●短編 #0556の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
「誰これ?」 借りようとしていた本の間にその写真を見付けて、私がまず感じたのは、「なんて愛 らしくてきれいな人!」だった。屋外で白い丸テーブルを前に腰掛けていて、後ろから 声を掛けられんだろう。上半身ごと振り向いたところを、見事に捉えている。ちょっぴ り驚きを残しつつ、楽しそうな笑顔。何でも言うことを聞いてくれそうな優しげな眼差 しも印象的だ。 「ああ、それ、どこにあったの」 私のおばあちゃんが言った。昔の本をいっぱい所蔵していて、中には絶版本や、電子 書籍化されていない物もたくさんあるから、本好きの私は折を見てこうして借りに来 る。今日は友達も誘ったんだけど、都合で少し遅れてくることになっている。だから、 プライベートそうな話を聞くなら、今の内。 「本棚に。というか本と本の間にあったよ。えーっと、二冊とも誘拐物のミステリみた い」 私の答を聞いて、おばあちゃんは「そう。じゃあ、あのときかしら」とある程度得心 がいった様子。今度は私の質問に答えてもらう番よね。 「それで、写っているのは誰? 古い写真みたいだけど」 「目の前にいますよ」 「うん? え、まさか」 「まさかじゃないの。そこに写っているのは私」 自身を指さしてそう答えたおばあちゃんの顔は、確かに写真の人と重なって見えた。 それでも、えー!と叫ばずにはいられなかった。 「おばあちゃん、こんなに美人だったの?」 「美人かどうかはともかく、こういうなりをしていましたよ、昔は」 私から写真を受け取ったおばあちゃんは、目を細めながら写っている人を指先でとん とんと叩いた。 「昔って、何年前」 「さあ、五十年か六十年ぐらい前になるのかしら」 幅がありすぎ。十年の差は大きいよ、この写真の若い頃なら特に。 「二十代後半てことはないと思うよ、おばあちゃん。化粧っ気が全然ない訳じゃないけ どあんまり感じられないし、せいぜい二十歳ぐらいに見えるわ」 「だったらそれくらいなんでしょうね。……あ、思い出してきたわ」 今度は目を見開き気味にしたおばあちゃん。朧気な記憶ではなく、しっかり思い出し た風に見えた。 「このテーブルや背景の感じは、|真名塚《まなづか》さんの別荘ね」 別荘? 別荘を持っている知り合いがおばあちゃんにいたなんて、聞いたことがな い。真名塚さんて誰? 「知らない? そうかぁ、時代の移り変わりを嫌でも痛感させられるわね」 ため息交じりにおばあちゃん。やや寂しそうに頬を緩めたけれども、じきに気を取り 直したようだった。 「真名塚|朝美《あさみ》さんといえば、昔は知らない人がいなかったくらい有名な方 よ」 「勿体ぶらずに教えてよ」 「はいはい。女優さんよ」 「女優」 思い掛けない単語がおばあちゃんの口から出て来て、またびっくり。女優さん、しか も有名な女優の知り合いがいたなんて、初耳もいいところ。 「な、何でおばあちゃんが、そんな大女優さんの別荘に招かれているわけ?」 「それは――あなたがいみじくも言ったように、私の見た目を認めてくれた人がいて ね。その頃、私は芸能人をしていたのよ」 「――」 もう声にならない、高い悲鳴のような反応をしてしまった。驚きの三連発に、次の質 問がすぐには出て来ない。 「|津優千秋《つゆちあき》という芸名でね。ほんの一瞬、売れっ子だった記憶がある わ」 いつの間にか紙とペンを用意していたおばあちゃんは、芸名がどんな字なのか実際に 書いて教えてくれた。本名にかすりもしていないけど、由来は何なんだろう? でも雰 囲気があって、いい名前だわって感じた。 「売れっ子ってどのくらいのレベルだったの? テレビ出た?」 「ええ。ドラマやコマーシャルでいくつか出ていたわ。映画にも出させてもらった」 「凄い」 「もちろん、脇役での話よ。主演が真名塚さん。