の三国志では、以下の如くアッサリしている。

     ◆
其年九月曹公入荊州、劉j挙衆降、曹公得其水軍、船歩兵數十萬。將士聞之、皆恐、權
延見下、問以計策。議者咸曰、曹公豺虎也、然託名漢相、挾天子以征四方、動以朝廷為
辞、今日拒之、事更不順、且將軍大勢、可以拒操者、長江 也、今操得荊州、奄有其地、
劉表治水軍、蒙衝艦、乃以千數、操悉浮以沿江、兼有歩兵、水陸倶下、此為長江之險、 
已與我共之矣、而勢力衆寡、又不可論、愚謂大計不如迎之。瑜曰、不然、操雖託名漢
相、其實漢賊也、將軍以神武雄才、兼仗父兄之烈、割據江東、地方數千里、兵精足用、
英雄樂業、尚當横行天下、為漢家除殘去穢、況操自送死、而可迎之邪、請為將軍籌之、
今使北土已安、操無内憂、能曠日持久、來爭疆場、又能與我校勝負於船楫闌チ、今北土
既未平安、加馬超・韓遂尚在関西、為操後患、且舍鞍馬、仗舟楫、與呉越爭衡、本非中
國所長、又今盛寒、馬無草、驅中國士衆遠渉江湖之閨A不習水土、必生疾病、此數四
者、用兵之患也、而操皆冒行之、將軍禽操、宜在今日。瑜請得精兵三萬人、進住夏口、
保為將軍破之。權曰、老賊欲廢漢自立久矣、徒忌二袁・呂布・劉表與孤耳、今數雄已滅
惟孤尚存、孤與老賊、勢不兩立、君言當撃、甚與孤合、此天以君授孤也。(江表傳曰、
權拔刀斫前奏案曰、諸將吏敢復有言當迎操者、與此案同。及會罷之夜、瑜請見曰、諸人
徒見操書、言水歩八十萬、而各恐懾、不復料其虚實、便開此議、甚無謂也、今以實校
之、彼所將中國人、不過十五六萬、且軍已久疲、所得表衆、亦極七八萬耳、尚懷狐疑、
夫以疲病之卒、御狐疑之衆、衆數雖多、甚未足畏、得精兵五萬、自足制之、願將軍勿
慮。權撫背曰、公瑾卿言至此、甚合孤心、子布文表諸人、各顧妻子、挾持私慮、深失所
望、獨卿與子敬與孤同耳、此天以卿二人贊孤也、五萬兵難卒合、已選三萬人、船糧戰具
倶弁、卿與子敬程公便在前發、孤當續發人衆、多載資糧、為卿後援、卿能弁之者誠決、
邂逅不如意、便還就孤、孤當與孟徳決之。臣松之以為建計拒曹公、實始魯肅、于時周瑜
使■番にオオザト/陽、肅勸權呼瑜、瑜使■番にオオザト/陽還、但與肅闇同、故能共
成大勲、本傳直云、權延見下、問以計策、瑜擺撥衆人之議、獨言抗拒之計、了不云肅先
有謀、殆為攘肅之善也)時劉備為曹公所破、欲引南渡江、與魯肅遇於當陽、遂共図計、
因進住夏口、遣諸葛亮詣權、權遂遣瑜及程普等與備并力逆曹公、遇於赤壁。時曹公軍已
有疾病、初一交戰、公軍敗退、引次江北、瑜等在南岸。瑜部將黄蓋曰、今寇衆我寡、難
與持久、然觀操軍船艦首尾相接、可燒而走也。乃取蒙衝艦數十艘、實以薪草、膏油灌其
中、裹以帷幕、上建牙旗、先書報曹公、欺以欲降(江表傳載蓋書曰、蓋受孫氏厚恩、常
為將帥、見遇不薄、然顧天下事有大勢、用江東六郡山越之人、以當中國百萬之衆、衆寡
不敵、海内所共見也。東方將吏、無有愚智、皆知其不可、惟周瑜・魯肅偏懷淺■章の右
にフユガシラ中に工で下に貝んでもって全体の下に心←トウ意味は馬鹿/意未解耳、今
日歸命、是其實計、瑜所督領、自易摧破、交鋒之日、蓋為前部、當因事變化、效命在
近。曹公特見行人、密問之、口敕曰、但恐汝詐耳、蓋若信實、當授爵賞、超於前後也
)、又豫備走舸、各繋大船後、因引次倶前。曹公軍吏士皆延頸觀望、指言蓋降。蓋放諸
船、同時發火、時風盛猛、悉延燒岸上營落、頃之、煙炎張天、人馬燒溺死者甚衆、軍遂
敗退、還保南郡(江表傳曰、至戰日、蓋先取輕利艦十舫、載燥荻枯柴積其中、灌以魚
膏、赤幔覆之、建旌旗龍幡於艦上。時東南風急、因以十艦最著前、中江挙帆、蓋挙火白
諸校、使衆兵齊聲大叫曰降焉、操軍人皆出營立觀、去北軍二里餘、同時發火、火烈風
猛、往船如箭、飛埃絶爛、燒盡北船、延及岸邊營柴。瑜等率輕鋭尋繼其後、雷鼓大進、
北軍大壞、曹公退走)備與瑜等復共追。曹公留曹仁等守江陵城、徑自北歸
……中略……
權拜瑜偏將軍、領南郡太守。以下雋漢昌劉陽州陵為奉邑、屯據江陵。劉備以左將軍領荊
州牧、治公安。備詣京見權。瑜上疏曰、劉備以梟雄之姿、而有關羽張飛熊虎之將、必非
久屈為人用者。愚謂大計宜徙備置呉、盛為築宮室、多其美女玩好、以娯其耳目、分此二
人、各置一方、使如瑜者得挾與攻戰、大事可定也、今猥割土地以資業之、聚此三人、倶
在疆場、恐蛟龍得雲雨、終非池中物也。權以曹公在北方、當廣英雄、又恐備難卒制、故
不納。是時劉璋為益州牧、外有張魯寇侵。瑜乃詣京見權日、今曹操新折、方憂在腹心、
未能與將軍連兵相事也、乞與奮威倶進取蜀、得蜀而并張魯、因留奮威固守其地、好與馬
超結援、瑜還與將軍據襄陽以操、北方可図也。權許之。瑜還江陵、為行裝而道於巴丘病
卒(臣松之案、瑜欲取蜀、還江陵治嚴、所卒之處、應在今之巴陵、與前所鎮巴丘、名同
處異也)。時年三十六。權素服挙哀、感動左右。喪當還呉、又迎之蕪湖、衆事費度、一
為供給。後著令曰、故將軍周瑜、程普其有人客、皆不得問。初瑜見友於策、太妃又使權
以兄奉之。是時權位為將軍、諸將賓客為禮尚簡、而瑜獨先盡敬、便執臣節。性度恢廓、
大率為得人、惟與程普不睦(江表傳曰、普頗以年長、數陵侮瑜。瑜折節容下、終不與
校。普後自敬服而親重之、乃告人曰、與周公瑾交、若飲醇醪、不覺自醉。時人以其謙讓
服人如此。初曹公聞瑜年少有美才、謂可游説動也、乃密下揚州、遣九江蒋幹往見瑜。幹
有儀容、以才辯見稱、獨歩江淮之間、莫與為對。乃布衣葛巾、自託私行詣瑜。瑜出迎
之、立謂幹曰、子翼良苦、遠渉江湖為曹氏作説客邪。幹曰、吾與足下州里、中間別隔、
遙聞芳烈、故來闊、并觀雅規、而云説客、無乃逆詐乎。瑜曰、吾雖不及曠、聞弦賞音、
足知雅曲也。因延幹入、為設酒食。畢遣之曰、適吾有密事、且出就館事了、別自相請。
後三日、瑜請幹與周觀營中、行視倉庫軍資器仗訖、還宴飲、示之侍者服飾珍玩之物、因
謂幹曰、丈夫處世、遇知己之主、外託君臣之義、内結骨肉之恩、言行計從、禍福共之、
假使蘇張更生、■麗にオオザト/叟復出、猶撫其背而折其辞、豈足下幼生所能移乎。幹
但笑、終無所言。幹還、稱瑜雅量高致、非言辞所閨B中州之士亦以此多之。劉備之自京
還也。權乘飛雲大船、與張昭秦松魯肅等十餘人共追送之、大宴會別。昭肅等先出、權獨
與備留語、因言次、歎瑜曰、公瑾文武籌略、萬人之英、顧其器量廣大、恐不久為人臣
耳。瑜之破魏軍也、曹公曰、孤不羞走。後書與權曰、赤壁之役、値有疾病、孤燒船自
退、横使周瑜虚獲此名。瑜威聲遠著、故曹公劉備咸欲疑譖之。及卒、權流涕曰、公瑾有
王佐之資、今忽短命、孤何頼哉。後權稱尊號、謂公卿曰、孤非周公瑾、不帝矣)。(三
国志巻五十四呉書九周瑜)
……中略……
蓋姿貌嚴毅、善於養毎所征討、士卒皆爭為先。建安中、隨周瑜拒曹公於赤壁、建策火
攻、語在瑜傳(呉書曰、赤壁之役、蓋為流矢所中、時寒墮水、為呉軍人所得、不知其蓋
也、置廁中、蓋自彊以一聲呼韓當、當聞之曰、此公覆聲也。向之垂涕、解易其衣、遂以
得生)。拜武鋒中郎將。武陵蠻夷反亂、攻守城邑、乃以蓋領太守。時郡兵才五百人、自
以不敵、因開城門、賊半入、乃撃之、斬首數百、餘皆奔走、盡歸邑落。誅討魁帥、附從
者赦之。自春訖夏、寇亂盡平、諸幽邃巴醴由誕邑侯君長、皆改操易節、奉禮請見、郡境
遂清。後長沙益陽縣為山賊所攻、蓋又平討。加偏將軍、病卒于官(三国志巻五十五呉書
十韓當)
     ◆

 三国演義と比べると、孔明は殆ど出てこない。それでも周瑜の優秀さを示したり、黄
蓋が音音よろしく水に飛び込む(落ちる)場面は、しっかりある。とはいえ、やはり演
義ほど劇的ではない。だいたい呉軍(もしくは協力している劉備の軍師・孔明)が東南
/巽の風を妖術に依って起こす場面がない(正史だから当たり前ぢゃが)。しかも、火
計の実質的戦術は、黄蓋の献策であった。やはり馬琴は三国演義を主に参照したとは思
われる。但し、八犬伝の登場人物は、過去の文物を背負いつつ、其れが一対一の関係で
留まってはいない。多対多の関係だ。例えば孔明に擬せられていると疑える者には、洲
崎沖海戦で、それこそ赤壁の戦い宜しく火計を立案した毛野が、まず挙げられる。が、
立案は毛野でも、演義風に巽風を吹かせた者は、丶大である。火気の犬士・大角も協力
している。また、親兵衛も八卦の陣を駆使し、孔明ぶりを発揮する。更に行徳口の戦い
で荘介は三国演義を引き、孔明が赤壁の戦いで藁人形を用いて曹操軍から矢をせしめた
作戦を真似して、鉄砲の弾(ってぇか玉)を得る。孔明がイッパイな情況だ。ただ注意
せねばならぬ事は、当然、三国志も読んでいたであろう馬琴が、演義一辺倒で八犬伝を
書いたとは思えない。第五輯口絵の信乃は「王佐の器」と呼ばれている。「王佐」は三
国志でも頻出する語句で、王允とかにも使われる要するに王を王たらしめる賢臣ぐらい
の意味だけれども、上に挙げた箇所では赤壁の戦いに関連し感動的筆致で孫堅に、「王
佐之資」と言わしめている。更に復た、駢馬三連車は飽くまでも水滸伝が元ネタであろ
うから、既に国府台戦では、三国演義のみならず水滸伝も混じっちゃってるのだ。様々
な物語が、様々の人物に移し替えられ蓄積し、八犬伝の各キャラクターは設定されてい
る、と見るべきだろう。故に美貌を以て、正史三国志の周瑜が、信乃とダブらされてい
ると、筆者は判じた。

 因みに、ついでに書き添えると、三国演義の黄蓋役を務めた音音は、「火の玉! 音
楽一家」で丙午年生まれであろうと推測した。恐らく間違いないだろう。火気が最も旺
ずる時に生まれたからこそ、洲崎沖海戦に於ける火計の実行犯になるのだ。が、丙午生
まれの女性に対する差別に対し、馬琴は「禄命家の説に、生れたる年をのみ取るといふ
ことは絶てなし。か丶れば丙午の年をもて生たる女も忌に足らず」(燕石雑志丙午)と
一蹴している。一方で、西暦千九百六十六(丙午)年生まれの日本人は、有意に少な
い。迷信に左右された結果だ。五行説に拠る物語構築と、現実に対する態度は全く別物
だ。だからこそ逆に、馬琴は実生活で家父長制下の家長として傲然と家内を支配する態
度をとっているやにも見受けられるが、一方で八犬伝やら傾城水滸伝やら読むと、表層
こそ封建制的装飾を施してはいるが、其の実、かなり未来的なコミュニケーション状態
が描かれている。勉励・競争(互いを見詰めながら足を引っ張り合う競争ではなく理念
を真っ直ぐに見詰めて進むことで第三者的に見れば競争に見える状態)しかして連帯、
である。さて、「江戸時代」の八犬伝と「現代」の小説群、何連が人間社会に対し深い
洞察を有するか、其の判断は、読者に委ねよう。(お粗末様)




#373/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:51  (368)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「阿耨多羅三藐三菩提」 久作
★内容
 レインボーマン! ……いや、何でもない。独り言だ。

八犬伝の国府台合戦で登場する猪は六十五頭であった。「六十五」の持つ意味は現在の
所詳らかではないけれども、二四的寄舎五郎ら六十五人と暗合していることは明らか
だ。或いは日本三大摩利支天のうち京・建仁寺禅居庵の像は七頭の猪に乗り六頭の猪狛
犬に守られている。合計十三頭の猪を従えているのであるが、十三かける五は六十五、
未詳であるが摩利支天は「十三」によって象徴されている可能性がある。六十五頭の猪
によって信乃は駢馬三連車陣を破り、後に成氏を捕獲する。親兵衛は二四的寄舎五郎ら
六十五人を得て、里見義通の危急を救う。此処でも「六十五」に依って信乃と親兵衛の
行為は関連付けられている。自分の身代わりとなった房八の埋葬に当たって親兵衛を抱
くのは信乃であるし(第三十九回)、第百六十八回で信乃は穴に落ち込んだ親兵衛を助
け、庇護者ぶりを見せつける。信乃と親兵衛の関係は、甚だアヤシイ。浜路・荘助・現
八とモテモテの信乃だが、親兵衛までタラシ込んでいたか。全き色男振りであるが其れ
は、さて措き、青海波を同行しなかった親兵衛は走帆を必要とした如く、やはり京でも
現地夫ならぬ信乃の代理を欲しただろう。秋は金気であり西に配当される。よって「
秋」は「西」であって、「秋篠」は「西/京の信乃」にも通ずるか。また、姥雪代四郎
は富山で親兵衛を養育した実績があるけれども、結城法会に合流し他七犬士と邂逅した
親兵衛と緊密に結ばれていく。もう代四郎は道節なんて振り返らない。親兵衛一筋に生
きていく。第百四回で久々に登場した姥雪世四郎は、何故だか「与四郎」になってい
る。この不可思議な現象は第百二十三回で説明されている。

     ◆

犬江腋子に倶して出世の那日より数ならでども我通称の世四郎の世を与に改めて与四郎
と喚れ候ひき。こは惶うも君が名乗(忠与←道節)の与の一字を賜りし心操にて候な
り。恁れば君が御名代に身は逸早く安房に在り。世四郎ならぬ君が名の一字を戴く名頭
こそ故を忘れぬ愚僕が本性この義を饒させ給へかし
     ◆

 要するに、主人道節の名「忠与」の一字を勝手に使っていたのである。事後承諾を求
められた道節は、

     ◆
そは左も右の事ながら、同じくは与四郎の与を改めて代の字に做さば即我に代るの義あ
り。又与の字も捨がたくは今よりして姥雪代四郎与保と名告りねかし
     ◆

 あっけなく「与四郎」は却下され、「代四郎」となった。これまで、「与四郎」は信
乃の愛犬と同名であり、「代四郎」は与四郎犬の「代わり」だとの解釈が通用してき
た。是である。そして、いま一歩進めば、此は親兵衛と信乃のアヤシイ関係が、尚も緊
密化することを意味している。妙椿狸の詐術に陥ちた里見義成は親兵衛と浜路の関係を
疑うけれども、浜路は信乃としか結び付けない女性だ。姫は他に七人もいるのだし、も
っと歳のバランスを考えて不倫を設定すれば良いものの、浜路を持ち出した不自然さ
は、親兵衛と信乃のアヤシイ関係を前提にすれば、理解が可能となる。結論を先んずれ
ば、【親兵衛と信乃は、ちょっとカブってる】のだ。また妙椿狸に唆された恰好ではあ
るが、蟇田素藤が浜路姫に劣情を催し陵辱せんがため養女として所望した事から、里見
家と素藤の戦闘が起こり、姉が駄目なら弟で良いや、と思ったワケでもなかろうが、素
藤は義通を緊縛して辱める。陰なる日本武尊の死因は伊吹山に在ったが、伊吹山出身の
蟇田素藤は「蟇」なんだから、当然、信乃に覆い被さりネチネチと苛んだ蟇六と無関係
でないと知れる。また蟇六は、浜路を養女にしていた。蟇は土性であり、土剋水の理に
於いて、水気の信乃を責め立てる。結局、蟇六により簸上宮六と無理に結婚させられそ
うになった浜路は自殺を企て、網干左母二郎に略奪された挙げ句、殺された。しかし蟇
田素藤は浜路姫を得ることなく、【信乃と、ちょっとカブってる】木気の親兵衛を敵に
回すこととなった。木剋土、親兵衛は当然の如く勝利した。

 別に特別な論理ぢゃぁない。「日本ちゃちゃちゃっ」シリーズでも述べた如く、火の
王朝を標榜した天武は正統近江王朝の当主で甥でもあった大友皇子を金気と決め付け、
火剋金、死に至らしめた。が、天武の妻・持統は皇位を継ぐに当たって何等かの呪法を
行ったと見られる。日本書紀の記述に、犬と蛇がセックスしたと思ったら、いきなり死
んだ。と書かせねば気が済まなかったことは確かだ(実際に日本書紀は持統の孫の代に
成立したが王朝としては連続しているし編纂開始は天武期だったかもしれず、当然のこ
とながら、持統を否定できはしない)。火の王朝が存続する為には、水剋火、水は予め
滅んでくれていなきゃなんない。だからこそ、自分が滅ぼした金気(犬)と自分を滅ぼ
すであろう水気(蛇)は、一緒くたに死んでくれてなければならぬ。何せ、金生水、水
は金の子であり、金を滅ぼせば当然、子の水は仇を討とうとし、水剋火、復讐は成就す
る。此の関係が木気の親兵衛と水気の信乃の間にも見られるのだ。土剋水、水は土に侵
され苛まれるが、水生木、水の子である木は、木剋土、水の復讐を代行し土を倒す。水
気の姫・浜路略奪を廻り里見に弓引く素藤は、まぁ里見は源氏の白旗、金気の一族であ
るから、土生金、土気の素藤に実は頭が上がらない。母は(子を束縛するが故に)凶、
である(あくまで「五行大義」の説であり現実の親子関係に対し筆者が思うところとは
違うんだけれども)。恐らくは唯一の木気犬士・親兵衛の力なくして、素藤討伐は成ら
なかったであろう。親筋の信乃が親兵衛と良好な関係にあるは、束縛していないからだ
ろう。
 そう、親兵衛の素藤討伐は、五行説上の一致せる敵役、信乃を囲い苛み続けた蟇六も
しくは浜路を市に至らしめた蟇六への復讐を、親兵衛が代行したものと読める。復讐を
代行する為には、本人と無関係ではイケナイ。親兵衛の実父房八が信乃と瓜二つである
との設定は、房八が信乃の身代わりとして死ぬ為だけではなく、其れゆえ信乃が恩義を
感じて親兵衛の父代わりに後見をしようと決意するのみならず、霊的な父信乃の代理と
して親兵衛に浜路守護すなわち素藤討伐をさせるのだ。また、それ故、第一回上洛時に
於ける親兵衛唯一の失態、駅鈴の借り受けを、糊塗するために「あき信乃」が登場す
る。変態管領・政元のことだ、駅鈴を私用で持って行った粗忽の罪を殊更に言い募って
公の捕り手を派遣、赤い縄を白く豊満な膚に食い込ませる亀甲縛りで蝋燭垂らし、石抱
き海老責め三角木馬、お好きな方は荘助よろしく水責めは別料金(な、何の?)、船虫
だったら吊るし責め、噛んではならぬが舌を絡め四肢を絡め、アンナコトやソンナコト
や、此処には書けない事どもを、しようとしていたに違いない。秋篠が、そ知らぬ顔で
駅鈴を逸早く返却したとき、政元の「苦咲(にがわらい)」が、事情を語っていよう
か。あき信乃は、(霊的な)親(の其のまた代理)として親兵衛の操を守ったのであ
る。

 復た同時にヨツシロ走帆に乗るdesired親兵衛は、与四郎犬に乗る女装美少
年・信乃とダブる。元々親兵衛と信乃は濃密に繋がっているが、秋篠と親兵衛の関係に
依って、裏面からも証明できる。かてて加えて、親兵衛の【現在】と信乃の【過去】が
ダブっている(作中)事実は、親兵衛は過去の信乃が変形し理想化し繰り返され描かれ
た存在であることを示している。また理想化を貫徹する為にこそ、信乃/秋篠は、親兵衛
を庇護し導く。馬琴は、大塚家に同化しているとも考えられるので、人の親でもあった
馬琴が夢見た理想の親子関係こそ、親兵衛と信乃/秋篠の関係であったかもしれない。
 また一方で、「母殺し」で述べたように、【善なる(祖)母】妙真と表裏一体の【悪
しき母】八房の養母・妙椿狸(房八を犬士の霊的な父とすれば母であり、房八の母とす
れば祖母となる)は、親兵衛に滅ぼされねばならなかった。先立って親兵衛は、もう一
人の【善なる母】伏姫を独占して、富山で育つ。伏姫が天照皇太神の神話を纏っている
ことは、夙に述べた。傍証として、親兵衛が再登場する段になって「田税(たぢから/
田力雄)」なる里見配下の武士が登場することを挙げた。結局、伏姫が親兵衛となって
再来したってことだ。勿論、伏姫その者としてではない。イデア世界に於ける、伏姫と
根を同じうする何者か(天照への繋がりから太陽のイメージか)が、親兵衛にも繋がっ
ている、ぐらいの意味だ。言い換えれば、伏姫の雄々しい部分が親兵衛に凝縮された
か。
 では、伏姫の女性性は何処に行ったのか、散ったのか? そうではない。親兵衛に先
行して、いや犬士全員を代表して、伏姫との繋がりを、犬に乗る美少女との形で強調さ
れた信乃の事例がヒントになる。信乃は形こそ女性的であるが、純然たる男の子であっ
た。対して伏姫は、恐らく女性である。信乃が女装を解き、少年として成長し、男とし
て旅立つと、許嫁の浜路は、すぐさま殺された。恐らくは伏姫から分化した女性性の権
化が、浜路であった。言い換えれば、浜路は(作中で)実在する人物であったが、信乃
のアニマであったと考えられるのだ。男として旅立つとき、(心理学からすれば不健全
かもしれないが)信乃のアニマは一時的にせよ否定されねばならなかった。勿論、アニ
マとかアニムスとかって言葉を、馬琴が知っていたとは思えない。が、所詮、心理学と
か精神分析とか、昔から(西洋近代で)常識とされている所を小難しく説明している部
分が多いようだ。ブルジョア道徳の枠から出れば、変態だと判断したがる。真実の曠野
は、より広い。今まで縷々述べてきたように、絶え間なく流動しつつ確固たる存在の表
出を描いた八犬伝が、そんな単純な分析手法で捉えられる筈もない。が、用語としては
便利だから使うんだが、伏姫は死ぬ直前に【変成男子】、自らの女性性を断ち切ろうと
したが、信乃は自らのアニマを旅立ちに当たって切り捨てた。アニマの表現たる浜路
は、闇に葬られてしまう。しかし、旅の中で仲間と出会いつつ、信乃は(後の)浜路と
巡り会う(第六十八回)。アニマを再び獲得したことになる。直前には大角が、現八の
支援を受け、【悪しき父】からの独立を果たしている(第六十六回)。此の辺り(第七
輯から第八輯)で、犬士が大きく成長し、互いの連帯を強めていく。各キャラクター
が、内包するモノを分化し結合し継承し変化する様は、いかにも目まぐるしい。此の土
壌には、恐らく仏教がある。この上ない不信心者である筆者だが、若干の説明を試みて
みよう。

