●短編 #0545の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
目の前に足がある。見覚えのある薄いグリーンの靴下を穿いていた。 兄の光太郎《こうたろう》だ。 金の無心に来て、まさか兄の遺体を見付けることになるとは、全くもって想像の埒外 であった。思わず膝からくずおれて、首吊り遺体を見つめてしまっていた。 中堅作家としてそこそこ知られ、そこそこ稼ぎ、数は少ないがヒット作のおかげでこ うして執筆専用の別荘まで建てた友近《ともちか》光大郎が、どうして死を選ぶ必要が あったのだ。背こそ低いが顔はまずは二枚目の部類で、運動もできる。ファッションモ デルの年下女性を妻に迎え、子にも恵まれていた。そんな兄が何故。 私に、その才能と幸運を分けてもらいたかった。 最初の衝撃が去ると、私は立ち上がり、首を傾げた。こういう風に死亡が明らかな場 合でも、一一九に電話するのか? 遺体は降ろしておくのか、それともこのままにして おいていいのか。警察には報せなくても? そこまで考えて、重要なことに思い当たった。 自殺だとしたら、生命保険金は基本的に下りない。出ても、微々たる額のはず。 兄は私よりは資産を持っているが、妻と子供がいるので、彼らに全部行くだろう。遺 言状を残していて、某かの言及をしてくれている、なんて期待はしまい。兄が四つもの 生命保険に加入したのは、その内の二つは妻子のため、一つは妹の真美《まみ》のた め、そして残る一つが弟である私・明彦《あきひこ》のためにという、篤志家みたいに よくできた長兄だった。だからこそ、わざわざ財産分与にまで仲間に入れてくれるとは 思えない。 私はふと思い付いて、兄の書斎の奥にあるデスクを調べた。自殺ならば遺言状とは別 に遺書があっても不思議じゃない。なければ他殺の可能性ありとして、警察が捜査して くれるだろうか。保険金が手に入るのなら、遺書なんてなくていい。 が、淡い望みはあっさり断ち切られた。デスクの椅子に近い方の辺に、折り畳んだ便 箋が見付かった。私は迷うことなく手に取り、便箋を開いた。一枚きりで、文章量もた いしたことなかった。 <責任は自分で取る。心配いらない。旅立つにはよい日となろう。 友近光大郎> 便箋の一行目と二行目に、きれいな手書き文字で記してあった。兄の光大郎が書いた 物に間違いない。 これでは警察を呼んでも、自殺と認定されるのは確実。せめて遺書がなければ……そ んな考えが脳裏をよぎった刹那、私は遺書を握り潰していた。 無意識に、「あ」と声を上げた。 今ならまだ引き返せる。兄の死に動揺して、遺書をくしゃくしゃにしてしまったと言 えば、許してくれるだろう。 ――だろうが、今の私には金の方が重要だ。決意を固める意味も込めて、遺書を真っ 二つに破いた。もっと細切れにしてもいいのだが、紙切れが書斎の床に散らばるのはま ずい。私は遺書を自分のジャケットの内ポケットに押し込んだ。 覚悟は決まった。 友近光大郎の死は自殺じゃない。事故死……は難しそうだ。首に紐の跡が残ってい る。小さな子供じゃあるまいし、事故で首吊り状態になるのも無理がある。病死はなお のこと。 やはりここは、他殺に見せ掛けるのが唯一の道だ。 とは言え、首の痕跡をそのままにしておくのはまずいだろう。絞殺に偽装することも 考えたが、あの痕跡は恐らく首吊り自殺を連想しやすい。警察にそんな疑念をちらっと でも抱かせないよう、ここは違う死に様を演出しなければ。それも、首にある紐の痕を ごまかせるような。 閃きはすぐにやって来た。 痕跡は上から潰せばいい。 この別荘には、ある程度の大工道具があったはず。当然、のこぎりも含まれる。 身体から頭を切り離された死体を見て、自殺だと思う捜査官はまずいまい。 