私に目を掛けてくれていたみたいで、 何度か指名されて、脇役に」 「そんな力があるっていうことは、だいぶ年上の人なんだ?」 「そうね。とてもお若く見えたけれども、当時、私の親くらいの年齢だったはず」 「じゃあ、いまはご存命では……」 「お亡くなりになっているわ。この写真のときから十二年後でした。まだまだお若いの に、癌でね」 おばあちゃんは数える素振りなしに答えた。少し空気が湿っぽくなった。そう感じた 私は、殊更に明るい口調で、雰囲気を変えるべく次の質問をした。 「そもそもおばあちゃんが芸能界に入ったのは、何がきっかけなの? オーディション を受けたか、スカウトされたか、それともいきなり真名塚さんから声を掛けられたとか ……」 「最後のはさすがにないわね。答はオーディション。当時はオーディション番組が流行 っていて、私の知らない内にクラスの友達が出していて。興味がない訳じゃなかった し、本選のゲストに大好きなタレントさんが予定されていたので、やってみる気になっ た。それで運よく勝ち残って、レコード会社に拾われたわ。その会社が、真名塚さんが 歌手活動をされるときレコードを出していたところで、その縁でご挨拶する機会があっ て。オーディションのときの私の即興演劇を見ていてくれていたそうで、俳優の方が向 いているんじゃないかって引っ張られたの」 「へぇえ。何だか凄い、シンデレラストーリーみたい」 「芸能活動をしているときは自分の知らないところで勝手に進んでいく物事と、自分が やらなきゃどうしようもないところが両極端で、思い返せば、楽なのと大変なのを一度 に味わった気がする。でもやっぱり、大変なことの方が多かったかしら。だから、こん な風に休みのときに別荘に招かれていくのは、とてもいい息抜きになったし、とても楽 しかった。この頃の感覚だと、十七、八歳もまだまだ子供で、初めの内は親が着いて来 たのよ。しばらくしてマネージャーさんだけになったけれども、あれは恥ずかしかった わ」 「ふうん。それで、この写真だけ分けてあったのは何で?」 「それはね、好きな男性が撮ってくれた写真だから、仕事場に向かうときは肌身離さず 持ち歩いていたのよ。お守り代わりね」 懐かしげに話すおばあちゃん。その口ぶりがすーっと流れるようだったので、私もス ルーし掛けたけれども、ふと気になった。 「男の人? てっきり、その真名塚さんが撮ったものだとばかり」 「違うわ。真名塚さんはカメラに触ったことすらなかったかも。撮ってくれたのは、真 名塚さんのお子さん。この方もタレントで|仲前昭一《なかまえあきかず》さんといっ て、次男に当たる人よ」 おばあちゃんの恋バナが聞けるかも。っていうか聞きたい。私は好奇心丸出しで、 「それで?」と続きを急かした。 「それでといわれてもね」 「いやいや、好きな人と別荘にいるんでしょ。何かあるでしょ。せめて一緒に散歩する とか。あ、その前に、年の差はどのくらい? あと、その人も売れっ子?」 「年齢は私の一つ上。歌手活動が主で、真名塚さんのお子さんだということを隠しては いなかったけれども、大っぴらには言っていなかった。それでも人気はあったわよ。あ なた世代でも知っている曲が、一つぐらいあるんじゃないかしら」 そう前置きしてから、おばあちゃんはいくつかの曲のサビを口ずさんでくれた。さす がに知らない曲が多かったけれども、確実に聞き覚えのある曲が一つあった。 「じゃあ、ライバルが多そうだね」 「それがね、そうでもなかったみたいなの」 微妙な言い回しに聞こえた。 「私が彼に惹かれたのは、別荘で過ごす際にとても親切にしてもらい、気遣ってくれた のがきっかけだけれども、その時点ですでに相手の方も私に対して、好意を抱いてくれ ていたみたい」 「へえ。ていうことは、親の目を盗んで?」 「私の方は違いますよ。彼と親しい仲になった頃にはもう、親は着いて来ていなかった のだから。それにね、親しくすると言っても今の基準だと全然大したことじゃないんじ ゃないかしら。