 犬士の玉は天地開闢時に生まれ出たものだ。其れは神に等しいかもしれない。「開
闢」とは、混沌なる宇宙が天(陽)と地(陰)に分かれた現象を謂う。犬士の玉は、明
るく光る水晶ってんだから、陽と思える。就中、田税逸友(←従姉妹の田税戸賀九郎逸
時と共に田力雄の移し身と思量される)の登場によって、天照/伏姫に代わって再登場
する親兵衛は、照り輝ける存在だ。「仁」は少陽ではあるが、陽極まって陰萌す、太陽
は既に下降を余儀なくされている。少陽の方が、上昇ベクトルが大きい。三日会わざれ
ば刮目して対せねばならぬ、成長期の少年(女性含む)だ。故の放射、光である。対し
て丹波国桑田郡産の甕襲の玉は、表面が毛皮であった。毛色によって異なろうが、狸だ
から暗褐色であろう。陰のイメージである。陰なる玉を操る妙椿狸は、輝ける少年犬士
/親兵衛仁と敵対する。拝火教ではないが、陰と陽との戦いだ。結局(ってぇか、あっ
けなく)、陰/妙椿狸は敗れ去る。背には「如是畜生発菩提心」の八字が烙印されてい
た。現世に於いて【陰】を表現した一つの魂が、無に帰した途端、救済された、と見る
べきだろう……。さて、八百比丘尼が操った陰の玉を使い、洲崎沖海戦で丶大は巽風を
起こした。後に、甕襲玉の毛皮が破れ八個の「白玉」が現れた。陰が陽に転換された。
玉の各々には文字が浮かんでいた。並べ換え、「三」を二度読めば、「阿耨多羅三藐三
菩提」となった。此の玉は洲崎沖法会に供された。
 「然る程に夕陽西に斜にして、法会の読経果しかば(中略)一蓮托生、等見菩提(中
略)当下丶大は阿耨多羅三藐三菩提の識算ある数珠をうち揮りうち払ふ、縦横無碍の法
力に、奇しきかな、識算の八の玉を串きし数珠の緒、弗と振断離られて海へ■(水のし
た入/ザンブ)と入よと見へける、那時遅し這時速し、渦く潮水に波瀾逆立て、百千万
の白小玉、忽焉として立升る、白気と倶に中天に、沖りて宛衆星の、烏夜に晃くに異な
らず。又其許多の白小玉、亦只数万の金蓮金華と変じて、赫奕光明粲然、没日と共に西
に靡きて、掻銷す如く見へずなる随に、天には残る二藍の、瑞雲の中に音楽聞えて、暮
果るまで奏々たり」(第百七十八回下)。正に渾身の筆致である。洲崎沖火計と共に、
八犬伝中最大級のスペクタクルだ。
 法会の遙か後、里見義成は延命寺で八犬士と会同し、牡丹花を賞翫する(明応九年四
月十六日/第百八十勝回中編)。結城落城から還暦、六十年目である。暦の一回り最後
の時だ。其の最後の時、犬士から此の日までに【玉の文字が消えた】【牡丹の痣が消え
た】事実が報告される。丶大は説く/解く「甕襲の玉は変じて金蓮金華と做りて、散乱
して消滅したり。今按ずるに、蓮は其の字、艸に従ひ走(ホンジのソウニョウ)に従
ふ。輪回は車の回るが如し。則是当館の仁心善政の積徳にて恩怨応報の輪回、正に尽る
の兆なるべし。又各所蔵の霊玉は仁義八行の文字ありといへども、君仁にして臣も亦仁
ならば、別に仁義八行と名る者なし。老子に所云、大道廃れて仁義起るとは是なり。所
云大道は至仁至善なり。人至仁至善なれば、不仁不善と名くべき者なし。大道廃れて不
仁者あり悪人あり。於是乎、聖人仁義礼智忠信孝悌の八行を立て、もて人を教、人を警
めたり」(第百八十勝回中編)。
 則ち、犬士が「八行」なる理想を掲げたは、周囲が陰であったからだ。周囲が陰でな
ければ、陽は存在し得ない、若しくは、周囲が陰であっても陰でなければ、即ち陽だ。
逆に、影は光ありてこそ存する。周囲が陰に覆われているとき、陰に与しなかった故
に、犬士は犬士となり、陽となった。易きに流れる人の性、しかし犬士は、流されなか
った。流れの中で流されないためには、抗力、エネルギーが必要だ。多くの場合、其の
エネルギー源は、【恨】であったかもしれない。犬士は、典型として、不幸に見舞われ
ている。若しくは、父親だか誰だかの、糠助の如く或いは弱々しいものであったかもし
れないが、善/光/陽を指向する心性を受け継いだのかもしれない。とにかく正の走光
性が、犬士の条件であった。「大道廃れて仁義起こる」「大道廃れて不仁者あり悪人あ
り」これは、大道が維持されていれば、仁義(善玉)も無ければ、悪人も存在し得な
い、と言っているに等しい。仁義を喧しく求める者があるとは、大道が廃れている証拠
だ。馬琴の時代が、そうだったのだろう。一方、求める者がいなくとも、大道が維持さ
れているとは限らない。求めることにも、エネルギーが必要だからだ。
 喩えば、宇宙の姿は元来、とてつもなく冷たく、この上なく暗い。無である。しか
し、其処は全くの無ではない。顕れていないだけで、光の元、熱の元になる資質が存す
る。無にして、無ならず。空にして、空ならず。伏姫とは、人(明)にして犬(無明)
であるとは、以前に述べた。混沌である。何かの拍子に光が発生し、熱が生まれる。闇
や冷たさが、太一……ぢゃなかった対置するものとして、顕れる。色々あって、現在の
宇宙になる、ってぇのが、仏教の宇宙論だろう。しかし、陰に対置する陽は、エネル
ギーなくして陽たり得ない。エネルギーが全く無くなれば……冷たく暗い宇宙が広がる
だけだろう。人も同様である。肉体の裡に何等かの化学反応もしくは活動あってこそ、
生きている。生きるとは、エネルギーを要することなのだ。人は少陽であり、其れが故
に仁/木気に配当される。虚飾を脱ぎ去れば、人は仁(ひとし)く、仁(ひと)とな
る、仁(たね)を有する。性善説だ。また、此を恐らく「阿耨多羅三藐三菩提」と謂う
のだろう。
 八犬伝に拠ると、「阿耨多羅三藐三菩提」は、「按ずるに、瑯■(王に邪)代酔篇
に、阿耨多羅を等見の義と注し、三藐三菩提を成正覚とす。是則、等く正覚を成を見る
の義にて、正覚を菩提とす。又一説に、阿耨多羅三藐三菩提は、儒に所謂仁に同じ」
(第百七十八回下)だ。ところで「瑯■(王に邪)代酔篇」(和刻本では「琅邪代酔
編」とも表記する。以下「代酔篇」)は、明の拗ね者インテリ張鼎思の読書ノートだ。
翰林学士(唐から始まった役所で国家最高の文人が列した。王朝により或いは政治の枢
密に与ったけれども明では専ら皇帝に親しく講義する役だったりするブレーン集団)だ
ったのだが権門勢家の意に逆らい地方の卑閑職/駅丞に左遷された。こうなりゃ酒を飲
むしかないが、酒を飲んで酔う代わりに万巻を繙き万感の思い慰めた。「酔う代わり」
だから代酔篇だが、読んだ本で気になった箇所を抜き出しノートに連ねたものだ。其の
代酔篇を読んで、「阿耨多羅三藐三菩提」ほか、気になった箇所を以下に引く。

     ◆
菩薩
梵語菩提此云覚梵語薩■(ツチヘンに垂)此云有情言菩薩者本云菩提薩■(ツチヘンに
垂)欲簡於称呼故者文言菩薩此云覚有情也凡有生皆有情菩薩乃有情之中覚者耳仏有覚性
而無情菩薩亦未免有情故謂之覚有情
阿耨
梵語阿此云無梵語耨多羅此云上梵語三此云正梵語藐此云等梵語菩提此云覚阿耨多羅三藐
三菩提者乃無上正等正覚謂無上真性也
涅槃
梵語涅槃此云無為楞伽経云乃不生不死之地一切修行之所依帰仏説施燈文云願一切衆生皆
得涅槃微妙光明世人誤認以為死大非也(以上巻三十二)
………………………………………………………………
夜明杖
隠士郭林有一柱杖色如朱染叩之則声毎出処遇夜則此杖有光可照数十歩之内危陟険未嘗失
足蓋杖之力焉(開元天宝遺事)(巻二十三)

北斗為人
童謡国史纂異李淳風奏北斗七星当化為人至西市飲酒使人候之見七僧共飲一石太宗召之七
人笑曰此必淳風小児言我也忽不見(巻二十九)
女子化丈夫
女子化為丈夫者漢末好徐登化為丈夫有幻術晋安豊女周世寧八歳漸化為男至十七八遂能御
女寧康初江陵女唐氏劉聰時内史女人唐光啓二年■(眉にオオザト)県好宋乾道三年水州
支氏女慶元三年袁州黄念四女括異志広州粛氏女大娘子並化為男丈夫化為好者華陽国志武
都丈夫化為女子蜀王寵之至下国漢哀帝建平中豫章男子化為女嫁人生一子建安七年越雋男
子劉曜時武功男子蘇撫陜男子伍長平並化為女京房易伝曰女子化為丈夫茲謂陰昌賤人為王
丈夫化為女子茲陰勝陽厥咎亡洪景盧謂為釈證南渡後有之不為災矣偶因戊辰年記此(■荅
にニジュウアシ/州巵言)
魏世家襄王十三年女子化為丈夫不著其姓名文王四十二年武王之元年也有女子化為丈夫見
竹書紀年(巻三十三)

桃花犬
淳化中綿州貢羅紅犬嘗循於御■(ツチヘンに日したに羽)前太宗不豫犬不食上仙犬号呼
涕泗以至疲瘠見者隕涕参政李至作桃花犬歌以寄史館末云赤麟白鳳且勿喜願君書此懲浮俗
(巻三十八)

犬
陸機有駿犬名曰黄耳甚愛之機在洛●無家問笑語犬曰我家絶無書信汝能斎書取消息否犬揺
尾作声機乃為書以竹筒盛之而係其頸犬尋路南走遂至其家得報還洛(夢弼)(巻三十八)

虎
鉄囲山叢談云嶺右俗淳物賤始吾以靖康丙午来愽白時虎未始傷人独村落間竊羊豚或婦人小
児呼躁逐之筆委置而走有客嘗過墟井繋馬民舎籬下虎来瞰籬客懼民曰此何足畏従籬旁一叱
而虎已去村人視猶犬然十年之後流寓者日衆風声日変百物湧貴而虎浸傷人今則啗人与内地
殊風俗澆厚亦及禽獣耶先王中孚之道信及豚魚知筆不誣(巻三十八)

兎烏
旧伝兎無雄故望月而孕吐而生子博物志嘗言之王充論衡兎舐雄豪而孕及其生子従口中出古
楽府雄兎脚樸■(キヘンに漱の旁)雌兎眼迷離二獣逐地走安能知我是雄雌然則兎自雄雌
雄得雌雄難弁耳詩曰■(ゴンベンに巨)曰予聖誰知烏之雌雄是烏之雌雄亦難弁者古者曰
烏月兎相伝已●伝曰日無光則烏不現烏不現則飛鳥隠竄漢元帝永光元年日中無光其日長安
無烏而今世卜兎之多少者以八月之望月明則兎多月暗則兎少故説者謂天下之兎皆雌而顧兎
為雄然無謂天下之烏皆雌而三足為雄者禽経曰慈烏反哺蓋烏始生母哺之六十日稍長子反哺
其母如其日数烏知未然故所在人忌之而西南人事烏為鬼亦以其先知也太公曰愛人者愛其屋
上烏憎人者憎其儲胥言愛憎因人而遷如此羅願曰日中烏三足故説者以為烏三点者法三足然
説文烏足以七皆従七無三足之義且■(寫の旁)焉皆鳥名従烏之類豈筆皆三足耶此与数馬
足者類矣(巻三十九)

象膽
象膽随四時在足春在前膊左夏在前膊右熊膽春在首夏在腹秋在左足冬右足■(虫に冉)蛇
膽随日転上旬近頭中旬近心下旬近尾或云■(蛇に冉)蛇膽随繋而応■(魚に嘗)魚膽春
夏近下秋冬近上鼠膽在首或云鼠無膽■(キエモノヘンに章)亦無膽■(魚に侯)■(魚
に夷)亦無膽(巻三十九)

恙
戴仲培曰戦国策趙威后問斉使歳無恙耶王亦無恙耶晋顧■(リッシンベンに豈)之与殷仲
堪牋行人安穏布帆無恙隋日本遣使称日出処天子致書日没処天子無恙風俗通云恙毒蟲也喜
傷人古人草居露宿相労問曰無恙神異経云北大荒中有獣咋人則病名曰■(ケモノヘンに
恙)■(ケモノヘンに恙)恙也常入人室屋黄帝殺之北人無憂謂無恙蘇氏演義亦以無憂病
為恙恙之字同或以為蟲或以為獣或謂無憂病広千禄書兼取憂及蟲事物紀原兼取憂及獣予看
広韻其義極明於恙字下云憂也又■(クチヘンに筮)蟲善食人心也於■(ケモノヘンに
恙)獣如師子食虎豹及人是■(ケモノヘンに恙)与恙為二字合一之神異経誕也(巻三十
九)

返魂香
劉家河天妃宮永楽初建一日僧自外帰見鼎中二鶴卵命還之巣行者曰卵已熟矣僧曰吾豈望其
生但免鶴之悲鳴而巳後数日忽出二雛僧異之探其巣見一木尺余許五彩錯雑成錦紋香風馥郁
持供仏前後有倭人入貢道劉家河入寺見仏前所供木問僧買之僧給之曰有盖造後殿観音閣則
与之倭請酬之以価五百金僧遂与之去後数年倭人復来訪前老僧已故矣因留金作享其徒詢所
取之香何物也曰此■(ニンベンに遷の旁)香也焚之死人之魂復返聚窟州所出返魂香是也
(客座新聞)
十洲記聚窟州在西海中北接崑崙二十六万里州有神島山多大樹与楓木相類而花葉香聞数百
里名曰返魂樹伐其根心於玉釜中煮取汁更■(徴の王が一と口)火煎如黒■(食に錫の
旁)状令可丸之名曰驚精香亦曰震霊丸或名反生香或名震檀香或名神鳥精或名却死香武帝
時月支国献香四両大如雀卵黒如桑椹帝以付外庫後元元年長安城内病者数百亡者太半試取
香焼之死未三月者皆活於是信知其神物也(巻四十)

     ◆

全体を通して、上記の如き塩梅だ。怪しい事どもも書き連ねてあるが、まぁそんな時代
だったのだろう。但し表記は簡潔で、備忘録として巧く要約している。「阿耨多羅三藐
三菩提」に至っては、要約し過ぎだ。私の引いた宝暦三年の和刻本と馬琴の引用には表
記に異同はあるが、意味は同じである。また代酔編(即ち馬琴)の説明は、現在流布し
ている仏教辞典なんかと同様のものだ。特別な解釈ではなく、しかも表記が最小限かつ
穏当至極であり、何等かの特殊な立場を暗示する者でもない。即ち、常識の部類であ
り、別に代酔編など持ち出すまでもなく説明しても然るべきものだ。故に、馬琴が代酔
編を持ち出した理由は、或いは秘められたものがあるかもしれぬが、現時点では代酔編
自体の権威を纏ったのみと考えておく。
 「阿耨多羅三藐三菩提」を常識的な意味として解釈することを馬琴も支持していると
見做し、話を続けよう。即ち阿耨多羅三藐三菩提(梵語として訳すると絶対至上の悟
り、ぐらいになる)は、「誰もが絶対至上の悟りに至ることが出来る」との確信、即
ち、人には本来ならば其の資質がある、との信念を持つこと其のものが、「絶対至上の
悟り」だと、馬琴は考えているようなのだ。
 では何故に、筆者も含めて「絶対至上の悟り」を得ていないのだろうか。仏陀が得
た、最高の悟り、即ち最高の真理は、「人は皆、絶対至上の悟りに至ることが出来る」
ではないのか??? 簡単に云えば、【修行が足りない】のである。いや、抑も「菩提
心」を発生させていないからかもしれない。では「如是畜生発菩提心」との呪文で悟り
へのスタートを約束された八房/玉梓(と伏姫)の子供たち、犬士は、阿耨多羅三藐三
菩提の境地に至ったか? 結論を言えば、至った。(恨み辛みが原動力だったのかもし
れぬが)苦闘勉励した犬士は、阿耨多羅三藐三菩提の境地に至った。何故なら、八犬伝
に於いて、玉に浮かぶ文字は、持つ者の性格を現すが、近しい未来の状態を予言するこ
ともある。上に挙げた「如是畜生発菩提心」が例である。此の文字が浮かび、玉梓は成
仏した。八房すなわち畜生となって里見家に仇なした玉梓が成仏することを約束したの
が、玉に「如是畜生発菩提心」が浮かんだ現象であった。ならば、「阿耨多羅三藐三菩
提」が玉に浮かんだ以上、其れは実現されねばならない。故に、犬士たちは、阿耨多羅
三藐三菩提の境地に至ったと考えられる。で、其の境地が如何なものだったかといえ
ば、仙人となることだった。阿耨多羅三藐三菩提の説明で、いきなり老子が引っ張り出
されていることからも、解る。合理的処世術(儒教)を道具として駆使し闘い抜いた犬
士たちは、仏教・道教ないまぜの最高地点に至る。前近代の(仏教側からの)理想像、
三教融合だ(一方、儒教は仏教を貶そうともしていた)。

 阿耨多羅三藐三菩提は、通俗に見れば、誰もが絶対至上の境地に至るのだから、努力
は必要ない、と思われがちだし、善を為しても為さずとも同じ、易きに流れる人の性、
本来からして欲望の儘に生きることこそ正直な生き方、とばかりに、困ったときにはウ
ルトラマンが助けてくれる、と思っているのか、いないのか、周囲に只迎合し、期待さ
れる人間像を決め込む、こともママある。確かに現代でも、性善説を背景に平等な共生
を理念として掲げるべきだと、筆者も実は思っている。しかし既に通俗に謂う所の「本
能」から実は逸脱しちゃってる人間(逸脱していなければ時候・環境によって発情する
筈だし生理的欲求に直接繋がらぬことにも情熱を捧げる事例を説明できない)を、其の
通俗の謂う所の「本能」で説明して悦に入っている次元(即ち虚妄作為の次元)では、
幾ら口先で「平等」なんぞ言うたところで、其れ自体、菩提心を発していないのだか
ら、阿耨多羅三藐三菩提には遙かに遠い。仏陀の別名は莫迦梵(ばかぼん)ではある
が、王子様だったからって、馬鹿ボンではないのだ。
 私は単なる日曜史家として、気が向いた時にのみ気が向いた僅かな経典を繙くに過ぎ
ぬが、仏陀ほど喧嘩腰の強い奴ぁ他に余り知らない。非暴力に生きる勇気とは、最大の
喧嘩腰だ。喧嘩腰では犬士も負けてはいない。金剛石の如き堅固な心の持ち主だ。が、
仲間に対しては、連帯と友愛の精神で当たる。同じ家中なのだから、競り合っても良さ
そうなものだが、競り合いは、準犬士/政木大全と小文吾の間に起こった風流を纏う【
鯛争い】ぐらいのものだ。まぁ道節は毛野の陰口を叩いているようにも見えるが、毛野
の評価を貶めようとしているのではなく(毛野が智恵第一等であるとの評価は動かしよ
うがない)、単に愛情深い音音に甘やかされた馬鹿ボンだから、拗ねた時に甘えたい気
分になって、口を滑らしただけだろう。目くじら立てる程の事ではない。しかし犬士
は、極端な迄に勉励する。勉励とは、他者との相対的位置関係から見れば【競争】と言
い換えられる。が、別に競争している風でもない。犬士は、横並びの相手を気にして勉
励するのではなく、ただ真っ直ぐ前を向いて、とにかく前に見える理想に最大限近付こ
うとしているに過ぎない。各々が前だけ向いて勉励(己との競争)をするから、足の引
っ張り合いや離合集散、誹謗合戦など、全体にとって無駄な足踏みをしない。連帯しつ
つの競争、故に極めて効率的に総合力が向上する。理の当然だ。対して、現代社会は、
「成果主義」(伯楽はあらず。実は【お仲間同士舐め合い主義】に過ぎない)とか何と
か、生産性の面で余りに無駄が多すぎる……。
 結局、犬士は現世の栄達を放棄し、霞を食って生きる仙人となった。彼らは亀笹を船
虫を、そして其の他の悪役たちを、如何様に思い出していただろうか。彼らが仙人にな
ったことから、彼らが仙人となるべき特殊な資質を持った人間であることが判明する。
……いや、人間ではなかったのだ。鬼神/精霊と呼んでも良い。元々伏姫と八房犬の気
が相感し出来たんだから、少なくとも普通ぢゃない。普通でない彼らも、八行の文字が
浮き出た玉を持っていた間は、曲がりなりにも人間であった。玉の文字が消え牡丹痣が
消えた後、彼らは仙人となっていく。玉と牡丹痣が、如何にか彼らを人間(じんかん)
に引き留めていた如きだ。玉は伏姫から分与されたもの、牡丹痣は八房から分与された
ものと見ることが出来る。二人(一人と一匹?)の【思い】によって、漸く彼らは人間
に引き留められていたのだ。二人(一人と一匹?←以下「二人」)の思いによって、犬
士は里見家を扶けることを使命とされた。使命を終え、自分を限定していた玉を失い痣
を失い、犬士は本来の、人ならざる人へと戻る。一切は空、しかして空は絶対的虚無で
はない。彼らの道行きは、無ではない。始点と終点が一致したからと言って、何もしな
かったことにはならない。膨大な有を含む空……。彼らは無に帰し象徴となったが、其
の記録された行為によって、後世にプチ犬士を生ぜしめ得る。稗史の真骨頂である。さ
て、次回は「阿耨多羅三藐三菩提」を面白く表現している経典を紹介しよう。読んで下
さっている方に贈るオマケである。(お粗末様)




#374/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:52  (264)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「絶えず移相する位相」  久作
★内容                                         04/11/06 02:54 修正 第2版
 「佛説長者女菴提遮師子吼了義經」である。如何やら中国は梁代に漢訳されたものら
しいのだが、訳者の名前さえ不明である。般若心経とか法華経とかと比べれば、全くマ
イナーであろう。いや別に、八犬伝に直接関係があると思っているわけではないが、前
近代日本の思考・思想に大きく深い影響を与えた仏教の論理が、なかなか楽しく凝縮さ
れているやに感じられ、紹介しようと三日ばかりかけてテキトーに訳してみた。だいた
い不信心の塊みたいな男が訳したのだし梵典にも当たらず底本が大正大蔵経の読点怪し
き漢訳仏典だから、甚だ危うい。まぁ原文の紹介だけでは芸がないし、著作権法上の憚
りもあれば、オマケで書き下しと口語訳を付けた。最初は普通に訳していたのだが、そ
んな自分の真面目さが厭で、途中から、やや砕けた訳になっているかもしれない。文殊
師利菩薩がオネエ言葉である理由は、これまで読本を読んでくださってきた方には不自
然ではなかろう(いや単に文殊師利は文殊シリ/尻って近世の駄洒落があり、文殊は日
本衆道の祖とされた弘法大師空海に衆道アナルコイトスを教えた菩薩だとされていたっ
てだけですから、気にしないでください)。仏陀が下世話な口調であるのは、単に筆者
の趣味による。本経に登場する仏陀は、菩薩を率いる如来位に在る。菩薩の段階は、仏
陀が王子だったころの服装をして、若々しく煩悶する貴公子なんだが、如来になると虚
飾を捨て去り粗末な服装でデップリ太った中年の相を表す。そんな奴が、丁寧な口調だ
ったら、気色悪いではないか。また、主人公である菴提遮が途中から蓮っ葉言葉になる
のは、まぁご愛敬だ。結果として原文のみの紹介より四五倍の分量になったわけだが、
お急ぎの方は飛ばして結構。経典読解に自信のある向きは、ちゃんと読んで筆者に教え
ていただきたい。それでは以下に引用する。