私は時間を掛けて兄の遺体から頭部を切断した。首に付いた紐の痕跡はちょうどいい 下書き、あるいは破線だった。 * * 警察に連行される友近明彦を横目で見送りながら、真美は思惑通りに事が運んだと、 安堵の笑みをかすかに覗かせた。 弟・明彦への容疑は、現段階では遺体損壊のみだが、いずれ友近光大郎殺害の容疑も 掛かるだろう。 三人が水入らずで久しぶりに揃うのも悪くないかもと、気まぐれを起こして光大郎の 別荘を午前中に訪ねた真美は、彼の首吊り死体を発見した。自筆の遺書らしき書面も見 付けていた。 そして彼女もまた、金に多少困っていた。 自殺はよくない、他殺に見せ掛けたいところだけれども、死体に触る勇気がない。い や、勇気というよりも生理的にだめなのであった。 そこで真美は、第一発見者の立場を捨てることにした。 光大郎の首吊り遺体をこのままにして、午後に訪れると言っていた明彦に発見させ る。似非ネット企業を起ち上げたはいいが、早々に資金繰りに窮した明彦は、自分以上 に金に困っている。恐らく、他殺に偽装することを思い付き、実行するのではないか。 姉としての読みは見事に的中した。 これで生命保険金が入ってくる可能性が高まった。明彦が受け取るはずの生命保険金 だって、契約内容は知らないけど、ひょっとしたら回ってくるかも。だから、お願いだ から他殺で決着してね。 * * 夫が死亡し、義理の弟が夫の遺体から頭部を切断した容疑で捕まったとの報せを電話 で受け、愛理《あいり》は悲嘆に暮れる妻を演じきって見せた。少なくともそう自画自 賛したくなる出来映えだったと思う。 愛理は執筆専用の別荘に、食事の支度をしてやる、ただそれだけのつもりで出向いた のだが、些細なことで夫の光大郎と口論になってしまった。原因は光大郎の女癖の悪さ にあるのだが、今回の浮気相手は愛理の後輩に当たるモデルと分かり、いつもよりエス カレートした。 筆の立つ光大郎も、口では愛理にかなわない。詫び状を書くことで、許しを得られる 方向に収まった。 と思ったのは光大郎だけで、愛理の方は怒りが収まらないでいた。もう殺してしまお うと考え、咄嗟に詫び状の文言として、遺書とも受け取れる内容を指定し、書かせたの である。 その後、机に向かって執筆中だった光大郎に、背後から忍び寄ると、洗濯物を干すた めのロープを使って、夫の首を締め上げた。 二人の身長差から言って、ちょうどいい。つまり、後々首吊り自殺に見せ掛けるのに ぴったりの角度で、首に痕跡が残る。愛理はそう思っていた。 ところが、である。 洗濯紐を使って実際に梁から夫を吊してみると、若干ではあるが、首にできた痕跡か ら紐がずれてしまうと分かった。姿勢をどんなにいじっても無理で、多分、遺体の衣服 に重しをたっぷり入れたら、うまく合致する角度まで持って行けそうなのだが、そんな 不自然さの残る工作はやっても意味がない。 計画の破綻によって窮地に立った愛理が、ふっと思い浮かべたのが、光大郎を訪ねて くる予定になっているという義理の弟・明彦の存在。 あれに擦り付けられないかしら? そこからの偽装は手早かった。改めて光大郎を首吊り死体のように吊し、下に踏み台 となる椅子を用意してから、書斎の机には詫び状として書かせた偽の遺書を置いた。 よし。これでいいわ。 あとはもう何もしなくても、義弟が勝手にやってくれるはず。殺人の罪も被ってもら うことになると思うけど、仕方がないわよね。あなた自身が考えて、起こしたアクショ ンが招いた濡れ衣なんだから。 * * パトカーに押し込まれ、捜査本部の設置されるであろう警察署へ移動する道すがらで も、私は考え続けていた。 何であのタイミングで警察が来たんだ? 終わり
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