さっき言ったように散歩とか、一緒の席でお茶を飲むとか、夜、星空を 見上げるといった程度。芸能人同士という意識からセーブしていたのかもしれないけれ ども、そんなの関係なく、それだけで充分楽しかった」 「そっか、芸能人同士……じゃあ、芸能週刊誌の記者に追い回された?」 「そうなる前に、真名塚さんがね」 「ああ」 別荘の主でもあるもう片方の親の目を盗むのは、難しかったに違いない。 「たいした触れ合いでなくても気にされて、それとなく別れるように言われたわ。だけ どその頃の私達は若いせいもあって、簡単には折れなくってね。彼から見て母親に、私 から見て大恩人に対して、結構反発したものよ」 目の当たりにしているおばあちゃんからは、とても想像できない。 「冷戦状態がずっと続いたわ。同じ時期に、私は真名塚さん主演の映画にまた出演させ てもらっていて、撮影現場で顔を合わせる機会がいっぱいあったのだけれど、仕事場で は息子さんとのことを一切出さず、それどころか私に対しても過去の仕事と同じように 接してくれた。もっと言うなら、真名塚さんほどの地位であれば、撮影途中であろうと 私ごとき小娘を降板させるくらい難なくできたはずなのに、そうもしなかった。そんな ことがあって私、ますます真名塚さんに敬意を抱くようになって、仕事に真摯に打ち込 めたと思うの。だからといって、息子さんとの話がいい方向に転がった訳じゃなく― ―」 おばあちゃんは少しためを作った。思い出すのが辛いのかもしれない。 「――結局、昭一さんの方がしびれを切らし、お家を出たの」 「えっ。同棲生活に突入?」 私が先走るのへ、おばあちゃんは首を横に振る。 「ううん。私には家を出る正当な理由も、無理をする勇気もなかったから。ただ、彼が 意地を張ったことで、真名塚さんも少し折れてくださって、それでも二年は経っていた かしら。昭一さんが成人した頃合いに、基本的には仲を認めてくださったの」 あれ? おかしいな。このままおばあちゃんと仲前さんとが結ばれたら、現実とは違 うことになるんじゃあ……。 「認めたと言っても、条件があったわ。『芸能人として今は大切な時期だから、十年間 は大人しくしていなさい。交際はかまいませんが絶対に表に出ないようにすること。も し仮に露見したらその時点で、この話はなかったことにしましょう。十年後、二人が現 在の気持ちと変わらず付き合っていることを、私の前で見せてくれれば、そのとき初め て、正式に認めることにしたい。これでどう?』という具合だったわね。昭一さんも私 も迷ったけれども、他の家族のことも考えて受け入れたの」 でも何らかの理由で、昭一さんとは結ばれなかったのよね。何だろう? 聞いた限り では昭一さん、若さ故の向こう見ずな面はあるとしても、誠実な人柄で、周りの状況も 見えている人って印象だけど。昭一さんかおばあちゃんのどちらかに、他に好きな人が できたとは考えにくいし、考えたくもない。うーん、だけど、現実にはおばあちゃんは ……。 思わず頭を両手で押さえて唸った。そのとき、あることを思い出した。 「待って、おばあちゃん。真名塚さんが亡くなったのって、この写真の頃の十二年後っ て言った?」 「ええ。気が付いたみたいね」 おばあちゃんは一層寂しげに微笑んだ。 「真名塚さんと約束をしたのは、写真の二年後。それから十年が経つ直前に、真名塚さ んは逝ってしまわれた」 そうか。つまり、昭一さんとおばあちゃんは、真名塚さんとの約束を果たそうにも果 たせなくなった。誰の責任でもない、どうしようもないことだけど、それでも約束を尊 重したんだわ。守れなかったから、十年後の自分達の仲を真名塚さんに見せられなかっ たから、結婚をあきらめた……。現代の感覚では、いやきっと当時の感覚でも理不尽 さ、割り切れなさはあったと思う。なのに約束を重視したのは、大女優であり母であり 恩人である真名塚さんへの敬意故なんだろう。 「昭一さんて、いい人だったんでしょう? 惜しいと考えなかったの、おばあちゃん」 「そりゃあね。