     ◆原文◆
佛説長者女菴提遮師子吼了義經
    失譯人名今附梁録
如是我聞。一時佛住舍衛國祇樹給孤獨園。與無量比丘比丘尼優婆塞優婆夷。菩薩摩訶薩
衆倶爾時去舍衛城西二十餘里。有一村名曰長提。有一婆羅門。名婆私膩迦。在其中住。
其人學問廣博。深信内典敬承佛教。時婆羅門欲設大會。至祇■(サンズイに亘)所請佛
及僧。佛則受其請。婆羅門還家。又剋其時。佛與大衆往詣彼村。至婆羅門舍。爾時長
者。見佛歡喜踊躍。不能自勝。即率諸眷屬來至佛所。各各禮佛恭敬而住。其婆羅門有一
長女。名菴提遮。先嫡與人暫來還家。侍省父母。其女容貌端正。其度高遠。用心柔下。
其懷豁然。能和夫妻。侍養親族。事夫如禁。其儀無比。出於群類。父母眷屬皆出見佛。
唯有此女獨在室内。其女自以生來。父母莫測其所由。故名之菴提遮。爾時如來。即知長
者有一女。在室内未出。知其不出所由。若其出者利益無量大衆。及諸天人。佛即告長者
言。汝之眷屬出來盡耶。其婆羅門。束手長跪佛前。以此女不出之状。將之為恥。默然未
答。佛則知其意。仍告之言。中時向至可設供耶。時婆羅門。即承佛教起設供養。大衆及
其長者。眷屬中食已訖。唯有此女。未及得食。時如來■(缶に本)中故留殘食遣一化女
將此餘食。與彼室内女菴提遮。時化女人。以偈告曰「此是如來餘 無上勝尊賜 我當承
佛教 願仁清淨受」其女菴提遮。即以偈歎曰「嗚呼大慈悲 知我在室已 今賜一味食 
尋仰睹聖旨」復以偈答彼化女曰「我常念所思 大聖之所行 未曾與汝異 何事不清淨」
其化女聞菴提遮説偈已。即沒不現。其女菴提遮。以心念誦偈言「我夫今何在 願出見勝
尊 願知我心淨 速來得同聞」爾時菴提遮。淨心力故。其夫隨念即至其所。是女菴提遮
見其夫已。心生歡喜。以偈歎曰「嗚呼大勝尊 今隨濟我願 不辭破小戒 恐當不同聞」
其夫見菴提遮説偈言已。即還以偈責曰「嗚呼汝大癡 不知善自宜 勞聖賜餘食 守戒竟
何為」時女菴提遮。即隨其夫往詣佛所。各自禮佛及諸大衆。恭敬而立。時女菴提遮。以
偈歎曰「我念大慈悲 救護十方尊 欲設祕密藏 賜我淨餘食 大聖甚難會 世心有所疑
 誰可問法者 發衆菩提基」爾時舍利弗。即白佛言。世尊。此是何女人。忽爾來至此。
復説如是法偈言得餘食。佛告舍利弗言。此是長者女。復問曰。從何而來。何因至此。佛
告舍利弗。此女人不從遠來。只在此室。雖有父母眷屬。其夫不在。以自誡敬順夫因縁
故。不從父母輕爾出遊現於大衆。時舍利弗白佛言。是女以何善因故。生此長者家。其容
若此。復以何因縁故。得如是士夫禁約。若此不能自由見佛及僧。佛即告舍利弗。汝自問
之。時舍利弗。問其女曰。汝以何因縁。生此長者家。復以何因縁。得如是人為夫禁戒。
若此不能自由見佛及僧。其女菴提遮。以偈答曰「我以不惡生 生此長者家 又不執女相
 得是清淨夫 我在内室中 以為自在竟 是分未曾越 聖知賜我餘 嗚呼今大徳 不知
真實由 絲毫不負越 故名大自在 我雖内室中 尊如目前現 仁稱阿羅漢 常隨不能見
 大聖非是色 亦不離色身 聲聞見波旬 謂是大力人 嗚呼今大徳 隨聖少方便 不知
本元由 於我生倒見」爾時舍利弗。默然而止。私自念言。此是何女人。其辯若此。我所
不及。佛即知其意。而告之曰。勿退於問答生於異心。是女人已經■(ニンベンに査みた
いな)無量諸佛所説。是法藥勿疑之也。爾時文殊師利。問菴提遮曰。汝今知生死義耶。
答曰。以佛力故知。又問曰。若知者生以何為義。答曰。生以不生生為義。又問曰。云何
不生生為義耶。答曰。若能明知。地水火風四縁。畢竟未曾自得。有所和合。而能隨其所
宜。有所説者。以為生義。又問曰。若知。地水火風。畢竟不自得。有所和合為生義者。
即應無有生相。將何為義。答曰。雖在生處而無生者。是為正生。故説有義。文殊又問
曰。死以何為義耶。答曰。死以不死死為義。又問曰。云何以不死死為死義耶。答曰。若
能明知。地水火風。畢竟不自得有所散。而能隨其所宜。有所説者。是為死義。又問曰。
若知地水火風。畢竟不自得散者。即無死相。將何為義。答曰。雖在死處其心不亡者。是
為正死。故説有義。文殊師利又問曰。常以何為義。答曰。若能明知。諸法畢竟生滅變
易。無定如幻相。而能隨其所宜。有所説者。是為常義。又問。若知。諸法畢竟生滅。無
定如幻相者。即是無常義。云何將為常義耶。答曰。諸法生而不自得生。滅而不自得滅。
乃至變易亦復如是。以不自得故。説為常義。又問曰。無常以何為義。答曰。若知。諸法
畢竟不生不滅。隨如是相。而能隨其所宜。有所説者。是為無常義。又問曰。若知。諸法
畢竟不生不滅者。即是常義。云何説為無常義耶。答曰。但以諸法自在變易無定相。不自
得隨。如是知者。故説有無常義耶。又問曰。空以何為義。答曰。若能知。諸法相未曾自
空不壞今有。而能不空空。不有有者故説有空義。又問曰。若不空空。不有有者。即無有
事。將何為空義耶。其女菴提遮。則以偈答曰「嗚呼真大徳 不知真空義 色無有自相 
豈非如空也 空若自有空 則不能容色 空不自空故 衆色從是生」爾時文殊師利又問
曰。頗有明知生而不生相。為生所留者不。答曰有。雖自明見其力未充。而為生所留者是
也。又問頗有無知不識生性。而畢竟不為生所留者不。答曰無。所以者何。若不見生性。
雖因調伏少得安處。其不安之相常為對治。若能見生性者。雖在不安處。而吉相常為現
前。若不如是知者。雖有種種勝辯談説甚深典籍。而即是生滅心。説彼實相密要之言。如
盲辯色。因他語故。説得青黄赤白黒。而不能自見色之正相。今不能見諸法者。亦復如
是。但今為生。所生為死。所死者於其人。即無生死之義耶。若為常無常所繋者。亦復如
是。當知大徳。空者亦不自得空。故説有空義耶。爾時佛告文殊師利。如是如是。如菴提
遮所説。真實無異。日可令冷。月可令熱。是菴提遮所説。不可移易。時舍利弗。復問其
女曰。汝之智慧辯才若此。佛所稱歎。我等聲聞之所不及。云何不能離是女身色相。其女
答曰。我欲問大徳。即隨意答我。大徳。今現是男不。舍利弗言。我雖色是男。而心非男
也。其女言。大徳。我亦如是。如大徳所言。雖在女相。其心即非女也。舍利弗言。汝今
現為夫所拘執。何能如此。其女答曰。大徳。能自信己之所言不。舍利弗言。我之自言。
云何不自信。其女答曰。若自信者。大徳。前言説我色是男而心非男者。即心與色有所二
用也。若大徳自信此言者。於我所不生有夫之惡見。大徳自男。故生我女相。以我女色
故。壞大徳心也。而自男見彼女者。則不能於法生實信也。舍利弗言。我於汝所。不敢生
於惡見。其女答曰。但以對世尊故。不敢是實言也。若實不生惡見者。云何説我言汝今現
為夫所拘執耶。是言從何而來。舍利弗言。我以久離習故。有此之言非實心也。其女問
曰。大徳。我今問者隨意答我。大徳既言久離男女相者。大徳。色久離心久離。時舍利
弗。默然不答。爾時菴提遮以偈頌曰「若心得久離 畢竟不生見 誰為作女人 於色起不
淨 若論色久離 法本不自有 畢竟不曾汚 將何為作惡 嗚呼今大徳 徒學不能知 自
男生我女 豈非妄想非 悔過於大衆 於法勿生疑 我上所言説 是佛神力持」時菴提遮
説是偈已。其比丘比丘尼。優婆塞優婆夷。天及人一千餘人。得阿耨多羅三藐三菩提心。
有五千衆。於中得無生法忍者。得法眼者。又得心解脱者。其無量聲聞衆。而於佛法自生
慚恥者無量爾時佛告舍利弗。是女人非是凡也。已■(ニンベンに査みたいな)無量諸
佛。常能説如是師子吼了義經。利益無量衆生。我亦自與是女人同事無量諸佛已。是女人
不久當成正覺。是諸衆中。於是女人所説法要。即能生實信者。皆已久聞是女人所説法
故。今則能生正信。是故應當諦受是師子吼了義經勿疑。佛告阿難言。汝當受持此長者女
菴提遮。以師子吼了義問答經章句。次第付囑於汝。汝當諦受。阿難白佛言。唯然世尊。
今悉受已。爾時大衆聞女菴提遮説法已。心大歡喜。踊悦無量。各自如説修行佛説長者女
菴提遮師子吼了義經

     ◆書き下し◆

佛説長者女菴提遮師子吼了義經
    譯する人の名を失す。今や梁に附して録す。
是(か)くの如く我聞く。一(ある)時、佛は舍衛國祇樹給孤獨園に、無量の比丘・比
丘尼・優婆塞・優婆夷・菩薩摩訶薩衆と倶(とも)に住す。爾(そ)の時、舍衛城を西
に去ること二十餘里、一村あり、名づけて長提と曰(い)う。一(ひと)りの婆羅門あ
り。名は婆私膩迦、其の中に在りて住す。其の人は學問廣博にして、深く内典を信じ佛
教を敬い承る。時に婆羅門、大會を設けんと欲し、祇■(サンズイに亘)所に至りて、
佛及び僧に請(こ)う。佛、則ち其の請(もと)めを受く。婆羅門、家に還る。又、其
の時を剋(きざ)む。佛と大衆、彼の村に往きて詣で、婆羅門の舍に至る。爾の時、長
者は佛に見(まみ)えて歡喜し踊躍して自勝すること能(あた)わず。即ち諸眷属を率
い佛所に來りて、各々佛に禮して恭しく敬みて住(とど)まる。其の婆羅門に一りの長
女あり。名は菴提遮。先に人と嫡し、暫くして家に来還して、父母に侍りて省みる。其
の女、容貌は端正にして、其の度は高遠、心を用いること柔らかくして下る。其の懷は
豁然、能(よ)く夫妻として和す。親族に侍り養い、夫に事(つか)えること禁にある
が如し。其の儀は比ぶる無く、群類より出ず。父母眷屬は皆、出でて佛に見ゆ。唯、此
の女ありて獨り室内に在(あ)り。其の女、自ら生じ来たるを以て、父母は其の由(よ
し)とする所を測(はか)るなし。故に之(これ)を菴提遮と名づく。爾の時、如來
は、即ち長者に一女ありて室内に在りて未だ出ざるを知り、其の出ざる由とする所を知
る。若(も)し其れ出でれば、無量大衆及び諸天人に利益ならんと。佛は即ち長者に告
げて言う「汝の眷屬は出で來たり盡(つく)すや」。其の婆羅門、佛前に手を束(つ
か)ね長跪し、此の女が出でざるの状を以て、將(まさ)に之を恥とせんとす。默然と
して未だ答えず。佛は則ち其の意を知り、仍(すなわ)ち之に告げて言う「時に中(あ
た)る。向かい至り、供を設けるべきか」。時に婆羅門、即ち佛の教えを承り供養を起
こし設く。大衆及び其の長者・眷屬、中食を已(すで)に訖(おわ)る。唯、此の女あ
りて未だ食を得るに及ばず。時に如來、鉢中に食を留め殘し、一りの化女をして此の餘
食を将(すす)ましめ、彼の室の内に女菴提遮に与う。時に化女の人、偈を以て告げて
曰(いわ)く「此の是(これ)如來の餘、無上の勝尊が賜う。我、佛の教えを當(ま
さ)に承る。願わくば、仁(いつく)しみ清淨として受けよ」。其の女菴提遮、即ち偈
を以て歎きて曰く「嗚呼、大慈悲は、我れの室に在るを知るのみ。今、一味の食を賜
う。尋ねて聖旨を仰ぎ睹(み)ん」。復(ま)た偈を以て彼の化女に答えて曰く「我は
常に思う所を念(おも)う。大聖は行く所に之(い)く。未だ曾て汝と異ならず。何ぞ
不清淨なるを事とするか」。其の化女、菴提遮の説偈を聞きて、即ち沒して現れず。其
の女菴提遮、心念を以て偈を誦して言う「我が夫、今は何(いず)くに在るや。願わく
ば出でて勝尊に見えん。願わくば我が心の淨なるを知らしめん。速やかに來りて同じく
して聞くを得しめよ」。爾の時、菴提遮の淨らかなる心の力の故に、其の夫は念に隨い
て即ち其の所に至る。是にして女菴提遮、其の夫と見えて心に歡喜を生じ、偈を以て歎
じて曰く「嗚呼、大勝尊よ、今、我が願いに隨いて濟(すく)う。小戒を破るを辭さず
して、當に同じく聞かざるべきを恐れることより」。其の夫、菴提遮の偈を説きて言う
に見えて、即ち還り偈を以て責めて曰く「嗚呼、汝は大癡か。善は自ずから宜しきを知
らず。聖を勞せしめて餘食を賜わしむ。戒を守りて、竟(つい)に何を為すか」。時に
女菴提遮、即ち夫に隨いて佛所に往きて詣で、各自、佛及び大衆に禮して恭しく敬いて
立つ。時に女菴提遮、偈を以て歎じて曰く「我念う、大慈悲は十方の尊を救護し祕密藏
を設けんと欲して我に淨餘食を賜う。大聖は甚だ會し難し。世心に疑う所あり。誰か法
を問うべき者か、衆に菩提基を發せしむるか」。爾の時、舍利弗、即ち佛に白(もう)
して言う「世尊、此の是れ、何たる女人ぞ。忽爾にして此に来て至る。復た是くの如き
法偈を説き、餘食を得ると言う」。佛、舍利弗に告げて言う「此の是れ、長者の女」。
復た問いて曰く「何(いず)こ從(よ)り來たるか。何の因にて此に至るか」。佛、舍
利弗に告ぐ「此の女人は遠く従りは來らず。只、此の室に在り。父母眷属在りと雖も、
其の夫が不在にして、以て自ら誡めて夫に敬順するを因縁とする故、父母に從い輕爾に
して出遊し大衆に現れず」。時に舍利弗、佛に白して言う「是の女は何の善因の故を以
て、此の長者の家に生れ、其の容(かたち)此くの若(ごと)きか。復た何の因縁の故
を以て、是くの如き士夫と禁約するを得て、此くの若く自由に佛及び僧に見ゆること能
わざるか」。佛、即ち舍利弗に告ぐ「汝、自ら之を問え」。時に舍利弗、其の女に問い
て曰く「汝、何の因縁を以て此の長者の家に生れ、復た何の因縁を以て是くの如き人を
夫に得て禁戒を為し、此の若く自由に佛及び僧と見ゆる能わざる人たるを得るか」。其
の女菴提遮、偈を以て答えて曰く「我は惡生せざるを以て、此の長者の家に生る。又、
女相に執せざるを以て、是の清淨夫を得る。我は内室中に在りて、自在の竟と為すを以
て、是の分を未だ曾て越えず。聖は知りて我に餘を賜う。嗚呼、今、大徳は真實の由を
知らず。絲毫も越を負わず。故に大自在と名づく。我は室中に内すると雖も、尊の目前
に現ずる如し。仁は阿羅漢と称す。常に見る能わざるに隨う。大聖は是、色に非ず。
亦、色見を離れず。聲聞に波旬を見るを是れ、大力の人と謂う。嗚呼、今、大徳よ、少
(おさな)き方便に随い聖(たかし)とし、本元の由を知らずして、我に於いて倒見を
生ず」。爾の時、舍利弗は默然として止む。私に自ら念いて言う「此の是れ、何たる女
人ぞ。其の辯、此くの若し。我の及ばざる所」。佛は即ち其の意を知りて、之に告げて
曰く「問答に於いて退き異心を生ずる勿(なか)れ。是の女人は已(すで)に無量の諸
佛の諸説經に値う。是の法藥、之を疑うこと勿れ」。爾の時、文殊師利、菴提遮に問い
て曰く「汝、今、生死の義を知るや」。答えて曰く「佛力を以てする故に知る」。又、
問いて曰く「若し知らば、生は何を以て義と為すや」。答えて曰く「生は不生の生を義
と為す」。又、問いて曰く「何ぞ不生を生の義と為すと云うや」。答えて曰く「若し能
く明知すれば、地水火風四縁の畢竟においては未だ曾(かつ)て自得せずして和合する
所あり。而して能く其の宜しくする所に随う。説く所あれば、以て生の義と為す」。
又、問いて曰く「若し知れば、地水火風の畢竟において自得せずして和合する所ある
を、生の義と為せば、即ち生相ある無きに應ず。將に何を義と為すべきか」。答えて曰
く「生處に在ると雖も、而して無生なれば、是は正生と為す。故に義ありと説く」。文
殊、又、問いて曰く「死は何を以て義と為すや」。答えて曰く「死は不死の死を以て義
と為す」。又、問いて曰く「何ぞ不死の死を、死の義と為すや」。答えて曰く「若し能
く明知すれば、地水火風の畢竟においては自得せずして散ずる所あり。而して能く其の
宜しくする所に随う。説く所あれば、是、死の義と為す」。又、問いて曰く「若し知れ
ば、地水火風の畢竟において自得せざるして散ずるは、即ち無死の相と為す。將に何を
義と為すべきや」。答えて曰く「死處に在りと雖も、其の心の亡ばざれば、是は正死と
為す。故に義ありと説く」。文殊師利、又、問いて曰く「常とは何を以て義と為すや
」。答えて曰く「若し明らかに知れば、諸法は畢竟において生滅し變易し幻相の如く無
定なり。而して能く其の宜しくする所に隨う。説く所あれば、是をば常の義と為す」。
又、問う「若し知れば、諸法の畢竟において生滅し幻相の如く無定なるは、即ち是れ無
常の義なり。何ぞ將に常の義と為すべきか」。答えて曰く、「諸法において生にして生
は自得せざれば、滅にして滅は自得せず。乃至、變易は亦復た、是くの如し。自得せざ
るを以てする故に、常の義と為すと説く」。又、問いて曰く「無常は何を以て義と為す
や」。答えて曰く「若し知れば、諸法においては畢竟において不生不滅なりて、是くの
如き相に随う。而して能く其の営む所に随う。説く所あれば、是をば無常の義と為す
」。又、問いて曰く「若し知れば、諸法の畢竟において不生不滅なるを即ち是れ常の義
とせば、何を説きて無常の義と為すと云うか」。答えて曰く「但し諸法は自在にして變
易し定まる相の無きを以て、自得せずして随う。是くの如く知る故に無常の義あるを説
く」。又、問いて曰く「空は何を以て義と為すか」。答えて曰く「能く知る若く、諸法
の相は未だ曾て自ずから空ならざるして、壊れずして今にあり。而して能く不空の空に
して不有の有なり。故に空の義ありと説く」。又、問いて曰く「若し不空の空にして不
有の有ならば、即ち無きにして有る事、將に何ぞ空の義と為すや」。其の女菴提遮、則
ち偈を以て答えて曰く「嗚呼、真の大徳、真の空の義を知らず。色は自ずから相あるは
無し。豈に空の如きにあらずや。若し空の自ずから空なれば、則ち色を容(かたちづ
く)る能わず。空は自ずから空ならざる故に、衆色は是に從り生ず」。爾の時、文殊師
利、又問いて曰く「生にして不生相なるを頗る明知して、生を留まる所と為す者、あり
や、あらずや」。答えて曰く「有り。自ずから明見と雖も其の力の未だ充たず、而して
留まる所を生と為す者、是れ也」又、問う「頗る無知にして生性を識らず、而して畢竟
において留まる所を生と為さざる者ありや、あらずや」。答えて曰く「無し。所以は何
ぞ。若し生性を見ざれば、調伏に因りて少しく安處を得ると雖も、其の不安の相と常に
對治を為す。若し能く生性を見れば、不安處に在ると雖も、而して吉相、常に現前に為
す。若し是くの如く知らずんば、種々勝(すぐ)れて辯談し甚だ深く典籍を説くありと
雖も、而して即ち是れ滅心を生ず。彼の實相を密要の言で説けば、盲の色を辯えるが如
し。他語の故に因れば、青黄赤白黒を得ると説きて、而して自ずから色の正相を見るこ
と能わず。今、諸法を見る能わざる者、亦復た是くの如し。但し今、生の死と為す所を
生と為す。其人に於いて死する所の者は、即ち無生死の義か。若し常をして無常の繋が
る所と為せば。亦復た是くの如し。當に知るべし、大徳、空は亦、自ずからは空を得
ず。故に有空の義を説く」。爾の時、佛は文殊師利に告ぐ「是くの如し、是くの如し。
菴提遮の説く所の如し。真實無異。日は冷せしむべく、月は熱せしむべし。是れ菴提遮
の説く所は、移り易えるべからず」。時に舍利弗、復た其の女に問いて曰く「汝の智慧
辯才は此くの若し。佛の稱歎する所。我等の聲聞の及ばざる所。云え、何ぞ是の女身色
相を離れること能わざるか」。其の女、答えて曰く「我は大徳に問うを欲す。即ち意に
隨いて我に答えよ。大徳、今は是れ男に現ぜるや、それにあらずや」。舍利弗言う「我
は色、是れ男と雖も、而して心は男に非ざる也」。其の女の言う「大徳、我も亦、是く
の如し。大徳の言う所の如し。女相に在ると雖も、其の心は即ち女に非ざる也」。舍利
弗の言う「汝、今は現に夫をして拘執せしむる所と為る。何ぞ能く此くの如きや」。其
の女の答えて曰く「大徳、自ずから己の言う所を信ずるや、それにあらずや」。舍利弗
の言う「我は之、自ら言う。云え、何ぞ自ず信ぜざるや」。其の女の答えて曰く「若し
自ずから信ずれば、大徳、前(さき)に説く、我が色は是れ男にして心は男に非ざる者
と言い説く。者(てえれ)ば、即ち心と色は、二つ用いる所ある也。若し大徳、自ら此
の言を信ずれば、我の生ぜざる所に於いて夫の惡見あり。大徳は自ずから男の故に、我
を女相に生ず。以て、我が女色の故に、大徳の心を壞す也。而して男より、彼を女と見
れば則ち、法に於いて實信を生ずること能わざる也」。舍利弗の言う「我の汝に於いて
する所、敢えて惡見に生ぜしめず」。其の女の答えて曰く「但し世尊に対する故を以
て、是れ實言を敢えてせざる也。若し實に惡見を生じざれば、何をか云う、我に説きて
汝は今に現に夫をして拘執せしむる所なりと。是の言は何に從りて來るか」。舍利弗言
う「我の久しく習から離れる故を以てなり。此の言あれば、實心には非ざる也」。其の
女、問いて曰く「大徳、我の今問う者、意に隨いて我に答えよ。大徳は既に男女の相を
久しく離れると言う。者ば、大徳は色の久しく離れ、心の久しく離れるか」。時に舍利
弗、默然として答えず。爾の時、菴提遮は偈を以て頌して曰く「若し心の久しく離れる
を得ば、畢竟、見を生ぜず。誰ぞ女人をして色に於いて不浄を起こさしむることを作す
と為すか。若し曾て色を論ずるに久しく離れるならば、法は本より自ずからはあらず。
畢竟、曾て汚れず。將に何ぞ惡を作さしむるを為すか。嗚呼、今、大徳は徒(いたず)
らに學びて知る能わず。自ずから男にして、我をして女に生ぜしむ。 豈に妄想ならず
や、それにあらずや。大衆に悔過し、法に於いて我が上に言い説く所に疑いを生ずる勿
れ。是れ、佛の神力に持す」時に菴提遮、是の偈を説けば、其の比丘・比丘尼・優婆
塞・優婆夷・天及び人一千餘人、阿耨多羅三藐三菩提心を得る。五千の衆あり。中に於
いて、無生法忍を得る者、法眼を得る者、又、心の解脱を得る者、其の無量の聲聞衆。
佛法に於いて自ら慚恥を生ずる者も無量。爾の時、佛、舍利弗に告ぐ「是の女人は是、
凡に非ざる也。已に無量の諸佛に値(あ)いて、常に能く是くの如く師子吼了義經を説
きて、無量衆生を利益す。我も亦、自ら是の女人と同じく無量諸佛に事う。是の女人は
久しからずして、當に正覺を成すべし。是れ諸衆、是の女人の説く所の法要に中れば、
即ち能く實信を生ず。者、皆は已に久しく是の女人の説く所の法を聞く故に、今、則ち
能く正信を生ず。是の故に當諦に應じて是の師子吼了義經を受け、疑うこと勿れ」。佛
は阿難に告げて言う「汝、當に此の長者の女菴提遮を受持して、師子吼了義を以て經章
句を問答せよ。次第は汝に付囑す。汝、諦受すべし」。阿難、佛に白して言う「唯然な
り、世尊。今、悉く受く」。爾の時、大衆、女菴提遮説法を聞きて、心は大いいに歡喜
し、踊りて悦ぶこと無量。各自、説の如く修行せよ。
佛説長者女菴提遮師子吼了義經
     ◆

