●短編 #0552の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
七月に入ったばかりの時季だった。 ワイン醸造元の息子で高校生の勝山健太郎《かつやまけんたろう》が、自宅兼醸造工 場に隣接する畑で殺害された。凶器は鋭利な刃物で、敷地内にある小さな沼からは条件 に合致するナイフが見付かっている。 犯行推定時刻の午後一時から午後三時の間、醸造工場に通じる道は工事が行われてい たため、人の出入りがなかったことが分かっている。 敷地内にいた面々で、勝山健太郎を殺害する動機があり、犯行時刻にはっきりしたア リバイがないという条件で絞っていくと、三人の容疑者が残った。 健太郎の同級生、草薙尊《くさなぎたける》。健太郎とは遊び仲間で、お互いに軽微 な悪事を知っている。将来のことを考え、悪友を口封じしたのかもしれない。 元従業員の木村竜人《きむらたっと》。解雇の原因は、未成年の健太郎に酒の味を覚 えさせたためで、戻れるように懇願に来ていた。話がまとまらず、かっとなって? 健太郎の女友達、一つ年上の高校生、児玉利穗《こだまりほ》。恋人気取りで、最近 健太郎の浮気を疑るようになっていた。 この中で警察が一番に目を付けたのが、草薙だった。何しろ、殺害現場の地面には、 文字が残されたいてのだ。“尊”と。 「そんなもん、知らねえって。今日は健太郎に頼まれて、児玉さんの疑いを晴らすって いうか、仲立ちを頼まれてたんだ。なのに健太郎を殺すはずないでしょ、刑事さん。動 機だって、そりゃあ言いふらされたらまずいことはあるけど、健太郎はそんなことする 奴じゃないって分かってたし」 主張には一理あるが、ダイイングメッセージがずばり名前であることに加え、児玉が 来ていると知っていた草薙は、彼女に容疑が向くことを期待して犯行に及んだのかもし れない。 「坊ちゃんの死んでいたそばに“尊”って文字が? へえ。何でそいつが私と結び付く んです? え、“尊”に送り仮名“ぶ”を付ければ、『たっとぶ』と読む。そこから“ ぶ”を取れば『たっと』になり、私の下の名前になるって? 無理矢理だなあ。だいた い、自分は坊ちゃんに会えもしなかったんだから。他にもっと怪しい人がいるんじゃな いんですかね? ――坊ちゃんの同級生で草薙? いや、知らない。事件の起きた日、 来てたのか、それも知らなかった。あ、尊って名前なんですか。じゃあ、そいつがやっ たんじゃあないんですか。……そういや、たけちゃんと呼ぶ悪友がいると聞いたことが あった。てっきり、“たけだ”か“たけし”って名前なんだろうなと思ってたが、尊だ ったとはね」 木村は健太郎に懇願に行くことを予告しておらず、いきなりの訪問だった。特に作戦 もなく、正面から来たので工場の者にすぐに見付かり、事務所脇の空き部屋に閉じ込め られている。もちろん牢屋でも何でもない部屋で、見張りが立った訳でもなかったの で、しばらくして木村は部屋を抜け出し、敷地内をうろうろしていた。行動面だけで言 えば最も怪しい。 「私なんかに時間を使ってないで、早く見つけてよ、ケンちゃん殺した奴を! 私馬鹿 だから、あんた達の警察にすがるしかないんだよっ。草薙君も情けないんだから。同じ 時間にいてむざむざ友達を殺されるなんて! え、木村? 誰それ? あー? 現場に “尊”って書かれてたっていうの? じゃあ草薙君が、草薙が怪しいって! 私でも分 かる、早く捕まえろ!」 児玉利穗は当初は泣いてばかりでちっとも話が聞けなかった。話せるようになったと 思ったら警察の捜査に文句を付けてくる始末。学校の成績は中の中レベルだが、勉強嫌 いだと言って憚らないだけあって、言葉の端々に短絡的な思考が滲んでいるようだ。 草薙が最有力容疑者ではあるが、地面に書かれた“尊”という文字は明瞭で、サイズ もそれなりに大きく、見逃すとは思えない。彼が犯人なら字を放置して立ち去るとは考 えにくい。