思いましたよ。だけど口に出して言えるもんですか」 「昭一さんの写真はないのかな。芸能人なら、ネット検索で見付かるかもだけど、現物 の写真があるのなら、手に取って見てみたいわ」 私の希望に、おばあちゃんは何故か目をぱちくりさせ、きょとんとした。明らかに戸 惑っている。そして数秒後、何かを把握したみたいに得心顔になって、笑った。微笑み レベルではない、大笑いだ。 「お、おばあちゃん? 私、変なこと言ったかな?」 「いいえ。変じゃないわ、仕方がないことよね。まだ全部話していないんだし、勘違い させるような言い方になっていたかもしれない」 おばあちゃんは笑いが収まるのを待ってそう言うと、壁の一方向を指差した。私から 見て右斜め上の辺りだ。 「仲前昭一さんの顔写真なら、あなた、幾度となく見ているんですよ。あの人がそうな のだから」 おばあちゃんが指差していたのは、数年前に亡くなった祖父の写真だった。太めの眉 毛が印象に強い、きりっとした男前。若い頃はさぞかしもてたに違いないと想像させる だけのものがある。 「……え?」 「私が結婚したおじいさんは、仲前昭一さんその人よ」 「嘘でしょ? 芸能人じゃなかったよ、おじいちゃん」 「もちろんあなたが物心着いた頃には、とうに引退していましたからね。私よりは長く やっていましたけど」 「え、えっと、でも、真名塚さんとの約束は?」 「一周忌で親族の方々が集まった折に、弁護士の先生が真名塚さんから生前託されてい たお手紙を開封したの。手紙には色々書かれていて、その中に昭一さんと私との仲を認 めるとはっきり明言なさっていたのよ」 「な、なーんだ、びっくりしちゃった」 亡くなってからの手紙に導かれて、自ら課していたしこりが溶けたってことね。それ にしてもそれならそうと、もっと早く言って欲しかった。芸能人の知り合いがいただろ うから、その伝で、今の芸能人にもつながるかもしれないじゃないの。 「でもおばあちゃん。おじいちゃんが撮ってくれたのなら、ますます大切な思い出の写 真よね。何でこんな、言っちゃあ何だけど、埃を被り掛けの本の間に……」 「それも思い出しました」 手を合わせて、にこにこするおばあちゃん。 「結婚後も肌身離さず保っていて、時折、この写真を見て昔を懐かしんでいたの。若い 自分のことだけでなく、おじいさんや真名塚さんのこともね。それであるとき、写真を 眺めているところをおじいさんに見られちゃって」 照れたように頬が赤らむ。おばあちゃんは写真を机にお気、その上に手をかざした。 ちょうど、撮影者たるおじいちゃんがいたであろう辺り、かな? 「以来、おじいさんはそのことでしょっちゅう、私を冷やかしたの。本当はおじいさん 自身の照れ隠しもあったんでしょうけれどね。おかげで私は以前よりもさらにこそこそ と隠れて見なければいけなくなったわ。あの人も本好きで、推理小説好きだからどこに 隠そうか迷ったのだけれども、唯一、子供が誘拐されるお話は苦手で読まないと言って いたのよ。それであなたが手に取った二冊の間に挟んでおくことに決めたの」 おばあちゃんは写真にかざした両手で、見えない何かを包んだようだった。 「おじいさんが亡くなってからは写真を見ることもなくなり、忘れそうになっていたけ れども、あなたが見付けてくれて、いっぺんに思い出したわ。実は、もう一度、写真だ けでもおじいさんに見付けて欲しいなと願っていたことまでね」 見付けて欲しいって、どういう意味? 私が首を傾げると、おばあちゃんは写真に視 線を落とし、「裏返してみて」と言った。そういえば、若いおばあちゃんのきれいさに 見とれて、表しか目をやっていない。 「あ」 私は写真の裏から面を起こすと、おばあちゃんを見た。今までにないくらいほころぶ 顔があった。 わたしを また 見つけてくれて ありがとう 終わり
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