 さすがに長くなったので、口語訳は次回に。(お粗末様)




#375/1158 ●連載
★タイトル (gon     )  04/11/06  02:53  (455)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「虚ならざるか稗史」 久作
★内容
 聞かれもせぬに口語訳をする。やや巫山戯た部分もあるが、大筋は変えていない。内
容を確認されたいむきは、大正新修大蔵経を参照されたい。
     ◆口語訳◆

佛説長者女菴提遮師子吼了義經
漢譯した人の名は記録されていない。今のところ梁代に譯されたものとして、書き留め
ておく。

私は次の様に聞いた。
佛は北東印度の舍衛國は祇樹給孤獨園に、数え切れないほどの出家男女、在家仏教者男
女、そして菩薩位の宗教者と共に留まっていた。シュラーヴァスティー(マヘート)の
西二十餘里に長提村があり、婆私膩迦という婆羅門が住んでいた。博く学問し、深く敬
虔に仏教を信じていた。婆羅門は大規模な法会を催そうと考え、佛と僧のもとへ行き、
来てくれるようにと願った。佛は承知した。婆羅門は家に還った。時が来て、佛と眷属
は村に向かい、婆羅門の屋敷に着いた。長者は佛に会い、欣喜し雀躍することを自制で
きなかった。すぐさま諸眷属を率いて佛のもとに集まり、それぞれ佛に恭しく拝礼し
た。
婆羅門には菴提遮という名の長女がいた。既に嫁ぎ正妻となっていたが、暫くして夫と
別居して実家に戻り、父母の世話をしていた。容貌は端正で自制心が甚だ強く、気遣い
も出来て腰が低かった。度量が大きく(もしくは巨乳で)夫婦仲も良かった。親戚の面
倒をよく見て、夫に仕える様は、まるで煉獄にあるように抜群に従順で、同じくする者
を見たことがない。
彼女の父母や眷屬は全員、出てきて佛に対面したが、彼女だけは部屋に籠もりきりだっ
た。彼女は何時の間にか出現したのであって、両親ですら実は覚えがなかった。このた
め菴提遮と名づけていた。すぐに佛は、長者に娘がいて部屋に閉じこもり出てこないこ
とを知り、理由も悟った。彼女が出てくれば、人々の救済に資すると考えた。
佛は長者に言った。「お前の眷屬は総て出てきたか」。婆羅門は佛の前に跪き、娘が出
てきてないことを恥じて説明しようとしたが、言い出せないでいた。佛は意中を察し、
話題を変えて言った。「よい時間だ。準備した場所に行って法会を始めよう」。婆羅門
は佛の説教を聞いて、饗応した。皆は食事を終えたが、件の娘だけは何も口にしていな
かった。
佛は一人の女性を出現させて、鉢に残した食事を菴提遮のもとへ持って行かせた。出現
した女性は、偈を歌って言った。「此れは如來が残した食事です。この上なく貴い人が
賜ったものです。私は佛に言われて来ました。どうか、慈しみの心をもって、清浄な気
持ちで受け取ってください」。菴提遮は即座に偈を歌い、嘆いて言った。「あぁ、佛は
私が部屋に閉じこもっていると知ってはいるが、その本当の理由が解っていないのでは
ないか。食事を与えてくれたので、会って私のことを如何ように考えているか訊いてみ
たいものだ」。また続いて偈を歌い女性に答えた。「私は思念を廻らせる。大聖は行き
たい所に移動する。両者は同じことをしている。清浄な気持ちになれと言う以上、私を
清浄ではないと決め付けていることになる。なぜ私が清浄でないと言い切るのか」。言
われた女性は掻き消えた。
菴提遮は念力を込めて偈を歌った。「私の夫よ、いま何処にいるのか。どうか此処に来
て、一緒に佛に会いましょう。会って私の心が清浄であることを認めさせたいのです。
さあ早く此処に来て、一緒に佛に会いに行きましょう」。菴提遮の清らかな心の力で思
いが通じ、夫は遣って来た。菴提遮は夫が来たことを喜び、偈を歌った。「あぁ佛よ、
有り難うございます。私は自分の心が清浄であることを証明したくて溜まらなくなり、
異性である佛に独りで会いに行き兼ねませんでした。夫に私の思いを通じさせ、そのよ
うな淫らな行為をさせないよう救ってくださいました。これで夫同伴で異性である佛や
僧侶のもとに行けます」。夫は菴提遮の偈を聞いて、偈を歌って窘めた。「あぁ戒律と
は其の本旨を遵守すべきものであって、言葉面を厳守しても却って戒律を破ることもあ
るのだ。善なる存在は劣情など起こさないのだから、元々清浄であって、会いに行って
も戒律を破ることにはならない。君は異性に人妻が一人で会いに行ってはならないとの
戒律を守り部屋に閉じこもり法会に参加しなかった。このため佛に労をとらせ、食事を
持ってこさせた。戒律を守ろうとしてのことではあるが、佛に労をとらせるような、大
それたことをしてしまったのだよ」。
すぐさま菴提遮は夫を先に立て、佛のもとに向かった。それぞれ佛と其の眷属に恭しく
礼拝した。菴提遮は偈を歌って嘆いて見せた。「十方の佛格が悟りを開くため救い護り
神秘の真理を設定しようとして、佛が私に残した食事を与えてくださったと思っていま
す。しかし偉大な聖人は滅多に出現するものではありません。俗なる私には佛に対する
疑いが残っています。誰が真理の法則に就いて受け答えできるでしょうか、誰が人々に
真理に向かう心の種を植え付ける者でしょうか」。舍利弗は佛に尋ねた。「世尊よ、此
の女性は一体、何者なのか。閉じこもっていたのに、忽ち此処に来た。また、このよう
な法偈を歌い、あまつさえ勿体なくも佛の食べ残しを得たと言っている」。佛は舍利弗
に言った。「何者ってたって、長者の娘ぢゃん」。舎利弗は再び尋ねた。「この女性は
一体、何処から来たのか。何故して此のように悟りを開いているのか」。佛は舍利弗に
言った。「何処からってったって、この女性は別に遠くから来たわけぢゃねぇよ。部屋
にいただけのことだ。其の理由は単に、父母や眷属はいるが、自分の夫同伴でないと異
性である君たちに会うことが憚られたからだな。だから両親の言うことを聴かなかっ
た。軽々しく君たちに会いに来ようとしなかっただけのことだ」。舍利弗は佛に尋ね
た。「此の女性は、如何ような善きことをした故に長者の家に生まれ、此のように美貌
なのか。また、如何ような理由で、此のような立派な男と巡り会い正妻となって、全く
浮気心を起こさず、夫が不在の時には、俗心を離れ劣情など催さない佛や僧侶にすら会
おうとせぬほど自律できるのか」。佛は舍利弗に言った。「お前なぁ、俺に訊くなよ。
自分で彼女に訊きゃぁいいだろ」。
舍利弗は菴提遮に尋ねた。「貴女は如何ような因縁で長者の家に生れたのか。また何故
に此のような立派な漢をモノにして、しかも浮気心を全く起こさず、俗世を離れた私た
ち仏教者にさえ、夫不在の折りには会わないほど自律し自戒できるのか」。菴提遮は偈
を歌い、答えとした。「私は貧しい家に生まれなかったから、この長者の家に生まれた
の。女であるという状態に偏執しないから、清淨な夫を射止めることが出来た。私は自
分の部屋を夢幻の……無限の宇宙と考えた。だから出なくても何の不自由もなかった。
それを解っていて佛は私に食べ残しを与えた。あぁ、でも大徳は、真実の理由が解っち
ゃいない。私は自分の部屋を境界としてたけれども、大徳は境界というものを全く自ら
設定せず、何者にも束縛されない自由な精神をもっている。だからこそ、大自在と呼ば
れているのよね。私は肉体こそ部屋の中に閉じこもっていたけれども、思念は自由に廻
らせていたから、佛を目の当たりにしていると同じ状態にあった。阿羅漢って言ぅの?
 常に目では見えない概念に隨っている。大聖の存在意義は、形ぢゃないわ。其の唱え
る理念よ。でも形もあるから、人に見られる実体を持っていて、その状態を離れること
は出来ない。形のない声を聞いて其の形を見ることを、偉大な力を持った人と謂う。あ
ぁ、大徳よ、拙い方便を貴く考え、私の心の真実を知らずに却って逆の者として私を認
識している」。舍利弗は默然として言い淀み、心の中で呟いた。「何て女だ。こんなこ
と言ってからに。私は到底、及ばない」。即座に佛は舎利弗の意中を察して言った。
「お前なぁ、一方的に議論を止めて、別の事を考えんなよ。彼女の言葉は、既に他の如
何な説教よりも価値がある。仏教として、これ以上のものはないな。本当だぜ」。
文殊師利が菴提遮に尋ねた。「ねぇ貴女、生死の意味を知ってる?」。菴提遮は答え
た。「佛の力を使って知る」。文殊師利が再び尋ねる。「知ってるなら、生の意味を言
ってみなさいよ」。答えて、「生とは、生きていないけれども生きているってこと」。
文殊師利は尋ねる。「それって、如何いぅことよ」。答えて、「突き詰めて考えると、
人間をも構成する物理的物質及びその現象、地水火風の四大元素は結局、始源から勝手
に絶対として存在してるわけぢゃないけど、それ其の者としても相互にも円満に組み合
わさって、時と場合に応じて、色んなモノを形づくるわ。だからこそ、生の意味なの
よ」。文殊師利は尋ねた。「地水火風を突き詰めると始源から絶対として勝手に存在し
ていたわけではなく、それ其の者としても相互にも円満に組み合わさっていることを、
貴女は生の意味だと言うけど、和合・結合を固定された状態と考えれば即ち、生の状態
ではないってことになるんじゃない? 生って逆に、流動している状態のことでしょ。
なのに生の意味があるって言ぅのは、ちょっとねぇ……」。菴提遮は答えた。「生きて
いる状態にあって生がなければ、言い換えれば、生命が維持されていて、流動していな
いで固定された瞬間にあれば、正しく生としなければならない。だから、生の意味って
ことになるわ」。
文殊は尋ねた。「ぢゃぁ、死の意味って?」。答えて、「死は、死んでない死のこと
よ」。文殊は尋ねた。「それって、如何いぅこと?」。答えて、「突き詰めて考える
と、地水火風は結局、始源から絶対として勝手に存在してるんぢゃないけれど、それ其
の者としても相互にも分解するでしょ。時と場合によって。だから此のことを、死の意
味だと言うのよ」。文殊は尋ねた。「だから、ちょっと待ってってば。地水火風が始源
から絶対として自ずから存在しておらず、其れ其の者としても相互にも分解してるなら
ば、それは固定された状態ではなく流動している状態だから、それこそ死んでないこと
になるわよ。如何いぅことよ?」。答えて、「死んでいる状態にあっても其の人の心が
亡んでない生きた状態であるとすれば、これは正しく死んでるってこと」。
文殊師利は尋ねた。「ぢゃぁ、常(永遠不変)ってのは如何いぅ意味?」。答えて、
「突き詰めて考えると、法則といぅものは結局、出来たり無くなったり、幻のようなも
の。此を常っていぅのよ」。文殊は尋ねた。「ちょっと待ってよ。それって常時移り変
わるってことなんじゃない。なのに……」。答えて、「諸々の法則に於いて、生ってい
ぅものが始源から絶対として自ら存在するものでないならば、滅だって同じ。また、移
り変わることも、同じ。だから、此の、始源から絶対として自ずから存在していないっ
て法則そのものを、常だって言ったのよ」。文殊は尋ねた。
「ぢゃぁ、無常は?」。答えて、「考えてみれば、法則って結局、生じたり無くなった
りするものではないのよ。法則の核心たる真理は厳然として始源から存在している。そ
して、無常たるべきことこそ、其の法則。だから、なるものこそ、常に移り変わるって
法則」。文殊は尋ねた。「えぇっ、それって常(永久不変)ってことなんぢゃない?
」。答えて、「だから、法則っていぅものは表現の仕方で自由に形を変えて固定できな
い。これが、無常の正体よ」。
文殊は尋ねた。「空って、如何いぅことなの?」。答えて、「法則の形っていぅものを
突き詰めて考えると、法則は概念の公式であって、物質的な形状をもつものぢゃないわ
よね。空の状態と庶いんだけど、でも全くの空、虚無ではなくって、壊れずに今も存在
している。これは、空ならざる空の状態、有ならざる有の状態って言うべきよね。有と
空は隔絶し絶対として背反のものではないの。有にして空って所かな」。文殊が尋ね
た。「ちょっと待ってよ。もしも不空の空であって不有の有なら、やっぱり有は無(
空)ってことになるんぢゃないの? 一体、如何いぅことなのよ」。菴提遮は偈を歌っ
て答えとした。「あぁ、本物の大徳は、本物の空の意味を知らない。形ある者は、始源
から絶対として自ずから存在していた訳ではない。発生し組み合わさり、現在に至って
いる。だったら空みたいなもんでしょ。空ってのも、始源から絶対として無であったな
らば、無からは何も生じないのだから、形ある者が生成される筈もない。空は始源から
絶対として無ではないから、其処から様々なものが生じたのよ」。
文殊師利は尋ねた。「生きていて、でも生きていない状態であることを明らかに知って
いる者のうち、生きることを死滅した存在のように固定した実体と考える者は、いるか
なぁ」。答えて、「いるわよ。元から賢いとしても、未熟なわけ。未熟だから、生きて
いる状態を、固定された実体として捉えちゃうのよ」。文殊が尋ねた。「とっても莫迦
で、生の性質を知らずに、でも結局、固定した実体を生とは考えない者はいるかしら
?」。答えて、「いる訳ないでしょ。如何いぅことかって? それはね、もしも生って
ものの性質を理解しなければ、ジタバタして敵対する者を排除し漸く安心できる場所を
得たとしても、心の中では常に何かと敵対してしまっていて、不安に陥るものよ。例え
ば、恐怖を、実体あるモノの如くに捉えてしまうの。そんな奴いないって? いいえ、
沢山いるわ。恐怖って結局、自然物をも含む他者と自己との相対的関係に対する感覚よ
ね。位相の引き算、ベクトルね。そして世は無常とすれば、絶えず位相を変えつつ流動
している、即ち生きている人間同士の間に在る恐怖は、互いに軌跡が全く同一でないな
らば、相対的位置関係も絶えず変化しているってことになる。川底の小さな礫は複雑な
流れに僅かかもしれないけど干渉し、其の複雑な流れが川底の礫を微妙に動かし……
(以下繰り返し)。則ち、其の変化に伴って、人間の感情も変わり得る。でも、人間
は、絶えず流動する現在に生きている積もりでも、過去の記憶の集積によって自らの裡
に環境としての現在を静態的に固定して描いてしまう。固定して描いてしまった現在に
於ける配置図は、既に関係性そのものではなく、実体としての衣裳を纏う。自分も相手
も、総てが絶えず流動しているってのにね。一方、対象に向ける逆に生ってものの性質
を見極めれば、危ない状態にあっても希望を常に抱いてられる。恐怖の原因となってい
る位置関係が、絶えず変化してるんだから、消滅もし得るでしょ。増幅もし得るけれど
も、でも、生を肯定し、生へ向かう指向性があれば、絶望より希望を選択するって決ま
ってる。この様に理解してなければ、いくら高尚な議論をして、経典を深く読み込んで
いようと、心を滅ぼすことになるわ。喩えて言うなら、目が不自由な人が、色を説明し
ているようなもの。噛み砕いて言うと、青とか黄とか赤の三原色と白と黒を理解してい
るとか言って、実際には見たことがないってわけ。法則ってものを、ちゃんと理解でき
ない者も同じよ。勿論、これは喩え話だから、視覚を、聴覚や味覚、其の他の感覚で言
い換えても同じ。そして、互いに相対的位置関係を実体のある如く固定して捉えちゃう
と、相手に対する自分の態度自体に【実体】あるものとして固執しちゃう傾向もある。
固定観念とか先入観とか呼ぶ場合もあるわね。でも人間には、絶えず様々な【情報】が
入り込んできてる。当人同士に関する社会的・経済的・政治的な情報かもしれないし、
他の似た者同士が和解したとの情報かもしれない。また、おいしいものを食べたり飲ん
だり、妙なる音楽を聴いたり、美しい花を見たりすることも、【情報】の入力。これら
気持ちの良い情報に刺激されたら、優しくなっちゃったりする。流動することで偶々優
しくなった時点の人に、それと知らずに出会い、自らの裡に堅持していた、実体の如く
凝り固まった憎悪を突き付けたら、それまでより関係が悪くなったりするでしょ。ただ
気を付けないといけないのは、此の真理の表面だけ摘み食いして悪用する族もいるって
こと。心の底に実体の如く憎悪を凝固させつつ、過去に相手に対して行った悪行の数々
を隠蔽し、ちょっとだけ優しい態度を見せる。そんなマヤカシ、人間なら本能的に直感
するわ。当然、相手の憎悪は消滅しない。増幅する場合もあるでしょう。当たり前よ。
なのに、自分が態度を少し変えたぐらいで相手を都合良く変えようとする者は、そんな
ことで変わる筈がないのに、相手が変わらないことを取り上げ、まさに被害者面して、
更に相手への憎悪を増幅する。被害者面する偽善者、まったく最低野郎だわ。このよう
に考えてくると、さっき、生を死だと考えることを生の定義としたけど、その人にとっ
ては、死とは即ち、生も死も無い状態なのかなぁって思うわ。もしも、常と無常は全く
隔絶した状態ではなく、繋がっているとすれば、また同じことが言えるわ。ちゃんと理
解しなさいよ、大徳。空も、始源から絶対としての無では、あり得ないの。そぅいぅ訳
で、有と空の意味を教えてあげたのよ」。佛は文殊師利に言った。「その通り、その通
り。菴提遮の言う通りだ。全く間違いない。日は冷たいものでもあり、月は熱いもので
もある筈だ。菴提遮の説いたことは、全く其の儘に伝えなければならない」。
舍利弗が再び菴提遮に尋ねた。「貴女の智慧と辯才は素晴らしい。佛でさえ稱歎してい
る。私たちの説くことは、貴女に及ばない。しかし女性は成仏できないことになってい
る。八歳龍女は成仏する瞬間、男の子に変身した。悟っているように見える貴女が、何
故に女性の肉体の儘でいなければならないのか」。菴提遮は答えた。「ちょいと大徳、
正直に答えなさいよ。大徳はイヤラシい男の肉体で存在してるの?」。舍利弗は言っ
た。「私は形こそ男だが、心は性的な存在としての男ではない」。菴提遮は言った。
「大徳、私も同じなのよ。女としての形はとっているけれど、心は性的な存在としての
女ぢゃないわ」。舍利弗は言った。「いやいや君は、夫が恩愛を感じて執着する存在す
なわち夫からすれば性的な存在である。私のような出家者とは違う」。菴提遮は応じて
言った。「大徳、自分の言ったことに自信がある?」。舍利弗は言った。「あぁ、絶対
だ」。菴提遮は応じて言った。「ふぅん、そぉ。ぢゃぁさ大徳、さっき自分で、形は男
だけど心は男ぢゃないって言ったわよね。即ち、心と肉体は別物ってことよね。もし大
徳、自分が言った言葉を信(まこと)としたいなら、ちゃんと答えてね。私自身は性的
な感情を起こさないのに、私が嫡すなわち性的で社会的な関係に於いて女として存在し
ているから、異性である夫が私に性的な感情を抱いているから、性的な存在である所の
女だって言ったわよね。大徳は元々男だから、其の自分と違う性徴すなわち肉体的特徴
を備える私を、性的な存在としての女だと認識した。いい? これは、取りも直さず、
大徳が私を『性的な存在としての女』だと認識していることよね、アタシの心が清浄で
あり性的な感情から自由だってことを、全く無視して。アタシが不浄な性的存在だとし
たら、其の原因は、舎利弗、貴男の心に在るんぢゃないかしらぁ? つまり、アタシ
の、此の褐色ムッチムチ巨乳クビレ成熟ナイスバディ人妻の肉体が、大徳ちゃんの信仰
心を破壊して破戒させ、勃起させちゃってるってことになるわね。男は、同じ人間の中
で自分たちと違った性徴をもつ者を【異性】とし、其の大部分を【女】として認識する
わ。まぁマイノリティーとしてヒジュラもいるし実は人のセクシャリティーは十人廿色
なんだけど、話を単純化する為に差し当たって【男と女の関係】を考えましょう。女と
しての性徴をもつ肉体、アタシのような褐色ムッチムチ(以下略)が異性としての男に
劣情を催させることを理由に、『男が性的客体として認識する故に、いくら自身の心が
清浄であるにせよ、女は総て不浄だ』なんて、単なる一方的なワガママぢゃん。それ
に、此処まで範囲を広げちゃうと、男の方も困るわよ。上の一文、主語を女に変える
と、此は『女が性的客体として認識する故に、いくら自身の心が清浄であるにせよ、男
は総て不浄だ』とも言えるわけなのよね。貴男みたいに総ての男が、自分とは異なる相
手の性徴すなわち肉体的特徴を根拠に『性的な存在としての女』と認識すると、性的感
情に縛られず自由な思考を勧める真実の信仰に、誰も到達できないってことになっちゃ
うわよ。結局、仏教は【出来ないこと】をしようとする無駄な努力をしていることにな
るのよ。けけけけけっ」。
舍利弗は言った。「いや、私は貴女に対して欲情なぞしていない。女になぞに興味は全
くない」。菴提遮は応じた。「ふぅん、世尊に聞かれることを憚って、嘘言ってんぢゃ
ないのぉ? もし本当に欲情してないなら、何を根拠に、アタシが、夫に性的対象とし
て執着されていると、決め付けたの? 男と女だって四六時中、発情して互いに姦りた
いって思い続けてるわけぢゃないのよ。それに、アタシが夫と別居している理由は……
……、あぁあ、アンタが文殊尻をチャンと捕まえてないから、あの尻軽男子……ほら、
見てごらんよ、アタシの夫は、もうちゃっかり文殊尻菩薩に寄り添ってる。アイツは女
に興味がないのよ。おーい、夫ぉぉ、その子は佛様の夜のオモチャなんだから、チョッ
カイかけちゃ駄目よー。戻って来なさぁぁい。なに未練がましく、文殊のお尻触ってん
のよー。……で、さて、大徳、アタシの夫がアタシに性的執着を抱いてるなんて、何を
根拠に言ったの? なんで? ほぉれほれ、言ってご覧なさい」。舍利弗は言った。
「あ、いや、あの……私は清浄な金剛心を確かに持っているんですぅ。信じて下さい。
でも、男女間の関係から長らく離れていたので、男と女の仲を教条主義的にしか捉えら
れずに、心にもないことを言っちゃっただけなんですぅ」。菴提遮は言った。「大徳、
正直に答えてね。大徳は既に長らく男女両性間の関係から離れていたって言ったわね。
ぢゃあさ、大徳、肉体が離れ離れになっていれば、心の執着心もなくなるってこと?
」。舍利弗は、もう何も言い返せなかった。
菴提遮は偈を歌った。「もしも心が対象に向けた執着をなくせば、結局、対象に向けて
の偏見は持つことがなくなる。女の肉体そのものが自ずから不浄な心を起こさせるもの
だと決め付けたのは、誰だっけ? もしも肉体や形ある者を云々することを久しく止め
て忘れていれば、対象となっているものが何らかの怪しい法則で自動的に主体の執着心
を惹起するなんて超常現象は起こりっこないんだから、結局、物に対する執着心は発生
したりしなくなる。何故に私の肉体が、自動的に誰かの欲情を掻き立て執着されると決
め付けたの? 言ってご覧なさいよ。さぁ歌いましょう。……『例えば、古代印度にゃ
ないけれど、満員電車で朝早く、朝勃ちの熱冷めやらず、今日もギュゥギュゥ鮨詰め
の、リーマン同士で押しっくら、散切り頭の学生に体が密着ウザッたい、しかして隣の
少年と話す学生、驚天動地、間違(まご)うことなき女の声、知らず知らずの其のうち
に、再び朝勃ち困惑至極、バレないようにと腰を引き、無理な恰好で二十分。男と思え
ば勃たないものも、女と判れば勃つのが男、結局、女の実体でなく、男の大脳そのもの
が、諸悪の根元、南無阿弥陀仏……』。あぁ大徳は、無意味なお勉強ばかりして、物事
の本質を理解しちゃいない。女が元々不浄なんぢゃなくって、男の女を見る視線が、女
を淫らな性的存在だと決め付けてるだけ。これって、妄想ぢゃないかしらぁ、違う? 
ほぉれほれ、答えてご覧なさいよ。そら、跪いて足をお舐め。皆の前で自己批判しなさ
い。アタシの言っていることを疑っちゃイケナイわよ、何たって佛の神通力によって私
が喋らされたことなんだから」。菴提遮が此の偈を歌うと、其処にいた僧侶・尼僧・在
家の信者男女・天および千人以上の者が、阿耨多羅三藐三菩提心を得た。五千人の者
は、或いは無生法忍、或いは法眼を、また或いは心の解脱を得た。其の他の無数の聴衆
は、佛の教えを思い出し、自分の裡にある妄想に依る他者への先入観で相手を固定的実
体としてしか認識せず実は実体と思っていたものが関係性によって規定された流動的な
者だったと思い至り慚恥の心を抱いた。
佛は舍利弗に言った。「この女性は凡俗の者ではない。既に無数の諸佛格に会って、常
に此の様に師子吼了義經を説いて、無数の人々を救済してきたのだ。私もまた、此の女
性と同様に無数の諸佛に出会って教えを受けてきた。此の女性は近い将来、正覺を成就
するに違いない。諸々の人は、此の女性の説教に出会えば即座に本当の信心を得ると定
まっている。であるからして、皆は既に長らく此の女性の説教を訊いたのだから皆は、
正しい信仰心を生じた。よって此の真理に応じて師子吼了義經を受け取り、決して疑っ
てはならない」。佛は阿難に言った。「おい、菴提遮の言ったことを記憶し、師子吼了
義経を文章に起こせ。表記は任せる。間違うんぢゃねぇぞ」。阿難は佛に言った。「か
しこまりました。世尊。今、すべて記憶しました」。人々は菴提遮の説法を聞いて、心
から大いに欣喜雀躍すること限りなかった。各自、説の如く修行せよ。佛説長者女菴提
遮師子吼了義經