裏を掻いて敢えて字を残したとも考えられなくはないが、実際にそんな賭け に出られる犯罪者がどれほどいるだろうか。 他の二人の容疑者のどちらかが犯人で、草薙に濡れ衣を着せるためにやったんだと仮 定するにしても、決め手がない。 停滞するかに思えた捜査状況に、新たにいくつかの情報が加わったのは、丸一日以上 経ったあとだった。 まず、“尊”という字は地面に書かれていたが、その痕跡を仔細に調べても血が一切 検出されなかった。一方、被害者の聞き手である右手の指は血にまみれていたことが分 かっている。右手人差し指を使って地面に文字を書いたら、土にできた溝に必ず血が残 るのではないか。こんな仮説をたて、実験してみたところ、仮説の正しさが立証され た。被害者の手の爪には土が入り込んでいたが、ダイイングメッセージと合わせて、犯 人の細工である可能性が極めて高いことになる。 さらに、勝山健太郎の家庭教師をしていた大学生・剣崎《けんざき》の証言が得られ た。 「健太郎君が“尊”と書くなんて、信じられません。彼は幼い頃、親御さんからワイン 樽の“樽”の字を教わったそうなんですが、その際に『樽は木に尊いと書くんだ。だか らこそ樽からは尊い酒が生まれる』という風に習ったとか。よほど印象深かったんだろ うな、樽の字を覚えたのはいいが尊の字を間違って、樽から木を取った字だと思い込ん でしまった。まあいわゆる異字体で間違いではないが、一般的ではない。そのままずっ と癖になっていたから死の際に瀕して、書き慣れていない方を書くとは思えないなあ」 これが突破口になった。そもそも、健太郎は草薙をたけちゃんと呼ぶ場合がほとんど だった。その観点から言っても、わざわざ“尊”と漢字で書き残すのは理に合わない。 恐らく時間だって平仮名よりも掛かる。 すでに、ダイイングメッセージは犯人による小細工だと判明している。それなら“尊 ”と書き残す者は誰か。 草薙ではあるまい。もし彼が“尊”と偽装工作をしたのなら、先にも書いたように裏 を掻くことを狙う訳だが、そんな危険な賭けに出られるとは思えない。 木村でもないだろう。木村は事件当日、草薙が被害者宅を訪れていたことを知らなか った。また、“尊”という名の知り合いが健太郎にいることも同様に知らなかった。も し木村が偽装工作をするのなら、少なくとも“たけ”と書くはずだ。 では児玉はどうか。彼女は草薙の来訪を知っていたし、草薙の下の名前が尊であるこ とも知っている。勉強嫌いの児玉が、健太郎と漢字の話題で盛り上がるとは考えにく く、健太郎が“尊”の字を誤って覚えている事実を知るまい。 この点を当人にそれとなく聞いてみると、まさしくその通り。まったく興味を持って いなかった。 これにより、勝山健太郎を殺害したのは児玉利穗と特定された。 ただ、一つだけ解せない点が残っていた。 「なあ、児玉さん。どうしてわざわざ漢字で書いた? 簡単な平仮名か片仮名で書かな かったのには理由があるのか? 被害者が草薙君を『たけちゃん』と呼んでいたことだ って、君は知っていたろうに」 「あー、それ? ない知恵を絞ったつもりだったんだけど、裏目っちゃったな」 さばさばした口調で犯人は答えた。 「共通の友達に、武田《たけだ》っていうのがいるの。野球部のレギュラーで、筋肉馬 鹿なところあるけれど、いい奴でさ。中学までは健ちゃんと一緒に野球してたみたい。 何が原因か分からないんだけど、今は仲違いしてて。刑事さんの捜査でもちょっとは網 に引っ掛かったんじゃない? まあどうでもいいけど。武田に万が一でも疑いが掛かっ たら悪いなと思ったから。だって今うちの野球部、予選で頑張ってるでしょ。野球のこ とはよく分かんないけど、好きなことをやりたいっていう気持ちは尊重したいんだ、 私」 終わり
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