     ◆

 漸く本文に入る。真面目に読んで下さった方には申し訳ないが、比率として読まなか
った人の方が圧倒的に多かろうから、掻い摘んで経典の要点を申し上げよう。
 仏陀その人が女性を差別していたとは余り思えないのだが、何時の間にやら仏教で
は、【女性は成仏できない】とされた。だから法華経でも、八歳龍女は成仏する瞬間、
「変成男子」(男の子に変身!)しちゃうのである。死を目前に控えた伏姫が、法華経
を読んでいたとは、八犬伝読みの常識であろう。伏姫が男性性を獲得する瞬間である。
此の場面に関連して読本で以前、性のアワイに言及したが、実は元ネタが上記の経典な
のであった。経典名もウロ覚えだったから、詳しく言及できなかったが、漸く見付けた
ので引っ張り出した。
 読み所は、主人公・菴提遮が舌鋒鋭く仏陀の高弟をヘコます論争場面だ。「獅子吼」
であるから、多少は乱暴な言葉遣いにもなったろう。仏陀の高弟は、教科書的もしくは
硬直して語義を設定し論理を構築しようとする。対して菴提遮は、生と死・常と無常・
空と有、対概念同士を互いに隔絶せる者とは考えず、逆説的に論理を構成していく。空
とか生とかを、まるで実体があるモノの如く固定し典型化し単純な二分法理解を提示す
る役回りの文殊を、まずは沈黙させる。此に対して菴提遮は、法則の流動化(動態化)
を目論む。真理は普遍(常)であっても、其の表記(明文化された「法」)は情況に合
わせて変化し得る(無常)。或る特殊な状況に於ける真理の表出を固定し、情況が変わ
っても、何とかの一つ憶えみたいに、過去の法に固執する愚かなるフェティシズムを、
菴提遮は嗤っているのだ。

 しかし仏陀の高弟は、「教科書的」なんだから当たり前だが、固定観念による思い込
みで自らの無謬性を主張する。だから逆説的な論理、例えば、全くの空(無)からは何
者も生じ得ないとの定義から、全くの空が実は存在せず、「空」とは結局、密かにでも
何者かを蔵しているのであって、其の現実からすれば、【空とは空ならざる空であり、
それは有ならざる有とも言える。故に、空とは空ならず】と論破されたら一溜まりもな
い。仏陀の高弟は論理が硬直してをり無謬性を掲げているから、柔軟で現実的な論理を
以て例外的な事象を持ち出され一点でも突破されたら、脆くも全体が崩壊する。印度の
アーリア女性は真に美しいと思うし、ヤクシーとかパラスヴァーティーとか何とか肉感
的なナイスバディ揃いだと個人的には妄想してをるので、件の菴提遮も褐色ムッチムチ
の成熟人妻であったと勝手に妄想しているのだが(しかも夫とは別居中!)、菴提遮の
高論を聞いて劣等感を抱いた仏陀の高弟・舎利弗は、浅ましくも負け惜しみを言う。
「貴女の智恵は素晴らしい。其の素晴らしい貴女が、何故に女性なのか」。
 此は「女は成仏できない」とか「成仏したら女の子も男の子に変身する筈」って前提
で吐かれた言葉だろう。実は、敬虔な仏教徒であった菴提遮にとって、自分が女性であ
ることこそ、(龍女だったとは書いてないんだが)まさに逆鱗であった。いきり立った
別嬪人妻・菴提遮に、哀れ仏陀の高弟はグッチャングッチャンに叩きのめされ、無数の
衆人環視のもと、自己批判を強いられる。「女は成仏できない」との論理が見事に粉砕
されたのだ。
 まず菴提遮は仏陀の高弟に対し、「アンタ男だろ」と問い掛ける。高弟は「親から貰
った此の体は、なるほど男のものだが、心は男ぢゃありませんわよ、うふん」などと下
らぬことを言う。菴提遮は、ならば自分だって「心は【女】ぢゃない」と言い張る。【
女】とは、実存の女性ではなく、例えば【女】を使って不当な利益を得ようとする、男
女共犯たる旧弊の生み出した「女」である(菴提遮みたいな撫子を産出しながらも、如
何やら人間は二千年ばかり進化を止めているらしい)。
 ところで血塗られたスコットランド女王/ブラッディ・メアリを断頭台で血塗れにし
たエリザベス一世は、世界の旧教徒を敵に回したわけであるけれども、スペインのアル
マダを迎え撃つに当たって、兵士を以下の如く鼓舞した。「(前略)I know I have the
 body of a weak, feeble woman; but I have the heart and stomach of a king - and
 of a king of England too, and think foul scorn that Parma or Spain, or any pri
nce of Europe, should dare to invade the borders of my realm; to which, rather 
than any dishonour should grow by me, I myself will take up arms - I myself wil
l be your general, judge, and rewarder of every one of your virtues in the fiel
d.(後略)」。「肉体は弱き女でも、心は雄々しく逞しい……つ・も・り(はぁとまぁ
く)」は、古今東西、立志の撫子の常套句らしい。因みに彼女は、詩人の資質も有って
いたらしく、「英国と結婚した」と嘯き、生涯を処女として終えた(と云う)。面白い
のは、西洋に於いて、国土は女性名詞であり、其れと配偶したとは、自らを男性と規定
した証左でもあるか、はたまたレスボス島ならぬブリテン島のサッフォーであったか。
菴提遮には至らぬまでも、当時としては、意識の高い女性であったようだ。時代は、伏
姫に遅れること百年ばかりである(作中年次)。
 それは、さて措き、仏陀の高弟は菴提遮に、わざわざ「夫がいるなら、其の夫に異性
としての執着を起こさせている罪深い存在だから不浄なのだ」と、墓穴を掘る。菴提遮
は、何故に自分の夫が自分に性的執着を抱いていると決め付けるのかと詰め寄る。そし
て、もし女性が、男を自動的に勃起させる存在だと規定するならば、心の如何に拠ら
ず、高弟も自分に対して欲情していると決め付ける。高弟は、自分は男女の習いから久
しく離れているから大丈夫なんだと苦しく言い訳するが、菴提遮だって夫と別居中であ
った。まぁ此の論争の前段で、空と有・常と無常など対概念だと信じてきた者が、実は
通底しており同じき根源から枝分かれしていると解き明かすからこそ説得力を持つんだ
が、菴提遮の「獅子吼」は、まことに見事である。
 自律かつ自立している点も含めて、至極マットウなフェミニズム論だが、詳細は原文
を読んでくださるよぉに。旧来からの【女】の範疇に拘り偏執しないことが第一歩では
あるが、もぉちょっと「女」を売り物にしろよと言いたくなる伏姫に其の実践が見られ
ることは、(馬琴が此の経典を熟読していた証拠を筆者は持たないので)恐らく直接的
な関係はないとせねばならぬが、硬直せる実体論よりも関係性を優先する態度が、八犬
伝と共通すると言わねばならない。勿論、大衆小説であるから、「硬直せる実体論」を
戦術としては利用せねば成り立ち難い。既存の【常識】や【先行文芸】を(飽くまで戦
術として)駆使せねば、大衆小説なる空間自体が、魅力的には存在し難い。言葉の宿命
と、言って良いかも知れない。
 且つ亦、実体論よりも関係性論に偏っているとはいえ、それは此処での舎利弗の如き
不覚悟なガキが現実を無視して人間関係とか何とか実体論的個人妄想を事実に優先させ
るとの意味では決してなく、逆に事実環境(自然)を明鏡止水に受け止めた上で、所詮
は総てが妄想だと開き直って妄想に引き籠もることなく、己の妄想/主観的世界観と事
実と摺り合わせて修正し続ける営為を必要とする。かといって、妄想に引き籠もって上
述の如きルールを否定する者まで(通俗妄想の裡の)慈母観音の様に甘やかし全肯定す
るのではなく、菴提遮の「獅子吼」は、かなり戦闘的な態度で、相手を妄想の温床から
引き摺り出そうとする。一歩間違えば宗教戦争の泥沼だが、経典では(フィクションだ
から)絶対的存在である仏陀が裁定者となって菴提遮の論理を肯定しているのだから、
問題は起こらない。更に亦、菴提遮は表上の主人公だが、矢張り真の主人公は仏陀だろ
う。経典に記す不可思議な物語は恐らく、以下の如く種明かし出来よう。
 仏陀は菴提遮が部屋に籠もっていると聞いた時点で、総てを悟った。が、一人の女性
を出現させて自分の残飯を持って行かせて「(女は不浄の存在である)清浄な心となっ
て受け取れ」と挑発させた。菴提遮は自らの清浄心を証明しようとして、仏に会いに行
こうと考えた。しかし人妻である彼女は、夫同伴でないと自らの清浄心を疑われると考
えた。夫が現れるよう心に念じた。夫は出現した。夫は彼女を窘めた。「嗚呼汝大癡 
不知善自宜 勞聖賜餘食 守戒竟何為」。実は、経典の要旨が、此の一文に凝縮されて
いる。菴提遮の展開する論理は、応用に過ぎない。と、なれば、此の夫こそ徒者(ただ
もの)ではない。菴提遮は夫同伴で仏陀たちに会いに行く。舎利弗は、菴提遮夫を素晴
らしい男性であり清浄な心を持っていると、即座に認めた(清浄な心を持っていると認
めながら菴提遮との論争で夫が悪心/劣情を抱いていると言い募る所で舎利弗の論理は
既に破綻していた)。しかし折角、登場した菴提遮の夫は何も喋らない。舎利弗・文殊
師利そして菴提遮だけが論争の登場人物で、仏陀が二三度茶々を入れるぐらいだ。抑も
「女は不浄で男にも不浄な心を起こさせる二重に不浄な存在」との先入観に凝り固まっ
ている舎利弗が、何の説明も描写もないまま、素晴らしい男性で清浄な心を持っている
と一見して認める菴提遮の夫とは、如何なる者か。そりゃぁ当然、仏陀その人だろう。
いやまぁ仏陀本人は別に存在しているから、分身か何かの位置づけってことにはなる
が。仏陀は前に「化女」を出現させて菴提遮を挑発した。続いて菴提遮の祈りに答えて
夫を出現させたのも、仏陀である。菴提遮は夫が出現したとき、仏に感謝の祈りを捧げ
た。夫を出現させたのが仏陀なら、「嗚呼汝大癡 不知善自宜」との真理を夫に語らせ
た者も、仏陀だろう。夫の唇から発した真理を胸に菴提遮は論争の場に赴き、舎利弗を
コテンパンに打ち破る。結局、仏陀に真理を耳打ちされた菴提遮が、自らの智恵で応用
を働かせて男女の平等を歌い上げる恰好だ。黒幕は、仏陀なんである。弟子である舎利
弗が半ば敗けを認め沈黙した時に、「途中で止めんな!」と突き放し、後に完全なる敗
北へと追いやったのも、仏陀だ。……仏陀は、かなり人が悪い。おバカな論理を言い募
った代償とは言え、サンドバッグ状態の舎利弗が、ちょっぴり可哀想に思える。まぁ此
の経典は二重のフィクションてぇか、それ自体もフィクションだが、登場人物が仏陀の
采配の下、論戦劇(フィクション)を繰り広げて、聴いている大衆に真理を説くって形
であり、「人の悪い」プロデューサー・仏陀は、既に如来格、デップリした泥鰌髭の中
年男だ。細めの目つきは人を見下した様な偉そうな印象、口元には薄笑いを浮かべてい
る。大仏(毘婁舎那仏)とか思い浮かべれば良い。如何したって人が好さそぉには見え
ん。閑話休題。

 道教を代表する語句の一つ「無用の用」は、仏教を代表する語句の一つ「(空ならざ
る)空」と、親和性が高い。両者が結託すれば、例えば八犬伝の如く、神仙(道教の最
高境地)なんだか等見成正覚(仏教の最高境地)だか判然としない形になろう。また
「無用の用」「(空ならざる)空」は共に、一見(もしくは通俗には)逆説を含む境地
でもある。馬琴が否定した七十回本は別として、魔君であり英雄であった主人公達が惨
めにバタバタ死んでいく水滸伝で、【一番の乱暴者】とも評せる魯智深和尚が大悟に至
り大往生を遂げるなんざ、逆説が幅を利かせる社会では喜ばれそうだし、如何にも流行
作家・馬琴の選択しそうな趣向だ。筆者は現在の日本にも同様の傾向は色濃く残ってい
ると考えているけれども、犬士中「一番の乱暴者」道節の息子のみ僧侶となることは、
甚だ興味深い。近世の説話では蛸を千手観音と呼び食することを好んだ、殆ど破戒の一
休禅師も思い出される。また道節二世(第三子)の名は「道空」であった。道(タオ)
と空(そら)である。語感は「(孫)悟空」にも通っている。惟えば悟空も、三蔵法師
一行で「一番の乱暴者」であったが故、頭を金環に嵌められた。
 とは云え、信多純一氏が「馬琴の大夢」で老熟の考証を示した如く、なるほど西遊記
と八犬伝の間には密接な関係があるとは確かだろうし、悟空を親兵衛に比定することを
否定する者ではない。但し、馬琴が拠った先行文物も、キャラクター設定に用いた実
在・虚構の人物も、八犬伝と【一対一対応】しているわけではないだろう。先行する者
たちが部分部分を抽出され統合し、若しくは分与される。即ち、西遊記の悟空は己の部
分を親兵衛に与えつつ、道節にも投影されていると見た方が、筆者にはシックリくる。
 また如何でも良いことだが、素藤が妙椿を「女菩薩」と呼ぶは、船虫など賊婦に対し
て用いられる慣用句「外面女菩薩内心夜叉」からの部分的転用とすべきではなかろう
か。素藤が妙椿に「女菩薩」と呼び掛ける度に、読者は「外面女菩薩内心夜叉」なる言
葉を想起し、其れまで登場した賊婦を思い出して、彼女らと妙椿が同じ側の存在だと確
認する。素藤の使う「女菩薩」が、西遊記に於ける観音へ向けた呼称からの直接的搬入
であるとするならば、最低でも伏姫観音と妙椿との直接的関係を示さねば、説得力を感
じさせない。さほど珍しい語彙ではないだけに、積極的証明が必要だろう。氏の考証が
緻密ゆえに目に付いた瑕瑾である。
 
 世の中の色総てを足せば十八パーセントのグレー(無彩色)/空ならざる空/混沌に
帰するとは、写真理論の初歩だが、思いっきり善・思いっきり悪が各々激突し合う八犬
伝世界は、総べれは結局十八パーセントのグレーだと、「等見(成正覚)」することも
可能かもしれない。
 犬士が仙化し、八犬伝は【無】に結果する。無から生じた物語が無に帰した……だけ
のことだ。が、無を始点とし無に戻ったとて、途中が無であったわけではない。無から
無へと結局は移動距離ゼロの虚ろな稗史は、しかし、苦しさ悲しさを乗り越える犬士の
闘いは、八犬伝の外、現実世界にプチ犬士を生成し得る。何者かを生じ得る無は、全き
無ではない。空ならざる空だ。
 生じ得たプチ犬士たちは苦闘するだろう。其等の行為は、やはり無に帰するかもしれ
ない。いや多分、無に帰するだろう。しかしプチ犬士の苦闘は、復た新たなプチ犬士を
生ぜしめ得る。空ならざる空。
 天照/観音/伏姫が隠れ、八犬伝世界は(比喩的に)暗黒社会となる。佞人時を得て
悪の跋扈する場所だ。絶対零度かつ明度ゼロの状態が、宇宙本来の状態なのかもしれな
い。しかし、とにかく宇宙が存在している所から、原初も「空ならざる空」であったと
想定できる。光が生じ熱が発し、人の存在がある。しかし例えば、光熱はエネルギーを
必要とする。伏姫/太陽/を失って、タダでは光熱が得られない。暗黒/闇を制する苦
闘/エネルギーの発露によって、漸く光熱が得られる。ココロの闇とは、思考を停止し
易きに流れることだ。闇を解消する光と熱には、エネルギーの発動がなければならな
い。犬士の苦闘は、其の様なことを語りかけてきはしまいか。
 ところで、犬士は全て男だが、別に苦闘は男の特権ではない。音音なんて、対関東管
領戦で犬士より華々しい活躍を見せる。本来ならば女性であったのに「変生」し男だけ
の隊(むれ)に入った毛野もいるが、此は上述の如き理由で象徴的に「純陽」でなけれ
ばならなかった犬士の性格付け故の、単なるレトリックだろう。【等見成正覚】であ
る。
 さて後生に、出ずるや、プチ犬士。わんわん(お粗末様)




#376/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/11/12  22:15  ( 41)
●新・権力の陰謀93 22年目の警視庁の人権侵害 ヨウジ
★内容

警視庁等による人権侵害は
まる21年を突破し22年目に入った。
9月21日に秋葉原に行くと
事故も事件もないのに
中央通りに異様な数のパトカーが来ていて
私が歩く先に出くわすように
何人もの警察官が動員された。
この日は出くわしが二度もあった。
11月2日に再び秋葉原に行くと
またもや同様の動員が行われた。
家の近所でも同様なことが
これまで21年間何千回となく繰り返されてきた。
私のランダムな外出に対して
100%の確率のストーカー行為を可能にする体制とは
室内への盗聴マイクや盗撮カメラの設置、
または家の近くの電信柱等への防犯カメラ設置による
常時監視以外にはない。
首を傾げる時期はとうの昔に終わった。
横並び体質の都庁・警視庁・東京消防庁等の官僚主義の
陰湿な苛め差別の因習である。
21年間、勤務時間中の真っ昼間に堂々と
公務とは無関係の人権侵害を行ない続けて来た。
それが今やまる21年を突破し22年目に入った。

                            ヨウジ
*--------------------------------------------------------------------*
| Backup&Copy BCOPY / Shell&Menu SMENU / 地球温暖化対策Program CO2   |
| PC-VAN:CKG36422  e-mail:CKG36422@biglobe.ne.jp                     |
| NIFTY :BXC02020  e-mail:BXC02020@nifty.com or BXC02020@nifty.ne.jp |
| Home Page http://www5b.biglobe.ne.jp/~youji/                       |
*--------------------------------------------------------------------*

P.S.私のホームページに志村署によるでっちあげの証拠写真を掲載中
    http://www5b.biglobe.ne.jp/~youji/library/index.htm#INBO2091

    今回初めて板橋区役所戸籍課が意識して大っぴらに差別に加わった。
    正義を曲げる横並び、横並び。だから日本人は信用しない。

    息子が会社を辞めた。子供も差別されるからだ。これが日本の風習。
    また奴等はこれをカードに使う。




#377/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  04/11/16  15:22  (101)
●新・権力の陰謀94 警察が法を守らないから ヨウジ
★内容

犯罪の取締機関が法を守らなかったからいけないのだ。
問題はここから始まった。
21年前、夫婦喧嘩の後に私が110番し、
2、3回問い合わせをしたが、
何を間違えたか警視庁は以後執拗なストーカー行為を始めた。

具体的には1992年11月からPC−VANのAWC等で連載を始めた
「●連載パソ通小説『権力の陰謀』」(92/11/04 〜 93/01/28 29遍)を参照。

私はこのただならぬ心理的圧力に痛め付けられながら、
苦悩で眠れなかったり、
眠れても夜中に突然目覚めまた苦悩したりする夜も多くあった中で、
コンピュータの過酷で多忙な仕事をこなさざるを得なかった。
だから、一仕事終わると心身共に疲れきり、
心身を休めるには退職するよりなくなった。
就退職を繰り返す内に
次第に再就職が難しくなり、
在宅でコンピュータの仕事をするようになったが、
単価が安いので十分な収入が得られず、
それも長続きしなかった。
そして最後には自作ソフトをネットで販売する道に掛けるよりなくなった。
これがバックアップソフトのBCOPYである。
そして時代の流れでこれもまた駄目になり、
失業同然になって行った。
ところが、私が専ら家で過ごすようになっても
警視庁や東京消防庁はストーカー行為を止めなかった。
止めるどころか益々手口をエスカレートさせ
執拗に行ない続けた。
それで「理由がないのにやられることは
何もしなければ終わらないだろう」と考え、
先に記した小説『権力の陰謀』により
ネットでの訴えを始めた。
小説は都庁に入る前にいた職場の様子や心境や暮らしぶりを
描くところから始まり、
1973年、都庁に入ってから仕掛けられる陰謀により
次第に追い詰められ数奇な運命を辿り、
退職後は今度は警視庁に付け回され工作され
次々に職場を追われる様子が描かれ、
最後には真相に気付き、
1992年11月から連載小説を書きながら
ネットでの訴えを始めるところまでが描かれている。
ややこしいが小説『権力の陰謀』の中で
小説『権力の陰謀』を書くところまでが描かれている。
これ以後の警視庁や東京消防庁による
執拗なストーカー行為等を現在進行形で記したものが、
●『続・権力の陰謀』(93/04/06 〜 99/10/25 455遍)や
今なお続行中のこの「●新・権力の陰謀」
(2001/02/18 〜 2004/11/12 93遍)だ。
公務員に良識がないから、悪辣だから
裏工作で陥れ、
姑息な口実でその場を凌ぐ。
どれもでっちあげか、
または子供騙しの理由にならない理由。
問題を解決させようとはせず、
逆に扇動して問題を長引かせ拗らせる。
まるで苛めを楽しんでいるかのように・・・

                            ヨウジ
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P.S.この「●新・権力の陰謀」シリーズを連載している最中に娘が家出し、
    警視庁志村署に「家出人捜索願」を提出するが、これが悪用され、私は
    ストーカー犯にでっちあげられる。それで娘の家出に絡むもめ事も陰謀
    の一部と見なし、このシリーズの中で取り上げることになった(下記)

     02/10/17 ●新・権力の陰謀26 娘の家出
     02/10/19 ●新・権力の陰謀27 娘の捜索願はストーカ警察へ
     02/10/19 ●新・権力の陰謀28 行方不明の娘の手掛かり
     02/10/19 ●新・権力の陰謀29 親子を引き離そうとする警察
     02/10/20 ●新・権力の陰謀30 携帯がもたらした家庭崩壊
     02/10/21 ●新・権力の陰謀31 警視庁裏権力の究極の目的
     02/11/06 ●新・権力の陰謀32 全ては警視庁の人権侵害から
     03/05/12 ●新・権力の陰謀38 娘の失踪から今日で丸1年
     03/08/25 ●新・権力の陰謀48 娘はもう直帰ってくる
     03/08/25 ●新・権力の陰謀49 娘は風俗に捕まっている
     03/08/27 ●新・権力の陰謀50 警察の妨害は20年前から始まった
     03/08/30 ●新・権力の陰謀51 警察のDVでっちあげ
     03/09/01 ●新・権力の陰謀52 隠蔽され腐敗する警察
     03/09/04 ●新・権力の陰謀53 悪意のある警察
     03/09/14 ●新・権力の陰謀54 DV防止強化の前に
     04/07/07 ●新・権力の陰謀74 娘の家出絡みで新展開
     04/07/13 ●新・権力の陰謀75 突然、住民台帳が閲覧禁止に
     04/07/13 ●新・権力の陰謀76 区の要綱適用に当たらない根拠
     04/07/13 ●新・権力の陰謀77 家出人探しは警察に頼むな
     04/07/13 ●新・権力の陰謀78 警察に頼まなければ家庭崩壊せ
     04/07/13 ●新・権力の陰謀79 警察に頼んだ実際の結果
     04/07/20 ●新・権力の陰謀80 家出した娘の転勤と罠
     04/09/04 ●新・権力の陰謀84 娘の誤解と警察の悪意と
     04/09/06 ●新・権力の陰謀85 娘を唆しでっちあげた
     04/09/10 ●新・権力の陰謀86 娘はもうすぐ戻る
     04/10/04 ●新・権力の陰謀90 代わりに俺たちが面倒見るから 
     04/10/06 ●新・権力の陰謀91 被害者を犯人にでっちあげる警察 

    私のホームページに志村署によるでっちあげの証拠写真を掲載中
    http://www5b.biglobe.ne.jp/~youji/library/index.htm#INBO2091




#378/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/01/16  17:52  (343)
◎2004年10−12月度 CO2削減実績報告 〜その@〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:13 修正 第2版

 深刻さを増す地球温暖化問題に対して1地球人である私としても何とかしたい
と数年前からCO2 削減に取り組んで来ました。更に1999年からは1997
年12月の『地球温暖化防止京都会議』で定められた国別の削減目標の内、日本
の削減目標である2008年−2012年までに1990年レベルより6%削減
する」という数値目標に習って、我が家の削減目標を設定し、粘り強く削減努力
を続けてきました。その結果、1999年には6.97%、2000年には26
.22%、2001年には39.94%、2002年には45.70%、そして
2003年には53.04%まで削減することができました。これにより太陽光
発電等自然エネルギーを使わない方法ではほぼ限界まで削減することができまし
た。普通の方法ではもうこれ以上の削減はできないので、今後はこのレベルを維
持することを第一に行なって行きたいと思います。ただ、子供が独立し家族の人
数が減ったので、単純に1990年レベルからの削減率では語れなくなりました。
2001年までの削減は純粋に削減努力によるものでしたが、2002年以降は
削減努力によるものの他、人数減による削減も含まれています。(今年2004
年からは完全に人数が2人になります)家庭のエネルギー消費にはベースがある
ので、人数分がそのまま減るわけではありませんが、そういうことも考えながら
今後とも削減努力を続けて行きたいと思います。
 今年2004年の我が家のCO2削減実績を1カ月ごとに途中経過を報告して
行きます。以下に計算結果を順を追って示します。


1.2004年のCO2削減目標

  年        電気    ガス    水道      CO2
           KWh    m3      m3       Kg       基
1990 排出実績 5468  611    242   1085.9 ←準
                                                                    年
2000 削減実績 3845  476   220   801.2
       率%−29.7 −22.1  −9.1 −26.22%

2001 削減実績 3622  290   200   652.2
     削減率%−33.8 −52.5 −17.4 −39.94%

2002 削減実績 3341  249   183   589.6
     削減率%−38.9 −59.2 −24.4 −45.70%
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2003 削減実績 2984  200   149   509.9
     削減率%−45.4 −67.3 −38.4 −53.04%

2004 削減目標 2984  200   149   509.9
     削減率%−45.4 −67.3 −38.4 −53.04%
                           ^^^^^^^^^^^^^^
2.削減目標の詳細

 (1) 電気=2984x0.12= 358.08Kg
  (2) ガス= 200x0.64= 128.00Kg
  (3) 水道= 149x0.16=  23.84Kg
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   2004年のCO2 排出目標 509.92Kg(炭素換算)
             (削減率 53.04%)

3.今月までの実績

 (1) 電気・・・・・・削減目標 −45.4%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990  572    467    381    367    437    359    547    774    523    375    3
11    355   5468
 (CO2)  68.64  56.04  46.08  44.04  52.44  43.08  65.64  92.88  62.76  45.00  
37.32  42.60 656.16
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998  515    441    360    448    446    374    607    644    575    421    4
60    366   5647
 (CO2)  61.80  52.92  43.20  53.76  53.52  44.88  72.84  77.28  69.00  50.52  
55.20  43.92 677.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999  448    383    396    380    390    514    548    622    665    342    3
02    280   5270
 (CO2)  53.76  45.96  47.52  45.60  46.80  61.68  65.76  74.64  79.80  41.04  
36.24  33.60 632.40
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000  359    307    305    287    345    315    373    389    350    276    2
95    244   3845
  (CO2)  43.08  36.84  36.60  34.44  41.40  37.80  44.76  46.68  42.00  33.12  
35.40  29.28 461.40
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001  310    271    282    255    296    293    355    369    309    297    3
04    281   3622
  (CO2)  37.20  32.52  33.84  30.60  35.52  35.16  42.60  44.28  37.08  35.64  
36.48  33.72 434.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002  306    263    265    233    274    266    314    351    307    256    2
76    230   3341
  (CO2)  36.72  31.56  31.80  27.96  32.88  31.92  37.68  42.12  36.84  30.72  
33.12  27.60 400.92
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003  251    251    234    257    265    231    268    277    281    221    2
22    226   2984
  (CO2)  30.12  30.12  28.08  30.84  31.80  27.72  32.16  33.24  33.72  26.52  
26.64  27.12 358.08
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標  251    251    234    257    265    231    268    277    281    221    2
22    226   2984
  (CO2)  30.12  30.12  28.08  30.84  31.80  27.72  32.16  33.24  33.72  26.52  
26.64  27.12 358.08
    累  251    502    736    993   1258   1489   1757   2034   2315   2536   27
58   2984   2984
  (CO2)  30.12  60.24  88.32 119.16 150.96 178.68 210.84 244.08 277.80 304.32 3
30.96 358.08 358.08
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績  284    236    220    250    246    226    277    250    303    213    2
38    208   2951
  (CO2)  34.08  28.32  26.40  30.00  29.52  27.12  33.24  30.00  36.36  25.56  
28.56  24.96 354.12
    累  284    520    740    990   1236   1462   1739   1989   2292   2505   27
43   2951   2951
  (CO2)  34.08  62.40  88.80 118.80 148.32 175.44 208.68 238.68 275.04 300.60 3
29.16 354.12 354.12
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
  達成率 88.4   96.5   99.5  100.3  101.8  101.8  101.0  102.3  101.0  101.2  1
00.5  101.1  101.1%


  (2) ガス・・・・・・削減目標 −67.3%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
------------------
 1990   94     79     71     52     48     38     32     28     30     37     
44     58    611
  (CO2)  60.16  50.56  45.44  33.28  30.72  24.32  20.48  17.92  19.20  23.68  
28.16  37.12 391.04
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998  159    111     94     57     50     43     32     31     36     45     
45     54    757
  (CO2) 101.76  71.04  60.16  36.48  32.00  27.52  20.48  19.84  23.04  28.80  
28.80  34.56 484.48
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999   89     70     59     41     43     26     32     27     30     33     
36     46    532
  (CO2)  56.96  44.80  37.76  26.24  27.52  16.64  20.48  17.28  19.20  21.12  
23.04  29.44 340.48
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000   72     57     52     43     37     33     27     19     24     35     
40     37    476
  (CO2)  46.08  36.48  33.28  27.52  23.68  21.12  17.28  12.16  15.36  22.40  
25.60  23.68 304.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001   48     27     29     21     24     20     15     13     16     24     
26     27    290
  (CO2)  30.72  17.28  18.56  13.44  15.36  12.80   9.60   8.32  10.24  15.36  
16.64  17.28 185.60
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002   36     25     24     20     19     15     20     11     13     19     
25     22    249 
  (CO2)  23.04  16.00  15.36  12.80  12.16   9.60  12.80   7.04   8.32  12.16  
16.00  14.08 159.36
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003   34     22     22     16     17     11     12     13     14     12     
13     14    200
  (CO2)  21.76  14.08  14.08  10.24  10.88   7.04   7.68   8.32   8.96   7.68  
 8.32   8.96 128.00
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標   34     22     22     16     17     11     12     13     14     12     
13     14    200
  (CO2)  21.76  14.08  14.08  10.24  10.88   7.04   7.68   8.32   8.96   7.68  
 8.32   8.96 128.00
    累   34     56     78     94    111    122    134    147    161    173    1
86    200    200
  (CO2)  21.76  35.84  49.92  60.16  71.04  78.08  85.76  94.08 103.04 110.72 1
19.04 128.00 128.00
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績   16     12     13     11     11     12     10     10     12     11     
14     13    145
  (CO2)  10.24   7.68   8.32   7.04   7.04   7.68   6.40   6.40   7.68   7.04  
 8.96   8.32  92.80
    累   16     28     41     52     63     75     85     95    107    118    1
32    145    145
  (CO2)  10.24  17.92  26.24  33.28  40.32  48.00  54.40  60.80  68.48  75.52  
84.48  92.80  92.80
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 達成率212.5  200.0  190.2  180.8  176.2  162.7  157.6  154.7  150.5  146.6  1
40.9  137.9  137.9%


  (3) 水道・・・・・・削減目標 −38.4%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
------------------
 1990    -     30      -     42      -     40      -     46      -     39     
 -     45    242
  (CO2)   -      4.80   -      6.72   -      6.40   -      7.36   -      6.24  
 -      7.20  38.72
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998    -     50      -     47      -     51      -     49      -     44     
 -     45    286
  (CO2)   -      8.00   -      7.52   -      8.16   -      7.84   -      7.04  
 -      7.20  45.76
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999    -     38      -     34      -     43      -     40      -     42     
 -     36    233
  (CO2)   -      6.08   -      5.44   -      6.88   -      6.40   -      6.72  
 -      5.76  37.28
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000    -     36      -     32      -     38      -     41      -     38     
 -     35    220
  (CO2)   -      5.76   -      5.12   -      6.08   -      6.56   -      6.08  
 -      5.60  35.20
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001    -     30      -     28      -     37      -     38      -     34     
 -     33    200
  (CO2)   -      4.80   -      4.48   -      5.92   -      6.08   -      5.44  
 -      5.28  32.00
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002    -     31      -     30      -     31      -     33      -     29     
 -     29    183
  (CO2)   -      4.96   -      4.80   -      4.96   -      5.28   -      4.64  
 -      4.64  29,28
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003    -     28      -     26      -     26      -     24      -     23     
 -     22    149
  (CO2)   -      4.48   -      4.16   -      4.16   -      3.84   -      3.68  
 -      3.52  23.84
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標    -     28      -     26      -     26      -     24      -     23     
 -     22    149
  (CO2)   -      4.48   -      4.16   -      4.16   -      3.84   -      3.68  
 -      3.52  23.84
    累    -     28      -     54      -     80      -    104    104    127    1
27    149    149
  (CO2)   -      4.48   -      8.64   -     12.80   -     16.64  16.64  20.32  
20.32  23.84  23.84
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績    -     19      -     17      -     19      -     25      -     24     
 -     23    127
  (CO2)   -      3.04   -      2.72   -      3.04   -      4.00   -      3.84  
 -      3.68  20.32
    累    -     19      -     36      -     55      -     80      -    104     
 -    127    127
  (CO2)   -      3.04   -      5.76   -      8.80   -     12.80   -     16.64  
 -     20.32  20.32
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 達成率  -    147.4    -    150.0    -    145.5    -    130.0    -    122.1   
 -    117.3  117.3%


  (4) CO2 ・・・・・削減目標 −53.04%

 --------------------------- 月別排出目標と実績(Kg)-----------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990   68.64  56.04  46.08  44.04  52.44  43.08  65.64  92.88  62.76  45.00  
37.32  42.60 656.16
 1998   61.80  52.92  43.20  53.76  53.52  44.88  72.84  77.28  69.00  50.52  
55.20  43.92 677.64
 1999   53.76  45.96  47.52  45.60  46.80  61.68  65.76  74.64  79.80  41.04  
36.24  33.60 632.40
  2000   43.08  36.84  36.60  34.44  41.40  37.80  44.76  46.68  42.00  33.12  
35.40  29.28 461.40
 2001   67.92  54.60  52.40  48.52  50.88  53.88  52.20  58.68  47.32  56.44  
53.12  56.28 652.24
 2002   59.76  52.52  47.16  45.56  45.04  46.48  50.48  54.44  45.16  47.52  
49.12  46.32 589.56
  2003   51.88  48.68  42.16  45.24  42.68  38.92  39.84  45.4   42.68  37.88  
34.96  39.60 509.92
  目標   51.88  48.68  42.16  45.24  42.68  38.92  39.84  45.4   42.68  37.88  
34.96  39.60 509.92
    累   51.88 100.56 142.72 187.96 230.64 269.56 309.40 354.80 397.48 435.36 4
70.32 509.92 509.92
  実績   44.32  39.04  34.72  39.76  36.56  37.84  39.64  40.40  44.04  36.44  
37.52  36.96 467.24
    累   44.32  83.36 118.08 157.84 194.40 232.24 271.88 312.28 356.32 392.76 4
13.64 467.24 467.24
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
  達成率117.1  120.6  120.9  119.1  118.6  116.1  113.8  113.6  111.6  110.8  1
13.7  109.1  109.1%
                                                                               
             ^^^^^^

4.2004年CO2年間削減実績

       年    電気    ガス   水道       CO2
           KWh    m3    m3        Kg
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
排出実績 1990 5468  611   242   1085.9 ←基準年
削減実績 1999 5270  532  233  1010.2
削減実績 2000 3845  476  220   801.2
削減実績 2001 3622  290  200   652.2
削減実績 2002 3341  249  183   589.6
削減実績 2003 2984  200  149   509.9
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
削減目標 2004 2984  200  149   509.9
削減率%    −45.4 −67.3 −38.4 −53.04%

削減実績 2004 2951  145  127   467.2
削減率%    −46.0 −76.3 −47.5 −56.98%
                           ^^^^^^^^^^^^
注1)3の(3)項、水道に奇数月の実績が入っていないのは、私の住む自治体の
   道料が検針も集金も1カ月置きだからです。計算の便宜上奇数月の使用
   量は0とします。

そのAへ続く
                                 ヨウジ
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#379/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/01/16  17:54  (181)
◎2004年10−12月度 CO2削減実績報告 〜そのA〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:14 修正 第2版

5.考察

   都合で3カ月まとめての報告となりましたが、削減努力は変わらず続けて
  まいりました。また1年の締めくくりをする季節となりました。その後、
  11月にロシアが京都議定書を批准し、今年2月に発効することが決まりま
  した。まったく楽観できる状況にはありませんが、小さくはあっても問題解
  決に向けた第一歩が踏み出されました。不完全ではあっても今はまず第一歩
  を踏み出すことが重要です。これが引き金となり参加各国で新たな制度が作
  られ動き出すからです。これによりこれまで経済や金儲けのことばかり考え
  て来た指導的立場にある人々が否応なしに「環境問題」と真正面に取り組ま
  ざるを得なくなります。環境問題は一般市民にとっても単に関心を持つ段階
  から実行する段階となりました。いえ、実行せざるを得ないような制度を作
  らなければなりません。そうでなければ迫り来る地球環境の危機を回避でき
  ないからです。
   その後、テレビでも地球温暖化をテーマとする特集番組が何度も放映され
  ました。アメリカ発の情報が多く、アメリカは知識層の関心は高まっている
  ようですが、肝心の政治がまったく背を向けています。ブッシュ大統領が再
  選したら改めて「京都議定書」からの離脱を再宣言するようなメッセージが
  発せられる始末。学者が「省エネしなければ駄目だ」と訴えていますが、そ
  のアメリカが世界一化石燃料を大量消費しているのに、「京都議定書」から
  離脱し、責任放棄しているのですからまったく話になりません。これでは反
  面教師にさえなりません。イラク戦争と合わせ世界に物凄い悪影響を与え続
  けています。
   12月のスマトラ沖地震の津波により沿岸諸国に18万人を超える死者・
  行方不明者と124万人の避難生活者(1月10日現在)が出ているという
  ことで、大変な惨事となりました。これを見た瞬間に温暖化による海面上昇
  や異常気象による大災害の光景を連想してしまいました。海面上昇したとこ
  ろへ嵐で高波が来れば同じことになりますし、勿論、地震による津波の被害
  を大きくします。いえ、温暖化による災害は沿岸諸国だけでなく、世界中の
  ありとあらゆる地域に住む人々にとてつもない災害・被害をもたらします。
  改めて温暖化の恐ろしさを考えさせられ身が引き締まりました。
   我が家では冬季は室内でも外出用のダウンジャケットを着るなど衣服を多
  めに着ることで、以前は使っていたガスファンヒーターや電気コタツ等の暖
  房器具の使用を全廃しておりましたが、昨年の冬より妻が電気コタツを使う
  ようになってしまいました。地球温暖化のことを説明し、外出する時と同じ
  格好をすれば寒くないからと何度も説得しましたが、室内でダウンジャケッ
  トを着ることを拒み、コタツの使用を止めません。それで今年は消費電力が
  500Wと大きいコタツの代わりに比較的消費電力の小さい1畳位のホット
  カーペットの購入を検討しておりました。コタツは四角く4人用なので、一
  人分に見合った電熱器具に替えれば省エネできると考えたからです。クリス
  マスの頃になりいよいよ寒くなって来たので、実際に購入に行こうと検討し
  始めましたが、その前に今のコタツの消費電力を計って見ることにしました。
  簡易電力メーターをコンセントに刺し、これにコタツの電源プラグを刺し、
  コタツを妻がいつも使っているという「弱」でしばらく点け放しにして置き
  ました。勿論、コタツ布団を掛けた状態でです。すると3時間27分で消費
  電力量がちょうど300Wになりました。計算すると平均消費電力が87W
  になりました。実際には時々コタツから出入りするなどで熱が逃げてもう少
  し消費電力が大きくなる要素と、逆にもう暖まったからと消す時間があるの
  で消費電力が少なくなる要素がありますが、コタツは「弱」で使う分には思
  っていたより消費電力が小さいものであることが分かりました。これ位なら
  ホットカーペットの消費電力と大差ないので購入の必要はないと判断しまし
  た。妻がコタツを点けるのは夕食時から就床前までの精々3時間位のことな
  ので容認することにしました。
   でも、私は暖房器具は一切使用しておりません。着る衣類もパンツにラン
  ニングの下着と上は冬物のカラーシャツにダウン入りジャンパー、下は冬物
  のズボンだけです。寒ければ更に長袖の下着や股引に上にセーターを着るこ
  ともできますが、寒くないので前述した通りの薄着で暮らしています。また
  家として給湯全廃は続けています。浴室にも洗面所にも流しにもお湯の出る
  蛇口はありません。(というより以前の報告書で書いた通り自分で工事して
  外してしまったのですが)入浴時は妻も体は勿論、顔や髪は浴槽のお湯で洗
  いますし、私は最初の1杯は浴槽のお湯を使いますが、石鹸やシャンプーの
  泡は真冬でも水で洗い流しています。(以前に報告した通り蛇口やシャワー
  の流し放しのお湯は物凄くガスを喰うことが分かったからです)勿論、冷た
  いですが、サウナで鍛えたので我慢できます。普段の洗面所での手洗いや洗
  顔も水で行なっていますし、流しでの食器洗いもビニール手袋をはめてただ
  の水で洗っています。それでも真冬はどうしても手先に霜焼けができてしま
  います。でも、それ程酷いことにはなりません。足は分厚い靴下を履くこと
  で凌いでいます。足も真冬は指先や踵に霜焼けができることもありますが、
  これもまたそれ程酷いことにはなりません。東京では本当に寒いのは1月か
  ら2月の1カ月間位のことなので、少しも苦になりません。いえ、体が適応
  したので何でもなくなったのです。この方が体にも良いですし、風邪にも掛
  かり難くなりました。環境と健康と家計の三両立です。
   それでは10月から12月の3カ月間の実績を見て行きます。まず電気で
  す。10月は目標221KWhのところ実績213KWh、11月は目標
  222KWhのところ実績238KWh、12月は目標226KWhのとこ
  ろ実績208KWhとなり、3カ月合計で目標669KWhのところ実績
  659KWhとなり目標を達成しました。
   年初からの累計でも目標2984KWhのところ実績2951KWhとな
  り、達成率101.1%で目標をクリアーすることができました。
   次にガスです。10月は目標12m3のところ実績11m3、11月は目標
  13m3のところ実績14m3、12月は目標14m3のところ実績13m3と
  なり、3カ月合計で目標39m3のところ実績38m3となり目標を達成でき
  ました。例年では12月から入浴を2日置きに減らすのですが、忘れて13
  日からになりました。これにより入浴回数が2回増え、ガス使用量が1.3
  〜1.4m3位増加した勘定になりますが、目標内に収まりました。
   年初からの累計では目標200m3のところ実績145m3となり、達成率
  137.9%で目標をクリアーすることができました。
   次は水道です。9月〜10月は目標23m3のところ実績24m3、11月
  〜12月は目標22m3のところ実績23m3となり、4カ月合計で目標45
  m3のところ実績47m3となり、目標をややオーバーしました。
   年初からの累計では目標149m3のところ実績127m3となり、達成率
  117.3%で目標をクリアーすることができました。
   次にCO2排出量です。10月は目標37.88Kgのところ実績36.
  44Kg、11月は目標34.96Kgのところ実績37.52Kg、12
  月は目標39.60Kgのところ実績36.96Kgとなり、3カ月合計で
  目標112.44Kgのところ実績110.92Kgとなり目標を達成しま
  した。
   最後にCO2の年間累計では、目標509.92Kgのところ実績467
  .24Kgとなり、達成率109.1%で目標を見事にクリアーすることが
  できました。これより1990年レベルからの削減率は56.98%になり
  ました。この内、人数減の要素を除いた実質的な削減率は40数%と推定さ
  れます。
   日本は公共事業等で700兆円もの国民資産を先食いしてしまったので、
  これからは借金返済のため節約せざるを得ません。また少子高齢化と人口減
  少によりもうかつてのような好景気は二度とは望めません。これに経済成長
  を抑制しなければ地球温暖化が防げないという要素が加わりますから、これ
  からの国の政策は経済成長を前提にしないものに改めなければならないこと
  が分かります。
   雇用や税制もこのような社会情勢に対応できるものに改革しなければなり
  ません。景気刺激・競争促進による経済活性化は同時に勝者敗者の明暗をハ
  ッキリ分け、貧富の差を拡大させ、経済を不安定化させ、自然環境の破壊を
  加速させますから、これからの時代にはそぐいません。競争より安定が重要
  視されなければなりません。パイは小さくなるので、富の分配はより平等に
  行なわなければなりません。最低水準を守らなければならないからです。そ
  れから最大多数の最大幸福が政治の目的だからです。企業経営より雇用の安
  定を優先させなければならなくなります。企業の競争力は弱まる方向ですが、
  社会全体で、いや全世界で一斉に行なえば競争力の格差の問題は解消されま
  す。税制も富の分配がより平等に行われるよう改革しなければなりません。
  あるいは税制をグリーン化し、環境保護に取り組むことが個人や企業にとっ
  て経済的に利益になる仕組みを作らなければなりません。
   経済のグローバル化は競争を激化させ問題を複雑化させ地球規模に拡大さ
  せますから、これからの時代にはそぐいません。世界政府が実現できればグ
  ローバル化のデメリットは帳消しになりますが、国連さえ上手く機能しない
  現状では実現は不可能です。それぞれの国の独自性や特色を生かすことが民
  主主義であり人々の幸福であるなら、世界政府はこれに反しています。時代
  は中央集権から地方自治に移行しようとしているわけですから。しかし、な
  おかつ世界は地球環境と国際秩序を守るため強調しなければなりません。国
  連がこれまでより幾倍も重要視されなければなりません。現在の最重要課題
  はすぐそこまで迫っている温暖化による地球環境と人類の大危機を回避する
  ことです。これまでの常識や価値観に捕らわれることなく速やかに対策しな
  ければなりません。
   企業は基本的に儲からないこと経営が危うくなることは決して行ないませ
  ん。政府が行なうよりありません。政・官・業の癒着を排除し、政・官が真
  に公共のために働くよう改革しなければなりません。それは制度改革によっ
  てのみ実現されます。金により歪められている政治を民意が正しく反映され
  るよう改めなければなりません。それは政治資金と選挙制度の改革です。
   二大政党制では比較少数の良識ある民意が反映されません。政権を取った
  方の政党が企業と癒着し、政治を歪め、国内外の諸問題の解決を遅らせます。
  その典型例がアメリカです。ヨーロッパ型の民主主義の方が望ましい。だか
  ら良識もあるし、環境対策も進んでいます。比較少数意見を切り捨てて良い
  政治ができるわけがありません。国会に於いて発言する代議員がいるから民
  意が反映されるのです。小選挙区制で当選したたった一人の政治家が当選し
  なかった候補の代弁をすると思いますか。そんなことをしたら次に落選しま
  すよ。それで支持率20〜30パーセントの第1党が権力を独占するように
  なっています。
   もう私はこの3、4回の国政選挙の投票には行っていません。小選挙区制
  の選挙が続き、投票する政党がなくなってしまったからです。行っても当選
  する見込みがないからです。時間と労力を使い、後には負けた悔しさが残る
  だけだからです。投票に行かなければ悔しさも半減するからです。そして政
  治は国民から離れて行きます。結果的に憲法が定める選挙権がないのと同じ
  になります。これでも民主主義と言えるでしょうか。一応選挙はあるけど、
  形だけで決して民意は反映されない。
   すっかり政治の話題になってしまいましたが、環境問題を本気で考えて行
  くと、結局、政治改革しないと駄目だと分かるからです。
   私たちが排出したCO2 は大気中に溜り二度とは回収できず、地球環境と
  そこで暮らす私たち自身に害悪を及ぼし続けます。省エネをすれば確実に害
  悪は減ります。
   今日からあなたのできることすぐに始めてください。みんなの努力で私た
  ちのかけがえのない◎地球環境を守りましょう!!!

                                ヨウジ

P.S.CO2 の計算には下記のフリーソフトウェアを使ってください。

NIFTY
FGALAP/4/8 (https://iw.nifty.com/iw/nifty/fgalap/lib/8/index.html)
1111  BXC02020 01/01/02 136625 CO2_122 .LZH 地球温暖化対策CO2 V1.22

VECTOR
http://www.vector.co.jp/pack/dos/edu/science/co2_122.lzh  01/01/02 136625
    地球温暖化対策プログラム(光熱費等の使用量からCO2排出量を計算
説明ページ: http://www.vector.co.jp/soft/dos/edu/se035828.html

私のホームページからもダウンロードできます。(下記URL)
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#380/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/01/23  12:31  ( 35)
@コラム517 中立的マスコミはNHKと朝日だけ ヨウジ
★内容

フジテレビの「報道2001」はアナウンサーも評論家も招かれる論客も
保守系で固められた保守の宣伝機関。(日曜7:30〜)

テレビ朝日の「サンデープロジェクト」は論客は一応各党バランス良く招くが、
司会もアナウンサーもカラーがあり、カラーを全面に出して論客の発言を途中で
遮ることが度々ありマナーが最悪。最近右傾化が目立つ。(日曜10:00〜)

NHKの「日曜討論」は司会者のマナーが良く、討論が公平・中立に進められ
るので安心して観られる。流石に公共放送。マスコミの模範。(日曜9:00〜)
(ほとんどNHKの番組しか観ない私だが)

朝日新聞は新聞の中では最も公平・中立に報道しているマスコミである。
(読者である私としてはもう少し左寄りにして欲しいところだが)

                            ヨウジ
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P.S.2001年1月の旧日本軍慰安婦制度の責任者を裁く民衆法廷を扱った
    NHKの特集番組の改変問題については、私は事実を知る立場にはない
    が、タカ派で従軍慰安婦を歴史教科書に載せることに反対する「歴史教
    育を考える会」の代表の中川氏、同会元事務局長の安倍氏(当時官房副
    長官)とNHKとの絡みで起こった問題。NHKの予算はその自民党の
    承認を受けなければ通らないから、言った言葉の上っ面が圧力を意味す
    るか否かに関わらず圧力になるだろう。

    従軍慰安婦の記述を小中学校の歴史教科書に載せることが教育上良いか
    どうかは疑問に思うが、番組としてはそういう裁判があったという事実
    を余すところなく伝えて欲しかった。私は観なかったので再放送できな
    いものだろうか。




#381/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  05/02/04  02:51  (  1)
週明けの殺人者 1   永山
★内容                                         22/05/09 19:53 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#382/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  05/02/04  02:52  (  1)
週明けの殺人者 2   永山
★内容                                         22/05/09 19:53 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#383/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  05/02/08  20:36  (  1)
週明けの殺人者 3   永山
★内容                                         22/05/09 19:54 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#384/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  05/02/10  23:18  (  1)
週明けの殺人者 4   永山
★内容                                         22/05/09 19:54 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#385/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/02/13  14:37  ( 42)
@コラム518 北朝鮮は経済制裁より融和政策を ヨウジ
★内容
北朝鮮はこれ以上拉致問題だけを先行して解決させることはしないだろう。
むしろカードとして取って置くだろう。
北朝鮮は自国にとって最も重要な体制維持を第一に考えており、
この問題が解決できる目処が立たなければ
拉致問題を始め日朝関係も進展させようとはしないだろう。
「DNA鑑定は捏造」だと言っているのは単なる時間稼ぎに過ぎない。
経済制裁カードはまだ使用する時期にはなっていないし、
使っても問題解決には繋がらない。
むしろ問題を拗らせる。
対話の道が閉ざされ、
飢えるのは一般市民だけだ。
北朝鮮は以前から
「強硬には超強硬で対抗する」
と言っているでしょう。
今は早期に6カ国協議ないしは米朝二国間協議を再開させることを
考えるべきです。
それからイラク戦争のこともあるし、
北朝鮮が紙ぺら1枚で体制維持が保証されたと受け取り
安心するかどうかも疑問です。
それより北朝鮮は核兵器を持つことこそが一番確実な安全保証になると
考えているでしょう。
世界には米ロ英仏中は勿論、
イスラエルやインドやパキスタンのように
後から核兵器を持ってしまった国は
今では何の制裁も掛けられていなく、
核廃絶どころか開発・改良も勝手にでき、
先に持った方が勝ちという不公平が存在するわけですから。
強硬策は北朝鮮をそういう道に急がせるだけです。
唯一の解決策はアメリカが敵視政策を改め、
正式な米朝不可侵条約を結ぶことです。

                            ヨウジ
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P.S.拉致被害者家族の気持ちは良く理解できますが、及ぼす結果が・・・

    クリントン政権の政策の方が良かった。平和的な雰囲気が重要。




#386/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/02/13  14:42  ( 80)
@コラム519 NHKの裁判員制度番組を観て ヨウジ
★内容

2月12日 21時からNHK総合テレビで放映された
NHKスペシャル「司法大改革・あなたは人を裁けますか」@
を興味深く観て感動したので感想を述べたい。

飲んで帰って来て途中(9時25分位からだったか)から観たので
間違えて受け取った部分があるかも知れませんが、
判決が懲役3年、執行猶予5年という結果になったことは妥当だと思いました。
会社をリストラされ家に帰り辛くなりホームレスとなって公園で暮らす被告人が
世話をしてくれていた老人(コンビニ経営者)を殺害した。
裁判は被告人が事件の詳細を黙秘し続けたため、分かっている事実だけから推測
して傷害致死罪として検察の求刑通り懲役6年で結審するところでした。
しかし、事件の詳細が不明なまま結審することに強い疑問を持っていた
一人の裁判員(三浦友和)が、裁判所からの帰り道、
偶然に公園に監視カメラがあることに気付き、
このことが切っ掛けとなり、裁判所が監視カメラの録画映像を
チェックすることを決める。
その結果、公園の監視カメラには何も写っていなかったが、
商店街の監視カメラには意外にも金属バットを持って公園に向かって歩いている
被害者の姿が写っていた。
ここから裁判は急転回する。
最後にそれでも頑なに黙秘を続ける被告人に向かってその裁判員は言う。
「私たち、裁判員はこうやって人を裁くのは一生に一度のことでしょう。あなた
が黙っていると私たちは推測であなたの運命を決めるしかない。私はそうしたく
ない。何があったか正確に知りたい。話してください」と。
裁判員の気持ちが伝わり、とうとう被告人は真実を語り始める
その日、被害者はホームレスの被告人を家族の元へ帰そうと、
公園へ説得しに行ったが口論となり、
被害者が感情的になり金属バットで無理矢理段ボールの家を壊そうとしたため
取っ組み合いとなり、結果的に被害者が押し倒され頭を打って死に至ったという
偶発的事件だったと分かる。
事件後、被告が段ボールの家に隠した金属バットは
検察が凶器として押収していたが、
監視カメラの録画映像が示すよう
実は被害者が被告人の家から持ち出して来たものだった。
不利益になるのに被告人は何故黙秘していたのか。
それは被告人は被害者に世話になり恩があったので
被害者の名誉を守ろうとしたためだった。
(この理由はたまたま良く観ていなかったので自信がないが、
再放送され分かったら訂正したい)
後で殺意がないことが分かり、
懲役が6年から3年になったことは当然だが、
執行猶予を付けるかどうかが最後の争点となった。
裁判官や裁判員一人一人の発言は具体的には良く覚えていないが、
確か次のように言っていた。
「被害者の家族のことを考えると実刑にすべきだ」
「恩人を殺してしまったのだから実刑にすべきだ」
「執行猶予が付いた方が更生しやすい」
「被告人にはより厳しい道を歩ませた方が良い。
 つまり執行猶予を付た家族の元に帰し社会復帰させるべきだ」などと。
私は「なる程、裁判とはこのように進められ、
裁判官とはそのように考えるのか」と
一般人の常識には合わない面があることも知りましたが、
私が執行猶予を付ける理由は
「リストラされ社会から逃避し甘えている」とか、
「リストラされ可哀相だ」とか
「恩人を殺した」とか、
「被害者の家族のことを考えると」とか、
「更生しやすいから」などと言ったことは
問題にしたくはありません。
個人的感情は排し、単に被告人には殺意はなかった。
被害者が無理矢理段ボールの家を壊そうとして
偶発的に起こったということに着目し
執行猶予と決めたい。

                            ヨウジ
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P.S.経験のないことでもあるし、再放送を観てまた良く考え勉強したい。
    再放送は2月14日(月)24:15〜25:29。

    ドラマでは良い結果になったが、世の中には教養・良識がある人ない人
    様々な人がいる中で、裁判官も裁判員も同じ1票の重みの多数決で決め
    て正当な判決が出せるのであろうか。まあ、裁判員の方は裁判官に教え
    て貰ったり、自分で勉強しながら判断するんでしょうが・・・




#387/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/02/28  15:49  (355)
◎2005年1−2月度 CO2削減実績報告 〜その@〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:15 修正 第2版

 深刻さを増す地球温暖化問題に対して1地球人である私としても何とかしたい
と数年前からCO2 削減に取り組んで来ました。更に1999年からは1997
年12月の『地球温暖化防止京都会議』で定められた国別の削減目標の内、日本
の削減目標である2008年−2012年までに1990年レベルより6%削減
する」という数値目標に習って、我が家の削減目標を設定し、粘り強く削減努力
を続けてきました。その結果、1999年には6.97%、2000年には26
.22%、2001年には39.94%、2002年には45.70%、
2003年には53.04%、そして2004年には56.98%まで削減する
ことができました。これにより太陽光発電等自然エネルギーを使わない方法では
ほぼ限界まで削減することができました。普通の方法ではもうこれ以上の削減は
できないので、今後はこのレベルを維持することを第一に行なって行きたいと思
います。
 ただ、子供が独立し家族の人数が減ったので、単純に1990年レベルからの
削減率では語れなくなりました。2001年までの削減は純粋に削減努力による
ものでしたが、2002年から2003年までは削減努力によるものの他、人数
減による削減も含まれています。2004年からは完全に人数が2人になりまし
たから、今年以降の排出量の減少は純粋な削減努力と自然減によるものとなりま
す。
 今年2月16日に念願の『京都議定書』が発効し、参加各国で削減目標達成に
向けた具体的な努力が始まりました。我が家ではもう削減はやれるところまでは
やってしまったので、これからは削減努力というより現在のレベルを維持するこ
とが第一になります。これは油断することなく日々月々の排出量と目標達成度を
チェックし続けることで実現させます。
 今年2005年の我が家のCO2削減実績を1カ月ごとに途中経過を報告して
行きます。以下に計算結果を順を追って示します。


1.2005年のCO2削減目標

  年        電気    ガス    水道      CO2
           KWh    m3      m3       Kg       基
1990 排出実績 5468  611    242   1085.9 ←準
                                                                    年
2000 削減実績 3845  476   220   801.2
       率%−29.7 −22.1  −9.1 −26.22%

2001 削減実績 3622  290   200   652.2
     削減率%−33.8 −52.5 −17.4 −39.94%

2002 削減実績 3341  249   183   589.6
     削減率%−38.9 −59.2 −24.4 −45.70%

2003 削減実績 2984  200   149   509.9
     削減率%−45.4 −67.3 −38.4 −53.04%

2004 削減実績 2951  145  127   467.2
     削減率%−46.0 −76.3 −47.5 −56.98%
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2005 削減目標 2951  145  127   467.2
     削減率%−46.0 −76.3 −47.5 −56.98%
                           ^^^^^^^^^^^^^^
2.削減目標の詳細

 (1) 電気=2951x0.12= 354.12Kg
  (2) ガス= 145x0.64=  92.80Kg
  (3) 水道= 127x0.16=  20.32Kg
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   2005年のCO2 排出目標 467.24Kg(炭素換算)
             (削減率 56.98%)

3.今月までの実績

 (1) 電気・・・・・・削減目標 −46.0%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990  572    467    381    367    437    359    547    774    523    375    3
11    355   5468
 (CO2)  68.64  56.04  46.08  44.04  52.44  43.08  65.64  92.88  62.76  45.00  
37.32  42.60 656.16
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998  515    441    360    448    446    374    607    644    575    421    4
60    366   5647
 (CO2)  61.80  52.92  43.20  53.76  53.52  44.88  72.84  77.28  69.00  50.52  
55.20  43.92 677.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999  448    383    396    380    390    514    548    622    665    342    3
02    280   5270
 (CO2)  53.76  45.96  47.52  45.60  46.80  61.68  65.76  74.64  79.80  41.04  
36.24  33.60 632.40
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000  359    307    305    287    345    315    373    389    350    276    2
95    244   3845
  (CO2)  43.08  36.84  36.60  34.44  41.40  37.80  44.76  46.68  42.00  33.12  
35.40  29.28 461.40
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001  310    271    282    255    296    293    355    369    309    297    3
04    281   3622
  (CO2)  37.20  32.52  33.84  30.60  35.52  35.16  42.60  44.28  37.08  35.64  
36.48  33.72 434.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002  306    263    265    233    274    266    314    351    307    256    2
76    230   3341
  (CO2)  36.72  31.56  31.80  27.96  32.88  31.92  37.68  42.12  36.84  30.72  
33.12  27.60 400.92
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003  251    251    234    257    265    231    268    277    281    221    2
22    226   2984
  (CO2)  30.12  30.12  28.08  30.84  31.80  27.72  32.16  33.24  33.72  26.52  
26.64  27.12 358.08
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2004  284    236    220    250    246    226    277    250    303    213    2
38    208   2951
  (CO2)  34.08  28.32  26.40  30.00  29.52  27.12  33.24  30.00  36.36  25.56  
28.56  24.96 354.12
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標  284    236    220    250    246    226    277    250    303    213    2
38    208   2951
  (CO2)  34.08  28.32  26.40  30.00  29.52  27.12  33.24  30.00  36.36  25.56  
28.56  24.96 354.12
    累  284    520    740    990   1236   1462   1739   1989   2292   2505   27
43   2951   2951
  (CO2)  34.08  62.40  88.80 118.80 148.32 175.44 208.68 238.68 275.04 300.60 3
29.16 354.12 354.12
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績  222    245                                                             
             467
  (CO2)  26.64  29.40                                                          
              56.04
    累  222    467                                                             
             467
  (CO2)  26.84  56.04                                                          
              56.04
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
  達成率127.9  111.3                                                           
             111.3%


  (2) ガス・・・・・・削減目標 −76.3%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
------------------
 1990   94     79     71     52     48     38     32     28     30     37     
44     58    611
  (CO2)  60.16  50.56  45.44  33.28  30.72  24.32  20.48  17.92  19.20  23.68  
28.16  37.12 391.04
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998  159    111     94     57     50     43     32     31     36     45     
45     54    757
  (CO2) 101.76  71.04  60.16  36.48  32.00  27.52  20.48  19.84  23.04  28.80  
28.80  34.56 484.48
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999   89     70     59     41     43     26     32     27     30     33     
36     46    532
  (CO2)  56.96  44.80  37.76  26.24  27.52  16.64  20.48  17.28  19.20  21.12  
23.04  29.44 340.48
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000   72     57     52     43     37     33     27     19     24     35     
40     37    476
  (CO2)  46.08  36.48  33.28  27.52  23.68  21.12  17.28  12.16  15.36  22.40  
25.60  23.68 304.64
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001   48     27     29     21     24     20     15     13     16     24     
26     27    290
  (CO2)  30.72  17.28  18.56  13.44  15.36  12.80   9.60   8.32  10.24  15.36  
16.64  17.28 185.60
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002   36     25     24     20     19     15     20     11     13     19     
25     22    249 
  (CO2)  23.04  16.00  15.36  12.80  12.16   9.60  12.80   7.04   8.32  12.16  
16.00  14.08 159.36
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003   34     22     22     16     17     11     12     13     14     12     
13     14    200
  (CO2)  21.76  14.08  14.08  10.24  10.88   7.04   7.68   8.32   8.96   7.68  
 8.32   8.96 128.00
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2004   16     12     13     11     11     12     10     10     12     11     
14     13    145
  (CO2)  10.24   7.68   8.32   7.04   7.04   7.68   6.40   6.40   7.68   7.04  
 8.96   8.32  92.80
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標   16     12     13     11     11     12     10     10     12     11     
14     13    145
  (CO2)  10.24   7.68   8.32   7.04   7.04   7.68   6.40   6.40   7.68   7.04  
 8.96   8.32  92.80
    累   16     28     41     52     63     75     85     95    107    118    1
32    145    145
  (CO2)  10.24  17.92  26.24  33.28  40.32  48.00  54.40  60.80  68.48  75.52  
84.48  92.80  92.80
 ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績   16     13                                                             
              29
  (CO2)  10.24   8.32                                                          
              18.56
    累   16     29                                                             
              29
  (CO2)  10.24  18.56                                                          
              18.56
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 達成率100.0   96.6                                                           
              96.6%


  (3) 水道・・・・・・削減目標 −47.5%

 ----------------------- 月別排出目標と実績(m3)----------------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990    -     30      -     42      -     40      -     46      -     39     
 -     45    242
  (CO2)   -      4.80   -      6.72   -      6.40   -      7.36   -      6.24  
 -      7.20  38.72
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1998    -     50      -     47      -     51      -     49      -     44     
 -     45    286
  (CO2)   -      8.00   -      7.52   -      8.16   -      7.84   -      7.04  
 -      7.20  45.76
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 1999    -     38      -     34      -     43      -     40      -     42     
 -     36    233
  (CO2)   -      6.08   -      5.44   -      6.88   -      6.40   -      6.72  
 -      5.76  37.28
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2000    -     36      -     32      -     38      -     41      -     38     
 -     35    220
  (CO2)   -      5.76   -      5.12   -      6.08   -      6.56   -      6.08  
 -      5.60  35.20
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2001    -     30      -     28      -     37      -     38      -     34     
 -     33    200
  (CO2)   -      4.80   -      4.48   -      5.92   -      6.08   -      5.44  
 -      5.28  32.00
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2002    -     31      -     30      -     31      -     33      -     29     
 -     29    183
  (CO2)   -      4.96   -      4.80   -      4.96   -      5.28   -      4.64  
 -      4.64  29,28
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2003    -     28      -     26      -     26      -     24      -     23     
 -     22    149
  (CO2)   -      4.48   -      4.16   -      4.16   -      3.84   -      3.68  
 -      3.52  23.84
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 2004    -     19      -     17      -     19      -     25      -     24     
 -     23    127
  (CO2)   -      3.04   -      2.72   -      3.04   -      4.00   -      3.84  
 -      3.68  20.32
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 目標    -     19      -     17      -     19      -     25      -     24     
 -     23    127
  (CO2)   -      3.04   -      2.72   -      3.04   -      4.00   -      3.84  
 -      3.68  20.32
    累    -     19      -     36      -     55      -     80      -    104     
 -    127    127
  (CO2)   -      3.04   -      5.76   -      8.80   -     12.80   -     16.64  
 -     20.32  20.32
  ……………………………………………………………………………………………………
…………………………
 実績    -     19      -             -             -             -            
 -            19
  (CO2)   -      3.04   -             -             -             -            
 -             3.04
    累    -     19      -             -             -             -            
 -            19
  (CO2)   -      3.04   -             -             -             -            
 -             3.04
  -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 達成率  -    100.0    -             -             -             -            
 -           100.0%


  (4) CO2 ・・・・・削減目標 −56.98%

 --------------------------- 月別排出目標と実績(Kg)-----------------------
-------------------
  年     1      2      3      4      5      6      7      8      9     10     
11     12     計
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
 1990   68.64  56.04  46.08  44.04  52.44  43.08  65.64  92.88  62.76  45.00  
37.32  42.60 656.16
 1998   61.80  52.92  43.20  53.76  53.52  44.88  72.84  77.28  69.00  50.52  
55.20  43.92 677.64
 1999   53.76  45.96  47.52  45.60  46.80  61.68  65.76  74.64  79.80  41.04  
36.24  33.60 632.40
  2000   43.08  36.84  36.60  34.44  41.40  37.80  44.76  46.68  42.00  33.12  
35.40  29.28 461.40
 2001   67.92  54.60  52.40  48.52  50.88  53.88  52.20  58.68  47.32  56.44  
53.12  56.28 652.24
 2002   59.76  52.52  47.16  45.56  45.04  46.48  50.48  54.44  45.16  47.52  
49.12  46.32 589.56
  2003   51.88  48.68  42.16  45.24  42.68  38.92  39.84  45.4   42.68  37.88  
34.96  39.60 509.92
  2004   44.32  39.04  34.72  39.76  36.56  37.84  39.64  40.40  44.04  36.44  
37.52  36.96 467.24
  目標   44.32  39.04  34.72  39.76  36.56  37.84  39.64  40.40  44.04  36.44  
37.52  36.96 467.24
    累   44.32  83.36 118.08 157.84 194.40 232.24 271.88 312.28 356.32 392.76 4
13.64 467.24 467.24
  実績   36.88  40.76                                                          
              77.64
    累   36.88  77.64                                                          
              77.64
 -----------------------------------------------------------------------------
-------------------
  達成率120.2  107.4                                                           
             107.4%
                                                                               
             ^^^^^^

注1)3の(3)項、水道に奇数月の実績が入っていないのは、私の住む自治体の
   道料が検針も集金も1カ月置きだからです。計算の便宜上奇数月の使用
   量は0とします。

そのAへ続く
                                 ヨウジ
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#388/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/02/28  15:50  ( 98)
◎2005年1−2月度 CO2削減実績報告 〜そのA〜 ヨウジ
★内容                                         09/12/13 10:15 修正 第2版

4.考察

   今年はじめての報告となります。その後も世界各国の科学者から地球環境
  と生態系の破壊の深刻な状況が報告されています。破壊の進行は私がパソコ
  ン通信時代に予見したよりも更に早まっているようです。私は2020年頃
  には温暖化の影響が顕著となり誰もが認めざるを得なくなるという意味のこ
  とを言いましたが、もう既に数年前からそういう状況になっています。
   それなのに世の人々の意識はまだ何も変わっていません。一応、環境問題
  があるとは言っていますが、事の深刻さに対応した対策は何も取られていま
  せん。機械の効率を高めれば済むだろうという程度です。達成できない分は
  余所の国から排出権を買ったり、余所の国の省エネに協力してその分を自国
  の削減分に組み入れれば良いという程度のものです。相変わらず経済が第一
  であり、経済を論じる時には環境問題は無視しています。経済と環境問題は
  密接に結び付いているので、事の深刻さから考えれば本当は同時に考えなけ
  ればならないことなのですが。
   どう観ても対策は遅れ過ぎており、未来が深刻な状況に陥ることは確実で
  す。加害者と被害者が一致するとは限りませんが、人類は近い将来、大自然
  の巨大な力により罰せられることになるでしょう。スマトラ沖地震の巨大な
  津波のように。それでも多分人類は考え方を改めようとはしないでしょう。
  いや、そうなってから気付いてももう遅いのです。破壊された自然環境や生
  態系は100年や200年では修復しないからです。また万年単位以上の途
  方も無い時間を要するからです。母なる地球はもう面倒を見てはくれません。
  気候の悪化、異常気象、海面上昇、自然災害、干ばつ、飢餓、疫病の蔓延、
  経済の破綻…。地球は住みにくい星となります。対策は遅れ過ぎており、こ
  れを避けることはできません。しかしながらより良く生きようとするのが我
  々人類の習性なら、今からでも最善を尽くすべきです。今すぐに根本的かつ
  大胆な対策を実行すべきです。
   それでは1月から2月の実績を見て行きます。電気は1月が目標284
  KWhのところ実績222KWh、2月が目標236KWhのところ実績
  245KWhとなり、2カ月合計で目標520KWhのところ実績467
  KWhとなり、達成率111.3%で目標をクリアーすることができました。
   ガスは1月が目標16m3のところ実績16m3、2月が目標12m3のと
  ころ実績13m3となり、2カ月合計で目標28m3のところ実績29m3と
  なり、やや目標をオーバーしました。炊事でいつになく酷い霜焼けができて
  しまい、これを治すためにお湯を使ったからです。食事の時に多めにお湯沸
  かしポットに入れて置き、残ったお湯で手のマッサージをしたからでした。
  ゴム手袋をもっと厚いものにしたり、できるだけはめっ放しをするなどの工
  夫で霜焼けが防げるかも知れません。今年はもうそろそろ冬が終わるので、
  来年はこのようなことにならないよう工夫したいと思います。
   水道は1月〜2月の使用量が目標19m3のところ実績も19m3となり、
  ちょうど目標通りとなりました。今年の冬は風呂水を1回だけ再利用するよ
  う変えました。つまり、入浴2日置きはこれまでの冬と変わりませんが、新
  規のお風呂を立てた日は入浴後風呂水清浄剤を入れて置き、3日後に立てる
  時にもう1度利用しました。そしてその翌日に風呂の残り湯で洗濯を行ない
  ます。冬場で人数が二人でもあり、洗濯物の溜り具合がこれでちょうど良い
  のです。それにも関わらず使用量が減らなかったのは他に増加要因があった
  からです。水道の元栓が以前より大きめに開いていたので2月半ば頃に最低
  限まで絞りました。水道は出が良ければ良い程使用量が増えるという性質が
  ありますから、これだけの処置でもかなりの節水となります。水の勢いを利
  用する蛇口もありますから、節水中心に元栓を絞ることはできません。その
  蛇口に合わせて元栓を絞り、出が良すぎる蛇口は節水レバーを使ったりして
  出が少なくなるよう調節します。今回の場合は節水レバーは既に付けている
  洗面化粧台の蛇口ですが、レバーが当たる後ろ側の壁に暑さ2Cmのスポン
  ジを貼ることで水の出具合を調節しました。それまでは厚さ1Cmの蒲鉾板
  をガムテープで貼っていたのですが、これでは出が良すぎるので日曜大工店
  で厚さ1Cmの粘着剤付きスポンジを購入し、これを2枚重ねにして使いま
  した。スポンジだとレバーを押している間は比較的水が勢い良く出るので、
  歯磨き後にコップに水を汲む時などに能率的に行なえ、使い勝手が良いから
  です。顔は両手を使い水を流しっ放しで洗いますが、スポンジは押されず凹
  まず水はちょろちょろ出るのでかなりの節水となります。コップに水を汲む
  時には水の勢いが良くても水の無駄遣いにはなりません。
   最後にCO2排出量は1月が目標44.32Kgのところ実績36.88
  Kg、2月が目標39.04Kgのところ実績40.76Kgとなり、2カ
  月合計で目標83.36Kgのところ実績77.64Kgとなり、達成率
  107.4%で目標を達成することができました。
   気付かれた方もいらっしゃると思いますが、昨年の削減実績をそのまま今
  年の削減目標としました。冬が寒かったり、夏が暑いと化石燃料の使用量が
  増え、これに連れてCO2の排出量も増加します。 ところが我が家では冷暖
  房と給湯を全廃したので、気象の影響をほとんど受けず、また、1年を通し
  て季節変動もほとんどありまん。電気・ガス・水道の供給元はピークに合わ
  せて設備を作るので、この面でも省エネは社会にとってプラスとなります。
   私たちが排出したCO2 は大気中に溜り二度とは回収できず、地球環境と
  そこで暮らす私たち自身に害悪を及ぼし続けます。省エネをすれば確実に害
  悪は減ります。
   今日からあなたのできることすぐに始めてください。みんなの努力で私た
  ちのかけがえのない◎地球環境を守りましょう!!!

                                ヨウジ

P.S.CO2 の計算には下記のフリーソフトウェアを使ってください。

NIFTY
FGALAP/4/8 (https://iw.nifty.com/iw/nifty/fgalap/lib/8/index.html)
1111  BXC02020 01/01/02 136625 CO2_122 .LZH 地球温暖化対策CO2 V1.22

VECTOR
http://www.vector.co.jp/pack/dos/edu/science/co2_122.lzh  01/01/02 136625
    地球温暖化対策プログラム(光熱費等の使用量からCO2排出量を計算
説明ページ: http://www.vector.co.jp/soft/dos/edu/se035828.html

私のホームページからもダウンロードできます。(下記URL)
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#389/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/03/19  12:06  ( 43)
@コラム520 児童教育と歴史認識  ヨウジ
★内容

性の真の意味や人生についてまだ良く理解していない小中学校の児童に、
戦時下で旧日本軍が起こした「従軍慰安婦」の問題を教えることが、
少年少女の健全な育成に役立つのかどうかを考えると、
私は否定的に受け止めます。
教えても理解できないと思います。
あるいは変に受け止め純情無垢な心に悪い影響を及ぼすものと考えます。
思春期が過ぎ十分に成熟してから教えるべきことと考えます。
その他の侵略戦争の歴史を有りのままに教えることは構わないと思いますが。

戦後に生まれた私が小中学校の時は、
純真そのもので、そのような教育を受けた記憶はまったくありません。
いつどんな戦争があったかも良く知りませんでした。
ただ、私が成長する過程で母から何度となく聞かされた
戦争中の話が記憶に残っているだけです。

「B29が来てどうのこうの」
「真夜中に焼夷弾が落ちてどうのこうの」
という東京大空襲のこととか、
「(父の)田舎に疎開して米がないから芋を食べた」とか、
「食後は茶わんは洗わずになめた」とか、
「(田舎では)肩身の狭い思いをした」とか・・・

母から聞いたこういう話から戦争について間接的に知りました。
何故、戦争が起こったのか等、
戦争の真の意味について知ったのは
社会人になってずっと後になってからです。
それでも私は健全に成長しました。
悪の道には入らなかったし、
平和主義者になりました。
靖国参拝と歴史認識・謝罪の問題は分けられないと思いますが、
児童教育と日本政府の歴史認識や謝罪の問題は
分けて考えるべきだと思います。

                            ヨウジ
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P.S.小中学校の児童には、童話や児童文学が相応しいと思います。




#390/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  05/03/19  22:37  (  1)
そりゃないぜ!の恋22   寺嶋公香
★内容                                         21/01/19 21:59 修正 第2版
※都合により一時非公開風状態にします。




#391/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/03/21  15:35  ( 88)
@コラム521 非行少年と児童教育  ヨウジ
★内容

内閣府が今年1月に実施した世論調査によると、
「少年による重大な事件が増えている」と感じている人が全体の3分の2を占め、
喫煙や深夜に公園に集まるなど不良行為をしている少年を見かけた時、
「見て見ぬふりをする」と答えた人が54.0%に上り、
その理由は「少年に暴力を振るわれるおそれがあるから」と答えた人が78.8%
だったということです。
また少年非行に結びつくと見られる社会環境については複数回答で
「コンビニエンスストアやカラオケボックスなどの深夜営業」が50.6%、
「インターネットで暴力や性、自殺に関する情報が手に入れられる」が
50.1%に上っているということです。 

私はこの問題については前から分かっていました。
現代は児童が勉学に励み、健全に成長する環境にはないと。
世の中が経済性や便利さ優先に変わってしまったために、
精神的で重要なものが軽視されてしまったと。

1.テレビも良くない。テレビには大人子供の区分けがなく、
  低俗化の影響をもろに受ける。

2.コンビニは近くにあり、何でも売っているから便利だが、
  アダルト雑誌まで置かれるなど大人子供の区分けがない。

3.自動販売機も24時間いつでも冷えた飲み物等が買えて便利だが、
  酒やたばこまで買え、また糖分の多い清涼飲料水は栄養バランスを崩す。
  (アルコールなど一部規制されたようなことも聞きましたが)

4.インターネットにも勿論問題がある。

これらはいずれも便利さを追求したものであり、
企業が儲けるために考え出され普及したものです。
だから児童教育のことは無視されています。
世の中は悪い誘惑で溢れており、
児童が純粋に真面目に育つ環境にはなっていません。
近年の学力低下の原因は
「ゆたり教育」だけにあるのではなく、
こうした社会環境の悪化も大きく関わっています。
このままで教育を厳しくすれば
落ちこぼれ、非行が増えるだけです。

それからもう一つ大きな問題があります。
少子化と夫婦共働きの普及により、
家庭が教育をする役目をしなくなってしまったことです。
昔は母親が家にいて、優しい愛情で育み、
あるいはしつけをしましたが、
今は母親が家にいないので、
そのどちらもなくなってしまいました。
代わりに保育所や保育園で過ごしますが、
先生と子供が1対多になるため、人間関係が家庭より希薄となり、
また親子の絆もできません。
更に少子化で兄弟姉妹間や地域の子供間の交わりが激減し、
社会性が身に付き難くなりました。
この結果、大人を軽蔑し、言うことを聞かない子供が増えました。
親からスキンシップな十分な愛情を受けていないからです。
社会性が身に付いていないからです。
民主主義は男女平等を規定し、
また共働きをしないと生活が成り立たなくなったからです。
生活水準が高くなったからです。
昔の男尊女卑の時代の方が子供が健全に育っていたとは皮肉なことです。
私もそういう時代に育ったので、
この違いが良く分かります。
文明の進歩は地球環境を壊しただけでなく、
私たちの心まで駄目にしてしまいました。
文明の根本的な軌道修正が必要と考えます。
ただ、自由に競争しているだけでは
何も良くならないということです。

                            ヨウジ
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P.S.近年、有能な人、社会的立場のある人がデジカメでスカートの中を撮っ
    たとか、触ったとか、下らないことで立場を失う事件が多発しています。
    心の中は皆同じなのに、ちょっとした瞬間にセルフ・コントロールを失
    い、勿体無いといつも思っています。

    どうして女子高生はそんなにスカートを短く切るのでしょうか。何故、
    学校はそれを許しているのでしょうか。女子高生だけでなく若い女性全
    体がそうなのですが、そのために「迷惑防止条令」等により規制強化を
    し、有能な男性が次々に立場を追われるのはおかしいと思います。男性
    の能動的本能なのに、挑発しておいて捕まえるとは可哀相です。むしろ
    根本原因である女性の服装を規制する法律を作るべきです。

    イスラム教に学ぶべきです。あるいは古き良き時代に学ぶべきです。




#392/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/03/22  14:19  (110)
@随筆bR 性の目覚めと思春期の悩み  ヨウジ
★内容

中学1年から2年(13〜14歳)の間、
私は親元を離れ、湘南の海の近くの兄の家で世話になっていました。
ある日学校から帰り、飼っていたインコを籠から出し抱いていたら
可愛くなり衝動的にキスをしてしまいました。
そうしたら何とインコは死んでしまいました。
窒息して死んでしまったのです。
夕方になり私が「お姉さん」と呼んでいた
そこでの私の母親代わりの兄の妻が帰りましたが、
本当のことは言えず、「・・・したら死んでしまった」と言ったら
追及されなかったので、そのことはこれで済みました。

夏になりまだ3、4歳だった甥と姪が海水浴をしに遊びに来ました。
昼間3人ではしゃぎながら布団を被って遊んでいた時、
思わず姪にキスをしてしまいました。
インコの時と同様、
何故なのかは分かりません。
思わずそうしてしまいました。

これらのことがあった後の中学1年か2年の時に
私は性に目覚めました。
学校から帰って一人で家にいた時、
急に大きくなり変な気持ちになったので、
ジッパーを開けて触っている内に射精してしまいました。
以後、毎日するようになりました。
初めは知らないから下着を汚したのかも知れませんが、
その内にわら半紙に出して捨てるようになりました。
でも、その意味は知りませんでした。
性交によって子どもができることをまだ知らなかったのです。
その意味を知ったのはそれから後のことでした。
それはまだ兄の家にいた中学2年の時か、
それとも東京に戻ってからの中学3年の時かは覚えていません。
家庭医学書を見て自分で知りました。

その意味を知ってからです。
異性を意識するようになったのは。
それまでは無邪気に振る舞っていた私が、
以後は人前に出るのが恥ずかしくなりました。
高校に入るとそれは恥ずかしさだけから悩みになりました。
自慰は悪いことのようにも言われ、
噂されているようで悩みました。
中間か期末の試験勉強で夜遅くなったり、
隣の犬が夜吠えて眠れなかったりして
睡眠不足が続き、心労が重なりました。
それで次第に神経が衰弱して行ったのだと思います。
悩みは深刻となり、苦悩するようになりました。
性に関連し、人を過剰に意識するようになりました。
これが原因でいつしか私はノイローゼになってしまいました。
高校1年、16歳の
精神的に不安定な思春期の病気でした。
高校1年の秋頃だったと思います。
私は入院することになりました。

入院生活は意外にも活発でした。
遅れるのが嫌だからとベッドの近くのテーブルで数学の勉強をしたり、
色鉛筆でスケッチブックに車のデザイン画を描いたり、
他の様々な患者さんや看護師さんと卓球の勝ち抜きをしたり、
隣のベッドの一つ年下の子とトランプをしたり、
その子と画家の人と3人で近くの公園へ絵を描きに行ったり、
東大卒の人や優しいおじさんと話をしたり、
看護婦さんに外泊の患者さんのご飯も貰って食べて
太った太ったと喜んだり等々・・・
毎日充実した日々を送りました。
入院してから3〜4カ月経ったある日
担当医の問診があったので、
早く勉強したいという意志を伝えたら、
「自分からそういう気持ちになるのが一番良い」
「それなら退院して良いから頑張りなさい」
と言われ退院することになりました。
10キロも太り顔も丸くなって初めて高校に登校したら
担任の先生から「好青年になったね」と褒められたことを覚えています。
クラスでも「○○大丈夫か」と声を掛けられ
温かく向かい入れてくれました。
成績は上位クラスからがた落ちとなりましたが、
高校2年、3年と進む内に調子が戻り、
好きだった理数系科目を中心に
意欲的に勉強するようになりました。
以後は卒業まで順調に通学を続けました。

高校を卒業し、大手電気メーカに就職しました。
良い諸先輩に恵まれ、
課の皆さんから面倒を見られ可愛がられました。
また自分の健康法も身に付け
虚弱体質で内気だった私も心身共に健康となり
性格も明るくなりました。
名実共に思春期からの脱出でした。
18歳の春でした。

                            ヨウジ
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P.S.1年半前、長崎で4歳の幼児をビルから突き落とし死なせた中学1年生
    も思わずそうしてしまったのかも知れません。性に目覚める前には説明
    のできない衝動的行動が伴うものなのかも知れません。私の場合は「可
    愛い」と思う感情が起き、それをキスという行動で表現したら、インコ
    が死んでしまいました。誤ってだ液で窒息死させてしまったのです。愛
    していたのに皮肉な結果です。可哀相なことをしました。

    同時期に鶏も飼っていました。「お姉さん」が買って来てくれたのです。
    1年目は雄のひよこでしたが、2年目は雌のひよこを5羽も買って来て
    くれました。ひよこの間は部屋に置いた木箱の中で育てました。10W
    の白熱灯で温めてやり、布を被せて。卵を産むようになるまで育てまし
    た。庭の片隅に兄が鶏小屋を作ってくれました。時々小屋から出してや
    り一緒に遊びました。朝、温かい産みたての卵を食べてから学校に行き
    ました。憧れの海の近くで暮らした、一生忘れない想い出です。




#393/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/03/23  11:41  ( 29)
@コラム522 北朝鮮問題は体制保証が条件だ  ヨウジ
★内容                                         05/03/23 11:59 修正 第3版

 アメリカが北朝鮮に無条件で6カ国協議に参加すべきだということには無理が
ある。当初から北朝鮮は核開発放棄の条件に体制保証を挙げており、「米朝不可
侵条約」を結ぶことを要求していた。ところがアメリカはこれを突っぱね続けて
きた。そしてイラク戦争に気を取られ、北朝鮮との交渉には一切応じなかった。
 アメリカはイラク問題が一段落したことから、ここへ来てまた北朝鮮問題に力
を入れ始めたが、相変わらず原理・原則を振りかざすだけで、相手の立場を理解
したり、主張に耳を傾けようとはしていない。そしてこれでも6カ国協議再開に
応じなければ、安保理に持ち込み経済制裁を掛けると脅している。
 このようなやり方は平和的とは言えない。事を荒立て無用な混乱を引き起こす。
だからイラクも戦争になってしまった。だからテロも起こる。歩み寄り妥協し、
相手が応じ易くなるよう柔軟な外交を行なうべきだ。強硬なのはアメリカだけで
あり、アメリカ以外の4カ国は柔軟に対応することで平和的に解決したいと考え
ている。

                            ヨウジ
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P.S.「6カ国協議はこれまで何回も開かれた。妥結する見込みもないのに参
    加しても仕方がない」と北朝鮮は考えている。

    巻き添えになり拉致問題も解決が遅れている。
    民主党政権ならもっと穏健に平和的に解決してくれるだろう。
    だからクリントン政権の政策の方が良かったと言ったのです。




#394/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/03/23  11:44  ( 26)
@コラム523 アメリカ国民は世界のことを知らない ヨウジ
★内容

アメリカの一般の人は世界のことを知らない。
マスコミから知らされていないし、
知ろうともしない。
特に同時多発テロ以後は報道規制され、
政権にとって都合の良いニュースしか流されておらず、
アメリカ国民は世界の現実を知らされないまま、
イラク戦争を支持した。
テロリストが何故アメリカを憎むのか、
ほとんどの人は真実を知らない。
自由のためだとか民主主義のためだとか、
テロとの戦いだとか、
単純なキャッチフレーズで政権に操られた。
ニューヨークの人々だけは国際社会と同じ認識を持っていたようだが。

                            ヨウジ
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P.S.日本も含めイラクに派兵した国々も、国民レベルでは戦争反対派が
    多数だった。理由に関わらず国連無視は国際社会から支持されない。
    これがアメリカの最大の失敗だ。アメリカは信用を失った。




#395/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/03/23  17:11  ( 42)
●新・権力の陰謀95 ジャッジドレッド警察  ヨウジ
★内容

相変わらず警視庁の人権侵害が続いている。
メンバーも変わっていない。
ずんぐりむっくりで不細工な顔の工作者A
(血液型A型)
細身の工作者B(血液型AB型)
それから工作者W(複数の婦警が代わる代わる)
という顔ぶれだ。
最新は3月21日(月)だ。
17時40分頃自転車で家を出てコジマNEW志村店へ向かう。
以前のものが故障して使えなくなったので、スイッチングHUBを買いに行った。
支払いを済ませたのが18時19分。
すぐに帰路に着いた。
18時25分前後に安楽亭志村坂下店の前を通る。
ところがその店の横にこちらを向いて工作者Aが立っていた。
普通の人なら何とも思わない光景だが、
21年半もやられて被害を受けて来た私にとっては
ただ事ではない。
まず、今日も何らかの方法で監視されていること。
私のランダムな外出に対応できるのだから、
四六時中近隣から見張っている者がいるか、
玄関か家の前の道路を通る人間を監視できるムービーカメラが
仕掛けられているか、
室内に盗聴器や監視カメラが仕掛けられていなければ可能にならないからだ。
どれも違法手段であり、
及ぼす影響は人権侵害に当たる。
増して21年半もやられ就職もできないよう妨害されて来た者にとっては
耐え難い心理的圧力となる。
何の罪を犯していないのに、
犯したことも
犯す危険もないのにだ。
アメリカ映画「ジャッジドレッド」と同じだ。
裁判も行なわずに刑を執行する。
一生自由を奪う終身刑の。

                            ヨウジ
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#396/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/03/25  13:55  ( 22)
●新・権力の陰謀96 警視庁が不正を正す以外に ヨウジ
★内容

2カ月、3カ月の人権侵害でもう終わっていることなら、
不正追及は諦めて元の普通の生活に戻れるが、
21年半も付き纏われ工作され
次々に職を追われ、
最後には再就職もできなくなるところまで陥れられ、
現在もなお見張りが付き人権侵害されているのだから、
これはもう警視庁が弁明し、
不正を正す以外には解決しない。
日本で第一の地方警察である警視庁に
何故、こんな当たり前のことができないのでしょうか。

                            ヨウジ
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P.S.これだけ大規模に長期間行なって来たのだから、多くの警察幹部も
    把握していますよね。




#397/1158 ●連載
★タイトル (CKG     )  05/03/26  12:06  ( 45)
●新・権力の陰謀97 都庁から受け継いだ苛め・差別 ヨウジ
★内容

警視庁は都庁との人脈の繋がりから、都庁が選別し行なった
私に対する苛め・差別・人権侵害の続きを行なうことになった。
目的はこれだから、口実はでっちあげたり工作して作り出した。
だが、どの口実も警察が苛め・差別・人権侵害を行なって良い根拠にはならない。
単に私のイメージを傷付け賛同を得られやすくするためのものだ。
都庁の官僚と良く似た習性だが、特権を持つ分より悪質だ。
警察は検挙率低下や空き交番が増えていると言われるが、
そういう状況の中で私という犯罪者とは無縁の一人の人間を痛め付けるために、
全警察署が結託し、21年半もこれだけ手間暇掛けて
追いかけ回す程余裕があるのだ。
表向きは良くやっているように振る舞っているが、
裏ではこれ程悪辣なことを笑いながら平気で行なう連中なのだ。

                            ヨウジ
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P.S.志村署少年係の長田課長がでっちあげ引き離した娘は未だに行方不明だ。
    家出からもうすぐ丸3年になる。不幸があっても連絡することさえでき
    ない。

    「あれで引き離して置いて良かった」とわざわざ言いに来る工作者の 
    意地の悪さ。

    ついでに別の時に工作者Aが
    「後腐れがないように最後まで潰したのよ」
    とか、
    「二度とこんな奴相手にしなくても良いようにしたのよ」
    と良いに来た。

    短い言葉でもどういう連中なのかが良く分かる。
    民主主義は法制度により辛うじて守られている。
    しかし、法制度があっても裏ではこんな悪辣がことが罷り通る。

    私のホームページに志村署によるでっちあげの証拠写真を掲載中
    (実はあれは長田課長の筆跡。もう逃げてしまったかも知れないが)
    http://www5b.biglobe.ne.jp/~youji/inbou/index.htm#INBO2091
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